2010年2月 1日 (月)

アンナプルナ周遊トレッキング 最終回

トレッキングの終わり

5月6日(水)晴れのち雨
ティルケダンガ8:00(徒歩)9:35ラムガイ10:10(徒歩)11:00ビレタンティ11:15(徒歩)11:40ナヤプール11:40(乗合トラック)12:20スィケット13:00(バス)13:50シャイニングホスピタル13:50(タクシー)14:10ポカラ

 7時起床。昨夜はまたしても夜中2時過ぎまで眠れなかった。このトレッキング中、こういった夜が何度あったことか。体が考えていた以上に疲れているのか。今朝起きると脚が痛む。昨日の急坂の影響か。しかし残るは今日1日。頑張るのみ。
朝食は、ムスリーとトースト、レモンティーにする。

8時にスタート。昨日ほど急な下りはないが、やはり疲れのせいかペースはダウンしている。30分ごとに休憩し、気がつけばラムガイという村。コーンブレッドとレモンティーで軽くおやつをとる。ここからビレタンティまでは1時間弱という。今日中にポカラまで帰れそうだ。ポカラでは日本食を食べたいものだ。

11時、とうとうビレタンティへ到着。このトレッキングも、いよいよ終結を迎えた。ナヤプールのトラック・ステーションまで、あと20分。そして徒歩の1人旅が終わる。
道路建設と共にできた新しい村、ナヤプールへ到着。徒歩の旅はここまでだ。トラックがちょうど停まっていて、急いで飛び乗る。乗ったらすぐに出発だった。

スィケットまでは40分で料金は100ルピー。スィケットで次のバスまでの間、ヌードルスープを食べる。そしてバスに乗り、ポカラ・シャイニングホスピタルへ。ここからはさらにシティバスに乗り換えなのだが、タクシーを利用。アメリカ人グループのガイドのラジに教えてもらった、ホテル・ガーデンへと向かう。2時10分着。シングルではなくダブルで70ルピーと良心的な料金だ。ポカラでの宿をここに決めて、俺の20日間に及ぶアンナプルナ周遊トレッキングは終わった。

(カテゴリー『アンナプルナ周遊』 完)

*次回からは、ポカラ、カトマンドゥ、そしてバンコク経由で帰国するまでの日々を紹介します。

| | コメント (1)

2010年1月31日 (日)

アンナプルナ周遊トレッキング その24

晴天のプンヒル

5月5日(火)晴れのち雨
ゴラパニ7:20(徒歩)7:40プンヒル8:20(徒歩)8:35ゴラパニ9:00(徒歩)9:55ナンゲタンティ10:55(徒歩)11:50バンタンティ12:10(徒歩)13:40ティルケダンガ

 今朝6時半起床。日の出のころにプンヒルへと思ったが、寒くてシュラフから出られず、朝食(トーストとゆで卵)を食べてから、プンヒルへと向かう。
プンヒルは標高約3200mの丘。雄大なヒマラヤを眺められる絶好地だ。幸い最高の天気に恵まれたこの日、ダウラギリⅠ、トゥクチェピーク、ニルギリS、アンナプルナⅠ、バラハシクハール、アンナプルナS、ヒウンチュリ、マチャプチャレが眺められた。

Img498_2

プンヒルからの眺め。パノラマにしました。ダウラギリ~ニルギリS。

Img499

↑の写真の右端から続きます。ファング、アンナプルナS~彼方にマチャプチャレ。

Img500

どうですか!この眺め!ダウラギリをバックに。

Img501

アンナプルナSも、こんなに近くに見えます。

40分ほどいただろうか、一ツ橋大学へ留学していたというシンガポールの男性と話をしながら、素晴らしい眺めに気分は上々。

ロッジへ戻り、ミルクコーヒーを飲んで、9時ごろスタート。ゴラパニからは下るのみ。急坂を下るので、膝を痛めかねない。あわてずに行こう。
1時間ほどでナンゲタンティ。バッティで、この日ゴラパニまで登るという日本人と出会い、久々の日本語での会話に何と1時間もつぶした。

そしてバンタンティまで55分。ビスケットと紅茶で軽く食事をし、ウレリへは35分で下る。しかし、石段の道でクッションが悪く、足に疲れを感じる。ウレリからも、かなりの急坂だ。登るのも大変だが、下りも大変である。必要以上にゆっくり、ノロノロと下り、ティルケダンガへ。1時40分着だ。今日はここまでにしよう。

Img504

急峻な山道を、約100kgの荷を担ぎ、裸足で歩くポーター。言葉が出ません・・・。

Img505

大きな岩にもたれかかり、ほんのひとときの休憩。

Img506

ウレリから、こんな急な坂道を下ってきました。

昼食はポテトチップス(フライドポテトのこと)とし、その間に洗濯とシャンプー。2時半ごろ、ファンタレモンを飲みながら食事をする。明日はビレタンティまでの予定だが、もしポカラまで戻れそうであれば、行くつもりでいる。

それにしても暖かい1日。長袖を着ていたら汗をかいて、午後は上半身裸で日光浴。夕方になっても、半袖で十分の暖かさ。しかし、5時をまわると、雲が多くなり、ついにはどしゃ降りの雨となった。洗濯したものは、長袖のTシャツ以外すべて乾いていた。

夕食は、ダルバートにする。もしかしたらこの夜がトレッキング最後の晩になるかもしれないからだ。どうやら今日はここに俺1人だけのようである。電気はまだないようだし、夜更かしせず早めに眠ろう。

ティルケダンガ、ラクシミゲストハウスにて

| | コメント (2)

2010年1月30日 (土)

アンナプルナ周遊トレッキング その23

長い登り坂

5月4日(月)曇りのち雨
タトパニ6:30(徒歩)8:35ガラ8:55(徒歩)9:50シカ10:10(徒歩)11:55チトレ12:10(徒歩)13:30ゴラパニ

 5時40分起床。曇り空に少し雨が降っている。朝食は、トーストにゆで卵、ミルクティー。そしてスタートしようとすると、ロッジのスタッフの一人であるアムリットが、「You are friend.」と言って、餞別にアップルパイをお土産に渡してくれた。昨日、食事やおやつタイムの時に、ずいぶん話をしていたからかな。ありがたいことだ。途中でおやつとして食べよう。

今日はポーターが荷物を持ってくれているせいか、いいペースで進む。でもゴビンダ君のペースは、疲れがたまっている俺には、少し速いかな?なぁに、慌てることはない、ビスターリ(ゆっくり)ビスターリ。ハードな登りが延々続く中、ガラとシカでティータイム。いただいたアップルパイも食べる。

Img492

ポーター、ゴビンダ君。急な山道でも、サンダルで歩いています。

シカよりゴラパニまでは3~4時間。何とか今日中に行けそうだ。とにかく一歩一歩マイペースで着実に高さをかせごう。何しろこの日の標高差は、約1700m。ほとんど登りなのである。今回のトレッキング中、最後の難所である。
昼ごろ、チトレ着。あと1時間半ほどである。が、チトレを出発してしばらくすると、突然の雨。雨宿りできるところがなく、ズボンやシューズはベタベタ。バッティを見つけ、レインウェアを着る。ザックカバーも付け、ゴビンダ君に折り畳みの傘を貸し、再び歩き出す。

無我夢中で雨の中を歩き、ついにゴラパニへ到着。たくさんのロッジがあるが、あちらこちらと探し選んでいる状況ではない。スノービューロッジに宿をとる。幸い、ストーブが焚かれていて助かる。ヌードルスープで昼食とし、そしてポーターを帰す。ご苦労様でした。タトパニから1日で来られたのは、彼のお陰だ。残り3日が楽になる。
雨に濡れたレインウェアやザックカバー、シューズ、ズボンは、ストーブの前で早々と乾き、ズボンの泥汚れも乾き落ちた。シューズの汚れは仕方がないか。

今日の客は、東京に住んでいたことがあるというアメリカ人や、一見日本人のような台湾人女性(以前、北海道で知り合った女性にそっくり)など10数名。このトレッキング中、日本人と同宿したことは、未だ一度もない。カトマンドゥでもゲストハウスに自分しか日本人はいなかったし、もう1ヶ月以上日本人とはほとんど接触していない。トロンパスからムクチナートへ下るときに、1組の日本人夫婦とすれ違う時に少し会話をしただけだ。特に日本人と会いたいと思わないが、この頃無性に日本食、おいなりさん(いなり寿司)やうどん、そば、てんぷらが食べたいと思うようになってきた。そろそろホームシック?

夕方5時半ごろ、雨がやみ突然陽が射してきた。ダウラギリⅠ(8168m)やアンナプルナS(7219m)などが顔を出す。明日のプンヒル(ゴラパニ近郊の丘;標高約3200m)からの眺めが楽しみだ。

夕食は、ベジ・エッグ・フライドライスにムスタンコーヒー。そして8時過ぎに眠る。

Img493

少しだけ頭を見せた、ダウラギリ。

Img496

ダウラギリからアンナプルナの眺望。

ゴラパニ、スノービューロッジにて

| | コメント (2)

2010年1月28日 (木)

アンナプルナ周遊トレッキング その22

タトパニ温泉

5月3日(日)曇りのち雨
タトパニ1日滞在

 夜中、激しい腹痛に飛び起き、トイレへと駆け込んだ。相変わらず下痢で、もう4日になる。下手な料理(?)だと胃が受け付けず、戻してしまう。やはり、ヒマラヤのふもとの寒村で、ピザやスパゲティは、無理があるのだろうか?現地の人々が普段食べているものの方が、無難だったようだ。今朝は、トースト、ゆで卵、コーヒーにする。

食後、少し村をぶらつき、9時ごろより温泉へ。かつては、河原の湯の湧き出ているところで、川の水で湯温を調節して入るようになっていたが、今は露天風呂として、石で浴槽(というより、プールのような感じ)が造られている。日本出国以来の風呂である。2ヵ月半ぶりに湯の中に体を沈める。何とも好い気持ち。洗濯も済ませ、5日ぶりに体を洗う。日本の風呂の文化を改めて良いと思う。

Img489

「いい湯だな♪いい湯だな♪・・・、ここはネパール、タトパニの湯♪」
*日本ではありませんので水着(下着?)着用しなければなりません。この温泉のためだけに、海パンを持参していました。水着着用ですから、一応”混浴”です (^_^;; 。

Img490

湯上り後、久々の風呂にリフレッシュ!できました。

11時ごろ、おやつタイムでチョコレートケーキと紅茶。もちろんゴビンダ君にも御馳走する。温泉ではコーラも飲んだし、金に糸目はつけないとはいえ、どれだけ使うことやら・・・。ポカラまでもつだろうか?

午後は体を休める。が、足が重い。階段を上るのも、しんどく感じる。こんなんで明日、ゴラパニまで歩けるのだろうか?ここタトパニの標高が1189m、ゴラパニは2855m、その差1700m近い。行けたとしても、その後2日間歩けるのか?もうポーターを雇う現金は残っていない。

薬屋で腹痛薬とマッサージクリームを買う。合わせて95ルピー。これで何とか乗り切らなければ。
しかし、この疲れた体でポカラからカトマンドゥまでのバスでの移動7~8時間もつのだろうか?その前に、無事ポカラへ下ることができるかが先である。こんな心配をしなければならないほど体は疲れ、具合も良くないのである。

Img491

ニルギリ・南峰(6839m)が、雲の合間から顔をのぞかせました。

夕食は、ガーリック&エッグ・ヌードルスープとハーフライス(ご飯半人前)を特別に注文。メニューにはないのだが、頼めば好意的に作ってくれるので安心だ。
ここタトパニも6ヵ月前から電気がついたそうだ。トロンパスを越えて以来、電気がなかった村はガサだけである。こちらの街道沿いの村々は、ほのぼのとした雰囲気が漂っている。

タトパニ、ダウラギリロッジにて

| | コメント (1)

2010年1月27日 (水)

アンナプルナ周遊トレッキング その21

ポーター、ゴビンダ君を雇う

5月2日(土)曇り時々晴れ
ガサ7:00(徒歩)8:30パイロタプラ9:15(徒歩)10:00コプチェパニ10:30(徒歩)11:30ダナ11:50(徒歩)13:30タトパニ

 6時起床。朝食はポリジとカード(ヨーグルト)、たった一人の客なので用意が早い。今日こそタトパニまで頑張ろう。昨日かなり休養を取ったせいか、体調は多少なりとも良い。

Img485

ガサより、ダウラギリ方面を望む。

1時間半でパイロタプラ。何か食べたくなって、ムスリーを食べる。ここからタトパニへは3時間という。まぁあせらず行こう。コプチェパニのバッティで休憩し、そこでポーターについて話をすると、「ぜひ息子を・・・」と母親が訴える。タトパニ~ゴラパニ間だけ雇うつもりの俺には、1日半余分になる。しかし、数少ない現金収入のチャンスで必死なのか、根負けしてここからゴビンダ君をポーターとして雇うことにする。まだ14才の男の子だ。彼の小さい体に俺の荷物は気の毒だが、500ルピー払っていることだし、ここは2日半(実質1日ちょっとだが)しっかり頑張ってもらいたい。

荷物がないとずいぶん楽だ。ペースもよい。すると初めてトレッキングした時から記憶に残っている大きな滝が現れた。ルクセツァーラの滝だ。7年半前はここでこの滝を見ながら休憩したなー。

Img486

ルクセツァーラの滝。

Img487

ダナにて、ゴビンダ君と彼の学校の先生。

1時間ほど歩いてダナへ。ここでゴビンダ君の学校の先生に会う。先生は彼に「頑張るんだよ」とでも話したのだろうか、彼もうなずいていた。天気は今一つさえないが、ガサより6時間半かけてタトパニへ。問題はこの先である。ゴラパニまで1日で行くか2日かかるかである。ゴラパニまでは高低差、約1700mほどの登りだ。ポーターの雇用料は2日半分、支払い済みだ。手持ちのネパールルピーは2000ルピー。明日、明後日と2日かけて行ってもいいが、荷を背負わない分、明日は1日ここで温泉に入りながら休養し、明後日1日で一気に行きたいものだ。

昼食は2時ごろ、ベジ・エッグ・ヌードルスープとする。タトパニは物が豊富である分、物価も他の村に比べ高そうである。メニューを見ても、セットメニューになっていたり、同じものでも少々高い。

この後、温泉(”タトパニ”の意味は直訳すると”熱い水”、つまりここは”温泉”が湧き出ている村なのである)にでも入ろうと思ったのだが、どうも雲行きがおかしい。夕方、案の定、雷鳴とともに激しい雨。ここ最近毎日である。明日の午前中に温泉でのんびりし、洗濯をすませ、午後は一休みしよう。そして明後日のゴラパニまでに備えよう。

夕食は、ロシアン・エッグサラダとスパゲティ。一体どんな味か、楽しみである。サラダはトマトに卵、玉ねぎ、ポテト、人参、リンゴ、そしてサラダクリームで味付け。やや不安になる野菜もあるが、まずまずの味。スパゲティはトマト&チーズソースでピザのような感じの味だが、山の村にしてはイケる味だ。それにしても、雷鳴がスゴイ!どうやら雨季に入りかけたようである。

タトパニ、ダウラギリロッジにて

| | コメント (1)

2010年1月25日 (月)

アンナプルナ周遊トレッキング その20

体調最悪、辛い1日

5月1日(金)曇りのち雨
カロパニ8:10(徒歩)11:40ガサ

 7時過ぎ起床。ぐっすり眠れたようだが、体の方はやはり疲れを感じる。休養は十分に取っているつもりだが、栄養不足だろうか?今日の予定はタトパニだ。そうすれば明日は、温泉につかりながら1日休養が取れる。ゆっくりでいいから、何とかたどり着きたいものだ。

朝食は、ムスリーとホットレモン。今日も曇り空の中をスタート。それにしても、今までになく疲れを感じる。それも身体全体だ。いつも以上にペースは落ちている。荷が重く感じ、背中が辛い。足運びもトロトロとし、あちこちで休み3時間半かけて、やっとガサ。まだ、今日の予定コースの半分も来ていない。

ここで昼食は、ベジ・チーズ・マッシュルームピザ(40ルピー)とする。それにしても、すごいピザだ。野菜とマッシュルームがたっぷり。そして久々にファンタ(27ルピー)を飲む。

さて、ここからタトパニへは4時間という。もう12時半だ。体もしんどいことだし、今日はもうここで休もう(軟弱ぅ~!)。ふと外を見ると、雨。昨日同様だ。天気を考えれば、やはり今日はガサまでだったか。タトパニへ着くのが予定より1日遅れるので、休養日が無くなりそうである。が、今後は1日にせいぜい3~4時間の行程で、無理せず行くことにしよう。

午後、部屋で休むも、なんだか胃の中が気持ち悪い。昼食のピザがよくなかったのか?夕方、吐いてしまった。夕食は、エッグ・ヌードルスープとデザートにアップルカード(りんご入りヨーグルト)。今夜の客は、どうやら俺だけのようだ。ジョモソムに次いで2度目だ。静かでよい。そして早めに眠り、たっぷりと体を休めよう。

ガサ、ダウラギリロッジにて

| | コメント (1)

2010年1月23日 (土)

アンナプルナ周遊トレッキング その19

100Kg の荷をかつぐポーター

4月30日(木)曇りのち雨
マルファ8:00(徒歩)9:30トゥクチェ9:45(徒歩)10:50コバン11:00(徒歩)12:00コケタンティ12:30(徒歩)13:25カロパニ

 6時15分起床。朝食は、チベッタンブレッドとミルクティー。やや曇り気味の天気。そろそろ雨季も近いか?ロッジの娘さんたちの写真を撮らせていただき、住所とそれぞれの名前を書いてもらう。すると、ニールから俺の名前と住所を教えてほしいと頼まれた。逆に聞かれたことは、初めてだ。日本へ帰ってからも、友達づきあい(と言っても、文通しかできないが・・・)できるかな?

Img477

ニール・ゲストハウスの3人娘と親戚の子供。左からシャシー(二女)、トゥルシー(三女)、ニール(長女)です。お世話になりました。

さて8時、ニールのさびしそうな表情に後ろ髪引かれつつも、次の目的地へと出発。トゥクチェへは、ほとんどフラットな道で1時間半。やや肌寒く、セーターを着て歩く。風は弱いが空はどんよりしている。
トゥクチェは、かつて仏教の神髄を求めてチベットへ日本人として初めて入国(密入国)した河口慧海(かわぐちえかい)氏が滞在したところだ。また、地形が似ていることから富山県の利賀(とが)村と姉妹村協定を結んでいる。そのせいか、利賀村をはじめとする富山県の人々がこの地を訪れ、所々に記念のレリーフなどを残している。日本とは縁の深い村だ。

トゥクチェよりカリガンダキ川の河原を行く。ほとんどフラットで楽だ。コバンを過ぎ、コケタンティ近くのバッティで、昼食にヌードルスープを食べる。ここで、幾重にも巻いた塩ビ管を担いで歩く3人のポーターと出会った。さらに奥深い村で、水道設備のために使われるのだろう。3人の中のリーダー格のおじさんに話しかけてみた。

俺;ナマステ。ヨ カティ キロ ツァ? (こんにちは。これ何キロですか?)
ポ;アッシキロ キ エクセイキロ・・・ツァ。 (80キロか100キロ・・・です。)
俺;ワーォ!w(゚o゚)w (担ぐジェスチャーをしながら)チャレンジ OK?
ポ;OK!

背負子に腕を通し、いざ担ごうとするも・・・、びくともしない。下半身に力を入れ、立ち上がろうとするも・・・荷物は微動だにしない。ポーターのおじさんやバッティのおばちゃんたちは大爆笑だ。やはり、ひ弱な日本人には無理なようだ。ネパールのポーター、体は華奢なのに、恐るべき力と体力だ。彼らの日当は、せいぜい50ルピーから100ルピーだそうだ。届けるところによって多少変わるそうだが、いかにも薄給・重労働だ。

俺;タパイィハルコ フォト キチ パニ フンツァ? (あなたたちの写真を撮ってもいいですか?)
ポ;フンツァ (いいですよ)

尊敬の意味も込めて、ポーターたちの写真を撮らせていただいた。昨日の行商のおじさんもそうだったが、少しでも会話してからであれば、皆喜んで写真撮影に応じてくれる。もちろん、お金も見返りも要求しない。

Img481

こんな荷を担いで歩くポーターたち。彼らの体格からは想像できない (゚0゚)!ただただ脱帽・・・。

Img478

トゥクチェ~コバン間。水のない河原を行きます。

Img480

コバン村で。民家の下を道が通っています。

さらに河原を進み、山裾を登り下りしてコケタンティ、ダンプなどの小さな村を過ぎる。小雨がぱらつきだした。天気が良ければダウラギリⅠ峰が眺められるはずだが、この日は全く見られない。

Img484

コケタンティの村が見えてきました。

1時半ごろカロパニ着。久々によく歩いた日だ。カロパニ・ゲストハウス&アンナプルナコーヒーショップに宿を決める。ダブルが40ルピーと高く、ドミトリー(12ルピー)にする。別棟のコーヒーショップへ行くと、メニューは豊富にあるが、昨日のマルファのロッジより高いんじゃないの?と思いつつ、チョコレートケーキ(33ルピー)を食べている。この後はのんびりし、疲れを癒し、明日のタトパニまでのロングウェイに備えよう。

夕食は、ガーリックスープとベジ・エッグ・フライドライスとする。しかし今日は、うるさい連中がいる。つるんでいないと歩けない(旅ができない)のか?こいつらは!だからグループは嫌いだ。うるさいだけ!許せるのは、せいぜい2~3人グループまでだな。
今夜も果たして、ぐっすり眠れるだろうか?昨夜のように・・・?

カロパニ、カロパニ・ゲストハウス&アンナプルナコーヒーショップにて

| | コメント (3)

2010年1月20日 (水)

アンナプルナ周遊トレッキング その18

なつかしのマルファと美人姉妹

*まず、マルファ村の街並をご覧ください。まさに”白亜の村”と呼ぶにピッタリの村です。マルファは、このルート上ではカグベニと並び、トレッカーに人気のある村です。

Img470

Img472

Img468

Img476

建物はどこもかしこも、白で統一されています。異国情緒あふれる、素敵な村です。

 昼食は12時半ごろ、ガーリック・ヌードルスープにする。ロッジの末娘のトゥルシーが、「ゴホンゴホン」とひどく風邪をこじらせている。それなのに、けなげに一生懸命働いている。俺は彼女に、マナンのドクターから処方して頂いた風邪薬を「食後30分に飲みなさい」と分け与えた。しばらくしたあと、長女のニールが「この薬をくれたのは、あなたでしょ?ありがとう!ところでいつ、どれだけ飲めばいいの?」と尋ねてきた。トゥルシーには英語で説明したのだが、よく理解できていなかったようだ。あらためて、ニールに説明する。この薬を分けてあげたのが良かったのか、俺に対する彼女たちの印象は、すこぶる好いようだ。

Img474

末娘のトゥルシー。当時まだ12才でした。とても可愛い娘でした。

午後はロッジでのんびり過ごし、4時ごろ『おやつタイム』とする。ちょうどその時、馬に乗って村を散策している若い女性と目が合った。彼女はキャンプをしながらトレッキングしているアメリカ人グループのリサだった。彼女も俺に気がつき「ヘイ!ジン!」と言いながら馬から降りて、ロッジの中へやって来た。一緒にトレッキングしているアランとトムも続いて入って来た。彼らはジョモソムから馬に乗ってこの村までやって来て、再びジョモソムへ戻り、1泊した後ポカラへ飛行機で帰るそうだ。そうなると、今回のトレッキングでは、これが最後になってしまう。よくよく考えてみると、今回のトレッキングでも「ジン」と呼んでもらえるようになったのは、最初にリサが話しかけてくれたからではなかったか?彼らはキャンプ(テント泊)で歩いているから、同じロッジというわけにはいかなかったが、それでもほぼ同じ日程で歩いていて、ずいぶん親しく話したものだ。トロンパス越えで一緒だったメンバーは、もう先へ進んでいるだろうから、ここでまた、顔なじみの仲間に会えたのは嬉しかった。

おやつタイムのおやつは、アップルパイとブラックティー。アップルパイはニールが作ったらしい。なかなかおいしい。キッチンにお邪魔してみると、なんと、オープンが備わっているではないか!これには驚いた!!以前来た時、すでに電気は通っていたものの、まさかオープンがあるなんて!電力、足りるのかな?
そういえば、村には図書館もあったし、スビニールショップ(お土産屋)も何件かできて、指輪やネックレスなど色々なものが売られている。う~ん、山奥の村だと侮ることなかれ、ここマルファはなかなか先進的な村だ。7年半前に比べ、本当に大きくなり発展したものだ。しかし、再び村をうろつき、メインストリートを外れると街道沿いとは全く別の、質素な生活がそこにはあった。狭い路地に軒を連ね、まるでトンネルのようにまた迷路のごとく家々が建ち並ぶ。これも、もう一つのマルファの”顔”。

Img475

アップルパイと紅茶で『おやつタイム』です。まさか?! のおやつに (^_^) です。リサが撮ってくれました。

夕食はダルバートにする。40ルピーだ。ポカラへ近づくほど安くなるのだろう。このロッジは娘さんたちが中心になって働いている。3人いるのだが皆、美人ぞろいだ!村同様、素敵な女の子が多いのが目につく。夕食後、彼女たちとキッチンで話をしながら楽しく過ごし、8時15分、部屋へ戻る。

マルファ、ニール・ゲストハウスにて

| | コメント (3)

2010年1月17日 (日)

アンナプルナ周遊トレッキング その17

”白亜の村”マルファへ

4月29日(水)晴れ
ジョモソム8:30(徒歩)10:40マルファ

アンモナイトを買う

 7時半起床。よく眠れたのかどうかわからないまま朝を迎え、朝食はムスリーとミルクティーにする。8時半出発。チェックポストを通り、かつてここから飛び立ったジョモソム飛行場の横を通り過ぎていく。この日は、ほんの2時間ほどの行程でマルファへ向かう。逆風にあおられ、ニルギリを眺めながら歩く。帽子ではなくバンダナにして正解だ。帽子では風で飛ばされるだろう。

Img463

ジョモソムより、ニルギリ北峰(7061m)と中峰(6940m)。そして飛行場を飛び立つ飛行機。

Img464

ジョモソム~シャング間より、タパピーク(6013m)

Img465

強風の中、このような出で立ちで歩きました。後方はニルギリ。

Img466

シャング付近にて、カリガンダキ川とダウラギリの山々

10時半ごろ、マルファの村に入る。やはり素敵な村だ。かつて泊まったロッジ(オームズホテル)を探すが見当たらず、ニール・ゲストハウスに宿を決める。シングル10ルピー(約30円)、なんて安いんだ!まず、コーヒーブレイクし、長袖のTシャツを洗濯する。そして村の中を散策。石畳の道、白い石造りの建物・・・、この村でしか見られない風景だ。

行商しているおじさんに声かけられる。このおじさん、俺にアンモナイトを売ろうとしている。見ると、手の平よりやや小さいぐらいのサイズ。それでもなかなか立派なもの。だが、まだこの先1週間ほどトレッキングを続ける俺には、今は必要ない。

おじさん;140ルピーでどうだい?
俺;ポカラまで歩くから、まだ道は長いし荷物になるだけだから・・・
おじさん;じゃあ、120ルピーにするから!
俺;ノーノー、いらないって!
おじさん;100ルピーでもいいから、買ってくれないか?
俺;だから・・・、今は荷物になるから、いらないって!

それでも、このおじさん、何としても売ろうと粘る。90、80、70ルピーと、さらに値を下げる。おじさんも、俺と同じ理由で、このアンモナイトが荷物として「重たい」と思っているのかもしれない。それでも断り続ける。そしてついに・・・、

おじさん;トゥデイ イズ ノー ビジネス。50ルピー!
俺;50ルピー?・・・、OK!

おじさんの「今日は商売抜きだ」という心意気に根負けし、初めは140ルピーと言っていたアンモナイトを、わずか50ルピー(約150円)で購入した。そしておじさんに「写真を撮らせてもらえますか?」と尋ねると、喜んで応じてくれた。ロッジへ戻り、このアンモナイトを見せ値段を言うと、「安いワ!良い買い物をしたわネ」と言われた。

Img471

アンモナイトを50ルピーで売ってくれたおじさんです。

Img473

ロッジに戻って、アンモナイトを手にしています。

*この日の旅日記、後半へ続きます。

| | コメント (3)

2010年1月16日 (土)

アンナプルナ周遊トレッキング その16

ありがとうカグベニ、そしてジェンテン

4月28日(火)晴れ
カグベニ8:35(徒歩)9:15エクレバッティ9:20(徒歩)11:20ジョモソム

 7時15分起床。朝食はポリジにミルクコーヒー。支払いをすると、昨夕頂いたチャンは分かるが、何とベッドルーム代をサービスしてくれた。2回目だからかな。ありがとう。
お礼にロッジの娘さん・ジェンテンさんの写真を撮らせていただく。ジェンテンさんに写真を送ることを約束し、ネパール語で「タパインコ ナム ラ テガナ ヨ レキ ディノス (あなたの名前と住所をここに書いてください)」と話し、「日本から送るから1~2ヵ月後になると思います」と伝え、後ろ髪引かれる思いで、カグベニをスタート。

Img455 ジェンテンさん。膝の上の子は親戚の子供だそうです。彼女は当時まだ19才でした。左の子は親戚の子で”ニロ”という名前だそうです。

カグベニを出てカリガンダキ川の河原を南下。石がゴロゴロし足場が悪い。谷間のせいか風が強く、帽子が飛ばされそうだ。この辺りの山肌、岩肌の自然にできた模様は、実に不思議だ。太古の昔、海底であったというこの辺りは、インド大陸とユーラシア大陸との衝突により、海底が押し上げられ山脈は隆起し、偉大なヒマラヤ山脈が形成されたという。この辺りが海底であった証拠が、アンモナイトの化石である。現地の人々はそれを「神様」として祀るという。
エクレバッティで小休止。皆には「この日の予定はマルファです」と話したのだが、体の疲れ、膝の痛みを考え、ジョモソムまでにしよう。カグベニからは約3時間の行程だ。

Img457 エクレバッティにて。こんな道を歩かなければなりません。

エクレバッティを出ると、ニルギリ北峰(7061m)を仰ぎ見ながら、さらにダウラギリ(8168m)も見えてくる。ジョモソムの村がカリガンダキ川の先に見えてきた。村は見えているのに、なかなかたどり着かない。

Img458 カリガンダキ川を行く隊商。後方の山は、ニルギリ北峰。

Img459

彼方にジョモソムの村が見えてきました。ダウラギリも見えます。

カグベニよりおよそ3時間で大きな村、というより町かな、ジョモソムに到着。中心部から飛行場のある方へと向かい、宿を決める。小ぎれいなロッジだ。ダブル(シングルはなかった)40ルピーと高いが、1人なんだしプライベートを保ちたい。
思い起こせば、初めてネパールを訪れたとき、アンナプルナ・ベースキャンプを経てムクチナートまでトレッキングし、帰路はこのジョモソムから飛行機で約20分、空の旅を楽しみポカラへと帰ったものだ。

昼食は、ガーリックスープにヤクステーキで50ルピー。「やっと肉が食べられる」と思ったが、出て来たものは塊のステーキではなくぶつ切りの普通の焼き肉。ちゃんとしたステーキを期待したのだが・・・、期待する方が間違ってるか。それでも肉が食べられたのだから「よし」としよう。

午後はチャーメ以来8日ぶりのシャワー。シャツやズボンも洗濯。風があるから乾くと思うが・・・。そして体を休め、街をぶらつく。

夕食は、エッグ・スプリングロールとヤクミート、ベジタブル・ヌードルスープ。デザートにカスタードプディン。さらにチャンも飲む。ずいぶん浪費しそうだ。
今日の宿泊客は、俺一人。のんびり気楽に過ごせた。8時過ぎには眠るとしよう。

ジョモソム、エヴェレストロッジにて

| | コメント (2)