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2015年1月

2015年1月29日 (木)

母73才、初めての海外へ 10日目その6 『バースデーパーティーへ』(再掲)

その後、我々3人はさらに次のところへと向かう。今度は彼らの友達のバースデーパーティーだ。お祝いの品(ティーセットとゼクト)はアンジュラが用意していた。これは今日の午前中、マルクトへ行ったとき、街のお店で買ったものだ。
私にとっては初対面の人で、ドイツ語で挨拶すると、「エッ?!日本からだって?」と驚き、大歓迎してくれた。そこでもビールや数々の美味しいご馳走をいただく。昨日から飲み続けである。しかし、母の具合のこともあったので1時間ぐらいでお暇し、帰ることにする。

*ドイツでは、いくつになっても誕生日は特別な日で、必ずお祝いをします。その際、招待客は何かプレゼントを持ってパーティーに参加しますが、パーティーの料理などは誕生日を迎えた人が用意します。

10時ごろ帰宅し、エルマー宅で最後の晩を楽しむ。またビールだ。エルマーは運転しなければならないから、あまりたくさんは飲めなかったのだ。これで安心して飲むことができる、ということだ。彼が私との最後の晩、手に持ってきたビールは、バイエルン地方で造られている”Prinziegent Luitpold(ルィートポルト王子)”というビール。このビールは、はっきり言って日本の市販のビールでは絶対に味わえないほどの美味しさ!味に深みがあり、コクもある。以前にドイツへ来た時も、その後日本で通販で取り寄せて飲んだ時も「”笑っちゃう!”ほどうまい!」と思ったビール!!

最高に美味しいビールを飲み交わしながら会話していると、やおら彼らは日本のガイドブックを持ってきた。興味深く読んでみる。まず、日本についての歴史などが紹介されていた。続いて各地方の観光案内。名古屋については、名物として”きしめん”と”ういろう”が紹介されていた。これらを説明するのは難しいので、私は「次回来るときに、持ってくるよ」と答えた。

コラムの欄で「Kampai(乾杯)」と載っていたので、早速エルマーとアンジュラに教える。どのような内容が書かれていたかというと、『日本のビジネスマンたちは、仕事帰りに同僚たちとともに”居酒屋”と呼ばれる日本のバーで、よくお酒を飲みます。その時に彼らは”Kampai(乾杯)”と言って、グラスを重ねてからお酒を飲むのです。』という内容だった。2人とも、「なるほど!」という表情だ。

そしてエルマーが思い出したように、「最近の日本は、”Erdbeben”が多くないか?」と訊いてきた。「Erdbeben ?」と私は意味が解からずに問い返し辞書で調べようとすると、エルマーが「ジン!神戸!」と言った。「神戸?」と聞いて、私はあの阪神大震災直後すぐに手紙で安否を訊ねてくれたときのことを思い出した。そして”Erdbeben”の意味を即座に理解した。エルマーにジェスチャーしながらそう示すと、「そう、その通り」とエルマーもしたり顔!たしかに昨年の中越地震、今年の福岡沖地震など、比較的大きな地震が相次いで起こっている。彼はそれをとても心配してくれているようだ。

さらにエルマーは、「これはドイツ語では理解しにくいだろうから、英語で話そう!」と言って、ドイツにおける中国人の問題について話し始めた。昨日レーバークーゼンの街でアジア系の人が歩いていたのを見たとき、私が嫌そうな顔で彼らを見て、「中国人だろう?!」と話していたからかもしれない。

エルマーの話を聞き私も、日本における中国人の犯罪について話し始めた。ピッキングなど鍵を開ける方法で、空き巣や泥棒に入ったり、紙幣や通貨の偽造はもちろん、クレジットカードのスキミングも。これは「Very important problem !」と話すと、エルマーも「ジン、それは日本だけじゃない!ドイツも同じだ。ドイツでも中国人の犯罪が社会問題になっている!」と言っていた。そして、お互いの国の中国人による治安の悪化やマナーの悪さなども含め、意見が一致し、お互いにニコニコと笑いながら握手していた。

しばらくしてアンジュラは眠り、私とエルマー2人でさらに飲み続ける。お互いに1本飲み干し、2本目はさすがに半分ずつにした。そして12時を過ぎたころ、お開きとした。

バーギッシュ・グラートバッハ、エルマーのご両親宅にて

*この旅日記は2005年のものです。

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2015年1月28日 (水)

母73才、初めての海外へ 10日目その5 『再会した人たちと』(再掲)

メヒティルトは、来客にビールなどをサービスしていた。同僚の祝い事なので、お手伝いを頼まれていたようだ。すると、テントの下のテーブルにいた女性2人を見てアンジュラが、「メディーナとモニカだわ」と言って近づく。よく見るとその2人、カーニバルのときにもいたような・・・?!アンジュラにそう訊くと、「Ja !(そうよ!)」と答えた。

アンジュラがまず2人に声をかけ、そして私が、
「Hallo ! Kennen Sie mich ?(こんにちは!私を覚えていますか?)」と尋ねると、最初は怪訝そうな顔。しかしアンジュラが、
「昨年、カーニバルに来ていたわよ」と彼女らに話すと、2人とも、
「あー、思い出したわ!あの時来ていた日本人よネ!」と、驚きながらも、覚えていてくれた。
「またドイツへ来ていたの?よかったら、ここ座る?」と言って、場所を空けてくれた。

私は彼女らが空けてくれた椅子に座り、「Prost !(カンパイ!)」と言いながら皆でビールを飲み交わす。彼女たちはタバコを吸っていたので、
「Ist hier Raucherplatz ?(ここは喫煙してもいい席なの?)」と、ドイツ語で訊ねると、まさか私がドイツ語を話すとは思っていなかったのか、「エッ!なに?」と訊き返され、再びドイツ語でそう訊くと、
「えぇ、そうよ!あなたもタバコ吸う?」と答えながら、灰皿を私が届くところへ移動してくれた。そして、
「ドイツ語、話せるの?」
「Ja ! Aber nur ein bißchen...(ええ、でも少しだけですよ)」と答えたのだが、アンジュラが、
「そんなことないわよ。ほとんどドイツ語で会話しているから!英語なんて使ってないわよ」と、彼女らに話すので私もはにかみながら、うなずいていると、2人とも、
「凄いじゃない!」と、ビックリしていた。
そして私も、やっと一服、タバコを吸い始めた。

昨年、カーニバルでお会いした人々とこうして再び出会うことができたのは、とてもラッキーだ。しかも、会話ができる。以前は自己紹介ぐらいしかできなくて、まったく話せなかったから、本当に嬉しい。メディーナもモニカも、私がドイツ語が多少理解できると分かり、どんどん話しかけてくれる。少しでも言葉ができる、それだけで”よそ者”ではなく”仲間”として見てくれるのだ!かつてネパールでも感じたことを、ここドイツでも感じることができた。ほんのわずかな片言でも、話せる話せないの差は大きいんだ!

しばらくして、お手伝いしているメヒティルトが、ずっと傍に付いているお嬢さんのクリスティーナに、「ここに座ってなさい」と、私の正面に座らせた。そして私のグラスが減っているのを見て、
「Dsching ! Noch einmal ?(ジン!もう一杯どう?)」と、グラスビールを置いていく。私も、
「Danke !(ありがとう!)」と言って、さらに飲み続ける。目の前に座ったクリスティーナも、他の方からビールをいただいて飲み始めた(ドイツでは、ビールは16才から飲んでもよい。親が一緒であれば、14才から可)。

しかし、しばらくして再び我々のテーブルへやって来たクリスティーナの母親、メヒティルトは、娘がビールを飲んでいるのを見て、
「ちょっと?!クリスティーナ!あなたは何を飲んでるのよ?!あなたの飲み物はこれでしょ?!」とでも言ったようで、オレンジジュースを置いて行った。クリスティーナは、不満そうな表情で口をとがらせていたが、母親(メヒティルト)がその場を離れると、「チャンスだ!」とばかりに、半分残っていたビールにオレンジジュースを混ぜ出した。これならば、ビールが混ざっているとは気づかれまい。私は笑いながら、
「Oh ! Gute Idee !(おぉ、ナイスアイデア!)」と言うと、彼女も、
「Ja !(でしょ!)」と、可愛い笑顔で答える。
「Aber...ist das lecker ?(でも・・・、おいしい?)」と訊くと、
「Ja ! Lecker !(えぇ、とてもおいしいよ!)」と、ニコニコしながら答えてくれた。

せっかくなので私は、メディーナとモニカの写真を撮ろうとしたらアンジュラが、「ジン!私が撮ってあげる!」と言うのでカメラを渡す。メディーナは、「(私と)2人だけで撮って!」と言っている。するとすぐそばで、メヒティルトとクリスティーナがその様子を見ていたので私は、とりあえず拙いドイツ語で、
「Hey ! Komm! Zusammen Foto nehmen !(ヘィ!おいでよ!一緒に写真撮ろうヨ!)」と誘うと、すぐに一緒に加わって、再会した人たちと仲良く一緒に写真を撮った。

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この前年に出会った人々と!左から、モニカ、メディーナ、私、メヒティルト、クリスティーナです。クリスティーナ、とても可愛いでしょ?!

*この旅日記は2005年のものです。

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2015年1月27日 (火)

母73才、初めての海外へ 10日目その4 『もう1つのパーティー』(再掲)

エルマーのご両親宅にいったん戻って、しばらくテレビでサッカーを見ていた。母はまだこの後、2つのパーティーに参加するのは「疲れるだろうから、部屋で休んでいる」と言う。それでは皆に申し訳ないので、私は「初めての海外旅行で、ちょっと疲れがあるみたいだ」と答えておいた。エルマーのパパ・ハンスは、母のためにカモミールティーを作ってくれた。

私とエルマー、アンジュラはもちろん出かける。次は2週間後に結婚を控えた友人のパーティー(Polterabend;婚礼の前夜祭)だそうだ。私はそこで、意外な人たちと再会を果たすことになる。

会場についてまず驚いたのは、それぞれ各家庭から持ち寄った食器などを、投げ割ってしまうことだ(悪魔払いのため、花嫁の家の前で、壷、食器などを砕く儀式)。参加者は皆そのようにしている。エルマーとアンジュラももちろん用意していて、持ってきた食器を私にも渡して、投げ割る。

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こんな感じで”悪魔払い”の儀式が行われます。上の写真の奥の方で、ビールを飲みながら人々がパーティーを楽しんでいました。

花婿と花嫁に会い、「Herzlichen Glückwunsch !(おめでとうございます!)」と挨拶する。そして次に、アンジュラがとても親しげに声をかけた女性を見て「あれっ?」と思った。アンジュラが「ジン、彼女のこと覚えている?」と訊く。もちろん覚えている。彼女はアンジュラの同僚 Christiane(クリスティアネ)で、私を快く迎えてくれた。するとアンジュラが「花婿は彼女の息子さんよ」と言うので、私はあわててクリスティアネにも、「Herzlichen Glückwunsch !」とお祝いの言葉を告げた。彼女も「Danke schön !(ありがとう!)」と答えてくれた。

クリスティアネとは昨年のカーニバルでお会いしていて、その時はピエロに仮装していたのを覚えている。彼女は私が母も一緒に連れて来ていることをアンジュラから聞いて知っていたようで、この場に来ていない母のことを尋ねられた。もちろんドイツ語で、である。私は「初めての海外旅行で、ちょっと疲れているみたいで、休んでいるのです。」と、アンジュラのフォローもあったが何とかドイツ語で答えた。すると、母のことをとても心配してくれた。

そして奥へ行くと、たくさんの人々がビールを飲みながらパーティーを楽しんでいる。するとまた一人、見覚えのある顔が!アンジュラの同僚の Mechtild(メヒティルト)だ。彼女も私に
「Hallo Dsching ! Wie geht's ?(ハロー、ジン!元気?)」と、やはりいきなりドイツ語で声かけてくれた。私もドイツ語で
「Danke, sehr gut ! Und du, wie geht's ?(ありがとう、とても元気です!あなたは?元気でしたか?)」と答えると、彼女も
「Danke, ich auch !(ありがとう、私もよ!)」と言い、アンジュラに、
「ちょっとアンジュラ!ジン、本当にドイツ語話せるじゃないの?!」とでも言っているようだ。アンジュラも、これぐらいの会話は当然!といった表情で「Ja !(でしょう!)」と答えていた。

メヒティルトのすぐ横で、私たちの会話をニコニコしながら見ている若くて可愛い女の子がいた。まだ15~6才ぐらいだろうか?声かけて良いものか迷っているとメヒティルトが、
「Meine Tochter !(私の娘よ!)」と、一緒に来ていた娘さんを紹介してくれた。
「Oh ! Deine Tochter !(オォ!あなたのお嬢さん!)」と私も答え、お嬢さんに、
「Ich bin Dsching aus Japan.(私は日本から来た、ジンと言います。)」と自己紹介すると、彼女も、
「Ich bin Christina.(私はクリスティーナです。)」と答えてくれた。
「Oh Christina ! Ich freue mich, dich kennen zu lernen.(おぉクリスティーナ!お会いできて光栄です。;はじめまして、よろしく!)」と言うと彼女も、
「Ich auch !(私もです!)」と握手しながら、笑顔で答えてくれた。

この会話を聞いていたメヒティルトは、さらに驚いてようで、私に「ジン!あなた本当にドイツ語上手になったじゃないの!」と話していた。私も「Ja ! Danke !(でしょ!ありがとう!)」と答えた。

*この旅日記は2005年のものです。

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2015年1月22日 (木)

母73才、初めての海外へ 10日目その3 『バーベキューパーティー』(再掲)

母は、ビニールプールで遊んでいる子供たちを見て、「あの子たちと一緒に写真、撮りたいなぁ!」と言うので、私はアンジュラに、「Meine Mutter sagt, sie möchte mit Kinder zusammen Foto nehmen.(母が”子供たちと一緒に写真を撮りたい”と言っているんだ。)」と言うと、アンジュラは理解してくれたようで、子供たちのところへ行って話しかけている。そして「ジン、OK!」と言うので、母と子どもたち、一緒に写真を撮る。

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母と、可愛いドイツの子供たち。

ふと気づいたのだが、ティナもこの小さな子供たちもみんな女の子で、とてもカワイイ!私は暑さのせいもあり、ずいぶんビールをいただいたり、自分から注ぎに行ったりもしていた。母もビールやジュースを頂いていた。

アンジュラのお兄さんは、ステーキやソーセージなどのバーベキューを持ってきて、私に「どうぞ、食べなよ!」と、振る舞ってくれた。たまらなく、ウマイ!思わず笑みがこぼれる。彼の同僚の男性2人が我々のところへ挨拶をしに来てくれた。彼らもやはり最初は英語で「Hallo ! Are you Japanese ?」と尋ねてきた。私が「Ja ! Wir sind Japaner !(ええ、日本人ですヨ!)」とドイツ語で答えると、彼らは嬉しそうに、「Oh ! Können Sie Deutsch sprechen ?(おぉ、ドイツ語が話せるのですか?)」と言い、私も「Ja ! Aber...nur ein bißchen !(えぇ、でも少しだけですヨ!)」と答えた。彼らは自己紹介をし、しばらく会話を楽しんでいた。母は「挨拶しに来るだけ、えらいナァ!」と喜んでいた。

やがてアンジュラが、「着物を着たい。」と言い、母とアンジュラのお母さんの3人で家の中へと行き、母に着付けをしてもらって着物に着替えてきた。彼女のお母さんに見せる初めての姿だ。お母さんも喜んでくれたようで、写真を撮ってあげる。

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着物を着たアンジュラと、母親たち。

そして我々はこの日は他にも予定があるので、帰ることにする。帰り際、アンジュラのお母さんへはもちろん、お兄さんへもきちんと挨拶する。「おいしい食事とビール、本当にありがとうございました。さようなら!またお会いしましょう!」と。

*この旅日記は2005年のものです。

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2015年1月21日 (水)

母73才、初めての海外へ 10日目その2 『アンジュラの実家へ』(再掲)

そして夕方近くになって、まずアンジュラの実家へ行く。まだアンジュラのお母さんに着物を見せていなかったからだ。4人でアンジュラの実家へ行くと、家の前には何台もの車が?!庭からはなんともいい匂いが漂ってくる。アンジュラのお兄さんの会社の人たちが大勢来ていて、広い庭でバーベキューパーティーをしている真っ最中!

アンジュラのお母さんもそちらにいたので、我々も庭へ入る。アンジュラのお兄さんはバーベーキューを焼いていて、皆ビールを飲んだり料理を食べたりしていた。私もお兄さんとは面識があるので、「Hallo ! Guten Tag ! Lange nicht gesehen ! Wie geht's ?(ハロー、こんにちは!久しぶり!お元気でしたか?)」と挨拶しながら握手を交わし、母を紹介する。彼はこのパーティーに我々を快く迎え入れてくれた。

この日は気温も高く、汗ばむほどの天気だったこともあり、庭にはビニールプールも用意され、子供たちが水着になって元気よく遊んでいる。アンジュラのお母さん、Gertrud(ガートルート)もパラソルの下でのんびりしていた。彼女は我々に気がつくと、とてもにこやかに迎えてくれた。傍らには Rex(レックス)もいる。年老いたシェパードだが、とても人懐こく賢い。

我々もビール、そしてホワイトソーセージやサラダなどをいただき乾杯する。とても美味しい!そういえば、私はここアンジュラの実家には、もう何度も来ているのだが、なかなか写真を撮る機会がなく、アンジュラのお母さんとはまだ一度も写真を撮ったことがない。さすがにこの日はシャッターチャンス!何枚も皆の写真を撮る。

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アンジュラ、アンジュラのお母さん・ガートルート、母とエルマー。

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エルマーとレックス。レックスは私とも仲良しでした (^_^)/ 。

しばらくしてエルマーはレックスの散歩へと行く。私にもここへ来るたびいつも一緒に散歩していたので「一緒に行くかい?」といつも通り誘うのだが、母一人では会話ができないと分かっていたから「ごめん!今日はここにいることにするよ。」と断った。

ビニールプールでは相変わらず3人の小さな子供たちが、歓声をあげてはしゃいでいる。この子供たちも可愛いが、姪の Tina(ティナ{Bettina;ベッティーナ})たちもビキニに着替えて、昼下がりの午後のひとときを楽しんでいる。まだ14~6才ぐらいかと思うが、それにしてはとても色っぽくて黒やブルーのビキニがとても良く似合っている。日本の女の子たちとの違いを感じる。

*この旅日記は2005年のものです。

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2015年1月20日 (火)

母73才、初めての海外へ 10日目その1 『マルクトへ』(再掲)

6月18日(土)晴れ
バーギッシュ・グラートバッハ

 さて、この日はドイツ滞在の最終日。早いものだ。いつもどおり朝9時から朝食にする。こちらでは朝食時、話をしながらゆっくり楽しく過ごす。この朝の話題は、昨夜のバーでのこと。エルマーが、日本へ来たことがある男性の、新幹線の中での失敗談を皆に話している。私も、「Ja,ja. Ganz genau.(そうそう、まったくその通り。)」とうなずく。母にも日本語で説明する。

朝食を終え、午前中は母に絶対に見せておきたかったマルクト(毎週水・土曜日にマルクト広場で開かれる青空市場。午後1時まで。)へ、エルマー・アンジュラとともに4人で行く。先週の土曜日は来なかったので、母にとって最初で最後のチャンス。

マルクトでは野菜、果物、肉、ほんの少しだが魚もあり、ハムやソーセージ、チーズなどの食料品のほか、日用雑貨、衣料品、何でもそろっていて、見ているだけでも楽しい。色々物色していたが結局買ったのは、母のTシャツのみ。母はこれをカラオケに着ていくらしい。

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バーギッシュ・グラートバッハのマルクトにて、母とエルマーの姿、わかりますか?

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お花屋さんも出ています。苗もあれば切り花も売っています。

マルクトの次は肉屋さんへ行った。Leberwurst(リーバーヴルスト;パンに塗るレバーペーストで、とてもおいしい)を買いたかったのだが、たぶん「悪くなる(腐る)から、ここで買うのはやめたほうがいい」と、エルマーは言っていたようだ。そして雑貨屋へ行き、彼らは素敵なティーセットを買った。

そして車に乗り Supermarkt(スーパーマーケット)へ。日本へ帰ってからも味わいたいドイツの味を買うためだ。Leberwurst(リーバーヴルスト)や Würste(ソーセージ)、Schnaps(シュナップス;蒸留酒の1つ。)を買うことにする。シュナップスは食後によく飲まれるもので、消化を助ける作用があり、数種類のハーブやサクランボから造られたものなど、種類は豊富だ。アルコール度数は35~40度前後とやや高い。私はハーブから造られたシュナップスを選んだ。

クレジットカードで支払おうとしたのだが、ここでは現金しかダメだそうだ。仕方なくエルマー達に立て替えてもらった。本当ならこの後、銀行で現金を引き出して彼らに代金を返した買ったのだが、この日は銀行も休みだ。

いったん戻って昼食とし、少しお昼寝タイムを取る。買ってきたリーバーブルストなどは一晩、冷蔵庫へ保冷してもらう。ツェルで買ったお土産のワインは割れないように、帰国後に洗濯するTシャツにくるんで、スーツケースに収める。

*2004年に訪れた時のマルクトの写真、紹介いたします。

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いかがですか (^o^)?バーギッシュ・グラートバッハの街のマルクト、この時(2004年)は小雨模様の天気で人出も今一つでしたが、何でも売っていてとても楽しいところでしたヨォ (^o^)/!少しだけでも雰囲気、伝われば・・・confident

*この旅日記は2005年のものです。

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2015年1月15日 (木)

母73才、初めての海外へ 9日目その5 『ブラオハウスⅡ』(再掲)

しばらくすると、隣で飲んでいた初老の男性が私に英語で「Are you Japanese ?」と、話しかけてきた。私は、「Ja ! Ich bin Japaner.(ええ、日本人です)」とドイツ語で答えるとその男性はとても驚いていた。これで何度目だろうか、英語で声かけられてドイツ語で答えたり、初めからドイツ語を使い、そのたびに驚かれたのは?

この初老の男性は、日本へも来た経験があるそうで「札幌、青森、仙台、東京・・・、こんにちは、ありがとうございます。」など、日本の地名や知っている日本語を披露した。東京や札幌は知っていても不思議はないが、仙台、まして青森は来日経験がなければ、まず知らないだろう。彼は私がドイツ語を少しだけ理解できることが分かって、驚くとともに喜び、その後はお互いにドイツ語で会話した。

「日本であるとき、新幹線の中で ”Zeitung” を読んでいたら・・・、”Zeitung” って解かるかい・・・?」
「Ja ! Zeitung ist auf Englisch "Newspaper" !(ええ、新聞のことでしょ!)」
「そう、その通り!で、新聞を読んでいたら、周りの人たちが私を見て笑っていたんだ。どうして笑っているのか分からなかったのだが、隣の人が教えてくれたよ。”(上下)逆だよ”って。」

つまり彼は、日本の新聞を”読んでいる”ふりをしていたようで、そのために周りの人に笑われてしまったことがある、と話した。私もエルマーも、この話に大笑い!彼は私に、私が今の話を本当に理解しているか、念のために訊ねた。私はドイツ語と英語、ジェスチャーで”こうこう・・・、こうだったんでしょ?”という感じで言うと、「そう、その通り!ちゃんと理解してくれてとても嬉しいヨ!」と喜んでくれた。彼はこの話をドイツ語で話していたのだが、ジェスチャーもあったので私は完璧に理解することができたのだ。

彼の連れ(実は、息子さんだった)が煙草を吸おうとしたのだが、ライターの火が点かず、「ライターを持っていますか?」と彼はドイツ語で訊ね、私がライターを貸したら日本語で「ありがとうございます」とお礼を言ってくれた。

でも、たまたま飲みに来た片田舎のバーで、こうして日本へ来たことがある人と出会えるとは、全く想像さえしていなかった。きっと彼も同じだろう。こんなところで飲んでいる日本人がいるとは、思ってもいなかっただろう。彼はその後、知り合いが来ていたようで、そちらへと場所を移した。

深夜12時を過ぎたころ、帰ることにする。エルマーが「彼に挨拶しておくかい?」と訊くので私も、「そうだな!挨拶してから帰ろう」と答え、彼が飲んでいるテーブルへ行き、
「Ich komme schon zurück. Danke schön. Auf wiedersehen !(僕はもう帰ります。ありがとうございました。さようなら!)」と挨拶をする。彼も、
「帰るのかい?そうか、元気でな!また会おう!」と答えてくれ、堅く握手した。
彼は、もしかしたら教師か大学の教授なのか、若くてとても綺麗な女性たちと一緒に飲んでいた。お別れの挨拶をしに行ったのだが、女性たちは「Hallo !」と笑顔で、握手をしながら挨拶をしてくれた。

私とエルマーは、家路へと向かった。帰宅すると、母もアンジュラも、エルマーのご両親も、すでに床に就いていた。

バーギッシュ・グラートバッハ、エルマーのご両親宅にて

*この旅日記は2005年のものです。

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2015年1月14日 (水)

母73才、初めての海外へ 9日目その4 『ブラオハウスⅠ』(再掲)

皆で夕食を食べ、エルマーの誘いで私と彼の2人で、その後また外出した。どこへ行くかというと、Blauhaus(ブラオハウス)、つまりバーである。

Odenthal(オーデンタル)にあるブラオハウスは、夜10時というのに、すごい賑わいだ。この季節、夜が遅いからか、それとも最近暑かったし、また明日が休みということもあるのだろう、とにかくすごい人だ。日本なら、「もうそろそろ帰らねば!」という頃で、ある程度空いてくるのだが。テーブル席は空いてなく、カウンター席で立ちながら飲むことにする。

この店は、最近オープンしたばかりの新しいバーのようで、「じゃあ俺は、このバーへ来た初めての日本人かな?」と言うと、エルマーも「たぶんそうだろう」と言う。このバーには、バイエルン(ドイツ南部の州;ミュンヘンやノイシュヴァンシュタイン城もこの地方)のビールもあるそうで、エルマーの勧めでまずそれを飲んだ。

うーん、うまい!!コクがあって味が深い!ものすごくうまい!!この味を知ってしまうと、日本のビールはとてもじゃないが、まずくて飲めない。

ウェイターたちはとにかく、ムチャクチャ忙しそうだ。休む間もないだろう。あまりにもバタバタし過ぎていて、ビアグラスを落として割ってしまったことも1度や2度ではない。この店では、ビールのコーラ割りも出している。女性客が好んで注文しているようだ。そういえば、ミュンヘン駅のキオスクで買ってアウクスブルクからの列車の中で飲んだなぁ、コーラビール!初めはコーラ、しかし喉越しはビールの味がしたっけ。でもここでは飲まなかった。

エルマーが、「ジン、あれを食べてみるかい?」と言って、我々はおつまみ、というには大きすぎるが、パンの上に玉ねぎとリーバーヴルストのような生の肉(生ハムのミンチ?)が載ったものを注文した。ウェイターは私に「Japanische Suschi.(日本の寿司)」と言っていた。たしかに、パンの上に生の肉が載っているから、日本で言うなら寿司みたいなものだ。これがスパイスが効いていて、とても美味しい!

そしてもう1品、真っ黒に焼けたもの、実はハンバーグ。しかし形は楕円球だ。これもすごく美味しい。ビールには、とても合う味だ。

*この旅日記は2005年のものです。

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2015年1月13日 (火)

母73才、初めての海外へ 9日目その3 『レーバークーゼンにて』(再掲)

Altenberg(アルテンバーク)からは Leverkusen(レーバークーゼン)の街にある日本庭園へ。ここは世界的に有名な製薬メーカー” Mayer(マイヤー)”の工場がある街だ。このマイヤーの広大な敷地内の広場に、日本庭園がある。私はやはり昨年もここへ連れて来てもらったのだが、季節が冬であいにく閉園していて、小さな門の外からしか中を見ることができなかった。だが今回、この季節は遅くまで開いていて、見学することができた。

神社の鳥居や狛犬、銀閣寺を思わせる仏閣、池には鯉も泳いでいる。何と、本物の鶴もいた。それら一つ一つをエルマーに説明する。エルマーは鯉を見て、
「ジン!あれを捕まえて今夜食べるかい?」と冗談を言う。
「Oh, gute Idee ! Einen moment...(オォ、ナイスアイデアだ!ちょっと待っててくれ・・・)」と、冗談で鯉を捕まえるふりをする。エルマーとともに、大爆笑だ!

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日本庭園で、母とエルマー。

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日本庭園の池の前で。

また73年前に建てられた日本女性の石像もあり、ちょうど母が生まれた頃のものだった。その姿は、日本髪を結って着物を着ている。その当時の日本女性の姿なのだろうか、私はエルマーに「Japanische "Geischa Girl"...(日本の”芸者ガール”・・・)」と説明した。そして狛犬は「Japanische Löwe.(日本のライオン;獅子)」と説明した。まぁそんなようなものだから。

そして、レーバークーゼンの街の中心地にある商店街へ行く。私は Saturn(ザトゥーン)という電気屋の中のCDショップへ行きたかった。これはエルマーも十分に承知していて、それどころか私のお目当てのスターも分かってくれていた。私はそこで Yvonne(イヴォンヌ)と Nena(ネーナ)を探す。前回来た時にも買ったのだが、新しいCDやさらに良い物はないかと思って探す。

イヴォンヌは新しいCDが出ていたし、シングルも2枚見つけた。ネーナはライブバージョンも含めて2枚組のCDがわずか8ユーロ(≒¥1120)と、とても安い。前回買ったCDとダブる曲も少しだけあるが、それがすべてお気に入りの曲(だから曲名を覚えていた)。店のお勧めCDを試聴できる機械があり、そこにもこのCDがあったので、幸い試聴することができた。ネーナの曲の中で私の一番のお気に入りの曲、♪Irgendwie,irgendwo,irgendwann♪を聴いてみると、やっぱりいい!しかも、ライブだ!エルマーに「Das ist mein Lieblingslied.(これは私の大好きな曲だよ)」と話すと、彼も「これはいい曲だよ!」と言っていた。これはぜひ買いたい!躊躇することなく買うことにする。全部で30ユーロ(≒¥4050)ほどしたが、日本では手に入れにくいから、ここで買っておかないと!

そしてカフェで休憩し、CDを買って現金が少なくなってしまったので、20ユーロ引き出した。カフェでの飲み物代は、もともと私がタバコを吸いたいという理由だったし、現金も下ろしてきたばかりなので、もちろん私が支払うことにした。

そして、「筋肉痛で足が疲れている。」と言う母のために薬局へ行く。エルマーにそう話すと、「俺も一緒に行った方がいいかい?」と訊くので、せっかく一緒にいるのだし、念のために「ゴメン、一緒に来てくれるかい?」と答え、3人で薬局へ。母は湿布薬が欲しかったらしいのだが、ドイツ語で湿布って何ていうの?英語でも分からない!でも、エルマーの助けもあって、筋肉痛に効く塗り薬を買うことができた。そして家路へと就く。

*この旅日記は2005年のものです。

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2015年1月 8日 (木)

母73才、初めての海外へ 9日目その2 『アルテンバークへ』(再掲)

食後、私はエルマーに
「Übrigens...Elmar. Was machen wir heute ?(ところで・・・エルマー。今日は何をするんだい?)」と尋ねると、彼は、
「Oh ! Ich weiß nicht !(エッ!知らないよ!)」と答えるじゃないか!
「Haah ! Wie bitte ?(ハァ!何だって?)」と私も苦笑いしながら、さらに、
「Oh, nein !(そりゃないよ!)」と返す。
本当は彼なりに考えているのだが・・・、まったくもう!相変わらず冗談が好きな奴だ。というか、皆は大笑いしていた。

しばらく休憩し、3時ごろからこの日はエルマーの車(アウディ・クアトロTT)で3人で出かける。アンジュラは「Ich muss hausarbeiten.(家事をしなければならない)」と言うので、一緒に出かけられなかった。エルマーの車はリヤシートのルーフが低く、大人は頭がつかえて乗れないのだが、背の低い母にはちょうどいい。エルマーも「ぴったり乗れるよ。私のママと同じだよ。」と笑っていた。

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エルマーの愛車、アウディ・クアトロTTで近隣のドライブに出かけます。

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↑ の自宅前を左へ5分ほど歩くと、このような牧場があります。(2004年撮影)

まず最初に、アンジュラの実家がある Odenthal(オーデンタル)からもう少し先へ行ったところにある Altenberg(アルテンバーク)の教会へ。私は昨年(2004年)も来たのだが、その時は内部を含めて所々、工事をしていた。が、今回はほぼ終わっていた。中へ入ろうとしたら入口に貼り紙があり、それによると16時にならないと開かないようだ。土産物屋(本や小物、おもちゃなどが売られていた)を見たり、周りを散歩したりして、開くのを待つ。アンジュラはずいぶん前、この敷地内のレストランで仕事をしていたことがあるそうだ。しかし、毎朝4時に出勤しなければならず、あまりに大変だったので辞めたのだそうだ。

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正面から見たアルテンバーク教会。奥行きもあり、とても立派です。

そうこうするうちに夕方4時になり、教会の入口が開いた。中へ入ると、ステンドグラスが見事だ。「このために工事をしていたのかな?」と思った。しかし、前回は見られなかった姿を今回見られたのはとても嬉しいし、何度も来て良かったと思う。讃美歌の演奏のためと思われるオルガンは、かなり古いもののようで、いやでもこの教会の歴史を感じざるを得ない。

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教会内のステンドグラス。素晴らしかったです。

*この旅日記は2005年のものです。

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2015年1月 7日 (水)

母73才、初めての海外へ 9日目その1 『自由気ままに』(再掲)

6月17日(金)くもり
バーギッシュ・グラートバッハ

 この日はエルマーもアンジュラも、昼すぎまで仕事。我々は昨日までの旅の疲れもあり、ゆっくりと寝かせていただく。朝9時、朝食をいただき、その後もこの日は休憩に充てる。母は「昼すぎまでベッドで横になっとる」と言う。しかし、私は何となく手持ち無沙汰で11時過ぎからブラブラと散歩へ。

街の中心部 Zentrum(ツェントルム;英語なら Central)までは、歩いておよそ30分。商店街を見て周り、センターショップという名のディスカウントショップへ。ここは日用雑貨や衣料品、食品まで扱う激安店だ。以前にも来たことがあり、何か手頃なお土産はないかと探していたところ、コースター付きのテーブルマットのセット(4枚1組でわずか1ユーロ≒¥135)と、テディベアではないが小さなクマのぬいぐるみ(1.5ユーロ)があったので買うことにした。
そして帰ることにする。この日は湿度が高いのか、帰りの登り坂では、汗が出てくる。白いTシャツにベストの色が汗で染み付く。

帰宅後しばらくして、エルマーとアンジュラも仕事を終えて帰って来て、皆揃って昼食。この日は、パスタと肉が入ったグラタンとサラダ。見た感じ、カロリー高そう!

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昼食に並んだ料理。皆で分け合って、いただきます (^_^)!

そういえば、皆でそろって写真を撮っていなかった(いつも誰かがカメラマンになっていた)ので、三脚を使って撮ることにしたのだが、三脚の高さが足りない。パパが「ジン、三脚をこの上に載せるといい。」と言って、台を持ってきてくれた。その上に三脚を載せ、カメラを固定する。我々6人、皆揃ってにっこり笑って写真を撮った。

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6人全員で撮った写真は、これ1枚だけでした (;_;)!もっと撮っておくべきでした。
左手前から、私・アンジュラ・母、右手前から、エルマー・パパ(ハンス)・ママ(アンナ)。

グラタンは、すごく美味しかった。そして、ツェルの白ワインがまた、グラタンにすごく合っていた。

*この旅日記は2005年のものです。

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2015年1月 6日 (火)

母73才、初めての海外へ 8日目その4 『再びエルマー宅へ』(再掲)

そして駅のほうへと戻る。列車の発車時刻を考えながら、途中で雑貨屋に立ち寄ったり、ウインドーショッピングを楽しんだりして、結局は何も買わなかったけど、母にはこれも一つの異文化体験になったことと思う。

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ヴュルツブルクの街から!

ヴュルツブルク駅構内で、列車内の飲み物の買い出しをし(電話のための小銭が必要だったことが、最大の理由)、エルマーの携帯に電話をする。
「Wir sind jetzt in Würzburg. So kommen wir nach Bergisch Gladbach etwa um 6 Uhr.(私たちは今ヴュルツブルクにいます。バーギッシュ・グラートバッハへは6時ごろ着きます。)」と伝える。

ヴュルツブルクから ICE特急で Köln(ケルン)へと向かう。この列車はケルン中央駅ではなく、ライン川をバーギッシュ・グラートバッハ側に越えた最初の駅、ケルン・メッセ駅で停車する。より時間がかかるライン川沿いではなく、新しい幹線を行くので中央駅は通らないのだろうか?いや、それだったらフランクフルト国際空港からケルン中央駅間も、新しい幹線を走っていたし・・・?ヴュルツブルクから2時間15分ほどで到着。そしてSバーン(近郊列車)に乗り換え、バーギッシュ・グラートバッハへ。エルマーが駅まで迎えに来てくれることになっている。

6時半ごろ到着してエルマーと合流。私は電話で「6時ごろ」と言っていたので30分ほど待たせたのでは?と思い「ごめん、ごめん」と謝ったが、彼は「いいよ、いいよ」と笑って迎えてくれた。そして彼らの自宅へと戻る。

ノイシュヴァンシュタイン城で買ったカレンダーをお土産に渡す。アンジュラのご実家のお母さんの分も渡すと、「今度行くときに、直接渡した方がいい」と言われ、そうすることにする。

そして夕食。この日はママ(エルマーの母)がピザを焼いてくれていた。食べる前にママは母を呼び、ピザを見せて「大丈夫?食べられる?」とジェスチャーで訊ねたらしい。母は「OK!OK!」と答えたそうだ。ピザなんてほとんど食べたことがない母、「もしかしたら・・・?」と思い旅に出る前、スーパーで市販のピザを買って食べさせてみた甲斐があった。
ママの手作りピザは、マッシュルームなどが載ったとても美味しいピザだ。私自身、ママの手作りのピザをいただくのは、2回目だ。美味しいピザをいただきながら、南ドイツの旅の報告をする。エルマーは
「ケルンでちゃんと”ジャーマンレールパス”を買えたかい?」と尋ねる。
「もちろんだよ!ミュンヘン駅の案内所では”ドイツ語が上手だ”と褒められたヨ!」
アンジュラは、私たちが何を食べたかが気になったようで、
「昨日は母はスパゲティで、私はシュヴァイネハクセを食べたヨ!」と話すと、皆
「Oh ! Schweinehaxe !(エッ、シュヴァイネハクセを!)」と驚いている。
アンジュラは私が初めて訪れたときのことを思い出していた。この地方ではシュヴァイネハクセのことをアイスバインとも呼ぶのだが、その時にご馳走して頂いたのだ。1人で食べきるのは大変なのだが、今回は残さず食べきったことを話すと、皆本当に驚いていた。

その後、外でお隣に住む若いご夫婦 Anna(アンナ)と Henry(ヘンリー)と出会った。初対面の挨拶を交わす。彼らの車はシトロエン(フランス車のメーカー)のクラシックカーで、とてもカッコイイ車だ。「ウワーッ!これはいい!」と私も納得!許可を得て、写真を撮らせてもらった。彼らはこれから休暇の旅に出るらしい。

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とてもシブイ『シトロエン』のクラシックカー!

我々はこの日、これ以上の予定もなく、母がつかれているだろうから、早めに眠ることにする。

バーギッシュ・グラートバッハ、エルマーのご両親宅にて

*この旅日記は2005年のものです。

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2015年1月 1日 (木)

新年のご挨拶

皆様・・・

         あけましておめでとうございます

本年もどうぞよろしく

   お願いいたします

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2015年 元日

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