100Kg の荷をかつぐポーター
4月30日(木)曇りのち雨
マルファ8:00(徒歩)9:30トゥクチェ9:45(徒歩)10:50コバン11:00(徒歩)12:00コケタンティ12:30(徒歩)13:25カロパニ
6時15分起床。朝食は、チベッタンブレッドとミルクティー。やや曇り気味の天気。そろそろ雨季も近いか?ロッジの娘さんたちの写真を撮らせていただき、住所とそれぞれの名前を書いてもらう。すると、ニールから俺の名前と住所を教えてほしいと頼まれた。逆に聞かれたことは、初めてだ。日本へ帰ってからも、友達づきあい(と言っても、文通しかできないが・・・)できるかな?
ニール・ゲストハウスの3人娘と親戚の子供。左からシャシー(二女)、トゥルシー(三女)、ニール(長女)です。お世話になりました。
さて8時、ニールのさびしそうな表情に後ろ髪引かれつつも、次の目的地へと出発。トゥクチェへは、ほとんどフラットな道で1時間半。やや肌寒く、セーターを着て歩く。風は弱いが空はどんよりしている。
トゥクチェは、かつて仏教の神髄を求めてチベットへ日本人として初めて入国(密入国)した河口慧海(かわぐちえかい)氏が滞在したところだ。また、地形が似ていることから富山県の利賀(とが)村と姉妹村協定を結んでいる。そのせいか、利賀村をはじめとする富山県の人々がこの地を訪れ、所々に記念のレリーフなどを残している。日本とは縁の深い村だ。
トゥクチェよりカリガンダキ川の河原を行く。ほとんどフラットで楽だ。コバンを過ぎ、コケタンティ近くのバッティで、昼食にヌードルスープを食べる。ここで、幾重にも巻いた塩ビ管を担いで歩く3人のポーターと出会った。さらに奥深い村で、水道設備のために使われるのだろう。3人の中のリーダー格のおじさんに話しかけてみた。
俺;ナマステ。ヨ カティ キロ ツァ? (こんにちは。これ何キロですか?)
ポ;アッシキロ キ エクセイキロ・・・ツァ。 (80キロか100キロ・・・です。)
俺;ワーォ!w(゚o゚)w (担ぐジェスチャーをしながら)チャレンジ OK?
ポ;OK!
背負子に腕を通し、いざ担ごうとするも・・・、びくともしない。下半身に力を入れ、立ち上がろうとするも・・・荷物は微動だにしない。ポーターのおじさんやバッティのおばちゃんたちは大爆笑だ。やはり、ひ弱な日本人には無理なようだ。ネパールのポーター、体は華奢なのに、恐るべき力と体力だ。彼らの日当は、せいぜい50ルピーから100ルピーだそうだ。届けるところによって多少変わるそうだが、いかにも薄給・重労働だ。
俺;タパイィハルコ フォト キチ パニ フンツァ? (あなたたちの写真を撮ってもいいですか?)
ポ;フンツァ (いいですよ)
尊敬の意味も込めて、ポーターたちの写真を撮らせていただいた。昨日の行商のおじさんもそうだったが、少しでも会話してからであれば、皆喜んで写真撮影に応じてくれる。もちろん、お金も見返りも要求しない。
こんな荷を担いで歩くポーターたち。彼らの体格からは想像できない (゚0゚)!ただただ脱帽・・・。
トゥクチェ~コバン間。水のない河原を行きます。
コバン村で。民家の下を道が通っています。
さらに河原を進み、山裾を登り下りしてコケタンティ、ダンプなどの小さな村を過ぎる。小雨がぱらつきだした。天気が良ければダウラギリⅠ峰が眺められるはずだが、この日は全く見られない。
コケタンティの村が見えてきました。
1時半ごろカロパニ着。久々によく歩いた日だ。カロパニ・ゲストハウス&アンナプルナコーヒーショップに宿を決める。ダブルが40ルピーと高く、ドミトリー(12ルピー)にする。別棟のコーヒーショップへ行くと、メニューは豊富にあるが、昨日のマルファのロッジより高いんじゃないの?と思いつつ、チョコレートケーキ(33ルピー)を食べている。この後はのんびりし、疲れを癒し、明日のタトパニまでのロングウェイに備えよう。
夕食は、ガーリックスープとベジ・エッグ・フライドライスとする。しかし今日は、うるさい連中がいる。つるんでいないと歩けない(旅ができない)のか?こいつらは!だからグループは嫌いだ。うるさいだけ!許せるのは、せいぜい2~3人グループまでだな。
今夜も果たして、ぐっすり眠れるだろうか?昨夜のように・・・?
カロパニ、カロパニ・ゲストハウス&アンナプルナコーヒーショップにて
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