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2014年10月

2014年10月30日 (木)

母73才、初めての海外へ 4日目その3 『ワイン&ティーパーティー』(再掲)

やがて、店内にテーブルと椅子を並べ、午後のティーパーティー。ケーキとタルトが並び、コーヒーや紅茶、もちろんワインもありだ。イチゴのケーキが美味しそうだ。8人がそれぞれ好きな飲み物を持って「Prost !(カンパイ!)」し、ケーキやタルトをいただく。昼食からまだあまり時間がたっていないから、お腹は減っていないのだが、それでもイチゴのケーキをいただいた。母もせっかくなので、一ついただいた。

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ケーキにタルト、美味しいワインとコーヒー、たまりません (^_^)!

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好きなものを飲んで、乾杯!

それにしても、首尾よく用意されていたものだと思ったのだが、どうやらこの日来ることを聞いていたようだ。日本から私と母が来ることは知らなかっただろうが・・・。パパたちはこの店でいつもワインを大量に買い、なくなると空ボトルを持ってきて、その本数分だけ買うらしい。今日は私たちのリクエストと合致したのか、ちょうどその予定で、また新たに買い求めていくようだ。
パパが持って来ていた大きなナイロンのバッグには、数十本のワインの空ボトルが入っていた。ただし彼らが買うのは、まだラベルが貼られる前のもの。エルマー曰く「非合法の取引」なのだそうで、まだ『商品』になっていないもの、つまり課税されないのでその分安くなっているらしい。そういえば、パパとママの自宅、エルマーたちの自宅でいただくワインのボトルには、何のラベルもなかった。

アンジュラは着物を持参していたようで、母が着物の着付けをする。アンジュラの着物姿に、お店のユッタお母さんは「Oh ! Wunderbar !(まぁ!ステキ!)」と笑顔だ。日本の着物を目の前でこうして見ることは、滅多にないだろう。それだけで嬉しそうだ。

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着物を着たアンジュラ。ワインをグイッ!

そして「Dsching, wir gehen spazieren.(皆で少し散歩しよう)」とアンジュラ。そこで、母とアンジュラ、ママ、ユッタお母さん、そしてカメラマン役の私の5人でツェルの街を歩く。中心部からモーゼル川沿いのプロムナード。さすがにアンジュラのこの着物姿は注目の的。通りがかりの人たちは皆、目を見張らせている。声をかけてきたご婦人たちもいて、アンジュラと話をしている。ご婦人たちのご主人に着物を見た感想を訪ねてみると、「後ろのデザイン(帯)が素晴らしい。それに色も素敵だよ」と話してくれた。アンジュラはすっかりご満悦だ。プレゼントした我々も、とても嬉しい。

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4人仲良く並んで、歩いています。

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モーゼル川遊覧船も、ここから出ています。

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アンジュラの着物を見て、声をかけてきたご婦人たちと。

散歩からお店へと戻り、なおも皆でワインを飲み続ける。そして私と母もお土産に赤2本(1本4.5ユーロ≒620円)白3本(1本3.5ユーロ≒470円)のワインを買う。5本しか買わない私にエルマーが「Warum ?(なぜ?)」と尋ねる。「Ich möchte Schnaps kauchen.(シュナップスを買いたいんだよ)」と答えると、「Oh ! Schnaps ?(えっ!シュナップスだって?)」と笑っている。日本へは2人で6本しか持ち込めないので、あと1本は Schnaps(シュナップス;蒸留酒、食後によく飲まれる。消化に良いと云われ、ハーブから出来たものやサクランボから出来たものなど、種類は豊富。)を買うつもりなのだ。しかしユッタお母さんは、皆にワインを1本ずつプレゼントしてくれた。するとこれで計6本だ。シュナップスが・・・。ユッタお母さんは、私と母にツェルのワインのトレードマークでもある黒猫の置物もプレゼントしてくれた。

最後に、このお店の寄せ書きノートにメッセージを残していく。前回、私が来た時も書かせていただき、あれからほぼ3年。その間このノートにメッセージを残した日本人は、わずか1組だけだった。もちろん日本語で書かれているので前回同様、今回もその寄せ書きを翻訳する。出来る限りドイツ語で!『ツェルの人々はとても親切で・・・』は「Alle Zeller sind sehr nett...」、『ワインもとても美味しく、酔っています』は「der Wein ist auch sehr gut. und...ich bin blau...!」と訳すと、アンジュラとユッタお母さんは「Oh ! " ich bin blau " !」と、少しビックリしながら笑っている。”ich bin blau”は、直訳すると『私は青い』なのだが、実は『酔っぱらったぁ』という意味でもある。これを私が知っていたのが意外だったのだろう。

そして私は今回は、ほぼすべてドイツ語でメッセージを書き残し、お互いの友情のしるしに、日本とドイツ両国の国旗の絵を描いた。そして帰路へ就く。

*この旅日記は2005年のものです。

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2014年10月29日 (水)

母73才、初めての海外へ 4日目その2 『再びツェルで』(再掲)

コヘムを出発し、さらに走ると、特徴のある橋が見えてきた。上は鉄道、下は車・歩道の2階建の橋だ。その橋を渡り、川沿いを2~30分行くと、いよいよツェルの街に到着だ。午後2時ごろ、ツェルのモーゼル川沿いで皆でピクニック(昼食)とする。

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モーゼル地方・ツェルの街で。背後にはブドウ畑が広がっています。

母にはちゃんとムスリーを用意していてくれた。この気配りが何とも嬉しい。他にもパンとチーズ、ハム、バナナ、飲み物も当然持って来ていた。どれもこれも美味しい!川沿いに街があり、その後ろの丘にはブドウ畑がある。ブドウ畑の中腹に、ツェルのワインのシンボルマークである”黒猫”の看板がある。それをバックに母とアンジュラの写真を撮る。

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あの”黒猫”のデザインと下のロゴ、見たことありませんか?
”Zeller Schwarze Katz”とは、『ツェルの黒猫』という意味です。この地では、黒猫が乗ったワイン樽が、「最も”良い出来”のワイン」と云われています。

そしてワインショップへ。ここは皆、馴染みのところらしく、私も3年前(2002年)に連れて来ていただいたところだ。店が見えて来て、私は真っ先に店の中へ入っていく。「Hallo ! Kennen Sie mich ?(こんにちは!私のこと、覚えていますか?)」と尋ねると、驚いた表情で「Ja !(えぇ!)」と、どうやら覚えていてくれたようだ。皆次々「Hallo !」と言って入って来る。パパはイタリア語で「Buon giorno !(ボンジョールノ)」とふざけて入って来た。私は店のお母さんに母を紹介する。すると「はるばる日本から、来られたの?」と驚きながら、大歓迎してくれた。お店のお母さんの名前は Jutta(ユッタ)さん、お父さんは Hans(ハンス)さんで、エルマーのパパと同じ名前だ。

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ツェルの街にて。

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ワインショップ。私自身はここは3年ぶり2度目です。

我々は早速、ここツェル特産の美味しい白ワイン Riesling(リースリング)の Auslese(アウスレーゼ)、Halbtrocken(中辛)をいただく。この種類(Riesling)のこのクラス(Auslese)のワインは、日本では2~3000円、いやもっとするかもしれない。皆で「Prost !(カンパイ!)」。最近では赤ワインも造るようになったそうだが、やはりここモーゼルは白ワインの方が美味しいだろう。

ふと、ラジオから流れてくる音楽に耳を傾けると、昔懐かしい曲が!母に「この曲、よーく聞いてみ・・・、坂本九ちゃんの”上を向いて歩こう”だよ。歌詞はドイツ語みたいだけど・・・。」と言うと、母もしばらくして「アッ!ホントだ!」とニコニコしている。そして私が、その音楽に合わせて日本語で歌うと、アンジュラとママは「日本の歌なの?」と尋ねる。「そうだよ。40年ぐらい前の歌だよ」と教えてあげた。エルマーとパパもそれを聞いて驚いていた。
そして Nena(ネーナ)の ”Wunder geschehen(ヴンダー・ゲシェーエン)”がかかり、「あっ、Wunder geschehen だ!」と言うと、アンジュラが店のユッタお母さんに「Dsching の好きな曲だから」と言って、ボリュームを上げてくれるように話したようだ。ユッタさんは「まぁ!ドイツの歌を知ってるの?そう!すごいわネェ!」と感心したように、ラジオのボリュームを上げてくれた。

*この旅日記は2005年のものです。

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2014年10月28日 (火)

母73才、初めての海外へ 4日目その1 『6人でドライブ』(再掲)

6月12日(日)晴れ

 この日は、借りてきたレンタカーで皆揃ってドライブに出かける。目的地は Mosel(モーゼル)地方屈指のワインの産地 Zell(ツェル)である。3年前(2002年)、ツェルの白ワインをお土産に持ち帰ったことがある。そこで旅行前に母が「いつもカラオケへ一緒に行く友達に、美味しいワインをお土産に買って帰りたい」と言っていたので、事前にEメールで彼らに『ツェルへ行きたい』と頼んでおいたのだ。

いつものようにシャワーと朝食を済ませ、服を外出用に着替え、ピクニック用のお弁当も車に積み込んで、10時ごろ出発する。街から Autobahn(アウトバーン;高速道路)へと走り、そして草原の中の道を行く。

1時間半ほど走ったところの、ある高台で小休止。車から降りると、私の記憶の中にある景色が・・・。アンジュラが「Dsching, kennst du hier ?(ジン、ここ覚えてる?)」と尋ねる。私は「Ja, bevor 3 Jahren bin ich hier gekommen.(えぇ、3年前ここへ来ましたネ)」と答えると、アンジュラも「Ja, ganz genau.(そう、その通りよ)」と答えてくれる。ここで皆の写真を撮る。下の方には、可愛らしい建物が並んだ街があり、周囲をブドウ畑が囲んでいる。この辺りのブドウは、赤ワイン用のブドウだそうだ。

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ドライブ途中、小さな街を眺める。以前にも私はここを訪れました。

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展望台にて、エルマー&アンジュラ、エルマーのご両親と母。

そしてさらに走ると、あるお城が見える街へ来た。ふと停めた駐車場からはお城は見えず、来た道を少し戻った高台の駐車場に車を停める。すると、そこからはお城の外観すべてが眺めることが出来た。Reichsburg Cochem(ライヒズブルク コヘム)という名のお城だ。直訳すると、コヘム帝国城?この城も、外観はなかなかのものだ。ドイツには、いたる所にこのような城があって、見応えがある。ここでもやはり皆で、お城をバックに写真を撮る。

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Reichsburg Cochem 。一番高い塔の上に旗がありますが、分かりますか?

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良い景色をバックに。母もすっかり馴染みました。

*この旅日記は2005年のものです。

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2014年10月23日 (木)

母73才、初めての海外へ 3日目その5 『エルツ城からの帰り』(再掲)

そしてコーヒータイムを終えると、ここで思わぬ事態!エルマーが言うには「駐車場まで行くシャトルバスがもうない」らしい。ということは、ここへ来る時に私とエルマーが歩いて来た道を、登っていかねばならないのだ。エルマーやアンジュラ、私はまだしても、母には・・・、この登り道は・・・。しかし幸いにも、シャトルバスはまだ走っていた。バスに乗る前にエルツ城をバックに4人そろって写真を撮り、そしてシャトルバスで駐車場へ。そして帰路へと向かう。

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エルツ城をバックに。

それにしても、先ほどのケーニッヒズヴィンターといい、このエルツ城といい、日本からの団体ツアーはもちろん、個人でさえもこちらに住んでいなければ滅多に来ることがない、というより来ないだろう(と思う)ところに来られたことは、とても有意義だった。彼らと一緒でなければ、一生その名も知らないところだから。

途中、アウトバーンを走っているとき、ケーニッヒズヴィンターの街の後ろに山が、その山並みには7つのピークがあった。その姿が”龍”に似ていることから『龍の岩』、『龍の城』と呼ばれるようになった、とエルマーが教えてくれた。

そしてバーギッシュ・グラートバッハの街まで戻り、彼らの自宅への帰り道、スーパーマッケットに立ち寄り、この日の夕食の買い出し。スーパーには魚屋もあり、何と日本の寿司や豆腐も売られていた。これには驚いた。この日はステーキと Nudeln(麺類;パスタ?)にした。他にも帰国時にぜひ買って帰りたいもの、例えばソーセージやハム、シュナップスがたくさん売られていた。

そしてエルマー&アンジュラの自宅へ戻り、夕食。麺は茹で上げると、汁のない”うどん”というか”きしめん”のようなものになった。これがこちらの麺類なんだ。でも、おいしい。

パパとママが戻って来たときは、11時を過ぎていた。こちらではこの季節、夜10時過ぎまで明るい。つまり昼がとても長いのだ。この日のことをお互いに話しながら床に就いた。

バーギッシュ・グラートバッハ、エルマーのご両親宅にて

*この旅日記は2005年のものです。

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2014年10月22日 (水)

母73才、初めての海外へ 3日目その4 『エルツ城』(再掲)

駐車場からは Volks Wagen(フォルクスワーゲン)のワゴン車が、シャトルバスとしてお城との間をピストン輸送している。エルマーが、「Dsching ! Deine Mutter und Angela fahren mit dem Bus, und wir gehen zu Fuß.(ジン、君のお母さんとアンジュラはバスで、そして自分たちは歩いて行こう)」と提案。私ももちろん「Ja ! OK ! Einen moment bitte ! Ich spreche zu meine Mutter !(あぁOKだ。ちょっと待って、母に話すから!)」と答え、母にそのことを話す。

母とアンジュラは料金を支払い、シャトルバスでエルツ城の入り口へ向かう。私とエルマーはそこまで歩いて下っていく。途中でエルツ城を望む絶好のポイントがあった。そこから何枚か写真を撮る。ふと下を見ると、既に到着したのか母とアンジュラの姿が入り口付近に見える。さらに下り坂を下って、入口までやって来ると、そこには2人の姿がない。私とエルマーは「あれ?いないぞ!」と言って、お城のほうへと歩く。

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途中の展望台から見た、エルツ城(Brug Eltz)の全景です。

すると、母とアンジュラが現れた。どうやらトイレへ行っていたらしい。「アンジュラに”トイレ、トイレ”って言ったら、通じたワ!」と母は嬉しそうに話していた。言葉が出来ない母でも、さすがに”トイレ”は通じるか!

入場券を買い、中庭のようなところで他のお客とともにガイドを待つ。その時エルマーは私に「Hier ist "fotografieren verboten"(ここは”写真撮影禁止”だよ)」と教えてくれた。たしかに、『カメラ禁止』のマークがある。そしてガイドがやって来て、お城のガイドツアーが始まる。

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エルツ城です。

だが、このガイドツアー、当然ドイツ語。旅行会話程度のドイツ語しか分からない私には、ほとんど理解不能。まして、普通にドイツ人同士で会話するスピードでの説明だから、聞き取ることさえ難しい。ただ最初に「Geschichte(歴史)」や「Krieg(戦争)」などの単語が出て来ていたので、まずは、このお城の歴史について説明しているのだろうと分かった。内容は、さっばりだが・・・。

お城の中に入ると最初の部屋に、戦争(中世の頃、実際に起こったであろう、と思う)に使われた武器や防具が、展示されている。日本の『鎧・兜』とは、やはり違う。そして2階、3階へと上がると、その頃の生活ぶりなどが紹介されていた。例えば、一般的な家庭の部屋(ベッドやトイレもあった)、キッチンにはその当時の食べ物も展示してあった。

エルツ城を見学し終え、城内にある土産物屋を覗いてみる。エルマーがパンフレットのことで何か尋ねている。聞いていると「日本語のパンフレットはないか?」と訊いているようだ。しかし、さすがに日本語のものはない。

そして外へ出ると、どうやらエルマーとアンジュラは『そろそろコーヒーが飲みたい』 と思っていたのだろうか、私と母を城内にある喫茶店へと誘い、コーヒーを飲みながら休憩することにする。アンジュラは注文するとき、チーズケーキもオーダーしておやつに、私と母にも「Isst Kuchen ?(ケーキ食べる?)」と尋ねたが、あいにくあまりお腹は減っていなかった。私は私で「Ich möchte rauchen.(煙草が吸いたい)」と言って、我々4人はRaucher Platz(喫煙席)でコーヒーを飲むことにし、私は皆に『申し訳ない!(皆、煙草は吸わない)』と思いつつも、一服させていただいた。
私が”喫煙者”であることは、1992年にネパールで知り合った時から彼らは知っている。以前に来た時もそうだったが、私が借りた部屋の中で煙草を吸うにしても、彼らは決して咎めなかったし、今回もそうだった。彼らは私の喫煙に対して、とても鷹揚だ。

*この旅日記は2005年のものです。

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2014年10月21日 (火)

母73才、初めての海外へ 3日目その3 『ロコモービル』(再掲)

次は、登山電車のふもと駅前から、Lokomobil(ロコモービル)という遊園地(テーマパーク)にあるような乗り物に乗って、この街を見て周る。切符を見ると毎時30分に出るらしい。一周約20分、ライン川沿いのプロムナードで途中下車も可能のようだ。

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この可愛らしいロコモービルに乗って、ケーニッヒズヴィンターの街を見学します。エルマー&アンジュラ、そして母もすでに乗り込んでいます。

街の買い物の中心街と思われるところでは、車の乗り入れ禁止なのだが、このロコモービルだけは入ることが出来る。するとそこでは、小さな子供たちが勉強(野外学習)のためなのか、何か商売をしていた。「Kleine Mädchen arbeitet.(小さな女の子が働いてるよ)」と私は言った。アンジュラは「Ja !(そうね!)」と答える。本当に可愛らしい女の子が、働いていた。

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小さな女の子の”小さなリサイクルショップ”かな?でも、この女の子、写真では下を向いちゃっていますが、ムチャクチャ可愛かったのです (*^o^*)!

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ロコモービルから、『龍の岩(Drachenfels)』と途中にあるお城です。お城は見学しませんでした。

商店街を抜け、ライン川沿いを走る。ライン川には大小さまざまな船が行き交っている。観光船もあるだろう。そういえば、”ローレライの岩”はどの辺りになるのだろう?やがて、20分のちょっとしたロコモービルでのケーニッヒズヴィンター観光を終え、ふもと駅へ到着。

そして、ケーニッヒズヴィンターからモーゼル方面、エルツ城へと車を走らせる。しばらく走っていくと、道路が川で寸断されている。橋はない。対岸を見ると車やバイクを載せた艀(はしけ)船がこちらへと向かってくる。橋を造る代わりに艀船で車などを渡しているのだ。車ごと乗り込むことができ、料金は車両1台(2.1ユーロ)と乗車人数4人分(0.7ユーロ×4)で4.9ユーロ(≒700円)を運転席に乗ったまま支払っている。わずか数分で対岸に到着。しまった!写真を撮っておくべきだった。呆気にとられている場合じゃなかった。日本ではまずお目にかかれない光景なのに・・・。

モーゼル川沿いの広場の駐車場に車を停め、ピクニックとする。朝食とほぼ同じメニューのサンドウィッチと果物、ジュースなどを皆で食べる。ドイツで彼らとドライブするときは、必ずこのようにお弁当を持って途中でピクニックしている。どこかレストランを探すようなことは、まずない。

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レンタカーの荷台にお弁当を広げて・・・ピクニックです (^_^)!バスケットにすべて用意して、いつでもどこでも美味しく頂きます。日本ならば、お茶におにぎり、玉子焼きにウインナー、それと同じかな?

昼食を終え、エルツ城へと向かう。駐車場に車を停め歩きだすが、エルマーが近くにいた人に訊ねてみると、ここからはかなりかかるらしい。それよりも、もっと近くに駐車場があり、シャトルバスもあるとのことで、そちらへ向かうことにする。向かう前に、駐車場前に喫茶店のような店があったので、エルマーたちが「Kaffee trinken ?(コーヒーでも飲んでいくかい?)」と訊くのだが、母に訊くと「今はまだいらない」と言うので、「Nein, danke!」と答え、そこでは飲まなかった。

モーゼル川沿いからずいぶん山道を登っていく。すると、ただっ広い高原地帯だ。そこを30分ほど走ったのではなかろうか、やがて目指すエルツ城の駐車場に到着した。

*この旅日記は2005年のものです。

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2014年10月19日 (日)

世界の絵葉書 その51 北欧・ラップランド

皆様、おはこんにちばんは ヽ(´▽`)/

10月も半ばを過ぎ、朝晩はすっかり寒くなってきました。
お風邪などひいておられませんか?
季節の変わり目、皆さま重々お気をつけ下さい。

今回は久々に海外の絵葉書を紹介します。
現在連載している旅日記の前、フィンランドの旅日記を紹介しました。
その際に私自身が現地で買い求めた絵葉書を紹介します。

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どの絵葉書も北欧北部、フィンランドに限らずスウェーデンやノルウェーでもこの北限の地域で暮らす『サミ族』の人々、俗に”ラップランド”と呼ばれる地方です。

冬が長く夏は白夜の世界・・・。
そんな地域の人々の様子を描いた絵葉書です。
ブルーを基調にした衣装に赤い帽子やストール・・・、オシャレですネ (^_^)ニコッ!
最後の絵葉書の子供が・・・カワイィ~!lovely

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2014年10月16日 (木)

母73才、初めての海外へ 3日目その2 『龍の岩とライン川』(再掲)

Königswinter(ケーニッヒズヴィンター)は、Rhein(ライン)川沿いにある小さな街で、Bonn(ボン;旧西ドイツの首都)のやや南に位置する。途中アウトバーンを走り、そしてライン川沿いの道を走っていく。川沿いの駐車場に車を停める。そこから歩いて行くと、途中の踏切に阻まれ、これがなかなか開かない。ずいぶん長い貨物列車が、そしてローカル列車が通り過ぎる。再び貨物列車がやって来た。一体何両つながっているのか?数えてみたら50両以上あって、それでも続くからもうやめた。10分ほど待ったような気がする。ようやく踏切が開いた。

我々は、ある登山電車の駅へ向かう。すると、駅のすぐそばにも駐車場があったので、エルマーが「車をここまで持ってくるよ」と言って、車を取りに行った。私と母、アンジュラは駅で待っていた。駅前には、ロバがいる。ロバに乗って上まで行くことも出来るそうだ。ずいぶん古いSLもある。いったいいつの時代のものだろう?やがてエルマーも戻って来た。

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Drachenfels Bahn の『ふもと駅』前にて、アンジュラと母。ロバに乗ることもできます。

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小さくて、時代がかったSLです。昔はこれで牽いていたのでしょうか?

Drachenfels Bahn(ドラーヘンフェルズ鉄道)という短い登山電車に乗る前に、トイレへ行っておく。案内の矢印に沿って行ったつもりだが、ない。どうやら、矢印の先の階段を下がったところのようだ。しかし、駅などにある施設のトイレは、ドイツでは有料。1人50セント支払う。私の財布の中に小銭がほとんどなく困っていたら、アンジュラが「ジン、いいわよ。私が出しておくから」と言って支払ってくれた。

そして、ケーブルカーのような登山電車(往復8ユーロ≒1075円)に乗って頂上へ登る。線路の真ん中にギザギザの歯型のようなものがある。かつて、スイスの登山電車で見たものと同じだ。たしか、アプト式と呼ばれる技法だと思ったが、これがあるからこそ、急勾配でもグイグイと力強く登っていけるのだ。

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レールが3本?いえ、真ん中の1本はギザギザ歯型です。列車の下の歯車と噛み合って急勾配をしっかりと登っていきます。

電車は、何となく『懐かしさ』を感じさせるような車両だ。線路に沿って登山道があり、歩いている人もいれば、ロバに乗っている人もいる。途中一つだけ駅がある。お城の前だ。そして頂上駅へ。

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レトロな雰囲気の列車でした。車内は木の香りが・・・。歯車の中に龍のマーク。この鉄道のシンボルマークかな?

展望台へ行くと、そこからのライン川の眺めが素晴らしい。ただ天気がやや曇っていたのが残念だ。でもせっかく来たところなので、母を中心に皆で写真を撮る。

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展望台から見たライン川。ズームして撮影しました。中洲の島にはお城らしき建物、そして何艘もの船が行き交っています。

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4人そろって、はいチーズ!camera


ここは、『かつて龍が棲んでいた』という伝説が残る Drachenfels(龍の岩)がある。私はDrachen の意味を知らなかった。エルマーに訊かれ「解からない」と答えたら、その日たまたま着ていたTシャツを指さし「Drachen !」と、一言。「Drachen ist auf Englisch Dragon !(Drachenは英語で言うとDragon!)」と私も納得。

エルマーがここへ来るのは、まだ幼かったころ以来、およそ40年ぶりぐらいだそうだ。その時彼は、おばあさんに連れて来てもらったそうで、おばあさんは「私はここで待っているから、あなたたち(エルマーと彼の兄)は上(龍の岩)まで行っておいで」と言ったそうだ。きっと上まで行くのが、しんどいと思ったのだろう。

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展望台から見た『龍の岩』。

岩へ行く途中、突然不気味な声を聞いた。スピーカーから龍の声(あくまで想像上のもの)を流しているのだ。岩を眺め、4人でライン川を背景に写真を撮ってそして麓へと電車で下っていく。

*この旅日記は2005年のものです。

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2014年10月15日 (水)

母73才、初めての海外へ 3日目その1 『ドライブ前』(再掲)

6月11日(土)曇りのち晴れ

 この日もゆっくり起床し、シャワーを浴びて9時から朝食。そして我々とエルマー・アンジュラの4人で出かける。パパとママはこの日、友人のバースデーパーティーに招かれているからだ(昨夜、招待状を見せていただいた)。

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2004年の写真ですが、彼らの許で頂いた朝食です。美味しそうでしょ (^_^)!

我々4人は昨日借りてきたオペルのレンタカーでドライブに出かける。しかし気温はやや肌寒い。3年前にもこの時期に訪れたのだが、その時は長袖では暑いくらいだったので、今回は持ってこなかった。『もし必要だったら、エルマーに借りよう』と考えていたのだ。

そこで出かける前、エルマーに「Vermietet mir ......(・・・を貸してくれる?)」と言葉が思い出せなくて、ジェスチャーをしながら話すと、「Jacke ?(ヤッケ;上着、ジャケット)」とエルマー。「Ja, Jacke !(そう、ジャケット!)」と通じて、彼にモスグリーン色のジャケット、というかブルゾンを借りることにする。そして彼らは、母が来ているカーディガンを見て、これでは寒いだろうと思ったのか、母にもブルゾンを貸してくれた。母は「大丈夫!」と言っていたが、彼らのご好意に甘えて借りていくことにした。

私は助手席に乗り、ハンディナビ(携帯用ナビゲーター)を見ながら、ナビゲートを頼まれる。「おいおい・・・」、地理が解からないドイツの道を、片言レベルしか話せない日本人がナビゲート?しかしエルマーは昨年(2004年)、私と2人で国境を越えオランダへ、さらにベルギー、ルクセンブルクへドライブした時、私が地図を見ながらナビゲートできたことを、覚えている。だからこそ、なのだった。

この日の行き先は、Königswinter(ケーニッヒズヴィンター)から、Mosel(モーゼル)にある Burg Eltz(エルツ城)だ。

*この旅日記は2005年のものです。

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2014年10月14日 (火)

母73才、初めての海外へ 2日目その4 『アンジュラの実家へ』(再掲)

食後、アンジュラの実家へ行く。体が悪いアンジュラの母に、シャワーの世話を度度しなければならないそうだ。エルマーの運転で私と母も同行し、4人でそちらへ向かう。アンジュラの実家は、車で10~15分ほど行った Odenthal(オーデンタル)の街にある。

オーデンタルまで来て、助手席に座っている私は突然大きな声で「Oh ! Elmar !」と叫んだ。エルマーは驚いて「Ja ?(何だい?)」。リアシートからアンジュラも『何事?』かと身を乗り出してきた。そして私は、「Nächste Ampel nach links.(次の信号を左だ)」と、真面目な顔してナビゲート。ここへ来てまったく必要のない、まさかのナビゲートにエルマーは笑いながら「Danke !(ありがとう)」と、冗談には冗談で付き合う。「Bitte Schön !(どういたしまして)」と答える。顔を見るとエルマーは、私がふざけてナビしたことを、すぐに理解していたようだ。アンジュラも、クスクス・・・やがて「Ahaha...」と大笑い。母は、私が何を言ったのか、なぜ3人が笑っているのか分からないから、「エッ?何~?今何言ったんだ~?」と訊く。私は今のことを母に説明した。

さらに調子にのってナビゲートしたのだが、次の角は右へ行かねばならないのに勘違いで『左』と言ってしまった。すかさず彼らは「Nein, Dsching. Nach rechts !(違うわよ、ジン、右よ!)」と教えてくれた。私は「エッ、Nicht links ?(左じゃなかった?)」と言ったのだが、やはり記憶間違いだったようだ。

アンジュラの実家に着くと、玄関先でお母さんが出迎えてくれた。しかし彼女は視力が弱く、すぐそばまで行ってようやく”私”だと気づいてくれた。もちろんレックス(飼い犬のシェパード)もいる。アンジュラのお母さんに挨拶し、お互いに久しぶりの再会を喜び、そして我が母を紹介する。リビングへ通されると、お母さんの Gertrud(ガートルート)さんは、私はもちろん、はるか遠い日本からやってきた母を大歓迎してくれた。そしてレックスも。

レックスは私の足元を尻尾を振りながら、落ち着きなくしている。私がレックスに「Hallo ! Rex ! Wie geht's ? Gut ? (ハロー、レックス!どうだい?元気か?)」と話しかけると、後ろ足で立って前足で甘えてきた。以前にもここでレックスと会っているし、何度か散歩にも行ったから、私のことを覚えていたようだ。「Rex kennt mich ! Ja ?(レックスは私のことを覚えているネ)」と話すと、エルマーもアンジュラも「Natürlich ! (当然だヨ!)」と答えていた。

お母さんは、エルマーとアンジュラから事前に私たちが来ることを聞いていたようで、「それじゃあ、ビールを買っておかなくてはネ!」と、ふだん飲まないビールを私たちのために用意していてくれたそうだ。前に来た時も、いつもビールをご馳走してくださったのだが、昨年ご主人様がお亡くなりになり、以来ビールは買っていなかったそうだ。その話を聞いただけでも、楽しみにしてくださったことが、とても良く解かる。気持ちのこもったビールを早速いただく。うーん、やっぱり美味しい。母ももちろん、「おいしい」と言いながら頂いている。

しばらくして私は母をそこに残して、エルマーと一緒にレックスの散歩に行く。散歩するコースは、以前に来た時と同じだ。住宅街では首輪にリードをつなげているが、浅い小川が流れているところまで来ると、リードを外す。レックスは嬉しそうに走り回る。エルマーが声をかけるとすぐに解かるのは当たり前だが、私が声かけても理解してくれる。「レックスはインターナショナルなんだ。テネリフェ(イタリア)から連れてきたからね。」とエルマーが言う。幼稚園や小学校(アンジュラの母校)を通って帰る。

それにしても、母は私がいない間、言葉が通じない中でどんな話をしたのだろうか?でも私は『人間、身振り手振りで何とかなるさ』と信じているから、さほど気にしていなかった。

帰って来ると、母とアンジュラが私を呼ぶ。母は「何て言ってるか分からんで、通訳して!」と言う。訊いてみると何のことはない、母の年齢を尋ねていただけだった。アンジュラのお母さんに直接「Meine Mutter ist 73 Jahre Alt. (私の母は73才です)」と話した。するとお母さんは「Ich bin 81 Jahre Alt.(私は81才よ)」と答えてくれた。母にもそれを伝える。そしてまたビールをご馳走になる。

アンジュラのお母さんはふだんはウイスキーを飲むそうで、この時もそうだった。私の母も、自宅ではウイスキー派だ。そこで「Meine Mutter auch ! Bevor schläft sie Wisky trinkt.(私の母もですよ。寝る前にウイスキーを飲んでます)」と話すと、母のためにビールではなくウイスキーを用意してくれた。これには母も、アンジュラのお母さんも満足げな様子で、とても嬉しそうだった。私という頼りない通訳でも、少しは役に立っている。アンジュラのお母さんは私の母同様に、母国語オンリーの方なので、以前はアンジュラかエルマーに英語で通訳してもらっていたのだが、今回は直接ドイツ語で会話が出来た。このこと自体、私にも収穫だった。

そして夜も遅くなり、我々はエルマーの自宅のほうへと戻り、眠ることにする。

バーギッシュ・グラートバッハ、エルマーのご両親宅にて

*この旅日記は2005年のものです。

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2014年10月 9日 (木)

母73才、初めての海外へ 2日目その3 『ちらし寿司』(再掲)

そしてこの日は、我々が用意した日本食、”ちらし寿司”をご馳走する。まず日本から持ってきたお米を炊きながら、味噌汁の準備。具がキャベツしかなかったので、アンジュラに「Angela,hast du Kartoffeln ?(じゃがいもある?)」と尋ねると、「Ja !(あるわよ)」と言って、Keller(地下室)へ案内し、いくつか頂いた。これで、キャベツとジャガイモを具にして、味噌汁を作ることができる。

さらに、卵を頂き”錦糸卵”を作る。やがてお米が炊きあがり、冷ましながら”ちらし寿司の素”をかき混ぜ合わせる。味噌汁も出来あがり。炊飯器ではないから、お米の炊き方がやや失敗したが、食べられないものではない。それぞれ皿や器に盛り付ける。皆はたぶん初めてであろう”ちらし寿司”を見て、嬉しそうだ。最後に、海苔と錦糸卵を載せようとすると「エッ!まだ何かあるの?」と驚いていた。そして、出来上がり!

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ドイツで、ちらし寿司とお味噌汁のディナーです。一番手前には、梅干しも!

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これが、我々が作ったちらし寿司。

食べ始める前に、私は皆に「Man trinkt die Missosuppe direkt aus der Schale. (味噌汁は器から直接飲むのです)」と、ジェスチャーしながら教えた。
*ドイツでは、スープは『飲む』のではなく『食べる』と表現します。直接、器から『飲む』のではなく、スプーンを使って『食べる』のです。ですから、あえてこのように皆に説明しました。

果たして評判はどうだろうか?すると皆「Oh, Delicious !(おいしい!)」と言って、食べてくれた。味噌汁も、皆の口にあったようだ。ただ、梅干しはさすがに・・・!私は「こちらでは、オリーブをよく食べるだろう。日本では、それが梅干しなんだよ」と、話した。でも、寿司も味噌汁も評判は上々のようだ。が、少し量が多かったかな?とりあえず我々の日本食のもてなしは、成功したようだ。

*この旅日記は2005年のものです。

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2014年10月 8日 (水)

母73才、初めての海外へ 2日目その2 『近所をドライブ』(再掲)

買い物を終えてご両親宅へ戻り、しばらくするとエルマーとアンジュラも仕事から戻り、皆で昼食。この日は、ドイツでは今が旬の Weißer Spargel (ホワイトアスパラ)。ドイツでは”野菜の王様”とも呼ばれているそうだ。茹でたアスパラをクレープのような生地に巻いて食べる。とてもおいしい。しかしアンジュラは好きではないのか、食べていなかった。こんなに美味しいのに!それにしても、こちらのアスパラは太くて歯ごたえがある。日本の缶詰に入ったホワイトアスパラより、はるかに美味しい。

午後はエルマーとパパ、私と母の4人で、パパの車で Köln/Bonn (ケルン・ボン)空港へ。なぜここへ来たかというと、エルマーがレンタカーを予約してあるからだ。空港へ到着後、パパは帰宅し、我々3人は空港内へ。
空港ビル内へ入る自動ドア、かつては回転式の自動ドアになっていたのだが、不幸にも昨年(2004年)、この空港の回転ドアに子供が挟まれ死亡するという痛ましい事故が起こった。事故後、その回転自動ドアはすべてすぐに撤去され、両開きの普通の自動ドアに換えたのだ。これは、偶然そのニュースを見たことがあって知っていたのだ。このことをエルマーにも訊いてみると、「知っていたのか?そう、そのとおりだよ!」と言っていた。

そして空港内をあちこち見学する。あるお土産屋には、世界各国のサッカーのTシャツが売られていて、日本のものは『中田英寿』の名前が入っていた。それとやたらに多い旅行代理店。歩いているフロアーの片側すべてが Reisebüro (旅行代理店)で、色々な格安ツアーを宣伝していた。

そしてレンタカーを借りる。オペルの9人乗りワゴン車だ。とても大きい。その車に乗ってエルマーの自宅へと戻り、アンジュラも合流しドライブに出かける。景色のよい Bergischer Land (バーギッシャーラント)を走る。めざすは、Kürten (キュルテン)経由 Wipperfürth (ヴィッパーフュルト)だ。なだらかな草原の中をひた走る。エルマーが言うには「この道からの景色は、とても素晴らしい」そうだ。日本で言えば、北海道のような景色が果てしなく続いている。母も「北海道を思い出すなぁ!」と言っていた。

金曜日の午後とあって、週末の行楽に出かける人がとても多い。バイクのツーリングもかなりいる。エルマーがあるところで車を停め、我々を案内した。そこはちょっとした飛行場の前だった。ここにどんな飛行機が来るのだろうか?と考えさせられるほど、草ぼうぼうの場所だ。その飛行場を見ていた場所は、何となく駅のような気がしたが、やはりそのようで、かつては鉄道が走っていたが今は廃止になったらしい。立っている位置は、まさに駅のホームで、下を見ると雑草の中に線路がまだ残っていた。その後も、この辺りの景色を楽しんで帰宅した。

*この旅日記は2005年のものです。

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2014年10月 7日 (火)

母73才、初めての海外へ 2日目その1 『ドイツ最初の朝』(再掲)

6月10日(金)晴れ

 この日の午前中、エルマーとアンジュラは仕事だ。私は昨夜シャワーを浴びていなかったので、8時過ぎに起床しシャワーをお借りする。9時にご両親と朝食をとる。私はいつも通り、ドイツのパンに色々なチーズやハムを載せて。母も初めはパンを食べようとしたが、ドイツのパンは母にはやや硬めのようだ。すると、ママのいつもの朝食のムスリー(穀物類を乾燥させたもの)にりんごとバナナのムースを混ぜ合わせたものを、母に勧めた。すると母は、「これなら食べれるし、美味しい」と、そちらを頂くことにした。それでもテーブルに並んだ美味しそうなハムを母にも勧める。

食後、パパが私をキッチンへと案内し、それぞれの引き出しを開け中を説明しながら見せてくれた。たとえば「ここは調理器具、ここはフォークやスプーン、ナイフ」など、整然かつ機能的に収納されていた。すると、ある引き出しの中にハーブティーがある。ティーバッグ入りのものだが、値段を見てビックリするほど安い。パパに「これ、25個入ってたったの39セント?」と訊くと「あぁ、そうだよ!」、「すごく安い!」と言って母を呼び、母にそれを教えると、「それは、買って帰らないかんわ~!」と言う。母の言葉をパパに話すと、「よし、街のスーパーへ連れて行ってあげよう!」と言って、外出準備。

パパとともに3人で、街の中心部にあるハーブティーのお店へ。するとやはり、同じように39セント(5~60円)で売られていた。我々は、ペパーミントとカモミール、ローズヒップのミックスティーの3種類買い求めた。

そして中心街へも行ってみた。マルクト広場で開かれる Markt(マルクト;青空市場)は毎週水曜日と土曜日だけで、この日は開いていない。マルクトが開いていれば、色々な野菜を見つけられたのだが。なぜかって、この日の夕食に作る味噌汁の具を捜していたから。お店を探して、選んだのはキャベツ。大根があったら良かったのだが・・・。

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バーギッシュ・グラートバッハの中心部。(2002年撮影)

センターショップというディスカウントショップへも立ち寄る。ここは以前にも来たことがあるので、色々なものが安いことは知っていた。ちょっとした小物でも、お土産になりそうなものもある。この日は何も買わなかったが、とりあえず母に「こういうものがあるから!」と、ドイツらしい日用品などのお土産のチェックをさせておいた。

パパは帰宅する前に、マルクト広場に面して建っている Kirche (教会)を案内してくれた。私はこの街へ3度も来ていて、この広場へも何度も来ているのに、教会内に入るのは初めてだった。

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マルクト広場に面した教会。(2002年撮影)

*この旅日記は2005年のものです。

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2014年10月 4日 (土)

他人ごとではない・・・御嶽山爆発

皆様、おはこんにちばんは ヽ(´▽`)/

台風が近づいて来ていますが、皆さまの地方はいかがでしょうか?
ここ最近日本は、自然災害が続いています。
東日本大震災をはじめとする地震災害、台風や豪雨による土砂崩れなど・・・。
この数か月の間も、長野県や広島市で豪雨による災害が発生しました。
しかしそのいずれも、決して他人ごとではないと思います。

先週起こった御嶽山の爆発も同じです。
今回の爆発は、マグマで熱せられた水蒸気が圧縮されて爆発したそうで、通常の火山噴火に比べ予測しにくいそうです。
まして好天の週末のお昼頃とあり、死者の数はついに50人を超えました。

私もかつて、この御嶽山へ登ったことがあります。
それだけに今回の噴火事故、決して他人ごととは思えないのです。
先に書きましたように、予測できなかったわけですから、私が登った日に起こっていたとしても決して不思議ではないと思うからです。

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御嶽山

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御嶽山山頂

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御嶽山山頂から二の池

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御嶽山山頂にて(いずれも’91.8/17撮影)

これらの景色は今火山灰に覆われ、その中には今だ行方不明の方がいらっしゃるのかもしれません。
一日も早く見つけ出してほしいと願うばかりです。
救助や捜索活動に従事されている自衛隊や警察関係の方々も、有毒ガスが発生している中での、半ば『命がけ』の救出活動でしょう。
どうかご自身の命も大切にしながら、行方不明者の捜索をお願いしたいと思います。

噴火に巻き込まれながら何とか下山された方々の心労も、想像を絶するほどだと思います。
目の前で仲間が亡くなったり、助けられなかったり・・・どれほど辛かったことでしょう。
しかし助けに行けば、自分の命も危ない・・・そんな葛藤もあったのでは、と思います。
それこそきっと「地獄絵図」であったのではないでしょうか。

今回の噴火で命を落とされた方々のご冥福をお祈りするとともに、すべての行方不明者の発見と救出を願います。
そして被害に遭われたすべての方々とそのご家族に、心からお見舞い申し上げます。

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2014年10月 2日 (木)

母73才、初めての海外へ 初日その6 『夕食』(再掲)

そして夕食を頂く。6人での賑やかな食事だ。料理を見て私は「Oh, das ist...umm...das ist...(あっ、これは・・・えーっと・・・これは・・)」と考えていると、アンジュラは「エッ、ジン、何?」というような顔をしている。「Oh ja, das ist Teigtasche.(あっ、分かった。タイクタシェだ)」と言うと、アンジュラは「Ja ! Taigtasche. Kennst du ?, Dsching !(そうよ、タイクタシェよ。知ってたの?ジン!)」と驚いている。

この日はドイツの郷土料理、Teigtasche(タイクタシェ)のスープと魚料理でサーモンとマスだ。タイクタシェは、餃子やワンタンの皮に似た生地に肉や野菜などの具材を四角の形に包んで、スープとともにいただくもの。とてもおいしい。母に「ドイツ風のワンタンだよ」と説明すると、納得。魚料理は、日本人である我々、特に母に配慮して用意したのでは?マス料理はドイツでも食べることがあるそうなので、決して特別でもないだろうが。ドリンクは、モーゼルの白ワイン。

6人でワイングラスを持って「カンパーイ!」。私がエルマー宅へ来ると、毎回日本語で「乾杯!」と言うようになっている。そしてアンジュラが、以前に教えたことがある日本語のアンチョコを見て、「いただきます」。これには母もビックリし、喜んでいる。料理はどれも美味しく、母も初めてのドイツ料理を「おいしい!」と言いながら、「”おいしい”はドイツ語でなんて言うの?」と訊く。「Lecker!(レッカー)」と教えると母はさっそく、皆に「レッカー」と言って気持ちを伝える。皆も「レッカー」と言われ、とても嬉しそうである。日本とは違う料理に、やや心配していたが、母はすべて美味しくたいらげた。

こちらへ着いてから、英語よりむしろドイツ語を多く使っている。食事中も、話をする時はほとんどドイツ語で会話していた。まだ着いたばかりだが、エルマーは私のドイツ語を「前に来た時よりも、ずいぶん上手になったよ」と褒めてくれた。アンジュラも「ほんとね」とうなずいていた。私は彼らが話すドイツ語を、ほとんど理解出来ていた。彼らは私に対して話すとき、聞き取りやすいように多少ゆっくり話してくれるからだ。

そして彼らが先月出かけたスペイン・マヨルカ島旅行の写真を、パソコンで見せてもらった。これまでも何度か、彼らは訪れていて、そのたびに絵葉書も頂いているのだが、あらためてこうして見てみると、本当に風光明媚なところのようだ。

しかし、日本とドイツの時差は7時間。日本時間だと、もう明け方近い時間だ。朝5時起きだったから、24時間。ご両親宅のほうへ戻り、そろそろ眠ることにする。長~い1日が終わった。

バーギッシュ・グラーツバッハ、エルマーのご両親宅にて

*この旅日記は2005年のものです。

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2014年10月 1日 (水)

母73才、初めての海外へ 初日その5 『着物』(再掲)

我々は旅装を解き、日本からの手土産を持って、皆でエルマーの自宅へ。リビングにはオウムが2羽。母に「グリーンの子がティニで、グレーの子がリオ」と説明すると、「あぁ~、この子がリオちゃんか!」と、以前我が家で飼っていたインコと同じ名前のオウムに、嬉しそう。

アンジュラが、浴衣の帯の締め方を教わろうと、部屋から浴衣を持ってきた。が今回、我々はそれ以上のものを持ってきている。まずは、エルマーとパパに甚平を渡す。甚平のパックプリントは虎だ。エルマーはしし座生まれなので、本当はライオンのデザインのものを贈りたかったのだが、あいにく見つけられなかったのだ。エルマーにそう話すと「いいよ、そんなこと気にするなよ」と、我々のお土産を喜んでくれた。

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甚平の上を着ているエルマー。この後のディナーの準備中です。

そして着物を取り出す。そして母がアンジュラに着付けをする。アンジュラは何とも言えないほど嬉しそうな表情をしている。帯を締める前、エルマーが何やら慌てて何かを取りに行った。デジカメだ。エルマーは盛んに写真を撮り始めた。特に、帯を締めているところを!

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アンジュラに着物の着付けをする母。後ろにティニとリオがいます。

アンジュラへの着付けが終わると、今度はママへの着物を取り出すと、ママは「エッ!私にも?」と驚いたような、それでもやはり嬉しそう。するとパパが慌てて自宅へと戻る。そしてやはりデジカメを持って戻って来た。エルマーとパパは、不思議そうに日本の着物の着方を見ながら、手順を一つ一つカメラに撮っている。これならば、我々が帰国した後でも、機会あれば写真を見ながら着物を着ることが出来るだろう。

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ママ(エルマーの母;アンナさん)に着付けする母。

2人への着付けが終わり、そして母も、かつて私がアンジュラにプレゼントした浴衣を着る。母が浴衣の帯を1人で自在に締めているのを見て、皆「オォ~!」と、とても驚き感動している。もちろん、3人そろっての写真も忘れない。

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純和風の姿で、日独友好!です。

アンジュラとママはせっかくだからと、その着物姿で近所を散歩する。彼らの自宅前には牧草地が広がっている。少し行くと、牛がいたりアヒルがいたり、とてものどかなところだ。母もそう感じたようで、「北海道みたいだなぁ」と言っている。

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彼らの自宅前は、このような牧草地が広がっています。(2004年撮影)

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皆が母を歓迎してくれました。

ママは、隣の家の呼び鈴を押すが、なかなか出てこない。「もう寝ちゃったのかしら?」と心配している。しばらくして玄関が開き、ママと同じぐらいの年齢の女性が現れた。ママは着物姿を「どう?素敵でしょ!」とでも話したのか、お隣さんは2人の着物姿にびっくり!「すごく素敵ねぇ!」と言っているようだ。お隣さん、ご主人も呼んで、お隣ご夫婦に着物姿を披露する。そしてママは、我々を紹介しているようだ。私はもちろんドイツ語で挨拶。お隣さん、更に驚いたようだ。

それにしても、着物姿は評判が良く、このプレゼントは本当に気に入ってもらえたようだ。

*この旅日記は2005年のものです。

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