帰国
5月20日(水)
バンコク3:00(MS864)13:00東京国際空港(成田)14:58(JR快速)東京16:58(ひかり)19:10名古屋 *タイとの時差2時間
チェックイン後、4人でレストランへ。エジプト航空の機内食では、あまり期待できないので、コーヒーとサンドウィッチで腹ごしらえしておく。それでもまだ28バーツ(≒140円)残ってしまった。そして出国手続きもすべて完了し、午前3時、エジプト航空MS864便はバンコクを飛び立ち、次の降機地マニラ(フィリピン)へと向かう。マニラまでは2時間50分かかる。
4人でチェックインしたため、皆、隣り合ったシートで54A~Dであったが、ほとんど空席ばかりなので勝手に移動し、4人掛けのシートのアームを上げ、横になって眠る。マニラで1時間ほどストップした後は、成田まであと4時間。
機内で何やら大声で喚き散らしている日本人女性がいる。サービスやスチュワーデスの態度に不満のようで「なに?この飛行機。もうサイテー!」と、周りの迷惑顧みず叫んでいる。俺たちは「しょうがないだろ!安いんだから!」「だったら、乗るなよな」と、話していた。俺はサービスよりも安さを優先したから、エジプト航空にしたのだ。サービスを優先し期待するならば、JALなどのメジャーな航空会社を選べばいい。俺たちこそ、こう言いたい。機内で1人大声で不満をぶちまけ、周りを不愉快にさせる「最低の乗客」と。
そして日本時間の午後1時、成田到着。入国審査、税関と何事もなく通過。バンコクから一緒に帰国した人たちに別れを告げる。自宅では今、俺は『バンコクにいる』と思っているはずなので、すぐにでも電話をする。電話に出た父は案の定、怒鳴り声で「今、どこにおる?」と心配している。「成田。もう日本に帰って来たから、安心していいって!たぶん新聞で知ってると思うけど、バンコクがあの状況だから、何とか脱出してきた。」と答えると、「そうか、それならいい」とホッとしたようだ。そして夕食に、ネパールやバンコクでは食べられなかった日本食、「そばといなり寿司が食べたい!」とリクエストしておく。
JR成田空港駅へ向かう。キオスクでふと、『助六寿司』を発見!夕食にいなり寿司を頼んだばかりだが、誘惑には勝てない・・・。助六寿司を買って列車内で食べることにする。成田空港14時58分発の快速列車で東京へ。そして16時58分発のひかりで名古屋へと帰る。途中、地震が発生し定刻よりやや遅れたが、19時10分ごろ、名古屋着。ホームにある立ち食いのきしめん屋さん、懐かしい匂いに、どうしても食べたい衝動に駆られ食べることにする。う~ん、名古屋の味だ、帰って来たんだナァ!
そして8時ごろ、帰宅。自宅では両親がリクエスト通りに、そばといなり寿司を用意していてくれた。3ヵ月に及ぶ長い旅は終わった。
*カテゴリー『1992 ネパールから帰国へ』 完。
親愛なる読者様へ
1992年の3ヵ月に及ぶネパールへの旅日記、これですべて終了です。長らくのご拝読、誠にありがとうございました。m(u_u)mアリガト !
時系列順は『カトマンドゥ日記』『エヴェレスト街道を行く』、再び『カトマンドゥ日記』、『アンナプルナ周遊』そして『ネパールから帰国へ』と、4つに分けて書き綴りました。お読みくださった皆様が、少しでも「楽しい!面白かった!」と感じていただけましたら、少しでも「ネパールの旅、ヒマラヤ・トレッキングの疑似体験ができた」と感じていただけましたのなら、この上なく嬉しく思います。本当に、ありがとうございました サンクス♪(o ̄∇ ̄)/ 。
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