2012年7月26日 (木)

(再掲)素顔のバンコク見聞録 最終回

気がかり

それぞれ自由行動するとき、俺はカトマンドゥまでのチケット airplane ticket の情報を仕入れるため、あちこちの旅行代理店を回った。我々が泊まっているプライバシー・ホテル hotel 近辺は、安宿が多いせいか、バックパッカーも多く、格安チケットを扱う店も多数ある。そんな中で、カトマンドゥまで片道$160(≒25000円)という店を見つけた happy01

しかし、予約はしなかった。日本を出る前の父の体のことが気になっていたからだ think 。ここバンコクからなら、電話連絡も取りやすいが、ネパールへ入るとなると、通信事情は悪くなるし、すぐには帰ることができないからだ。

バンコク2日目(3/2)の午後、自宅へ電話 telephone してみたが、留守だった wobbly 。夕方再度してみたが、同じ。その翌日(3/3)も、旅行代理店を回り、街の中をぶらぶらしながら、電話局へ行き、自宅へ電話する。午後4時と言えば、日本なら午後6時。「いくらなんでもいるだろう」と思ったのだが、またしても留守 gawk 。いやな予感がする coldsweats02

帰国を決意

4日目(3/4)は、高田さんらと共に貸し切りボート ship で運河巡り。その後、今度こそは think ?と思いながら、自宅へ電話 telephone する。日本時間なら午後6~7時。夕食時の頃だ。しかし・・・、またしても・・・ wobbly sign03 「何かあったに違いない think 。父が入院したのでは・・・?3日も続けて連絡 telephone 取れないなんて、あまりにもおかしい coldsweats02 sign03 」。父が入院しているような時に、好き勝手に海外を放浪しているとなると、姉や兄はもちろん、親戚に何を言われるか、想像するに難しくない sad 。俺は帰国を決意した shock

5日目(3/5)、パキスタン航空 airplane のオフィスへ行く。日本へは週2便だけ。次の便は3月7日午前1:55、つまり明日の深夜過ぎである。予約を取ろうとするが、キャンセル待ちである shock 。この時期の日本は、学生の休みと重なることもあり、チケットが安いパキスタン航空は、アジアはもちろん南回りでヨーロッパ方面へ行く学生たちにも、よく利用される。

6日目(3/6)、再度パキスタン航空へ。「父が入院したから、どうしても帰らなければならない」と嘘(?本当かも?) coldsweats01 を言って、緊急事態であることを伝えると、RQ(キャンセル待ち)のサインを頂き、「空港でトライしてみなさい」とのことだ angryガンバ 。

帰国へ

到着時に知り合った高池君と瀬戸口君は、すでに次の目的地へ旅立っていた。高田さんに「乗れるかどうか分からないけど、とにかく行きます。もし乗れなかったら、明日の朝ここへ戻ってきます」と、一応別れを告げた weep

少しだけ買い物をし夕方、トクトクに乗ってフォアランポン(バンコク中央)駅へ。17:15の列車 train に乗る。迎えに座った小さな子供連れの女性がふいに「日本人ですか?」と、たどたどしい日本語で話しかけてきた coldsweats02オォーッ 。驚いて話をすると、その方のおばあさんが日本人だそうで、今も大阪に住んでいるそうだ。日本へも行ったことがあるそうだが、もうずいぶん前のことらしい。それでも少しは日本語を覚えているのが、素晴らしい happy02

その女性が「日本にマンゴーはありますか?」と訊ねるので、「いえ、日本にはほとんどないです。(*今でこそ沖縄どころか九州でも栽培していますが、その頃はマンゴーが市場に出回ることはなかった。)」と答えると、買い物袋からマンゴーを取り出し「どうぞ happy01 sign01」とプレゼントしてくれた happy01 。しかし、「どうやって食べようか?」と考えていると、「そのまま食べればいいですよ」と言う。「エッ?」と思いつつも、マンゴーをそのまま丸かじりした。ジューシーで甘く、とてもおいしいマンゴーだった delicious

43
トクトクの中から。道は車でいっぱいです wobbly

44
バンコク中央駅

50_6
列車から見た風景 camera お寺かな・・・?

ドンムアン駅(空港駅)で降り、空港内へ。チェックインまで、まだかなりの時間がある。コーヒー cafe を飲みながら休んでいると、2人の日本人男性(山崎さん、高岡さん)と出会った。彼らはバンコクからシンガポールまで、マレー半島を自転車 bicycle で旅したそうだ。彼らに事情を話しキャンセル待ちだということを説明すると、「3人で一緒にチェックインしてみれば?自分たちは予約取れてるから、まさか一人だけキャンセル待ちとは思わないだろうし bleah 」と、提案してくれた confident 。そして、俺のチケットを下にして3人まとめてチェックイン。彼らの言う通り、搭乗券が発行され、大成功 happy01 sign03 彼らに感謝 confident しながら、最後に一緒にビール beer で乾杯した。

52
バンコクよ、サヨナラー weep ありがとう!楽しかったヨー happy02 sign03

最後に

3月7日昼ごろ、1週間ぶりの日本。誰がこんなに早く帰ってくることを予想しただろうか?ネパール、チベットは当分お預けになってしまった。

ほんのわずかの滞在だったバンコク。でも本当に面白かった happy02 。屋台のおっちゃん、おばちゃん、英語が全く通じないトクトクの兄ちゃん。汽車の中でマンゴーをくれた子連れのお母さん。そして’天使’。皆それぞれ一人の異邦人の旅の演出をしてくれた。そしてバンコクの街で、力強く生きてゆくのでしょう!再びバンコクの街を訪れることができるのなら、あの界隈をもう一度歩いてみたいものだ。

3月7日帰国。日本は雪国 snow であった。

*後日談ですが、連絡 telephone がとれなかったのは、「病院 hospital の帰りに映画 movie を見てきた」ことと、私の旅に合わせ、「親戚と一緒に旅行していた」ためで、父の体調に関しては、何の問題もありませんでした pout

カテゴリー 「1987 バンコク」 完

*この旅日記は、1987年の時のものです。

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2012年7月25日 (水)

(再掲)素顔のバンコク見聞録 その4

夜の天使

バンコクと言えば、今や東南アジア随一の夜 night の歓楽街 heart04 。夜、外で飲んでいると、必ずや若き娼婦 virgo たちが出没する。が、あえて彼女たちを娼婦だとか売春婦と呼びたくない bleah 。素顔は、心優しく、かつ、たくましい女性なのである confident

バンコク初日の夜 night 、空港で知り合った旅人同士4人で、ホテル近くのパブで飲んでいた beer 。そこに現れたのが、ポルという名の女の子 virgo 。彼女は我々にビールをついでくれたり、つかの間ホステスのようになっていた。

05
バンコク初日の夜。右がポルさんです。つい浮かれて、こんな写真・・・!

我々、時には一人で飲みに行ったこともあったが、彼女 virgo とは、飲みに出るたびに、店を変えてもなぜか顔を合わせていた coldsweats02 。どうやら彼女は、この辺りの店へは、自由に出入りすることができ coldsweats01ナァーンダ!、そして夜の相手を探しているようだ。

我々も彼女とはすっかり話がしやすくなって、ある夜、かなり突っ込んだ話をしてみた coldsweats01 。そして我々は、アッ sign02 と驚く彼女らの意外な一面を知った coldsweats02ナニーッ 。

A:君、毎晩(男と)寝てるの heart01

P:うん、だいたい… wink 。でも最近はちょっと… gawk 。エイズの影響かな despair

B:君、エイズなの?

P:まさか!違うわヨ coldsweats02

A:一晩、いくら稼ぐの dollar

P:4時間で500バーツ。

A:500パーツか。3000円ぐらい。

C:でも、ここの物価だと、かなりの大金 dollar だよ。

D:日本の2~3万円に値するなー。で、お金貯めてどうするの?

P:家族に仕送りするの。

皆:エーッ sign02

D:仕送りって?故郷はどこ?バンコクじゃないの?

P:ラオスに近い所。お母さんや妹たちに仕送りしないとね bleah

C:今いくつなの?

P:25才。

D:俺と同じだ。もっと若く見えたけどなー!

B:稼いだお金は、ほとんど送っちゃうの?

P:ううん、私の生活費と、いつかスイスに行きたいから、少しずつ貯金してる。

A:日本は fuji

P:日本は寒いわ snow 。それに物価も高いし・・・wobbly 。そろそろ帰るワ!それじゃ、お休み!

と、こんな会話をしながら、彼女は再び夜 night の街へ出て、別の店へ男を探し求めに行ったのだろう。それにしても、故郷に残る家族のために、都会へ一人で出て来て、まさに体を張って夜の街をさまよう彼女たち。悲しいことなのだが、彼女らのポリシーは、こちらの国の現状を考えると、当然のことなのかもしれない think

決してすべてがそうだとは思わないが、彼女たちの生き様を知って、こちらの方の国々に生まれ住む人々の現実を知る think 。そして、優しさ、たくましさを知った。彼女たちは「夜の天使 virgo 」だ sign03

38
相変わらず・・・です。どうにも困った「呑んべい」です。

*この旅日記は、1987年の時のものです。

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2012年7月24日 (火)

(再掲)素顔のバンコク見聞録 その3

高田さんとバス bus に乗って王宮方面へと出かける。黄金に輝く寺院。天気 sun が良ければ、キラキラ shine 輝いて、さぞかし綺麗だろう。

06
黄金の屋根の寺院。バンコクの象徴。

高田さんが昨日知り合ったというデビッドとマイケルに会う。バンコクには多くの運河が流れている。そこで4人で運河をボート ship を貸し切りで周って見た。

大きなチャオプラヤ(メナム)川より、小さな運河へ入って行く。すると、タイの普通の人々の生活が、目に飛び込んできた eye 。運河の上に家 house が建ち並び、運河へは階段で降りられる。ここに住む人々の生活の足は、ボート ship なのだ。そして運河自体、ここでは道路なのである。

運河の脇では、洗濯をする婦人、食器を洗うおばあさん。水浴びする子供たち、見守っているお父さん、のんびり談笑する男たち。ボートに日用品や野菜、フルーツ、おやつを乗せて行商するおじさん。手をふると皆、屈託のない笑顔で答えてくれる happy01 。子供たちは、なんて可愛いのだろう happy02 sign03

今や400万人都市となったバンコクの庶民の素顔を見た。そんな気がした think

11_01
ボート乗り場を出発。たくさんのボートが観光客を待っている。

12_02
チャオプラヤ川、広いです。日本ではメナム川と呼んでいます。

17_07
庶民の生活が垣間見えます。いつも歩いているところとは違う・・・

18_08
洗濯しているのでしょうか?「何見てんだよ」とでも言いたげ・・・

21_11
何をしているのかな?でも、なんか微笑ましい!

22_12
お姉ちゃんと幼い子供 happy01!手を振ったら、応えてくれました。カワイイ!

28_18
彼らにとって、運河は道路、ボートは車、なのでしょう。

31_21
ボートで行商するおじさん。おやつを売っていました。

32_22
古タイヤが浮き袋。川が庭の、元気な子供たちです happy02

*この旅日記は、1987年の時のものです。

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2012年7月19日 (木)

(再掲)素顔のバンコク見聞録 その2

拠点はプライバシー・ホテル

3月1日の朝を迎える。昨夜 night 遅かったので、のんびりと起きる。俺は現在地の確認のため、地図を持ってホテル hotel の近くを歩いてみた。そして、通りの名前が分かり、現在地を特定 scissors 。皆で相談し think 、ガイドブックに載っている他の安宿へと向かうことにする。

02
朝、ホテルから外を眺める eye 。その後、現在地を確認

4人で歩く shoe こと、約30分、プライバシー・ホテル hotel に到着。2組に分かれツインをシェアすることにし、1人210バーツ。昨夜のホテルに比べ、4割安い happy01 。安宿と言っても、エアコンもあるしバス・トイレ付の部屋だ coldsweats01 。これなら文句はない confident 。皆も納得していた wink

この日は、皆からの提案 confident もあり、一応2度目の海外、バンコクも先回立ち寄っている俺がリーダーとなり、皆と共にバンコクの街を歩いた shoe 。ラマ4世通りを歩き、駅周辺や、チャオプラヤ川あたり、道端のフルーツ屋などにも目を向けたりしていた eye

夕食は、ホテル近くの店へ行く。子豚 pig の丸焼きがある。4人でなら食べられそうなので、食べてみると、何とも美味しい delicious 。上質のハムという感じだ。そして、その後は飲み屋 beer へ。水割りなどで乾杯する。明日からは、プライバシー・ホテル hotel を拠点に、それぞれが自由に楽しむことにする。

街の様子

バンコクの街、一言で言うと、メチャクチャ wobbly!道路はバス bus 、自動車 car 、トラック、バイク、トクトクというオート三輪タクシーが、ところ狭しと騒音けたたましく走っている dash 。バスもタクシーも、クラクションをぶーぶー鳴らし、ぶっ飛ばしている。急ブレーキ踏まれて怒っていたら、キリがない wobbly

42
街を走るトクトク。料金交渉制のタクシーです。

40
大判焼き(王将焼き、今川焼とも言う)屋。まさかバンコクにこんなものがあるとは・・・coldsweats02

歩道もまた、露店や屋台であふれている。フルーツや揚げ物、串焼き、大判焼きの屋台まである delicious 。昼になると、そこら中の店は、昼食の人々でごった返す。タイ料理はたいていのものは辛い。バーミーナム(ラーメンに似ている)とかミーパット(焼き飯)は、我々にもなじめる味で、10~15バーツ。1パーツが約6円程度なので、1食当たり100円ぐらいですむ。これは大変大きな魅力だ happy01

10
美味しそうなフルーツがいっぱい。もう、たまりません happy02 sign03

それにしても、これだけ屋台が氾濫していると、どちらかと言えば間食の方が多くなってしまう。特に串焼き(豚だと思う)は、お気に入り delicious だ。でも、今の日本では、お祭り以外ではなかなか味わえない楽しみだ。

*この旅日記は、1987年の時のものです。

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2012年7月18日 (水)

(再掲)素顔のバンコク見聞録 その1

はじめに

1987年3月、2年半ぶりに海外へ旅立った happy01 。目標はネパール・エヴェレストトレッキングとチベットだったのだが、事情によりわずか1週間でバンコクより緊急帰国 bearing 。でも、それなりに面白かったバンコクの街 catface 、ほんの少し垣間見たバンコクの素顔を紹介してみたい。

バンコク到着まで

俺がネパール・チベットへの旅を決断してから、父の体調がおかしくなった wobbly 。キャンセル料も覚悟の上で、延期するか中止しようかとも考えたが think 、父の「心配せんでもいい」の言葉で、気がかりではあるものの、出発することにした。

2月27日、横浜の旅仲間宅にて1泊お世話になる。彼は2年前にインドからネパール、チベットを経て中国を旅している。そこで彼に話を聞いたり、何かアドバイスをしてもらいたかったからだ。

2月28日、横浜から成田へと向かう。成田へは午後1時に到着。チェックインまでは、まだ1時間ほどあった。今回も前回同様、パキスタン航空 airplane 利用だ。ただし、チケットはバンコクまでしか買っていない。そこから先は、バンコクで手配するつもりだ。その方が日本で買うより安くすむし、前回あまり周れなかったバンコクの街を、のんびり歩いてみたかった。

チェックインを済ませ、待合ロビーで同じ便に乗る人と話をする。彼(高田さん)は、初めての海外で 、同じ飛行機でバンコクまで。そしてホテル hotel は決めていないと言う。俺もホテルは決めていなかったので、彼に「バンコクへ着いたら街までタクシー car を相乗りしましょう」と提案すると、彼も賛成してくれた。

パキスタン航空763便は定刻の16:00、成田を飛び立った。途中マニラ経由だが、バンコクへは2時間遅れの現地時間の夜中の12:00 night に到着した。

01
飛行機から見る雲海。一度は撮りたくなるものです 。

入国手続きを済ませ、成田で会った高田さんと合流。彼はもう一人瀬戸口君という男性を連れて来た。彼も泊まるところは決めていないらしい。すると、瀬戸口君は、「もう一人、同じような人がいましたよ」と言って、その男、高池君を探し連れて来た。

泊まるところを決めていない4人でタクシーを相乗りして街まで行くことにする。1人で行くよりは安心だし、タクシー代も割り勘すれば安くなる happy02 。訊いてみると、俺以外は皆、初めての海外旅行らしい。

タクシーの運転手は、空港での交渉時「300バーツ」と言っていたのだが、途中で「高速道路に乗るから、もう100パーツ出せ」と言ってきた。俺はすかさず「サムロイ(300)パーツって言っただろ angry sign02 」と、タイ語を交えて猛抗議!すると、運転手は料金の釣り上げをあきらめた。ただひとつ心配だったのは、「安いホテルへ」と運転手任せにしていたので、「どこへ連れて行かれるのか?妙な所へは連れて行かないだろうな?」ということだ。しかし、こちらも4人いる。”いざ”となれば「4人いるから、何とかなるだろう」と、皆で話していた。

到着したホテルは、マイアミホテルというところだった。夜中なので、バンコクのどのあたりなのかもわからないが、料金を訊くと1人350バーツ。俺は「やや高い」と思ったのだが、もうすでに2時近い。日本時間で午前4時だ。皆で「一人でタクシーに乗ったと思えば、その分安く済んだわけだし、今日はここで我慢しよう」ということにした。

*この旅日記は、1987年の時のものです。

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2009年8月 8日 (土)

素顔のバンコク見聞録 最終回

気がかり

それぞれ自由行動するとき、俺はカトマンドゥまでのチケット airplane ticket の情報を仕入れるため、あちこちの旅行代理店を回った。我々が泊まっているプライバシー・ホテル hotel 近辺は、安宿が多いせいか、バックパッカーも多く、格安チケットを扱う店も多数ある。そんな中で、カトマンドゥまで片道$160(≒25000円)という店を見つけた happy01

しかし、予約はしなかった。日本を出る前の父の体のことが気になっていたからだ think 。ここバンコクからなら、電話連絡も取りやすいが、ネパールへ入るとなると、通信事情は悪くなるし、すぐには帰ることができないからだ。

バンコク2日目(3/2)の午後、自宅へ電話 telephone してみたが、留守だった wobbly 。夕方再度してみたが、同じ。その翌日(3/3)も、旅行代理店を回り、街の中をぶらぶらしながら、電話局へ行き、自宅へ電話する。午後4時と言えば、日本なら午後6時。「いくらなんでもいるだろう」と思ったのだが、またしても留守 gawk 。いやな予感がする coldsweats02

帰国を決意

4日目(3/4)は、高田さんらと共に貸し切りボート ship で運河巡り。その後、今度こそは think ?と思いながら、自宅へ電話 telephone する。日本時間なら午後6~7時。夕食時の頃だ。しかし・・・、またしても・・・ wobbly sign03 「何かあったに違いない think 。父が入院したのでは・・・?3日も続けて連絡 telephone 取れないなんて、あまりにもおかしい coldsweats02 sign03 」。父が入院しているような時に、好き勝手に海外を放浪しているとなると、姉や兄はもちろん、親戚に何を言われるか、想像するに難しくない sad 。俺は帰国を決意した shock

5日目(3/5)、パキスタン航空 airplane のオフィスへ行く。日本へは週2便だけ。次の便は3月7日午前1:55、つまり明日の深夜過ぎである。予約を取ろうとするが、キャンセル待ちである shock 。この時期の日本は、学生の休みと重なることもあり、チケットが安いパキスタン航空は、アジアはもちろん南回りでヨーロッパ方面へ行く学生たちにも、よく利用される。

6日目(3/6)、再度パキスタン航空へ。「父が入院したから、どうしても帰らなければならない」と嘘(?本当かも?) coldsweats01 を言って、緊急事態であることを伝えると、RQ(キャンセル待ち)のサインを頂き、「空港でトライしてみなさい」とのことだ angryガンバ 。

帰国へ

到着時に知り合った高池君と瀬戸口君は、すでに次の目的地へ旅立っていた。高田さんに「乗れるかどうか分からないけど、とにかく行きます。もし乗れなかったら、明日の朝ここへ戻ってきます」と、一応別れを告げた weep

少しだけ買い物をし夕方、トクトクに乗ってフォアランポン(バンコク中央)駅へ。17:15の列車 train に乗る。迎えに座った小さな子供連れの女性がふいに「日本人ですか?」と、たどたどしい日本語で話しかけてきた coldsweats02オォーッ 。驚いて話をすると、その方のおばあさんが日本人だそうで、今も大阪に住んでいるそうだ。日本へも行ったことがあるそうだが、もうずいぶん前のことらしい。それでも少しは日本語を覚えているのが、素晴らしい happy02

その女性が「日本にマンゴーはありますか?」と訊ねるので、「いえ、日本にはほとんどないです。(*今でこそ沖縄どころか九州でも栽培していますが、その頃はマンゴーが市場に出回ることはなかった。)」と答えると、買い物袋からマンゴーを取り出し「どうぞ happy01 sign01」とプレゼントしてくれた happy01 。しかし、「どうやって食べようか?」と考えていると、「そのまま食べればいいですよ」と言う。「エッ?」と思いつつも、マンゴーをそのまま丸かじりした。ジューシーで甘く、とてもおいしいマンゴーだった delicious

43  トクトクの中から

  道は車でいっぱいです wobbly

44

 バンコク中央駅

50_6  列車から見た風景 camera

  お寺かな・・・?

ドンムアン駅(空港駅)で降り、空港内へ。チェックインまで、まだかなりの時間がある。コーヒー cafe を飲みながら休んでいると、2人の日本人男性(山崎さん、高岡さん)と出会った。彼らはバンコクからシンガポールまで、マレー半島を自転車 bicycle で旅したそうだ。彼らに事情を話しキャンセル待ちだということを説明すると、「3人で一緒にチェックインしてみれば?自分たちは予約取れてるから、まさか一人だけキャンセル待ちとは思わないだろうし bleah 」と、提案してくれた confident 。そして、俺のチケットを下にして3人まとめてチェックイン。彼らの言う通り、搭乗券が発行され、大成功 happy01 sign03 彼らに感謝 confident しながら、最後に一緒にビール beer で乾杯した。

52  バンコクよ、サヨナラー weep

  ありがとう!楽しかったヨー happy02 sign03

最後に

3月7日昼ごろ、1週間ぶりの日本。誰がこんなに早く帰ってくることを予想しただろうか?ネパール、チベットは当分お預けになってしまった。

ほんのわずかの滞在だったバンコク。でも本当に面白かった happy02 。屋台のおっちゃん、おばちゃん、英語が全く通じないトクトクの兄ちゃん。汽車の中でマンゴーをくれた子連れのお母さん。そして’天使’。皆それぞれ一人の異邦人の旅の演出をしてくれた。そしてバンコクの街で、力強く生きてゆくのでしょう!再びバンコクの街を訪れることができるのなら、あの界隈をもう一度歩いてみたいものだ。

3月7日帰国。日本は雪国 snow であった。

*後日談ですが、連絡 telephone がとれなかったのは、「病院 hospital の帰りに映画 movie を見てきた」ことと、私の旅に合わせ、「親戚と一緒に旅行していた」ためで、父の体調に関しては、何の問題もありませんでした pout

カテゴリー 「1987 バンコク」 完

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2009年8月 6日 (木)

素顔のバンコク見聞録 その4

夜の天使

バンコクと言えば、今や東南アジア随一の夜 night の歓楽街 heart04 。夜、外で飲んでいると、必ずや若き娼婦 virgo たちが出没する。が、あえて彼女たちを娼婦だとか売春婦と呼びたくない bleah 。素顔は、心優しく、かつ、たくましい女性なのである confident

バンコク初日の夜 night 、空港で知り合った旅人同士4人で、ホテル近くのパブで飲んでいた beer 。そこに現れたのが、ポルという名の女の子 virgo 。彼女は我々にビールをついでくれたり、つかの間ホステスのようになっていた。

05  バンコク初日の夜。右がポルさんです。

  つい浮かれて、こんな写真・・・!

我々、時には一人で飲みに行ったこともあったが、彼女 virgo とは、飲みに出るたびに、店を変えてもなぜか顔を合わせていた coldsweats02 。どうやら彼女は、この辺りの店へは、自由に出入りすることができ coldsweats01ナァーンダ!、そして夜の相手を探しているようだ。

我々も彼女とはすっかり話がしやすくなって、ある夜、かなり突っ込んだ話をしてみた coldsweats01 。そして我々は、アッ sign02 と驚く彼女らの意外な一面を知った coldsweats02ナニーッ 。

A:君、毎晩(男と)寝てるの heart01

P:うん、だいたい… wink 。でも最近はちょっと… gawk 。エイズの影響かな despair

B:君、エイズなの?

P:まさか!違うわヨ coldsweats02

A:一晩、いくら稼ぐの dollar

P:4時間で500バーツ。

A:500パーツか。3000円ぐらい。

C:でも、ここの物価だと、かなりの大金 dollar だよ。

D:日本の2~3万円に値するなー。で、お金貯めてどうするの?

P:家族に仕送りするの。

皆:エーッ sign02

D:仕送りって?故郷はどこ?バンコクじゃないの?

P:ラオスに近い所。お母さんや妹たちに仕送りしないとね bleah

C:今いくつなの?

P:25才。

D:俺と同じだ。もっと若く見えたけどなー!

B:稼いだお金は、ほとんど送っちゃうの?

P:ううん、私の生活費と、いつかスイスに行きたいから、少しずつ貯金してる。

A:日本は fuji

P:日本は寒いわ snow 。それに物価も高いし・・・wobbly 。そろそろ帰るワ!それじゃ、お休み!

と、こんな会話をしながら、彼女は再び夜 night の街へ出て、別の店へ男を探し求めに行ったのだろう。それにしても、故郷に残る家族のために、都会へ一人で出て来て、まさに体を張って夜の街をさまよう彼女たち。悲しいことなのだが、彼女らのポリシーは、こちらの国の現状を考えると、当然のことなのかもしれない think

決してすべてがそうだとは思わないが、彼女たちの生き様を知って、こちらの方の国々に生まれ住む人々の現実を知る think 。そして、優しさ、たくましさを知った。彼女たちは「夜の天使 virgo 」だ sign03

38  相変わらず・・・です。

  どうにも困った「呑んべい」です。

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2009年8月 5日 (水)

素顔のバンコク見聞録 その3

水上の生活

高田さんとバス bus に乗って王宮方面へと出かける。黄金に輝く寺院。天気 sun が良ければ、キラキラ shine 輝いて、さぞかし綺麗だろう。

06_2  黄金の屋根の寺院

  バンコクの象徴

高田さんが昨日知り合ったというデビッドとマイケルに会う。バンコクには多くの運河が流れている。そこで4人で運河をボート ship を貸し切りで周って見た。

大きなチャオプラヤ(メナム)川より、小さな運河へ入って行く。すると、タイの普通の人々の生活が、目に飛び込んできた eye 。運河の上に家 house が建ち並び、運河へは階段で降りられる。ここに住む人々の生活の足は、ボート ship なのだ。そして運河自体、ここでは道路なのである。

運河の脇では、洗濯をする婦人、食器を洗うおばあさん。水浴びする子供たち、見守っているお父さん、のんびり談笑する男たち。ボートに日用品や野菜、フルーツ、おやつを乗せて行商するおじさん。手をふると皆、屈託のない笑顔で答えてくれる happy01 。子供たちは、なんて可愛いのだろう happy02 sign03

今や400万人都市となったバンコクの庶民の素顔を見た。そんな気がした think

11_01  ボート乗り場を出発 

  たくさんのボートが観光客を待っている。

12_02  チャオプラヤ川、広いです。

  日本ではメナム川と呼んでいます。

17_07  庶民の生活が垣間見えます。

  いつも歩いているところとは違う…

18_08  洗濯しているのでしょうか?

  「何見てんだよ」とでも言いたげ…

21_11  何をしているのかな?

  でも、なんか微笑ましい!

22_12  お姉ちゃんと幼い子供 happy01

  手を振ったら、応えてくれました。カワイイ!

28_18  彼らにとって、運河は道路、

  ボートは車、なのでしょう。

31_21  ボートで行商するおじさん。

  おやつを売っていました。

32_22  古タイヤが浮き袋。

  川が庭の、元気な子供たちです happy02

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2009年8月 3日 (月)

素顔のバンコク見聞録 その2

拠点はプライバシー・ホテル

3月1日の朝を迎える。昨夜 night 遅かったので、のんびりと起きる。俺は現在地の確認のため、地図を持ってホテル hotel の近くを歩いてみた。そして、通りの名前が分かり、現在地を特定 scissors 。皆で相談し think 、ガイドブックに載っている他の安宿へと向かうことにする。

02  朝、ホテルから外を眺める eye

  その後、現在地を確認

4人で歩く shoe こと、約30分、プライバシー・ホテル hotel に到着。2組に分かれツインをシェアすることにし、1人210バーツ。昨夜のホテルに比べ、4割安い happy01 。安宿と言っても、エアコンもあるしバス・トイレ付の部屋だ coldsweats01 。これなら文句はない confident 。皆も納得していた wink

この日は、皆からの提案 confident もあり、一応2度目の海外、バンコクも先回立ち寄っている俺がリーダーとなり、皆と共にバンコクの街を歩いた shoe 。ラマ4世通りを歩き、駅周辺や、チャオプラヤ川あたり、道端のフルーツ屋などにも目を向けたりしていた eye

夕食は、ホテル近くの店へ行く。子豚 pig の丸焼きがある。4人でなら食べられそうなので、食べてみると、何とも美味しい delicious 。上質のハムという感じだ。そして、その後は飲み屋 beer へ。水割りなどで乾杯する。明日からは、プライバシー・ホテル hotel を拠点に、それぞれが自由に楽しむことにする。

街の様子

バンコクの街、一言で言うと、メチャクチャ wobbly!道路はバス bus 、自動車 car 、トラック、バイク、トクトクというオート三輪タクシーが、ところ狭しと騒音けたたましく走っている dash 。バスもタクシーも、クラクションをぶーぶー鳴らし、ぶっ飛ばしている。急ブレーキ踏まれて怒っていたら、キリがない wobbly

42  街を走るトクトク。

  料金交渉制のタクシーです。

40  大判焼き(王将焼き、今川焼とも言う)屋

  まさかバンコクにこんなものがあるとは・・・coldsweats02

歩道もまた、露店や屋台であふれている。フルーツや揚げ物、串焼き、大判焼きの屋台まである delicious 。昼になると、そこら中の店は、昼食の人々でごった返す。タイ料理はたいていのものは辛い。バーミーナム(ラーメンに似ている)とかミーパット(焼き飯)は、我々にもなじめる味で、10~15バーツ。1パーツが約6円程度なので、1食当たり100円ぐらいですむ。これは大変大きな魅力だ happy01

10  美味しそうなフルーツがいっぱい

  もう、たまりません happy02 sign03

それにしても、これだけ屋台が氾濫していると、どちらかと言えば間食の方が多くなってしまう。特に串焼き(豚だと思う)は、お気に入り delicious だ。でも、今の日本では、お祭り以外ではなかなか味わえない楽しみだ。

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2009年8月 2日 (日)

素顔のバンコク見聞録 その1

はじめに

1987年3月、2年半ぶりに海外へ旅立った happy01 。目標はネパール・エヴェレストトレッキングとチベットだったのだが、事情によりわずか1週間でバンコクより緊急帰国 bearing 。でも、それなりに面白かったバンコクの街 catface 、ほんの少し垣間見たバンコクの素顔を紹介してみたい。

バンコク到着まで

俺がネパール・チベットへの旅を決断してから、父の体調がおかしくなった wobbly 。キャンセル料も覚悟の上で、延期するか中止しようかとも考えたが think 、父の「心配せんでもいい」の言葉で、気がかりではあるものの、出発することにした。

2月27日、横浜の旅仲間宅にて1泊お世話になる。彼は2年前にインドからネパール、チベットを経て中国を旅している。そこで彼に話を聞いたり、何かアドバイスをしてもらいたかったからだ。

2月28日、横浜から成田へと向かう。成田へは午後1時に到着。チェックインまでは、まだ1時間ほどあった。今回も前回同様、パキスタン航空 airplane 利用だ。ただし、チケットはバンコクまでしか買っていない。そこから先は、バンコクで手配するつもりだ。その方が日本で買うより安くすむし、前回あまり周れなかったバンコクの街を、のんびり歩いてみたかった。

チェックインを済ませ、待合ロビーで同じ便に乗る人と話をする。彼(高田さん)は、初めての海外で 、同じ飛行機でバンコクまで。そしてホテル hotel は決めていないと言う。俺もホテルは決めていなかったので、彼に「バンコクへ着いたら街までタクシー car を相乗りしましょう」と提案すると、彼も賛成してくれた。

パキスタン航空763便は定刻の16:00、成田を飛び立った。途中マニラ経由だが、バンコクへは2時間遅れの現地時間の夜中の12:00 night に到着した。

01_2  飛行機から見る雲海

 一度は撮りたくなるものです

入国手続きを済ませ、成田で会った高田さんと合流。彼はもう一人瀬戸口君という男性を連れて来た。彼も泊まるところは決めていないらしい。すると、瀬戸口君は、「もう一人、同じような人がいましたよ」と言って、その男、高池君を探し連れて来た。

泊まるところを決めていない4人でタクシーを相乗りして街まで行くことにする。1人で行くよりは安心だし、タクシー代も割り勘すれば安くなる happy02 。訊いてみると、俺以外は皆、初めての海外旅行らしい。

タクシーの運転手は、空港での交渉時「300バーツ」と言っていたのだが、途中で「高速道路に乗るから、もう100パーツ出せ」と言ってきた。俺はすかさず「サムロイ(300)パーツって言っただろ angry sign02 」と、タイ語を交えて猛抗議!すると、運転手は料金の釣り上げをあきらめた。ただひとつ心配だったのは、「安いホテルへ」と運転手任せにしていたので、「どこへ連れて行かれるのか?妙な所へは連れて行かないだろうな?」ということだ。しかし、こちらも4人いる。”いざ”となれば「4人いるから、何とかなるだろう」と、皆で話していた。

到着したホテルは、マイアミホテルというところだった。夜中なので、バンコクのどのあたりなのかもわからないが、料金を訊くと1人350バーツ。俺は「やや高い」と思ったのだが、もうすでに2時近い。日本時間で午前4時だ。皆で「一人でタクシーに乗ったと思えば、その分安く済んだわけだし、今日はここで我慢しよう」ということにした。

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