出雲大社
今日の「古事記」からの引用・要約は、「因幡の白ウサギ」の話の続きから始めます。
『八十神(やそがみ)たちは八上媛に、「我々の中から婿を選んでください」と言いました。そこへ、兄たちの荷物を持った大穴牟遅(おおなむぢ)神がやっと到着すると、八上媛は「大穴牟遅神と結婚します」と答えられました。
怒った八十神たちは、大穴牟遅神を殺そうと相談し、嘘をついて殺してしまいました。これを見た母なる神は泣き悲しみ天に昇り、神産巣日神(かむむすひのかみ)にすがると、その神は他の神を遣わし治療に当たらせました。やがて大穴牟遅神は生き返り、元気に歩きだしました。
その姿に驚いた八十神たちは、再びたくらみを仕掛け、またしても大穴牟遅神を殺してしまいました。泣きながら息子を探していた母神が発見し、再び生き返らせました。そして「ここにいては危険だから、須佐之男命のおられる根之堅州(ねのかたす)国へおいでなさい。きっとよいように計らって下さるでしょう」と言って、大穴牟遅神は須佐之男命がいる根之堅州国(地底の国、黄泉の世界)へ行きました。
しかし、そこでも試練が待ち構えていました。須佐之男命の娘・須勢理毘売(すせりびめ)とお互いに一目惚れし、すぐさま結婚を誓いあったのです。須佐之男命は、それが気に食わず、試練を与え勇気を試してみようと考えました。まず、蛇のいる部屋へ大穴牟遅神を呼び入れ、そこで寝かせました。しかし、須勢理毘売が須佐之男命に内緒で知恵を授け、ぐっすりと眠ることができました。
次の夜はムカデと蜂の部屋に寝かされました。しかし昨晩同様に安眠し、無事その部屋から出てきました。
そして今度は、鏑矢(かぶらや)を野に放ち、その矢を「探して採ってこい」と命じました。大穴牟遅神が野原へ入ると須佐之男命は野原に火をつけ、火はみるみる広がり、逃げられなくなってしまいました。そこへ鼠がやって来て「内はほらほら、外はすぶすぶ」と言いました。その意味を理解した大穴牟遅神は、足元の土を勢いよく踏むと、穴の中へ落ち、そこに隠れているうちに野火は頭上を焼け過ぎて行きました。そして鼠が鏑矢をくわえて来て、大穴牟遅神に渡しました。
須勢理毘売も須佐之男命も、大穴牟遅神が死んだものと思っていましたが、野原に出てみると、大穴牟遅神が鏑矢を持って現れました。須佐之男命は「何としぶとい」と思い、御殿に連れ帰り広間に呼び入れ、自分の頭の虱(しらみ)を取るよう命じました。しかしそれは虱ではなく、たくさんのムカデでした。須勢理毘売はここでも知恵を授け、椋の木の実と赤土を手渡しました。木の実を食いちぎり、口中に赤土を含んで、唾と一緒に吐き出すと、須佐之男命は「ムカデを食いつぶして吐き出しているのだナ。なんと可愛い奴!」と思いました。須佐之男命は安心し、ぐっすりと寝込んでしまいました。
大穴牟遅神はこの隙に、須佐之男命の髪をいくつかに束ね、部屋の垂木に一つずつ結び付けました。そして大岩で部屋の入り口をふさぎ、須勢理毘売を背負い、須佐之男命の象徴である生大刀(いくたち)と生弓矢(いくゆみや)、それに天の沼琴(あめのぬごと)を持って逃げようとしました。
すると琴が木に触れて大きな音がしました。須佐之男命は驚いて起き上がり、その勢いで部屋が引き倒れてしまいました。垂木に結ばれた髪をほどいているうちに、大穴牟遅神と須勢理毘売ははるか遠くに逃げ去りました。
須佐之男命は黄泉比良坂まで追いましたが、二人はすでに手の届かぬ現世国(うつしよのくに)へ逃げ延びていました。須佐之男命は二人に向かって叫びました。
「もうよい大穴牟遅、須勢理毘売はお前にくれてやる。その生大刀と生弓矢で八十神たちを追い払い、大国主神となって宮殿を建て出雲の国を治めろ」と。
須佐之男命に言われたとおり、大穴牟遅神は悪い兄弟たちを追い払い、大国主神となって国造りを始めました。』 *古事記より引用・要約
「古事記」からの引用文は、古い順から「黄泉比良坂」→「八岐大蛇」→「因幡の白ウサギ」→「出雲大社」となります。もちろん、これがすべてではなく、高天原の天照大神様の「天岩戸」伝説が間にありますが、この地に残る話ではありませんので、割愛致しました。
「神無月」、出雲地方では「神有月」ということもあり、今の時期、全国津々浦々の神々たちが、ここ出雲に集まって「全国神様集会(会議)」を行なっているのでしょうか?神様たち、どんな話をしているのでしょうネ?「政権交替したから、少しは良くなるんじゃないか」とか、「今の日本は・・・」などと愚痴をこぼしている神様もいるのかな?
「出雲大社」、ほとんどの方は「いずもたいしゃ」と読まれるでしょう。しかし、正式には「いずもおおやしろ」と読むそうです。
私は出雲大社へは、二度行ったことがあります。最初は「因幡の白ウサギ」伝説を追って、鳥取・白兎神社へ行った後(1985年)、二度目は仕事で東出雲町まで行ったついでの旅(1990年)で訪れました。
さすが、出雲大社です。本当に立派で風格漂うところでした。外国人旅行者の姿も目につきます。
この格調高い出雲大社で、私の目を引いたのは、大国主命像でした。本当に威厳のある神様、そう感じました。と同時に、とても優しい神様だということも感じ取ることができました。大国主命(大穴牟遅神)と白ウサギの像もありましたから!「古事記」の伝説の人物像そのままを、象(かたど)って作られたものだと思わずにいられませんでした。
出雲大社本殿。平日のせいか、参拝者・観光客は少なめでした。
大きなザックを背負ったバックパッカー。外国からの旅行者でした。
境内にある大国主命像。
上の写真を後ろから撮ったものです。少名毘古神を迎えるところでしょうか?
大国主命(大穴牟遅神)と因幡の白ウサギ
時間の都合、というよりもう1か所、是が非でも行きたいところがあり、出雲大社を後にして、私は近くの海辺へと向かいました。平田市(島根県)にある猪目洞窟遺跡です。かつてここで、縄文時代から弥生時代、古墳時代のころの土器や埋葬品、人骨などが多数見つかったことから、「黄泉の国の入り口では?」という伝説があります。
猪目洞窟入り口。写っている人は・・・私です。大きさがお分かりかと思いまして!
中へ入ってみました。地面は濡れています。先は暗くて見えません。頭上の岩が徐々に低くなり、いよいよ四つん這いにならなければ進めない・・・、で、そこであきらめました。でももし、レインウェアを持っていたら・・・、さらに先まで行っていたでしょう。とても後悔したことを今でも覚えています。(そのまま、”黄泉の国”まで行ってしまったりして・・・)
4回だけですが、「神話の旅」書いてみました。順序的には逆になりますが・・・。
お読みくださった方々が、日本の古典文学の面白さ・素晴らしさとともに、私の旅も楽しんでくださったなら、光栄に思います。
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