« ネパール再会の旅 65 『ヤンジーがいないブプサで』(再掲) | トップページ | 冬の光物語 by 木曽三川公園 »

2013年12月26日 (木)

ネパール再会の旅 66 『さよなら・・・ブプサ』(再掲)

5月16日(月)晴れのち曇り
ブプサ7:50(徒歩)10:45ポイヤン11:30(徒歩)14:00シュルケイ14:25(徒歩)16:10ルクラ

 6時半起床。出発の朝が来た。この日も聖峰クワンデが、頭だけのぞかせている。オートポリジで朝食とし、7時15分、出発の用意も整った。が、母親のドマが「もう少しゆっくりしていきなさい。ソチャでも飲んで、8時ごろ出発したら」というので、お言葉に甘えソチャをご馳走になる。まぁ、この日のうちにルクラまで行ければ行く、行けなければシュルケイで泊まってもいいか、ぐらいの気持ちでいるから、ゆっくりとした。

もう何杯ソチャを頂いただろうか、でも本当に美味しい。気がつくと、他のトレッカーたちは皆、出発して行った。俺は、このロッジの寄せ書き帳に、日本からのトレッカーと、この家族の人々にメッセージを残し、3日間の精算をしようとした。(*トレッキング中のロッジでは、ロッジにあるノートに各自、食べた物などを記入する自己申告制になっています)
およそ900ルピーにもなるのだが、ドマは、

「パルダイナ(いらないわ)」と言う。
「えっ、キナ(どうして)?」
「タパイィ デレィ ラムロー サーティー(あなたはとても良い友達だから)」
「タラ マ デレィ カヨ(でも私はたくさん食べたし)」

それでも、母のドマも父・プーリーも、ほんのわずかさえも受け取ろうとしなかった。その代わり、写真はずいぶんたくさん撮っているけれど。プーリーも「ずいぶんフィルムを使わせてしまったね」と、気にしていたが、「問題ないですよ」と笑って答える。そして彼は妻に何かを告げると、末っ子のダワに真新しいウールのセーターを着せて、「もう1枚だけ撮ってもらえないか」と頼んだ。「もちろん、OK!ですよ」と答えると、ダワはエンターティナーぶりを発揮した昨夜と違って、おしゃまな顔をしていた。

Img192
真新しいセーターを着せてもらって、おしゃまにしているダワ。カメラを持っていなかった彼らにとって、幼い頃の貴重な1枚になっただろうか・・・?

Img193 
もちろん、親子の写真も撮らせていただきました。この3日間、本当にお世話になり、忘れ難いたくさんの思い出ができました。

そして別れ際、ご両親からもカタを頂いた。それだけでも、彼らの気持ちが充分過ぎるほど伝わってくる。とにかく「デレィ クッシー(すごく嬉しい)!」。嬉しくて、嬉しくて、出発するのがとても辛くて。「ダンニャバード!ペリ ベトゥラ!(ありがとう!また会いましょう!)」を何度も繰り返した。ダワは「バイバーイ!」と、いつまでも見送ってくれた。

名残り惜しいが、7時50分、ブプサをスタート。「ありがとう、ヤンジー。ありがとう、イエロートップの皆さん。さようなら。いつまでも覚えていてください、俺のことを。いつまでも・・・」

緩やかな登り坂をゆっくりと歩き、カーレを過ぎ9時15分、カリ・ラ(峠)までやって来た。ここを越えると、もうブプサもカリコーラも視界から見えなくなる。俺は、その峠でじっと静かにたたずんだ。もちろん首には2本のカタが巻かれている。何十分そこにいただろうか?これ以上ここにいたら、今歩いて来た道を戻りかねない。「本当にありがとう。さようなら!」ちょっぴり涙ぐんで、ようやくそこを立ち去る決心がついた。「ルクラへ向かいます。ブプサよ、カリコーラよ、またいつの日か・・・」。

Img195
カリ・ラからブプサを望む。

陽が雲に陰り涼しい。汗もほとんどかくことなく、ゆっくりと歩きポイヤンへ10時45分着。ティータイムとする。シュルケイまでは、およそ2時間らしい。ルクラまで行けるだろうか?ついでなので、ここでランチタイムをとる。ヌードルスープを食べ、11時30分にスタートし、シュルケイには2時ちょうど。しかし、好いロッジが見つからず、2時25分スタートし、ルクラへのきつい登り道を、ただひたすら汗にまみれながら登っていく。

ルクラへ着くころ、冷たい雨が降り出した。カトマンドゥへの空の玄関口、つまり、山との別れ。戻ろうと思えば、まだ戻ることができる最後の村。帰らねばならない、帰ることを決意した俺の涙雨なのか。

4時過ぎ、ルクラでのロッジは、クンブー・ロッジ。ロッジのボーイに明朝のエア・チケットの予約・手配を頼む。すぐに走って行ってくれた彼のおかげで、8時40分発のネパール・エアウェイの予約が取れた。

夕食は、ヤク・ステーキとポテトチップス、ムスタンコーヒー。ヤク・ステーキは、ハンバーグ大の大きさだ。ポテトチップスは、ステーキに添えられているものなのだが、それでも量は多い。久々に食べるヤク・ステーキは、とても美味しい。今日は疲れているので、もう休むことにする。素敵な思い出と共に・・・。
*ヤク・・・標高3000m以上の高地に住む牛の一種。長い毛で覆われた体は寒さに強く、荷物もたくさん運ぶことができるので、『ヒマラヤのトラック』とも云われています。

ルクラ、クンブー・ロッジにて

*この旅日記は1994年のものです。

|

« ネパール再会の旅 65 『ヤンジーがいないブプサで』(再掲) | トップページ | 冬の光物語 by 木曽三川公園 »

コメント

新しいセーターがまぶしいですね。かわいいなあ。彼らにとっても素敵な思い出になったんですね。


agewisdomさんへ

あれからもうすぐ20年。早いなぁ!
この可愛い坊やも今は立派な若者に成長しているはず!
そう思うと感慨深いです。
でもこの坊や、この時のこと、覚えているかなぁ・・・?

投稿: agewisdom | 2013年12月26日 (木) 23時46分

おはようございます。

感動的な別れですね。
名残惜しく引き留めてくださったうえ、宿泊料も取らなかったなんて、いかに慕辺未行さんが友好的でいい人か、ブログだけでなくよくわかります。両方がいい人の時にこうなるのですね。
写真もよく撮れていて彼らは感謝したことでしょう。
末っ子さん、可愛くてハンサムですね。今頃は頼もしい若者ですね。
ルクラまで歩いたなんて大変だったでしょう。


tonaさんへ

アンナプルナエリアのカグベニ村、ジェンテンと再会した際も3泊させていただき、宿泊料金を受け取ってもらえませんでした。
今回はそれに続き2回目。
私はこのロッジの儲けになるためにたくさん飲食したのですが、かえって申し訳なく思ったほどです。
ここで撮った写真は、カトマンドゥで現像・焼き増しし、送りました。きっと無事に届いていると思います。
末っ子の坊や、今は20代半ばぐらいかなぁ?立派な若者になっていると思います。

投稿: tona | 2013年12月27日 (金) 09時03分

かわいいぼうやですね~
首をかしげて・・・
今頃は好青年に育っていることでしょう。

このころの写真は貴重ですからカメラを
持たない彼らへの何よりのプレゼント
ですね。


matsubaraさんへ

この坊や、当時まだ4才ぐらいかな?
今は立派な若者になっていることでしょう!
もしかしたらお嫁さんがいて子供がいるかも・・・です。
彼らが暮らすこの村で仮にカメラを持っていても、現像はカトマンドゥでなければできない時代でした。
それだけに貴重な思い出になったことと思います。もちろん、写真が無事彼らのもとへ届いていたら・・・の話しですが。
届いていれば、今でも私のこと、時々は思い出してくれてるかな?

投稿: matsubara | 2013年12月27日 (金) 12時45分

こんばんわ
今回のシリーズは感動的な場面の
連続でしたね
慕辺未行さんのお人柄の良さが
強く感じられて大変良かったです
名残尽きないブプサでしたね


古都人さんへ

前回('92年)ネパールを旅した時、最も印象に残った子がヤンジーでした。
それだけに再会できたことが本当に嬉しく、ヤンジーや彼女の家族にとっても思いがけない訪問だったことと思います。
『一期一会』で終わらず再び会えたこと、そして最上級の「おもてなし」を受けたこと、決して忘れることはありません。

投稿: 古都人 | 2013年12月27日 (金) 18時56分

たくさんの再会と別れ・・・
後ろ髪をひかれる思いが強く伝わってきました
もう慕辺未行さんにとって、ネパールは第二の故郷になっていらっしゃるんでしょうね
ぜひまたいつの日か、訪れてくださいっ


きゃぶさんへ

カトマンドゥをはじめアンナプルナエリア、そしてここブプサ・・・。わずか2年ぶりとはいえ、たくさんの再会そして別れ……(;_;)グスン
『第二の故郷』でした。でも今はあれから20年ほどの年月が過ぎ・・・、その気持ちも薄れました (。_。)ショボーン
今も同じ場所でゲストハウス経営しているのかなぁ?

*ニコタ、細々と・・・ですか?(。_。)ザンネン!
決して無理にとは言いませんが、きゃぶさんペースでいいから(『ニコみせ』からのランダム訪問は無視しても良いと思う)、遊びませんか?

投稿: きゃぶ | 2013年12月27日 (金) 21時52分

ヤンジーとか ダワ君の最近の写真は 送られて来てないのですよね
時代が変わって 彼らもカメラを持ったでしょうか・・
それとも カメラという習慣は まだ定着してないでしょうか
慕辺未行さん、事情が許す時が来たら 絶対彼らに再会してくださいね!
学校での子供たちの様子は 手に取るように想像がつきました
ヤンジーは得意だったことでしょう
みんなに親切にされる慕辺未行さん 素敵な旅行記です!


bellaさんへ

ヤンジーからの手紙が途絶えて、もう10年は経つのでは?と思います。
この時お世話になった家族が今どこで、どのような暮らしをしているのか、全く知るすべもありません。
ヤンジーはその後中国で薬学を学んだり、チリは日本語を学び何かしらの技術を身につけたと思います。
彼らがもし、カトマンドゥで暮らしているのならば、パソコンやデジカメを持っていても不思議ではないかもしれません。
あの時の学校でのこと、今も覚えています。多くの生徒たちが珍しそうに私を見ていました。でも話しかけてくることはなく、ヤンジー達だけが気軽に声をかけていました。

投稿: bella | 2013年12月28日 (土) 16時32分

慕辺未行さんへ
今日は・・今年も残すところ一日に成りました・・
ブプサ最後の日皆さんに優しくして頂き良かったですね
その優しさは慕辺未行さんの心の温かささと
通じる何かが有ると思います
とくにダワ君の可愛らしいセーター姿はご両親の幸せうな
表情で解ります。色々な思い出を残して
ブプサを去る時は・・・切なかったでしょう・・今から20年前
でも此の文書を読むと、ついこの間の様に
思われます・・今年は慕辺未行さんと出会えて私には
とっても嬉しい年に成りました・・そして知らない世界を
教えて頂き、見せても頂き、興味も持たせて頂きました
有難うございました・・嬉しいです
来年も変わらず宜しくお願い致しますね
之からは風邪も流行ります。御身ご自愛下さいませ


咲子さんへ

もう20年近い昔のことですが、現地でそして帰国後に日記をまとめ記録を残したことで、今でもこの時のことを鮮明に思い出すことができます。
ここを旅立つ日の朝、支払いをしようとして「いらないわ」と言った時の母親の表情。
そしてダワに真新しいセーターを着せるように言った父親の表情。
2人とも、とても寂しそうな表情をしていました。
ヤンジーと再会する目的で訪れた旅が、さらに多くの思い出を残してくれました。

私も咲子さんと知り合い、素敵なお庭を毎回拝見させていただき、いつも癒されています。
本当にありがとうございました。
ここでいただきました咲子さんからの言葉、本当に嬉しいです (^o^)!
どうぞ良いお年をお迎えください。

投稿: 咲子 | 2013年12月30日 (月) 15時53分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ネパール再会の旅 65 『ヤンジーがいないブプサで』(再掲) | トップページ | 冬の光物語 by 木曽三川公園 »