« ネパール再会の旅 3 『カトマンドゥへの機内にて』(再掲) | トップページ | ネパール再会の旅 4 『2年ぶりのカトマンドゥで』(再掲) »

2013年8月 4日 (日)

「よっこいしょっ!ういちさん」

 皆様、おはこんにちばんは (*゚▽゚)ノ

時折不安定な天気で雷鳴や夕立の日がありますが、それでも夏らしい猛暑の日々がやってきました。
毎年8月になるとTVでは戦争テーマの特別番組、新聞もそれらをテーマにした記事をよく見ます。

つい先日、地元紙一面にあの”故・横井庄一さん”の記事が掲載されていました。

『「生きとる」母の一念』というタイトルに『横井庄一さんの戦死公報信じす』とありました。
横井さんの帰国直後、ご先祖様のお墓参りで泣き崩れる写真とともに記事が書かれていました。

Cimg4483
7/30日付、中日新聞朝刊一面です。

この記事を読み「当たり前だよなぁ」と思いました。
戦死された方のほとんどは、どこでどのような形で命を落としたのかご遺族の方には確信がないことと思います。ましてや公報だけで他に情報もなく遺骨もないのに、どうして『死』を信ずることができるでしょうか?!

私の母方の祖父も戦死しました。近衛兵として出征し「南のほうの海で攻撃したらいかん船(赤十字船)に乗っていたのに、攻撃されて船もろとも沈没した。」と聞きました。
ですからやはり遺骨はありません。母曰く、「南の海で魚の餌となってしまった」のでしょう。
祖母から直接話を聞いたわけではありませんが、やはり最初は『死』を受け入れ難かったのでは?と思います。

さて、もうすでにご存知のプロ友さんも多いのですが、実はこの横井庄一さん、我が地元出身の方なのです。
今から40年ほど前、当時私は小学生でした。その時、日本中を驚かせるニュースが流れ、その当事者が我が地元の方でした。
それどころか、横井さんが帰国し名古屋へ凱旋した日、新幹線ホームで横井さんに花束を持って出迎えた女の子、当時の私のクラスメートでしかも席を隣同士で並べていた女の子でした。

その日学校は本来ならば午後まで授業があるのですが、横井さんの帰郷で多くのマスコミが押し寄せることを予想してか、臨時で半日授業となりました。
にもかかわらず隣の席の女の子が休んでいて「こんな日にもったいない」と思ったのですが、帰宅後のTVニュースで横井さんが名古屋へ帰ってきたシーンを見て「何っ?!だから今日、休んでたんだ!」と声をあげていたのを今も覚えています。

故・横井庄一さんが地元の方だから印象強いのは当然ですが、当時のクラスメートで席を並べていた子が横井さんを迎えに行っていたことで、なおさらインパクトが強く残りました。

横井さんが帰国後過ごされたご自宅は今、『横井庄一記念館』として毎週日曜日のみ公開されています。
我が家から車なら5分もかかるかどうかの距離。歩いても2~30分ほどかな?一度だけ訪れました。
横井さんがグアム島でひっそりと隠れて生き延びた洞穴が再現されています。当時使っていた道具、衣服を作るための機織り機も造ったようです。
当時はもちろん今でも「スゴイ!」と思います。

Cimg2401
故・横井庄一さんのご自宅前。開館日はこのように看板が掲げられています。

何の変哲もなく見るからに殺風景な我が街。唯一誇れるのが、この故・横井庄一さんかもしれません。

|

« ネパール再会の旅 3 『カトマンドゥへの機内にて』(再掲) | トップページ | ネパール再会の旅 4 『2年ぶりのカトマンドゥで』(再掲) »

コメント

洞窟再現しちゃったんですか。それは面白そうですね。究極のサバイバルですね。もっとも暑いところだからこそ生きられたのでしょうが、現代人が見習うべきものがありそうですね。


agewisdomさんへ

記念館内にはかつて横井庄一さんがひっそり暮らしたグアム島の洞穴を再現し、見取り図もありました。
それを見て「実に合理的」で、だからこそ長きに渡ってジャングルでの生活を生き延びられたのだと思いました。
28年もの長い間、それこそ”究極”のサバイバル生活を送っていらっしゃったのですから、本当に凄過ぎます。
横井さんのサバイバルの極意は、今の日本にとって必ず役に立つと思います。

投稿: agewisdom | 2013年8月 4日 (日) 23時47分

お早うございます
そうでしたか 私は初めて知りました
当時は時の人でしたね
横井さんと小野田さん 覚えていますよ
ジャングルなどで想像を絶する生活を
送りつつ帰国の時を待っておられたのでしょう


古都人さんへ

あれっ?昨年か一昨年の今頃も横井さんのことをブログに書きましたので、てっきりご存知かと・・・。
確かに『時の人』でしたね。新幹線ホームで出迎えたクラスメート(彼女の名字ももちろん『横井』さん)も翌日はクラスの中で『時の人』となっていました。
その後、小野田寛郎さんも発見され帰国を果たしましたが、横井さんのように日本の生活に馴染めなかったようですね。

投稿: 古都人 | 2013年8月 5日 (月) 06時22分

お隣の席の女の子は何故出迎えたのでしょうか?御親戚かなんかですか。今でもその女性にお会いになることはありますか。

横井さんの本は読んで、そのサバイバルの様子に驚いた覚えがあります。
横井さんと違って日本に馴染めなかった小野田さんの方は南米ブラジルと日本を往復しながらまだお元気に活躍しておられるようですね。


tonaさんへ

隣の席だった女の子、親戚だったようです。名字も同じ『横井』さんでした。今では会うことはありませんが、以前記念館を訪れた時、故・横井庄一さんの奥さま、美保子さんにその話をしましたら、今も近くに住んでいると聞きました。
横井さんの本、私も『サバイバル極意書 もっと困れ』を読んだことがあります。
ところがこの本だけが記念館になくて、奥様曰く『いくら探しても見つからない』とのことでした。
私もかつて持っていたのですが、処分してしまって、残念なことをしました。もし手元に持っていれば即、寄贈したのですが・・・。

投稿: tona | 2013年8月 5日 (月) 08時22分

こんにちは
横井庄一さんは素晴らしくて凄いお方ですね。
沢山学ぶ事が多いかと思います。
帰国後のご様子はテレビなどで拝見して
名古屋の方だとは記憶にありましたが、
お近くの方だったのですね。
花束を持って出迎えられた同級生も
一生の思い出と成っている事でしょうね。


すみれさんへ

28年もの間、誰にも見つからずにジャングルの中でひっそりと生き延びてこられたのですから、その体力・精神力は並大抵ではなかったでしょうね。
もともと手先が器用だったのか、ジャングルにあるものを利用し機織り機を造って着るものを作ったり、魚を捕るための仕掛けなども造ったようです。
出迎えたクラスメートの子は保育園から中学まで同じで、むしろ親同士のほうがよく知っているようでした。
横井さんの帰国後しばらくは、母が彼女の母親から聞いたのか、面白いエピソードもありました。

投稿: すみれ | 2013年8月 5日 (月) 16時38分

私もこの中日新聞の記事を見た時
以前ここに書かれた横井さん関連の
記事を思い出しました。
あの小学生はどうしているのかしら
とも思いました。近くにおられるの
ですね。
記念館はいつでもオープンでは
ないのですね。


matsubaraさんへ

毎年この季節になりますと、近衛兵だった祖父と横井庄一さんの話は、私には欠かせない話題ですからね。
クラスメートだった女の子のその後については、記念館からほど近いところにお住まいだとお聞きしましたが、お会いする機会はありません。
記念館と言いましても日常は美保子夫人が暮らしていらっしゃいます。それゆえ日曜日のみの開館にしているのだと思います。

投稿: matsubara | 2013年8月 6日 (火) 09時56分

ああ、懐かしいお名前ですね  それに亡くなられたのですね
時間的に そうなのでしょう とは思いましたが・・
あの知的な奥様は どうなさったのでしょう~

隣の女の子を ニュースで知った時は 驚かれたでしょうね・・
今なら ネットで検索ですね
今、日光滞在です。  明日は晴れそうですが そちらは大雨大丈夫でしたか~~


bellaさんへ

横井庄一さん、この記事によりますと「’97年に82歳で亡くなった」ようです。
奥様の美保子夫人は今もお元気で、横井さんと共に暮らしたご自宅で今も暮らしています。そのご自宅を記念館として日曜日のみオープンしています。
当時クラスメートだった女の子、確かに名字も同じ『横井』さんでしたが、まさか?!でした。しかも席が隣だったので、より印象強く残りました。
今、日光?いいですネェ!ご旅行ですか?
局地的にかなり土砂降りだったようですが、この周辺は大丈夫でした。

投稿: bella | 2013年8月 6日 (火) 17時54分

慕辺未行さん:
ご無沙汰しています。
横井庄一さんの新聞記事は覚えています。
この記事は津島在住の中日新聞記者が書いたスクープでした。
当時の死亡通知はかなり間違いがあったようですね。


seiboさんへ

本当にお久しぶりです。お元気でご活躍されているでしょうか?
記事の中にも津島市内のお寺のことが書かれていましたね。また、横井さんの出生地が津島にほど近い佐織町ということも。
当時の公報は『所在がつかめない=戦死』ということになっていたのかもしれないですね。

投稿: seibo | 2013年8月 7日 (水) 11時53分

私も中日新聞の記事、読みました。
横井さんがジャングルで見つかって日本に帰ってこられたときは、日本中大騒ぎでしたよね。
家でも学校でもこの話題で持ちきりだったことを思い出します。

それにしても、おとなりの席の女の子が横井さんのお迎えにいってらしたとは。
より身近に感じられる出来事だったわけですね。


みーこさんへ

あの当時は本当に大ニュースでしたよね。
まさかグアム島のジャングルの中で元・日本兵が28年間も生き延びていようとは?!
その人が地元の方だっただけに、さらに隣に席を並べていた女の子が名古屋駅の新幹線ホームへ出迎えに行っていたのですから、私にとってはもっとインパクトが強くなりました。
その翌日朝、教室では彼女がクラスメートたちに囲まれていたことも覚えています。

投稿: みーこ | 2013年8月 8日 (木) 10時59分

コメントを書く



(ウェブ上には掲載しません)




« ネパール再会の旅 3 『カトマンドゥへの機内にて』(再掲) | トップページ | ネパール再会の旅 4 『2年ぶりのカトマンドゥで』(再掲) »