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2013年7月 3日 (水)

ナマステ!電器屋デース (^_^)/(再掲)

5月13日(水)
カトマンドゥ

 8時45分起床。カトマンドゥでの朝は、のんびり迎える。いつも通りの朝食を済ませ、その後、昼までベッドで横になる。昨夜はよく眠れたほうなのだが、なぜだか気だるい。

昼すぎ、やっと腰を上げる気になり、クリシュナ・モモ・レストランへ。モモとベジタブル・チョウミン(計20ルピー)。アサン広場のバザールでスンタラ(みかん)1kg(30ルピー)とパン(7ルピー)の買い出し。とその時、たくさんのネックレスを持った行商のおっちゃんがやって来た。以前から欲しくて探していたワインレッドのガーネットのネックレス。350ルピーと言っていたのを粘りに粘って150ルピーにまで値切って買う。ふだん、質素で地味なファッションの俺も、これをつければ少しは『おしゃれ』に見えるだろうか?!

ゲストハウスに戻り、シャワー・洗濯。今日は曇っているので、洗濯物は部屋の中に干す。夜までには乾くだろう。再び部屋でボーっと過ごし、夕方。ゴビンダが「今日、小さなお祭りがありました。今からおじさんの家へ行くのですが、あなたも行きませんか?私の母も行っています。」と誘われ、彼のおじ宅へ一緒に出向くことにする。

陽が暮れかかる頃に行き、彼のおじ宅まで来ると、2階から彼の母が顔を出して「ナマステ!(こんにちは)」と歓迎してくれる。玄関で彼の母やその家の人々に暖かく出迎えられ、部屋の中へと通される。
「マ ゴビンダコ サーティ、ジャパン バーター アーエン(私はゴビンダの友達で、日本から来ました)。」と、ネパール語であいさつする。すると皆一様に驚いた表情だ。特に女性は、突然やって来た、妙にネパール語をあやつる異邦人に興味津々のようである。ゴビンダの母は、さも「よく来てくれた」と言わんばかりに、私を自慢げに紹介した。

そして早速、ご馳走である。ネパールではいつ、何時でも客人が訪れたら食事を提供するのが習わしのようだ。ご飯の代わりにチュラ(干し飯)を使ったダルバート、チャン(ネパール風ビール)も勧められるままに頂く。

ダイニングルームでテレビを見ていると、ニュースやCMが多い。画面の色は、ほとんど白黒に近い。ソニーのカラーテレビなのだが・・・?、と思い皆に「いつもこの状態で見ていますか?色が出ていないのですが・・・」と尋ねると、どうやらいつもこの状態で見ているらしい。「ちょっといいですか?」と言って、テレビのカラー調整をすると・・・、やっぱり色が出てきた。後ろでその様子を見ていたご家族の人たちが「ワァーッ!」と歓声をあげる。家主であるゴビンダのおじは大喜びで、両手で俺の手を握り「あなたがネパールへ来たら、いつでも我が家へ来てください。いつだって泊めてあげますよ!」と言ってくれた。

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昔取った杵柄、お手の物です (^_^)!

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ゴビンダのおじさん、満面の笑みで感謝してくださいました。

また、ここで知り合った人で、マナスル・ゲストハウスの新人レセプション係のダイアンのお兄さんは、日本へも来たことがあるそうで、埼玉県の戸田市にいたそうだ。それゆえ日本語も、ゴビンダ以上に流暢に話す。おじ宅から彼のアパートへと場を変え、ここでもダルバートのおもてなしを受ける。が、さすがにしんどい。彼に「残してもいいですよ」と言われても、残すのはやはり失礼にあたると思い、すべて美味しくいただいた。

9時ごろ、お暇(いとま)しゲストハウスへと戻る。と思ったら、10時15分過ぎ、彼はゲストハウスへバイクでやって来た。「もう少し、話がしたいから」と言って、奥さんも連れてきた。彼が持参したビールで乾杯し、明後日再び会う約束をし、11時ごろ、寝ることにする。

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新人レセプションのダイアン(中央)と、彼の兄夫婦。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1992年のものです。   

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