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2013年10月

2013年10月31日 (木)

ネパール再会の旅 42 『ハプニング発生!ポカラでもう1泊』(再掲)

5月1日(日)晴れ
ポカラ

 5時45分起床。やや雲が出ており、今日も山は今一つよく見えない。この季節だというのに、朝・夕は肌寒い。昨日、良く食べたせいか食欲はあまりない。トーストとオムレツのみにする。チトワンへのバスは、7時にゲストハウスの前でピックアップしてくれる、はずなのだが・・・、待てど暮らせどバスは来ない。スタッフたちも心配している。しびれを切らしたパスカル君がチケットを手配した代理店に電話すると、バスはとっくに出ており、どうやら俺を置いてけぼりにして行ってしまったようだ。

ゲストハウスの人々は皆、日本語で「ごめんなさい」を連発するが、彼らが悪いわけではないし、こうなってしまったものは仕方がない。時間にしばられる旅でもないし、もう1泊し明日向かうことにして、再度手配しなおしてもらった。彼らは「ここは良くない(つまり、ミスをした)から別のところに予約します」と、予約していた代理店とは違う代理店へ予約を入れたようだ。

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ポカラ出発前に・・・と思って撮ったはずでしたが・・・(笑)

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うっすらとマチャプチャレが見えます。

いったん外出し、絵葉書を買ってきて両親や友人たちに手紙を出す。これまでのトレッキングのこと、これからジャングルサファリを楽しみに行くことなどを知らせる。絵葉書1枚9ルピー、切手代は日本まで12ルピーだ。

11時過ぎ、アニール・モモ・レストランへ行くと「アレッ!、どうしたんですか?」というオーナー。 そりゃそうだ。昨日「明日(つまり今日)はチトワンへ行きます」と話していたから。彼に今朝の顛末を話した。彼は「残念でしたネ」と言いながら、「でも、またあなたと会うことができました」と半分喜んでいた。そして紅茶を飲みながら日本のコミック本を読み、昼食は『かき揚げ丼』を食べる。かき揚げがなかなかおいしい。食後にも紅茶をたのみ、2時ごろまで時間をつぶす。支払いをすると2杯の紅茶代はサービスしてくれた。彼曰く、「日本ではまず ’おしぼり’が出ます。あれ、いいですネ。それに水やお茶はサービスです。ですから私も、紅茶はサービスにしました。」と話していた。もちろん、紅茶だけ飲んで帰る人は有料だろうが・・・。彼は日本で、料理だけでなくサービスの仕方なども学んだようだ。店内を半分座敷にしたのも、『日本人客にくつろいでもらいたい』と思ったそうである。大の親日家であり日本人びいき、これからもこの地を訪れる日本人ツーリストたちに愛され続けるお店になるだろう。

ゲストハウスへ戻り、ウトウトしていると夕方になった。夕食をオーダーし、その間にシャワーを浴びて待っていると、停電だ。この時間帯になると、毎日のように一時停電する。夕食は先日も食べたチキンカツレツにロキシー。けっこう高い夕食だが、すべて欲求のままに・・・。本を読み、テレビを少しだけ見て9時ごろ体を休める。

ポカラ、ホテル・トライスターにて

*この旅日記は1994年のものです。

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2013年10月30日 (水)

ネパール再会の旅 41 『ポカラの街』(再掲)

4月30日(土)晴れのち曇り一時雨
ポカラ

 7時起床。今朝は雲がかかって山が良く見えない。明日に期待するとして、今日1日何をしようか。オールドバザールの方へ行くか、この辺りをぶらつくか。出た結論は、自転車を借りて、適当に走ってみよう、ということにした。

9時過ぎに自転車を借り、まず『デビッス・フォール』へ。何とも奇怪な渓谷だ。どのように表現したらいいのだろうか。地の底まで続いていそうだ。ここは昔、デビッドというアメリカ人が、この渓谷を覗きこんで落ちてしまい、それでこの名がついたそうだ。

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デビッス・フォール

次に向かったのは、そこからわずかのところにある『チベット難民キャンプ』。今までイメージしていた難民キャンプとは全く違い、整然としている。平屋建ての家屋、寺院、学校、土産物屋もある。
そして次に『ポカラ・ミュージアム』へも足を延ばす。広い敷地内に石でできた博物館。マガール、グルン、タカリーなどの小民族の生活史がうかがえる。

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チベット難民キャンプ。難民キャンプと思えない・・・。菩提樹の木でしょうか、涼しげな木陰をつくっています。

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ポカラ・ミュージアム。

さらにオールドバザールへも足を延ばす。赤レンガのたたずまいはレイクサイドとは違い、落ち着きが感じられる。一軒の茶店に入り、サモサを食べながら休憩する。今回サモサを食べたのは初めてだ。さすがにウマイ。これもネパールの味だ。

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オールドバザール(旧市街)の様子。ホテルやゲストハウスが建ち並ぶレイクサイドやダムサイドとは雰囲気が全く違います。こちらは全く観光化されていません。

オールドバザールよりゲストハウスのあるダムサイドの方へ戻ることにする。2年前にも来たことがあるアニール・モモ・レストランで昼食にする。テーブル席と以前にはなかった座敷席とがあり、座敷の方へ腰を落ち着けた。ここはネパール料理とわずかながら日本料理もできる店なのだが、値段は庶民的。以前来た時よりもメニューも増えている。座敷にはテーブルと座布団が、そして隅には本棚。日本のコミック本がたくさんあり、食べながらゆっくりと時間を過ごすことができた。

お勘定をし出ようとすると、店のオーナーが、
「あなたは前にも来たことがありますネ」と、日本語で話すのには、ビックリ!
「エッ?!覚えていますか?2年前なんですけど・・・」
「あれからもう2年も経ちますか!あなたは髪形も変わっていないし、眼鏡もかけているし・・・。」
たしかに2年前、何度となく足を運んだ店だけど、まさか覚えていてくれたとは、感激である。再び腰を落ち着け、彼と話しこんだ。彼は昨年、半年ほど日本へ来ていて、日本食の腕を上げたようだ。どおりで美味しいはずだし、日本語も上手なわけだ。ますますこの店が好きになる。話がずいぶんはずみ、結局3時間半もいた。

ゲストハウスへ戻りしばし休憩し、シャワーを浴びる。ふと外を見ると、雨。が、6時半ごろには止み、東の空には虹が出ている。夕食は再びアニール・モモ・レストランへ。しょうが焼き定食にする。ウ~ン、日本で食べても変わらない味だ。ふもとへ戻ると、肉が食べられることが嬉しい。明日の朝、チトワンへ向かうのでオーナーに別れを告げ8時ごろゲストハウスへ戻り、Tシャツを洗い、ククリラムを飲んで体を休める。

ポカラ、ホテル・トライスターにて    

*この旅日記は1994年のものです。

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2013年10月29日 (火)

ネパール再会の旅 40 『ポカラ到着』(再掲)

4月29日(金)晴れのち曇り
ビレタンティ8:00(徒歩)8:30ナヤプール8:30(バス)10:30ポカラ

 7時近くに起床。今日はわずか20分程歩けば、バスでポカラへ。やっとトレッキングも終わりという感じだ。今朝は怪しげな雲も出ており、ひんやりと涼しい。今朝は隣のレストランで、トースト、スクランブルエッグ、レモンティーにする。

8時スタート。ナヤプールまでわずかな時間で到着し、8時30分、ちょうどバスが来ていて急いでそのバスに乗り込む。するとすぐに発車した。ポカラのバスパークまで36ルピー。まだ建設途上の未舗装の道を、バスは砂煙をまきながら走る。いくつもの村を通り過ぎ、ポカラへは10時30分到着。

バスパークにて、時間的に数少ない客引きの中から、ホテル・トライスターに決め、20分ほど歩いてホテルへ向かう。ホテルというより、ゲストハウスと呼ぶ方がふさわしいのだが、シャワー付きのシングル、100ルピーで交渉成立。明後日発のチトワン経由カトマンドゥまでのチケット(チトワンでの宿泊費込み)を85ドルにて手配してもらう。そして大量にある洗濯物を洗い干しておくが、温暖な気候のせいか、アッという間に乾く。やたらに眠くて、午後は昼寝と決め込む。

夕方、シャワーを浴びリフレッシュ。しかし口髭だけは残した。外出しようとすると、にわか雨。結局ゲストハウスから一歩も外へ出ることなく、夕食もゲストハウス内のレストランで。ライスにオニオンスープ、チキンカツレツ、酒はククリラムのコーラ割り。7時に夕食ができたのだが、チキンカツレツのおいしいこと。肉をこんなに食べたのも久しぶり。久々に腹いっぱいだ。うまかったワァ。満足、満足。

それにしても、どこへ行っても日本語を学んでいるネパール人がいる。このゲストハウスにも、まだ20才のパスカル君が、今まで学んできた日本語を俺と話すことで実践している。彼にとって日本は憧れの国。俺は彼に「日本語の勉強もいいが、日本へ来てみたいと思うなら、電気や建築、コンピューターなどの勉強をしたら」とアドバイスした。ネパールでそれらの仕事に携わっている人で、研修で日本に来たことがあることを知っているからだ。パスカル君は礼儀正しく、直立不動の姿勢で、俺のような男の話でも熱心に聞いていた。その後、8時30分ごろまで本を読み、9時には眠る。

ポカラ、ホテル・トライスターにて

*この旅日記は1994年のものです。

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2013年10月27日 (日)

スゴイ日本人がいた! その2

皆様、おはこんにちばんは (◎´∀`)ノ

台風はどうやら日本列島のかなり南を通過したようですが、先の台風で甚大な被害を受けた伊豆大島の人々は、今回の台風前、本土へと避難されたり大変なようです。
一日も早く島が元の姿を取り戻し、人々が普段と変わらぬ生活を送れるよう祈るばかりです。

今日は先週に引き続き、西川一三氏の話を書きます。


(前回の簡単なあらすじ)
第2次大戦時、日本は中国を脅かす連合政府を作ろうと画策し、その先兵として情報部員である西川一三氏を、西北支那からチベットへと潜行させた。大草原から、ゴビ砂漠を越え、西夏省のバロン廟へとたどり着いた。



バロン廟で西川一三氏は、モンゴル僧、ロブサン・サンボー("美しい心"という意味)として10ヶ月間、身を潜め修業を積んだ。
そして砂漠を越えるキャラバンのラクダひきとして雇われ、西域を進む。しかし、ロブサン・サンボーの行く手には、すさまじい大自然の脅威が待ち受けていた。

バロン廟を出た西川一三ことロブサン・サンボーは、モンゴルからチベットへの最初の難所、テングリ砂漠を行く。砂漠ではラクダの糞は大切な道標であり燃料にもなる。
「砂漠は生きている。刻々とその姿を変えていく。この偉大なる大自然の前では、微々たる人間の力は全くみじめである。」
彼にとってもう一つ、苦労したことがあった。ラクダの見分け方である。モンゴル人にとっては、ラクダ一頭一頭見分けがつかなくてはならない。それができなければ、日本人だということがばれてしまう。それは即、死を意味する。

ラクダの旅を始めて6日後、青海・チベットの山脈を見て、もはや土を盛り上げただけの万里の長城の西の端を南へ越える。しかし、この辺りは旅人を襲う山賊が住む、危険地帯でもあった。
やがて家営から南西へ、大通河、テングリ峠を越え、西寧・タール寺へと向かう。しかしロブサン・サンボーは敵の目を避けて、険しい抜け道をたどらねばならなかった。大通河を渡る橋には、敵の軍隊が目を光らせているからである。
見つかれば、即、射殺される身である彼は、抜け道伝いに大通河の冷たい川を渡り、さらなる難所、テングリ峠へ。そして、青海省タール寺へたどり着く。

タール寺は彼にとって、まず第一にたどり着くべき所であった。当時の日本は、大陸進出の拠点を作ろうとして、その先兵として彼は送り込まれたのだから。
タール寺の修行で彼は、
「一心不乱に祈る。そこに美しい仏の姿である自分が現われる。」
と、書き残している。
タール寺に3カ月滞在し、チベット語とチベット民族の知識を身につける。これは彼に与えられた特命だ。
タール寺では大きな行事があると「ドンゴー」と呼ばれる、ラマ僧憧れのご馳走が振る舞われる。貧しいモンゴル人ラマ僧のロブサン・サンボーにとっては、
「タール寺のドンゴーほど、おいしいものはなかった」そうだ。

3カ月の滞在の後、彼はキャラバンとともに青海湖を目指した。戦争も末期に近づいた昭和20年春のことである。
そしてついに青海湖へ。彼は連れのチベット人がいなかったら
「 "オォ!俺も青海湖まで来たぞ!"と日本語で叫んだだろう」と、その時の感動を書き残している。


ロブサン・サンボーの旅は、さらに南西へチャカ、都蘭、シャンを経て、ナム・ラ峠へ。チベット軍に見つけられるのを避けながら、地図にも載っていない道を行き、ラサをめざす。
ガレキと雪の難関の道を、やっとの思いでたどり着いたナム・ラ峠。はるかに崑崙山脈が見える。しかし彼の目的地・ラサは、さらにその向こうなのである。

(つづく)


いかがでしたでしょうか?少しでも彼の過酷な旅、理解できたでしょうか?正直言って、言葉だけではとても伝えきれないと思っています。しかし、これだけは私にも解ります。彼が受けた特命の有無にかかわらず、命がけの旅であることを。

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2013年10月24日 (木)

ネパール再会の旅 39 『ビレタンティへ、純粋な少女と出会った』(再掲)

4月28日(木)晴れ
タダパニ7:15(徒歩)9:15ガンドルン9:50(徒歩)14:10ビレタンティ

 6時起床。ぐっすり眠れたという感じだ。今朝は天気も良く、アンナプルナ・サウスやマチャプチャレの展望が素晴らしい。

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タダパニより、アンナプルナS峰。

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『魚の尾』という意味のマチャプチャレ。頂上には『神様が棲む』と云われる神聖な山。ネパール政府は、この山への登山許可は出さないそうです。

 オートポリジとミルクコーヒーで朝食とし、支払いをすべて済ませスタートしようとすると、このロッジのオーナーがやって来て「紅茶でも飲んで、少し話をしないか」と言う。ディディから「ネパール語を話せる日本人がいる」と聞いたらしい。もちろん紅茶はサービスだ。彼らの関心は、どこでも同じだが、『どんな仕事をしているのか』『1ヵ月にどれぐらい稼ぐことができるのか』である。他には『結婚しているのか』である。この質問が一番困るのだが・・・。3~40分ほど話していただろうか、紅茶のお礼を言ってやがてスタートする。

ガンドルンまでは涼しい森の中を下っていく。アンナプルナやマチャプチャレを眺めながらの気持ちのいいトレッキングだ。ガンドルンに近づくころ、10才ぐらいの少女が村まで案内してくれた。ちょうど学校へ行くところで、学校は10時からだそうだ。子供がツーリストに何かをしてくれるときは、たいてい見返り(ネパールの子どもたちは、ふざけて(?)よくツーリストに「1ルピー」とねだってくることがある)を要求してきたりするものだが、この少女は何も要求しなかった。感心して、せめて1ルピーだけでもと思ったが、「いらない」と首を横に振った。こうなると、俺としてはますます上げたくなり、「お母さんには内緒にしておきなさい」と話して渡したら、コクッとうなずいて小さな手を出して、わずか1ルピーのコインを握りしめた。なんていじらしい子なんだろう。

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ガンドルン付近にて。マチャプチャレをバックに撮ったのですが・・・。

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ガンドルンの村が見えてきました。

 ガンドルンには意外に早く9時15分着。ティータイムをとり、ビレタンティへと向かう。キムチェまで1時間、さらにシャウリバザールまで40分、ここで昼食とする。エッグチョウミンを食べる。ほとんど下りとはいえ、石段になっているのでクッションが悪く、けっこうきつい。対岸の丘には、10年前に歩いたランドルンやビチュクの村が見える。もう一息下れば、川沿いの平坦な道になるだろう。今日は天気も良く、半袖でも暑いぐらいだ。やっと川沿いの道まで来たのだが、暑さと疲れでペースは鈍る。

2時10分、ビレタンティ、ラクシミ・ロッジに宿をとる。ここは山村のロッジというよりも、リゾートのコテージといった雰囲気だ。部屋には籐製の椅子、絵画が飾られてある。当然のことながら部屋代は、今までのところとは比較にならないほど高い。それでもここに泊まったわけは、今日中にポカラまで帰れるのを、最後にもう1泊山の中にいたかったことと、最後ぐらいはちょっと贅沢に泊まりたかったからだ。

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ラクシミロッジの庭にて。すっかり『リゾート』気分です!

 とりあえずシャワーを浴びTシャツを洗う。しばらく部屋で休息し、夕食を注文しようとすると、メニューが少なく、外へ食べに行くことにする。道から川べりに張り出したテラス風の店に入る。エッグ・ベジタブル・ヌードルスープとポテトチップス、ムスタンコーヒーで今回のトレッキング最後の晩餐とする。このトレッキング中、とうとう一晩たりとも、ムスタンコーヒーを欠かすことはなかった。

食事中、一人で来ている同い年の日本人男性と会い、お互いに日が暮れるまで時間をつぶした。彼はゴールデンウィークを利用しての旅だそうだが、ここまで来られるほど休めるなんて羨ましい。俺なんていつもフリーの身となって来るしか、ネパールまではとても来られない。そしてほろ酔い(どころか飲み過ぎ)でロッジに戻り、8時過ぎには眠る。

ビレタンティ、ラクシミロッジにて

*この旅日記は1994年のものです。

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2013年10月23日 (水)

ネパール再会の旅 38 『タダパニ、素敵な笑顔のディディー』(再掲)

4月27日(水)曇り一時雨
ゴレパニ8:15(徒歩)11:00バンタンティ11:30(徒歩)12:35タダパニ

 5時45分起床。寒さに備え、充分に着込んでプンヒルへ向かう。天候は霞んでいる。ダウラギリもアンナプルナもそれほどはっきりとは見えない。プンヒルへは、過去にも2回来ているが、これほど展望が良くないのは初めてだ。が、途中のラリグラスの群落は、ダウラギリをバックに本当にきれいだ。

6時30分にプンヒルへ到着。標高は3200m近い。日本の山で言えば、南アルプスの北岳、北アルプスの奥穂高岳に相当する高さだ。ここはヒマラヤの展望地として有名ではあったものの、かつては大パノラマしかないところだった。それだけで十分なのだが、今や展望台ができ、ちょっとしたティーショップまである。そこでコーヒー(25ルピー)を飲み、30分ほどいて7時30分にはロッジへ戻る。

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プンヒルからの展望その1。うっすらとダウラギリが見えます。

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その2。ニルギリとアンナプルナも、わずかながら見えます。

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その3。アンナプルナからマチャプチャレ。少しは見えている・・・。

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天気が良ければ、このような大パノラマが見られたはずでした。(92年撮影)

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これも92年に撮影したもの。少しの天候の違いで、見晴らしもこんなに変わります。

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プンヒルの丘のまわりは、ラリグラスで燃えていました。

 ロッジへ戻り朝食にする。まだ8時前だと言うのに、早や雲が出てきた。8時15分、スタートする。しばらくは下りの道だ。デウラリに9時45分。ここからタダパニへ3時間、さらに3時間でガンドルン。この天候では、タダパニまでが精一杯だな。10時にデウラリを出て、11時にバンタンティ。お腹が空いていたので、エッグ・ベジタブル・ヌードルスープで昼食とする。

11時30分にスタートし、しばらくすると雷が鳴り響きだした。雨に備え、レインウェア、ザックカバーをつけると案の定、雨が降って来た。時折激しく降る中、汗を流しながらバンタンティからタダパニへ向かって登り道を行く。やっとの思いでタダパニへ着いたのは12時30分過ぎ。ヒマラヤ・ツーリスト・ゲストハウスに宿をとることにする。

愛想の良さそうなディディ(’お姉さん’という意味)に、
「コータ カリ ツァ?(部屋は空いていますか?)」
「ツァ!(ありますよ!)」
「エウター シングルルーム マ ディノス(1部屋、シングルルームをお願いします)」
と会話し、部屋を見せていただき料金を確認して決める。
*今まであまり書いていなかったのですが、宿に泊まるときはいつもこのような会話をし、料金と部屋を見て決めます。シングルがあまりに高い時は、ドミトリー(相部屋)にすることもしばしばありました。

びしょぬれになっているシューズとレインウェアを乾かそうとキッチンへお邪魔し、
「アグニ ツァ?(火ありますか(焚いてますか)?)」
「ツァイナ(ありませんよ)」
と、あいにく火を起こしていなかった。キッチンにいた女性2人は、このあやしい片言のネパール語を話す俺にとても興味津々のようで、彼女たちがおやつに食べていたポップコーンを親切にも分けてくれて、一緒に食べていた。シューズとレインウェアは、仕方なく外の雨が当たらないところに干し、濡れた衣類を着替えた。

やがて雨はやみ、晴れ間ものぞく。汗や雨で濡れた衣類が乾くだけでも助かるのだが・・・。2時間ほど体を休め、ダイニングルームでくつろいでいると、ディディがネパール語で話しかけてきた。俺が部屋を借りる時から、ほとんどネパール語でディディと接していたせいか、安心していつもネパール語で話しかけてくるのだ。ときには分からない言葉もあるのだが、その時は「英語でなんて言うんだったかしら・・・?」とディディは一生懸命思い出そうとしたり、ジェスチャーとかで会話がつながる。ディディはきっと、他の客が皆カップルばかりで、話し相手がいない俺に気を使ってくれたのだろう。とても嬉しく楽しい時間だった。
彼女の子供はまだ幼く、子供に歌を歌ってあげたりしながら、一緒に過ごしている姿が微笑ましい。特にディディの笑顔、日本人にも似た顔つきだが、今の日本では忘れられた笑顔だ。ディディに、
「タパイィハルコ フォト キチ パニ フンツァ?(あなたたちの写真を撮ってもいいですか?)」と尋ねると、ニッコリと笑顔で「フンツァ(いいですよ)」と答えてくれた。

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素敵な笑顔のディディと2人の子供たち。

 
 他のツーリストに「写真撮ってもいいの?」と訊かれ、「私は了解をもらってから撮りましたよ」と答えると、皆次々とディディに声をかけ、写真を撮らせていただいていた。彼女の笑顔と子供たちとの姿が、皆の心を惹きつけたのだろう。

天気は相変わらず曇り空。夕食はエッグチョウミンとムスタンコーヒー。5時15分には用意ができてしまった。チョウミンはカレー味なのだが、それほど辛くなくおいしい。もう1杯ムスタンコーヒー、おつまみにポップコーンを注文する。そして7時半過ぎには体を休める。

タダパニ、ヒマラヤ・ツーリスト・ゲストハウスにて

*この旅日記は1994年のものです。

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2013年10月22日 (火)

ネパール再会の旅 37 『ゴレパニでのんびり』(再掲)

4月26日(火)晴れのち曇り
チトレ8:00(徒歩)9:30ゴレパニ

 6時45分起床。外を見ると、ダウラギリの展望が素晴らしい。ツーリストも少なく、静かで良い。ダウラギリを眺めながらの朝食は、ハチミツつきのパンケーキとフライドエッグ。下の畑では、母親の畑仕事を子供たちが手伝っている。何とものどかな風景だ。

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朝起きると、ダウラギリ(8167m)がとてもきれいに見えました。

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ラバのカッチャー(隊商)が、カランコロンと鈴の音を鳴らしながら、通り過ぎて行きます。

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農作業をする女性たちと子どもたち。

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ラリグラスの花もこの季節、満開になります。ちなみに、ネパールの『国の花』です。

 8時にチトレをスタートし、ゆっくりゆっくり登っていく。ダウラギリを眺めつつ、アンナプルナも少しずつ頭を出してくる。わずか1時間半後の9時30分、ゴレパニ着。標高2834mにあるアンナプルナ山群とダウラギリ山群の絶好の展望地。しかし、この時間ではすでに雲がかかってしまい、展望できない。だが、村の上にあるプンヒルのラリグラスがきれいだ。高台にあるヒルトップ・ロッジに宿を決める。陽ざしも暖かで、ソックスを洗い、ついでに髪も洗った。まだまだ1日は長い。どのように過ごそうか?
*まだ9時半というのに、ここで宿泊するのは、翌早朝プンヒルからの展望を見るためです。

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ゴレパニ村にある小学校の様子。バスケットボールのゴールのようなものが見えます。

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プンヒルの方を眺めると、ラリグラスの花がたくさん咲いているようです。

 昼近くになると、山にはほとんど雲がかかり、やや寒くなってきた。さすが2800mを越える高所だ。昼食はトマトスープにエッグ・フライドライスとする。午後は本(ガイドブック)を読んだり、体を休めたり、ボーっとしながら過ごす。雨はほとんど降ってこないが、山は相変わらず全く見えない。ここから明日のガンドルンへは、ゆっくり歩いて6時間。更にそこからビレタンティへは2時間。いずれにせよ、明後日にはポカラだ。

夕食は、ヌードルスープにポテトチップス、ムスタンコーヒー。ここも電気がなく、早めに休み、翌早朝のプンヒル行きに備え、7時半過ぎには眠ることにする。

ゴレパニ、ヒルトップ・ロッジにて

*この旅日記は1994年のものです。   

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2013年10月20日 (日)

スゴイ日本人がいた! その1

皆様、おはこんにちばんは (◎´∀`)ノ
先日の台風は伊豆大島をはじめ伊豆地方に大変な被害をもたらしました。そして次の台風も来ているとか?くれぐれも台風情報にお気を付けください。

さて皆さんは、西川一三という人物をご存じでしょうか?

彼は、第二次世界大戦が行われていた時代、情報部員として命懸けで、中国西域を6000Km旅した男なのです。

彼は、南満州鉄道に入社するも、西北への憧れから満鉄を退社。フホホトにある情報部員養成機関の興亜義塾に入塾しました。
昭和18年、当時日本は内モンゴルと結んで中国を脅かす連合政府軍を作ろうとしていました。
そして、東条英機首相から「西北支那に潜入し、支那辺境民族の友となり、永住せよ」と特命を受け、西域を旅することになったのです。

その旅は過酷を極めました。そのうえ、その時代、もし日本人だとばれたら、即刻殺される身なのです。
彼は任務遂行のため、自らモンゴルの貧しいラマ僧に身を代えました。守り本尊のガオーと数珠を肌身離さず持って、国境近い内モンゴルの大草原からチベットを目指したのです。

四子王旗の街から、何一つ目印のない大草原をオボと呼ばれる祭壇だけを頼りにひたすら進みます。やがてサッチン廟へ。
当時、ラマ僧には信仰の自由が許されており、彼はここサッチン廟にしばらく滞在し、学びました。
その後さらに、ウラード中旗・後旗を経て、ゴビ砂漠へ。地獄のゴビ砂漠を越え、彼は「夢に描いていた街・定遠営」に、ついにたどり着きました。
そして西夏省にあるバロン廟で10か月修業を重ね、身も心もモンゴルのラマ僧に生まれ変わったのです。

彼はバロン廟から興亜義塾で学ぶ仲間たちへ激しい手紙を書き送ったそうです。
「雪の高原、不安の国境、砂漠のアラシャンを越え、さらに西すれば、甘粛、青海、チベットの桃源郷にて我ら塾生のピンチなり。来たれ、進め、西北へ。来たれ、進め、西北へ」


彼の旅は、まだまだ続きます。とても一度では書ききれません。

今日書いた内容は、25年ほど前でしょうか、TV「新世界紀行」で紹介された内容です。録画してありましたので、以前他のサイトで書いた記事を引っ張り出してきました。

今回、これを書いたのは、彼の受けた特命が命懸けの旅であったことと、当時の日本がいかに愚かなことをしようとしていたのかを、知ってもらいたいと思ったからです。

彼の旅の続きはまた後日、紹介いたします。

*先週の記事『美しき地球 その6』に掲載しました写真、3枚のうち2枚、場所が判明いたしました。追記いたしましたので、よろしければご覧ください。

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2013年10月17日 (木)

ネパール再会の旅 36 『ビスタリ、ビスタリ、チトレまで』(再掲)

4月25日(月)晴れのち曇り一時雨
タトパニ7:00(徒歩)12:45パラテ13:30(徒歩)14:20チトレ

 6時起床。コンチネンタル風の朝食(トースト、ポテト、リンゴジュース、コーヒー)をとり、7時にスタートする。支払いは何と751ルピー。高すぎる。使い過ぎだ。とはいえ使ったものはしようがない。カグベニで3泊タダだったんだから、よしとするか!

素晴らしい陽当たりの中、半袖1枚でも汗をかく。何度も休憩し、ガラまで2時間半。この日、どこまで行けることやら・・・?タトパニからゴレパニまでは標高差約1700mの登りなのだ。行けるところまで行くしかない。シカの下村のバッティ―(茶店)に10時半着。ホットレモンとミルクティーを飲み、30分ほど休む。このペースならチトレまでは行けそうだ。

チトレをこの日の目標に、パラテに12時45分。ここで昼食にする。ファンタにヌードルスープ。延々と続く登りに、かなり疲れ気味。チトレまであと1時間ぐらいというところなのに、雲行きが怪しくなってきた。チトレまでもってくれればいいのだが・・・。

1時半ごろスタートし15分ほど歩くと、顔見知りになった他の人のトレッキングガイドのヨカンさんが俺を呼び止める。何かと思うと、「可愛い娘がいるけど、どうだい?」などと冗談を言っている。一緒にロキシー(ネパールの焼酎)を飲み、バッティ―の娘さんにちょっかいを出してふざけているヨカンさんの写真を1枚撮って、そのわずか10分後、チトレ着。2時20分だ。ホテル・ダウラギリに泊まることにする。ゴレパニまで行くというヨカンさんが立ち寄って、彼が身に着けていたネックレスを記念にプレゼントしてくれた。俺も彼の住所と名前を書いてもらい、写真を送ることを約束した。

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明るく陽気なヨカンさん。しかし彼は、実は言語障害を持っていて、話すことがほとんどできないのです。それでも身振り手振りでコミュニケーションできました。貴重な体験でした。

ムスタンコーヒーを飲みながら、ふと外を見る。窓の外は雨。ここまでにして良かった。もしゴレパニまで向かっていたら、今ごろはこの雨の中を歩いているところだ。トレッキング中の暇な時間は、体を休めるかネパール語の勉強。少しずつでも言葉を覚えたい。

夕方、雨が降ったり止んだりしている。太陽が照っていても、雨が降ってくる妙な天気。ここも電気がない村。夕食はいつものパターンで、ベジタブル・エッグチョウミンとポテトチップス、ムスタンコーヒー。チョウミンはなかなかイケる。玉子が入っているのが良かったかナ。8時過ぎには眠ることにしよう。

チトレ、ホテル・ダウラギリにて

*この旅日記は1994年のものです。

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2013年10月16日 (水)

ネパール再会の旅 35 『タトパニ温泉にて』(再掲)

4月24日(日)晴れのち曇り
タトパニ

 6時15分起床。今日は1日ここに滞在する予定なので、こんなに早く起きる必要はないのだが、夜が早い分、朝も早くなってしまう。アグニさん達はまだ寝ているようだ。朝食は、もう定番のオートポリジ。今日もニルギリが良く見える。脚にやや疲れを感じるが、虫に喰われた傷の痕はずいぶん治りかけている。

部屋でもう一休みし、9時半ごろ皆で温泉へ。ちなみにこの温泉は、混浴の露天風呂。だが間違ってもここは日本ではないので、当然のことながら水着もしくはその類のものを身に着けて入らなければならない。俺はこの温泉のためだけに、海パンを1着持って来ていたのだ。

それにしても、ヒマラヤの奥深い村で、2日続けての温泉はサイコー!この日も体を洗い、しっかりとこれまでの垢を落とす。そしてオーロンのTシャツを洗って干していると、後ろで妙な気配がする。織田さん達が笑いながら「○○さん、後ろ後ろ、危ないよ」と言っている。振り返ると、そこに野良牛が・・・。他のトレッカーたちも、この様子を面白そうに見ていた。俺も笑いながら野良牛を追っ払った。

やや熱めの温泉と、すぐそばを流れるカリガンダキ川を交互に入ると、まるでサウナに来ているような感じだ。温泉で思い切り汗を流し、氷河の雪解け水に浸かるのだから(つまりは冷水浴)、一気に汗が引くわけだ。が、川の流れは急なので、岩にしがみついていないと危ない。

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タトパニ温泉です。これはこの2年前(92年)の時のものです。

昼食は、チキン・フライドライスとラッシー(ヨーグルトドリンク)。ここタトパニは他の村に比べれば、物価が高いから一体いくら使うことやら。午後は完全に5時過ぎまで寝てしまった。紅茶とケーキをおやつに食べ、夕食はエッグ・サンドイッチにラッシー。ファンタやムスタンコーヒーも飲んで8時過ぎには再び眠る。アグニさん達は、明日もここへ泊まるらしい。

タトパニ、ダウラギリロッジにて

*この旅日記は1994年のものです。

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2013年10月15日 (火)

ネパール再会の旅 34 『タトパニへ』(再掲)

4月23日(土)晴れ午後一時雨
ガサ7:00(徒歩)11:55タトパニ

 6時起床。やや曇り気味の天気だ。今回のトレッキングは良く眠れる。オートポリジで朝食とし、7時にスタートする。2年前、ポーターを雇ったコプチェパニを経て、ルクセツァーラへ2時間。間近にルクセツァーラの大滝を眺めながら、ここでコーヒーブレイクを取る。滝壺のやや下流では、流れ落ちる水を利用して、水車を回し脱穀をしている。

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ルクセツァーラの滝。2年前に撮った写真です。

さらに下って行き、ダナの上村まで1時間、さらに進みタトパニへは11時55分着。標高が低いせいか、とても暑い。とりあえず、2年前と同じダウラギリロッジへ。

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一体どれほどの重さがあるのでしょうか?

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タトパニ村が見えてきました。

 昼食は、ヌードルスープとライス。食後は温泉で洗濯と湯治。そう、ここタトパニは温泉が湧き出ているのだ。付近に火山があるわけではないのだが、ユーラシア大陸とインド亜大陸が衝突した地殻変動の影響らしい。我々トレッカーにとっては、そんなことよりも道中に温泉があること自体、すごく嬉しい。

さて、その温泉はと言うと、石を使って作られた露天風呂で、地元の人以外は有料(3ルピー)だが、ニルギリが眺められ絶好のロケーション。湯温は、やや熱めかな。洗濯場で洗濯をする。 この天気ならズボンもあっさり乾きそうだ。足にできていた傷もきれいに洗って、少しは良くなるだろう。トレッキング中の疲れも癒され、リフレッシュ!明日もここでのんびりするか!

午後は、ここ最近の日課であるネパール語の勉強。夕方、外をぶらぶらしていると不意に「○○(俺の名字)さーん!」と俺を呼ぶ声。ポカラで会った(客引きした)織田さんと都築さんが、ガイドにアグニさんを伴ってやって来た。

「あれ?久しぶり!」
「お久しぶりです!」
「トレッキングに来たんだ!」
「え~!今ちょうど噂していたところですよ。もしかしたら○○さんがタトパニにいるんじゃないか?って!」
「ハハハ!スケジュールから考えても、確かにそうだ!で、どこまで行く予定?」
「ここからは、川沿いをベニの方へ行き、ポカラへ戻ります。」
「本当はゴラパニまでのつもりだったんですけど、アグニさんがタトパニに温泉があるって言ってたから、ついここまで来てしまいました。それに日程的に○○さんがタトパニまで来ているころだってアグニさんが言ってましたから!」

彼らは初めトレッキングするつもりはなかったそうだがアグニさんに勧められ、しかも彼がガイドならば日本語も堪能なので、何の心配もない。彼らも俺と同じダウラギリロッジに泊まることにした。そして彼らも明日はここタトパニでのんびりすると言うので、明日は知った仲間同士で温泉に入り、ゆっくり体を休めよう。

夕食はチョウミンとポテトチップス、ムスタンコーヒー4杯はちょっと飲み過ぎかな。久々の日本語での会話で、酒もすすんだようだ。タトパニも電気が点いていて、皆でずいぶんと夜更かしだ。が、それでも9時過ぎには眠ることにした。

タトパニ、ダウラギリロッジにて

*この旅日記は1994年のものです。

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2013年10月13日 (日)

美しき地球 その6

 皆様、おはこんにちばんは (◎´∀`)ノ

10月に入り再び暑い日が続きましたが、昨日からは秋らしい気候になりました。
いかがお過ごしでしょうか?
これほど気温差があると、風邪をひきやすくなりますので、体調管理にはくれぐれも気をつけましょう。

 今日は『美しき地球』の第6弾です。
場所は相変わらず不明ですが、どうぞご覧ください。

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どこかのリゾートホテルからの眺めでしょうか?リゾートというよりは、目の前は『大自然』ですね。朝でしょうか?夕方でしょうか?

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ここは海?川?湖?背後の険しい山!その向こうにも続いてます。
背景だけを見たら中国かと思いましたが、建物を見るとヨーロッパのほうかなぁ?
*zooeyさんのコメントにて、ノルウェーの Gudvangen というところであると分かりました。
zooeyさん、ご教示ありがとうございました。

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これは・・・?海にできた洞窟?しかし上には大きな穴がポッカリ!
海から見ると巨大な岩なのかな?不思議な光景です。
*きゃぶさんのコメントにて、ポルトガルのベナジルビーチであることが分かりました。
きゃぶさん、ご教示ありがとうございました。

まだまだ素晴らしい自然がありますね。
これらの写真を見て、どこかご存知の方、またご教示よろしくお願いいたします。

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2013年10月10日 (木)

ネパール再会の旅 33 『ガサへ』(再掲)

4月22日(金)晴れのち曇り一時雨
カロパニ7:05(徒歩)10:05ガサ(下村)

 6時過ぎ起床。昨夜もぐっすり眠れた。今朝はやや寒く、南の方ではかなり雲がかかっている。すぐ近くの山は、良く見えるのだが。オートポリジとミルクコーヒーで朝食とする。支払いを済ませ、「2年前にもここへ泊まりましたよ」と言うと、えらく喜んで、この日の目的地のガサのロッジを紹介してくれた。

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トゥクチェピーク~タパピーク。カロパニにて

今日はいい天気。トゥクチェピークもタパピークもきれいだ。歩いているうちに汗をかく。レテでは、小さな子供たちが英語の勉強をしていた。カイクでティータイムとし、次の村はガサだ。9時40分にガサの上村に着いたが、めざすゲストハウスは見当たらず、下村へ。村の最後にあると聞き、10時5分、イーグル・ネスト・ゲストハウスへ。カロパニからちょうど3時間。まだ10時なのに、1日の行動を打ち切るのはいささか早すぎるが、長いトレッキング、やみくもに歩くだけでなく、こんな日があってもいいと思う。というか、2日に1回はこんな感じの1日になっている。

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レテ付近で。山崩れ跡にある道を行かねばなりませんでした。

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グマニにて。

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カイクより、ニルギリ南峰。

ゲストハウスでコーヒーブレイク。昼食はベジタブル・チョウミンとする。まあまあの味だ。午後は部屋で体を休めたり、本を読んだりして過ごす。夕食は5時半ごろから、ララ・ヌードルスープにポテトチップス、ムスタンコーヒー2杯。何か少しずつワンパターン化してきたな。山に入ってからダルバートを食べていないもんな。

電気のない村なので、陽が暮れるとすることもなく、早めにベッドルームに戻り、6時半過ぎにはシュラフの中へ。

ガサ、イーグル・ネスト・ゲストハウスにて

*この旅日記は1994年のものです。

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2013年10月 9日 (水)

ネパール再会の旅 32 『カロパニへ』(再掲)

カリガンダキ川の広い河原をどんどん南へ進んでいく。1時間ほど行っても、振り返るとトゥクチェの村が見えている。ここには遮るものは何一つない。河原から山裾の道になる。所々山崩れで道が崩壊しており、電柱が倒れかかっている。

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河原から山裾の道を歩きます。すると行く手には・・・、

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電柱が倒れかかり、さらに、こんな風になっているところがありました。

道は再び河原を通ったり、山裾を通ったりしながら、コバンからラルジュンを経てコケタンティーの村へたどり着く。ここでしばらく休憩をする。バッティ―(茶店)の人に、「カロチャー ディノス。ラ チュロット エウター マッタラ ディノス。(紅茶をください。それとタバコを1本だけください。)」とネパール語で注文すると、みるみるうちに数人の人だかり。片言ながらネパール語で話をしていると、「カトマンドゥでは何の仕事をしているのですか?」と尋ねられる。どうやらネパールへは仕事で来ているものと思われ、「旅行者(トレッカー)だ!」と答えても、「旅行者がこんなにネパール語を話せるわけがない!」と、初めはまったく信用してもらえなかった。それでも「本当に旅行者だって!ネパールは3回目で、トレッキングしに日本から来たんだ!」と話すと、なお一層驚き、やっと信用してくれた。俺がまだ独身だとわかると「私の娘はどうだい?ぜひ日本へ連れて行ってくれないか?」などと言ってくる。傍らで娘は、恥ずかしそうに微笑んでいる。20分ほどもいただろうか、雲行きがあやしくなって来た。あと30分ほどでカロパニなので、先へ進む。

カロパニへは12時15分着。マルファよりちょうど5時間である。この村でも2年前と同じカロパニ・ゲストハウスに泊まる。昼食はベジタブル・エッグチョウミン。ここのチョウミンは麺が太めで、ネパールで食べ慣れたものだ。が、カグベニで食べた細い麺のチョウミンのほうがいいナァ。それにしても寒い。掘りごたつがあるのだが、火が入っていないようなので、部屋へ戻りシュラフにもぐる。気がついたら3時半までウトウトと眠ってしまった。

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  カロパニ・ゲストハウス。ここはずいぶん前、TVのドキュメンタリー番組で、作家の足立倫行氏(という名前だったと思う?)も、滞在されたゲストハウスです。

再びダイニングルームへ行き、ネパール語の勉強をする。そばにいたディディー(ネパール語で ’お姉さん’)に、ケチャップの瓶に書かれた文字を「ネパール マ バネコ」と読んでみると「そうよ、あってるわよ」と、そして意味を「Made in Nepal ?」と尋ねると、やはりそうであった。そこでついでに、このディディーにここまで滞在してきた村の名前をネパール語で書いて見せた。そうすると、微妙な発音の違いで、まずどこかが間違っている。読むことはできても、書くことは難しい。すべて訂正して教えてもらったのだが、それでもずいぶん褒めてもらえた。

夕食はガーリックスープにベジタブル・フライドライス。そして毎夜のごとくムスタンコーヒー。8時過ぎには部屋へ戻り、眠ることにする。

カロパニ、カロパニ・ゲストハウスにて

*この旅日記は1994年のものです。

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2013年10月 8日 (火)

ネパール再会の旅 31 『トゥクチェまで』(再掲)

4月21日(日)曇り時々雨
マルファ7:15(徒歩)12:15カロパニ

 6時過ぎ起床。昨夜はさすがによく眠れた。荷物をまとめ、朝食はオートポリジにミルクティー。出発の用意も整い、支払いを済ませる。ここでは他のお客と同じように代金を受け取ってくれたので安心したが、2年ぶりの再会にしては何か物足りないような感じがしてならない。カグベニでの印象が、より強く残る。

7時15分にスタートし、トゥクチェへと向かう。村を出てすぐのところで、露店の土産物屋が出ている。少しでも立ち止まろうものなら、またたくまに「これはどうだ、あれはどうだ」と品物を勧められる。指輪やネックレスがメインの商品なのだが、中には仏教に関する数珠や小さなマニ車なども売られている。ちょうど、以前に欲しいと思っていた『ヤクの骨』でできたネックレスが売っていたので、頑張って値切って120ルピーで買った。まだ他にも売りつけようとしていたが、振り切って先へ急いだ。

トゥクチェには8時45分に到着。この村は、タカリー族というこの辺り一帯だけに住む小民族の本拠地で、かつてインドとチベットとの交易が盛んだったころ、その中継地でもあったこの村のタカリーの人々は交易権を一手に担い、隆盛を極めたところでもある。もともとタカリー族は商才に長けており、『ヒマラヤのユダヤ人』とも謳われたほどである。今はその面影はほとんどなくなっているが、メインストリートに残るロッジや商店が、わずかに昔の繁栄を残している。

また、この村は富山県の利賀村と『そばの産地』として、また地理的環境も良く似ていることから、お互いに『姉妹村協定』を結んでおり、子供たちの絵の交換やお互いの村の訪問など、様々な交流で親交を深めている。

村の外れにある水場で、とてもきれいな女の子と出会った。彼女の写真を撮らせてもらおうとお願いしたが、「その時計をくれるのなら・・・」とか「眼鏡でもいいわ」などと要求され、結局あきらめてその場を去った。

*この旅日記は1994年のものです。

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2013年10月 6日 (日)

世界の絵葉書 その44 PORTOから

 皆様、おはこんにちばんは ヽ(´▽`)/

10月になり30℃を超す日もありましたが、そろそろ涼しくなってきましたね。
しかしこの気温差のせいか、体調を崩されている方も多いようです。どうぞ、お気を付けください。

 さて、久しぶりに海外からの絵葉書を紹介します。
まずはご覧ください。

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PORTOという街からです。

私自身、初めて聞く街でした。国は、ポルトガルです。
”D.Luis橋”という有名な橋のようで、19世紀にすでにこの橋があったそうです。

この絵葉書の送り主は、古い旅仲間のGさん。
手紙には「ポルトという街にやって来ました。この橋、夜景がとてもきれいだったのだけど絵ハガキはいまいちですネ。19世紀にすでにこのアーチが存在したそうだから、その頃のポルトガルはさすがにお金持だったのかもしれない。今はポルトガルはの~んびりとした良い国のようです」とありました。

かつて日本は貿易の相手国としてポルトガルと盛んに交易した時代がありました。
ヨーロッパの強国としても世界中にその名を馳せていた時代がありました。
しかし近年はその当時のイメージはありません。
この橋は、当時の繁栄ぶりを今に語り継ぐものなのでしょう。ふと、そう思いました。

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2013年10月 3日 (木)

ネパール再会の旅 30 『マルファでの1日』(再掲)

4月20日(水)晴れのち雨
マルファ

 ほとんど眠れぬ状態で6時起床。枕が変わると、良く寝つけない体質なのだろうか?こんなことでは、『一生涯旅人』なんて威張ってられないな。朝食はムスリーとカード(ヨーグルト)とりんごを混ぜ合わせ、ミルクコーヒーを飲む。天気は絶好とは言えないが、晴れてくれそうだ。

朝食後は屋上で陽なたぼっこ。椅子に座ろうと思ったが、昨夜の雨で濡れている。しかし、陽射しは暖かだ。村をぶらつく。街道沿いにあるゲストハウスなどの建物は、この村では白亜に統一されて、街並みを美しく保っている。脇道に入って行くと、道は狭く曲がりくねっており、ともすると、現在地が分からなくなりそうだ。山裾にまで民家が建ち並ぶが、奥に行けば行くほど貧しい造りになっている。

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街道沿いの様子、その1。石壁が白く塗られています。(92年撮影)

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街道沿いから脇道へ入ると、もう一つの違う雰囲気が感じられました。

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山裾ぎりぎりまで民家があります。土砂崩れの心配はないのだろうか?

再び街道沿いへ戻る。土産物屋や図書館、薬局兼医院もあり、この辺りの山里にしてはかなりの水準の生活がうかがえる。もちろん学校もあり、10時近くになると、そろいの制服を着た生徒達が大勢登校していく。

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街道沿いの様子、その2。ゲストハウスにお土産屋、正面に見えるのは図書館。

昼食をとりにロッジへ戻る。メニューを良く見てみると、肉類(マトン・チキン)もあり、ステーキやカツレツまであるではないか!これには驚いたが、いかんせん値段が高い。ステーキ160ルピーは、トレッカーには高価過ぎる食事だ。したがって、安いところでマトン・チョウミンにする。味付けはカレー味だ。どちらかと言えば、カグベニで食べたチョウミンのほうが、口に合うなぁ。

それにしても、この村もずい分と変わって来ているようだ。人々の服装も、ツーリストと何ら変わりがないような感じだし、このニール・ゲストハウスは冷蔵庫やグリルを持っているほどなのだから。

午後、部屋にいるといつの間にか雨。シトシトと降り続く。この先のトレッキング、午後の行動はなるべく差し控えたほうが良さそうだ。キッチンへお邪魔すると、肉を解体していて、とても忙しそうだ。やや生臭い臭いが鼻につく。ダイニングルームでネパール語の勉強を始める。言葉だけでなく、文字の読み書きも練習する。言葉ができればできるほど親しくなれるし、また旅もスムーズに進むことができる。何しろ、英語が全く通じない人だっているわけだから。

夕食は、チキン・ヌードルスープにする。小さく切ったチキンが本当に入っていて、美味しい。そしてムスタンコーヒーとおつまみにポテトチップス。今日は比較的静かな日だが、客が男ばかりというのは珍しい。彼らは夕食にステーキを注文したようで、美味しそうに食べている。それにしてもトゥルシーは本当によく働いている。また、外国人ツーリストにも慣れたのか、誰にでもニコニコしている。

この2日間ニールとはあまり話をするチャンスはなかった。というか、妙に近づきがたい雰囲気があった。もしかしたら、今回会えたのが最後になるのではなかろうか。そんな予感がする。8時過ぎには体を休めることにする。

マルファ、ニール・ゲストハウスにて

*この旅日記は1994年のものです。

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2013年10月 2日 (水)

ネパール再会の旅 29 『ニール&トゥルシー』(再掲)

「みんな元気にしてるかなぁ?俺のこと覚えているだろうか?」と思った矢先のこと。10メートルほど先の井戸で水を汲んでいる少女がいた。見覚えのある服装で、ジッと俺のほうを見つめている。と同時に彼女は「ナマステー!」と顔に満面の笑みを浮かべながら駆け寄って来た。他に誰かいるか周りを見たが、俺しかいない。彼女を見ると、明らかに俺の顔を見ながら走って来ている。

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2年前(92年)のトゥルシー。この時も同じカーディガンを着ていました。

「ナマステ!トゥルシー?」と聞くと、彼女はニッコリうなずいて、俺の手を引っぱりロッジの中へと連れて行った。そして大声で、家族を呼んでいる。すると、母親と姉のニールが出てきた。カグベニでスサニさんたちに託したメッセージで、俺が来ることを知っていたのだろう。今か今かと待ちわびていた様子が、手にとるように分かる。

「ナマステ!元気だった?」と皆に声をかける。ニールは照れくさそうで、言葉少なに話しかけてくる。とりあえず部屋へと案内してもらい、お土産を手渡す。ニールも妹のトゥルシーも本当に喜んでくれた。コーヒーブレイクの後、3日ぶりにシャワーを浴び、髭を剃り、洗濯をして着替える。昼食は、ララ・ヌードルスープとする。そして3人で写真を撮った。

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上は2年前(92年)、そして今回の写真。彼女たちの表情が全く違います。笑顔で迎えてくれました。

村の中にある医者へ行き、南京虫(?)に喰われた脚の治療をしていただく。消毒をし、薬を塗ってガーゼを貼る。また、これ以上かゆみが広がらないようにと、カプセルの薬を投与してもらった。しめて300ルピー(≒600円)。

天気はあいにく雨模様となって来た。洗濯物が明日までに乾けばいいのだが・・・。少し休憩してから、ネパール語の勉強に勤しむ。ニールもテキストを使って独学で日本語の勉強をしている。お互いに教え合いながら進める。トゥルシーは、相変わらずロッジの手伝いに熱心だ。

夕食はオニオンスープとエッグ・フライドライス。そして例のごとくムスタンコーヒー。無くなる度にトゥルシーを呼んで「もう1杯ムスタンコーヒーもらえる?」と注文する。今日は雨だったが、明日はどうなるかな?8時過ぎには寝ることにする。

マルファ、ニール・ゲストハウスにて

*この旅日記は1994年のものです。 

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2013年10月 1日 (火)

ネパール再会の旅 28 『マルファへ』(再掲)

7時5分に出発し、カンニをくぐり、とうとう村を出る。段丘を越えると、カグベニは視界から消えてしまう。その丘の上で俺はふとカグベニを振り返り、心の中で何度もつぶやいた。「ダンニャバード(ありがとう)、ペリ・ベトゥラ」と。

段丘を下ると、エクレバッティへ7時45分に到着した。少しだけ休憩し、ジョモソムへカリガンダキ川の川原を歩いて行く。何頭ものラバを連れたカッチャー(隊商)とすれ違ったり、馬が駆け抜けていったり、同じトレッカーと「ナマステ」と挨拶しながら行くが、頭の中は、カグベニでの素敵な日々が駆け巡っている。

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エクレバッティ~ジョモソム間で(92年に撮った写真です)

ジョモソムには9時25分に到着。かつて泊まったエヴェレストロッジでティータイムとする。今はもう宿屋としては営業しておらず、ティーショップとして開けているだけという。この地方最大の村であるにも拘らず、客は少ないのだ。このコース上、最も人気の高い村がカグベニとマルファだ、と言われているだけに、その両村の中間に位置するジョモソムは、帰路の飛行機利用者以外、ほとんど通過されてしまうのだ。

9時50分にスタートし、マルファを目指す。両側をダウラギリやニルギリといった7~8000m級の山々に囲まれ、その谷間を流れるカリガンダキでは、風が非常に強く帽子が飛ばされかねない。こんなところでは、バンダナを頭に巻いて帽子代わりにして歩く。

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ジョモソムからニルギリ(92年に撮った写真です)

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ジョモソム~マルファ間で(92年に撮った写真です)

ジョモソムを出て1時間強、予想以上のペースでマルファの村の入り口までやって来た。この村にもカンニがある。カンニをくぐって村の中へ入る。ニール・ゲストハウスが見えてきた。11時15分だ。

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このカンニをくぐると、マルファの村です。

*この旅日記は1994年のものです。

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