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2013年12月19日 (木)

ネパール再会の旅 63 『カリコーラへ』(再掲)

5月15日(日)晴れ
ブプサ(徒歩)カリコーラ(徒歩)ブプサ

 6時過ぎ起床。昨日のバレーボールの影響か、筋肉痛である。今日からまた学校のため、ヤンジー達がカリコーラへ帰る日だ。6時半にオートポリジで軽く朝食を済ませ、しばらくの間、ヤンジー、マヤ、チリとバレーボールで遊ぶ。「エク(1)、ドゥイ(2)、ティン(3)・・・」とボールを落とさずにどれだけパスが続けられるかやってみる。ヤンジーは慣れていて、なかなか上手い。

7時半過ぎに、学校へ行くために子供たちはいつもよりうんと早い朝食。そこには俺の分まで用意され、子供たちと一緒にダルバートを食べる。

8時20分、彼女たちと父親のプーリーと俺の5人でカリコーラへ向かおうとしたその時、ヤンジーがカタ(健康や幸運、旅の安全などの祈りが込められた白い布)を首にかけてくれた。俺のような個人旅行者は、よほどでない限り、滅多に頂くことはないカタ。俺は「デライ クッシー!(すごく嬉しい!)」を連発した。

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ブプサから。聖峰クワンデ(6011m)が頭を覗かせています。

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ヤンジーと、シェルパの民族衣装を着た母ドマ、末っ子のダワ。

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ヤンジーの家族全員と一緒に!

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ブプサからカリコーラを望みます。真ん中よりやや左下に見える集落がカリコーラの中心部です。

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ブプサから急な山道を下り、向こうの山裾のカリコーラを目指します。

カタをいただいた後、皆揃って写真を撮り、カタを首に巻いたまま俺は、ヤンジーら3人の子供と父プーリーと一緒にカリコーラへ。急な坂道を一気に下り、約30分でカリコーラへ到着。従妹のマヤは、自宅へ制服に着替えに戻った。

そしてヤンジーと弟チリの下宿先は、かつて住んでいた『ホテル・ファイブスター』の正面にある。ここは、親戚の家のようで、そこで自炊しながら暮らしているそうだ。まだ14才なのに親元離れて、しかも弟の面倒まで見ているのだから、しっかりしている。そういえば、ヤンジーの父プーリーも言っていた。「ヤンジーは料理を作るのが早くて、しかも上手なんだ」と。俺もそう思う。ヤンジーの手料理は、とても美味しい。ダルバートもシェルパシチューもポテトチップスにムスタンコーヒー、どれもこれも美味しかった。彼女だからこそ、安心して下宿させられるのだろう。

*この旅日記は1994年のものです。 

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コメント

当然ながら私はネパールに行っても
カタは掛けて頂けなかったです。
でも小学校に慰問し、文房具を
あげたのでマリーゴールドの花輪を
かけて貰いました。


matsubaraさんへ

カタを贈る風習はチベット系の民族だけなのです。
カトマンドゥやポカラなどではありません。
ポカラからのミニトレッキングを含むツアー旅行の場合、トレッキングガイドやポーターたちの多くがチベット系の人々ですから、戴けることもあります。
マリーゴールドの花輪は、私もこのネパール旅行の最後にいただきました。すっごく嬉しかったこと、今でも覚えています。

投稿: matsubara | 2013年12月19日 (木) 21時56分

末っ子ちゃんかわいいですね。踊る表情なんてすごいエンターテイナーですね。ヤンジーも美人になっていくし。


agewisdomさんへ

この2年前はお母さんに抱かれていただけの彼が、このエンターティナーぶり!シェルパ族として持って生まれた才能なのかも?!
ヤンジーは小顔で八頭身!子供から大人への成長期でした。

投稿: agewisdom | 2013年12月19日 (木) 22時17分

お早うございます
今回のシリーズはヤンジーさんとその一家の皆さんとの
心温まる交歓の連続でしたね
すっかり一家と溶け込んでおられましたね
やはり言葉が出来ることが大きいのでしょうね
ヤンジーさんは料理も上手とのこと
まだ少女なのに立派ですね
今は料理上手のママになっていることでしょう


古都人さんへ

片言にも満たないレベルでの会話でしたが、このご家族との交流、とても楽しかったです。
彼らにとってもきっと、「思いがけない訪問&楽しい思い出」として記憶に残っているのでは?と思います。
ヤンジーの料理上手は、父親が認めるほどでした。
海外からのトレッカー相手のロッジを経営しているからこそ、彼女自身手伝いをしているうちに身についたものでしょう。
今どこで暮らしているか知る由もありませんが、ステキなママになっていることだけは間違いないと思います。

投稿: 古都人 | 2013年12月20日 (金) 06時15分

14歳で親元を離れ、寮ではなく下宿で自炊ですか。弟の面倒もみながらとは。
偉いですね。昔の日本にはいましたね。

民族衣装の襟の部分が日本の着物のようですね。
山道を歩くしかなく、足が丈夫でしょう。


tonaさんへ

この2年前に訪れた時は、カリコーラ村で暮らしていたのですが、引っ越していました。
しかし学校はこの辺りはカリコーラにしかありませんので、親戚宅で下宿したようです。
ネパールの山岳地域で暮らす子供たちの中には、片道1~2時間もかけて通う子もあり、寮のような施設は、ありませんでした。
それにしてもまだ14才で母親代わりを務めるほどのヤンジー。本当に素晴らしいです。
母親が着ている民族衣装、エプロン部分のデザインがカラフルで素敵でしょ?!いかにも『チベット風』のデザインです。

投稿: tona | 2013年12月20日 (金) 08時29分

いやあ、お恥ずかしい!
どうして気づかなかったのだろう、
何度も見ていたのに・・・。
どうもチョウモンと打ち込んだようですね。
聴聞亭では藤本義一さんが命名なさった意味がありませんよね。
ご指摘くださってありがとうございました。
これはコメントのレスに書く内容ですが、
レスがいつになるか判らないので
失礼とは思いましたがこちらに書き込みました。
ご容赦のほど・・・。


Saas-Feeの風さんへ

『聴聞』では・・・ネェ (^_^)!
辞意表明したばかりの猪瀬・元東京都知事の釈明でもあるまいし・・・(笑)。
けっこうズケズケと「間違いを指摘する」私ですが、こちらこそどうかご容赦を!

投稿: Saas-Feeの風 | 2013年12月20日 (金) 20時50分

慕辺未行さんが 撒いた一粒の歌が 今頃当地でみんなが
歌っているかもしれませんね  今頃みんなどうしているでしょう
慕辺未行さんが また旅を出来る時が来たら 絶対テレビに
撮ってもらいたいくらいです
本当に素敵な家族であり、慕辺未行さんの接し方ですね!


bellaさんへ

その後覚えてくれたかどうか分かりませんが、もしあの村で『春が来た』や『チューリップ』を歌っている人たちがいれば…、想像するだけでワクワクします (^_^)!
もうすっかり連絡も途絶え、誰がどこでどんな暮らしをしているのか・・・?
ヤンジーは中国の薬科大学へ留学、弟のミンマは日本へ留学しました。連絡をいただいたのですが、時間的に会うことができませんでした。
あれからおよそ20年。今もブプサでゲストハウスを経営しているのかな?

投稿: bella | 2013年12月21日 (土) 12時55分

ヤンジーさん、顔ちっちゃい~
スタイルが良いっていうのがわかります
まだ14歳なのに何でもできちゃうんですね、スゴイ
どこでも家族の一員として迎えられている様子に感嘆してしまいます
まったく人徳って、こういうことですよね~


きゃぶさんへ

でしょ~!
ヤンジー、ホントに小顔で八頭身美人!(^_^;;ヘヘッ
ネパールでは貧しい村が多く、子供でさえ重要な働き手。
宿屋の長女として生まれ育ったヤンジー、物心ついたころから必然的にロッジのお手伝いをするようになったのでしょう。
だからこそまだ14才にして何でもできちゃう子に育ったのだと思います。
はるばる日本から再びやってきた私でしたから、驚きとともに嬉しかったのでしょう。
彼らの気遣いや『おもてなし』がとても心に残りました。

投稿: きゃぶ | 2013年12月21日 (土) 20時45分

慕辺未行さん こんばんは
旅人と言うより、家族のお一人ですね。
すっかり馴染んでおいでで、凄く愉しそうです。
ヤンジーさん賢そうで美人ですね。
愛用の腕時計のプレゼントは、
心もお届けに成った様な気がします。
お教えに成った日本の歌、今も歌われている事でしょうね。
現在の様子、ヤンジーさんも拝見してみたいものです。


すみれさんへ

この2年前に会った時以来、写真を送り文通をしていたのですが、その甲斐あってまるで家族の一員の様な待遇でした。
私はもちろん家族にとっても”思い出に残る楽しい日々”になったと思います。
ヤンジーの笑顔、本当に素敵で可愛くて「こんな子が妹だったり、嫁さんだったらなぁ!」なんて、ないものねだりを考えたものです。
腕時計、もう壊れちゃっただろうなぁ?!でも教えた歌は・・・?今でも覚えているかなぁ・・・?
状況さえ可能になれば(たぶん、無理)、もう一度ヤンジーに会いたいです。

投稿: すみれ | 2013年12月21日 (土) 22時22分

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