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2015年2月

2015年2月22日 (日)

ご無沙汰です (^_^;;!

皆様、おはこんにちばんは ヽ(´▽`)/!

「母73才、初めての海外へ」を書き終えて、拝読してくださいました皆様にお礼も言わず放置してしまったこと、お詫びいたします。
たいそう申し訳ありませんでした (*´Д`*)!

いただいたコントの返事も遅くなり、そのうえ皆様のブログへも訪問できなかったこと、重ね重ねお詫びいたします。
本当に申し訳ありませんでした m(u_u)m!

実は、インターネットにしろメールにしろ、「応答せず」の表示が相次ぎ、日ごろのストレスも相なってつい「ドンッ!」とテーブルを叩いた途端、その衝撃かPCが故障し修理に出していました。

そしてやっと復活です (^_^)ニコッ!
とはいえ、すべて設定のやり直し。今一つネットへの接続が・・・(-_-)ウーン...?!
とりあえず仮再出発!です。

PC使うにあたり、まだまだ予断を許さない状況ではありますが、とりもなおさず復活の雄叫びを上げさせていただきます (^O^)/!
皆様のブログへはこの後PCの調子が良ければ、訪問&コメントさせていただきますネ (^_^)ニコッ!

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タワーズのひな飾り

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2015年2月 5日 (木)

母73才、初めての海外へ 最終日その3 『ドイツより帰国』(再掲)

来た時は凡ミスしてしまったが、今度は自分たちの指定された座席に座って行った。フランクフルトでの乗り継ぎは、1時間ほどしかない。フランクフルト国際空港駅へ到着し、広い空港内を出国審査を経て搭乗ゲートへ向かう。ゲートにあるカウンターでチェックインすると、隣り合って空いている座席はもう無いそうで、私は「それでは困る。」と抗議した。母はドイツ語はもちろん英語だってできないのだ。客室アテンダントに日本人がいても、常に日本人が応対してくれるとは限らない。隣同士でないと、母が何かと困るだろう。そのことをかなり強く主張した。応対していたドイツ人の女性スタッフは「日本人のスタッフを呼んで来ますから、少しお待ちいただけますか?」と言い、日本人の男性スタッフを呼んできた。

私は彼には日本語でかなり強く主張した。男性スタッフは、同じ便で帰国するツアー会社のコンダクターやお客らを何人も呼んでは、その都度「座席を替わっていただけないか?」と尽力してくれた。ドイツ人の女性スタッフは母のために椅子を用意し「どうぞ、座ってお待ちください」と、気を使ってくれた。時間はかかったが、その甲斐あって何とか隣同士の座席を確保していただいた。しかし時すでに搭乗時刻となり、最後にここフランクフルト国際空港の免税店で、何かお土産をとの思いは、水の泡と消えてしまった。そしてとうとう日本へと帰る飛行機に乗る。

飛行機の中での食事は、来る時よりはやはり良かった。チキンの照り焼きか、ビーフストロガノフ。前に利用した時にも思ったのだが、このルフトハンザ航空は日本発の便よりドイツからの便の方が、食事は絶対に良い。ドリンクは赤ワインをいただく。もちろんその前に Sekt(スパークリングワイン)もいただいた。そして少しでも眠る。何しろ到着時間が日本時間の朝8時過ぎだが、ドイツ時間では真夜中なのだから、眠くなるのは目に見えている。そして日本時間で明け方、朝食が運ばれてきた。オムレツだ。これもなかなかおいしい。

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ルフトハンザ航空の機内食メニュー。左からドイツ語、英語、日本語で表記されています。

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メニューの表紙と日本語で書かれたページを up しました。

やがて、中部国際空港到着。入国審査、荷物を受け取り税関。荷物を広げさせられることもなく、申告するものも「ありません」と答え、そのまま通過。正直言って、助かった。もし、荷物の中をチェックされたら、没収されるかもしれないものが、いくつかあったはずだ。例えば酒類は計7本(ワイン6本とシュナップス)だから無税で持ち込むのは1本多いし、ましてリーバーヴルストやその他のソーセージも、持ち込みできないもの(真空パックのものや缶詰なら、持ち込み可能)があったはずだ。それらを免れて、空港ロビーへ。

オープンしてまだ数カ月の空港内を見学しようと思ったのだが、カートでは行けないようだ。かといってカートなしでは荷物が重すぎて(スーツケースは30kgを超えていた)、それどころではない。結局、見学は諦めて帰ることにするが、どうやって帰ろうか?バスか電車にするしかないのだが、運良く出発時に利用したTタクシーの空港リムジンの運転手のT君に遭遇。すると、たまたま同じ方向へ行くリムジンタクシーがあり、まだ乗れると言うので、それに乗って帰ることにした。そのリムジンは、バンコクからの便が1時間ほど遅れていたので、運良く乗ることができたそうだ。もし、その飛行機が定刻通りに到着していたら、もう出発した後だったらしい。30分ほど待ち、そしてリムジンタクシーで自宅へ直行。10時過ぎに到着。これで我々の、母にとっては初めての海外旅行が終わった。

『母73才、初めての海外へ』 完

*この旅日記は2005年のものです。

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2015年2月 4日 (水)

母73才、初めての海外へ 最終日その2 『ケルンへ』(再掲)

そして9時ごろ、パパとママに見送られ、エルマー・アンジュラとともに我々はバーギッシュ・グラートバッハの駅へ。やや早く着き過ぎた。

駅前にはバスターミナルがあり、彼らの街へ行くバスは、すぐ目の前から出ている。彼らの自宅の最寄りのバス停の名は、”Großer Busch(グローサー・ブーシュ)”。しかし、1日にほんのわずかしか走っていない。日曜・祝日ともなると、完全運休だ。駅から歩ける範囲だからなのだろう。でも、3度ここへ来て、もう彼らの迎えなしでも彼らの自宅へ行くことができそうだ。

やがてケルンへ向かう列車がやって来た。エルマー・アンジュラともここでお別れ。私、そして母ともども本当にお世話になりました。言葉だけでは言い尽くせない感謝!何度もお礼を言い、握手しながら笑顔で分かれる。そして私と母は、ケルンへと向かった。

ケルン中央駅に到着し、ルフトハンザ航空の事務所でチェックイン手続きをし、荷物を預ける。フランクフルトへ行く列車が出るまでの間、母に Köln Dom(ケルン大聖堂)を案内する。そのために早目に出てきたのだ。ここはユネスコ世界文化遺産にも登録されているほどの名勝地。外観の彫刻、その立ち姿はとても美しい。

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ケルン中央駅を出ると、すぐにこの姿が目に飛び込んできます (^o^)/!

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いかがですか?鎖国を解き時代は明治へと移り変わった時、岩倉具視率いる使節団はこの地を訪れ、この大聖堂を見てとても驚かれたそうです。

中へ入ると、この日は日曜日で、ミサが行われていた。しばらく見ていると、私が頭に巻いているバンダナを取るように注意されてしまった。帽子などは、失礼にあたるのだろうか。中をもっと奥の方まで案内したかったのだが、このミサのため入口付近しか入ることができず、充分な見学はできなかった。それ以上中にいても仕方がないので、外へ出る。

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この日は日曜日とあって、ミサが行われ、これ以上奥へはあいにく行けませんでした。


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ケルン大聖堂前の広場にて、我が母です。

大聖堂前の広場では、大道芸人がそこかしこにいてパントマイムを披露している。彼らは着ているものも含めて、全身を銅色に塗って銅像のように立っている。見事なほど、微動だにしない。小さな女の子が、彼らの前に置いてある容器に、チャリンとお金を入れた。するとその銅像(?)は、この慈悲深い少女に頭を下げ握手をしていた。

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どう見ても銅像にしか見えない・・・(・_・)!

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けどすべて、生身の人間のパフォーマンス!この方は、ちゃんとお礼に頭を下げていましたヨ (^_^)/!
 

大聖堂の中を見学できなかったので、時間が大幅に余り、大聖堂近辺を歩いたり、駅構内をぶらついたりした。すると、何かの商品の宣伝をしている。私たちも呼び止められた。「何だろう?」と思って見てみると、どうやら眼鏡の洗浄液のようだ。キャンペーン中だから無料で洗浄してくれるというので、私も母のサングラスも洗浄してもらった。曇り止めの効果もあるそうだ。

母がふいに「トイレへ行きたい」と言うので、駅構内のトイレへ案内すると、料金は何と2ユーロ!入口で2ユーロ投入しないと、中へ入れないのだ。うーん、さすがに大都市の中央駅だけあって、トイレの利用料金もひときわ高い!
そしてわずかに残っている小銭でジュースとビスケットを買って、すべのユーロを使いきり、いよいよフランクフルトへと向かう列車に乗る。

*この旅日記は2005年のものです。

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2015年2月 3日 (火)

母73才、初めての海外へ 最終日その1 『帰国日の朝』(再掲)

6月19日(日)晴れ
Bergisch Gladbach バーギッシュ・グラートバッハ9:54(Sバーン11)10:14 Köln Hbf ケルン中央駅11:54(LH6815;ICE517特急)12:51 Frankfurt Flughafen フランクフルト国際空港13:55(LH736ルフトハンザ航空)翌8:15中部国際空港

 いよいよ帰国の日がやって来た。アッという間に過ぎ去ったドイツでの日々。私は起きてすぐにシャワーを浴びた。
この日は8時から朝食。いつもは9時からなのだが、我々が帰国するので皆も1時間早起きして、一緒に食事をとる。いつも通り変わらない、美味しいメニュー。ここで食べる最後の朝食なので、私はパンに大好きなリーバーヴルストをたっぷり塗って、さらにチーズとロースハムを載せたり・・・!

昨夜、エルマーと飲み終えた後、アンジュラの友達(たぶん、同僚のクリスティアネだろう)から電話があったそうだ。この日帰国する私と母に「気をつけて!お大事に!良いフライトを!」と、メッセージを伝えられた。母にもそう通訳する。

最後の朝食を終えると、ママが母にプレゼントを用意していてくれた。ベッドシーツと化粧水を含ませたペーパーとチョコレート。母はそれらを頂いて、とても嬉しそうに歓声を上げていた。皆の心遣い、そして相好を崩して喜ぶ母、連れてきて良かった。そういえば、エルマーとアンジュラからも昨夜、キャスターが付いたソフトスーツケースを頂いていた。デーバッグを背負うよりは楽だ、という配慮だろう。着脱可能なデーバッグもついている。私もそれを見て『国内の1~2泊の旅にちょうどいい!』と、内心とても喜んでいた。

朝食後、荷物をまとめ出発準備完了。そして出発前、エルマーの自宅前で母と皆で最後の写真を撮る。この日パパは、我々のお土産だった甚平を着てご満悦だ。

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アンジュラとママ・アンナに囲まれて!

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今度はパパ・ハンスとエルマーと一緒に!

*この旅日記は2005年のものです。

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