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2014年7月

2014年7月31日 (木)

オーロラ紀行 その9(再掲)

バスを降り、この日のホテルを探す。どこにしようか、先ずツーリスト・インフォメーションへ。ところが、そのインフォメーションがない。地図には載っているのだが、その場所にはなかった。もう一度、地図を見てみるが、場所は間違っていなかった。

仕方がないので、ヘルシンキで手に入れた、ラップランド地方のパンフレットに載っているホテルへ行ってみる。予約なしなので、直接交渉。シングルは空いてなく、シャワー付きのツインで59ユーロ。ここに決める。というか、決めざるを得ない状況なのだ。

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イヴァロでのホテル。ホテル・クルタヒップ。

昨夜、夜行列車だったので、まずシャワーと洗濯。18:00過ぎ、ホテル内のレストランで夕食。フライド・サーモン(14.2ユーロ)にする。サラダ付きで、ドリンクはビールにする。

運ばれてきた料理を見ると、サーモンが5~6切れ。

「いくらなんでも、飽きるだろう」と思ったのだが…。

「ウ・ウマイ!!」

このサーモン料理は、とにかくおいしい!さすが、キング・サーモン(だと思う…)!サーモンは、塩と黒コショウ、赤ワインなどで味付けしてあるようで、本当にウマイ!残すことなく、すべてきれいに平らげてしまった。

夕食後、しばらく休憩し、そして念願のサウナへ。フィンランドへ来て、初サウナだ。本場のサウナは、とても良かった。時々、焼き石に水をかけて蒸気を出したり、葉っぱがたくさんついた木の枝で、体を叩いてみたり…。本場のサウナ、満喫!

部屋へ戻り、湯冷めしないよう、また、いつオーロラが現われてもいいように、いつでも外へ出られるように準備しておく。

オーロラはこの日、姿を見せてくれるのだろうか?10時ごろから、時々外へ出て夜空を眺めてみる。なかなか現れない。何度も何度も部屋と外を行ったり来たりする。

夜中でも、目が覚めた時にすぐに外を見られるように、またいつでも外へ行けるように、準備だけはしておいて、ベッドに入る。

イヴァロ、ホテル・クルタヒップ

*この旅日記は2004年のものです。

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2014年7月30日 (水)

オーロラ紀行 その8(再掲)

2月24日(火)晴れ

(P61 Santa Claus Express)7:55ロヴァニエミ11:45(バス)16:05イヴァロ

 寝台列車の中で、目覚めたのは7:00。外はまだ薄暗く、雪も深そうだ。

車窓からは、フィンランドの深い森の、雪に覆われた風景が次から次へと流れて行く。

7:55、列車はロヴァニエミに到着。

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ロヴァニエミに到着したサンタクロース・エクスプス。

列車の写真を撮っていたら、突然、

「すいません、シャッター押していただけますか?」と、日本語で声かけられた。

2人の日本人女性だった。俺以外にも、この日この列車でやってきたフリーの日本人旅行者がいたんだ。

駅舎は意外と小さい。大きな荷物を持った旅行者らしき人々は、他にも何人かいた。しかし皆、駅からお迎えのバスや自動車に乗って、次々と去っていく。俺は何の予約もしていなかったので、気がつけば、ひとりポツンと駅に取り残されていた。

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ロヴァニエミ駅。

とりあえず、地図を見ながら街の方へ行くことにする。しかし、雪が積もっていることもあり、スーツケースのキャスターが思うように転がらず、いつも以上に重く感じる。やっと、駅を離れるとすぐ近くにバスターミナルがあった。

そこへ立ち寄ると、イヴァロまで行くバスが11:45に出ると分かり、「それならば、一気にこの日のうちに行ってしまおう」と、座席を予約しチケットを購入。

しばしの間、コーヒーブレイク(1ユーロ)し、荷物をコインロッカー(2ユーロ)に預け、バスの発車時刻まで、街を歩くことにする。

中心部までは15分ほどかかる。まだ朝食を食べていないので、どこかで食べなければ。そういえば、「地球の歩き方」に、この街のマクドナルドは世界で最も北にあるマクドナルドだと、紹介されていた。せっかくだから、そこで食事にしよう。

マクドナルドへ着いたものの、まだ開店前。10:00からだそうだ。まだ30分以上、時間がある。仕方なく、ツーリスト・インフォメーションへ。これから向かうイヴァロ、そしてイナリの街の情報(パンフレット)、そしてこの街のホテルの情報をかき集める。

そして、マクドナルドへ。

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マクドナルド世界最北店(2004年当時)。見た目は、普通だった。

この時間だから、朝食というより、ブランチだ。メニューを見てみると、なじみのものばかりで、何となく安心する。もしかしたら「ここならではのパーカー」があるかな?と思ったけど…。選んだのは、ビッグマックセット(4.95ユーロ)。味は…日本で食べるものと変わらない。「マックは、どこへ行ってもマックなんだ!」

食事ついでに、トイレ(ヨーロッパでは公共のトイレは、たいてい有料なので)も借りておく。

再び、街を歩く。小じんまりとした街だ。しかし、この積雪では、荷物を持ち(転がし)ながらの移動は大変そうだ。

バスターミナルへ戻り、11:45発のバスに乗る。日本の観光バス並みの大きなバスだ。荷物は車体横の荷物室に預ける。

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イヴァロ方面へ向かうバス。途中のソダンキーラにて。

バスは10人ほどの客を乗せて、ロヴァニエミを出発。やがて信号のない高速道路のような道に入る。しばらく走ると、ゲートが見えてきた。そのすぐそばには、サンタクロース村が!

「そうか!あのゲートを越えれば、北極圏なんだ!」

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バスの中から見たサンタクロース村。

そしてバスはゲートを越え、北極圏へと入った。ついに、北極圏へと俺も足を踏み入れた。心なしか、感動する。バスは北極圏の道を、80Km/hほどのスピードで疾走する。当然、道はアイスバーンになっている。しかし、そんなことに慣れっこなのか、運転手は黙々とバスをひたすら北へと走らせる。

13:15、バスはソダンキーラに到着。ここで25分の休憩。俺は軽く、コーヒーとドーナツを食べる。晴れているとはいえ、外は寒い。

バスはさらに北上し、16:05、イヴァロに到着した。

*この旅日記は2004年のものです。
また、記事中に紹介しましたマクドナルドですが、現在はロシア国内に世界最北のマクドナルドがあるそうです。

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2014年7月29日 (火)

オーロラ紀行 その7(再掲)

15:00すぎ、やや小腹がすいて駅前のフォルムデパート地下のファーストフード店で、フライドチキンとフライドポテト(4.5ユーロ)を食べる。なかなかおいしくて、おやつにちょうどいい。

その後再び、ストックマンデパートへ行き、地下の食料品売り場で、今夜の夜行列車での夕食の買い出し。フライドライスと焼きそばのようなもの、サラダを量り売りで買いお弁当にする。5.74ユーロと安上がりで済んだ。

17:15、ホテルへ荷物を取りに戻る。しばらくホテルのロビーで休憩し、17:45、駅へと向かう。駅へはフォルムデパートの中を通って行った方が近道で、10分ぐらい。それに寒くないし。

駅でミネラルウォーター(2ユーロ)を買う。列車を待ちながら煙草を吸っていると、妙なおっちゃんが近づいて来た。酔っ払っているのか、それとも麻薬のようなものでもやっているのか、そんな感じに見えた。

その男は俺に、「たばこを1本もらえないか?」と言ってきた。俺は苦笑いしながら「しょうがない奴だ」と思い、その男に煙草を1本差し上げた。男はとても恐縮していた。

せっかくなので、列車の写真も何枚か撮っておいた。

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2階建ての豪華な列車。どこまで行くのだろう?

やがて19:00。サンタクロース・エクスプレスは入線していた。車載用の貨車が連結されている。客車、寝台車もかなり連結されている。全長でいったい何メートルあるのだろうか?4~500mぐらいありそうだ。

俺は荷物を持ってそちらへ向かうと、先ほどの男が再び近づいて来て、「荷物を運んであげるよ」と声かけてきた。彼は親切で言ってくれたのだろう。表情からもそれは読み取れた。しかし俺は、丁重にお断りした。

指定されている俺の寝台車両は、ずいぶん前の方で、屋根つきのホームを越えてまだ先だ。雪が積もっているホームをひたすら進んで、やっと自分の車両へ。

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サンタクロース・エクスプレス。いよいよ北極圏へ。

寝台は3段で洗面台もある。フェイスタオルと小さなミネラルウォーターも備えられている。各部屋は、カードキー使用で防犯対策されている。

19:20、雪の中を静かに、音もなく発車した。本当に静かで、寝心地も悪くなさそう。買いだしておいたお弁当で夕食にする。そして少しお酒を飲み、21:30にはベッドで横になった。

サンタクロース・エクスプレスにて、車中泊

*この旅日記は2004年のものです。

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2014年7月27日 (日)

ゴジラ映画

皆様、おはこんにちばんは ヽ(´▽`)/

梅雨が明け本格的な夏が到来ですね。
しかもここ数日、酷暑日・熱帯夜の日々・・・、いかがお過ごしでしょうか?

毎年のことですが、外出や外での作業の際は”熱中症”にご注意ください。
室内にいても熱中症の危険はあります。ジッとしていても体内の水分は蒸発します。細目に水分を摂るようにしてくださいね。

今年は日本が世界に誇る怪獣映画”ゴジラ”60周年だそうですね。
日本で最後に作られた”ゴジラ”は、いつだったでしょうか?
60周年の年、ハリウッド映画で復活したそうですね。

で、この”ゴジラ”・・・私が子供のころは見たくてもなかなか映画館へ見に行くことはできませんでした。
小学生のころ同級生が”仮面ライダー”に夢中になる中、私は姉や兄の影響で森田健作さんや石橋正次さんが主演の”青春ドラマ”にはまっていました。
ですから当時、「”ゴジラ”・・・(-_-)ウーン...」と半ば『バカ』にしていたように思います。

しかし30いや40代のころになると何故か気になり、TVで過去のゴジラ映画が放映されると、ビデオに録画していました。
で、見てみると・・・「面白いじゃん」。
特別な感想はないけれど、何の気負いも先入観もなくただ「暇つぶしに見てみるかぁ!」程度ですから、大いに楽しめました。

そしていつだったか放映された”ゴジラ”の第一作!こちらも録画し何度か見ました。
考えてみれば、”ゴジラ”の第一作は、あの”ローマの休日”と同じ年なのですよネェ!
世界的女優オードリー・ヘップバーンはまさにゴジラ級の人気でしたね。
まぁここではオードリーのことはさておき、この映画に今も現役俳優の宝田明さんが出ていることに驚きです。さらに、ベテラン女優の菅井きんさんも!
そしてこの時代に、これほどの特撮映画を作ったことにも吃驚です。

YouTubeで”ゴジラ”初回作品の予告編を見つけました。
ちょっぴりですが、60年前の日本の時代背景とゴジラが誕生した経緯が分かると思います。
もしよろしければ、ご覧下さい。

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2014年7月24日 (木)

オーロラ紀行 その6(再掲)

2月23日(月)雪

ヘルシンキ19:20(P61 Santa Claus Express)

 7:30起床。シャワーを浴び、身だしなみを整えてから、朝食とする。

ホテル内のレストランで食事をとるならば、やはり身だしなみは整えておかないと、「日本人はだらしがない」と思われては、恥ずかしい。

今日は朝から雪が降っている。ずいぶん寒そうだ。

朝食を終え、荷物をまとめ、10:00ごろチェックアウトする。が、荷物は夕方までホテルで預かってもらうことにする。ホテルの受付スタッフの女性も、快く承諾してくれた。

まず、港にあるマーケット広場へ行ってみる。しかし、昨日もそうだったようにこの日も、ほとんどお店は出ていない。

オールド・マーケットホールへ行ってみる。この付近の海で獲れる「海の幸」が並んでいる。中には名前さえ知らない、見たこともない魚も!肉類、野菜、乳製品などの食料品が、ところ狭しと並んでいる。

まだ開店していなかったが、お寿司屋さんもあった。日本語でメニューを書いている店も!サーモンは絶対においしいだろうナ!食べたかった・・・。

港から街の中心部の方へと歩く。「STOCKMANN(ストックマン)」というデパートへ行ってみる。何しろ寒くて、つい建物の中へ逃げ込みたくなるし、それにデパートを見ると、その国の文化水準、物価も解るし。

物価は・・・、やはり高いようだ。日本と大して変わらないんじゃないかな?素敵なデザインのレザーのコートがあったけど・・・、とても手がでない・・・。

すべてのフロアを見て回って、次に本屋さんへ。大きな本屋で、多少、日本の雑誌が1週遅れで売られていたが、買う気にはならず、絵葉書を10枚、8.5ユーロで買い、そして駅の地下街へ。

地下街の店では、アジアン雑貨・衣料を扱う店と、CDショップが楽しかった。先のことを考えて、何も買わなかったけど、デパート同様、見ているだけでも楽しかった。

14:00ごろ、郵便局へ。併設されている博物館は有料だった(「地球の歩き方」には無料って書いてあったのに・・・)ので、入るのはやめた。特に見たい、とは思わないし・・・。ここでも絵葉書を買う。オーロラの絵葉書だ。

やっと14:30。まだ3時間ほどぶらつく時間がある。どうやって時間をつぶそうか・・・?さっき買った絵葉書で、友人たちに手紙を書くか・・・?テーブルと椅子が置かれたスペースもあることだし・・・。

*この旅日記は2004年のものです。

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2014年7月23日 (水)

オーロラ紀行 その5(再掲)

市街地へ戻って再び駅へ。

明日の夜のロヴァニエミ行きの「サンタクロース・エクスプレス」、19:20発の夜行寝台列車を予約(77ユーロ)し、KIOSKI(KIOSKではない)でコーラ(2.2ユーロ)とミネラルウォーター(2ユーロ)を買う。

16:00ごろ、ホテルへと戻る。

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宿泊したホテル。「ソコス・ホテル・トルニ」。トルニとは、「塔」という意味。

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歴史を感じさせる、素敵なホテルだ。

ホテルへ戻って、冷えた体をサウナで温めようと思ったのだが、この日はあいにく、閉まっているとのこと。せっかく「サウナの国、フィンランド」へ来たのに…、残念。

仕方がないので、しばらく部屋でのんびり過ごす。

18:30ごろ、ホテル内のレストランで夕食を、と思ったが、入口にあるメニューを見て、あまりの高さに外へ出かけることにした。

あちこちのレストラン(入口付近にたいていメニューがある)を見て回るが、コース料理はもちろん、単品ずつ注文してもドリンクを含め、20ユーロ以上(3000円ほど)はしそう・・・。

中華料理店を見つけた。久しぶりに麺類が食べたくなって、そこへ入ることにする。

焼きそばのようなものと、揚げ餃子風のもの、ジャスミンティーを注文し、17.8ユーロ。これでも、2400円ぐらいする。う~ん、北欧の旅は高くつく。でも、料理はとても美味しかった。

20:00ごろ、レストランを出ると、雪が降っていた。

ホテルへと戻り、しばらく休憩した後、洗濯にシャワー。もう21:30だ。

ヘルシンキ、ソコス・ホテル・トルニにて

*この旅日記は2004年のものです。

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2014年7月22日 (火)

オーロラ紀行 その4(再掲)

ツーリスト・インフォメーションより港にあるマーケット広場へ。

港は凍っている。港から船でスオメンリンナ島(要塞)へ渡ることにする。

船の切符は自動券売機で買うのだが、英語での案内表示がない。切符の買い方が分からない・・・。他の観光客が買っているところを観察し、自分も買うことができた。片道2ユーロだ。

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スオメンリンナへ向かう船。凍結している港へ入港。

12:00発の船に乗り、片道15分。小さな船だが、凍結している海をガリガリと氷を割りながら進む。

島に到着し、事前にツーリスト・インフォメーションで手に入れたパンフレットを片手に、島を散策する。

この島はかつて、ロシアと壮絶な戦いが行われた歴史を持つ島で、ユネスコ世界遺産にも登録されている。

船着き場より教会、ビジターセンターへ。そしてキングスゲートへと向かう。島は頑丈な要塞で守られており、海に向かっていくつもの大砲が、今も昔と変わらぬまま残されている。戦禍の跡が、今も生々しく残っている。

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島にある教会。庭では雪で山を作り、子供たちがそりで遊んでいた。平和の時代に生まれたことに感謝!

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海に向かう大砲。

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キングスゲート。要塞の一部。

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要塞内部の通路。島を守る兵士たちの部屋もありました。

このような壮絶な歴史を持つ島も、昨今ではヘルシンキ市民の憩いの場所となっている。

再度ビジターセンターへ立ち寄る。何しろ寒くて、建物の中で少しは体を暖めないと。そして船着き場へと戻る。

次の船が出るまでの間、コーヒーブレイク。そして15:00の船で港へと戻る。

*この旅日記は2004年のものです。

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2014年7月17日 (木)

オーロラ紀行 その3(再掲)

2月22日(日)くもり ヘルシンキ1日滞在

 7:30起床、朝シャンする。寝ボケ眼(まなこ)の顔や、寝ぐせのついたヘアスタイルで朝食をとりに行くのは、恥ずかしいからなぁ!身だしなみぐらい、きちんとしなければ!

8:15、朝食にする。バイキングになっていて、パンやフルーツ、ハム、チーズ、卵などを食べる。ドリンクはコーヒーか紅茶、ミルク。ジュースはグレープフルーツやオレンジなど。ヨーロッパは、どこへ行ってもこんな感じの朝食なのかな?むしろ俺にはありがたいが。

9:00過ぎに朝食を終え、部屋へ戻り洗濯物の後片づけ、荷物の整理をし、10:00ごろ街へ出かける。

まず初めに駅へ向かった。そこで、北極圏の街ロヴァニエミ行きの列車の時刻表を手に入れる。ロヴァニエミまで直通で行く列車は、昼間は1本のみ、夜行が3本。ならば明日の夜の列車で出発しよう。

しかし、もしかしたらオーロラ観測を含む面白そうなツアーがあるかもしれない。ツーリスト・インフォメーションでそれらを確認してから決めよう。

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ヘルシンキ駅隣のバスターミナル

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駅前を走るトラム(市電)

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ヘルシンキ中央駅

駅を出て、この付近の写真を撮る。歴史の重みを感じさせられる建築物が多い。地図を見ながら、ヘルシンキ大聖堂、元老院広場、そしてツーリスト・インフォメーションへ。

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ヘルシンキ大聖堂

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元老院広場

ツーリスト・インフォメーションには日本語のパンフレットもあった。ここでオーロラツアーのことを尋ねると、日帰りまたは1泊で往復飛行機利用で4~500ユーロもする上に、オーロラ観測と言うよりは犬ぞりやイグルー体験といった内容だ。それならば、個人で行く方が良さそうだ。オーロラを目的として来ているのだから。

*この旅日記は2004年のものです。

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2014年7月16日 (水)

オーロラ紀行 その2(再掲)

ヘルシンキ中央駅に18:30ごろ到着したものの、右も左も分からない。方角さえもわからない状況だ。
とりあえず、駅構内に入り、ガイドブックを広げ地図を確認する。そして地図を片手にホテルへと向かう。

「この道だ」と思った道を行くのだが、しばらくして思ったとおりの道ではないことに気付く。歩道で立ち話をしていた若者3人に、地図を見せながら現在地を尋ねてみた。彼らは初めこそ外国人に突然声かけられ、いぶかしそうな顔をしていたのだが、すぐに地図を見て現在地を教えてくれた。

現在地さえ分かれば、もうこちらのもの。今度こそ間違えないように、ホテルへと向かう。

19:00ごろ、無事ホテルに到着。駅とは目と鼻の先の距離なのに、実に30分近くもかかってしまった。フロントへ行くと、先に名前を言われてしまった。もうそろそろ来るかと思っていたのか、それとも日本人だから分かったのか、いずれにしてもスムーズにチェックインすることができた。

部屋は4階424号室。とても素敵な部屋だ。アメニティも整っている。「地球の歩き方」には、このホテルは高級ホテルとして紹介されている。ウィークディは218ユーロ、週末になるとうんと安く、88ユーロとなっている。ということは、85ユーロで泊まる俺はさらにお得、というわけだ。シーズンオフだから安かったのかもしれない。

このホテルは1930年開業という、長い伝統を持つ、ヘルシンキでも屈指の老舗ホテルらしい。確かに、エレベーターを見ると、その歴史の古さを感じさせられる。

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ホテルのエレベーター

俺は再びフロントへ行き、明日も泊まりたい旨を告げる。幸い部屋は空いていたようで、明日の料金は83ユーロとのことだ。紹介料の分だけ、安くなったらしい。

部屋へ戻り、洗濯とシャワー。いくら寒い北欧の街とはいえ、2泊すれば洗濯物も乾くだろう。暖房だって効いているし。

20:00ごろ、今朝エルマー&アンジュラ宅を出発する前にアンジュラからいただいたランチがそのまま夕食となった。彼女は「途中でもしお腹がすいたら・・・」と、気を利かしてくれたのだろう。しかし、飛行機の中では軽めの機内食もあったし、結局ここまで持ってきてしまった。一食分、食事代が浮いたことになる。それに俺の大好物のリーバーヴルストを塗ったオープンサンドもあったし。とてもおいしかった。

その後は、ポータブルCDプレーヤーでドイツで買ったCD、彼らからお土産にいただいたカーニバルのダンスミュージックのCDを聴きながら、日記を書いていた。

ヘルシンキ、ソコス・ホテル・トルニにて

*この旅日記は2004年のものです。

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2014年7月15日 (火)

オーロラ紀行 その1(再掲)

2月21日(土)晴れ
フランクフルト13:40(LH3102)17:10ヘルシンキ (ドイツとの時差+1時間)

 ドイツのエルマー&アンジュラ宅で、家族の一員のように過ごし、いよいよフィンランドへと向かう。

フランクフルト国際空港まで、エルマーとアンジュラに彼らの愛車、アウディ・クアトロTTで送ってもらう。
エルマーは、アウトバーンを飛ばしに飛ばす。180Kmの道程をわずか1時間半ほどで走ってしまった。その分、空港でゆっくりと別れを惜しんだのだが・・・。

ドイツとフィンランドは、ともにEU加盟国なのでここでの出国審査はもちろん、フィンランドでの入国審査もない。だからパスポートには、ドイツ入国の記録しか残らない。

ヘルシンキまでは、2時間半。あっという間だ。ヘルシンキ・バンター国際空港に降り立ち、先ずツーリスト・インフォメーションへ。この日のホテルの紹介と予約をお願いする。

ヘルシンキ中央駅近くの「ソコス・ホテル・トルニ」に決まった。紹介料を含め85ユーロ、1万円以上する。街への行き方、ホテルの場所も尋ねておく。街へは、空港前のバスターミナル1B乗り場より615番のバスで、ヘルシンキ中央駅が終点だ。

「地球の歩き方」によると、フィンエアーのバスもあるらしいのだが、そちらは4.9ユーロ。一方、路線バスは3ユーロ。より安い方を教えてくれたようだ。

17:50ごろのバスに乗る。料金は乗車時に払う仕組みになっている。バスは、どっぷりと陽が暮れた街の中を走って行く。道路には雪が積もっている。さすが北欧だと感じる。

40分ほどでバスはヘルシンキ中央駅に到着した。

*この旅日記は2004年のものです。

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2014年7月13日 (日)

春に咲いたルナリアは・・・

皆様、おはこんにちばんは

台風一過で少しは涼しくなるかと思いきや、相変わらず蒸し暑い日々です。
体調崩したりしてませんか?

春に咲いたルナリアの花、花が終わり鞘が伸び楕円形の果実をつけました。
そしてそのまま果実を自然乾燥させ、「そろそろドライフラワーにしよう」と鞘を切り手作業でドライフラワーを作りました。
そして完成したものが、こちらです。

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今年のルナリアのドライフラワーです。

まるで『お金のなる木』のように見えませんか?光沢のある隔膜は、小判のようです。
こんなに形が良くできたのも初めてで、『自己満足』に浸っています。
一昨年作ったものは、今も家の中のあちこちに飾ってあります。2年経った今でも、きれいな光沢を保っています。

春は花を楽しみ、その後はこのように楽しめるルナリア、2年草ですので来年は咲きません。採取した種を来年春に播きその翌年に咲くのを期待です。

そして「古い旅日記」、今週から”2004 フィンランド オーロラ紀行”を再掲載いたします。
どうぞこれまで同様、楽しんでいただければと思います。

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2014年7月10日 (木)

お別れ(再掲)

2月21日(土)晴れ

Bergisch Gladbach 9:30ごろ(エルマーのアウディ)11:00Frankfurt Flughafen (フランクフルト空港)13:40(LH3102)

 最後の朝 、6:45に起床しシャワーを浴び、身支度を整える 。8泊過ごしたこの部屋、前回と合わせると11泊にもなる。次はいつ・・・?全く予測できない

8:00ごろ、朝食 。皆揃って最後の食事の前に写真を1枚 。お父さんは泣きまね をする。最後まで冗談好きで楽しい人だ

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5人そろっての朝食も、これで最後です。本当にお世話になりました

朝食を終えると、アンジュラがランチ にとオープンサンドを作ってくれた。大好物のリーバーヴルストをたっぷり塗って 前回訪れたときも、私がスイスへ旅立つときに作ってくれた。この気配りが何とも嬉しい限りだ

9:15、すべての身支度を終え出発準備完了。すると、お母さんからもプレゼントを頂いた 。シュナップス用の小さなグラスと、おやつのクッキーだ 。そしていよいよ出発の時。お世話になったご両親にお別れのあいさつ

「Es war sehr schön bei Ihnen. Vielen Dank für alles. (とても楽しかったです。本当にありがとうございました。) 

「Gute Reise ! Viel Spaß ! (良い旅を!たくさん楽しんでいらっしゃい!)

「Alles Gute ! Auf wiedersehen ! (お元気で!さようなら!)

9:30すぎ、ご両親に見送られ、エルマー・アンジュラと共にフランクフルト国際空港 へ向かう。アウトバーン3号線に入るまで10数km、そしてアウトバーンでフランクフルトまで178km、約200km弱あるのだが、道路が空いていたこともあり1時間半ほどで到着 。まだ11:00だ 。早く着きすぎたようだ。

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フランクフルト国際空港。フィンランドからの帰国時に撮ったものです。

出発ロビーのチェックインカウンターは、どこもかしこも長蛇の列。出発案内ボードに、私が乗るヘルシンキ便が表示される。ふと気がつけば、この日は日本 へも東京、名古屋、大阪へと出発便 がある。彼らにそう話すと、エルマーは「よし、俺たちは今から日本へ行ってみるよ 」と冗談を言っている。そして彼らはチェックインカウンターではなく、クイックチェックインの機械へと私を案内し、カウンターの前の長い列に並ぶことなく、チェックインすることができた 。そして出国口へ。エルマー・アンジュラとはここでお別れだ

本当に何もかもお世話になりました 。次はいつ会えるのか、見当もつかないけれど、少なくともこれだけは言える。いつでも迎えてくれる友達が、家族がドイツにいるということを アッという間の8日間。ドイツ語、英語チャンポンの会話をしながらの食事 。Wuppertal や Solingen へのドライブ 。国境4カ国へのドライブ 。街へ一人ぶらり歩き 。アンジュラのご両親、レックス を連れての散歩。そしてカーニバル 。一生涯、記憶に残る素敵な思い出だ

お金 も、ドイツのミュージックCD を買うのに使ったことがほとんどで、あまり使っていない。宿泊代はもちろん、移動や食費には全くと言っていいほど使っていない。本当にすべてにおいて、お世話になった 。Vielen Dank

(カテゴリー;プチホームスティ in Deutschland  完 )

*この旅日記は2004年のものです。

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2014年7月 9日 (水)

最後の夜(再掲)

いったんアンジュラの実家 へ行き、レックス の散歩。今回レックスとは何度もこうして散歩し、すっかり私にも懐いてくれた 。そしてアンジュラのご両親にも、お礼 を言い別れ を告げる。お二人とも80歳以上のご高齢だが、来るたびにいつもコーヒー 、時にはビール をご馳走していただいた。本当に嬉しかった

そして帰宅し夕食 。スペイン風のパンにオリーブオイルをつけて食べる。オリーブオイルといっても、種類が色々あるのかな?エルマーはこうして食べるのが大好きだそうだ ヘェーッ 。そして赤ワイン 。BGMに先ほど買ってきた die PRINZEN のCD をかける。「chronisch pleite 」、直訳すると、「慢性的に破産=いつもお金がない」という意味だ 。歌詞の内容は、決してネガティブではなく、むしろ楽観的だ 。歌詞カードを見ながら歌ってみると、アンジュラとエルマーにバカ受け

♪ Ich bin chronisch pleite♪ と歌うと、エルマーが、♪pleite♪ と実際の歌同様に間の手を入れる 。アンジュラはもう大笑い 私が「これは僕のテーマソング だよ」と言うと、「私たちのテーマソングよ」とアンジュラも笑いながら話す 。そしてCD のタイトル「MONARCHIE IN GERMANY」の MONARCHIE の意味が分からずにいると、エルマーが「Kaiser (カイザー)」と教えてくれた。が、私は「Kaiser ?・・・ 」。すると「dsching ,Beckenbauer!(ベッケンバウアー) 」・・・、なるほど 、「皇帝」という意味か ベッケンバウアーと言えば、ドイツサッカー界 で、かつて「皇帝」と呼ばれたほどの名選手。知らないわけがない

私は、できるだけドイツ語を覚えたいと思い 、食事の時にも常に辞書を持って来ていた。彼らは気を使って英語でも話してくれるのだが、ドイツ語で話した後、ときどき私が辞書を使って調べよう とすると、このように分かりやすいヒントで教えてくれたりする

せっかくサッカーの話題が出たので、私が「今、日本でいちばん有名なドイツ人は誰だかわかるかい? 」と尋ねると、彼らは「誰だろう? 」と考えたものの、答えは出ない。「オリバー・カーンだよ」と言うと、彼らは「あ~ と言いながら納得 フムフム の笑顔 。そう、2002年サッカー ・ワールドカップ日韓大会で、キャプテンとしてドイツチームを準優勝に導き、自らもMVPを獲得したゴールキーパーのオリバー・カーンである 。この大会以降、色々なTVコマーシャルで彼の姿をよく見たものだ。するとエルマーが「もしかしたらカーンは、日本でプレーする可能性もあるんじゃないか?」と話し始めた エッ 。理由は「スキャンダルもあったし、年齢的にもバイエルン・ミュンヘン(ドイツのプロサッカーチーム)では出場の機会が少なくなる」からだそうだ。「ヨーロッパの他のチームに移籍したとしても、スキャンダルの噂は聞こえてくるだろう。しかし日本ならば、言われないだろうからね」とも付け加えた ナットク 。もし実現すれば、日本のJリーグが大いに盛り上がること間違いないだろう。私としても、楽しみである

この夜 が最後とあって、話は尽きない。12:00近くまでずっと話をしていた。そして、彼らは私にお土産、プレゼント まで用意していてくれた 。先日、エルマーと一緒に本屋で見た Bergischland の写真集、そして Karneval の音楽CD。どちらも欲しいな、買おうかどうしようかと迷っていたものだった(が、買わなかった)だけに、とても嬉しい カーニバルの時に借りて行った海賊キャップのようなバンダナも欲しかったけど、それじゃエルマーが困るだろうし。それにしても、本当にたくさんの想い出ができた

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エルマー・アンジュラの自宅です。屋根裏部屋を含めると3階建て・・・?

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実は、裏から見ると、半地下構造です。つまり4階建て!

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借りていたゲストルームは、一番下にあります。素敵な部屋でした。

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ベッドはもちろん、テーブルにキッチンまでありました。冷蔵庫もありましたよ!

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シャワーです。お風呂ではないところが日本との違い・・・!

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シャワーの隣には、このトイレ。便座カバーがとってもおしゃれ!

*この旅日記は2004年のものです。

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2014年7月 8日 (火)

Leverkusen へ(再掲)

13:00過ぎ、エルマーたちも仕事より帰宅して、ご両親宅で昼食 。先ほどビールを飲んだばかりで、あまり食べられない 。この日の昼食は、豆と肉が入ったシチューとパン、ビール

15:00ごろよりエルマーとドライブ に出かける。Wipperfürth (ヴィッパーフュルト)から Kürten (キュルテン)、そして Leverkusen (リーバークーゼン)へ。この辺りを Bergischland (バーギッシュラント)という。なだらかな牧草地が続く。街・牧草地・街・・・のくりかえし。

Leverkusen は工業都市。ここには日本庭園もあるそうで、訪れてみる。が、到着したのは17:20。すでに閉まっていて、外から見るだけとなった 。神社とお寺が合体・融合したような感じだ。エルマーに「狛犬」「鯉」「しだれ柳」など、日本語で教える。そして、夏の生暖かい夜、柳の木の下に幽霊が出ると言われる怪談話をジェスチャーしながら教えた。

*2006年サッカー・ワールドカップ・ドイツ大会で、大会前、日本代表チームがドイツ代表チームと親善試合を行ったのが、この Leverkusen の街です。

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日本庭園の案内板。夏ならばもっと遅くまで開いているようです。

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庭園入り口。目の前には鳥居、橋の下には鯉が泳いでいました。

107入口には鳥居があったのですが、中は金閣寺や銀閣寺を思わせる建物が!

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全体は、こんな感じになっています。

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庭園の周囲には水仙が咲いていました。

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さらに、梅の花も・・・!

日本庭園から商店街へ行き、ウインドーショッピングを楽しむ。SATURN があったので店の中へ入って見る。エルマーはパソコンコーナーで色々なパソコンを見ている。値段を見ると、日本よりやや高いように感じた 。そしてCDショップへ。先日見つけられなかった die PRINZEN (ディー・プリンツェン)のCD を探すと、「chronisch pleite  (クローニッシュ・プライテ)」が入っているCD「MONARCHIE IN GERMANY」(17.99ユーロ)をついに見つけた 。エルマーにこのCDを見せ、「この曲が好きなんだよ 」と話すと、「どうしてこのCDを探していたか、よく分ったよ。これは俺も好きな曲だよ 」とエルマーも嬉しそうに話していた。さらに、Yvonne のスター伝説というCDを11.99ユーロで。合計30ユーロ。

18:30ごろ、Leverkusen を出て帰宅する。19:00だ。

*この旅日記は2004年のものです。

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2014年7月 6日 (日)

世界の絵葉書 その49 エヴェレスト

皆様、おはこんにちばんは ヽ(´▽`)/

私が暮らす街では今年、『空梅雨』のようでほとんど雨が降っていないのですが、皆様のところはいかがでしょうか?

昨年までは、母が認知症にもかかわらずまだ出かけることが可能でしたが、今年は難しくほとんど出かけられません。
デーサービスでさえ粗相するようでは、マイカーでどこかへ連れて行くなんてとても・・・です。
あらかじめリハビリパンツを・・・と思っても母が嫌がりますから、私としては「もしも・・」の時を考えると、とても連れては行けません。

そんな理由もあり、今年はチューリップもお花見も、藤も紫陽花も花菖蒲も見に行けませんでした。
そろそろ蓮の花の季節、大好きな”ミセス・スローカム”やヒマワリの花を見に行きたいのですが、行けないかもしれません・・・(。_。)!

先のことはさておき・・・
久々に『世界の絵葉書』紹介します (^_^)ニコッ!
今回は、世界最高峰・エヴェレスト!です。
この絵葉書の撮影地は、きっと私も訪れた標高5545mのカラ・パタールからでしょう!

では、どうぞ!この絶景、ご覧下さい。

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以前このブログの『エヴェレスト街道を行く』をご覧いただいた方は、もしかしたら覚えていらっしゃるかもしれないですね。
最終目的地のカラ・パタールから見た風景と同じです。

送り主は、ヒマラヤの”我が妹”、ニマ・ヤンジー・シェルパです。
1992年に出会い1994に再会し、その後手紙やメールで交流していました。
この葉書は2004年の正月に届きました。
しかしこれ以降、互いに忙しかったり、様々な事情があったのでしょう・・・今ではもう互いに音沙汰なしの状態です。
もったいなかった・・・ 

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2014年7月 3日 (木)

エルマー宅付近の様子(再掲)

2月20日(金)晴れ 

 8:00起床。シャワーを浴び朝食 。この日もご両親宅でいただく イタダキマース 。新聞には昨日のカーニバルの記事・写真が満載。隣の大都市 Köln (ケルン)は、派手なパレードが行われていたようだ スゴイ 。

エルマー・アンジュラは今日、13:00まで仕事。それまでの時間、先日買った地図を頼りに、この近辺を散歩してみることにする テクテク 。10:20にスタートし、まず自宅前の Irlenfelder Weg (イルレンフェルダー・ヴェーク)を西へ。右手には、牧草地が広がり、牛 が放牧されている、のどかなところだ 。Johanes Straße (ヨハネス・シュトラーセ)で左折し、Rommerscheider (ロンマーシャイダー)から Höhe (ヘーエ)へ。教会もある。

そして牧草地帯 Natur-park (ナトゥア・パーク)へ テクテクブラブラ 。人の居住区と自然区が、はっきりと区別されていて、牧草地は北海道を思わせる。ふと見ると、まだ10代と思われる女の子 が、厩舎から馬 に乗って現われた。うーむ、カッコイイ ホレボレ ぐるりと一周し、Irlenfelder kamm(イルレンフェルダー・カム)へ。遠く Köln の街の大聖堂まで見渡せる。

およそ2時間ほど散歩し、12:10すぎ帰宅。ビール (Reissdorf kölsch;ライスドルフ・ケルシュ)を飲みながら Yvonne (イボンヌ)のCD を聴く

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エルマー宅前の小道 Irlenfelder Weg を西へ。右手には牧草地があります。

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Rommerscheider から Höhe 付近。この建物は・・・大邸宅?アパート?

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木に青いビール瓶がいくつも・・・?見てみたら、灯明のようでした。

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ここから人の居住区を離れ、Naturpark 、自然区に入ります。

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馬を飼っているところもありました。ドイツは乗馬も盛んな国です。

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広々とした景色の中を、気持ちよく散歩します。

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中央の煙突のやや右に、うっすらとケルン大聖堂の塔が見えます。

*この旅日記は2004年のものです。

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2014年7月 2日 (水)

カーニバル その2(再掲)

カーニバルは、オフィスから近くのバー (Blau Haus ;ブラオハウス)へと場を移す。人々の熱気がスゴイ 身動きすらできないほどの大勢の客で賑わっている。テーブルも椅子もすべてなくして、皆歌い踊っている。ミュージック のボリュームは最大限に大きくしているのではなかろうか 外にまでガンガン聞こえていたから!ほとんど知らない曲ばかりの中で、「ハレルヤ」だけは皆と一緒に歌えた

これほどの人込みにもかかわらず、どこからともなくビール が客同士手渡しで流れてくる。飲み終わると、空いたグラスは手渡しで回収され、再びビールが届く。このような調子で、いったい何杯飲んだのか分からない。飲みながらでも皆、時には肩を抱き合いステップを踏み、踊り続ける。トイレ へ行くことさえ、ままならない。バーのトイレは、たくさんの人が並んでいるので、アンジュラが「オフィスへ戻ったほうが早い」と言って、オフィスのトイレへと向かったほどだ。

そして再びバーへ戻り、飲み、歌い、踊る。お母さんはさすがに疲れたようで、お父さんに迎えに来てもらい、途中で帰られた。私とアンジュラは6時過ぎまで約7時間、カーニバルを楽しんだ 。休む間もないほど飲み、歌い踊り続けた。こんなに弾けたのは何年、いや何十年振りだろうか?

*バー での様子もできることなら写真 で紹介したかったのですが、なにしろ、書いたとおりのありさま。ただの一枚さえ写真を撮ることはできませんでした。

6:30ごろ、エルマーに迎えに来てもらい 、アンジュラと共に帰宅。軽く夕食をとり、9:30ごろ部屋へ。汗もずいぶんかいていたので、洗濯をしておく。エルマーに借り、カーニバルにも着て行ったTシャツは、記念にプレゼントしてくれた。

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帰宅後に撮った1枚。かけているメダルは、元の持ち主にお返しするよう、アンジュラに頼んでおきました。

*この旅日記は2004年のものです。

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2014年7月 1日 (火)

カーニバル その1(再掲)

2月19日(木)晴れ

 8:00起床。洗濯・シャワーをすませ、9:00よりご両親宅で朝食。今日は楽しい Karneval (カーニバル;謝肉祭)だ 。どんな1日になるのかな 11:00にアンジュラのオフィスへ行くことになっているので10:40、準備を整えご両親宅へ。この日の私の出で立ちは、ポロシャツの上にあえて、先日エルマーから渡された黒い半袖Tシャツ。下は皮ズボン。頭にはエルマーが貸してくれた海賊キャップ、というかバンダナのようなもの。そしてサングラス。お母さんは、オードリー・ヘップバーンのような淑女に。品がある方だけに、とてもお似合いだ。

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私は海賊風にしたのだが、お父さんから赤い帽子をかぶせられました。お母さんはオードリー・ヘップバーン風の淑女に

お父さんに車でアンジュラのオフィスまで送っていただく。オフィスはすでに準備万全で、続々と人々が集まって来る。ご馳走も並んでいる 。飾り付けも、とても賑やかで、リズムの良いカーニバルの音楽 もかかっている。人々は皆、個性的に仮装してきている。本格的なもの(ピエロ、ミツバチ、ネコ、サッカーのサポーター等々)から顔に少しペイントするだけの人も スゴイ 。

男性は、この日ネクタイをしていると、そのネクタイは鋏でチョキンと切られてしまう。そしてカーニバルのダンスミュージック に合わせ、歌い踊り 、ビール を飲み、料理を食べてと大いに盛り上がる

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手前の男性のネクタイ、すでに切り取られた後です。

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ビールやワイン、コーラも用意されています。

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皆で楽しく、ワイワイガヤガヤと過ごします。

私はアンジュラのオフィスの方たち以外は、出会う人皆、初対面。「Hallo ! Ich bin Dsching aus Japan. (こんにちは!私は日本から来たジンです) 」と挨拶する。すると、ほとんどの人が「Oh ! aus Japan ? (エッ!日本からだって?) 」と驚いている。そりゃそうだろう。仲間うちだけでお祝いしているところへ、日本人が来ているのだから でも、誰もが大喜びで歓迎しフレンドリーに接してくれた

私が着ているTシャツ には「ICH BIN 40 Bitte helfen Sie mir über die Straße」と書かれている。これを見たある男性が「この意味を知っているかい?」と話すので、「I am 40. Everybody please help me on the street. (私は40才なので、道では皆さん、どうか手助けして下さい)」と、私が杖をついて歩く真似をしながらそう話すと、「そう、その通り 」と言いながら、周りの人たちと共に大爆笑だ すっかり皆と打ち解けることができた

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アンジュラとお母さん。アンジュラは切り取ったネクタイを勲章のように帯にはさんでいます。


そして、大きな太鼓を渡され、それを持って誰彼ともなく、後ろからそっと近づいて「ドーン   」と太鼓を響かせる。唯一の日本人の悪ふざけにも、誰もが「オォーッ!」と笑って答えてくれた

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太鼓を持って、ご満悦!大いに楽しみました。

やがて私は、みんなから踊らされることに。「いや、踊れないです。 」と言っても、皆笑いながら「せっかくだから、踊ったら?」と言う。すると、一人の女性が、「私が一緒に踊ってあげるわ 」と名乗りを上げて、ついに一緒に踊る羽目に 不器用ながらも、踊っていると、皆拍手してくれた

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ミツバチの仮装をした女性と一緒に踊っていました。

参加されている人は、比較的若い人は少なかったのだが、一人、とても背が高くてきれいな女性 がいた。頬に赤いペイントをしているだけだったが、彼女にそれを言うと、「あなたにも塗ってあげる 」と言って、私の鼻のてっぺんを赤く塗ってくれた 。できれば、もう少し親しくなれたら、と思った。

*この旅日記は2004年のものです。

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