2009年12月12日 (土)

相変わらず風邪が・・・

4月13日(月)

 午前8時30分起床。買い置きのバナナとオレンジで朝食とする。その後、特にすることもなく、風邪が相変わらずなので、部屋で体を休める。11時半ごろ、昼食に出かける。オアシス・レストランにてエッグ・フライドライスとフライドミート・モモにする。

午後、部屋に戻り横になっていると、ルームキーパーがやって来て、ちょうど居合わせたマッサージャーのアンジュさんに、「風邪で鼻水が出たり、のどが痛い」と言ったら、中国製の”瑞草油(ズイチョーユー)”という薬を貸してくれた。これを直接のどや胸に塗布したり、湯に入れて上から毛布などをかぶり、その湯気を10~20分、呼吸すると良いそうだ。確かにスーッとして気持ち良い。
そして明後日のドゥムレまでのバスチケット(150ルピー)を手配する。午前7時発だ。

夕食は、ヤク・レストランでチキンカツレツにエッグサラダ(計80ルピー)。ここ最近、食事にずいぶんお金を費やしている。トレッキングに出ればどうしてもダルバートやポテト、ララヌードル(インスタントラーメン)がメインとなり、肉類はほとんど食べられないから仕方があるまい。

夜、ゴビンダと話していると、彼の月給はわずか800ルピー(約2500円)だそうだ。このうち300ルピーは親へ、200ルピーは貯金、残り300ルピーが月々の小遣い。ちょっと辛いね。いくらこの国でも1日10ルピーでは、コーラを飲んだりするのがやっとだ。我々日本人が、いくら忙しく、狭い家に住んでいても、彼らが日本を羨ましがり、「ネパールは少しも良くない」と言う本音も、解かる気がする。日本の実情を彼らが知らなくても、こうして目の前にいる我々は海外へ、しかも俺は長期にわたって来ているのだ。彼らには日本がきっと「黄金の国」のように思えるのだろう。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

4月14日(火)

 8時半起床。昨夜は酒を飲まなかったせいか、体の休めすぎか、明け方4時ごろまで眠れなかった。今朝は、バナナとオレンジ、紅茶、グルコビタD(ビタミン補給食品)を摂る。

10時にアメックスオフィスにて、失った$20・T/Cの再発行。わずか2日、ポリスレポート(警察の盗難証明書)もなしで。こんなことなら初めからアメックスだけにしておけばよかった。

11時ごろ、ザ・マンダラ・レストランでケーキとコーヒー。ゲストハウスへ戻りシャワーに洗濯。そしてアンジュさんにマッサージを施してもらう。明日以降のアンナプルナ周遊・トレッキングに備えてのことだが、日本から多少疲れてきている体は、なかなか回復しない。

夕食は、レストラン・ブルーベルにて、ビーフ・ストロガノフとトマトチーズ&オニオンサラダにミントティー。サラダにはサラダクリームがかかっている。とても美味しい。けど、ヤク・レストランと比べると高いナァ。

帰り道、明朝用のドーナツ、キャンディーを買う。タバコはなるべく控えよう。シャンプーが小さな容器に入って50ルピー。何と高い!

ゲストハウスへ戻り、トレッキング中に預けておく荷物をまとめる。先日買った Lowe の70リットルのザックにいっぱいだ。日本へエアカーゴで送る荷物はこれ以上に増えるから、ど
うなることやら。
この9日間の支払いは、日本への長距離電話(3分450ルピー)も含めて、1650ルピーにもなってしまった。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*次回からの旅日記は、「アンナプルナ周遊トレッキング」を書き綴ります。「エヴェレスト街道」とは、また違った雰囲気を味わっていただけるかと思います。カテゴリーも新設し「1992 アンナプルナ周遊」にまとめます。引き続き、楽しんでいただけることを願っています。どうぞ今後とも、よろしくお願いいたします。m(u_u)m!

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2009年12月10日 (木)

う~ん、なんだかなぁ...

4月11日(土)

 8時30分起床。9時、パブラムが呼びに来る。オーナーが話をしたいと。昨日の件だ。同室のフランス人はT/Cの使い方を知っているのに盗む理由はないし、ハウスキーパーは使い方を知らない。結局、警察は呼ばないようで、これでは再発行できないかも・・・。

どこか釈然としない。盗難事件が起こった以上、オーナーは彼らをこっそり呼んで聞いたのだろう。元をただせば、俺のミス。俺は彼らに「不愉快な想い」をさせたことに、自分自身腹を立てていた。同じ「不愉快な想い」をさせるのなら、いっそ警察を呼んで白黒はっきりさせてほしかった。そうすれば、潔白にも関わらず疑われた人たちに対して、少しでも「申し訳」が立つ。なんだか、何もかもやる気がしなくなった。

本屋へ行って、日本の文庫本(古本)「日本の昔話(松谷みよ子著;講談社文庫)」を見つけ、買って読む。こんな気分のときには、幼いころによく読んだ昔話が心を落ち着かせてくれる。

昼食は、オーメイ・レストランで麻婆豆腐とライス、ジャスミンティーでおよそ100ルピー。高いだけあってウマイ!

午後も本を読み続け、夕食はケーキとバナナラッシーのみにする。あまりお腹が減っていなかったから。

日本を出て、もう50日余り経ち、旅の半分は過ぎただろう。みんなは元気でいるのだろうか?

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

4月12日(日)

 午前9時起床。よく寝たような寝てないような。それにしても暑い朝。体がダルイ。10時半ごろ、アメリカン・エキスプレスへ紛失したT/Cの再発行手続きに行く。意外にも、ポリスレポートもないのに明後日には再発行されるとのこと。こんなことなら、T/Cすべてアメックスにしておけばよかった・・・。
*当時、東京銀行とネパール銀行は送金の手続きはできましたが、T/Cの再発行はできませんでした。
しかし、この結果14日に予定していたトレッキングのスタートが1日遅れることになった。まぁ、まだバスの予約まではしていなかったからいいか。

昼食は、古都レストランで玉子丼としょうが焼き。しょうが焼きはなかなかイケル。ダラダラとゲストハウスへ戻り、風邪薬を飲んで一休み。そしてシャワー。2日に1回は浴びている。何しろ暑くて汗をかく。

夕食は、ヤク・レストランにてチョウミンとトマトサラダ。この間食べたサラダが美味しかったから。それにしても、帰国後のことを考えると頭がイタイ。ウ~ン、久しぶりに北海道へでも行ってみようか・・・?
風邪気味なので、8時過ぎには体を休める。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

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2009年12月 8日 (火)

ケアレスミスで・・・

4月10日(金)

 8時30分起床。朝食はヤク・レストランにてコーンフレークとコーヒーにする。そしてロイヤルネパール航空のオフィスへ行き帰国便の予約。5月17日(日)午前9時発で予約完了。しかし、残り1日しかビザに余裕がない。ストさえなければ大丈夫なのだが・・・。

ゲストハウスへ帰る前にエアカーゴ(航空貨物)の料金確認。およそ4000ルピーほどかかりそうだ。チペッタン・クラフトコレクションへ行き、先日買った財布のファスナーが壊れていたので、新品と交換して頂いた。

昼食は、タイ料理店にてトムヤムクン。バンコクでさえ1~2度しか食べていないのに、なぜかここで食べたくなった。どうせ帰りに何日かはタイに滞在するつもりだし、少しでもこの味に慣れておきたかった。少し辛いかな。エビとマッシュルーム、ごぼうが入っていて、エビがなかなかウマイ。

ゲストハウスへ戻り、午後2時ごろシャワーを浴び部屋へ戻る。ドアが開かない。あれ?同室のフランス人は外出したのか。フロントでキーをもらい部屋の中へ。シャワーを浴びている間に部屋の掃除もハウスキーパーがしたようだ。ウエストバッグを開けると、うん?財布の位置がおかしい。あれ?100ルピー足りないような・・・?ザックの中に入れておいた貴重品を調べると、東京銀行のT/C・$20が4枚、アメックスのT/C・$20が1枚、計$100のT/Cと現金100ルピーなくなっている。w(゜O ゜)w
どういうことだ・・・?サインのしていないT/Cを・・・。まして同じ$100なら、なぜアメックスのT/Cだけにしないのか?犯人は?はっきり言って信じられない。俺の不注意といえば、それまでだが・・・。

ゲストハウスでは、他の宿泊客に不快な思いをさせたくないからか、黙っていてくれと言う。どうも警察には知らせたくないようだ。しかし、再発行の利くT/Cだ。こちらも困る。自宅へ電話し、今回のことは伏せて、あと$300来月送金してもらうことにする。
他人を疑いたくはないし、犯人捜しは警察の仕事。ゲストハウスが警察に知らせたくないというのなら、どうすることもできない。
でもこれは、やはり自分のケアレスミスで起こったこと。明日からは貴重品は常に腰に巻き、シャワーの際も手放さないようにしよう。

夕食はステーキを食べに行った。やや風邪気味なのが気にかかる。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

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2009年12月 6日 (日)

イングリッドとも再会!

4月9日(木)

 午前8時20分起床。9時ごろ、アヌが来宿。ダージリンの旅の写真とネガの一部(アヌとゴビンダだけで撮ってあげたもの)を分けてあげた。ネガは半分以下になり、バラバラに。ネガの整理が大変だなぁ。トレッキング後に撮った写真も、自分が写っていないものは焼き増しせずにいたら、48枚も減っていた。それだけたくさん皆の写真を撮ってあげてたわけだ。

その後、イミグレーション・オフィスへ行き一番で並ぶ。パーミット(許可証)が24日で1704ルピー(滞在2カ月目のため)+200ルピー(アンナプルナ入域料)、ビザ延長14日で10ドルはイタイ!受け取りは夕方だ。

申請後、街をぶらつく。ネパール・フラッグ40ルピー、絞り模様のハデなズボンを150ルピーで買う。欲求不満がやたら散財につながっている。これじゃ1日5ドルなんて無理。写真代などを含めると1日20ドル以上は使っていないかなぁ。やはりガイド代が高かった。あれで300ドルぐらいは出費しているはず。これだけ余分にあれば・・・。60ドル分のスリもイタイ!他人のために400ドル(約52000円)以上は使ったことになるのか・・・。ウ~ン、反省点だな。

1時ごろ、街で突然「Jin(=dsching、ジン)」と声掛けられる。イングリッドだ。彼女はカラ・パタールまでエルマー・アンジュラと共にずっと同行した後、さらにゴーキョ・ピークへ行き、再びジリの村まで歩いたという。かなわないナ!のべ38日だもん。スゴイワ!後ほど会う約束をして、ゲストハウスへ戻りシャワーを浴びる。

ロードハウスカフェという喫茶店でイングリッドと待ち合わせ、ティータイム。「シェルパシチュー・ファミリー」、「ムスタンコーヒー・ブラザース」などと、思い出に笑い転げながら、楽しいひと時を過ごした。トレッキング中に撮った写真をプレゼントしたら、コーヒー代はご馳走してくれた。エルマーとアンジュラは今頃ドイツへ帰って過ごしているんだろうね。英語力の乏しい俺でも、少しは会話ができるんだ。

そしてカフェを出て、一緒にイミグレーションへ行く。パーミットを受け取り、イングリッドとはそこで別れた。

ゲストハウスへ戻り、黙って出てきた俺の日本の仲間たちへ、初めて手紙を書く。裏切り者の俺、でも結局、冷徹にも卑屈にもなれない。「どうしようもないな」と思いつつ、所在を知らせることにした。

夕食はヤク・レストランにて、ポーク・フライドライス(豚肉入りチャーハン)とエッグサラダ。サラダがとてもフレッシュでドレッシングがいい。明日は、ロイヤルネパール航空へ帰国便の予約でもしておこうか。アンナプルナ周遊へ出かけた後では、ビザの日数が限られているから(ネパールの滞在ビザは年間3ヵ月まで)、トレッキング前にしておかねば。

新情報として、3月よりムスタン王国(ネパール国内でありながら、特別に半独立自治が認められている;カグベニ以北、ローマンタン方面。ツーリストは入域禁止)が、入域可能になったらしい。多くの個人旅行者が、この情報に色めきたった。が、まだ旅行者の受け入れ態勢が整っておらず、ロッジもなければ食事を提供できるところもないという。そのため、行くのであればテントや食料すべて持参しなければならない。許可証も高く、カトマンドゥよりガイドと数人のポーターを雇って1週間で500ドル(ガイドらの雇用料は別)。これにさらに交通費・食費・テント、調理に必要なもののレンタル料などの実費が加わる。この国の物価を考えたら・・・、他のツーリストたちも言っていたが、グループならともかく、個人レベルの旅行者では、ちょっと行けそうにないなぁ。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

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2009年12月 5日 (土)

フランス人とルームシェア

4月8日(水)

 8時30分ごろ起床。朝食後、ゲストハウスのオーナーに「今日だけフランス人の男性と一緒にツインに入ってくれないか?」と頼まれる。理由はこうだ。1組のカップルと1人の男が宿泊に来たのだが、今空いている部屋はツイン1室のみ。1人旅のフランス人は、前にもここで泊まっていて、また戻ってくる約束で余分な荷物を預けておいてトレッキングに出かけ、今日帰ってきたそうだ。だから彼を泊めないわけにはいかないのだ。そこで、俺のシングル(とはいえ、ベッドの広さはダブル並み)にカップルを入れ、俺と1人旅のフランス人男性がツインで相部屋することによって「すべてが丸く収まる」というわけだ。
他にもシングル利用者はいるのだが、オーナーは「あなたにしか頼めない」と言うので、ここは長くお世話になっていることもあるし、数日後にはトレッキングに出かけるつもりなので、OKした。

アンナプルナ周遊のトレッキング・パーミット申請のため、イミグレーション・オフィスへ行くが、相変わらずの混みよう。おまけに暑い。体調がまだ万全ではないのか、並んで待っている途中、ややめまいを感じた。この日の申請はあきらめ、並ぶのをやめた。

スーパーで日用品の買い出しをし、12時ごろ、日本料理店「古都」にて昼食。カツ丼は、味がご飯までしみずに今一つ。しかし、久しぶりの味噌汁はうまかった。

イミグレーション内の銀行で100ドル両替し、午後はブラブラする。現像依頼しておいた写真を受け取り、レストランでミックスフルーツラッシーを飲む。ゲストハウスへ戻ると、アヌも来ていて写真を見せてあげる。

夕方、Tシャツを3枚、長袖Tシャツ1枚買う。夕食は、ビーフ・ストロガノフを食べてみる。なかなかいける味だ。ライスにかけながらも美味しい。50ルピーならゲストハウスのダルバートよりいいのではないか?
6時半ごろ、ゲストハウスへ戻る途中、まだこの時間なのにほとんどの店が閉店。「これは当分危ないか?」と思いながらゲストハウスへ到着すると、パブラムが「明日も早朝よりストライキが行われる」と言う。彼と予定している(時間と俺の体調次第だが)タンセン(ネパール中西部に位置する街で、彼の生まれ故郷)行きが1日遅れそうだ。

夜、エヴェレスト・トレッキングの写真を整理していると、相部屋となったフランス人が帰って来た。彼に「もし良ければ、見ますか?」と、彼に写真を見せながら、トレッキングの話をした。彼は俺と同い年で、2人の子供がいるらしい。今回は、パリで開いている自分の店(アジアの民芸品などを扱っているそうだ)の商品の買い付けの傍ら、アンナプルナ周遊のトレッキングにも出かけ、今朝帰って来たところだそうだ。ちょうどアンナプルナ周遊を計画している俺にとって、渡りに船!彼からアンナプルナ周遊についての最新情報を得ることができる。
彼の話によると、トロンパス(トロン峠;標高5416m、アンナプルナ周遊トレッキング最大の難所)付近は、それほど寒くなく、雪は多少ある程度のようだ。トロンフェディ(標高約4700m)にて、高山病で10人ほどが下の村へと下山したという。ほとんどの村のロッジにホットシャワーがあり、電気は所々ないそうだ。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この日会ったフランス人の男性、名前も住所も聞くことなく「一期一会」の出会いだと思っていましたが、彼と夜交わした会話、ほんの少しの時間の記憶が、この2年後に奇跡を呼びます。

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2009年12月 2日 (水)

ヘトヘト状態でカトマンドゥへ

4月6日(月)
(夜行バス)カトマンドゥ

 結局一睡もできぬまま朝となり、胃と腸が強烈に痛む。耐えること数時間、「もう少しでカトマンドゥだ」と思ったら、突然ストライキ。カトマンドゥへ入るすべてのバスがカトマンドゥ市内直前でストップ。バスだけでなくタクシーもリクシャもすべてスト。乗客は皆ここで下ろされ、歩いて行くしかない。この体調ではとても辛いのだが、歩くしか術はない。歩を進める一歩一歩がお腹に響く。本当に苦しい。

途中、アヌの知り合い宅があり、しばらく休ませていただく。まだ下痢をしていて、今回の旅(日本出国以来)3度目の抗生物質を飲む。少しは楽になり、さらに1時間ほど歩く。気がつくと、ダルバール(旧王宮)広場だ。このままマナスル・ゲストハウスへと戻りたかったが、ゴビンダが「家へ来てください」と、どうしてもきかない。彼らの世話好きや人懐こさは、とてもありがたいのだが、時としてこのように有難迷惑になることもある。

ゴビンダの家にて6~7時間体を休め、ゲストハウスへ。しかしすでに今日は満室。もう午後4時である。スタッフが何とか策を練り、この夜はアンジュさんのマッサージルームを借りて眠ることとなった。

それにしても、この日のストライキは一体何が原因だったのだ?パタン市内で18人、ニューロードで7人が殺されたという。学生や労働者たちのデモなのだろうか?ダージリンへ行くときも、バスパーク付近で学生たちとそれを鎮圧しようとする警察との闘争を目の当たりにしたし。そのようなデモによりストライキが起こったとしか考えられない。街中の店はほとんど閉めていた。1日だけのことならいいのだが・・・。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

4月7日(火)

 午前8時20分起床。まだ部屋は空かない。昨日はまともに食事をとっていない。ゴビンダの家で少しのドーナツとビスケット、夕食はベジタブルスープを飲んだだけ。もう少しちゃんと食べなければ。
朝食は近くのレストランでトースト、目玉焼き、ハッシュドポテトに紅茶。少しは食欲が出てきた。

その後部屋が空き、アンジュさんにマッサージをしていただく。1時間、全身を入念にしていただいて400ルピー(およそ1200円)。荷物を整理し、少し買い出しに行く。戻って来てシャワーを浴び、外を見ると、ゲストハウスの前の通りをデモ隊が練り歩いている。彼らが掲げているプラカードやビラには、「Tibet is Tibet. Not China !」とある。どうやらチベット独立に関するデモのようだ。カトマンドゥの街のいたるところにこのビラが貼ってあることは、俺自身も知っている。部屋のバルコニーからカメラを向けると、手を振って応えてくれる。なんかとても平和的なデモだなぁ。

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たくさんの市民が「チベット独立」を願って、デモ行進(?)していました。(1992年当時)

このあと再び外出し、200ドル、ブラック(闇ドル)で両替($1=47.5ルピー)した後、ズボンを1本購入。明日はTシャツでも買うか。
夕食はマナスル・ゲストハウスでフライドライス(チャーハン)とオムレツ。ケチャップはかけてなかった。彼らが言うには、「おなかの調子が悪い時はケチャップは良くない」らしい。どうやら皆が俺の体調を気遣ってくれているようだ。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

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2009年11月28日 (土)

ネパール再入国

4月5日(日)
ミリク7:00(バス)9:50シリグリ12:00(オートリクシャ;三輪タクシー)13:00ラニガンジ(サイクルリクシャで国境越え)カカルビッタ15:20(夜行バス)

 午前6時起床。ひどく胃腸が痛み下痢をしている。3回ほどトイレへ駆け込む。ミリク~シリグリは3時間半ぐらいという。朝食もとらずに7時発のバスに乗る。腹は時々痛みもするが、何とか持ちこたえられそう。痛みに耐え抜き、9時50分にはシリグリに到着。ダージリンやミリクに比べ、とても暑い。ウールのシャツが邪魔なほど。
シリグリは鉄道の駅もあり、ゴビンダとアヌは貨物列車の前で写真を撮っている。ネパールでは列車はお目にかかれない(鉄道はまだ通っていない)からなぁ。2人はさらにマーケットへ買い物に、調子の悪い俺は荷物の留守番。

昼ごろ、オートリクシャ(三輪自動車のタクシー;懐かしい日本のダイハツ・ミゼットが使われています)でラニガンジへ。1時間ほどで到着。そしてインドから再びネパールへ。国境越えは、サイクルリクシャで行く。ゴビンダとアヌは、この国境をビザなどの手続きなしで行き来できるのだが、俺はそうはいかない。しかし、リクシャ引きのおっちゃん、俺のことを彼ら同様ネパール人と思っていたようで、イミグレーション(出入国管理事務所)を素通りしようとした。あわてて声をかけ、リクシャを止めさせ、イミグレーションへ。リクシャ引きのおっちゃん、ずいぶん驚いた顔で「日本人だったのか?」と言っていた。「オイオイ!どう見ても日本人の顔だろ」と言いたかった。何はともあれ無事、出国手続きを終え、再びサイクルリクシャに乗り国境を越える。
ネパール再入国で、20ドルで1ヵ月のビザを取得。これはネパール国内でビザの延長をするより、はるかに安い。バンクレシート(両替証明書)も必要ない。その分、こうしてダージリンへの旅を楽しめたわけだ。

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サイクルリクシャに乗って国境を越えます。撮影場所は・・・、どちらの国だろう・・・?

カカルビッタに到着し、昼食を軽めにとり、15時20分発のナイトバスでカトマンドゥへと向かう。座席は運転席のすぐ横で、西陽が暑く、エンジン音もうるさい。当然リクライニングするわけもない。揺れもひどく、途中のラハンという村で食事休憩となったが、胃腸の具合が悪く、パンとジュースのみにする。

カカルビッタ~カトマンドゥ(夜行バス)内にて

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2009年11月26日 (木)

ミリクにて

4月4日(土)
ダージリン8:30(バス)12:00ミリク

 午前6時起床。昨朝同様ショール売りがやってくる。買おうかどうかさんざん迷ったが、紫色のそれほど派手でもないショールを1枚310インドルピー(1400円ほど)で買う。モーニングティーを頂き、朝食を終え、8時半ごろのバスに乗り、ミリクへ向かう。
山道を下り平野部へ。ちょうど昼ごろ、ミリクに到着。ここは湖がある保養地だ。

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ミリク湖です。午後はここで遊びます。(写真は絵葉書です)

昼食の後、ミリク湖にて3人でボートに乗ったり、乗馬を楽しんだり、湖の周りの遊歩道を散歩したり。アヌは乗馬はお手の物のようで、1人で完璧に乗りこなしていた。天気は今一つさえないが、決して寒くはない。しかし、これで晴れていれば言うことのない”バカンス”なのだが・・・。

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まず、ボートに乗ってみました。でも、まさかインド・ネパールの旅の途中で、ボート遊びをしようとは・・・!想像さえしませんでした。

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漕ぎ手は交替で代わりました。とはいえ私が一番短かったと思います。後方の橋は、上(1枚目の写真)の絵葉書にも写っている橋です。

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ボートの次は、乗馬にチャレンジ!左側の青い屋根の建物と、右後方の建物、絵葉書にも写っていますヨ (^_^)!解かりますかぁ?

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私の場合は、乗馬というより「引き馬」です。「白馬に乗った王子」気取り(?)です(笑)!← もちろんジョークですヨー (^_^; ;!王子だなんて、めっそうもない・・・!
シャツの色・デザインが引き手の男のシャツと「かぶってる w(゚o゚)w (;´д`)トホホ… 」。

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1人で完璧に乗りこなすアヌ。決まってますねー!これが「乗馬」ですよねー (^_^;; 。
絵葉書に写っている橋を右の方へ渡ると、遊歩道があります。そこで各々、楽しみました (^_^)!

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遊歩道を散歩しました。

その後、ロッジにて俺だけ休憩する。どうもカカルビッタまでの長距離夜行バス以来、体の調子が悪い。夜7時ごろ、夕食へ出かける。あまり食欲がなくチョウミン(焼きそば)だけにする。どうやら、トレッキングや長距離移動の疲れがとれていないようだ。薬局でビタミン剤(20錠12インドルピー)を買った。そして8時半には就寝とする。

ミリク、ロッジング・イムニーズにて

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この日の朝買ったショール、せっかくですので急遽、写メしました。どちらが表・裏かは?でも、なかなかシックなデザインと色でしょ・・・?今もほぼ”未使用”同然、大切にしています (^_^;; 。

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2009年11月23日 (月)

ダージリンでの一日・・・?

4月3日(金)
ダージリン1日滞在

 午前6時起床。昨夜ナイトバスだったせいか、ぐっすり眠れた。ベッドティーというモーニング・ティーサービスがある。これはウレシイ!もちろん本物のダージリンティーである。香りも味も最高に美味しい紅茶だ!

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こんな雰囲気で飲めたのなら・・・サイコー!でしたが (>_<)!(この写真は、シンガポール航空機内で配られる絵葉書です)

そして少し洗濯をして朝食。ミルクティーやトーストなどのコンチネンタル風の食事だ。天気は曇り気味で肌寒い。
9時45分ごろ、貸し切りジープで観光に。

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このジープに乗って、ダージリンの観光名所をまわります。

初めは「ヒマラヤン・マウンテニアリング・インスティテュート」。インスティテュートというからには、「学校」かと思ったが、ヒマラヤ登山に関する博物館のようなところだ。故・植村直巳さんや田部井淳子さん(女性としては世界初のエヴェレスト登頂者)など、エヴェレスト登頂に成功した世界中の登山家の写真が飾られている。俺は尊敬する植村直巳さんのパネルと共に、写真を撮ってもらった。

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日本人として初のエヴェレスト登頂者、故・植村直巳氏のパネル写真がありました。

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ヒマラヤン・マウンテニアリング・インスティテュート前にて。アヌ、ゴビンダと。

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建物の壁には、このような岩があり、疑似体験(?)もできます。

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エヴェレスト頂上に立ったヒラリー(世界初のエヴェレスト登頂者)像の前で。

そしてテンジンロックや紅茶畑、ゴルカスタジアムをまわる。インド国内とはいえ、さすがに元ネパール領土のダージリン。人々は、むしろネパール人らしき人の方が多いほどだ。

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テンジンロックにて。この後、さらに上を目指し、ロープを使い時には三点当地しながら登りました。

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紅茶畑にて。ここで収穫される紅茶が世界中で愛飲されているのですネ!

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これは・・・、絵葉書です。「ドッコ」と呼ばれる背負子に摘んだ茶葉を入れます。日本の「茶摘み」風景ととても似ています。

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これも絵葉書です。天気が良ければダージリンの街の背景には、ヒマラヤが聳えています。

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ゴルカスタジアムにて。とても広い競技場でした。でも・・・、どんな競技をしているのだろう・・・?

お昼過ぎにロッジに戻り、昼食にダルバートを食べた後、昨夜の疲れかあまりに眠くて・・・。ゴビンダとアヌはさらにダージリン観光を続けたが俺は「休憩して眠りたい」と言って、気がつけば夕方6時ごろまで眠ってしまった。ゴビンダとアヌの2人はダージリンの街を散歩したり買い物をしていたようだが・・・。

7時ごろ夕食となり、結局半日遊んだだけか。ダージリンティーを買い損ねたナァ・・・。

ダージリン、ホテル・カダムバリにて

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ダージリンで買った絵葉書です。ローツェ、エヴェレスト、マカルーの8000m超級の山が聳えています。

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これも絵葉書です。カンチェンジュンガが見えます。こんな光景、期待していたのですが・・・(>_<)

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こんなロープウェイもありました。なんとなく・・・心もとない・・・

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2009年11月22日 (日)

ダージリンへ

4月2日(木)
(夜行バス)11:10カカルビッタ(サイクルリクシャで国境越え)ラニガンジ(タクシー)シリグリ13:50(バス)17:50ダージリン

 ほとんど眠っていない。長いバスの旅は、トイレもままならず、ひどく腹が痛む。バス自体も古いし、道も悪く、揺れが激しいためだ。11時10分ごろ、18時間近くかかって、やっとカカルビッタに到着。食事をし銀行で100ドル両替、そしてサイクルリクシャ(人力車の自転車版)で国境を超える。入国手続きを済ませ、タクシーでダージリンへの玄関口、シリグリの街へ向かう。

シリグリからは再びバス。13:50発。山肌をクネクネと蛇行しながら、バスはゆっくり走って行く。道路と並行して、ダージリンへの山岳鉄道(ダージリン・ヒマラヤ鉄道)が走っている。

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ダージリン・ヒマラヤ鉄道(絵葉書)です。今ではユネスコ世界遺産に登録され、注目を浴びています。う~ん、乗ってみたかったなー!

およそ90年前(1900年ごろ)、日本人として初めてネパール、そして当時は禁断の国と云われたチベットへ極秘裏に入国した河口慧海(かわぐちえかい)氏は、チベット人が多く住むダージリンで、チベット語を習得するため、ダージリンまでこの鉄道を利用したそうだ。
*「チベット旅行記(一~五)」 (河口慧海著 講談社学術文庫)の一巻に詳しく書かれています。
しかし、この汽車ではダージリンまで8時間ほどかかるそうで、バスで行く方がうんと速いらしい。もっとも、この時間ではシリグリからダージリンまで行く汽車はもうなかった。

バスは約4時間かかってダージリン到着。標高2000mを超えるだけあって、寒い。ロッジは「ホテル・カダムバリ」。夕・朝食込みで1泊80インドルピー(およそ3~400円。1インドルピー=1.45ネパールルピー)なら良心的だ。もちろん料金の交渉はゴビンダたちがしてくれたのだが・・・。俺一人だけだったら、当然ツーリストプライスで、もっとふっかけられていただろう。
ダージリンはインドであるから、ゴビンダたちも外国人に変わりはないのだが、インド~ネパール間は互いのビザなしで行き来することができるし、ましてや、かつてダージリンは、イギリスのインド植民地化以前はネパールの国だったそうなので、今も多くのネパール人たちがここに住んでいる。

夕食はダルバート。その後3人で明日の打ち合わせをして、疲れた体を休めた。

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ダージリン、ホテル・カダムバリにて。ダルバートを頂きます。

ダージリン、ホテル・カダムバリにて

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