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2013年7月11日 (木)

さよならネパール!また逢う日まで!!(再掲)

5月17日(日)
カトマンドゥ9:00(RA407)13:00バンコク

 とうとうネパール出発の朝。5時30分に起きる。いつもと変わらぬ食事をすませ、用を足し身支度を整える。早朝から鳥のさえずりや、車・バイク・リクシャ(人力車の自転車版)の走る音が聞こえる。

そろそろ6時30分。空港へ向かう。幾多の思い出、友を残し、俺はカトマンドゥを、ネパールを去る。

Img544
ゲストハウスの入り口で。長い間、お世話になりました。ピッケル型のステッキも記念に持ち帰ります。(*このステッキは今でも大切にしています。)

タクシーを呼び、見送りに来たゴビンダと共に空港へ。7時にチェックインを済ませ、ティータイムをとる。8時30分に出国手続き。ゴビンダとも、ここでお別れだ。重ね重ね、お礼を言い、「いつか、また会おう!」と約束し別れる。

いよいよ搭乗だ。ロイヤルネパール航空407便、バンコク経由シンガポール行きは、定刻通り9時に、カトマンドゥ・トリヴバン国際空港を飛び立った。

Img547
搭乗前の最後の写真。ネパールからバンコクへ、そして日本へと帰ります。

*この旅日記は1992年のものです。

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コメント

ネパール、終わっちゃいましたね~
冒険少年?のドラマみたいでしたぁ
また…はあったのですか?


と~まの夢さんへ

日常の3ヵ月は、アッ!という間ですが、非日常の3ヵ月はやはり長かったです。
冒険少年?いえ中年ですヨォ!(笑)
また・・・は、それがあるのですから、まずいですよネェ!
働き盛りの年頃に、こうたびたび現実離れしていては!
また・・・の旅も再掲載しますので、よろしく!です。(^_^)/

投稿: と~まの夢 | 2013年7月11日 (木) 15時48分

こんばんわ
慕辺未行さんの人生に大きな足跡を
残したネパールの旅 とうとうその大団円を
迎えましたね
大団円 なんて時代掛った言葉でしょう
色んな苦難もありましたね
最悪の体調にも克服されましたね
それらのすべてから解放され
漸く普通の生活に戻られるのですね
長い間 大変お疲れ様でした
そして感動の旅日記 楽しんで拝見させて
戴きました 有難うございました


古都人さんへ

3カ月に及ぶネパールの旅、長いようで短い、短いようで長い・・・何とも言えない時の流れの中にいたような気がします。
ブログに再掲載し始めたのが昨年の11月半ばですから、長くかかりました。
私自身もこのネパールの旅は、今でも強く覚えていることがたくさんあります。映画の1シーンのように、その時の光景を思い出すことができます。
バンコクで数日過ごし、そして帰国。
しかし、左サイドバーのカテゴリーを見てお分かりのように、この2年後にもネパールを訪れています。
ホント、何やっているんだか・・・?
自己満足ばかりの旅日記ですが、楽しんでいただき、こちらこそありがとうございました。

投稿: 古都人 | 2013年7月11日 (木) 20時58分

こんばんは
ネパールへの旅、3ヵ月もの長期だったのですね。
トレッキング、素晴らしい友との交流などなど
沢山学び、そして体験され
誰もが気軽に行ける旅行でないだけに
素晴らしく、大きな財産?となったのではと思います。
文章運びの素晴らしさ、ワクワクと・・・
未知の国への好奇心、
夢膨らむ旅日記を楽しませて頂きありがとうございました。


すみれさんへ

この旅の途中で30才になったのですが、一般常識を考えればこの年齢で3ヵ月にも及ぶ旅、非難されても仕方がないほど、非常識な旅でした。
しかしこれも一つの人生。こういう人間もいるのです。
ただそれだけに、なかなか得難い体験をすることができました。
特にエヴェレスト・トレッキングで知り合ったエルマー&アンジュラ夫妻とは3度もドイツを訪れ、今もメールでのやり取りがあり、大きな財産となりました。
この旅日記を再掲載し始めてから、なんと8ヵ月!長きに渡りお読みいただきまして、こちらこそ、ありがとうございました。

投稿: すみれ | 2013年7月11日 (木) 23時13分

大紀行、いろいろな困難に打ち勝って大きな喜びを得る、何と旅らしい旅でしょう。ツアーにのこのこついていくのは、なんだか恥ずかしく旅とは言えない気もしました。
体力、気力、好奇心がなければできないことで、お若かったからどんな困難にもめげずに長丁場をこなせたのでしょうね。
この経験が今も活きていることでしょう。
旅行記好きなので、また次も楽しみにしています。


tonaさんへ

体調不良や疲れなど、なければそれに越したことはないのですが、来る日も来る日も歩き続ける旅、経験したことのない標高・・・、さすがに身体がビックリしたのでしょう。
それでも若さと日ごろのジョギングなどで体力をつけておいたので、気力で乗り越えることができました。
学生の頃、ユースホステルなどを利用しながら、行き当たりばったりの旅ばかりしてきました。
「明日は明日の風が吹く」とばかり、予定を立てての旅をしたことがほとんどありません。
これは私の性格的なものでしょう。
海外へは過半数の人々がツアーで行かれるでしょうから、恥ずかしくもないでしょうし、立派な旅と言えると思います。
むしろ、働き盛りの年齢に3ヶ月も海外をうろついていた私のほうが、恥ずかしいです。

*tona様のブログ、右サイドバーの『お友達サイト』にリンクさせていただきました。

投稿: tona | 2013年7月12日 (金) 06時43分

ロイヤルネパール航空って
とても懐かしいです。
私もそれに乗り香港から
カトマンズに向いました。
かわいい飛行機でしたね。
次の旅行記も楽しみに
しています。


matsubaraさんへ

ロイヤルネパール航空は今、ネパールの王制が廃止されたため『ロイヤル』が削除され『ネパール航空』という名になっているそうです。
それほど大きな飛行機ではなかったと、私も記憶しています。
マウンテンフライトの御経験がお有りですから、ご存知でしょうが、国内線の飛行機なんて、もっと可愛らしいものでした。
次回再掲載する旅日記は、この2年後のネパールの旅です。matsubara様はかつてお読みいただいた旅日記かもしれませんが、何卒よろしくお願いいたします。

投稿: matsubara | 2013年7月12日 (金) 08時46分

ゴビンダ君には その後会われたのですか  手紙は?
パソコンはまだ彼は持ってないでしょうか・・
半月ほどの西欧の旅でも 切ないのですから、
ネパールの旅の終り、万感胸に迫ったことと思います
それに 単なる旅の終りでなく、慕辺未行さんの 別な人生の
始まりと思うと 一層複雑です
その後の日本での仕事生活、大きな夢への憧れと現実の生活の維持、それもまた 慕辺未行さんを立派な大人へと成長させたでしょうね


bellaさんへ

この旅日記が終了しましたら、この2年後に訪れたネパールの旅日記を再掲載いたします。
bella様は一度お読み頂いているかと思いますが、何卒お付き合いくださいませ。
ゴビンダとはその後・・・次の旅日記をお楽しみに (^_^)/!
もともとこの旅を決行したのは、バブル経済がはじけ、仕事が極端に減ったことと、プライベート面での様々な問題があったことも理由の一つでした。
それだけに帰国することへの不安がとても大きかったです。経済状況が悪くなった時代でしたし、まともな働き口があるのか?と。
その結果は、2年後またネパールへ旅立って行ったことで答えが出ています。
もっとも働き盛りの年齢に、こんなことをしていた自分、まともな人間じゃありませんよ。

投稿: bella | 2013年7月12日 (金) 21時16分

3カ月ものネパールの長旅、本当にお疲れ様でした。
なかなかできない貴重な体験をたくさんされましたね。

地元の方の中にすっかりなじんでいらっしゃる慕辺未行さん。
ネパールを離れるときのお気持ちは、普通の旅行で訪れた町を離れるのとはまったく違うものがあったと思います。

また続きがあるようですね。
楽しみにしています。


みーこさんへ

バブル経済が崩壊し、それを機に個人での仕事をやめて出かけた旅。
とにかく念願だったエヴェレスト街道とアンナプルナ周遊をトレッキングできたことが、嬉しかったです。
3ヶ月のうち半分はカトマンドゥにいましたから、ゲストハウスのスタッフたちとは必然的に親しくなりました。
やはり長くいただけに、離れるときの寂しさはありました。が、それ以上に帰国してからのことが不安でした。
その不安もある程度的中し(?)、この2年後にまたネパールを訪れようとは、このときは夢にも思いませんでした。

投稿: みーこ | 2013年7月13日 (土) 06時57分

ありがとうございます。
私もお断りなしにリンクさせていただいておりました。
暑さきびしき折柄、お母様お大事に。


tonaさんへ

こちらこそありがとうございました。
今後とも、よろしくお願いいたします。

投稿: tona | 2013年7月13日 (土) 08時03分

今はよくちゃんとかえってお母様の面倒を見ていらっしゃいますよね。こんな自由な時間を持てた方がと思います。娘のお知り合いは、もう40を過ぎますがご両親を妹さんに預けたまま、今も世界や日本を放浪していらっしゃるようです。
日本の中にある制約が、多少の不自由さ以上に大変だったのではないかなと思います。
私なんか社会の仕組みの中にとっぷり浸かって生きてきましたので不思議な気が何度読ませていただいてもしています。


agewisdomさんへ

若いころ、特に働き盛りの年齢のときにこんな自由気ままなたびをしていたからこそ、今大変な思いをしているのかもしれません。
しかし今の状況を考えれば、今後このような旅の機会はないでしょうから、行って良かったと思います。
今の時代、年功序列や終身雇用はほとんど叫ばれなくなりましたが、仕事を辞めてまで旅に出ることってやはり勇気が要りました。
世間の風当たりも強いですから。
母の世話をしながら夜中にできる仕事を探しているのですが、なかなか思うようにいきません。

投稿: agewisdom | 2013年7月13日 (土) 20時09分

友人にも仕事を辞めて、ワーキングホリデーに出かけた子がいます
そして今も日本全国、世界各国を飛び回っています
現地で働いて稼ぎながら滞在する彼女は・・・羨ましくもあり、心配でもある存在ですね~
小市民の私には絶対真似ができないなぁ
仕事をやりくりして、がんばって1週間ぶち抜き旅行がせいぜいです
行ける時に行く!が旅ですよね~貴重なご体験、素敵な旅物語をありがとうございます~


きゃぶさんへ

ワーキングホリデーなら現地で仕事をしているわけですし、そしてその土地に馴染む・・・、それも一つの『旅』でしょうね。
私もかつて、ネパールで日本語教師になろうとしたのですが、父の肺がんが発覚し断念したいきさつがあります。
この時代はバブル経済が崩壊し、極端に仕事が減ったため廃業を決意し、そして「夢」だったエヴェレスト・トレッキングを実現させました。
30才という働き盛りの年齢で3ヶ月も海外を旅した私です
が、友達からは羨ましがられつつも声のトーンはやや批判的な感じも受けました。

投稿: きゃぶ | 2013年7月16日 (火) 20時49分

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