2014年2月21日 (金)

ネパール再会の旅 88 『帰国』 (最終回)(再掲)

6月3日(金)晴れ
シンガポール1:50(SQ982)9:00名古屋 *時差1時間

 午前1時、搭乗ゲート105にて搭乗になるのを待つ。客を見ると、ほとんどが当然のごとく、日本人であった。このシーズンのウィークデーに、なぜこんなに旅行者がいるわけ?まさか、俺のようなプー太郎ばかりではあるまいし・・・。

1時50分、いよいよ今回の旅の最終便が離陸する。名古屋まで6時間10分。機内では、たくさんの思い出をくれたネパールの友達、そして海外に住む旅仲間、日本の旅仲間たちに手紙を書いていた。シンガポール航空は、スチュワーデスに頼めば、絵葉書やボールペンのサービスが受けられる。更に、それらの手紙もサービスで出しておいてくれる。
*今はCA(キャビン・アテンダント)と呼ぶのでしょうが、その時はまだスチュワーデスという呼び方が一般的でした。

書き終えた後、ややうたた寝をし気がつくと、もう日本である。九州上空のようだ。開聞岳(鹿児島)が見える。そして紀伊半島から伊勢湾が・・・。とうとう帰って来たんだ。

9時10分、名古屋空港着。空港からタクシーで自宅へと向かう。旅は終わった。

*この旅日記は1994年のものです。

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2014年2月20日 (木)

ネパール再会の旅 87 『日本へ』(再掲)

思えば今回の旅は、再会の連続であり、そして別れはいつも辛い。あまりにもそれが多過ぎた今回の旅。3本のカタと1本のレイ。3度目のネパールで、みんなが別れを惜しみ、幸運を祈ってくれた。ありがとう!さようなら!ネパール!

11時に空港にチェック・イン。シンガポール航空SQ413便。シートは33A、シンガポール~名古屋のSQ982便のシートも34A、両方とも窓側である。しばらく送迎プレイスで時間をつぶし、出国手続きを済ませる。そういえば、パノラマ写真用に持って来ていた『写るんです』をザックに入れたままX-Rayに通してしまった!もしかしたら、全部パァーになってしまったかも・・・?もし、そうなっていたとしても仕方がない。今さらジタバタしても、あとの祭りだ。

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カトマンドゥ・トリブバン国際空港前の様子。

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空港ターミナルビル。

午後1時、搭乗開始。とうとう帰国してしまうのだ。4月10日に入国して以来、54日。数多くの喜び、思い出とともに、俺はやはり俺の母国へ帰らねばならないのだ。俺が日本人である以上・・・。「ダンニャバード!ペリ ベトゥンラ!メロ サーティ ネパール!」

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シンガポール航空機へ搭乗します。

1時30分、SQ413便は、ダッカ(バングラデシュ)、シンガポールへと向かって離陸し始めた。これで本当にお別れである。次、いつ来られるか分からない。でも、いつか必ず、あなたたちの笑顔に会いに来ます。

シンガポールへは、現地時間の夜10時10分に到着した。結局、シンガポールの街へは立ち寄らず、乗り換えのみ。空港に降り立った直後に、大阪へ帰るという子連れのご夫婦に声をかけられた。彼らの搭乗券のうちの1枚に、俺の名前が書かれているではないか!?俺の搭乗券は・・・、間違いなく、俺の名前が書かれている。どうやら、カトマンドゥでのミスらしい。ここから乗る飛行機が違うので、協力して空港のカウンターへ出向いて、間違いを指摘し、彼らのチケットを再発行してもらうよう手続きをとった。

そしてその後、空港内をあちこち見て回るが、日本人が多過ぎて・・・。しかも日本語で買い物をしているその姿にうんざり。ここはまだシンガポールなんだぞ!外国なんだぞ!失礼じゃないか!いくら店員たちが、少々日本語が話せたとしても・・・。俺も、初めこそ何か買おうかと思っていたのだが、日本語で声かけられると、興醒めしてしまう。もちろん店員は親切心からなのだろうが・・・。結局、何も買わずじまい。最後の旅のテイク・オフまで、あと1時間半だ。

シンガポール、チャンギ国際空港にて

*この旅日記は1994年のものです。   

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2014年2月19日 (水)

ネパール再会の旅 86 『サヨナラの朝』(再掲)

6月2日(木)晴れ
カトマンドゥ13:30(SQ413)22:05シンガポール *ネパールとの時差2時間15分

 7時45分起床。浅い眠りしかできなかった。ヤク・レストランへ行って朝食を取る。ネパールでの最後の食事だが、いつものようにトーストとコーヒー、オムレツとする。40ルピーだ。

8時30分過ぎよりシャワー、髭そり、歯磨きと帰国直前のリフレッシュ。髪も乾き、荷物も片付け9時30分、出発準備完了だ。昨日の約束通り、10時前にはウマが、そしてアンジュもやって来た。カメラを取り出し、最後の記念写真を撮り始める。 

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私の見送りのため、いつもより早く来てくれたウマとアンジュ。

いよいよ出発しようかという時、ウマが思いがけないプレゼントを持ってきてくれた。マリーゴールドの花のレイ(首飾り)と小さな花束。驚きを通り越して、ただ胸が熱くなるばかりである。「○○○○!カメラ、カメラ!」とアンジュに促され、もう一度カメラを取り出し、ウマからこのプレゼントを戴くシーンを撮ってもらう。

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ウマから、心のこもった素敵な花のプレゼント。

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最後は3人で一緒に。

涙が出そうなほどの感激!『あなたと暮らしたわずかな時間、通り過ぎれば楽しかったわ・・・(作詞:松山千春)』、思わず口ずさんだこの歌。最後の最後に来て、こんな素敵な思い出をプレゼントしてくれるなんて・・・。だからネパールが、大好きなんだ!「ありがとう!」だけでは伝えきれないほどの感謝!

今度こそ、本当に出発である。すると二人が「タクシーを拾ってきてあげるから、待ってて」と言って、一台のタクシーを停め空港までの料金の交渉までしてくれる。俺の残金がタクシー代と空港税を除くと、ほとんど持っていないことを知ると、ウマは「何かあったらいけないから・・・」と言って、200ルピー手渡してくれた。もちろん「大丈夫だって!」と断ったのだが、それでも彼女は無理にでも渡そうとする。200ルピーと言えば、彼女にとってはかなりのお金だろうと思う。それをいともあっさりと、もう帰るだけの俺に気を使って、手渡すなんて・・・。  俺のことを『お兄さん』と思っていることに、嘘・偽りは全くなかったんだ!本当に、心からそう思ってくれていたんだ!だから心配して・・・。「ありがとう、本当にありがとう!」

タクシーとの交渉がまとまった彼女たちは、俺を呼びに来て、荷物を一つ持ってタクシーまで運んでくれた。そして、いよいよお別れだ。2人と握手をし、「ダンニャバード!デレィ ダンニャバード!ペリ ベトゥンラ!(ありがとう、本当にありがとう!さようなら!)」と別れを告げ、2人に見送られ、俺はマナスル・ゲストハウスを出発した。

*この旅日記は1994年のものです。

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2014年2月18日 (火)

ネパール再会の旅 85 『ラストナイト』(再掲)

初めてネパールへ来た時から今回を含めて、たくさんの思い出がこの街にはある。今では地図なんて全く要らないほど、この街を自由気ままに歩くことさえできる。3回のネパール来訪で、この街に何日間滞在したのだろうか?トータルすると2~3ヵ月ぐらいになるのではないだろうか?この街の何が俺をここまで惹きつけるのだろう?簡単な答えでは、語りつくせそうもない。

6時に焼き増しの写真を受け取り、ゲストハウスでアンジュに渡す。ほとんどが昨日のアランさんのバースデー・パーティーの写真だから、アンジュに頼んでアランさんをはじめ参加した人々にもプレゼントしておいてくれるよう、託しておく。

6時40分過ぎ、オム・マンダラ・レストランへ。夕食は、肉の味噌炒めとライス、みそ汁にする。何しろもう138ルピーしか残っていないので、それほど贅沢も出来ない。今夜はお酒も飲めない。飲めるほどのお金もない。お土産に少し買って帰ろうと思っていたララ・ヌードル・スープも買えそうにないかナァ。食事を終えお勘定の時、ボーイに「明日、日本へ帰ります」と告げると、ボーイも残念がって「またネパールへ来ることがあったら、ぜひ来てください」と、お別れの握手を求めてきた。

食後、再度名残り惜しむようにブラブラと散歩をすると、ハンディ・クラフト・ショップで人形一体と、甥や姪へのお土産にキーホルダーをキャッシュドルで買い求めると、100ルピーのお釣り。これで最後の夜も、ククリラムが飲める!

ゲストハウスへ戻ると、オーナーが「○○○○!こっちへおいでよ」と呼びとめ、中へ入って行くと、もうお酒の用意ができている。オーナーとアンジュ、サンカール、夜勤番のアカッシュも呼んで、皆でちょっとしたお別れパーティーだ。おつまみはすべて、オーナーの奢りである。そして写真を撮り合い、10時過ぎには眠ることにする。

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オーナーとともに。お世話になりました。

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アカッシュ、サンカールにも、お世話になりました。

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オーナーとアンジュ。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1994年のものです。

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2014年2月13日 (木)

ネパール再会の旅 84 『ウマから内緒のプレゼント』(再掲)

6月1日(水)晴れ
カトマンドゥ

 9時20分ごろ起きるが、この3~4日寝つきが悪いのが悩みだ。ふとテーブルを見ると、何か置いてあることに気がついた。「何だろう?」、それは、赤紫色の生地に鮮やかなデザインが刺繍されたTシャツと、1通の封筒。封筒を開くと、メッセージとカードが入っていて、送り主はウマだった。帰国が近くなった俺への餞別のプレゼントのようだ。

カードには『きれいな花は、見るためにあるの。だから決して取ってはいけない。夢は実現するためにあるの。だから決してあきらめてはいけない。どうぞ、あなたのネパールの妹を忘れないでね。 他の人たちには、話さないでね。』と書かれていた。

俺は大きく目を見開いて、それをしばらく読んでいた。ただの泊まり客にすぎない俺に、これほどしてくれるなんて思ってもいなかった。
『ネパールにまた一人、妹が出来た!』と大喜びした。

その後、シャワーを浴びて、10時過ぎ、シンガポール・エアラインのオフィスへ行く。すると、明日の予約が取れた。急遽帰国が決まったものの、これで一安心。昨日のパーティーの写真を、同時プリントで注文しておく。今日中には出来上がる。

ゲストハウスに戻り、明日のチェックアウトを告げ、先に精算も済ませておく。空港までのタクシー代(150ルピー)と空港税(700ルピー)を除くと、1150ルピーだけ残った。アンジュにマッサージをしてもらい、写真の現像料を差し引くと、残りは400ルピー弱だな。今日の夕食と、明日の朝食次第か。

午後、アンジュにマッサージをしてもらう。最後ぐらいは、体をリラックスさせてから帰りたい。そして少し昼寝をする。明日は10時、遅くとも10時30分にはここを出なければならない。いつもその時間には来ていないアンジュやウマに、お別れの挨拶をしておく。

「明日はもう会えないだろうから・・・。お世話になりました。本当にいろいろとありがとう」と。すると彼女たちは、
「いいえ、まだ最後じゃないわよ。明日はあなたが帰ってしまうから、あなたがここを出る前に出勤してくるわ。空港までは行けないけれど、ここでお見送りするから」と言ってくれた。

それから、写真を受け取りに行く。すると今日中に焼き増しも出来るようで、あらためて注文しておくことにする。その間に、カトマンドゥの旧市街やダルバール広場、ジョッチェン、タルカリバザールからカンティ・パト、そしてアサンのほうへと、ネパール最後の日を心ゆくまで散歩した。

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ダーバーマルグ付近の交差点。こんなところにも昔ながらの生活を守る人が・・・。

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アサンよりインドラチョークを歩きます。両側にお店が軒を連ねています。

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インドラチョークにあるアカッシュ・バイラブ寺院。

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カンティ・パトからアサンへ。朝晩の人混みは、エネルギッシュです。

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アサン広場のお寺。道行く人々はお祈りしていきます。

*この旅日記は1994年のものです。   

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2014年2月12日 (水)

ネパール再会の旅 83 『なんて気のいい男たち!』(再掲)

パーティーは、皆すっかり上機嫌で盛り上がり、アランさんも嬉しそうにはしゃいでいる。キッチンに女性陣が揃っているのを見て、こっそり一緒に写真を撮ろうとすると、ラジャー達に見つかって、結局皆で一緒に撮ったり。空手の真似事でふざけてみたり。

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しかし、突然シャッターが下りなくなってしまった。どうやら、バッテリーがなくなったようである。こんな時に限って、予備のバッテリーを持ってくるのを忘れていた。ラジャー達が「電池を買いに行ってくるよ」と言うのだが、「特殊な電池だから、たぶん売っていないと思う」と、その電池を見せながら説明する。しかしそれでも彼らは、「行く」と言う。

時間的に開いている店は、そうないだろうし、まして特殊なサイズの電池だけに・・・。1時間後に戻って来た彼らは、すまなそうに「見つからなかった」と謝っていた。わざわざ探しに行ってくれたのだから、謝ることなんかないのに!本当の気のいい男たちだ。

このパーティーに参加させていただけて、本当に良かった。ものすごく楽しかった。日頃の疲れなんて、完全に忘れていた。初めて会う人たちばかりだったけど、以前からの仲間のように接してくれるし、最高にハッピーである。パーティーは、11時過ぎまでアランさんを中心に皆で楽しくお祝いし、楽しい時を共有した。

11時30分過ぎ、ゲストハウスまで参加していた人に送っていただいた。ゲストハウスの入り口の門はすでに閉まっていたが、夜勤番のアカッシュを大声で呼んで、入り口を開けてもらう。「今日は友達のバースデーパーティーに参加していて、遅くなってしまった。申し訳ない」と言うと、「聞いていましたから、いいですよ」と笑顔で門を開けてくれた。そして部屋に入ると、そのままバタンキューと寝てしまった。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1994年のものです。

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2014年2月11日 (火)

ネパール再会の旅 82 『アランさんのバースデーパーティー』(再掲)

夜になり、パーティーの用意が始まり、7時になると続々とアランさんの友達が集まり出した。10数人ほどは集まっただろうか、まずアランさんの大好物のブラディ・マリーで乾杯。料理は、フィッシュフライ、サラミ、マトン、サラダなど、少しずつ受け皿に取っていただく。俺はアランさんとは、知りあってまだ間もないのだが、パーティーの席はアランさんの正面という上席。アランさんは他の人々に「旅行で来ているのだが、ここへ来るのはもう3回目で、今日もプレゼントを持ってきてくれたんだよ」と、俺を皆に紹介する。アランさんやウタンさんは、俺もブラディ・マリーが好きだということを知っているので、どんどん勧めてくれる。

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本日の主役、アランさん。大好きなブラディ・マリーに上機嫌です。

座がずいぶん賑やかになって来たところで、カメラを出しこの楽しい光景を撮りまくる。俺ばかりが撮っていても、自分の写真が残らないので、アンジュも協力して撮ってくれる。すると今度は「それではいつも、どちらかが写らないから」と、ウタンさんの娘婿も協力してくれた。おかげで、自分自身も含め、まんべんなくパーティーの様子を撮ることが出来た。

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パーティーは、ますます楽しくなっていきます。

集まった人々皆に名前を覚えてもらい、いつの間にか、以前からの知り合いだったように「○○○○(私の本名)!」と気軽に声をかけてくれる。特に若い人たちは人懐こく、自分1人だけ日本人だということを全く感じさせない。その場の雰囲気に何の違和感を感じることもなく、溶け込むことが出来た。

アランさんはすっかり上機嫌である。一体何枚もの写真を撮っているだろうか?参加者全員で撮ったり、ウタンさんの娘婿や、ラジャーという、顔はいかついのだが実は人懐こいインド人とふざけ合ったり・・・。

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おいおい、ビール、ラッパ飲みかヨ (^_^;;!

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私もすっかりご機嫌です。

*この旅日記は1994年のものです。

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2014年2月 6日 (木)

ネパール再会の旅 81 『ネパールの超!美少女』(再掲)

5月31日(火)晴れのち曇り一時雨
カトマンドゥ

 10時30分ごろ起床。寝つきが悪く、疲れている。まず、これで最後になるであろう両替のために、銀行へ。$120両替しておく。ロードウェイ・カフェにてコーンフレークとコーヒーで朝食とする。そして、ハンディ・クラフトショップへ昨日見つけたものを買いに行く。ゲストハウスに戻り休憩し、シャワー。

2時ごろ、シンガポール・エアラインのオフィスへ。しかし、言われることはいつも同じで「Waiting(空席待ち)」である。いつ帰国できるのか、さっぱり見当もつかない。

アランさんのバースデーパーティーに参加するため、王宮通りでタクシーを探す。いつもはアンジュと一緒に行っていたのだが、今日は俺の都合で別々だ。アンジュは、俺1人で行くことができるか心配していたが・・・。アランさん達の家は、超高級ホテル『ソルティオベロイ』のすぐ近くなので、そこを行き先に何台かのタクシーと交渉してみたが、60ルピーが限界だった。日本人で、しかも行き先がソルティオベロイだから、ふっかけられたのかもしれない。

プレゼントに買っておいたウィスキーを片手に、アランさんの家に到着。するとアランさんもアンジュの姉のウタンさんも、俺1人で来ることが出来たことを、とても喜んでくれた。昼間からでも、何人かのアランさんの友達がお祝いに駆けつけていた。パタンのホテルで仕事をしている人と、彼の姪のラシミさんとは、親しく話をすることが出来た。しかし、この2人、どこから見ても日本人と変わらない顔つき。そう話すと彼は、「ホテルで日本人客から、よく日本語で話しかけられることがありますよ」と笑いながら話していた。

まだ18才というラシミさんは、今はインド・ダージリンで仕事をしていて、今回たまたま休暇中で帰省していたそうだ。彼にとっては自慢の姪っ子のようだ。アランさんへのバースデーカードも、彼女が選んだらしい。とても可愛い女の子で、もし日本人だったとしたら、日本でもかなりもてるんじゃないだろうか?皆でビールを飲みながら乾杯し、楽しく過ごす。が、ラシミさん達はおじさんの都合で、夕方にはおいとましてしまった。

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見た目、言われなければ『皆、日本人』と思いませんか?彼女が抱いている子は、彼女の子ではありません。この家のウタンさんのお孫さんです。

*この旅日記は1994年のものです。

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2014年2月 5日 (水)

ネパール再会の旅 80 『エッ?!今日じゃないの?』(再掲)

5月30日(月)晴れのち曇り夜一時雨
カトマンドゥ

 よく眠れぬまま、10時ごろ起床。とりあえずシャワーを浴び、体を目覚めさせる。11時ごろ、ウマが部屋を訪ねて来て、何かと思えばプラムを差し入れてくれた。きっと、おやつにでもと買って来たのであろう。とてもおいしい。

11時30分過ぎに外出する。クリシュナ・モモ・レストランでトゥクパとモモでブランチ(22ルピー)とする。そしてニューロードのスーパーマーケットへ。パブラムの子供のバースデープレゼントを探しに行く。2才の子供にはまだ早いかもしれないが、文房具のセットにした。そして残るお土産のスティックのお香と、ネパールの切手セットなどを買う。
ハンディクラフト・ショップでは、ネパールのブライダル人形と、山岳地域に住む人々の民家を模造した民芸品が気にいって、値段をチェック。両方で1650ルピーもするが、ネパールの風俗・文化を現わすものだし、お土産にぜひ欲しいものだし、新たに両替してでも買って帰ろう。

夜7時、バースデーパーティーの開かれるレストランへ、アンジュと一緒に出かけたのだが、パーティーは明日だという。アンジュと2人して唖然としたが、パブラムに電話をして確認して見ると、やはり明日であった。どこでどう聞き違えたのか・・・?俺もアンジュも、今日だと聞いていたのに・・・。プレゼントまで用意してきたのに仕方なし、しかしそれ以上に困ったのは、明日はアランさんのバースデーパーティーなのだ。アンジュはもちろん、俺も参加させていただくつもりだ。掛け持ち出来るならば、両方駆けつけたいのだが・・・。

小雨降る中、タメルのほうへと戻り、ラッキー・チベッタン・レストランにてポークカツレツにチキン・ヌードルスープ(61ルピー)にする。8時30分ごろゲストハウスへ戻り、ククリラムを飲み、10時30分ごろ眠る。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1994年のものです。

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2014年2月 4日 (火)

ネパール再会の旅 79 『帰国はいつになるのか?』(再掲)

5月29日(日)晴れ夕方一時雨
カトマンドゥ

 8時30分ごろ、ゴビンダからの電話。『いつ帰りますか?』とのことだが、まだ何とも言えない。木曜日のフライトとなると、もう日がない。再び横になり、10時過ぎ、ブラブラとシンガポール・エアラインのオフィスへ。予約OKは取れず、火曜日の午後、もう一度来なさい、とのことだ。

イミグレーション・オフィスで、予約が取れた場合のことを考えて、ビザを6月2日までの3日間のみ延長。木曜日にフライトできなければ、もう3日延長しなければいけないが・・・。1日につき$2だからなぁ、これ以上の延長も少々辛い。

一度ゲストハウスに戻り、1時過ぎ、パブラムの子供のバースデープレゼントを探しに行くが、何がいいのか見当がつかない。おもちゃは高そうだし、衣類ってのも今一つだし・・・。結局この日は何も買わなかった。イミグレーション・オフィスでビザを受け取り、キャビネサイズの写真も受け取り、オーダーしておいたTシャツも出来あがった。

3時過ぎより、ややうたた寝。夕方、激しい雷雨となったが、30分ほどで止んだ。しかし雷鳴は続く。

夕食は、シェンツェン・レストランで麻婆豆腐とライスにする。久々に麻婆豆腐が食べたくなったから・・・。75ルピーだが、高いと言えば高いのかナァ?ライスとジャスミンティーを合わせると107ルピー。でも、美味しいのだからいいじゃないか!帰り際に「グッドナイト」と言って見送ってくれたことが、すごく気持ち良かった。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1994年のものです。

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