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2014年1月

2014年1月30日 (木)

ネパール再会の旅 78 『そろそろ・・・帰国の準備』(再掲)

5月28日(土)晴れ
カトマンドゥ

 10時ごろ起床。ここ最近、気づかないうちに、遅寝遅起きになってしまった。日本で必死になって働いている企業戦士が知ったら、目くじら立てて怒りそうな、だらだらとした生活である。

11時ごろ、ラッキー・チベッタン・レストランにて、軽く朝食をとり、買い物をする。スーパーで、紅茶とパール・エッセンシャルバーム、クラフトショップでカレンダーと骨董品のブリキで出来たポット(300ルピー)。さらに、自分用に刺繍入りのTシャツをオーダーする。これは、いくつもあるデザインのサンプルの中から気に入ったものを選び、無地のTシャツ(サイズ・色は自由)に刺繍してくれるシステム。お土産にするにはなかなかの逸品なのだが、既製のものに比べるとやや割高。

帰国日がいつになるか分からないから、お土産を先に買いこんで、お金の段取りをしておこう。ミュージックテープも計4本、お土産などを入れるナイロンのバッグが200ルピーで買えたのは、安くて助かった。残るお土産は、スティックのお香と、ララ・ヌードルも買っていくか。ゴビンダに頼まれた原稿が思うようにはかどらず、苦労している。

夕方、外からにぎやかな声が聞こえてきた。見てみると、インド人の蛇使いの大道芸が行われていた。せっかくだから、部屋を飛び出し、目の前で見てみた。初めて見たのだが、やっぱりヘビは好きになれない。

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賑やかな声につられて、部屋のバルコニーから下を見ると・・・w(゚o゚)w!

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鎌首上げたコプラが・・・アワ((゚゚дд゚゚ ))ワワ!!

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チップを要求していた蛇使いのインド人。

夕食は、オム・マンダラ・レストランで ”すき焼き”にチャレンジ。お味のほうはいかがなものだろうか?しかし、案ずるより産むが易し、食べてみると何ともデリシャス!肉がやや硬いかなぁ、でも豆腐に長ネギ、春雨になぜかホウレンソウが入っていて、お味噌汁付きで100ルピー。これならば、ここがネパールだということを考えれば、充分に合格だ。

夜、アンジュと明後日のパブラムの子供のバースデーパーティーと、その翌日のアランさんのバースデーパーティーに行くか確認する。一緒に行くことにして、夜更け、ヤンジーとの思い出をノートにまとめ、12時床に就く。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1994年のものです。

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2014年1月29日 (水)

ネパール再会の旅 77 『やっぱり・・・』(再掲)

5月27日(金)晴れ
カトマンドゥ

 9時起床。今一つ、寝つきが悪かったなぁ。まずシャンプーして10時にラッキー・チベッタン・レストランへ朝食。スクランブルエッグにトースト、フルーツカードにコーヒーで46ルピー。まぁこんなところでしょう。

部屋でのんびりし、2時過ぎにアンジュと日本大使館へ。大方、予想されたように、ビザの発給は拒否された。やはり皆の言う通り、非常に難しいようだ。正規の書類をそろえてもダメなのだから・・・。あとで『風の旅行社』で訊ねてみたら、その会社でさえも、初めてネパール人のスタッフを、研修のため日本へ招くのに、ビザ発給まで半年かかったそうだ。一個人レベルでは、やはり無理なのか。日本で不法に滞在する外国人労働者が多いのが根底にあるだけに、止むをえないのだろうか。どうしてもと言うならば、結婚するしかないのだろうが、アンジュの娘さんのことを思うとそれは考えられない。残念だが、この時点ではあきらめざるを得ない。

これによって、帰国は6月2日か5日になるだろう。いずれにせよ、あと数日のビザの延長が必要だ。6月2日の便が取れれば、言うことなしなのだが・・・。帰りにシンガポールにも寄って行こうか。でも、寄るとしても夜中にしか到着できないし・・・。

夕食は、ラサ・レストランでエッグ・チョウミンとポーク・ビーンカード。麻婆豆腐とは少し違っていたが、まぁイケる味である。食後の帰り道、ネパールのミュージックテープを2本(250ルピー)買い、ゲストハウスへ戻るとオーナーが俺を呼ぶ。アンジュのビザが発給されなかったことは、俺にとってもアンジュにとっても、とてもショックだった。昨日は、「もしかしたら・・・?」の期待で、ハッピーだったのに・・・。

でも、これで終わったわけではない。次があると信じて、いつか必ずアンジュを、そしてヤンジーを俺は日本へ招きたい。彼女たちとの友情のためにも・・・。

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オーナーに呼ばれて3人で、ビールを飲みながら ”残念会”(?)。でも、ダメ元だったし、チャレンジしただけでもいいんじゃないかな!アンジュのこの笑顔に救われる気がしました。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1994年のものです。

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2014年1月28日 (火)

ネパール再会の旅 76 『ダメ元のビザ申請』(再掲)

5月26日(木)晴れ
カトマンドゥ

 8時20分起床。比較的良く眠れたほうである。とりあえずシャワーを浴びるとして、9時30分過ぎ、ロードウェイ・カフェで朝食。60ルピーもの朝食は、ちょっと贅沢かな。しかし、ゲストハウスの水はよくないし、お湯でさえも一抹の不安が残るし・・・。自炊できないのが辛い。

ゲストハウスへ戻ると、昨日心配かけたウマとガンガも出勤していた。2人に昨日のお礼とお詫びを言い、夕方頂いたトーストとチャイの料金を尋ねると、「ノーノー!」と言って教えてくれない。ウマは「あれは私たちがあなたのことを思って、したことだから。あなたが頼んだものじゃないわ」と言って、その代金を受け取る気は全くないようだ。日頃の彼女たちを少しは理解しているつもりだ。これ以上どう話したところで、絶対に受け取ってもらえないだろう。俺は「ダンニャバード!デレィ ダンニャバード!(ありがとう!ホントにありがとう!)」とお礼を言った。

11時ごろより、アンジュと彼の弟との3人で日本大使館へ。書類がそろっていてビザ申請は出来た。問題は発給されるかどうか、されるとして、いつごろになるのか、である。それによって俺の帰国の予約、ビザの延長、両替とすべてが決まる。明日の2時30分に再度行かなければならないのだが、わずか1日で発給されるわけはないだろうし・・・。とりあえず$100両替しておいたのだが、残る日の滞在費用、空港税、あと少々のお土産とそれらを入れるバッグetc・・・。もう$50から$100くらいは必要だろうなぁ。

それにしても、やたらに暑いこの日。午後は部屋でゴロゴロしたり、アンジュが仮に来日できた時のための日本語のアンチョコづくり。

6時過ぎ、ラッキー・チベッタン・レストランでチキン・コーンスープとエッグ・フライドライスで38ルピー。朝食よりはるかに安い。ゲストハウスへ戻り、休憩してから洗濯とシャワー。そして例のものを飲む。意外に夜更かしして、11時30分過ぎに眠る。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1994年のものです。

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2014年1月26日 (日)

国宝&重要文化財シリーズ切手

皆様、おはこんにちばんは ヽ(´▽`)/

寒い日が続き「春まだ遠からじ」ですが、いかがお過ごしでしょうか?

久々に『切手』の紹介です。調べてみたら、何と4ヵ月ぶり (^_^;;アセッ!
カテゴリー名は『日本&世界の切手・コイン』とありながら、コインはすでに紹介し尽くし、切手は未だほとんど日本のものだけ (^_^;;(^_^;;ヤバスギ!

そんな状況ですが今回は懐かしい『国宝』シリーズと『重要文化財』の切手を少々紹介します。

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まず、旧・国宝シリーズ(3枚1セット)から、『銀閣寺』『法隆寺』『姫路城』『雪舟の山水画』です。
これら以外にもまだたくさん発行されています。

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新・国宝シリーズ(2枚1セット)から、『薬師寺東塔』『唐招提寺金堂』『松本城』『清水寺』『東照宮陽明門』です。
もちろんこれら以外にもたくさん発行されています。

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重要文化財シリーズの切手の一部です。
『大浦天主堂』『表慶館』『同志社礼拝堂』、『旧開智学校校舎』『聖ヨハネ教会堂』『旧札幌農学校演武場』、『旧済生館本館』『旧日本銀行京都支店』『尾山神社神門』、『旧岩崎家住宅』『旧西郷従道住宅』『北海道庁旧本庁舎』、『旧陸沢学校校舎』『桜宮公会堂玄関』『旧五十九銀行本店本館』、『旧学習院初等科正堂』『旧グラバー住宅』『豊平館』。

国宝も重要文化財もどちらも歴史的財産ですよね。
切手マニアだったころ、これらを通して知ったことがたくさんあります。そして大人になり旅するようになって訪れたところもあります。

インターネットやメールが全盛の現代、直筆の手紙を書く機会に恵まれませんが、このような切手が貼られた手紙を受け取ったならば、やはり嬉しいでしょう!

あらためて切手の素晴らしさを実感したような気がします。

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2014年1月23日 (木)

ネパール再会の旅 75 『二日酔いの日のこと』(再掲)

5月25日(水)晴れ
カトマンドゥ

昨夜はククリラムの飲み過ぎ(中ビン1本)で、胃の中がおかしく、今朝はなかなか起き上がれなかった。ルームキーパーが部屋の掃除のために、ドアをノックしても応答する元気もないほど。部屋の中から返事がなければ、ルームキーパーは合鍵を使って部屋の中へ入り掃除をしていく。のだが、合鍵を使ってもドアは開かない。内側からカギがかけられていれば、部屋の中にいることは、彼女らは分かっている。

他の部屋の掃除を済ませて、最後にもう一度俺の部屋へ来たのだろうか、再びドアをノックする。しかし、二日酔いであまりにも気分がすぐれなかった俺は、そのままベッド上に横たわっているしかなかった。すると、ルームキーパーはウマと相談したのだろうか、ノックと一緒にウマの声で「ハロー、○○!いるんでしょ?」とドアの向こうから呼んでいる。こうなると、ドアを開けざるを得ない。無理やり体を起こし、内鍵を開け、そしてすぐにまたベッドへ。

ウマとガンガが入って来て、「どうしたの?」と心配そうに聞いてくる。「ストマック・トラブル・・・」と力なく答える。「薬は飲んだの?」「飲んだけど、効かない・・・もう少し寝かせて」と言うと、彼女たちは「分かったわ、でも鍵はかけないでネ」と言って、部屋を後にした。

スタッフの心配をよそに、2時過ぎまで体を休めていた。1階の雑貨屋で冷えたファンタを1本飲んだきり、何も食べられない状態だ。再び部屋の中で休む。4時ごろ、ウマとガンガが俺の様子を見に来た。

「何か食べた?」
「いや、何も食べてない・・・」
「何か食べないと、薬も効かないわよ」
「あぁ、分かってるけど、食べに行けるほどじゃないんだ」

するとしばらくして、チャイとジャムトーストを持ってきてくれた。「これを食べて、それから薬を飲んで休んだら、きっと良くなるわよ」と言って、置いて行ってくれた。俺は彼女らの好意に感謝し、それらを何とか口に入れた。そして薬を飲んでもうしばらく横になる。

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私を気遣って世話してくれたウマ(左)とガンガ(中)です。2人とも、キレイですよネェ (^_^)!

まだ体は気だるいが、5時45分ごろ重い体を無理にでも引きずり、トコトコと外出。オム・マンダラ・レストランで、牛丼とおひたしを注文する。どんな牛丼が出てくることやら・・・。日本の牛丼は、玉子でとじてはいないのだが、この店のものは、まるで親子丼のようで、ただお肉はやはりバフ(水牛)かな?けっこう大盛りなので、全部も食べきれずギブアップ。トロトロとゲストハウスへ戻り、Tシャツなどを洗濯し、シャワーを浴び、今日は酒はほどほどにして眠ろう。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1994年のものです。

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2014年1月22日 (水)

ネパール再会の旅 74 『5000ルピー?』(再掲)

5月24日(火)曇りのち晴れ
カトマンドゥ

 昨夜、スタッフの好意で扇風機を借りて寝ていたのだが、途中で外枠が外れ、羽が折れるハプニングが起こった。結局、蚊に悩まされながら眠った。9時20分に一旦目覚め、扇風機のことを話し、再度眠り、12時に起きる。

重い腰を上げ12時20分、クリシュナ・モモ・レストランでチョウミンとモモを食べる。計25ルピーと相変わらず安い。ネパリーキッチンでコーヒーブレイクとする。明け方の天気は曇っていたが、昼は暑いほど陽が照っている。

ゲストハウスへ戻りシャワーを浴びていると、その間にパブラムから4回も電話があったらしい。何か急ぎの用事だろうかと考えていたら、再度電話がかかり、直後にゲストハウスまでやって来た。要件を尋ねると、どうしても5時までに5000ルピー必要らしい。しかし、彼の奥さんが鍵をかけたまま出掛けているらしく、家の中に入れない。だから、5000ルピー用意できなくて、貸してもらえないか、ということだ。事情に関わらず、貸してあげたかったが、さすがに5000ルピーもの大金は、手元になかった。

パブラムには、今月30日午後7時に彼の子供のバースデーパーティーが、ホテル・ウッドランド近くのレストランで開かれ、招待されている。何かプレゼントを持って駆けつけなければいかんな。

ゲストハウスでウマにネパール語(文字)を教えてもらい、アンジュにマッサージを施してもらう。しかし疲れがたまっているのか、足が重い。午後に色々間食をしたせいか、今一つお腹が減っていなくて、7時にヤク・レストランにてトマト・エッグスープとサラダのみの夕食とする。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1994年のものです。

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2014年1月21日 (火)

ネパール再会の旅 73 『ウマは、”ネパールの妹?”』(再掲)

5月23日(月)晴れ一時雨
カトマンドゥ

 8時20分起床。洗顔、歯磨きを終え、パブラムを待つ。9時ごろ電話があり、9時半に迎えに来ると言う。いつものように、バイクでやって来て、2人乗りでパブラム宅へ。先日注文しておいたランチョンマットのセットを受け取り、他にもサンプルとして数点頂いた。そして奥様手作りのダルバートを頂き、しばらく談笑した後、ゲストハウスへと送ってもらう。

ゲストハウスでは、コーラを飲みながら、久しぶりにウマをはじめとするスタッフの女の子たちと戯れる。彼女たち3人そろえば、俺は格好のからかい相手、楽しい暇つぶし相手なのかもしれない。俺からしても、お互い様なんだけどネ。

トレッキングシューズを売ることにする。もう必要ないだろうから。すると、600ルピーで買い取ってくれた。新品で1750ルピーで買ったものだから、差し引き1150ルピー。1日40ルピーでレンタルしたことと同じ計算になる。残る日々で、自分や友人たちへのお土産を買わなければならない。

午後、晴れているにもかかわらず、雨。一時は本降りになって来た。これじゃどこへも行けないな。ゲストハウスで暇そうにしていると、ウマがまた日本語の勉強、というよりも、俺のことをいろいろ聞いて面白がっているような気もするが・・・。『なぜ、あなたは結婚しないのですか?』『たばこやお酒は体に良くない』など、けっこう突っ込まれた。まぁ俺にとっても、ネパール語の勉強になるからいいか。それに彼女は俺のことを「日本のお兄さん」と言い、自ら「私はあなたの妹」と言っている。悪い気はしない。するはずがない。他の日本人も、「彼女きれいですねー」と認めるほどの子だ。まだ22才で6人家族と共に暮らしているそうだ。

夕食は、ヒマラヤン・キッチンへ。欧米からのツーリスト向けのレストランのせいか、メニューを見ると、どれもこれも軒並み高い。安いところで、グリルド・ステーキ(99ルピー)にする。やはり、しっかりとした店構えのところは、どこも高いナァ。ヤク・レストランやラッキー・チベッタン・レストランが、俺には似合いか。7時30分ごろ戻り、洗濯とシャワー。そして毎夜のごとく、コーラ割りを飲んで眠ることにする。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1994年のものです。

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2014年1月19日 (日)

シャコバサボテン?デンマークカクタス?どちらの名が似合う?

皆様、おはこんにちばんは ヽ(´▽`)/

年が明け2週間余り。まだまだ寒い日々が続きますが、体調崩されたりしていませんでしょうか?

かつてはずいぶんベランダ・ガーデニングに凝っていた我が家ですが、今ではすっかり放置状態。プランターは割れてきているものもあるし、害虫が棲みついていたり・・・(。_。)
もう”荒れ放題”のベランダです (^_^;;ハズイ!

そんなベランダから昨年末近く、室内に取り込んだピンク色のシャコバサボテンがずいぶん咲き始めました。
実はこのシャコバサボテン、昨冬はずっとベランダ(カバーがところどころ破れた簡易温室)に出したままで、ついに一つも花開くことがなく、この冬はさすがに室内へ入れました。
すると・・・蕾が徐々に色濃く大きくなり出し、年が明け開花し始めました。

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2年ぶりに咲いたピンクのシャコバサボテンです。

ところで大晦日の日の記事に、赤いデンマークカクタス ・マリンディーの花を up しました。
こちらはさすがにそろそろ終わりです。
しかしせっかくなので、もう一度・・・

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昨年のクリスマスイヴに咲き始めたデンマークカクタス・マリンディー。

ところで皆さん、お気づきかと思いますが『シャコバサボテン』と『デンマークカクタス』、呼び方が違うだけでどちらも同じ種類の花ですが、どちらの名前が似合うでしょうか?
今回あえて使い分けていますが、理由は簡単です。
マリンディーは買った時の鉢に『デンマークカクタス・マリンディー』とあったからです。
一方ピンクのシャコバサボテンは、ずいぶん前から我が家にあるもので、ずっと前から「シャコバサボテン」と呼んでいたのです。
でもピンクのシャコバサボテンだって『デンマークカクタス』だし、マリンディーだって『シャコバサボテン』だし・・・。

どちらの名前がこの花たちに似合いますか (^_^)?

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2014年1月16日 (木)

ネパール再会の旅 72 『再び、アンジュの姉宅へ』(再掲)

5月22日(日)曇り
カトマンドゥ

 3日続けて寝苦しい夜だった。9時20分にやっと起床。シャワーを浴びる。10時30分、パンとファンタオレンジを買い、朝食とする。昨日洗ったスニーカーとブルゾンはほぼ乾いている。ジーンズもかなり乾いている。寝不足の体を昼近くまで休める。

11時40分ごろ、アンジュがやって来て、出かける用意をする。大っぴらに出来ないので、ゲストハウスを別々に出て、チェトラパティでアンジュがタクシーを拾う。前回同様、合図をもらってから俺もタクシーに乗る。今日は、アンジュの娘さんも一緒だ。今6年生で、今日は学校は休みとのこと。

12時20分にアンジュの姉夫婦、アランさんとウタンさんの家へ到着。ここへ来るのは2度目とあって、大歓迎された。ブプサへのトレッキングの話など、とにかく一生懸命に英語で話をしていた。お酒は今日はウォッカである。しかし、これはどうにもきつ過ぎる。少しずつ飲んでは水でうすめる。でないと、酔い潰れてしまいそうだ。今日は子供たちもいて、賑やかだ。ウタンさんの孫に当たる男の子は、けっこうワンパク。これぐらい元気な方がいいのかも。

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この日は、アンジュの娘さんだけでなく、ウタンさんの娘さんとその子供たちもいました。

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ウタンさんの幼いお孫さん達とアンジュ。

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アランさんは、この時すでに相当酔っていました。

夕食は、皆揃ってネパール料理とスパゲティ。しかし、アランさんは完全に飲み過ぎで、もうヘベレケ状態。ウタンさんが支えないと、とても歩けないほどまで、酔っぱらっていた。それだけ俺の訪問を喜び機嫌を好くし、歓迎してくれた、ということなのだろう。久しぶりに食べるスパゲティはとても美味しく、お腹いっぱいだ。

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皆で夕食を頂きます。ネパール料理のほかに、スパゲティもありました。

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美味しかった料理に、ご満悦状態の私です。

折からの寝不足もあって、体がかなり辛い。7時30分過ぎにおいとましてゲストハウスへと帰る。シャワーを浴び、ククリラムのコーラ割りを少しだけ飲んで、休むことにする。明日は、パブラム宅にお呼ばれだ。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1994年のものです。

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2014年1月15日 (水)

ネパール再会の旅 71 『ダルバール広場界隈』(再掲)

5月21日(土)晴れ一時雨
カトマンドゥ

 昨夜も、蚊と向かえにあるTシャツ屋のミシンの音が夜中過ぎまでうるさくて、あまり眠れなかった。8時40分過ぎに起き、洗濯とシャワー。10時過ぎ、ゴビンダが来ていたが、腹が減っていたので、サード・アイ・レストランで65ルピーものコンチネンタル・ブレックファストをとる。やっぱりきれいなレストランだけあって、高い。今日は1日、何をしようかな。体がピシッとしないので、部屋で休むことにする。

1時に再び外出し、ダルバール広場から、昨日に続きメギー・レストランへ。コロッケ定食(60ルピー)を注文する。コロッケは日本のものと全く同じで、けっこうお腹もふくれる。外を見ると、時折雨がぽつぽつと降っている。新聞や週刊誌を読みふける。気になるのは、プロ野球だ。中日は山本、今中をはじめとする投手陣が頑張っているようだ。
*他のチームのファンの方、あまり気にしないでください (^_^;;!私は名古屋生まれ名古屋育ちですので・・・。一応・・・、1994年の話ですからネェ (^_^)!

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ダルバール(旧王宮)広場の象徴、シヴァ・パールヴァティ寺院。シヴァ神とパールヴァティ神が街を見守っています。

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この付近一帯は、お寺がいくつもあります。それにしても、鳩の数もスゴイ!

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ハヌマンドゥカ入口に祀られている神々。ネパールは人口より、神口の方が多いとさえ云われています。

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ハヌマン像。なぜ、このようなマントを着ているのだろう・・・?

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カーラ・バイラブ神。シヴァ神の化身だそうで憤怒の形相らしいのですが・・・。

ゲストハウスに戻り、ブルゾンとスニーカーを洗う。明日、明後日と招待されているのに、汚れたものを身につけていては恥をかくだけだし、招待者に申し訳ないから。6時過ぎまでウトウトし、夕食は、ラッキー・チベッタン・レストランにてガーリック・ステーキとする。今日は食費だけで200ルピー弱使ってるな。$9弱か。残りのお金を考えると、少し控えなければいけないのだが・・・。

ゲストハウスに戻り、今度はジーンズの洗濯。今日はまるで ”洗濯デー”だ。ククリラムのコーラ割りは、カトマンドゥでは毎夜のパターン。飲み過ぎない程度に、眠ろう。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1994年のものです。 

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2014年1月14日 (火)

ネパール再会の旅 70 『ワォ!ネパール語が読めた!』(再掲)

5月20日(金)晴れ
カトマンドゥ 

 9時20分過ぎ起床。蚊がうるさくて今一つよく眠れずに、とりあえずシャワーを浴びることにする。10時にダルバール広場(旧王宮前広場)の方へ行き、多少の日本食と日本の新聞が置いてあるメギー・レストランにてブランチは、おじや(30ルピー)とグリーンティーとする。久々に日本の新聞を読む。昨日帰国された牧原さんと降矢さんからも聞いていた通り、4月下旬の名古屋空港での中華航空機墜落事故、F1レーサー・セナの死など、それらを報じる記事を読んでいた。プロ野球は、中日は2位と健闘しているようだ。

食後、ポストオフィスへ行き、ゲストハウスへ戻る。体を休めていると2時ごろパブラムから電話があり、月曜日に再び食事に招いてくれるそうだ。少し小腹が空いて、クリシュナ・モモ・レストランへ行き、チョウミンを食べる。そして本屋へ立ち寄り、ネパール民話の本(英語版)を買い、ネパリーズキッチンでコーヒーブレイク。

ゲストハウスへ戻り、ウマとアンジュが「日本語を教えて」と言う。どんな言葉を知りたいか尋ねると、ウマが紙に書き始めた。しかしそれがすべてネパール語。

「No,no ! I can't read !」
「No problem !」
「・・・、(読めるわけないじゃん)」

書かれた言葉を見てみると、「キナ タパイィ ・・・チュロット カヌ ツァ?」と読めてしまった!「キナ タパイィ チュロット カヌ ツァ? Why do you smoke? (どうしてあなたはタバコを吸うのですか?)」と言うと、ウマもアンジュもうなずきながら大笑い。いかにも「ほら、読めたでしょ!」と言いたげである。

でも、一番驚いているのは、当の俺自身だ。まさか、読めるだけでなく意味も理解できたのだから!知らず知らずのうちに、けっこう身についてしまっているようだ。ウマとアンジュは「日本語を教えて」というより、このような質問で、俺をからかいながら遊んでいるようにも思うのだけどなぁ。それだけ親しみがある、ということか。

明後日の日曜日は、再びアンジュのお姉さんの家へ行くことになり、月曜日はパブラムの招待、火曜日はアンジュと日本大使館へ行く予定だ。何だかんだ言いつつも、予定が入って来て、いつになったら日本へ帰るのやら・・・。

夕食は、7時ごろヤク・レストランにて、エッグカリーにナン、ラッシーとする。すると食事中に停電。ろうそくの灯りの中で食べる。でも、だいたい1日おきに、この時間になると停電するので、もう慣れっこになってしまった。

ゲストハウスへ戻り、ククリラムのコーラ割りを飲む。しかし、最近飲み過ぎなのか、胃の調子がやや悪い。少し量を控えめにして、今日は早めに休もう。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1994年のものです。

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2014年1月12日 (日)

世界の絵葉書 その46 MALLORCAから

皆様、おはこんにちばんは ヽ(´▽`)/

年が明け早や10日以上が過ぎました。
ブロ友様や訪問してくださいました皆様、いかがお過ごしでしょうか?

20年ほど前の旅日記にだらだらとお付き合いいただき、ありがとうございます。
平日に連載しているネパールの旅は、来月中に終了します (すでに予約投稿済み)。
その後ですが、このままココログで書き続けるか、他サイトへ引っ越しするか悩んでいます。
慣れたところが良いか、新天地を求めるか、結論はもう少し先になりそうです。

今回は久々に『世界の絵葉書』の紹介です。
新年第1弾ですので、スペイン・MALLORCAからの絵葉書をドドーンと3枚、紹介いたします。

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MALLORCA、「マヨルカ」とも「マジョルカ」とも呼ばれています。
サッカーの強豪チームがあることでも有名です。
で、場所は・・・地中海西部のバレアレス諸島にあります。

このMALLORCAからの絵葉書、以前にも紹介したことがあるのですヨ (^_^)ニコッです。
『世界の絵葉書 その39』です。

送り主はやはりドイツの親友・Elmar&Angela夫妻です。
届いた年は2001・02・04年です。
ほぼ毎年と言ってよいほど出かけているようです。

ドイツという国が、どちらかと言えば『寒い国』。南部にある大都市・ミュンヘンの緯度は日本で言えば北海道・札幌とほぼ同じなのです。
だからこそ、ヨーロッパ南部の暖かいリゾートへバカンスに行くのでしょう!

それにしても、ホント風光明媚な島ですよネェ!海の青さがとても印象的 w(^o^)w!

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2014年1月 9日 (木)

ネパール再会の旅 69 『日英ネ言語学校で』(再掲)

5月19日(木)晴れのち曇り一時雨
カトマンドゥ

 9時、起床と同時にゴビンダがやって来た。今日の夕方、彼の学校である『日英ネ言語学校』へと誘われた。また、彼の学校で発行している冊子に、ネパールの旅のことを書いてほしいと、原稿を依頼された。

10時にシャワーを浴び、11時にこの日帰国する牧原さんと降矢さんをゲストハウスで見送る。「お世話になりました」「いえ、こちらこそありがとうございました」と挨拶を交わす。やがて迎えの車に乗り込む2人、そしてオーナーとサンカールも空港まで見送りに行くようだ。すると、サンカールが俺の手を取り「一緒に行こうぜ」とオーナーとともに半ば強引に誘われ、とうとう空港まで道連れにされた。空港であらためて、笑いながら2人に別れのあいさつ。牧原さんは「この秋、名古屋でもコンサートを行なうから、その時にできればお会いしましょう」と約束した。
*その年の秋、本当にご連絡を頂き、牧原さんが参加する琴のコンサートに招待して頂きました。初めて見た琴のコンサート、それまでの琴に対するイメージをガラリと変えるほど、印象的な演奏でした。

1時前にゲストハウスに戻り、ヤク・レストランで昼食にトゥクパを食べる。再びゲストハウスにて少し休憩し、4時過ぎ、ゴビンダが迎えに来て彼の学校へと向かう。まず高柳さん(今回の旅でカトマンドゥ到着時、知り合った人)が英語を学んでいる『日英ネ言語学校』へ。そして日本語学校へ。生徒さんや、教える立場にある先生も、自分たちの語学力の実践になるのか、気軽に日本語で話しかけてくる。ほとんど日本語で会話が進む中、逆にネパールの文字を教えてもらったり、教育論が飛び交ったり。

この国でも、政府公立の学校では、英語教育は日本と同じように会話ができない、と言う。つまり、実践的な教育ではないのだ。私立の学校では、すべての授業が英語で行われるそうだ。また、英語ができないと、仕事もないそうで、だからみな一生懸命、英語を勉強するそうだ。したがって、当然『生きた英語』が身につくわけだ。俺もネパール語を学び、日本語の教え方を学び、日本語学校の先生になって、この国で過ごせたら・・・と思う。

8時30分、ゲストハウスへ戻る途中、2年前にゴビンダとともにインド・ダージリンへ3人で旅した時の友達・アヌと偶然会った。元気そうだった。

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ゴビンダの親友のアヌ君。彼とも偶然再会することができました。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1994年のものです。

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2014年1月 8日 (水)

ネパール再会の旅 68 『普通はできない旅の体験』(再掲)

5月18日(水)曇り
カトマンドゥ

 8時起床。このところ、ぐっすり眠れる日が続く。この国の生活のリズムに慣れてきたからだろうか。とりあえず、シャワーと髭そりを済ませ、9時過ぎにロードウェイ・カフェで朝食にする。コーンフレークとミルクコーヒーを注文する。一度ゲストハウスへ戻り、10時にアンジュと伴に日本大使館へ行く。やはり必要な書類をすべてそろえておかないと、ビザの申請書さえもらえない。

ゲストハウスへ戻ると、牧原さん達が戻って来ていた。お互いに「アッ!こんにちは!」と挨拶。俺は山の方へ行っていたので、想像以上に早い帰りに「もう帰って来てたの?」と、驚いていた。しばらく部屋にいたのだが、やがてサンカールが呼びに来た。レセプションへ行くと、彼女たちは今日この後、来年行う予定の琴のコンサート会場の下見に行くらしいのだが、サンカールがまずシティホールを紹介したらしい。

「シティホールって知ってる?」
「シティホール?聞いたことはあるけど、どこだったかな?」
レセプションに貼ってあるシティマップで探していると、サンカールが「ここだよ」と教えてくれた。
「あっ、ここね。わかった!知ってますよ」
「知ってる?!良かった!タクシーで行くにしても、私たちだけじゃ不安だからさぁ、一緒に行ってくれない?」
「エッ!僕もですか?」
「ちょうどお昼だし、どこかで一緒に食事でもしてから、ねえ?」
「この間も案内してもらってるし、ご馳走するから一緒に行ってくれない?」

2人にそう言われ、結局一緒に行くことに。牧原さん、降矢さん、俺とサンカールも行くことになった。サンカールが一緒なら、俺は必要ないような・・・?とりあえず昼食へ向かうが、さて、どこへ案内しよう?「いつも行ってるようなところでいいよ」と言われ、少し安心して、日本食もできるオム・マンダラ・レストランへと案内する。皆それぞれ違うものを注文する。天ぷらは、衣が多過ぎるかな、みそ汁はダシが今一つ効いていない、しかし、ごまあえとお浸しは、美味しくて、2人にも好評だった。

食後、タクシーを拾い、まずネパール・アカデミーホールへ。ここへ来た目的・主旨を牧原さんが応対してくれた方に話し、我々一行は中へ。ステージや客席はもちろん、舞台下まで見せていただけた。ホールのメイン会場を案内していただいた後、2階にあるカルチャースクールへも案内してくれた。ネパリーミュージック&ダンス、中にはネパールで有名な俳優・女優さん達もいるそうだ。

練習風景を見ていると、「んっ?あの女性は・・・、チトワンで映画の撮影現場に出くわしたとき、出演していた女優さんでは?」。いや、それだけではない。案内していただいた男性、その方も確かその撮影現場でその女優さんとダンスしていた方のような・・・?
*後ほど知ったことですが、この時案内してくださった方は、ネパールでも有名なダンスの先生であり、俳優でもある方でした。

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アカデミー・ホールで。舞台下を案内していただいた後、客席と舞台上を見学。

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カルチャースクール内での、練習風景。後に知ったのですが、ここに写っている皆さん、ネパールではとても有名な方達ばかりだそうです。

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ネパールの女性にしては珍しく、ジーンズをはいている人も。チトワンでの映画の撮影現場で、出演されていた女優さんに間違いない!?と思うのですが・・・。

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彼らは、音楽担当!彼らの音楽に合わせ、ダンスの練習をしていました。

アカデミー・ホールから移動の際、案内していただいたダンスの先生が事情を知って同行してもらえることとなり、次はシティホールへ。が、何か子供たちのコンテストのような催しが行われていて、充分な下見はできなかった。
そしてさらに、やや郊外にある『ホテル・エヴェレスト』へと向かう。そこは、コンサート会場というよりも、ホテル内のステージ付きの広いレストラン。だが、ここでもちょうど、映画のロケが行われていて、ロケの合間に映画スターにサインをねだる少女たちがたくさんいた。どの国も同じだなぁ。そこで我々は紅茶をご馳走になり、しばらく映画のロケ風景を見ていた。
このようなことは、普通に考えれば、まず体験できないことだし、日本にいても関係者でなければ、舞台下まで見ることはないだろう。それだけに、とても貴重な体験であり、ずいぶん得をした気分だ。

6時過ぎにマナスル・ゲストハウスへと戻る。写真の焼き増しを受け取りに行き、ヤンジーやマヤ、イエロートップの人々、そしてブプサへ向かう時に出会ったオングさんに手紙を書く。写真の注文ミスもあったのだが、まぁ自分が悪いんだし、仕方がないか。

ククリラムもずいぶん飲み、夜、牧原さんと降矢さんに初めて来たネパールの旅の話・感想を聞きながら、時間をつぶし、12時過ぎに眠る。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1994年のものです。

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2014年1月 7日 (火)

ネパール再会の旅 67 『カトマンドゥへ戻る』(再掲)

5月17日(火)曇り
ルクラ8:30(7E602;ネパール・エアウェイ)9:10カトマンドゥ

 6時20分起床。ムスリーとミルクコーヒーで朝食とする。出発用意を整え、7時30分には飛行場へ行き、チェック・イン。8時40分、ネパール・エアウェイ7E 602便である。荷物の重量を量り、簡単なボディチェックを受けると、いよいよ搭乗だ。

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これが、私が乗ったネパール・エアウェイ機。

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ロイヤルネパール・エアラインの飛行機もやって来ていました。

飛行機は、予定より10分早い8時30分に離陸した。飛び立ってしばらくすると、ブプサ、カリコーラの村が見えてきた。もう一度、心の中で「ありがとう、さようなら」と叫んだ。

カトマンドゥへは9時10分に到着。タクシーに乗り、マナスル・ゲストハウスへ向かい、チェック・イン。まず、シャワーを浴びるのだが、途中でお湯が出なくなってしまった。この日はどの部屋も、水が出ないようだ。5日前に出会った牧原さん達は、オーナーやサンカールと共にポカラの方へ出かけているらしい。だから、今ここにいる従業員は、女の子だけである。

レセプションへ行くと、ブプサへ行く前皆で写真を撮ったことを、その時いなかったハウスキーパーのマンジュが知ってすねていると、ウマが言う。マンジュの顔を見ると・・・、確かにちょっとすねている。ご機嫌を直してもらうために、カメラを持ちだし撮影会の始まりだ。

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ちょっとすねた様子のマンジュ。

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同じく、ハウスキーパーのガンガ。

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ウマを撮るとき、シャッターを押さずにセルフタイマーのボタンを押して・・・、私も一緒に!

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やっと機嫌が直ったマンジュ、そしてウマ、ガンガと仲良く!

楽しくしゃべりながら過ごしていると、マンジュが俺に『アニール』というネパリーネームをつけるではないか!?俺はネパール人か?

昼食は、ラッキー・チベッタンレストランにてチョウミンとし、帰りに写真の仕上がりを受け取る。ブプサでの思い出が、もはやできた。ヤンジーの愛くるしい笑顔が印象的で、数枚はキャビネサイズに引き伸ばすつもりだ。

2時30分ごろ、アンジュがやって来て、3時から1時間どころか15分もオーバーして、入念にマッサージを施してもらった。やはり昨日のロングウェイは、相当足にきている。それでも料金は同じだ。すっかり親しくなったアンジュの、心からのサービスかな。

夕食は、オム・マンダラレストランにて、玉子丼とお浸し、緑茶にする。この店の日本食は、なかなかイケる。たまたま、音楽を奏でているネパール人がいて、俺が日本人と分かっているからか、『シャボン玉、飛んだ』を弾いていた。何か里心がつきそうだ。

食後、本屋へ立ち寄り、ネパール語と日本語の対訳辞書(55ルピー)を購入した。日本へ帰ってからも、もっと勉強してネパール語をマスターし、皆と心を通わせたいものだ。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1994年のものです。   

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2014年1月 1日 (水)

2014 謹賀新年

皆様、

あけましておめでとうございます

本年もどうぞよろしくお願いいたします

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2014 元日 慕辺未行

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