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2014年1月 9日 (木)

ネパール再会の旅 69 『日英ネ言語学校で』(再掲)

5月19日(木)晴れのち曇り一時雨
カトマンドゥ

 9時、起床と同時にゴビンダがやって来た。今日の夕方、彼の学校である『日英ネ言語学校』へと誘われた。また、彼の学校で発行している冊子に、ネパールの旅のことを書いてほしいと、原稿を依頼された。

10時にシャワーを浴び、11時にこの日帰国する牧原さんと降矢さんをゲストハウスで見送る。「お世話になりました」「いえ、こちらこそありがとうございました」と挨拶を交わす。やがて迎えの車に乗り込む2人、そしてオーナーとサンカールも空港まで見送りに行くようだ。すると、サンカールが俺の手を取り「一緒に行こうぜ」とオーナーとともに半ば強引に誘われ、とうとう空港まで道連れにされた。空港であらためて、笑いながら2人に別れのあいさつ。牧原さんは「この秋、名古屋でもコンサートを行なうから、その時にできればお会いしましょう」と約束した。
*その年の秋、本当にご連絡を頂き、牧原さんが参加する琴のコンサートに招待して頂きました。初めて見た琴のコンサート、それまでの琴に対するイメージをガラリと変えるほど、印象的な演奏でした。

1時前にゲストハウスに戻り、ヤク・レストランで昼食にトゥクパを食べる。再びゲストハウスにて少し休憩し、4時過ぎ、ゴビンダが迎えに来て彼の学校へと向かう。まず高柳さん(今回の旅でカトマンドゥ到着時、知り合った人)が英語を学んでいる『日英ネ言語学校』へ。そして日本語学校へ。生徒さんや、教える立場にある先生も、自分たちの語学力の実践になるのか、気軽に日本語で話しかけてくる。ほとんど日本語で会話が進む中、逆にネパールの文字を教えてもらったり、教育論が飛び交ったり。

この国でも、政府公立の学校では、英語教育は日本と同じように会話ができない、と言う。つまり、実践的な教育ではないのだ。私立の学校では、すべての授業が英語で行われるそうだ。また、英語ができないと、仕事もないそうで、だからみな一生懸命、英語を勉強するそうだ。したがって、当然『生きた英語』が身につくわけだ。俺もネパール語を学び、日本語の教え方を学び、日本語学校の先生になって、この国で過ごせたら・・・と思う。

8時30分、ゲストハウスへ戻る途中、2年前にゴビンダとともにインド・ダージリンへ3人で旅した時の友達・アヌと偶然会った。元気そうだった。

Img378
ゴビンダの親友のアヌ君。彼とも偶然再会することができました。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1994年のものです。

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コメント

日本でこういった形で再会できるのは最高ですね。
琴の音も美しかったことでしょう。
一芸に秀でる方が大変羨ましいです。それなりに修練が大変なのだと思いますが。
かの地での日本語学校の先生に、退職されてからもできますね。その夢はおありですか。
英語を必死に学ぶ子供たち、日本はそんなに切羽詰っていないのですが、これからはそうなるのでしょう。


tona様

本当にご連絡をいただいたときは、本当に驚きました。
しかも彼女だけでなくお弟子さんとイタリア人のお友達も一緒で、コンサートの前日は明治村を案内しました。
この旅から帰国後、『日本語の教え方』を通信講座で学び、終了して実際にネパールへ行こうとしたのです。
ところがその直後、父が入院し癌で余命半年持つかどうかの状況で、計画倒れに終わってしまいました。
いつまでも『日本人は英語が下手』ではいきませんから、学校での英語教育も変わっていくと思います。

投稿: tona | 2014年1月 9日 (木) 13時33分

私も外国で日本語を教えたいなあと思ったこともあります。そのうちに年取って外へ出るのが面倒になりましたが。でもパートでしたが退職後さまざまな国の人に日本語を教えました。楽しかったですよ。アメリカ・イギリス・南アイルランド・中国・タイ・ヴェトナム・ラオス・インドネシア・フィリピン・モンゴル。企業に受け入れられる前の短い間だった人もいれば何年も続いた人もいて楽しかったですよ。中には日本の文化論について論文書くからと古典や文語文法を習いに来た人までいてこちらもひさしぶりで勉強したり。懐かしいです。


agewisdom様

帰国後、通信教育で『日本語の教え方』を学びました。
今でも教材や雑誌は残してありますが、いかんせん、もうずいぶん年月が流れ、すっかり忘れてしまいました。
この旅の2年後、父が癌で亡くなったのですが、もしそうでなければ、この『日英ネ言語学校』で日本語教師をしていました。
実際にゴビンダを通して先方に働きかけ、返事もいただいていたのです。
私の人生、節目節目でいつも父の病で中止せざるを得ませんでした。

投稿: agewisdom | 2014年1月 9日 (木) 20時51分

お早うございます
貴重な国際交流の場でしたね
本物の日本語で会話が出来たので
現地の皆さん 感動的だったことでしょう
日ネ英とどんな形で言葉が遣り取りされたのは
興味がありました
そうでしょうね 現地での日本語の先生になる
良いチャンスだった様ですね


古都人様

気ままな長期一人旅がもたらす、私にとっても貴重な体験でした。
地方によって方言もありますし、彼らにとって決して教科書通りではない日本語を聞くことができて、とても良い機会になったと思います。
もしネパールで職を探し暮らすのであれば、『日本語教師』と思い帰国後に学び『修了証』のコピーを送って打診したのです。で、「往復の飛行機代や日本での物価に見合う給与は出せないが、それでも良ければ・・・」という返事をいただいていたのです。
私はそれでも良いと思ったのですが、その直後に父の肺癌が判明し、実現には至りませんでした。

投稿: 古都人 | 2014年1月10日 (金) 06時27分

前々日の写真、ウマさんと本当に楽しそうな
ツーショットですね。ウマさんって美人ですね~
私の知り合いのネパール人もとても美人でした。
一度しか会っていないのですが、ウマさんに
似た感じであることを思い出しました。

前日の写真も楽しい思い出ですね~
だって芸能人と間近に会われたのですから・・・
私達は短期間でしたのでこういう体験は
ありません。


matsubara様

ウマ、本当に綺麗な女性でした (*^o^*)!
性格も良い子でしたヨォ!
あの写真、撮ると見せかけてセルフタイマーにしたので、2人で即興の「仕事をしている」芝居(?)です。
日本人にも似た顔つきだけに、もしウマを日本へ連れてきたとしても、かなり『もてた』でしょうね。
日本ではネパールの俳優や有名人は全く知る機会がないので、たまたま機会を得て彼らと接することができたことは貴重な体験でした。

投稿: matsubara | 2014年1月10日 (金) 08時40分

おはようございます。
素晴らしい国際交流の旅ですね。
数々の貴重な体験は、
お人柄を通しての繋がりでしょうね。、
日本語学校教師の慕辺未行さんは、有りえた事ですね。
何だか違和感なく想像出来そうです。
出会いの女性は皆さん綺麗ですね。
ネパールの女性は美人が多いのでしょうね。
お写真は皆さんの思い出として
今も残っているかもしれませんね。


すみれ様

当時、決して『国際交流』なんて意識はなく、ごく自然に流れのままに日々過ごしていたのですが、結果的にそうなっていました。
これも『勝手気ままな一人旅』が偶然招いた体験だと思います。
この旅から帰国後、通信教育で『日本語の教え方』を真剣に勉強しました。そして実際に日本語教師としてネパールへ行けるところまでいった途端、父の肺癌が判明し夢は夢のままとなりました。
ネパールは少数民族が多数織り成す『多民族国家』なのですが、やはり綺麗な女性が多かったです。
日本人にも似た顔つきでありながら、やや「ほりの深い」目鼻立ちがはっきりした美人顔が多かったように思います。
当時、写真はまだ貴重でしたから、今もきっと大切にしてくれていると思います。

投稿: すみれ | 2014年1月10日 (金) 11時14分

今回のお話に出てくる女性は いつもより年齢が高く 住まいも
都会ということで 雰囲気がかなり違いますね
慕辺未行さんが 日本語教師で渡っていらしたら 間違いなく
ネパール女性の夫、となっていたでしょうね・・
人生とは不思議で深いものです
あの飛行機は滑走距離は短いのでしょうね 高地の狭い所を
離発着するのですから・・


bella様

カトマンドゥとヒマラヤ山間部の村の人々との暮らしはずいぶん違いますし、山間部それぞれの人々の伝統的な衣装をはじめ生活のスタイル・・・、かなり違いました。
父がもし肺癌に罹らずにいたら、私はまず間違いなくネパールへと渡り日本語教師になっていたことでしょう。
そして今頃はネパリースンダリ(美人)と一緒になってるでしょうネ (^_^)ニコッ!
ルクラの飛行場、小高い山の斜面の滑走路…、滑走距離はたしかに短かったです (^_^;;!
この飛行場も今ではアスファルト舗装されているようです。

投稿: bella | 2014年1月10日 (金) 15時57分

本当に、ネパールで日本語教師をされていたかもしれなかったんですね
人生ってやっぱり不思議なもので、縁やタイミングが重なり合って、今の自分があるんでしょうね
だんだん歳をとって、しみじみ感じることがあります
たくさんの貴重で素敵な思い出の数々は、今も生き生きとしていらっしゃって・・・羨ましいです


きゃぶ様

父が癌に罹っていなければおそらくネパールへ行って日本語教師をしていたでしょう。
かつて北海道・釧路でヘルパーをしていた時も、父が脳梗塞で倒れ帰郷せざるを得ませんでした。
今は認知症の母の面倒をみなければなりませんし・・・。
こう考えますと、人生って「ままならない」ものと感じます。
しかし思い出だけはいつまでも色褪せることなく、記憶の中に留めておきたいと思います。

投稿: きゃぶ | 2014年1月11日 (土) 20時23分

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