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2013年5月

2013年5月30日 (木)

100Kg の荷をかつぐポーター(再掲)

4月30日(木)曇りのち雨
マルファ8:00(徒歩)9:30トゥクチェ9:45(徒歩)10:50コバン11:00(徒歩)12:00コケタンティ12:30(徒歩)13:25カロパニ

 6時15分起床。朝食は、チベッタンブレッドとミルクティー。やや曇り気味の天気。そろそろ雨季も近いか?ロッジの娘さんたちの写真を撮らせていただき、住所とそれぞれの名前を書いてもらう。すると、ニールから俺の名前と住所を教えてほしいと頼まれた。逆に聞かれたことは、初めてだ。日本へ帰ってからも、友達づきあい(と言っても、文通しかできないが・・・)できるかな?

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ニール・ゲストハウスの3人娘と親戚の子供。左からシャシー(二女)、トゥルシー(三女)、ニール(長女)です。お世話になりました。

 さて8時、ニールのさびしそうな表情に後ろ髪引かれつつも、次の目的地へと出発。トゥクチェへは、ほとんどフラットな道で1時間半。やや肌寒く、セーターを着て歩く。風は弱いが空はどんよりしている。
トゥクチェは、かつて仏教の神髄を求めてチベットへ日本人として初めて入国(密入国)した河口慧海(かわぐちえかい)氏が滞在したところだ。また、地形が似ていることから富山県の利賀(とが)村と姉妹村協定を結んでいる。そのせいか、利賀村をはじめとする富山県の人々がこの地を訪れ、所々に記念のレリーフなどを残している。日本とは縁の深い村だ。

トゥクチェよりカリガンダキ川の河原を行く。ほとんどフラットで楽だ。コバンを過ぎ、コケタンティ近くのバッティで、昼食にヌードルスープを食べる。ここで、幾重にも巻いた塩ビ管を担いで歩く3人のポーターと出会った。さらに奥深い村で、水道設備のために使われるのだろう。3人の中のリーダー格のおじさんに話しかけてみた。

俺;ナマステ。ヨ カティ キロ ツァ? (こんにちは。これ何キロですか?)
ポ;アッシキロ キ エクセイキロ・・・ツァ。 (80キロか100キロ・・・です。)
俺;ワーォ!w(゚o゚)w (担ぐジェスチャーをしながら)チャレンジ OK?
ポ;OK!

背負子に腕を通し、いざ担ごうとするも・・・、びくともしない。下半身に力を入れ、立ち上がろうとするも・・・荷物は微動だにしない。ポーターのおじさんやバッティのおばちゃんたちは大爆笑だ。やはり、ひ弱な日本人には無理なようだ。ネパールのポーター、体は華奢なのに、恐るべき力と体力だ。彼らの日当は、せいぜい50ルピーから100ルピーだそうだ。届けるところによって多少変わるそうだが、いかにも薄給・重労働だ。

俺;タパイィハルコ フォト キチ パニ フンツァ? (あなたたちの写真を撮ってもいいですか?)
ポ;フンツァ (いいですよ)

尊敬の意味も込めて、ポーターたちの写真を撮らせていただいた。昨日の行商のおじさんもそうだったが、少しでも会話してからであれば、皆喜んで写真撮影に応じてくれる。もちろん、お金も見返りも要求しない。

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こんな荷を担いで歩くポーターたち。彼らの体格からは想像できない (゚0゚)!ただただ脱帽・・・。

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トゥクチェ~コバン間。水のない河原を行きます。

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コバン村で。民家の下を道が通っています。

さらに河原を進み、山裾を登り下りしてコケタンティ、ダンプなどの小さな村を過ぎる。小雨がぱらつきだした。天気が良ければダウラギリⅠ峰が眺められるはずだが、この日は全く見られない。

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コケタンティの村が見えてきました。

1時半ごろカロパニ着。久々によく歩いた日だ。カロパニ・ゲストハウス&アンナプルナコーヒーショップに宿を決める。ダブルが40ルピーと高く、ドミトリー(12ルピー)にする。別棟のコーヒーショップへ行くと、メニューは豊富にあるが、昨日のマルファのロッジより高いんじゃないの?と思いつつ、チョコレートケーキ(33ルピー)を食べている。この後はのんびりし、疲れを癒し、明日のタトパニまでのロングウェイに備えよう。

夕食は、ガーリックスープとベジ・エッグ・フライドライスとする。しかし今日は、うるさい連中がいる。つるんでいないと歩けない(旅ができない)のか?こいつらは!だからグループは嫌いだ。うるさいだけ!許せるのは、せいぜい2~3人グループまでだな。
今夜も果たして、ぐっすり眠れるだろうか?昨夜のように・・・?

カロパニ、カロパニ・ゲストハウス&アンナプルナコーヒーショップにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年5月29日 (水)

なつかしのマルファと美人姉妹(再掲)

*まず、マルファ村の街並をご覧ください。まさに”白亜の村”と呼ぶにピッタリの村です。マルファは、このルート上ではカグベニと並び、トレッカーに人気のある村です。

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建物はどこもかしこも、白で統一されています。異国情緒あふれる、素敵な村です。

 昼食は12時半ごろ、ガーリック・ヌードルスープにする。ロッジの末娘のトゥルシーが、「ゴホンゴホン」とひどく風邪をこじらせている。それなのに、けなげに一生懸命働いている。俺は彼女に、マナンのドクターから処方して頂いた風邪薬を「食後30分に飲みなさい」と分け与えた。しばらくしたあと、長女のニールが「この薬をくれたのは、あなたでしょ?ありがとう!ところでいつ、どれだけ飲めばいいの?」と尋ねてきた。トゥルシーには英語で説明したのだが、よく理解できていなかったようだ。あらためて、ニールに説明する。この薬を分けてあげたのが良かったのか、俺に対する彼女たちの印象は、すこぶる好いようだ。

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末娘のトゥルシー。当時まだ12才でした。とても可愛い娘でした。

午後はロッジでのんびり過ごし、4時ごろ『おやつタイム』とする。ちょうどその時、馬に乗って村を散策している若い女性と目が合った。彼女はキャンプをしながらトレッキングしているアメリカ人グループのリサだった。彼女も俺に気がつき「ヘイ!ジン!」と言いながら馬から降りて、ロッジの中へやって来た。一緒にトレッキングしているアランとトムも続いて入って来た。彼らはジョモソムから馬に乗ってこの村までやって来て、再びジョモソムへ戻り、1泊した後ポカラへ飛行機で帰るそうだ。そうなると、今回のトレッキングでは、これが最後になってしまう。よくよく考えてみると、今回のトレッキングでも「ジン」と呼んでもらえるようになったのは、最初にリサが話しかけてくれたからではなかったか?彼らはキャンプ(テント泊)で歩いているから、同じロッジというわけにはいかなかったが、それでもほぼ同じ日程で歩いていて、ずいぶん親しく話したものだ。トロンパス越えで一緒だったメンバーは、もう先へ進んでいるだろうから、ここでまた、顔なじみの仲間に会えたのは嬉しかった。

おやつタイムのおやつは、アップルパイとブラックティー。アップルパイはニールが作ったらしい。なかなかおいしい。キッチンにお邪魔してみると、なんと、オープンが備わっているではないか!これには驚いた!!以前来た時、すでに電気は通っていたものの、まさかオープンがあるなんて!電力、足りるのかな?
そういえば、村には図書館もあったし、スビニールショップ(お土産屋)も何件かできて、指輪やネックレスなど色々なものが売られている。う~ん、山奥の村だと侮ることなかれ、ここマルファはなかなか先進的な村だ。7年半前に比べ、本当に大きくなり発展したものだ。しかし、再び村をうろつき、メインストリートを外れると街道沿いとは全く別の、質素な生活がそこにはあった。狭い路地に軒を連ね、まるでトンネルのようにまた迷路のごとく家々が建ち並ぶ。これも、もう一つのマルファの”顔”。

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アップルパイと紅茶で『おやつタイム』です。まさか?! のおやつに (^_^) です。リサが撮ってくれました。

夕食はダルバートにする。40ルピーだ。ポカラへ近づくほど安くなるのだろう。このロッジは娘さんたちが中心になって働いている。3人いるのだが皆、美人ぞろいだ!村同様、素敵な女の子が多いのが目につく。夕食後、彼女たちとキッチンで話をしながら楽しく過ごし、8時15分、部屋へ戻る。

マルファ、ニール・ゲストハウスにて

*この旅日記は1992年のものです。 

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2013年5月28日 (火)

”白亜の村”マルファへ(再掲)

4月29日(水)晴れ
ジョモソム8:30(徒歩)10:40マルファ

アンモナイトを買う

 7時半起床。よく眠れたのかどうかわからないまま朝を迎え、朝食はムスリーとミルクティーにする。8時半出発。チェックポストを通り、かつてここから飛び立ったジョモソム飛行場の横を通り過ぎていく。この日は、ほんの2時間ほどの行程でマルファへ向かう。逆風にあおられ、ニルギリを眺めながら歩く。帽子ではなくバンダナにして正解だ。帽子では風で飛ばされるだろう。

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ジョモソムより、ニルギリ北峰(7061m)と中峰(6940m)。そして飛行場を飛び立つ飛行機。

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ジョモソム~シャング間より、タパピーク(6013m)

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強風の中、このような出で立ちで歩きました。後方はニルギリ。

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シャング付近にて、カリガンダキ川とダウラギリの山々

10時半ごろ、マルファの村に入る。やはり素敵な村だ。かつて泊まったロッジ(オームズホテル)を探すが見当たらず、ニール・ゲストハウスに宿を決める。シングル10ルピー(約30円)、なんて安いんだ!まず、コーヒーブレイクし、長袖のTシャツを洗濯する。そして村の中を散策。石畳の道、白い石造りの建物・・・、この村でしか見られない風景だ。

行商しているおじさんに声かけられる。このおじさん、俺にアンモナイトを売ろうとしている。見ると、手の平よりやや小さいぐらいのサイズ。それでもなかなか立派なもの。だが、まだこの先1週間ほどトレッキングを続ける俺には、今は必要ない。

おじさん;140ルピーでどうだい?
俺;ポカラまで歩くから、まだ道は長いし荷物になるだけだから・・・
おじさん;じゃあ、120ルピーにするから!
俺;ノーノー、いらないって!
おじさん;100ルピーでもいいから、買ってくれないか?
俺;だから・・・、今は荷物になるから、いらないって!

それでも、このおじさん、何としても売ろうと粘る。90、80、70ルピーと、さらに値を下げる。おじさんも、俺と同じ理由で、このアンモナイトが荷物として「重たい」と思っているのかもしれない。それでも断り続ける。そしてついに・・・、

おじさん;トゥデイ イズ ノー ビジネス。50ルピー!
俺;50ルピー?・・・、OK!

おじさんの「今日は商売抜きだ」という心意気に根負けし、初めは140ルピーと言っていたアンモナイトを、わずか50ルピー(約150円)で購入した。そしておじさんに「写真を撮らせてもらえますか?」と尋ねると、喜んで応じてくれた。ロッジへ戻り、このアンモナイトを見せ値段を言うと、「安いワ!良い買い物をしたわネ」と言われた。

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アンモナイトを50ルピーで売ってくれたおじさんです。

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ロッジに戻って、アンモナイトを手にしています。

*この日の旅日記、後半へ続きます。

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年5月25日 (土)

春日井市・王子バラ園、すっかり”見頃”でした

皆様、おはこんにちばんは ヽ(´▽`)/

ここ最近”暑い日”が続きますネェ (-_-;;アツイ!
まだ5月だというのに『夏日』どころか『真夏日』の日も ……(ノ゚ο゚)ノミ(ノ _ _)ノ
今年の夏も”熱中症”に気をつけなければならないのかな?

 3年前に初めて知って訪れた愛知県・春日井市の”王子バラ園”。
以前は訪れる人も少なかったのですが、口コミやネットなどで広まったのか今では平日でもたくさんの人々が訪れるようになりました。
ブロ友さんから『今週が”見頃”のピークでは?!』との情報で、母をデーサービスへと送りだした水曜日、見に行って来ました。

本当は母も連れて行ってあげたかったのですが、翌日は所用があり次の日はデーサービス。土日は混みそうだし・・・で、今回は1人で行って来ました。
では、園内の様子、ご覧ください。

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いかがですか?!
このバラ園、民間企業の福利厚生の一環として造られたのです。
年々、規模が拡大するとともに来園者も増えたように思います。
このバラ園を訪れる方のために駐車場もありますし、入園料も無料です。

次回、ここで出会った素敵なバラの花、個々に紹介します。

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2013年5月23日 (木)

ありがとうカグベニ、そしてジェンテン(再掲)

4月28日(火)晴れ
カグベニ8:35(徒歩)9:15エクレバッティ9:20(徒歩)11:20ジョモソム

 7時15分起床。朝食はポリジにミルクコーヒー。支払いをすると、昨夕頂いたチャンは分かるが、何とベッドルーム代をサービスしてくれた。2回目だからかな。ありがとう。
お礼にロッジの娘さん・ジェンテンさんの写真を撮らせていただく。ジェンテンさんに写真を送ることを約束し、ネパール語で「タパインコ ナム ラ テガナ ヨ レキ ディノス (あなたの名前と住所をここに書いてください)」と話し、「日本から送るから1~2ヵ月後になると思います」と伝え、後ろ髪引かれる思いで、カグベニをスタート。

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ジェンテンさん。膝の上の子は親戚の子供だそうです。彼女は当時まだ19才でした。左の子は親戚の子で”ニロ”という名前だそうです。

カグベニを出てカリガンダキ川の河原を南下。石がゴロゴロし足場が悪い。谷間のせいか風が強く、帽子が飛ばされそうだ。この辺りの山肌、岩肌の自然にできた模様は、実に不思議だ。太古の昔、海底であったというこの辺りは、インド大陸とユーラシア大陸との衝突により、海底が押し上げられ山脈は隆起し、偉大なヒマラヤ山脈が形成されたという。この辺りが海底であった証拠が、アンモナイトの化石である。現地の人々はそれを「神様」として祀るという。
エクレバッティで小休止。皆には「この日の予定はマルファです」と話したのだが、体の疲れ、膝の痛みを考え、ジョモソムまでにしよう。カグベニからは約3時間の行程だ。

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エクレバッティにて。こんな道を歩かなければなりません。

エクレバッティを出ると、ニルギリ北峰(7061m)を仰ぎ見ながら、さらにダウラギリ(8168m)も見えてくる。ジョモソムの村がカリガンダキ川の先に見えてきた。村は見えているのに、なかなかたどり着かない。

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カリガンダキ川を行く隊商。後方の山は、ニルギリ北峰。

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彼方にジョモソムの村が見えてきました。ダウラギリも見えます。

カグベニよりおよそ3時間で大きな村、というより町かな、ジョモソムに到着。中心部から飛行場のある方へと向かい、宿を決める。小ぎれいなロッジだ。ダブル(シングルはなかった)40ルピーと高いが、1人なんだしプライベートを保ちたい。
思い起こせば、初めてネパールを訪れたとき、アンナプルナ・ベースキャンプを経てムクチナートまでトレッキングし、帰路はこのジョモソムから飛行機で約20分、空の旅を楽しみポカラへと帰ったものだ。

昼食は、ガーリックスープにヤクステーキで50ルピー。「やっと肉が食べられる」と思ったが、出て来たものは塊のステーキではなくぶつ切りの普通の焼き肉。ちゃんとしたステーキを期待したのだが・・・、期待する方が間違ってるか。それでも肉が食べられたのだから「よし」としよう。

午後はチャーメ以来8日ぶりのシャワー。シャツやズボンも洗濯。風があるから乾くと思うが・・・。そして体を休め、街をぶらつく。

夕食は、エッグ・スプリングロールとヤクミート、ベジタブル・ヌードルスープ。デザートにカスタードプディン。さらにチャンも飲む。ずいぶん浪費しそうだ。
今日の宿泊客は、俺一人。のんびり気楽に過ごせた。8時過ぎには眠るとしよう。

ジョモソム、エヴェレストロッジにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年5月22日 (水)

カグベニでの楽しいひととき(再掲)

かつて泊まったロッジを捜すが、名前を覚えていない。村の様子や景色で捜してみたが、やはりどこであったか全く分からない。仕方なく、道中の大きな石にペイントで宣伝していた「ニュー・アンナプルナ・ロッジ」というところへ。

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ニューアンナプルナロッジの外観。

中へ入って驚いた!2階客室への階段、屋上テラスへの出口、カギ形に配置されているベッドルーム・・・、7年半前(’84年秋)に泊まったロッジだ!!思わず声高に叫んでしまった。「同じロッジだ!」と。

ベッドルームや廊下を掃除していた娘さんがベッドルームへと案内し、彼女に「7年半前に、ここへ泊まったことがあるよ」と言うと、たいそう驚いていた。「本当なの?」と。俺は「本当だよ。ほら、あそこにある黒いカーテンを出ると、テラスになっていて、カリガンダキ川がローマンタンの方へ流れているのが見えるでしょ?」と、7年半前の記憶を話した。娘さんは「イエス」と言い、それが事実であるだけに、俺が以前にもこのロッジへ来たことがあるということを、直ちに信用し喜んでくれた。そして「でも、ごめんなさい!私はそのころ、まだ小さかったから、あなたのこと覚えていないの」と、話した。そりゃ無理もない。7年半前、ほんの一泊しただけの俺を、覚えているはずがない。

ベッドルームにはベッドシーツも枕カバーも備えてある。今までのところにはなかったことだ。このことも話すと、彼女はややはにかみながらも自慢げに「イエス」と答えた。ダイニングルームも、各テーブルにテーブルクロスをかけ花を飾り、電気も灯りシャワーも完備している。7年半の歳月は、村もロッジも大きく変える。

昼食前に、娘さんとしばらく話をする。彼女に、「カンニ(仏塔門)や郵便局は、以前来た時はなかったよ」と話すと、彼女も「えぇ、その頃はなかったワ!」とうなづき、さらに「電気は、いつ通ったの?」と尋ねると、「2年ぐらい前かしら・・・」と話していた。

昼食は、ベジ・フライドライスにする。しばらくすると、アメリカ人グループもここへ。そして、ノルウェーの女の子たちも。彼女たちは、ロッジに入って来るやいなや俺を見つけ、「ジン!」と言って俺のテーブルへと駆け寄り、相席して昼食を共にした。彼女たちにはずいぶん信頼されているみたいだ。俺としても、まんざらではない。こんな可愛い女の子たちに信頼され親しくしてもらって、嬉しいに決まっている。彼女たちもここへ泊まろうとしたのだが、あいにくすでに満室になってしまったため、泊まることはできなかった。

一休みした後、村の中を散策。まるで『迷路』のようだ。カリガンダキ川のほとりでアンモナイトの化石を探すが、なかなか見つからない。あきらめて帰る途中のガレ場で、あまり良質ではないが、アンモナイトのかけらを拾った。それだけでも満足だ。夕方、ロッジへ戻りアメリカ人グループやガイドにそう言って見せると、皆信じられないように、「ラッキーじゃないか!」と言っていた。


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カリガンダキ川の上流を望む。この先はムスタン王国(半独立の特別自治国)、さらにチベット・・・。

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カグベニの村にて。石を平ぺったく削り積み上げたのでしょうか・・・。

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石門をくぐると・・・、このようになっていました。ここにも、人々の暮らしがあるようです。

夕食までの時間を「ナマステ!オォ、ダイニングルーム ジャロツァ タラ ヤハン デレィ ガラミツァ (こんにちは!おぉ、ダイニングルームは寒いけど、ここはとても暖かいねぇ)」と、ネパール語で言いながらキッチンへお邪魔すると、すぐに椅子を用意して、「ストゥンノス(お座りなさい)」と勧めてくれた。英語とネパール語、そしてボディランゲージを交えながら、ロッジの人たちと言葉を交わす。ロッジのオーナーの「タパイィ ジャパニ? (あなたは日本人?)」に始まり、色々な質問をされる。日本での職業と給料、年齢、結婚しているのか・・・etc。でもさすがに、これらの質問にもそろそろ慣れてきた。いつも訊かれるからなぁ!
ラジオから『レッソン・フィリリ』の歌が流れ、娘さんがそれに合わせ、陽気に歌っている。俺も同調し一緒に合わせて歌うと、皆ビックリしている。ロッジのオヤジさんは、俺が『レッソン・フィリリ』を歌ったことが嬉しくて仕方がないようで、チャン(ネパール風ビール)をご馳走してくれた。そのお礼に『パンコ・パト』を歌うと、みな大喜びだ。ロッジのお母さんは「日本人が”パンコ・パト”歌ってる」と笑顔で話しているし、オヤジさんは、さらにチャンを勧める。アメリカ人グループのガイドのラジも「なぁんだ、ここにいたのか?」と言って、会話に加わる。こうして、楽しく愉快に時を過ごす。

時間もずい分過ぎて、「マ カナ カナ マンラギョ (私はご飯が食べたい;腹減った―!)」とネパール語で言うと、ロッジの人たちは皆、大爆笑!まさか、ネパール語でそう言うとは思ってもいなかったのだろう。お母さんは、もう笑いが止まらない!娘さんは「今ちょうど作っているところだから、もう少し待ってて・・・。」と、笑いながら答える。

この日の夕食は、ダルバート。アップルワインも飲んだのだが、これはキツイ!チャンもずい分飲ませて頂いて、最高の気分で、床に就く。

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ダルバートとアップルワインでディナー!ヘヘッ!嬉しそうでしょ?

カグベニ、ニューアンナプルナロッジにて

*この旅日記は1992年のものです。 

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2013年5月21日 (火)

かつて歩いた道、再び・・・(再掲)

4月27日(月)晴れ
ムクチナート8:10(徒歩)11:35カグベニ

異邦人

 今朝はのんびり7時起床。昨日あれほど早起きし10時間も行動していたのにもかかわらず、よく眠れなかった。疲れ過ぎで体が興奮していたのか、ムスタンコーヒー3杯のカフェインが目を覚ましたのか、何しろほとんど眠っていない。今日はカグベニまでの短い距離だし、ここ2~3日は楽な行程なので、できる限り体を休ませるようにしたい。

ムクチナートを出てジャルコットへ向かう。荒涼とした風景が広がっている。ジャルコットの村、以前より大きくなっているなぁ。さらにカグベニへ。かつて”異邦人(作詞作曲;久保田早紀)”を歌いながら歩いたこの道を、今、7年半ぶりに歩いている。初めてネパールへ来た時、自分が描いていた通りの風景に出合った、あの感動がよみがえる。今、確かにその道を、俺は歩いている。荒涼とした一本道、果てしなく続いているこの道を。

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ムクチナートから見たジャルコットの村。

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ジャルコットの村から。真ん中のゴツゴツした岩山には洞窟住居があったそうです。

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ジャルコットより、ティリチョピーク(7134m)とニルギリ北峰(7061m)。

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ジャルコット~カグベニ間、”異邦人の道”にて。

時折、膝の痛みを気にしつつ、カグベニへ一気に下る。7年半前に比べてずいぶん大きくなり、変わったなぁ。村の入り口にはカンニ(仏塔門)が建っていて、中には色鮮やかな曼荼羅が描かれている。生活用水が流れているところは変わっていないか。

村の中へと入って行く。城塞のようなつくりは、相変わらず”中世ヨーロッパ”の雰囲気をかもしだしている。所々変わったといえば、電柱があり、村外れに向かう道にメンダン(経文が入っているマニ車を備えた石壁;ここを通る時は左側を歩く)があり、郵便局ができていて、さらにムスタン(カグベニから北のローマンタン方面)が外国人の入域解禁となり、境界の検問所がなくなった代わりにムスタン入域のチェックポストができたこと。そして、村全体も広く大きくなったような気がする。

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カグベニ村は、もうすぐそこです。

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村の入り口に立つカンニ。以前来た時には、ありませんでした。

(この日の旅日記、明日以降に続きます。)

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年5月18日 (土)

舞妓さんと芸妓さんの『をどり』を見てきました

 皆様、おはこんにちばんは (◎´∀`)ノ

5月も半ば過ぎ、すっかり初夏の雰囲気になりました。
これだけ暖かくなると、どこかへ出掛けたい気分なのですが、今の私はそれもままなりません。

 先日、新聞チラシにJR名古屋高島屋で『大京都展』が開催され、特設ステージでは舞妓さんと芸妓さんの『をどり』が披露されるとありました。
ちょうど今週金曜日、母を医者へ連れて行かねばならなかったので、こちらもついでに楽しんできました。

この日は祇園から舞妓さん、芸妓さん、地方さんの3名が来店されました。

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祇園の舞妓・豆六さん。まだあどけなさが残りますね。

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祇園の芸妓・小扇(こせん)さん。落ち着いた大人の雰囲気が漂っています。

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地方さんの三味線に合わせ、2人が『花笠』を踊ります。

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後ろ姿も艶やかです。

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芸妓さんお一人での踊り『宇治茶』です。

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進行役の方からインタビューです。はんなりとした京言葉が良いですね。芸妓さん年齢を尋ねられ答えると、会場からはちょっと驚いたようなどよめきが。「そんなに若いの?!」と私も感じました。まだ20代前半です。

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舞妓さんもインタビューに答えます。「休みの日には”普通の女の子”に戻ります」と答え、会場からは和やかな笑いが!こちらはもちろん、まだ10代です。

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最後はお二人で『祇園小唄』を踊ります。

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踊りの中に物語が見えてきます。

およそ30分ほどのステージでしたが、京都のお座敷の雰囲気を味わうことができました。次は京都の花街で舞妓さんや芸妓さんとお会いしてみたいです。
母を医者へ連れて行くついででしたが、これも自分に対する”ご褒美”だと思っています。

*『大京都展』開催中(5/15~5/21)は毎日舞妓さんと芸妓さんの『をどり』が披露されるそうです。また、日によって舞妓さん、芸妓さんが変わります。
京の五つの花街(宮川町、先斗町、祇園、上七軒、祇園東)から毎日入れ替わりに来店されるようです。

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2013年5月15日 (水)

皆の気遣い(再掲)

まだ夜も明けぬ4時。ヘッドランプを点け、凍てつく寒さの中をスタート。標高差700mの登り、先頭を行くパサンはゆっくり進む。そして時々立ち止まっては、列が離れていないか確認している。俺のヘッドランプは冷たい外気にさらされ、バッテリーが弱くなってきた。ここでは、ヘッドランプより普通の懐中電灯の方が役に立つようだ。

やがて夜が明け、気温はやや低下。アイスバーンの道もあり、風もやや出てきた。完全武装していても、寒い。あまりの寒さに誰もが黙々と歩き続ける。立ったまま少しだけ休む時に、すぐ後ろを歩くおじさんとノルウェーの女の子たちと話をするぐらいだ。雪こそあまり積もっていないものの、映画『八甲田山』をふと思い出した。あの映画ほど、切羽詰まった深刻な状況ではないが。それでも俺たちは、先頭を歩くパサンに、ただひたすらついて歩くだけ。

7時40分、ついにトロンパスへ到達。高山病も完全にシャットアウトして、無事5416mの峠へ。皆、安堵の表情を浮かべ、互いの健闘を笑顔で喜びあった。

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トロンパス(5416m)にて。この時間でも、すでに風は強かったです。衣類が風で膨らんでいます。バックの山々は、ダウラギリ山群。

ここを下れば、かつて(1984年)の最終目的地、聖地・ムクチナートだ。7年半ぶりの聖地巡礼。わずか10分ほどで下り始める。ここまで俺を『仲間の一人』として引っ張って来てくれたガイドたちが、「ジン、もう自分のペースで行っていいよ。ここからは皆もそうするから」と言い、皆にいったん別れを告げ、俺は俺のペースで行くことにする。

初めは順調だったが、長くきつい下り坂に、左膝が痛みだす。何しろムクチナートまでは、標高差約1700m!さらに、激しい腹痛に襲われ、ペースが極端に落ちる。岩陰でしゃがみこんでもダメ。便秘?何とかフェディまで下る。薬を飲み3~40分休憩するも治まらず。ここで追いついたラジとアメリカ人の3人は、俺がもうとっくにムクチナートへ向かっただろうと思っていたようで、まだそこにいたことに驚き、そして心配してくれた。ムクチナートはもう見えている。あと1時間ほどの距離だ。俺は彼らに「大丈夫だから」と言って、彼らを見送り、そして再び歩き出した。

激痛に時々座り込みながらも、ゆっくり歩を進める。本当に苦しい。一歩一歩の足の動きが腹の痛みに振動し、ますますペースは鈍る。少し歩いては休み、また歩く。ノルウェーの女の子たちが俺に追いつき、やはり驚いていた。俺の苦しそうな様子を見て、「ムクチナートへ着いたら、誰か人を呼ぼうか?」と心配してくれた。しかし、あと30分もかかるかどうかのところまで来ている。「いや、大丈夫!もう少しだから一人で行けるよ」と答え、彼女たちにも先を促せた。が、少し行っては俺の方を心配そうな目で振り返る。「大丈夫、大丈夫!先に行っていいから」、そう話す。皆に迷惑かけたくなかった。

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ノルウェーの女の子たちを見送った場所から。ムクチナートの村はもう見えています。

とにかくあと少し、何とか1人で頑張る。山道を下りきり、もう平坦な道だけで、ムクチナートは、もうすぐそこだ。目前まで下りてきた。「ここまで来れば、もう大丈夫。まだ2時にもなってないし・・・」と安心したのか、岩にもたれかかって座り込んでしまった。腹を押さえながら、うずくまっていた。と、そのとき・・・、
「Hey Jin!What’s happen?」と言う声。インドネシアのおじさんだ。状態を説明すると、おじさんはガイドのパサンと相談し、おじさんの指示でポーターに持たせていた荷物を自分で背負い、ポーターにパサンの荷物を背負わせ、そしてパサンは残って俺に付き添ってくれた。彼はおじさんにこの日のロッジを教え先に行ってもらい、もうしばらく休んだ後、俺の荷物をパサンは背負い、肩を貸して歩いてくれた。
やっと、ムクチナートだ。フェディから2時間、トロンフェディからは10時間もかかった。普通の状態ならば、もっと速いはずなのだが。

ロッジに着いて、部屋はダイニングルーム前のツイン(シングルはない)に。そしてすぐにトイレへ。下痢だ。小便は黄色どころか橙色をしている。下腹部に力を入れ、気張るだけ気張り、その後もう一度薬を飲んで夕方まで体を横にする。

2~3時間休んでいると、痛みも治まり元気になった。ベッドルームを出てダイニングルームへ行くと、おじさんとパサンがいた。「ジン、大丈夫か?」というおじさんの声に、笑顔で応える。そしてお礼を言う。今日おじさんとパサンには、2度も助けられた。真っ暗闇の中の出発、そして激しい腹痛・・・、おじさんがいなかったら俺は無事に峠を越え、この地にたどりつくことができただろうか?

このムクチナートのロッジはツインが10ルピーと安い。電気もあるし、驚いたことに、なんと”掘りごたつ”がある。しばらくおじさんたちと談笑していると、アメリカ人グループのガイドのラジが「ジン!なぁんだ、ここにいたのか?!」と言って、やって来た。彼はあちこちのロッジで俺を捜していたらしい。「みんな、あなたのことを心配して捜しているんだよ。みんなに『ここにいる』って教えてくるよ」と言って出て行くと、他のロッジに泊まっているノルウェーの女の子たちやアメリカの3人グループがすぐに会いに来てくれた。彼らは、「もし、ジンがムクチナートの、どのロッジにもいなかったら、フェディまでの道を戻り捜しに行こう」と話していたそうだ。「ごめん、ごめん。ありがとう、もうこの通り、元気だよ」と応えた。みんな、本当に心配してくれたんだな!本当にありがとう!もう大丈夫だよ!!

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ムクチナートのロッジの掘りごたつの前で。左端がパサン、右端がインドネシアのおじさん。彼らには本当にお世話になりました。このトレッキングでは、感謝しきれないほど親切に接してくださいました。

夕食は、ガーリックスープにライス。胃腸の調子が悪い時は、こういうものが良いらしい。食後、パサンとムスタンコーヒーを飲み交わす。彼はおじさんのガイドであって、決して俺のガイドではないのに、俺が少々ネパール語を話し、チャンやムスタンコーヒーを好むせいか、すごく仲良くなれた。おじさんも同じ一人旅。顔つきからしても、お互い同じアジアの民族だからであろうか?

ムクチナート、ラリグラスロッジにて

*この旅日記は1992年のものです。   

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2013年5月14日 (火)

トロンパス(トロン峠)を越えて(再掲)

4月26日晴れ
トロンフェディ4:00(徒歩)7:40トロンパス(5416m)7:50(徒歩)11:15フェディ12:00(徒歩)14:00ムクチナート

早朝のトロンフェディで

 まだ夜が明けぬ午前3時。アメリカ人のグループが起きたようだ。ガイドたちからこの日は「3時起床4時出発」と聞いてはいたが、それはガイドがいるからこそ、その時間に出発可能なわけで、ガイドを雇わぬ俺が1人で真っ暗闇の中、歩いて行けるはずがない。そんなことをしたら、それこそ道を見失い、遭難しないとも限らない。ドゥムレのロッジでも”Missing”と書かれたビラを見ている。俺は4時半か5時に起き、6時には出発、10時までに越えるつもりで、もうひと眠りしようとした。しかし、眠ることができず、このままでは寝過ごしてしまいそうで、俺も起きることにした。

何故、今朝はこれほど早いか?峠は10時を過ぎると強風が吹きすさぶので8時までに越えるのがベストだからだそうだ。俺は、この時間に起きた以上、「先にスタートした人たちの懐中電灯の灯りと足跡を追って行くしかない」と考えていた。荷物をまとめていると、すぐ横で寝ていたノルウェーの女の子たちも起き出したようだ。ヘッドランプの灯りとかで、起こしてしまったのだろうか?

荷物をまとめ、ロッジ内のレストランへ行く。そこにはすでにたくさんのトレッカーが集まっていた。空いているテーブルはほとんどないほどだ。それでも1つだけ空いていた4人掛けのテーブルで、俺一人紅茶を飲みながら、買い置きしておいたビスケットで朝食にする。ふと見ると、ノルウェーの女の子たちも入って来た。空いているところを探しているようだ。俺と目が合い、俺が1人でいるのを見てすぐにやって来た。

「おはよう、ジン!ここ、いいかしら?」
「ええ、もちろん!」
「何飲んでるの?」
「紅茶だよ。向こうで注文できるよ」

彼女たちも紅茶を注文し、そして何か2人で相談している。すると、

「ジン、こんな真っ暗の中、どのようにして行くの?」
「ガイドを雇っているインドネシアのおじさんやアメリカ人の3人グループがいるだろ?彼らがスタートした後に、ゆっくりついて行くつもりだよ」
「やっぱり!私たちもそう思っていたの!」
「そうするしかないでしょう?!こんな真っ暗の中1人で行ったら、おそらく道を見失うよ!」
「ええ、私たちもそう思うわ!」

しかし彼女たちの表情は、まだ不安げな感じだ。お互い、ガイドを雇わぬトレッカー同士。彼女たちはまだ若いし、俺はかつての経験、そして先月の経験もある。彼女たちも、このことは、これまでの会話の中で知っている。そこで、

「もしよかったら、僕たち3人で一緒に行く?」
「・・・!ええ!!もちろんよ (^_^)!」
「じゃあ僕たち3人は、彼らがスタートした後に一緒に行こう!」

彼女たちは嬉しそうに答えた。そして2人顔を見合せながら、「よかった!これで安心ね!」とでも話していたのか、不安げな表情は、もうそこにはなかった。やはり彼女たちだけでは不安だったのだろう。俺という道連れを得て、本当に嬉しそうだった。そしてのんびりと朝の紅茶を味わっていた。

やがて、おじさんたちが出発するのか、荷物を背負って外へと出た。それでも俺は悠然と紅茶を飲んでいた。すると彼女たちが、

「ジン・・・、もうみんな外へ出たけど・・・」
「まあまあ、慌てることないよ。もし、今すぐに僕たちが外へ出てごらん。それは彼らに”僕たちも一緒に連れて行ってください”と言っているようなものでしょ?それは良くないよ。彼らはお金を払ってガイドを雇っているのだから。でも、僕たちはそうじゃない。だから、彼らが出発して10~15分してからスタートすればいいよ」
「確かにそうよネ。OK!あなたの言う通りにするワ!」

彼らが外へ出て10分ほど経って、我々も精算をし、外へ出た。外へ出たものの、まだ暗闇の世界で、周りは何も見えない。そして、誰一人として出発していないようだ。未明の標高4700m、寒さに震えながら3人で身を寄せながら、時には「Which is cold ? Norway ? or here ?」と話しながら、誰かが出発するのを待っていた。5~6分ほどすると、暗闇に目が慣れてきて、多少は周りが見えるようになってきた。月明かりのせいもあるだろう。しかし、あまりの寒さに、俺は彼女たちに、「彼らでなくても、誰かが出発したら、僕たちもゆっくりスタートしよう」と話した。が、その矢先のこと・・・、

「Hey Jin ! You ready OK ? (ジン、準備OKか?)」
その声の主は・・・?そう!インドネシアのおじさんだ!!
「Yes. OK ! 」
「OK !? Let's go ! (OK!?じゃあ行こう!)」
おじさんがそう言うと、ガイドのパサンがそばに来て、
「ナマステ!ジン。ついて来なよ」と言う。
しかし俺だけがついて行くわけにはいかない。ノルウェーの女の子たちと約束した以上、俺には果たすべき義務がある。
「ちょっと待ってくれ!彼女たちも一緒にいいかい?」
「もちろんだよ。一緒においでよ」

パサンについて行くと、そこにはおじさんだけでなく、アメリカ人のグループも待っていた。お互いに「Good morning !」とあいさつしていると、パサンとアメリカ人グループのガイドのラジが何か相談している。2人は一列縦隊で並び歩く順番を話し合っていたようだ。その結果、先頭をパサン、次におじさんとしたのだが、おじさんはペースの速い俺に気を使い、2番目が俺、次におじさん、峠越えのこの日だけ雇ったおじさんのポーター。そしてノルウェーの女の子たち、ラジ、アメリカ人グループ、最後にアメリカ人グループの女の子がやはりこの日だけ雇ったポーターがつくことになった。

ところどころにガイドやポーターといった、峠越えの経験豊富な、頼れるネパール人を配置し、4組、総勢11名のパーティーでトロンパスを目指す。

(この日の旅日記、明日以降につづきます)

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年5月12日 (日)

ルナリア、また咲きました!

 皆様、おはこんにちばんは happy01

GWから一週間、すっかり日常に戻ったでしょうか?
それにしても今日は、とても暑い一日でした。30℃近くまで気温も上がり、昨日の雨のせいか、少しムシッとした感じ。
また『蒸し暑い』季節の到来でしょうか?

昨年、一昨年と我がベランダで目を楽しませてくれたルナリア。2年草ですので昨年までの苗は枯れてしまいました。
しかし、莢をドライフラワーにした際、拾った種をいくらか蒔いておきましたら・・・、

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先週、5/5に葉っぱに隠れながら見事に開花していました。\(^o^)/

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こちらは今日のルナリア。今週、やや暑い日があったせいか少しバテ気味の花もあります。
これだけでなくプランターにも、いくつかの苗が育ってきています。

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葉っぱがずいぶん大きくなってきています。蕾はまだありませんでした。
このプランターの苗がすべて育つこと、楽しみにしているのです (^_^)!

他にベランダで今咲いているお花は・・・、

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赤とピンクのベゴニア。一昨年秋、近所の公園のボランティアの方から頂いた苗、年に2回ほどこのように賑やかに咲き誇ります。

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八重咲きのカランコエ、もう1ヶ月以上咲いているでしょうか?!丈夫で長持ちです。

ところで今日は『母の日』でしたね。と同時に母の誕生日でもありました。81才になりました。
でも今の私にとっては毎日が『母の日』のようなもので、花を贈るとかいうこともなく、いつもと同じようにしていました。
しかし、食事だけはちょっと『ご馳走』です。

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ちらし寿司を作りました。マグロ、サーモン、イカ、ヒラメ、エビ、キュウリ、卵、スイートコーン、のりをちらして、できあがり!

しかし認知症の母は「美味しい」とも何も言わず、ただ黙って食べているだけ。それどころか「お腹が痛いで、全部も食べれん」と言う始末。
母の世話もだんだん精神的に疲れてきました。しかし自分自身も食事は必要ですし、洗濯もしなければ着るものにも困ります。結局は自分がすべてやるのが強いては自分のためでもあるのです。

ルナリアの話からすっかりそれてしまいました (^_^;;
ブロ友様から頂いた苗は2年草で終わりましたが、その子供が無事育ち、今年も我が家の狭いベランダで、可愛らしい姿を見せてくれました。
プランターの苗も今後楽しみです。

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2013年5月 9日 (木)

皆一緒に!そして高山病の予防(再掲)

4月25日(土)晴れのち曇り
チュリラタール8:15(徒歩)10:45トロンフェディ

 6時50分起床。今日はトロンフェディへ約3時間と言うから、ややのんびりでもいい。朝食はポリジ(粥)。買い置きのガーリックやグラノラも入れて食べる。

準備を整え出発しようとすると、インドネシアのおじさんが、
「ジン、ちょっと待ってくれ。今日はトロンフェディまですぐだから、一緒に行こう」と誘ってくれた。俺も、
「OK!じゃあ待ってます」と答え、荷物を背負ったまま、外で待つ。アメリカ人のグループも外へ出てきた。
「ジン、どうしたんだい?行かないのか?」
「おじさんが”今日は近いから、一緒に行こう”って。だから待ってるところだよ。せっかくだから、みんなも一緒にどう?」
「いいね。OK!今日はみんなで行こうぜ」
ノルウェーの女の子たちも出てきて、みんな出発しないので、
「どうしたの?」と尋ねてくる。彼女たちにも同じ説明をし、もちろん一緒に誘う。彼女たちも、
「OK!」と言って、あとはおじさんの準備が整うのを待つだけ。

8時15分、4組総勢9人でスタート。日本、インドネシア、アメリカ、ノルウェー、そしてガイドたちのネパール、5ヵ国の人々が集まって楽しくトレッキングする。途中、やはりハードな登りが待っていた。ベシサハールより9日目。1日マナンで休んだとはいえ、疲れは少しずつ蓄積されている。それでも皆一緒で和気あいあいとしていたせいか、それほど苦にならなかった。休憩できるバッティ(茶店)が全くなく、チュリラタールでビスケットを買っておいたのは正解だった。いつもなら、皆よりペースの速い俺も、この日は皆と同じペースで歩いていた。

やっとバッティがあるかと思ったら、そこがトロンフェディだった。1軒しかロッジはないが、とても大きい。部屋は、シングルやツインといった個室はすでにほぼ満室。インドネシアのおじさんとガイドは、辛うじてツインに、あとのメンバーは皆同じドミトリーにベッドを確保した。1泊50ルピーである。ドミトリーでこの料金は、さすがに高いなぁ!

トロンフェディは、トロン峠への最後の寄宿地で、トレッカーたちはたった1軒のこのロッジに皆、集まってくる。そのせいか、多くの人でにぎわっている。今日はこの後、のんびり過ごせるが、明朝の出発が早いので、今夜はしっかり眠れるよう心掛けたい。

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トロンフェディにて、インドネシアのおじさんと。見た目は”日本人”?

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トロン峠方面の景色。

昼食は、ベジ・フライドライスに紅茶をスモールポットで、ビスケットも3個買い置きする。先月のエヴェレスト街道トレッキングの教訓を生かし、水分を多めに、ガーリックを食べたりして高山病対策をとる。紅茶がなくなって、水筒にウマレコパニ(沸騰水)を1リットル買う。皆とも楽しく過ごす。

部屋へ戻ると、ノルウェーの女の子の1人がベッドで休んでいる。体調が悪いようだ。軽い高山病であろう。彼女はトロンフェディへ着いてすぐ洗濯をしたようで、
「ヘイ、ジン!お願い、外に干してある私の洗濯物を取り込んでくれない?」
と頼まれた。困った時はお互い様だし、
「OK!ところでどれだい?このTシャツ?他には?」
と、手助け。ニコニコしながら「サンキュー!」と、とても喜んでくれた。そして俺も体を休める。

夕食は5時半ごろ。フライドポテトとオニオンガーリックエッグスープ(メニューにはないが、特別に注文して作ってもらった)。そしてブラックティー。食後は明日に備え早めに休もう。幸い、高山病の症状もなく、あれほどひどかった咳も、いつしか治まっている。マナンのドクターに頂いた薬が、ずいぶん効いたようだ。無理さえしなければ、この先も大丈夫だろう。

トロンフェディ、トロンベースキャンプロッジにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年5月 8日 (水)

雪道を行く(再掲)

4月24日(金)晴れ
マナン7:10(徒歩)8:55グンサン9:20(徒歩)11:15ヤクカルカ12:00(徒歩)13:10チュリラタール

 5時40分起床。後片付けするものが多く、またセーターを買ったため、荷物がもういっぱいである。朝食は、ララ・ヌードルスープにブラックコーヒーとする。

7時10分にスタートし、雪と氷、泥の道をそろ~りそろりと登り続ける。シューズはベタベタ。天気が良いので、やや汗ばむが、雪のため、腰を下ろせるところがない。ゆっくりゆっくり、滑って転んだりしないよう慎重に、呼吸を整えながら進み、グンサンへ。ここまで休みなく雪道を登り続けただけに、ミルクティー2杯飲んでエネルギー補給しながら休憩。

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雪が降り積もったマナンの村と、周辺の山々。(パノラマ風にしました。)

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しばらくはこんな道が続きました。そして雪が溶けだし、泥道に・・・。

ここからはほとんど平坦な道になる。また、雪も徐々になくなっていった。マナン近辺だけ降ったのか?まぁ、マイペースで行こう。

ヤクカルカにて昼食とする。待っている間、近くの水場で髪と顔を洗っていると、ちょうどフライドポテトができたようだ。

それにしても、今日マナンからトロンフェディまで行く人の多いこと!マナンとは標高差1300m位あるはずだ。他のトレッカーのガイドたちも話していたが、この高地で、それだけの高低差を1日で登るのは危険だ。エヴェレスト街道の時も、標高約4300mのディンボチェ村で2泊し、高度順応しようとしたものだ。何人かは明日、高山病で下るのではないか?現に、マナンのロッジでうるさかった連中の1人もトロンフェディから下って来ていた。彼は、ドゥムレへのバスの中から道行く村人の女性に、水をかけていた男だ。きっとネパールの神様が怒って、罰があたったのだろう。さらに、俺が「今日はチュリラタールまで」と言うと、「なぜだ?」と訊くイスラエル人トレッカーもいた。何もガイドブックなどのモデルコース通りに行くこともあるまい。まして一気に標高4700mまで行くなんて・・・。危険を承知で行く必要はない。俺は俺のペースを守って行く。

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チュリラタールにずいぶん近づいてきました。この辺りでは、全く雪がありませんでした。

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周辺の山は、雪化粧しています。アンナプルナⅢ(7555m)とガンガプルナ(7454m)。

昼食を終え、ゆるりと歩きだし、およそ1時間後にはチュリラタールへ。シーズン中しか開けないという2軒のロッジの1軒に泊まることにする。ほとんどドミトリーだけのロッジだ。天気が良いので、ベタベタに濡れたトレッキングシューズを天日に干す。そして高山病予防のために、再び昼食をとることにする。今度はエッグ・ヌードルスープだ。

食べ終えて、シューズを干してあるところでのんびり日向ぼっこしていると、やがていつもの見慣れた顔が次々とやって来た。まず、インドネシアのおじさん、そしてアメリカの3人グループ。マナンでは違うロッジに泊まっていたようだから、2日ぶりの顔合わせに皆、笑顔だ。もちろん彼らもここへ泊まる。やはりのんびり行くべきだ。しばらくして、またしても「Jin !」という声。ピサンのロッジで初めて会ったノルウェーの女の子たちもやって来て、お互いに笑顔であいさつ。彼女たちに聞かれて「俺だけじゃないよ。インドネシアのおじさんもアメリカ人グループもみんな、今日はここで泊まるよ」と話すと、彼女たちもここへ泊まることにした。ロッジの中で皆と話をする。ガイドたちが「マナンではどこに泊まった?」と尋ねる。「俺は”ヤクホテル&ロッジ”」と答えると「・・・!ああ、わかった!で、君たちは?」「俺たちは○○ゲストハウス」「俺たちは○○ホテル」「私たちは○○ロッジ」等々、皆それぞれ違うところに泊まっていたようだ。

午後、キッチンにお邪魔して暖をとる。厨房なので本当なら入らせてもらえないだろうが、先月のエヴェレスト街道での経験上、いつも平気でお邪魔させてもらっている。しばらくして、紅茶を注文しようとインドネシアのおじさんがキッチンに声かける。おじさん、俺がそこにいることに驚いて「ヘィ、ジン!ここにいてもいいのか?」と話す。「エェ、全然大丈夫ですヨ!」と答えると、おじさんもそこに居座ってしまった。おじさんと話をしながら過ごしていると、時々ロッジの女主人が「そこのヤカン、取ってくれない?」とか、「これをそっちに置いてくれる?」などと、平気な顔して客を使う。俺も悪い気はせず、「OK」と笑いながら手伝う。おじさんは大笑いだ!こちらが勝手にお邪魔しているわけだし、返ってこの方が親しみを感じる。これもコミュニケーションの一環だ。

それにしても、夕方は冷える。さすが4000m越えるだけある。夕食はダルバートとオムレツにする。味はやや落ちるも、やむを得ないか。7時半過ぎには体を休めた。

チュリラタール、チュリラタールロッジにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年5月 6日 (月)

美しき地球 その2

皆様、おはこんにちばんは (◎´∀`)ノ

今年のGW、いかがお過ごしになられたでしょうか?
日頃お忙しい方も、年中GWの方(?)もそれぞれに楽しまれたことと思います。
でも中には「GW?!どこへ行っても混んでるし、高速道路は渋滞するし・・・」と、どこへも出掛けられなかった方もいるのでは・・・?
かく言う私が、その一人です (^_^;;(笑)!

 前回『美しき地球 その1』が、皆様にはとても好評でとても嬉しく思います。
で、早や”第2弾”です。どうぞ、ご覧ください。

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The Melisanni Cave , Greece . This beautiful cave, which was discovered in 1951 and is surrounded by forests, features in Greek mythology as the cave of the nymphs.

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Thermal baths inside a cave - Miskolc Tapolca , Hungary

12
New Town Hall in Hanover , Germany .

今回も3枚の写真、紹介しました。
水って本来は透明なのですが、絵の具や色鉛筆の『水色』って透明ではないですよね。
水色が何故薄い青色なのか理解できるような気がしました。

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2013年5月 4日 (土)

国立公園&祭りシリーズの切手

 皆様、おはこんにちばんは ヽ(´▽`)/

GW後半、皆様どのような計画を立てていらっしゃいますか?
この時期にしか、なかなか長期休暇が取れない人、どこへ行っても混雑するこの時期はあえて大人しくしている人、様々かと思います。
かく言う私は・・・大人しくしています (^_^;;ヘヘッ!

 さて、久しぶりに日本の切手を紹介します。
今回はまだGWが残っていますので、少しでもお出かけの参考になればと、『国立公園』と『祭り』の切手をすべてではありませんが、紹介します。

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国立公園シリーズの切手です。額面から発行された時代が解かるでしょうか?
左上から右へ・・・雲仙天草、白山、瀬戸内海。中段左から大雪山、伊勢志摩、知床。下段左から南アルプス、十和田八幡平、霧島屋久国立公園です。

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同様に・・・
阿寒、陸中海岸、吉野熊野。西海、支笏洞爺、中部山岳。小笠原とさらに古い十和田国立公園の切手です。

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左上から高山まつり、相馬野馬追、秩父まつり、祇園まつりの切手です。

いずれも私がまだ子供のころ発行された切手ばかりですから、ずいぶん古い切手です。
しかし当時の私は、これらの切手からどれほどの知識を得たでしょうか?!
そしてここに紹介した切手の場所、大人になって訪れたことがあるところもかなりあります。
こうして改めて見ると、切手って本当に「雑学の宝庫だなぁ!」って思います。

GWだけでなく、それを避けてどこかお出かけしたい方、少しはご参考になりますでしょうか?!

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2013年5月 2日 (木)

凍えそうな1日(再掲)

4月23日(木)曇りのち雪
マナン1日滞在

 今朝はやや寝坊し、7時起床。朝食はチャパティとツナ缶にする。肉をずっと食べていないし、せめてツナ缶ぐらい食べておかないと。未だに迷っている。一日休養するか、先へ進むか。昨夜は久々にぐっすり眠れたせいか、体調は良い。しかし、歩きだすと脚の方はどうだろうか。この先2日は、ハードな登りが待っている。迷った挙句、スタートするには遅いし、それに咳も出る。体中がかゆい。あの質(たち)の悪い連中は出発したようだし、この村には医者もいるので、1日ここでのんびり過ごそう。

9時ごろ、医者へ行き、咳と体中のかゆみを訴え診察してもらう。医者は欧米系の女性医師だ。あらかじめ、どのように症状を説明するか、英語で考えておいたのが功を奏し、診察はスムーズに進んだ。女医も俺の体を診て「これ(発疹)はヒドイわね」などと話している。それぞれの薬を頂き、計650ルピー(約2000円)である。
薬の服用時や使用法を本当に俺が理解しているのか、女医に尋ねられた。何しろ日本人は、先進国のわりに英語ができないことは、世界的に知られているからなぁ。俺は女医に説明された通りのことを、ジェスチャーしながら英語で答えた。「風邪薬は食後30分、塗り薬はかゆみのあるところに塗ったら1時間後、シャワーで流し落とす」と。女医は「OK!あなたはちゃんと理解できているわネ」と、にこやかに話してくれた。どうやら俺の英語力も、まんざらではないようだ。

ロッジでさっそく全身のかゆいところに薬を塗り、12時半ごろまで一休み。温かければシャワーを浴びて薬を流し落とすのだが、標高3300mを越えるこの地では寒く、風も今日は強い。当分シャワーは無理だろう。タオルを濡らして体を軽くふき、薬を落とす。そして下着のみ着替え、洗濯をし、昼食。オートポリジ(麦粥)を食べる。

午後は風邪薬を飲んで休み、4時半ごろ、気がつくと外は雪。まさか、雪が降るとは・・・。装備に問題があったようだ。背に腹は代えられず、ウールのセーターと帽子を買う。医者へも行っているので、ここで計算外にも1100ルピー出費したことになる。

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雪が降り出したマナン村。

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寒さに耐えかね、セーターと帽子を購入しました。

夕食は、トマトスープにダルバート。寒いときには、温かいスープと多めの食事でエネルギーを蓄え、そして8時過ぎには眠ろう。

マナン、ヤクホテル&ロッジにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年5月 1日 (水)

やっとマナンへ(再掲)

4月22日(水)晴れ時々曇り
ピサン7:30(徒歩)10:00ホンデ10:10(徒歩)12:45マナン

 6時15分起床。やや頭痛がする。体中が虫に食われてか、痒くてたまらない。マットからシュラフや衣類に虫がついてしまったのだろうか?頻繁にシャワーを浴びてもこれだもんな。薬をそれこそ全身に塗らないとダメだな。

朝食はツァンパ(麦こがし)ポリジとレモンティー。今日はいよいよマナンへ。今日1日頑張って、明日は休みたいだけ休むぞー。

ピサンを出るとラバのカッチャー(隊商)に出会う。何頭続くのか?しばらくきつい登りとなるが、峠まで来ると一気に下りになり、眼下にはホンデまで続くフラットな道が延びている。その先もほとんどフラットらしい。足と肩を休めながら、ゆっくり行こう。

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ピサンを出てすぐに出会ったラバの隊商。おしゃれに着飾っています。

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ホンデからマナンへと続く道。彼方にはヒマラヤの峰々が。

ホンデからさらに平坦な一本道を行く。ひたすら延々と約2時間、ブルガ村。大きなゴンパ(お寺)を眺めながらマナンへと進む。彼方にわずかだが大きな村が見えてきた。マナンであろう。あと一息だ。フラットな道をどんどん進み、やっとマナン。

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ブルガ村の様子。

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ブルガ~マナンにて。メンダンとチョルテン(仏塔)。タルチョーと呼ばれるお祈りの旗が風になびいています。このようなところでは”左側”を歩くのが決まり。

思ったほどの村ではないが、ロッジには物が豊富にある。シャワーは今日は水が止まって使えないらしい。当然、洗濯もダメ。そしてそれほどの村でもないし、明日は先へ進もうか?シングル1泊70ルピーと高いし、ドミトリーでさえ30ルピーだもんな。

午後は、ツナ缶、ビスケット、グラノラ、ティッシュ、ガーリックの買い出し。ガーリックの皮むきに時間を費やす。少しはパワーになるだろうか?

夕食は、ベジ・フライドライス。今日は、村が大きくロッジも多いせいか、いつものメンバーとは別々になってしまったようだ。それどころか、カトマンドゥからドゥムレのバスの中から、道行く村人に面白半分に水筒の水をかけたり、休憩地でもやたらと騒いで周囲のひんしゅくを買ったグループがいる。そしてここでも、周りの迷惑お構いなしに騒いでいる。静かにできない連中だなぁ。彼らが明日もここへ滞在するのなら、迷わず出発、出発するのなら休息日にしよう。

マナン、ヤクホテル&ロッジにて

*この旅日記は1992年のものです。 

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