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2013年9月

2013年9月29日 (日)

日本の名画や古典芸能の切手

 皆様、おはこんにちばんは (◎´∀`)ノ

猛暑の日々がウソだったように、今年は涼しくなるのが早いですね。
いかがお過ごしでしょうか?
朝晩の気温差、ついうっかり風邪をひいたり体調崩したりされていませんでしょうか?

 今回は久しぶりに切手の紹介です。
秋…『芸術の秋』にちなんで、日本画家の作品や古典芸能がデザインされた切手を紹介します。

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日本が誇る素晴らしい芸術家たちの作品が、切手になっています。
上・左から、黒田清輝・竹久夢二・岸田劉生・富岡鉄斎の作品。
下・左から、棟方志功・伊東深水・横山大観・高村光雲の作品。

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古典芸能シリーズです。3枚1組で発行されましたが演目はそれぞれ違います。
上・左から、『娘道成寺』・『助六』・『勧進帳』。
2段目・左から、『還城楽』・『胡蝶』・『太平楽』。
3段目・左から、『野崎村』・『熊谷陣屋』・『阿波の鳴戸』。
再下段・左から、『田村』・『葵上』・『羽衣』です。

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昔話シリーズの切手です。それぞれ3枚1組です。
上から、『花さかじじい』・『つる女房』・『一寸法師』です。

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  上から、『かぐや姫』・『こぶとりじいさん』・『浦島太郎』・『ねずみの浄土』です。

芸術にてんで疎い私が、多少なりとも日本を代表する画家の名前ぐらい知っているのは、やはり切手のおかげなのかもしれません。
あらゆるジャンルの切手から多くのことを学び、今はそれが『雑学』として私に残っています。
ホント切手って、奥深いものですネェ!

*おまけ
先日届いた郵便物に張られていた切手が↓です。

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なんと『ドラえもん』の切手です。小さな子どもたちだったら、大喜びでしょうね。

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2013年9月26日 (木)

ネパール再会の旅 27 「ありがとう!ジェンテン』(再掲)

4月19日(火)晴れのち曇り一時雨
カグベニ7:05(徒歩)9:25ジョモソム9:50(徒歩)11:15マルファ

 午前5時45分起床。別れの朝がやって来てしまった。今日はマルファ、ニール・ゲストハウスへと向かう。幸い、天気は良さそう。出発の準備を整え、朝食の用意をしてもらう。いつも通りのオートポリジとミルクコーヒーだ。

そして台帳を見て精算しようとすると、ジェンテンが台帳を持ったままキッチンへ。後をついて行くと、ジェンテンは台帳を後ろに隠して、首を横に振る。「お金はいらない」といった素振りだ。
「キナ(どうして)?」とネパール語で尋ねると、
「タパイィ デレィ ラムロー サーティー(あなたは大切な友達だから)」
「でも、たくさん食べたし、たくさん飲んだよ」
それでもいっこうにお金を受け取ろうとしない。姉のラクパも、
「あなたは私たちの親友なんだから、お金はいいのよ」と言う。
とうとう彼女らの好意を受けることにして、3泊無料でお世話になってしまった。おまけに、チベット風のマフラーまでお土産にいただいた。
*この時頂いたマフラーは、今でも冬になると大切に愛用しています。

出発してしまうのが名残り惜しいのか、コーヒーを何杯も出してくれる。俺も別れるのは辛いが、出会いがあれば別れはつきもの。いよいよ出発というとき、ジェンテンが白いカタを首にそっと掛けてくれた。初めていただいたカタに、俺は大感激し「ありがとう、本当にありがとう。すごく嬉しいよ」と、何度も口にした。「今度はいつごろ来られますか?」と聞かれた時には、何とも答えようがない自分が歯痒くて、かといって「もう来られない」とは決して言えない。とてもつらい。「2年か3年のうちにまた来ますよ」と答え、皆で写真を撮り、後ろ髪引かれる思いでニュー・アンナプルナロッジを出発する。
*皆で撮った写真、あるトレッカーに頼んで撮ってもらったのですが、思い切りピンボケしていました。
*カタ(Katag)…チベット及びチベット文化圏では、寺の参拝、ダライ・ラマ法王や高僧の謁見、宗教の儀式、知人・友人の送迎、子供の誕生日、結婚式、葬式など様々なシチュエーションで、カターと呼ばれる白いスカーフを挨拶しながら相手に渡す習慣がある。カターの「カ」は口で、「ター」は布あるいは印(しるし)、誠心誠意、心からの敬意を表している。つまり、カターを相手に渡すことにより、自分の心からの敬意を表すという挨拶の印なのである。一般にカターは白色が使われる。白には純粋な気持ちを表す。←ネットで調べそのまま引用しましたが、他にも『旅の安全』『幸運』を祈る思いが込められているそうです。

ジェンテンもラクパも玄関先で見送ってくれた。「ペリ・ベトゥラ!(また会いましょう!)」と、手を振って別れた。俺はこの村、このロッジに3度も来られたこと、そしてこの3日間、ともに話し歌い過ごしたこと、決して忘れない!一生、忘れない。

*この旅日記は1994年のものです。

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2013年9月25日 (水)

ネパール再会の旅 26 『ネパリーダンス』(再掲)

ロッジの屋上にもダイニングルームがあって、そこは陽当たりも良く、実に暖かだ。柱を見ると、世界各地から送られてきたと思われる絵葉書が、何枚か貼られている。もちろん、俺が送ったものも数枚あった。

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ニュー・アンナプルナロッジの屋上にあるダイニングルーム。先日知り合ったスサニさんが送ってくださいました。写っているのは、もちろんスサニさんです。

ボーっとしているうちに昼になり、昼食はエッグ・チョウミン(卵入り焼きそば)にする。麺は、今まで食べたチョウミンより細めで、ほとんど日本の焼きそばと同じ。味付けもそれに近く、本当にウマイ。量もちょうどいい。午後もダイニングルームでボーっとしたり、ベッドルームで昼寝をしたりと、これから先の長旅に備え体を休めておく。

夕方、陽気な歌声に誘われてキッチンへお邪魔する。ラクパやジェンテンらが歌いながら夕食の用意にかかっている。忙しいはずなのに、全くそれを感じさせない。何事も焦らず慌てず進める、これもネパール流か。

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夕食の用意にかかるラクパと従姉妹のニル。

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ニルの妹のカルサン。まだ小学生ぐらいの子が、赤ん坊を背負って簡単なお手伝いをしていました。

夕食はオニオンスープとエッグ・フライドライス。今日は宿泊客が昨日・一昨日よりは多く10人はいる。が、よく見ると皆、カップル。気楽に1人でやって来る者はいないのか、それとも俺が妙なのか?何人かの人と話をするが、カップルのせいか長続きしない。ムスタンコーヒーの量だけが増えていく。3杯も飲んでいる。

すべての人が食事を終えたころ、ジェンテン達がやって来て、ラクパの歌に合わせネパリーダンスを披露してくれた。思いがけない余興に、皆大喜びだ。


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ネパリーダンスを披露するジェンテンとニル。ツアーで行かれる時は、ツアーの中のイベントとして見ることもできるでしょうが、個人旅行で宿泊したゲストハウスで見られることは、まずありません。

この後、再びキッチンへお邪魔する。他の宿泊客たち何人かが、ベッドルームへ戻る前に、彼女たちにネパリーダンスを披露してくれたことのお礼を言っていた。だが実は、この晩が最後となる俺のために、彼女たちが特別に披露してくれたものだったのだ。カグベニでのラストナイトを飾る1シーンであった。夜も更けて9時半過ぎに眠る。

カグベニ、ニュー・アンナプルナロッジにて

*この旅日記は1994年のものです。

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2013年9月24日 (火)

ネパール再会の旅 25 『カグベニでのんびり』(再掲)

4月18日(月)晴れ
カグベニ

 午前6時半起床。しかし夜中、隣室から聞こえてきた歌かお祈りだかわからないが、一体何だったんだろう。あまりにうるさくて、目が覚めてしまったではないか。その正体の主が誰だか分らなかったが、とにかく参った。

オートポリジで朝食とする。それにしても、ネパールの女性はよく働く。朝一番での床の雑巾がけ。寒い中、冷たかろうに。本当に働き者だ。朝食が終わり、陽が昇ると暖かくなってくる。

今日もここに滞在する。実は昨日、ジェンテンの姉・ラクパに「明日はどうするの?」と聞かれ、「どうしようかなぁ?もう1日いてもいいし、まだ村の中を見てまわっていないしネ」と言ったら、「あなたは良いお友達なんだから、遠慮なくもう1日泊まっていきなさいよ。そうしなきゃダメよ!」と言われていたのだ。だから今日は1日、のんびりゆったり過ごすつもりだ。

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ジェンテンの姉、ラクパ。美人さんでしょ!?ロッジのキッチンにて。

まず初めに、シュラフを屋上の日当たりの良いところに干す。南京虫(?)などに喰われた原因は、今までの経験から、まず間違いなくシュラフにあると確信しているからだ。干しておけば殺菌されるので、昼過ぎぐらいまでそうしておく。

そして村の中を散歩する。土壁の民家、今にも朽ち果てそうな3~4階建ての住居。もしかしたら、かつては大変な繁栄があって、その頃の城ではないかと思う。まるで要塞のようであり、この雰囲気が中世ヨーロッパを思わせるのだ。南の河原の方へ行くと、多くの巡礼者たちが野営をしていたようだ。川で水浴びする者もいれば、洗濯をする者、食事の後片付けをする者と、様々である。

河原に下りてアンモナイトを探す。海が近くにあるわけでもないのに、アンモナイトがあるのは不思議なことだが、それは太古の昔、この辺りが海で、やがてインド大陸がこの地に流れ着き、アジア大陸のプレートの下にもぐりこみ、この地が隆起したという説がある。たぶんその通りであり、その証拠に化石となったアンモナイトがあり、巨大なヒマラヤ山脈が形成されたのであろう。1時間ほど探してみたが、結局見つけることはできず、谷間から風が強く吹いてきたので、ロッジに戻ることにする。

*この2年前に訪れたときに撮ったカグベニ村の写真、あらためて掲載します。

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村の入り口にあるカンニ(仏塔門)。中には先日『カグベニへ』で紹介した仏画や曼荼羅が描かれています。

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キャンプサイト付近で。

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村は城塞のようになっています。

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城塞の中へ行くと、こんな感じです。

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そして・・・、ニュー・アンナプルナロッジです。

*この旅日記は1994年のものです。

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2013年9月22日 (日)

バーチャル空間で癒し!花火大会!!

 皆様、おはこんにちばんは ヽ(´▽`)/

すっかり秋めいてきましたネ!例年ですとまだこの時期「暑い!」と感じるのですが、今年は最高でも30℃ぐらい、最低気温は20度をきるほどです。
油断していると風邪をひきそうです。皆様、お気を付けください。

 私がこのブログを書いている『ココログ』にはコミュニティー場所の『ココログ広場』があります。利用するかどうかは人それぞれとして『インターポット』というバーチャルガーデニングや、『部屋』というバーチャルルームがありユーザーそれぞれの楽しみ方で遊んでいます。

先日、インターポットの庭の木が”樹齢1000日”を迎え、このインターポットの付録(?)のビンゴゲームなどでいただいた花火を、一気に打ち上げました。
しかし打ち上げるだけではつまらないので、インターポットを利用しているココログ友達を招き、一緒に過ぎゆく夏を楽しみました。

たかがバーチャル、されどバーチャル・・・。私にとってはとても楽しい時間であり、癒される空間です。
ではどうぞ、我が箱庭・宇宙庭での花火大会の様子、ご覧ください。

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さっそく、きゃぶさんが遊びに来てくれました。
お庭を案内しています。空には天の川に地球、さそり座に北斗七星も輝いています。

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きゃぶさん、安全な場所から花火見物しています。(↑の写真を180°回転させて撮りました)
「きれいだなぁ!」 by きゃぶさん。

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と~まの夢さんも来てくれました。けど・・そこ・・・危ないってば (゚o゚ハッ!(^_^;;アセッ!

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と~まさん、後日再び遊びに来てくれました。
「そこ・・・危ないってば!」 by と~まさん。 
逆に突っ込まれました(笑)!

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続いて、織姫衣装を着たhazukiさん。地球から宇宙遊泳しながら登場です。
(この衣装を着ると宇宙庭では”宇宙遊泳”できるのです。)

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さらに hazukiさんのお姉さま、S・フランシスさんもドレスに何故か浮き輪を持ってご来庭!
(ブロ友のはづ希さん、一人二役です。)

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「あっちっち!あの二人、何話してるのかな?」 by hazukiさん。
「寒くないの?」 by 慕辺未行。
「ドレス着てるから大丈夫!」 by S・フランシスさん。
なるほど!ドレスに浮き輪、このためだったのか!
「ドレス着て海水浴?」と hazukiさん、突っ込み入れていました (笑)!

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「ギャーーーーーッ!」・・・
「何か聞こえた?」 by S・フランシスさん。
「・・・ような・・・?」by 慕辺未行。
宇宙遊泳中のhazuki姫、うっかり打ち上げ花火の上に・・・!?

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hazukiさん、見事な宙返りを披露!

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楽しかった花火大会もそろそろ・・・1週間。花火の勢いがありません。

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花火大会終了後、このように庭を広く改造しました。

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今はこのようにお花もたくさん咲いています。

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夜になると光り輝いています。

 バーチャルでの『お遊び』ですが、プロ友さんのアバターが遊びに来てくれている間は、とても楽しい時間でした。
今はご覧のように、庭に観覧車を設置しています。お友達にもご試乗いただきました。
私は・・・その前に試乗済みでした。

つかの間の気分転換&癒しの時間でした。
次の機会ありましたら、また一緒に遊んでくださいネェ (^o^)/!
ご訪問 or お誘い・・・お待ちしています (^_^)!

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2013年9月19日 (木)

ネパール再会の旅 24 『聖地・ムクチナート』(再掲)

ムクチナート。ここは、ヒンズー教とラマ教の聖地で、巡礼者が多くやって来るところだ。信心深い人々にとっては、「一生に一度はムクチナートへ巡礼に行くことが夢だ」とも云われている。俺は聖地にあるお寺をまわる前に、腹ごしらえをすることにした。2年前に、この先にあるトロン峠(5416m)より、腹痛に耐えながら下りて来て、たどり着いたラリグラス・ロッジへ行き、ララ・ヌードルスープを注文する。2年前ここへ泊まったことを話すと、とても喜んでくれたが、今回はこのままカグベニへ帰ると言うと、残念がっていた。しかし、紅茶を1杯サービスしてくれた。そしてポカラへ下る途中、ムクチナートへ向かうトレッカーに会ったら宣伝してほしいと、名刺を1枚渡された。

40分ほど休憩し、聖地を巡礼する。が、ここは標高3800mを越える高さ。聖地への登り道も険しく、かなりきつい。そのせいか、所々ベンチが置かれている。なかなかの気配りだ。境内に入り、まず本殿へ。本殿は三重塔になっており、入り口には国王夫妻の写真が飾られている。本殿を取り囲むように108つのダラ(蛇口)から聖水が流れている。そしてゾラマイ・ゴンパからマニ車がたくさんつけられたメンダンの脇をマニ車(経文が入った筒車;1回まわすとお経を1回唱えたことと同じ功徳が得られる)を回しながら通り、巡礼を終え麓へと下っていく。

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本殿の三重塔。左側にある入り口上に当時の国王夫妻の写真が飾られています。

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聖水が流れ落ちる108つのダラ。木々の間にはためくのは、タルチョーと呼ばれる無事や安全を祈る旗です。色は白・青・赤・緑・黄色の五色です。それぞれの色には、空や雲など意味があります。

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ムクチナートの丘。チョルテン(仏塔)がたくさんあります。まさに『仏の世界』です。

1時半にムクチナートを出発し、来た道を戻っていく。途中、馬引きに「カグベニまで乗って行かないか」と誘われたが、料金が200ルピーと高いので、予定通り歩いて帰ることにする。雲が多く絶好の天気とは言えないが、聖地巡礼をして気分良く歩く。しかし、ここ最近の運動不足か徐々にペースが落ち、カグベニに着いた時には、足は筋肉痛でヘトヘト。

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ムクチナート~カグベニ間で。

4時20分にニュー・アンナプルナロッジへ。「あぁ疲れた。ホントに疲れた。」と言いながらキッチンへ。それを聞いたジェンテンがすぐさまビスケットとレモンティーを出してくれた。心優しい気配りだナァ、ホッとする。部屋で少し横になり、夕食はララ・ヌードルスープとフライドポテトにするが、量が多過ぎて食べきれず、半分ほど残してしまった。

食後は他の宿泊客と話がしたかったのだが、やや頭痛を感じ、足を見ると南京虫(?)に喰われた跡があちこちにできていて、とてもかゆい。頭痛薬を飲み、足にはかゆみ止めのスクラブクリームを塗って、8時には眠ることにした。

カグベニ、ニュー・アンナプルナロッジにて

*この旅日記は1994年のものです。 

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2013年9月18日 (水)

ネパール再会の旅 23 『三たび ”異邦人の道” を歩く』(再掲)

4月17日(日)晴れ夕方より雨
カグベニ8:15(徒歩)12:00ムクチナート13:30(徒歩)16:20カグベニ

 午前7時起床。トレッキング中にしては遅い起床だ。オートポリジ(麦粥)とミルクコーヒーで朝食にする。7時半、スサニさんとツレ君が、この日の目的地のマルファへと出発する。別れ際にジェンテンからカタ(幸運の意味をこめた白い布)をいただいて感激していた。俺も「良い旅を」と言って、2人を見送る。

8時15分、体調は良好で、ムクチナートへの日帰りの旅に出る。村を出ると、畑の間の道を行き、すぐに登りになる。カグベニの村が少しずつ眼下に見えてくる。天気は、やや雲が出ているが青空の下、1時間以上かけて登ると、エクレバッティ―から来る道に合流する。

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カグベニから見たニルギリ北峰(7061m)。

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カグベニ~ジャルコット間から見た景色。かつては村があったそうだ。

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カグベニ村を望む。向こうは、ムスタン・ローマンタン方面へと続いている。

10年前、初めてネパールへ来た時、「ここだ!この荒涼たる風景。シルクロードを思わせるこの道こそ、日本出発前に思い描いていたところだ!」と感激し、『異邦人の道』と名づけたのを、今でもはっきりと覚えている。まさかこの道を、再びどころか三たび歩くことができるとは、その時には考えもしなかった。一生、二度と来られないと思っていた。この道を今後歩くチャンスはあるのだろうか。全くわからない。できることなら、何度でも訪れたい。何度来ても、新鮮な感動を与えてくれるから。

キバンまで2時間かかり、ティータイムとし、ジャルコットへは11時に到着。ムクチナートへは、もうすぐそこだが、ここからはキツイ登りが待っている。ゆっくり歩を進め、12時ちょうどにムクチナートへ。

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’84年、’92年に続き3度目の『異邦人の道』。前方にジャルコット、ムクチナートの村が小さく見えています。さらには’92年に越えた標高5416mのトロン峠も見えます。

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ジャルコットの村。

*この旅日記は1994年のものです。

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2013年9月17日 (火)

ネパール再会の旅 22 『Oh!Masako Izumi!』(再掲)

やがて夕食の用意が整い、掘りごたつがあるダイニングルームへ。すると、先客が2人いた。

「Hallo ! How do you do ?」
「Hallo !」
「I came from Japan. My name is ○○. But my nickname is Jin. Please call me Jin.」
「We came from Denmark. My name is Susane and my son Ture.」
「Nice meet you !」

俺の方から「こんにちは!はじめまして」と、明るく挨拶して入って行ったので、彼らとはすぐに仲良くなれた。デンマークから来たという親子で、母親はテレビ局に勤めているというスサニさん、息子さんは将来、プロを目指すアマチュアカメラマンのツレ君で、まだ19才だそうだ。

スサニさんは「カグベニは2度目で、前はローマンタンにテレビの取材に行き、ムスタン・ラジャ(王)にも会ったのよ」と、羨ましい話を聞いた。その時に、ここニュー・アンナプルナロッジに泊まったそうだ。しかし、ポカラ~ジョモソム間は往復とも飛行機で、飛行機から見たヒマラヤに感激し、今回は休暇を取り、アマチュアカメラマンの息子さんと共に、ポカラまでのトレッキングを楽しむ予定だそうだ。
*ローマンタン・・・カグベニから北、中国・チベットとの国境付近にある街。ネパール国内ながらもムスタン・ラジャによる特別自治が認められており、半独立国家であった。かつてはカグベニから北へは外国人入域禁止であったが、1992年、外国人にも開放され行けるようになった。ただし、入域料や許可証の発行など、制限が厳しく、また宿泊施設や食料の調達が難しいため、一般旅行者にはなかなか行けるところではなかった。

俺は「ネパールは3度目で、3度ともカグベニへ来て、いつもここへ泊まってるのです。だからここの娘さんのジェンテンとは、すっかり友達で、何度も手紙を出し合っているのですよ!」と話すと、「インターナショナル・フレンドなのね。素晴らしいじゃないの!」と、微笑みながらうなずいていた。

ふと彼らの飲み物を見ると、「おや?、これは・・・ムスタンコーヒーですか?」と聞いてみると、やはりそうである。スサニさんもムスタンコーヒーが大好きだそうで、息子のツレ君も飲んでいたのだ。俺も「ムスタンコーヒーが大好きなんですよ!」と話し、あらためてもう1杯ずつ注文し3人で乾杯する。すっかり意気投合し、ジェンテンも一緒に4人で記念撮影。

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ヒマラヤの奥深い村、カグベニで親しくなった人々と。左からツレ君、ジェンテン、スサニさん、俺。『掘りごたつ』があるダイニングルームにて。

そしてスサニさんが、
「デンマークでテレビ局の仕事で、日本人の女性と会ったわよ。名前は確か・・・マコ、マコっていう名前だったと思うけど・・・」
「マコ?」
「そう、マコ。日本の有名な女優よ。」
「・・・・・・(誰だろう)?」
「ほら、北極点へ行った・・・」
「アッ!えぇーっと・・・、わかった!和泉雅子さん!」
「そうそう、マサコ イズミ!彼女には驚かされたわ。だって北極へ行く前はすごくほっそりしていたのに、帰ってきたらふっくらしているんだから。もっと痩せて帰ってくると思っていたのに!」
「そうそう、日本でもそのことが話題になりましたよ!」
と、会話がはずむ。お互いに笑い合いながら、こんなひと時が一番楽しい。

以前来た時は、ジョモソムから飛行機だったスサニさんは、「明日、マルファまで行くのだけど、いいロッジご存知かしら?」と尋ねるので、「エェ、もちろん知ってますよ!」と答える。「ぜひ紹介してほしい」と言うので、俺はメモ用紙を1枚取り、そこに英語で『Neeru Guest House』と書いた。彼女ら親子は「マルファでは必ずここへ泊まります。」と言うので、俺はそのゲストハウスの娘、ニール宛てにメッセージを彼らに託した。

電気が灯っていない夜、トレッキングの日々は朝が早いので、名残り惜しいが9時に就寝とする。

カグベニ、ニュー・アンナプルナロッジにて

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帰国後、スサニさんからの手紙に同封されていた写真です。右端がスサニさん、その隣がなんと!北極帰りの和泉雅子さんです。デンマーク・コペンハーゲンにある『レストラン・東京』で撮られたスナップ写真だそうです。
北極点到達という冒険・偉業を成し遂げた直後、日本帰国前の和泉雅子さんの姿、ある意味”お宝写真”と言えるかもしれません。
勝手に掲載して、”肖像権の侵害”と言われるかな~?

*この旅日記は1994年のものです。

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2013年9月15日 (日)

ある同級生の話

 皆様、おはこんにちばんは (◎´∀`)ノ

ひと頃涼しい日がありましたが再び暑さが・・・。季節の変わり目、体調崩されていませんでしょうか?

 今回は、ある同級生のことを思い出しながら書きます。

○川君とは高校3年の時に同じクラスになりました。しかしほんの2ヵ月ほどでした。理由は分かりませんが、彼は高校から姿を消しました。
翌年春、私は地元の大学に入学しそこで○川君と再び会いました。
彼は高校から姿を消した後も、大学進学を目指すべく勉強していたのでしょう。
「○川!」声をかけた時、「誰?」という顔をされました。2ヵ月ほどの同級生でしたから無理もありません。しかし「あ~、いたいた!」と思い出してくれました。

○川君とは大学内で顔を合わせれば挨拶やちょっとした会話をする程度で、それほど親しいというほどの仲ではありませんでした。
私自身サークル活動をしていたのでサークル内での付き合いが多く、彼とプライベートで飲みに行ったりすることはありませんでした。

2回生に進級したある日、大学でやはり高校の同級生だった◇村君に会い驚きました。
◇村君は私や○川君よりもずっと成績が良かったのですが、国公立大学の受験に失敗し「これ以上浪人できないから」と私が通う大学へ入学してきたそうです。
彼に「○川と会った?」と聞くと、とても驚いていたことを覚えています。高校から姿を消した○川君がまさか大学にいるとは思わなかったのでしょう。

その数日後、今度は○川君と会い「◇村と会った?」と訊くと彼は「エッ?◇村?」とやはり驚き、私が◇村君が1回生にいることを教えました。
○川君は当然◇村君に会いたがり、◇村君のクラスの時間割を確認し次の講義の教室へと向かいました。
およそ2年ぶりに会った○川君と◇村君、お互いに嬉しそうでした。

しかしその後、今度は私がある事情で大学を去り、彼とはそれっきりになりました。
が数年後、スーツ姿の○川君と名古屋駅地下街で偶然会いました。
社会人になったばかりの彼から『○○警備保障・営業部』と書かれた名刺をもらいました。
それが○川君と会った最後でした。

それからおよそ20年後のある日。
久しぶりに○川君の消息を聞きました。しかしそれは思いがけない訃報でした。

10年前の9月16日、名古屋で大事件が起こりました。
『名古屋立てこもり放火事件』です。

この事件の背景や犯人について書くつもりはありません。
私はこの事件の翌日の朝刊一面に報じられていた記事を見て「何っ?!・・・○川!」と叫んだ後、絶句しました。
この事件で犯人を説得しようと部下を避難させ、1対1で犯人と対峙した責任者。そして犯人の巻き添えとなり命を落とした男、それが○川君でした。

○川君とは上記のようにそれほど親しい付き合いがあったわけではありません。
しかし、この事件は衝撃的であり犠牲者が同級生であったことから、なおさら印象強く残りました。
あれから10年。一友人として○川君のご冥福をお祈りします。

*ウィキペディアにこの事件のことがありました。
10年前の事件ですから忘れている方が多いと思います。もしかしたら思い出されるでしょうか?
ウィキペディアを含めネット上でこの事件について彼の名前はほとんど見ませんでしたので、私もあえて名前を○川君と表示させていただきました。

名古屋立てこもり放火事件(なごやたてこもりほうかじけん)は、2003年愛知県名古屋市東区で起こった事件。]


『2003年9月16日、運送会社「軽急便」の賃金不払いに抗議した男性(当時52歳)が、愛知県名古屋市東区大曽根駅前の第一生命大曽根駅前ビルにある本社・名古屋支店に侵入。男性は店内にガソリンを撒き、支店長(当時41歳)を人質として支店内に立てこもり、3ヶ月分の賃金21万円を要求した。

これに対して、愛知県警察は犯人の説得にあたった。一方、警察庁では事件発生の第一報が入った直後から、応援部隊を派遣する準備を始め、大阪府警察の刑事部捜査第一課特殊犯捜査係(MAAT)に出動を準備するよう指示し、愛知県警察特殊部隊(SAT)に待機命令を出した[1]。 だが、現場の室内には揮発したガソリンが充満していたため、犯人の制圧に銃器や閃光弾を使用することができなかった。[2]

警察はさらに犯人の説得を続けたが、最終的に犯人はライターでガソリンに火をつけ自爆した[3]。この結果、犯人と人質の支店長が死亡し、犯人を制圧・逮捕するため現場で待機していた愛知県警察の機動捜査隊隊員(当時31歳、巡査長)が殉職した。また警察官3名が重傷を負い、警察官・消防隊員・マスコミ・通行人ら38名が爆発時に飛散したガラス片等で軽傷を負った。

この事件をNHKや民放各局は報道特別番組として生中継した。特にTBS系列フジテレビ系列は事件発生時、在名局発の番組(『キッズ・ウォー』、『貫太ですッ!』)放送中であったが、番組開始から数分で番組を中断、ニューススタジオに切り替え生中継を開始。このため爆発の瞬間が中継された。

事件の背景には、この会社を含む、宅配委託業界のよからぬ体質があると言われている[4]。事業主を募り、軽トラックを売って運送業を委託するが、実態は個人事業主扱いで、トラックを買わされた後「顧客開拓は自助努力」と突き放されるため、「軽貨物商法」と言われ、悪徳商法ではないかとの評もあった。3ヶ月分の賃金21万円という要求額からもその事は推察できる。

この事件以降、ガソリンスタンドのポリ容器等でのガソリン販売の禁止が徹底され、法規制が強化された。』

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2013年9月12日 (木)

ネパール再会の旅 21 『ジェンテンと再会』(再掲)

そして2時。「ナマステ」と言ってロッジの中へ。返事は返ってくるが、姿が見当たらない。もう一度「ナマステ」と呼ぶと、キッチンから声が聞こえてくる。2年前と同じように、堂々とキッチンへお邪魔する。すると、2年前には見なかった女性がいた。「おや?」と思い、「ジェンテンいる?」と尋ねると「そこにいるわよ」と答える。壁際の椅子にいました、いました、ジェンテンが!「ナマステ!ジェンテン。俺のこと覚えてる?」と聞くと、「もちろんよ」と答えてくれた。

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’92に訪れたとき、わずか1泊だけでしたが、とても親しくなったジェンテン。この写真を送ってあげてから、この2年間、何通か手紙を出し合っていました。
(詳しくは、カテゴリー『1992 アンナプルナ周遊』その15、16をご覧ください)

2年ぶりの再会、しかもヒマラヤの山深い村でのことだ。そう簡単に実現できることではない。お土産に持って行った絵葉書と風呂敷を渡すと、たいそう喜んでくれた。

昼食がまだだったので、ベジタブル・ヌードルスープ(ララ・ヌードルスープという、ネパールでもっとも人気のあるインスタントラーメンに、具として野菜を入れたもの)と、チャパティ(麦パン)、そしてブラックティー(紅茶)を注文する。ヌードルスープは、チキン風味で日本のインスタントラーメンとほとんど変わらない味だから、とても美味しい。

食べ終えた後は、ジェンテンとゆっくり話をしたり、一緒に写真を撮ったりしていた。ふと彼女が「私が大切にしているものなの」と言って持ってきた箱の中には、このロッジに泊まった旅行者からのお礼状や写真が入っていた。もちろん俺が送ったものも、大切に持ってくれていた。

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お互い再会できた喜びが、笑顔に溢れています。行くことは知らせていなかっただけに、彼女にとっては『青天の霹靂』のような訪問だったかもしれません。それだけに、本当に喜んでくれました。

現在、彼女のご両親は隠居しており、ロッジの仕事はジェンテンと姉のラクパが任されている。それでもジェンテンが知らせに行ったようで、ご両親もニコニコと笑顔で会いに来てくれた。2人とも元気そうで、俺のことも「ネパール語が話せて、レッソム・フィリリを歌った日本人だろ!よく覚えているよ。」と話してくれた。

食堂では寒いので、キッチンで暖をとる。本来なら、客は立ち入り禁止にするところ(ホテルや旅館などの厨房へ入って行くようなもの)だろうが、全くお構いなし。受け入れるほうは、むしろ楽しんでくれる。そしてチャン(ネパールの地ビール;濁り酒)、バター茶、ポップコーンで、もてなしてくれる。宿泊客に違いはないのだが、完全に友達扱いで、ネパールでは親しくなればなるほど、兄弟のように思ってくれる風潮がある。ということは、ジェンテンは俺のことを兄のように思ってくれているのだろうか?

この日は朝が早かったので、ベッドルームで2時間ほどうたた寝をした。夕方、ジェンテンが夕食の注文を聞きに来た。ガーリックスープとエッグ・フライドライス、ムスタンコーヒー(ロキシーというネパールの焼酎のコーヒー割)をたのみ、再びキッチンへお邪魔する。釜戸のそばで暖をとりながら、夕食の準備の邪魔にならない程度に話をしていた。彼女たちは、仕事をしているときでも、いつも歌を歌いながら明るく楽しそうにふるまっている。知っている歌が出てくると、俺も一緒に歌い出す。「パンコパト・・・」や「レッソムフィリリ・・・」と。皆、大喜びだ。

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キッチンで夕食の準備をするジェンテン。

*この旅日記は1994年のものです。

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2013年9月11日 (水)

ネパール再会の旅 20 『カグベニへ』(再掲)

3度目のネパールで、3度目のアンナプルナ・エリア。勝手知ったるところなので、荷物を背負うとさっさと歩き出し、まずは懸案のポリス・チェックポスト。トレッキングをするためには、トレッキング・エリアと期間を申請し、トレッキング・パーミット(許可証)を取得し、トレッキング中の先々にあるチェックポストで、それを提示し検印をいただかなければならない。俺のパーミットは明日から有効なのだが、ポカラのゲストハウスのアグニさんが言っていた通り、係官は日付に全く気付かず、難なくそこを通過することができた。

10時40分、この日の予定地カグベニへは3~4時間あれば十分に行けるはずだ。ビスタリズム(ビスタリ;ゆっくり+リズムの造語)で歩く。天気は相変わらず曇っており、肌寒い。タパピークもダウラギリも雲の彼方だ。ジョモソムの村を抜けると、道はこの季節、水量が少なくなっているカリガンダキ川の川原を歩いて行くことになる。時々、岩に腰を下ろし、ミネラルウォーターで喉の渇きをいやす。

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ジョモソムの村(街?)。この辺りはシベリアで夏を過ごしたアネハヅルが、越冬のためインドへと渡るとき、またその逆の時もそうですが、上昇気流を利用してヒマラヤを越える場所でもあります。

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ジョモソムの村から、カリガンダキ川の川原を行きます。

ジョモソム以北で最初にバッティ―(茶店)があるのは、エクレバッティ―だ。ここまで来るのに2時間20分。ちょうど1時である。エクレバッティ―という名は、『一軒宿』という意味なのだが、今は宿泊施設を兼ねた茶店が2軒ある。レモンティーを飲んで15分休憩し、カグベニへと向かう。

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エクレバッティー付近より、タパピーク。

カリガンダキ川の川原を、さらに遡る。川原から段丘に上がると、カグベニはもうすぐそこに見えている。赤いモナストリーが、懐かしく目に飛び込んでくる。トレッカー用のテントサイトの横を過ぎ、カンニ(仏塔門)をくぐり、村の中へと入る。この村は、道が迷路のようにできているのだが、今回は迷うことなく、ニュー・アンナプルナロッジへと向かった。

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前方にカグベニ村が見えてきました。近いようで、まだ遠い・・・。

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カンニの中に描かれているタンカ(仏画)。

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こちらは曼荼羅です。カンニの中に描かれていました。

*この旅日記は1994年のものです。

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2013年9月10日 (火)

ネパール再会の旅 19 『ジョモソムへ』(再掲)

4月16日(土)曇り時々晴れ
ポカラ10:10ごろ(Nepal Airway)10:30ごろジョモソム(徒歩)14:00カグベニ

 午前5時半起床。ジョモソムへ飛ぶ日だ。6時にタクシーに来てもらうように手配してあったのだが、15分過ぎても現れず、仕方がなく、流しのタクシーで飛行場へ向かう。6時半には着いたのだが、どうも天候がすぐれない。チェックイン・カウンターで訊ねると、「山間部の天気が悪く、フライトできるかどうかわからない」と言うではないか。第2便に予約されていることを確認し、天候の回復を祈り飛行場で待つことにする。

腹が減っていたので、道端のチャイ屋でチャイを飲みながらドーナツを食べ、ひたすら待つ。ただボーっとしていたり、ザックを枕に横になったり。2時間ほど経っただろうか、ほとんどが西洋系の年配の人たちだが、どうやらマウンテン・フライトの客のようだ。望みが出てきた。マウンテン・フライトの飛行機が飛び立つと、ジョモソム行きの第1便も客を乗せ離陸した。急いでチェックイン・カウンターへ行くと、ちょうど名前を呼ばれチェックイン。第1便がジョモソムから折り返しやって来て、いよいよ搭乗となる。

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ポカラ飛行場。これから飛行機でジョモソムへ向かいます。

ジョモソムからやって来たネパール・エアウェイのツインオッター機は、そのわずか10分後の10時10分、ポカラ飛行場を離陸した。この飛行機は全く小さくて、定員は20人。小型のマイクロバスのようだ。もっとも、ネパールの国内線は、そのほとんどが山間部を飛ぶので、このような小さな飛行機でないと飛行できないのだろう。快晴ならば、マチャプチャレやアンナプルナ、ダウラギリといった山々が見られるのだが、あいにくの曇天。

しかし、こんな小さな飛行機にもスチュワーデスがいて、飴玉のサービスがある。それと、綿。なぜ綿を出すのかは、高度による気圧の変化で、耳鳴りなどを防ぐためであろう。大きな飛行機なら制御装置が備わっているのだろうが、こんな小さな飛行機では、綿を耳栓代わりにするのが最善策だ。

飛行機はゴラパニ峠上空からカリガンダキ川を遡るようにコースを取り、特徴のあるトゥクチェの村を見下ろすと、間もなくジョモソムだ。ポカラから歩くと1週間かかる道のりを、文明の利器はわずか20分で我々を運んでしまう。10時30分、美人のスチュワーデスに見送られ、ジョモソム飛行場へ降り立った。

*この旅日記は1994年のものです。

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2013年9月 8日 (日)

美しき地球 その5

 皆様、おはこんにちばんは (◎´∀`)ノ

例年はこの季節でもまだ『残暑厳しい』のですが、今年はずいぶん和らいでいますね。
急激な気温の変化で、体調崩される方もいるようです。皆様、ご自愛ください。

 まだまだ『美しい地球』の写真、あります。
2ヵ月前、PC不調の際、再セットアップを余儀なくされましたので、メールボックスのメールすべて無くなってしまいましたので、これらの写真の場所が分からなくなってしまいました。
どこなのか分かりませんが、この地球上のどこかにある素晴らしい風景、ご覧ください。

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池から池へとたくさん滝が流れ落ちています。水がとても澄んでいますね。右上の崖に沿って遊歩道があるのでしょうか、大勢の人が訪れているようです。
*追記・・・どうやらここはクロアチアのプリトヴィツェ湖群国立公園のようです。滝で結ばれる階段状に並んだ16の湖が美しい景観を作り出しており、1979年にユネスコ世界遺産に登録されたそうです。
ご教示いただきました tona様、みーこ様、ありがとうございました。

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これはきっと高級リゾートホテルと思いますが・・・。目の前に広がるビーチ。プール必要ないように思うのは私だけ・・・?

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これもやはりホテルでしょうか?!背景に山が連なっています。山岳リゾート地なのかもしれませんね。正面が全面ガラス張りなのは、そこから見える景色がきっと素晴らしいからなのでしょう。

最初の写真はともかく、下の2枚は地球というよりホテルの景色になってしまいました (^_^;;アセッ!
素晴らしい景色を眺めた後、素敵なホテルでのんびり・・・、そんなイメージでご覧いただけたら幸いです。

これらの場所ご存知でしたら、ご教示ください。

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2013年9月 5日 (木)

ネパール再会の旅 18 『学校でのショー』(再掲)

この日は近くの学校でショー(学芸会)が50ルピーで見られるとアグニさんに誘われたので、先にシャワーと洗濯を済ませる。すると、突然の雷鳴と共に雨。雨期が近いとは言え、今月末が思いやられそうだ。

5時になり、アグニさんやキッチンボーイたちと共に出かけようとしたが、せっかくだから客引きしてきた2人も誘ってみた。彼らは昼寝をしていたようだが、「50ルピーで見られるのなら行きます」というわけで、日本人客3人、スタッフ3人の計6人で出かけた。ちなみに、この入場料の収益は、子供たちの修学旅行費用に充てられるそうだ。

入場券を買ってきてもらい、列に並ぶのだが、これがメチャクチャな並び方。中には、どさくさにまぎれてタダ見をしようとする連中もいるらしい。ゲートが開くと、まるで『おしくらまんじゅう』のように、入口に人々が押しあいへしあい殺到する。ゲートをくぐるまでは、「誰かはぐれてしまうのではないか?」というくらい、ひどい混雑ぶり。やっとの思いでゲートをくぐると、中は意外に整然としていて、皆で「今のは何だったんだ?!」と大笑い。

校庭に用意された長椅子に座り、始まりを待つ。が、電気の故障で開演が1時間以上遅れた。時間が進むにつれ、長椅子の列が少しずつ前へ進む。少しでも前で見ようとするのか、さらに前へと詰め、気がつけば最初の位置よりずっと前に来ていた。日本ではこんなこと、とても考えられないことだ。我々日本人3人は「これだけでも50ルピー出した価値がある」と笑っていた。

ショーは初めに歓迎の歌から始まり、ダンス、劇、擬音による声帯模写といったパフォーマンスで、盛りだくさん。ブレイクダンスを披露した12~3才ぐらいの男の子は、末はマイケル・ジャクソンかと思わせるほど、動きが柔らかくてスピーディ。劇は、アグニさんが通訳してくれたので、我々も理解できたのだが、これがまるで『ネパール版・吉本新喜劇』。延々と笑い続け、終わった時は11時をまわっていた。

まさか、こんなに遅くなるとは思っていなかったので、夕食もとっておらず、さすがにお腹が減った。しかし、この時間ではどの店も開いていない。アグニさんやキッチンボーイに頼み、ダルバートを作ってもらって、我々3人の日本人とアグニさんとで遅い夕食とし、床に就いたのは12時を過ぎていた。

ポカラ、ホテル・マウントエヴェレストにて

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歓迎の歌から、ショーが始まりました。

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たった一人で、見事なダンスを披露した男の子。

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ネパリーダンスを披露した女の子。

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グループで合唱。

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吉本新喜劇のネパール版?

*この旅日記は1994年のものです。

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2013年9月 4日 (水)

ネパール再会の旅 17 『ネパールで客引き?』(再掲)

2時半ごろ、オーナーのチェタンさん(実質的なオーナーはミラさん)に誘われ、アグニさんと共に3人で、バスパークへ行くことにする。昨日、俺が着いた時もそうだったように、カトマンドゥからのバスがたくさんやってくる頃なのだ。そこでチェタンさんが客引きへ、それにお供することにした。

ポカラのバスパークには、次々とカトマンドゥからバスがやって来る。他のところからも来ているかもしれない。チェタンさんが、名刺を見せながら客引きに奮闘しているが、お客はなかなかつかまらない。何台目かのバスから降りてきた若い日本人カップルが、大勢の客引きたちに取り囲まれ、振り払おうとしているのが見える。その光景を見ていたあるネパール人が、「同じ日本人だから、助けてあげたら」と言うので、彼らのもとへ近づいて行った。

「ヤッホー!どうしたんですか?」と声かけると、彼らは、
「これ、一体何なのですか!?今、シーズンオフじゃないんですか!?」と、かなりの困惑顔。
「シーズンオフだから、必死に客引きしているんですよ」と話し、俺が泊まっているゲストハウスへと誘う。彼らは、たくさんの客引きにうんざりのようで、俺と同じところにしようとした。

が、そこでトラブルが起こった。客引きをするには許可が必要で、俺がその許可証を持っているはずがない。アグニさんも持っていない。客引きの許可証を持っている人々から、文句とブーイングの嵐。あからさまに怒りをぶつけてくる人もいる。そりゃ当り前だろう。宿泊客がいなければ商売にならないのに、突然やって来て、数少ない旅行者を日本人の俺に勝手に客引きされてはかなわない。一時かなり険悪なムードになり、誘うのをやめようとしたが、いいタイミングでチェタンさんが警官とともに現れた。チェタンさんは他の旅行者を誘っていたのだが、俺たちの様子に気がついて、そばにいた警官に話をしたらしい。

その警官は、「彼らはあなたの友達なんだろう?ならば同じ日本人だから、彼らを連れて行ってもいいよ」という、何とも明快な素晴らしいお裁き。大岡越前か、遠山の金さんか、はたまた水戸黄門か!もちろん彼らとは初対面だったが、俺は客引きに成功。それでもまだ文句を言う人たちを、チェタンさんがうまく取りなし、我々4人を素早くタクシーに乗せた。

これで一件落着と思いきや、ゲストハウスに着くと、タクシーの運転手が交渉通りの料金より高くふっかけてきた。そこで再び俺とアグニさんの出番。「あなた、最初に60ルピーでいいって言ったじゃないか!」と、2人でまくしたてると、あっさり「60ルピーでいいよ」と苦笑い。運転手はアグニさんも日本人と思っていたのだろうか?

連れてきた若いカップルは、アグニさんの配慮もあって、ツインを200ルピー、一人当たりにすると、俺より安い100ルピーで部屋が決まり、さすがに感謝された。彼らも名古屋から来ている人たちで、織田さんと都築さん。バスパークで会ったときとはうって変わって、ホッとした表情をしていた。ミラさんは、日本人客の客引きに成功した俺に『さすがね』といった表情で感謝してくれた。キッチンボーイたちも笑顔で応えてくれる。しかし、ネパールくんだりまで来て、まさかゲストハウスの客引きをするとは思わなかった。

*この旅日記は1994年のものです。

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2013年9月 3日 (火)

ネパール再会の旅 16 『どうする?トレッキング出発日』(再掲)

4月15日(金)雨のち晴れ
ポカラ

 午前9時起床。のーんぴり過ごせる国だ。明け方の雨のせいか、今朝は涼しい。雲が多くて、マチャプチャレが見えないのが、残念だ。ゲストハウスで、セットメニューの朝食(トースト、ミルクコーヒー、ゆで卵)をとり、レセプションで、ミラさんやアグニさんと話をする。スタッフの一人が、明後日のジョモソムまでの飛行機の切符の手配に、飛行場まで出かけてくれることになった。

ところが、電話で「17日から20日までは、既に予約で満席」と知らせてきた。ネパール暦の新年の影響らしい。それじゃ「行きに歩いて、帰りに飛行機にするか」と思った矢先、再び電話が。「明日なら予約が取れるが、どうする?」。うーん、困った。トレッキング・パーミットのスタート日は、明後日からなのだ。これを聞いたアグニさんは、日本語で「問題ない。大丈夫です。日付まで細かく見ません。もし、ばれたら、賄賂を少し出せばいいです。」とのアドバイス。まさか『賄賂』と言う言葉を知っているとは!思わず笑ってしまったが、明日の飛行機の予約をしてもらうことにした。

昼すぎまで3人で話をしていたが、ミラさんが「もし私が日本へ行けるビザをあなたが取ってくれるなら、このゲストハウスをあなたに譲るわ。そして私は日本でたくさん稼いで、別の場所にもっと大きなホテルを造るわ」と話していた。冗談だとは思うが、決して100%冗談でもなさそうだ。もし本気でそう思っているとしたら、すごくおいしい話なのだが、いかんせん、そう簡単にビザを取ることはできない。まして一個人の力では、どうにもならない。外国人労働者の不法滞在が社会問題となっている今の日本では、ビザ取得は非常に厳しくなっているのだ。

*この旅日記は1994年のものです。

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2013年9月 1日 (日)

ひまわり&コスモス

皆様、おはこんにちばんは (◎´∀`)ノ

この夏は記録的に雨が少なく酷暑の日々が続きましたが、先週末から少しは暑さも和らぎましたね。しかし今週末は、やや蒸し暑いかな (-_-;;?

 大垣市で毎年”休耕田”を利用して行われる『ひまわりランド』。昨年行けなかったので「ぜひ今年は!」と思っていました。
しかも今年開催される場所は、大垣市でも旧・墨俣(すのまた)町。今まで開催された地区よりはずいぶん近いです。マイカーで1時間ぐらいでしょうか?!
本当は先週日曜日に行きたかったのですが、あいにくの雨で断念。で、天気が良かった先日、行ってきました。

ピークは過ぎたようで俯いた花が多かったのですが、それでも元気いっぱいなヒマワリも咲いていました (^o^)!

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休耕田を利用したヒマワリ畑。見ているだけで「元気」をもらえそうです。

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うつむき気味のヒマワリが多い中、こちらは元気いっぱい!

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姿勢良く、まっすぐ伸びている姿に「惚れぼれ」します。

 墨俣町と言えば『墨俣一夜城』が有名なのですが、以前、見学したこともありますし今回は立ち寄らず長良川沿いの道を南下して、木曽三川公園を目指しました。
先日の新聞に『キバナコスモスが満開』とありましたので、それを見に行きました。

墨俣町からは数十kmありますが、川沿いの道路ゆえ信号が少なく30分もかからずに走ることができました。
そして園内へ入るとそこは・・・、もはや『秋色』でした。

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駐車場そばのエントランスに、綺麗な百日紅の花が咲いていました。

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園内には早々とコスモスの花が?!

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キバナコスモスはすでに”満開”です。

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この公園のシンボル”タワー”をバックに、キバナコスモスを撮ってみました。

 季節はその日や時間によって『夏』だったり『秋』だったり・・・。
お花たちも季節に戸惑いながら咲いているのかもしれませんね。
戸惑いながらも「凛」として咲いている姿に、『癒し』と『元気』をもらって帰ってきました。

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