2014年7月10日 (木)

お別れ(再掲)

2月21日(土)晴れ

Bergisch Gladbach 9:30ごろ(エルマーのアウディ)11:00Frankfurt Flughafen (フランクフルト空港)13:40(LH3102)

 最後の朝 、6:45に起床しシャワーを浴び、身支度を整える 。8泊過ごしたこの部屋、前回と合わせると11泊にもなる。次はいつ・・・?全く予測できない

8:00ごろ、朝食 。皆揃って最後の食事の前に写真を1枚 。お父さんは泣きまね をする。最後まで冗談好きで楽しい人だ

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5人そろっての朝食も、これで最後です。本当にお世話になりました

朝食を終えると、アンジュラがランチ にとオープンサンドを作ってくれた。大好物のリーバーヴルストをたっぷり塗って 前回訪れたときも、私がスイスへ旅立つときに作ってくれた。この気配りが何とも嬉しい限りだ

9:15、すべての身支度を終え出発準備完了。すると、お母さんからもプレゼントを頂いた 。シュナップス用の小さなグラスと、おやつのクッキーだ 。そしていよいよ出発の時。お世話になったご両親にお別れのあいさつ

「Es war sehr schön bei Ihnen. Vielen Dank für alles. (とても楽しかったです。本当にありがとうございました。) 

「Gute Reise ! Viel Spaß ! (良い旅を!たくさん楽しんでいらっしゃい!)

「Alles Gute ! Auf wiedersehen ! (お元気で!さようなら!)

9:30すぎ、ご両親に見送られ、エルマー・アンジュラと共にフランクフルト国際空港 へ向かう。アウトバーン3号線に入るまで10数km、そしてアウトバーンでフランクフルトまで178km、約200km弱あるのだが、道路が空いていたこともあり1時間半ほどで到着 。まだ11:00だ 。早く着きすぎたようだ。

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フランクフルト国際空港。フィンランドからの帰国時に撮ったものです。

出発ロビーのチェックインカウンターは、どこもかしこも長蛇の列。出発案内ボードに、私が乗るヘルシンキ便が表示される。ふと気がつけば、この日は日本 へも東京、名古屋、大阪へと出発便 がある。彼らにそう話すと、エルマーは「よし、俺たちは今から日本へ行ってみるよ 」と冗談を言っている。そして彼らはチェックインカウンターではなく、クイックチェックインの機械へと私を案内し、カウンターの前の長い列に並ぶことなく、チェックインすることができた 。そして出国口へ。エルマー・アンジュラとはここでお別れだ

本当に何もかもお世話になりました 。次はいつ会えるのか、見当もつかないけれど、少なくともこれだけは言える。いつでも迎えてくれる友達が、家族がドイツにいるということを アッという間の8日間。ドイツ語、英語チャンポンの会話をしながらの食事 。Wuppertal や Solingen へのドライブ 。国境4カ国へのドライブ 。街へ一人ぶらり歩き 。アンジュラのご両親、レックス を連れての散歩。そしてカーニバル 。一生涯、記憶に残る素敵な思い出だ

お金 も、ドイツのミュージックCD を買うのに使ったことがほとんどで、あまり使っていない。宿泊代はもちろん、移動や食費には全くと言っていいほど使っていない。本当にすべてにおいて、お世話になった 。Vielen Dank

(カテゴリー;プチホームスティ in Deutschland  完 )

*この旅日記は2004年のものです。

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2014年7月 9日 (水)

最後の夜(再掲)

いったんアンジュラの実家 へ行き、レックス の散歩。今回レックスとは何度もこうして散歩し、すっかり私にも懐いてくれた 。そしてアンジュラのご両親にも、お礼 を言い別れ を告げる。お二人とも80歳以上のご高齢だが、来るたびにいつもコーヒー 、時にはビール をご馳走していただいた。本当に嬉しかった

そして帰宅し夕食 。スペイン風のパンにオリーブオイルをつけて食べる。オリーブオイルといっても、種類が色々あるのかな?エルマーはこうして食べるのが大好きだそうだ ヘェーッ 。そして赤ワイン 。BGMに先ほど買ってきた die PRINZEN のCD をかける。「chronisch pleite 」、直訳すると、「慢性的に破産=いつもお金がない」という意味だ 。歌詞の内容は、決してネガティブではなく、むしろ楽観的だ 。歌詞カードを見ながら歌ってみると、アンジュラとエルマーにバカ受け

♪ Ich bin chronisch pleite♪ と歌うと、エルマーが、♪pleite♪ と実際の歌同様に間の手を入れる 。アンジュラはもう大笑い 私が「これは僕のテーマソング だよ」と言うと、「私たちのテーマソングよ」とアンジュラも笑いながら話す 。そしてCD のタイトル「MONARCHIE IN GERMANY」の MONARCHIE の意味が分からずにいると、エルマーが「Kaiser (カイザー)」と教えてくれた。が、私は「Kaiser ?・・・ 」。すると「dsching ,Beckenbauer!(ベッケンバウアー) 」・・・、なるほど 、「皇帝」という意味か ベッケンバウアーと言えば、ドイツサッカー界 で、かつて「皇帝」と呼ばれたほどの名選手。知らないわけがない

私は、できるだけドイツ語を覚えたいと思い 、食事の時にも常に辞書を持って来ていた。彼らは気を使って英語でも話してくれるのだが、ドイツ語で話した後、ときどき私が辞書を使って調べよう とすると、このように分かりやすいヒントで教えてくれたりする

せっかくサッカーの話題が出たので、私が「今、日本でいちばん有名なドイツ人は誰だかわかるかい? 」と尋ねると、彼らは「誰だろう? 」と考えたものの、答えは出ない。「オリバー・カーンだよ」と言うと、彼らは「あ~ と言いながら納得 フムフム の笑顔 。そう、2002年サッカー ・ワールドカップ日韓大会で、キャプテンとしてドイツチームを準優勝に導き、自らもMVPを獲得したゴールキーパーのオリバー・カーンである 。この大会以降、色々なTVコマーシャルで彼の姿をよく見たものだ。するとエルマーが「もしかしたらカーンは、日本でプレーする可能性もあるんじゃないか?」と話し始めた エッ 。理由は「スキャンダルもあったし、年齢的にもバイエルン・ミュンヘン(ドイツのプロサッカーチーム)では出場の機会が少なくなる」からだそうだ。「ヨーロッパの他のチームに移籍したとしても、スキャンダルの噂は聞こえてくるだろう。しかし日本ならば、言われないだろうからね」とも付け加えた ナットク 。もし実現すれば、日本のJリーグが大いに盛り上がること間違いないだろう。私としても、楽しみである

この夜 が最後とあって、話は尽きない。12:00近くまでずっと話をしていた。そして、彼らは私にお土産、プレゼント まで用意していてくれた 。先日、エルマーと一緒に本屋で見た Bergischland の写真集、そして Karneval の音楽CD。どちらも欲しいな、買おうかどうしようかと迷っていたものだった(が、買わなかった)だけに、とても嬉しい カーニバルの時に借りて行った海賊キャップのようなバンダナも欲しかったけど、それじゃエルマーが困るだろうし。それにしても、本当にたくさんの想い出ができた

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エルマー・アンジュラの自宅です。屋根裏部屋を含めると3階建て・・・?

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実は、裏から見ると、半地下構造です。つまり4階建て!

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借りていたゲストルームは、一番下にあります。素敵な部屋でした。

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ベッドはもちろん、テーブルにキッチンまでありました。冷蔵庫もありましたよ!

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シャワーです。お風呂ではないところが日本との違い・・・!

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シャワーの隣には、このトイレ。便座カバーがとってもおしゃれ!

*この旅日記は2004年のものです。

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2014年7月 8日 (火)

Leverkusen へ(再掲)

13:00過ぎ、エルマーたちも仕事より帰宅して、ご両親宅で昼食 。先ほどビールを飲んだばかりで、あまり食べられない 。この日の昼食は、豆と肉が入ったシチューとパン、ビール

15:00ごろよりエルマーとドライブ に出かける。Wipperfürth (ヴィッパーフュルト)から Kürten (キュルテン)、そして Leverkusen (リーバークーゼン)へ。この辺りを Bergischland (バーギッシュラント)という。なだらかな牧草地が続く。街・牧草地・街・・・のくりかえし。

Leverkusen は工業都市。ここには日本庭園もあるそうで、訪れてみる。が、到着したのは17:20。すでに閉まっていて、外から見るだけとなった 。神社とお寺が合体・融合したような感じだ。エルマーに「狛犬」「鯉」「しだれ柳」など、日本語で教える。そして、夏の生暖かい夜、柳の木の下に幽霊が出ると言われる怪談話をジェスチャーしながら教えた。

*2006年サッカー・ワールドカップ・ドイツ大会で、大会前、日本代表チームがドイツ代表チームと親善試合を行ったのが、この Leverkusen の街です。

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日本庭園の案内板。夏ならばもっと遅くまで開いているようです。

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庭園入り口。目の前には鳥居、橋の下には鯉が泳いでいました。

107入口には鳥居があったのですが、中は金閣寺や銀閣寺を思わせる建物が!

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全体は、こんな感じになっています。

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庭園の周囲には水仙が咲いていました。

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さらに、梅の花も・・・!

日本庭園から商店街へ行き、ウインドーショッピングを楽しむ。SATURN があったので店の中へ入って見る。エルマーはパソコンコーナーで色々なパソコンを見ている。値段を見ると、日本よりやや高いように感じた 。そしてCDショップへ。先日見つけられなかった die PRINZEN (ディー・プリンツェン)のCD を探すと、「chronisch pleite  (クローニッシュ・プライテ)」が入っているCD「MONARCHIE IN GERMANY」(17.99ユーロ)をついに見つけた 。エルマーにこのCDを見せ、「この曲が好きなんだよ 」と話すと、「どうしてこのCDを探していたか、よく分ったよ。これは俺も好きな曲だよ 」とエルマーも嬉しそうに話していた。さらに、Yvonne のスター伝説というCDを11.99ユーロで。合計30ユーロ。

18:30ごろ、Leverkusen を出て帰宅する。19:00だ。

*この旅日記は2004年のものです。

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2014年7月 3日 (木)

エルマー宅付近の様子(再掲)

2月20日(金)晴れ 

 8:00起床。シャワーを浴び朝食 。この日もご両親宅でいただく イタダキマース 。新聞には昨日のカーニバルの記事・写真が満載。隣の大都市 Köln (ケルン)は、派手なパレードが行われていたようだ スゴイ 。

エルマー・アンジュラは今日、13:00まで仕事。それまでの時間、先日買った地図を頼りに、この近辺を散歩してみることにする テクテク 。10:20にスタートし、まず自宅前の Irlenfelder Weg (イルレンフェルダー・ヴェーク)を西へ。右手には、牧草地が広がり、牛 が放牧されている、のどかなところだ 。Johanes Straße (ヨハネス・シュトラーセ)で左折し、Rommerscheider (ロンマーシャイダー)から Höhe (ヘーエ)へ。教会もある。

そして牧草地帯 Natur-park (ナトゥア・パーク)へ テクテクブラブラ 。人の居住区と自然区が、はっきりと区別されていて、牧草地は北海道を思わせる。ふと見ると、まだ10代と思われる女の子 が、厩舎から馬 に乗って現われた。うーむ、カッコイイ ホレボレ ぐるりと一周し、Irlenfelder kamm(イルレンフェルダー・カム)へ。遠く Köln の街の大聖堂まで見渡せる。

およそ2時間ほど散歩し、12:10すぎ帰宅。ビール (Reissdorf kölsch;ライスドルフ・ケルシュ)を飲みながら Yvonne (イボンヌ)のCD を聴く

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エルマー宅前の小道 Irlenfelder Weg を西へ。右手には牧草地があります。

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Rommerscheider から Höhe 付近。この建物は・・・大邸宅?アパート?

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木に青いビール瓶がいくつも・・・?見てみたら、灯明のようでした。

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ここから人の居住区を離れ、Naturpark 、自然区に入ります。

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馬を飼っているところもありました。ドイツは乗馬も盛んな国です。

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広々とした景色の中を、気持ちよく散歩します。

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中央の煙突のやや右に、うっすらとケルン大聖堂の塔が見えます。

*この旅日記は2004年のものです。

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2014年7月 2日 (水)

カーニバル その2(再掲)

カーニバルは、オフィスから近くのバー (Blau Haus ;ブラオハウス)へと場を移す。人々の熱気がスゴイ 身動きすらできないほどの大勢の客で賑わっている。テーブルも椅子もすべてなくして、皆歌い踊っている。ミュージック のボリュームは最大限に大きくしているのではなかろうか 外にまでガンガン聞こえていたから!ほとんど知らない曲ばかりの中で、「ハレルヤ」だけは皆と一緒に歌えた

これほどの人込みにもかかわらず、どこからともなくビール が客同士手渡しで流れてくる。飲み終わると、空いたグラスは手渡しで回収され、再びビールが届く。このような調子で、いったい何杯飲んだのか分からない。飲みながらでも皆、時には肩を抱き合いステップを踏み、踊り続ける。トイレ へ行くことさえ、ままならない。バーのトイレは、たくさんの人が並んでいるので、アンジュラが「オフィスへ戻ったほうが早い」と言って、オフィスのトイレへと向かったほどだ。

そして再びバーへ戻り、飲み、歌い、踊る。お母さんはさすがに疲れたようで、お父さんに迎えに来てもらい、途中で帰られた。私とアンジュラは6時過ぎまで約7時間、カーニバルを楽しんだ 。休む間もないほど飲み、歌い踊り続けた。こんなに弾けたのは何年、いや何十年振りだろうか?

*バー での様子もできることなら写真 で紹介したかったのですが、なにしろ、書いたとおりのありさま。ただの一枚さえ写真を撮ることはできませんでした。

6:30ごろ、エルマーに迎えに来てもらい 、アンジュラと共に帰宅。軽く夕食をとり、9:30ごろ部屋へ。汗もずいぶんかいていたので、洗濯をしておく。エルマーに借り、カーニバルにも着て行ったTシャツは、記念にプレゼントしてくれた。

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帰宅後に撮った1枚。かけているメダルは、元の持ち主にお返しするよう、アンジュラに頼んでおきました。

*この旅日記は2004年のものです。

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2014年7月 1日 (火)

カーニバル その1(再掲)

2月19日(木)晴れ

 8:00起床。洗濯・シャワーをすませ、9:00よりご両親宅で朝食。今日は楽しい Karneval (カーニバル;謝肉祭)だ 。どんな1日になるのかな 11:00にアンジュラのオフィスへ行くことになっているので10:40、準備を整えご両親宅へ。この日の私の出で立ちは、ポロシャツの上にあえて、先日エルマーから渡された黒い半袖Tシャツ。下は皮ズボン。頭にはエルマーが貸してくれた海賊キャップ、というかバンダナのようなもの。そしてサングラス。お母さんは、オードリー・ヘップバーンのような淑女に。品がある方だけに、とてもお似合いだ。

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私は海賊風にしたのだが、お父さんから赤い帽子をかぶせられました。お母さんはオードリー・ヘップバーン風の淑女に

お父さんに車でアンジュラのオフィスまで送っていただく。オフィスはすでに準備万全で、続々と人々が集まって来る。ご馳走も並んでいる 。飾り付けも、とても賑やかで、リズムの良いカーニバルの音楽 もかかっている。人々は皆、個性的に仮装してきている。本格的なもの(ピエロ、ミツバチ、ネコ、サッカーのサポーター等々)から顔に少しペイントするだけの人も スゴイ 。

男性は、この日ネクタイをしていると、そのネクタイは鋏でチョキンと切られてしまう。そしてカーニバルのダンスミュージック に合わせ、歌い踊り 、ビール を飲み、料理を食べてと大いに盛り上がる

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手前の男性のネクタイ、すでに切り取られた後です。

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ビールやワイン、コーラも用意されています。

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皆で楽しく、ワイワイガヤガヤと過ごします。

私はアンジュラのオフィスの方たち以外は、出会う人皆、初対面。「Hallo ! Ich bin Dsching aus Japan. (こんにちは!私は日本から来たジンです) 」と挨拶する。すると、ほとんどの人が「Oh ! aus Japan ? (エッ!日本からだって?) 」と驚いている。そりゃそうだろう。仲間うちだけでお祝いしているところへ、日本人が来ているのだから でも、誰もが大喜びで歓迎しフレンドリーに接してくれた

私が着ているTシャツ には「ICH BIN 40 Bitte helfen Sie mir über die Straße」と書かれている。これを見たある男性が「この意味を知っているかい?」と話すので、「I am 40. Everybody please help me on the street. (私は40才なので、道では皆さん、どうか手助けして下さい)」と、私が杖をついて歩く真似をしながらそう話すと、「そう、その通り 」と言いながら、周りの人たちと共に大爆笑だ すっかり皆と打ち解けることができた

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アンジュラとお母さん。アンジュラは切り取ったネクタイを勲章のように帯にはさんでいます。


そして、大きな太鼓を渡され、それを持って誰彼ともなく、後ろからそっと近づいて「ドーン   」と太鼓を響かせる。唯一の日本人の悪ふざけにも、誰もが「オォーッ!」と笑って答えてくれた

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太鼓を持って、ご満悦!大いに楽しみました。

やがて私は、みんなから踊らされることに。「いや、踊れないです。 」と言っても、皆笑いながら「せっかくだから、踊ったら?」と言う。すると、一人の女性が、「私が一緒に踊ってあげるわ 」と名乗りを上げて、ついに一緒に踊る羽目に 不器用ながらも、踊っていると、皆拍手してくれた

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ミツバチの仮装をした女性と一緒に踊っていました。

参加されている人は、比較的若い人は少なかったのだが、一人、とても背が高くてきれいな女性 がいた。頬に赤いペイントをしているだけだったが、彼女にそれを言うと、「あなたにも塗ってあげる 」と言って、私の鼻のてっぺんを赤く塗ってくれた 。できれば、もう少し親しくなれたら、と思った。

*この旅日記は2004年のものです。

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2014年6月26日 (木)

毎晩楽しい Bergisch Gladbach の夜(再掲)

まだ4時までは時間があるし 、美術館(Städtische Galerie Villa Zanders ;市立美術館ツァンダー荘(?))へ入ってみることにする。ピカソ展が開かれているようだ オォーッ 。中へ入ると、まず目についたのが、トイレ 。ヤッタ!ラッキー とばかりに一安心 。小用を終えた後、入場料 (2ユーロ)を払い中へ。芸術には疎い私 だが、ここでピカソを見ようとは・・・ しかもたった2ユーロ(¥280)で しかし、やっぱりよく分からない

* Villa は別荘、邸宅、お屋敷。Zander はすずき類(魚)という意味ですが、ここでは人の名字として使われていると思います。

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マルクト広場前にて、バーギッシュ・グラートバッハの街を走るバス。

4:00になり、アンジュラのオフィスへ行くと コンニチハ 、明日のカーニバル(Karneval)の準備をしていた。Köln (ケルン)だけでなく、この辺りではどの街でも行われるようだ。ケルンのカーニバルは世界的にも有名だ

*この翌年行われた愛知万博の「ドイツデ―」では、このケルンのカーニバルが再現され、来場者を大いに楽しませたそうです。私は・・・、残念ながら見逃してしまいました

4:30ごろ、オフィスを出てアンジュラと共に帰宅する。帰りは緩いながらもずっと上り坂。25分ほどかかって到着 。5:30すぎ、この日もご両親宅で夕食 。エルマーはまだ仕事から帰ってきていない 。この日のメニューは、パプリカに先日の炒飯を詰めて蒸した料理。スープがよくしみ込んでいて、とても美味しい 。それと、ポテトプディン。やがてエルマーも帰宅し 、夕食に合流。食後は、いつものごとく Schnaps (シュナップス;消化を助ける薬用酒、色々な種類がある)。アルコール度数は高いが(ほとんど40度以上)、本当に体に良さそうな味だ

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これ、スッゴクおいしかったですヨー

そして、アンジュラの実家へエルマーと2人で向かう。レックス の散歩のためだ。こちらのご両親にも、ずいぶんなじんでもらえたかな レックスを散歩に連れて行く。散歩を終えて戻ると、カーニバルのお祝いのワイン とドーナツをお土産にいただく。

自宅 へと戻ると、アンジュラが明日のオフィスでのカーニバルで一昨年プレゼントした「浴衣を着る」と言う。エルマーのお母さんが、「せっかく dsching が来ているのだから、浴衣を着たら 」とおっしゃっていたらしい。しかし彼女は「もし汚れたりすると・・・ 」と悩んでいた そうだ。しかしやっぱり、私が来ているこの機会に浴衣を着て参加することにしたようだ。

さっそく、帯を締めてあげようとするのだが・・・、思い出せない 。一昨年は来る直前、母に教わって来たので、きちんと正しく締めてあげることができたのだが、今回は急なことで、思い出せない 。我流で締める 。とにかく、結び目が蝶々のようになっていればいいか 。ここは日本じゃないのだし、多少下手でも笑われることは決してないだろう

するとアンジュラが「ヘイ、ジン。あなたのお母さんを連れて来ないとダメかしらね 」と言う。それを聞いたエルマーのお母さんは、私の家族のことをエルマーに尋ね、私が今、母と二人で暮らしていることを知り、「ジン 今あなたがここにいる間、お母さん一人なんでしょ それはダメよ 今度来るときは、一緒に連れていらっしゃいヨ 歓迎するから 」とおっしゃった。アンジュラもエルマーも「そうだよ、ジン 今度は一緒に連れて来いよ 」と話す。母の年齢を尋ねられ答えると、お母さんはお父さんと共に「ほとんど変わらないじゃない ねえー 」と話し、次回来る機会があれば、「ぜひ連れて来なさい 」とおっしゃってくれた。私も「ぜひ連れて来ます 」と、約束した。

*この翌年、一度も海外へ行ったことがない、いや行きたがらない(言葉ができない、食べ物が違う・・・云々)母を説得して、母を伴いドイツへと行きました

そして昨夜に続き、彼らの旅の写真 (スライド)を見せてもらう。この日はアメリカ西海岸・グランドキャニオン、そしてアフリカ・チュニジア。私も行きたいなぁ アメリカでは、キャンピングカーをレンタルして旅したそうだ 。広大なグランドキャニオンを満喫するには、ナイスアイデアだ

10:20、部屋へ戻り、ウールのシャツとジーンズを洗濯する。そしてビール (Prinzregent Luitpold Weissbier )を飲みながら音楽 を楽しむ。もう12時を過ぎている 。そろそろ寝よう

*この旅日記は2004年のものです。

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2014年6月25日 (水)

Bergisch Gladbach 中心街を歩く(再掲)

2月18日(水)くもり一時雨のち晴れ

 7:30起床し、洗濯とシャワーをすませる。エルマーもアンジュラもこの日は仕事なので、昨日言われたとおり、9:00ごろ、ご両親宅で朝食 を頂く。家族ぐるみでお世話していただけるので、ただただ感謝 メニューもいつもエルマー宅で食べているものとほぼ同じ。相変わらず、美味しいものばかりだ

お母さんはこの日、スペイン語講座(学校?)へ行くというので ヘェーッ 、街まで一緒に行くことにする。もう一人の息子さん、つまりエルマーの兄弟が現在スペインのマヨルカ島に住んでいるので、バカンスを兼ねてよく訪れているので、それで少しでもスペイン語を覚えようとしているそうだ。もう70才になろうとしているのに、今なお衰えぬ向学心、頭が下がる思いだ

9:50に出て街の方へと歩く。街までは下り坂なので楽だが、それでも20分ほどかかる。途中に美容院があった。お母さんの話によると、お母さんもお父さんも、エルマーもアンジュラもここを利用しているそうだ。私が「私のヘア・ドレッサーは、私の母なんですヨ 」と話すと、お母さんは「まあ それは高くつくでしょう 」と笑いながらおっしゃった。私も「はい、とても高くつきます 」と、冗談で答えた。この話をお母さんが夕食時に皆に話すと、大爆笑

お母さんと別れ、アンジュラが勤めているオフィスの前を通り過ぎ、マルクト広場へ。天気のせいか、人出は少ないものの、それでもたくさんの店が出ていて賑やかだ。野菜、フルーツ、肉屋、ハムやソーセージ、チーズを売る店、花屋、衣料品から雑貨まで生活に必要なものは何でもそろっている 。ふと見ると、ピエロの人形(レターラック)が5ユーロで売られていた。カーニバルでは、ピエロの仮装をする人もいるそうだし、それに安い。母へのお土産に買っていこう

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この日のマルクトの様子。平日、そしてこの天気、人出もまばらです。

少し雨 が降って来た。商店街の方へ行って、雨を避ける。ちょうどカメラ屋があったので、一眼レフカメラの電池を買っておく。フィンランドでのオーロラ撮影用に持ってきた一眼レフ 。しかし日本には、このカメラに使用されている電池はもう扱っていない。だが、幸いにもこのカメラに合う電池が見つかった 。念のため予備も買っておく

次に本屋 へ行き、Bergisch Gladbach の街の地図(4.95ユーロ)を買う。これで、これまでに案内していただいたところはバッチリ分かるし、何より街の様子、エルマーの自宅の場所なども分かる 。これさえあれば、この街を十分に一人歩きできる

そしてSATURN(大型電気店)の中にあるCDショップへ。Yvonne Catterfeld (イボンヌ・カッターフェルト)のシングルCD 、「du hast mein herz gebrochen」(6ユーロ)を買う。今やドイツの ”シューティング・スター”と言われる Yvonne の歌は押さえた

さらに Center Shop というディスカウントショップのような店で、ランチョンマット(1ユーロ)、イルカのデザインの目覚まし時計(1.99ユーロ)、子供向けと思われるドイツ語で書かれた本(1ユーロ)と、安い買い物を楽しむ 。本は帰国後、ドイツ語の勉強をするのに役立つだろう

外へ出ると偶然、昼休み中のアンジュラと会う。4時にアンジュラの勤務先のオフィスを訪ね、一緒に帰ることを再確認する。昼食は立ち食いスタンドのような屋台で、Currywurst (カリーヴルスト;カレー味のソーセージ)とパン(2.2ユーロ)にする。ちょっとスパイシーすぎないかな?Wurst (ソーセージ)本来の味が分からない・・・。でも、おいしい

銀行 へ行って50ユーロ引き出す。ここで余ったとしても、フィンランドの通貨もユーロなので必要になる。

さて、そろそろトイレ へ行きたいのだが・・・、見つからない。デパートの中、色々な所へ行ってみたが、見つからない。公衆トイレもない 。駅ならばあるのでは・・・、と思ったが、ない。バスターミナルにもない 。仕方がない、喫茶店へ入ろうか・・・、でもこの店にはなさそうな感じだ。そういえば、この辺りにマクドナルド はなかったかな?捜しまわるが、ない・・・ 。さっきから同じところを、行ったり来たりしているだけ。半ばあきらめかける

*この旅日記は2004年のものです。

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2014年6月24日 (火)

ドイツの休日の普通の過ごし方!かな?(再掲)

2月17日(火)くもり

 7:00起床し、洗濯・シャワー。そして音楽 を聴きながら、少しドイツ語の勉強 をする。9:30ごろ朝食と思いきや、パンやハムを切らしていたらしく、エルマーといったん外出しアンジュラのオフィスへ。オフィスへ着くと、アンジュラの上司・同僚の方々にドイツ語で挨拶と自己紹介をする 。明後日、このオフィスでカーニバルのお祝いをするそうで、それに参加させていただくことになっているからだ。初対面だったが、皆にこやかに迎えてくれた

アンジュラがハムを買っておいてくれたようで、それを受け取り、パン 屋へ行く。たくさんの種類のパンが売られている。いつも食べている小さな丸いパン、「Brotchen (ブローチェン)というんだ」と、エルマーが教えてくれる。いくつかパンを買い、自宅 へと戻り朝食とする。

11:00、エルマーと共にまず Bensberg (ベンスベルク)へ。ここにも Schloß (シュロース;宮殿、城)がある。中へは入れなかったが、なかなか素敵な宮殿だ 。宮殿そばの建物に入ってみると、この街の地図があった。「街の地図が欲しいなぁ」と言うと、「この間行った本屋に売ってるから、買ってくるといい」と教えてくれた。そして、その付近を歩いてみる。一方通行の道路標識の→マークに「Einbahn Straße (アインバーン・シュトラーセ)」と書いてある。それを読んでみると「dsching、”One Way”(ジン、一方通行の意味だよ)」と、またまた教えてくれる

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ベンスベルク宮殿。なかなか立派です

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付近を歩いていたら、高い塔が見えました。教会の塔かな

この後、Odenthal (オーデンタル;Bergisch Gladbach の北にある小さな街)にあるアンジュラのご実家 へ。一昨年もここへ連れて来ていただいたので、私のことを覚えていてくれた 。年老いたアンジュラのご両親(お二人とも80代だそうだ)に歓迎していただき、コーヒー をご馳走になる。

そしてレックス (飼い犬のシェパード)を車に乗せ、Altenberg (アルテンバーク)の近くより散歩 コースを往復約10Km、レックスを連れて散歩する。森の中を川が流れ、民家などもなく、とても静かな散歩道だ 。ここは自動車は入って来ない ので、とても安全だ

トイレ へ行きたくなったのだが、どうやら公衆トイレなどはなさそうだ。エルマーが言うには「その辺でしてくればいい」らしい 。散歩道を外れ林の中へ入って行き小用をする。しばらくすると、後ろから何やら「ガサガサ」と聞こえたかと思ったら、突然「ワン!ワン! 」とレックス。どうやら「何してるの?早く行こうよ」とでも言いたげに、私を迎えに来たようだ。「ちょ、ちょっと待ってくれ~ 、レックス 」と慌てて小用を終えると、レックスは私を先導するかのように、2~3歩行っては立ち止まって振り返り、私がついて来ているのを確認すると、また2~3歩。それを繰り返し、元の散歩道へ。うーん 、なんて賢い犬なんだろう

そして一昨日来た湖へたどり着く。「なぁんだ ここへ通じていたのか 」と、思わず笑顔 になる。そして帰りは、やや違う道も歩く。高校生ぐらいの男の子たちが前から歩いてくる。エルマーは「彼らとは目を合わせるな!」と小声で話した。人里からやや離れたところにある学校、何やら ”曰くつき” らしい・・・

再び森の中の散歩道へ。途中、やはり犬 を連れた人がやって来た。するとレックスは ”お座り” をして首輪にリードを繋げるまでジッと待っている オォーッ 。相手の犬も同じ姿勢をしている。これは犬同士で喧嘩をしないように、とのことらしい 。お互いすれ違う時は、リードをつけて喧嘩しようとするのを防ぐようだ。そして十分な距離ができてから、再びリードから離す。うーん これまた感心 飼い犬に対する教育、完璧

2~3時間ほどの散歩を終え、アンジュラの実家へと戻る。再びコーヒー 、それにアップルケーキ をご馳走になる。ちょうど小腹がすいていたので、とても嬉しい   それにとても美味しい

4:30ごろ自宅 へと戻り、5:00ごろアンジュラも仕事を終えて帰宅しティータイム 。そして、やや早いがご両親宅にて夕食 。ライスとシチュー、サラダ、とても美味しい。食べられないものなんて、何一つない。モーゼルのリースリングワイン も頂く。デザートはチョコレートプディンだ。それほど甘いわけでもなく、本当に美味しい   日本からやって来た私を、家族ぐるみで歓迎されお世話していただいて、この上ない喜びだ

夕食を終え8:00ごろ、ご両親宅から自宅へと戻り、今夜はエルマー・アンジュラの旅の写真をスライド で見せてもらう。まず初めにネパール(’92)。これは、お互いが出会った旅だけに、とても懐かしい 。もちろん、私が写っている写真もある。次に、エルマーが友達と一緒に行ったキリマンジャロ(’99)のスライド。アフリカの大自然と海、キリマンジャロ登頂への様子、そして登頂!私もいつかはチャレンジしてみたいと思う

10:15、部屋へ戻る。明日はエルマーもアンジュラも仕事だ。朝食は9時ごろ、ご両親宅でいただくことになっている。その後は、一人でこの街をぶらついてみよう。

*この旅日記は2004年のものです。

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2014年6月19日 (木)

日帰り4カ国ドライブ 再びドイツへ(再掲)

15:00ごろ、帰路へと向かう 。地図を見ながら、どの道を行くか検討する。アウトバーン1号線を Köln (ケルン)へ向かうことにする。車窓からは、のどかな風景がどこまでも続いている 。途中、210Km/h で走ったことも 日本ではとても出せないスピードだ。

アウトバーンを降り Köln-Bonn (ケルン・ボン)空港 へ立ち寄る。エルマーはここで手に入れることができる Mallorca (マヨルカ)島(スペイン)の無料の情報誌が欲しかったそうだ。また、ここへはフランクフルト空港からも1時間ほどで飛行機で来られるようで、「日本からフランクフルトで降りても、そこで乗り継いでここまで来ても、料金は同じだろう」、とのことだ 。乗り継ぎの時間さえよければ、一度そうしてみたいものだ。ここからならば、20分ほどで彼らの自宅へ行くことができる

空港を出て Bergisch Gladbach (バーギッシュ・グラートバッハ)の街へ。しかし、自宅方面とは違うような・・・?すると Schloßhotel Lerbach (シュロースホテル・レールバッハ)という古城ホテルへ到着した。私は「なぁんだ 」と納得!

このホテル は、たまたま私が持っていたガイドブックに載っていたのだが、私は全く気づかず、一昨日エルマーが何気にガイドブックを見て、「ジン!このホテルは、この街あるぞ 」と教えてくれたのだ。そのページを見てみると、たしかにアドレスは Bergisch Gladbach になっていた。聞けば、彼らの自宅 から車 で10分ほどのところにあるらしい。「見るだけでいいから、行ってみたい」と、その時話していたのだ。

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レールバッハ城です。今はホテル として利用されています。

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レストラン も併設されているようです。機会あれば行ってみたいけど・・・高そう・・・

しかし、このホテル、料金はシングルで1泊200ユーロ(≒¥28000;当時のレート)で、とても高い 。貧乏症が身についている私には、とても泊まれるものではない 。もちろんこの街には、エルマーたちが住んでいるのだから、ここへ泊まる必要もない。エルマーが言うには、サッカーの試合のために訪れたブラジル代表 チームが、ここへ泊まったとか!

それにしても、なかなか素敵なところだ 。庭も広く池もありアヒルが泳いでいる。近所に住む人だろうか、犬 を連れて散歩している。そして何故か鉄(ブリキ?)で作られたオブジェ・芸術作品(?)が・・・

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ユニークな人型のオブジェです。

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恐竜のオブジェ!というより、恐竜の骨格ですネ!

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これは・・・蟻?それとも・・・?何だろう・・・?

17:00ごろ、この日仕事だったアンジュラを迎えに行き、そして帰宅する。アンジュラが今日のドライブのことをエルマーに訊いているようだ。エルマーは私のナビをずいぶん褒めてくれているようだ。するとアンジュラは、「dsching ,Navigat Arigato (ジン、ナビガート、アリガート;ナビゲーションありがとう)」と、ドイツ語と日本語を掛け合わせて言ってくれた。それどころかエルマーは、「ライセンスは持ってきてないのか?持ってきてたら、運転を任せられるのに!」と言ってくれた。彼は、この日のドライブでの私のナビだけで、「運転させても大丈夫」と思ってくれたようだ。

夕食はご両親宅で、この日は Eintopf (アイントプフ)。肉団子やキャベツ、ニンジンなどが入った、ごった煮のシチューのようだ。日本の ”肉じゃが” のような感じにも思える。ちなみに、ドイツの ”おふくろの味” と言うと、このアイントプフだそうだ ヘェーッ ! 。

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アイントプフです。お肉と野菜・・・、栄養満点の ”ドイツのおふくろの味” です

日本の肉じゃがとは違うものの、優しい”家庭の味” 、温もりが感じられる料理、とても美味しかった   使われている野菜も、お母さんが庭で栽培し育てたものだそうだ。まさに正真正銘の ”おふくろの味”。小鉢には、見た目は ”ほうずき”、でも味は・・・トマトっぽいような・・・?「食べられるほうずきもあるんだ~!」と、口には出さず思っていた。

デザートは、カスタードクリーム入りのパンケーキで、これもまた、とても美味しい 全部、お母さんの手作りなのだから、「スゴイ 」。食事の最後は、いつものように Schnaps (シュナップス)と呼ばれるお酒 だ。お酒と言っても、云わば薬用酒。消化を助けるなど、体に良いお酒だ。サクランボ からできているもの、ハーブ からできているものなど、種類も豊富だ。

21:00過ぎに部屋へと戻る。明日はゆっくりでいいので、洗濯やシャワーは明日の朝にしよう。

*この旅日記は2004年のものです。

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