雪道を行く(再掲)
4月24日(金)晴れ
マナン7:10(徒歩)8:55グンサン9:20(徒歩)11:15ヤクカルカ12:00(徒歩)13:10チュリラタール
5時40分起床。後片付けするものが多く、またセーターを買ったため、荷物がもういっぱいである。朝食は、ララ・ヌードルスープにブラックコーヒーとする。
7時10分にスタートし、雪と氷、泥の道をそろ~りそろりと登り続ける。シューズはベタベタ。天気が良いので、やや汗ばむが、雪のため、腰を下ろせるところがない。ゆっくりゆっくり、滑って転んだりしないよう慎重に、呼吸を整えながら進み、グンサンへ。ここまで休みなく雪道を登り続けただけに、ミルクティー2杯飲んでエネルギー補給しながら休憩。
雪が降り積もったマナンの村と、周辺の山々。(パノラマ風にしました。)
しばらくはこんな道が続きました。そして雪が溶けだし、泥道に・・・。
ここからはほとんど平坦な道になる。また、雪も徐々になくなっていった。マナン近辺だけ降ったのか?まぁ、マイペースで行こう。
ヤクカルカにて昼食とする。待っている間、近くの水場で髪と顔を洗っていると、ちょうどフライドポテトができたようだ。
それにしても、今日マナンからトロンフェディまで行く人の多いこと!マナンとは標高差1300m位あるはずだ。他のトレッカーのガイドたちも話していたが、この高地で、それだけの高低差を1日で登るのは危険だ。エヴェレスト街道の時も、標高約4300mのディンボチェ村で2泊し、高度順応しようとしたものだ。何人かは明日、高山病で下るのではないか?現に、マナンのロッジでうるさかった連中の1人もトロンフェディから下って来ていた。彼は、ドゥムレへのバスの中から道行く村人の女性に、水をかけていた男だ。きっとネパールの神様が怒って、罰があたったのだろう。さらに、俺が「今日はチュリラタールまで」と言うと、「なぜだ?」と訊くイスラエル人トレッカーもいた。何もガイドブックなどのモデルコース通りに行くこともあるまい。まして一気に標高4700mまで行くなんて・・・。危険を承知で行く必要はない。俺は俺のペースを守って行く。
チュリラタールにずいぶん近づいてきました。この辺りでは、全く雪がありませんでした。
周辺の山は、雪化粧しています。アンナプルナⅢ(7555m)とガンガプルナ(7454m)。
昼食を終え、ゆるりと歩きだし、およそ1時間後にはチュリラタールへ。シーズン中しか開けないという2軒のロッジの1軒に泊まることにする。ほとんどドミトリーだけのロッジだ。天気が良いので、ベタベタに濡れたトレッキングシューズを天日に干す。そして高山病予防のために、再び昼食をとることにする。今度はエッグ・ヌードルスープだ。
食べ終えて、シューズを干してあるところでのんびり日向ぼっこしていると、やがていつもの見慣れた顔が次々とやって来た。まず、インドネシアのおじさん、そしてアメリカの3人グループ。マナンでは違うロッジに泊まっていたようだから、2日ぶりの顔合わせに皆、笑顔だ。もちろん彼らもここへ泊まる。やはりのんびり行くべきだ。しばらくして、またしても「Jin !」という声。ピサンのロッジで初めて会ったノルウェーの女の子たちもやって来て、お互いに笑顔であいさつ。彼女たちに聞かれて「俺だけじゃないよ。インドネシアのおじさんもアメリカ人グループもみんな、今日はここで泊まるよ」と話すと、彼女たちもここへ泊まることにした。ロッジの中で皆と話をする。ガイドたちが「マナンではどこに泊まった?」と尋ねる。「俺は”ヤクホテル&ロッジ”」と答えると「・・・!ああ、わかった!で、君たちは?」「俺たちは○○ゲストハウス」「俺たちは○○ホテル」「私たちは○○ロッジ」等々、皆それぞれ違うところに泊まっていたようだ。
午後、キッチンにお邪魔して暖をとる。厨房なので本当なら入らせてもらえないだろうが、先月のエヴェレスト街道での経験上、いつも平気でお邪魔させてもらっている。しばらくして、紅茶を注文しようとインドネシアのおじさんがキッチンに声かける。おじさん、俺がそこにいることに驚いて「ヘィ、ジン!ここにいてもいいのか?」と話す。「エェ、全然大丈夫ですヨ!」と答えると、おじさんもそこに居座ってしまった。おじさんと話をしながら過ごしていると、時々ロッジの女主人が「そこのヤカン、取ってくれない?」とか、「これをそっちに置いてくれる?」などと、平気な顔して客を使う。俺も悪い気はせず、「OK」と笑いながら手伝う。おじさんは大笑いだ!こちらが勝手にお邪魔しているわけだし、返ってこの方が親しみを感じる。これもコミュニケーションの一環だ。
それにしても、夕方は冷える。さすが4000m越えるだけある。夕食はダルバートとオムレツにする。味はやや落ちるも、やむを得ないか。7時半過ぎには体を休めた。
チュリラタール、チュリラタールロッジにて
*この旅日記は1992年のものです。
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