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2018年7月16日 (月)

”旅仲間たちの声”(その2)

皆様、おはこんにちばんは ヽ(´▽`)/!

連日、殺人的暑さの中いかがお過ごしでしょうか?一週間ほど前の西日本の大雨による甚大な被害、亡くなられた方々のご冥福を祈るとともに避難生活を送られている皆様に心よりお見舞い申し上げます。

さて、我が青春の旅の寄せ書き帳。続きを書かなければ・・・(^_^;;アセッ!

最初に寄せ書きを残していただいたのは、シドニーからの旅人で倉敷ユースホステルでした。翌日は岩国へ、そして3日目に九州へ入り別府ユースホステルで宿泊しました。
いくつか残されている寄せ書きを読むと、どうやら私はその日のユースホステルのミーティングで罰ゲームをやらされたようです (^_^;;(^_^;;(^_^;;!
そんな中から敢えて一人だけ選んでみました (*^m^)!

”大学4年の卒業旅行で九州に来たのですが、去年の夏は壱岐と大宰府を見てきたのだけど、今春は長崎から阿蘇、国東&神戸へとまわります。とても九州の人たちの情の厚いのに感動しています。道を聞くと、とても丁寧に細かくいろいろおまけつきで教えてくれるし、すごく旅行者にとっては思い出をたくさん残してくれますね。柳川の川下りの船頭さんは昔、石炭がエネルギーの王様のときに佐賀汽船に乗っていたそうで、今は隠居で船頭さんなのだそうです。一番印象深く残っているのは、やっぱり長崎で、長崎の異国情緒もとてもよかったけど、戦後生まれの私にはやはり戦争の恐ろしさを身にしみて感じたところでもありました。一応ミッション系大学なので・・・この旅に幸多きことを祈って・・・アーメン。神さま、このユースに泊まった人々に幸あらんことを”

埼玉県羽生市から来た女子大生からの寄せ書きです。彼女もこの別府ユースホステルで私同様、ミーティングで罰ゲームをやらされたようです。
”髪ふりみだしエビをやりました”と名前のところに書かれていました。

この翌日は、瀬の本高原ユースホステルへ。宿泊者は私を含め3人だけと寂しかったのですが、それでも寄せ書きが一つ残っていました。

”昨日、今日、明日と3日間顔を合わせることになったくされ縁の男です。別府YHでのフナムシは圧カンでした。「フナムシ、フナムシ、フナムシ、バタバタバタ・・・」 今日は瀬の本高原YHで宿泊者は3人。雪の日です。ちなみに僕は法華院温泉まで行ってみたのですが、三俣山の山頂が厚い雪雲におおわれたちまち白く変わって行くのを見ていると、自然の恐ろしさをちらっと感じたものです。(それにしても九州で雪を見るとは思わなかった。)さて明日は晴れるかな? 横浜からの旅行者でした”

横浜からの男性旅行者からの寄せ書きで、前日の別府ユースホステルにも泊まっていた方でした。この寄せ書きから、どうやら私は「フナムシ」を罰ゲームでやらされたようです (^_^;;ハズイ (笑)!

こうして読んで見ると、皆さんとても真面目にメッセージを残してくれたことがよく解かります。もちろん「書くのは苦手」と言う方や「何を書いたらいいの?」と思う方もいたと思います。でも残されたメッセージすべてが、私にとっては貴重な青春時代の思い出です。

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コメント

こんにちわ
猛暑続きで些か体力も気力も消耗しかけています
そんな中で京都では祇園祭のハイライトの巡行が厳かに煌びやかに執り行われました
猛暑の中、外出する気力も体力も無く
地元のテレビで拝見しましたが、町衆の方たちの誇りと意気込みを感じます
 さて、良き時代を過ごされていますね、わたしは青春と呼べるものを知らずに
在る意味生活の為に働いた時代だったと言えます
ユースホステルは何時頃から?
身体は勿論、心の自由が感じられ羨ましく眩しく拝読しました


古都人様

梅雨明けした途端、連日38℃近くまで気温が上がり、私も食料品の買い物へ行く以外は外出する気力がありません。大雨の被災地では猛暑の中での作業で熱中症で倒れた方もいると聞きます。それを思えば私なんかはまだ恵まれていると思うのですが、如何せん体が暑さについていけません。
古都人様のお若いころは戦後の復興から高度経済成長期だったでしょうから、きっとがむしゃらに働いておられたのでは?と思います。
私がユースホステルを利用し始めたのが17歳の時で、頻繁に利用していたのは4年間ほどでした。主に学生が多く皆自由気ままに旅を、青春を満喫していたと思います。

投稿: 古都人 | 2018年7月17日 (火) 15時09分

連日の40度近い猛暑には参りますね。
家の外に出る気がしません・・・。

ユースでの寄せ書きに、このような長文を書いてくださるなんてうれしいですね。
髪ふりみだしエビ???、フナムシ???
いったいどんな罰ゲームだったのだろうと想像するだけで楽しくなります。


みーこ様

ホント連日のこの気温、お隣の岐阜県内では40℃を超えたところもあるそうですね。母の特養入所後のことを考え、銀行や郵便局・役所などやらねばならないことがあるのですが、この気温で自転車ではとても行動を起こすことができず・・・です (。_。)!
ノートを見ると初めのほうは、皆さん本当に真面目に、それぞれの旅の思い出を書いてくれていました。くだけた内容やおふざけの寄せ書きもありますので、それらも今後紹介していこうかと思います。
別府YHは当時「九州三大キチガイYH」の一つと言われ、ミーティングの罰ゲームが人気でした。さて、どんな罰ゲームだったのか…私にも思い出せません (^_^;;(笑)!

投稿: みーこ | 2018年7月18日 (水) 17時36分

若者たちの一期一会他の素敵な思い出がいっぱいですね。
私高校生と北海道を旅した時、罰ゲームの男の子が宿の帳場にいってお茶菓子もらってくるというのでびくびくしていったら、すっかりかわいがられてたくさんお茶菓子もらってきたのを覚えています。


agewisdom様

このノートに寄せ書きを残していただいた方のほとんどが”一期一会”でした。しかし中には別の旅先で偶然再会したり、すっかり意気投合して親友になった仲間もいます。
>私高校生と北海道を旅した時・・・
これって、もしかして北海道に引っ越した同級生に会うために生徒と一緒に旅された時のことですか?んっ・・・違ったかな?自信ないや (^_^;;ヘヘッ!

投稿: agewisdom | 2018年7月18日 (水) 23時14分

今思いますと、このような思い出に残るノートを考えられたこと自体、凄いことだったとおもいました。
皆さん、やっぱり書いてくださる方は文章と言うか、印象に残ったことをうまくまとめられて、上手ですね。
二度三度と読んで行くうちに思い出も広がり良い時を過ごせます。
書き残してくださった方たち、今頃どのように暮らしていらっしゃるのでしょう。


tona様

今から30数年前、スマホも携帯もなかったアナログ時代、私だけでなくこのようなノートを持って旅していた人は何人かいたと思います。
旅先での出会い、”一期一会”で終わることがほとんどですが、それもまた良し、その後一生友達として交流するも良し!です。
あらためて久しぶりにこのノートを見て、「この人は今ごろどこでどんな暮らしをしているのかなぁ~?」と私も思いました。元気で幸せに暮らしているとイイナァ~!

投稿: tona | 2018年7月21日 (土) 09時43分

慕辺未行さん今日は
毎日暑いですね・・此方も37度の高温・・体もぐったり・・
さて楽しい旅日記・・色々書いて下さって
楽しそう・・罰ゲームの様子も楽しそうな中に大変そうな感じも

しかし若い日の色々な会話は・・こうして文書に残ると
凄く懐かしいですね・・

私は若い時、あまり旅に行く余裕もなく・・友人たちとの日々の
思い出が・・今では懐かしい思い出です

慕辺未行さん・・毎日厳しい暑さです・・お体に気を付けて
お過ごし下さいね


咲子様

こちらもここ数日、猛暑日が続いています。最高気温が37~8℃では買い物へ行くのもしんどいです (。_。)!
私がまだ10代だったころの旅のノート。罰ゲームの内容はさすがに覚えていませんが、罰ゲームをやらされたことで顔を覚えてもらうことができたのかもしれません。
私の両親の時代からしばらくは、戦後復興などで遊ぶ余裕はなかった時代だったのだろうと思います。
東京オリンピック前に生まれ、高度成長期に育ちオイルショックを経験し、そして青春時代を迎えました。
あの時代、アナログ時代にこのような旅ができたこと、今では本当に良かったと思います。
まだまだ厳しい暑さが続きそうです。咲子さんも熱中症にお気を付けください。

投稿: 咲子 | 2018年7月21日 (土) 15時58分

もう55年も前のことてすが、YHはかなり利用しました。
でもこんなノートはありません。ミーティングがあったのは
北海道の1YHだけでした。ゲームはないので、罰ゲームも
ありません。ただ自己紹介だけしました。
大抵同じ部屋で夕食と朝食をとっただけで話さえしなかった
です。

一緒に北海道に旅した友人とは今もつきあいがあり、先日
25年ぶりに会いました。

楽しい思い出がありよろしいですね。


matsubara様

55年前でしたら、’60年代前半ですね。私が生まれてまだ物心つかない赤子のころです。当時の日本は、東京オリンピックを目前に控え、新幹線や高速道路など急ピッチで工事が進んでいた時代でしょうか?
私がユースホステルを利用していたのは’80~84年でしたので20年ほど違いますが、ユースホステルもずいぶん変わって行ったのでしょうね。
旅のアルバムも大切な思い出ですが、このノートに書き残された寄せ書きも、アルバムの写真同様貴重な思い出です。

投稿: matsubara | 2018年7月22日 (日) 15時15分

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