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2013年5月30日 (木)

100Kg の荷をかつぐポーター(再掲)

4月30日(木)曇りのち雨
マルファ8:00(徒歩)9:30トゥクチェ9:45(徒歩)10:50コバン11:00(徒歩)12:00コケタンティ12:30(徒歩)13:25カロパニ

 6時15分起床。朝食は、チベッタンブレッドとミルクティー。やや曇り気味の天気。そろそろ雨季も近いか?ロッジの娘さんたちの写真を撮らせていただき、住所とそれぞれの名前を書いてもらう。すると、ニールから俺の名前と住所を教えてほしいと頼まれた。逆に聞かれたことは、初めてだ。日本へ帰ってからも、友達づきあい(と言っても、文通しかできないが・・・)できるかな?

Img477
ニール・ゲストハウスの3人娘と親戚の子供。左からシャシー(二女)、トゥルシー(三女)、ニール(長女)です。お世話になりました。

 さて8時、ニールのさびしそうな表情に後ろ髪引かれつつも、次の目的地へと出発。トゥクチェへは、ほとんどフラットな道で1時間半。やや肌寒く、セーターを着て歩く。風は弱いが空はどんよりしている。
トゥクチェは、かつて仏教の神髄を求めてチベットへ日本人として初めて入国(密入国)した河口慧海(かわぐちえかい)氏が滞在したところだ。また、地形が似ていることから富山県の利賀(とが)村と姉妹村協定を結んでいる。そのせいか、利賀村をはじめとする富山県の人々がこの地を訪れ、所々に記念のレリーフなどを残している。日本とは縁の深い村だ。

トゥクチェよりカリガンダキ川の河原を行く。ほとんどフラットで楽だ。コバンを過ぎ、コケタンティ近くのバッティで、昼食にヌードルスープを食べる。ここで、幾重にも巻いた塩ビ管を担いで歩く3人のポーターと出会った。さらに奥深い村で、水道設備のために使われるのだろう。3人の中のリーダー格のおじさんに話しかけてみた。

俺;ナマステ。ヨ カティ キロ ツァ? (こんにちは。これ何キロですか?)
ポ;アッシキロ キ エクセイキロ・・・ツァ。 (80キロか100キロ・・・です。)
俺;ワーォ!w(゚o゚)w (担ぐジェスチャーをしながら)チャレンジ OK?
ポ;OK!

背負子に腕を通し、いざ担ごうとするも・・・、びくともしない。下半身に力を入れ、立ち上がろうとするも・・・荷物は微動だにしない。ポーターのおじさんやバッティのおばちゃんたちは大爆笑だ。やはり、ひ弱な日本人には無理なようだ。ネパールのポーター、体は華奢なのに、恐るべき力と体力だ。彼らの日当は、せいぜい50ルピーから100ルピーだそうだ。届けるところによって多少変わるそうだが、いかにも薄給・重労働だ。

俺;タパイィハルコ フォト キチ パニ フンツァ? (あなたたちの写真を撮ってもいいですか?)
ポ;フンツァ (いいですよ)

尊敬の意味も込めて、ポーターたちの写真を撮らせていただいた。昨日の行商のおじさんもそうだったが、少しでも会話してからであれば、皆喜んで写真撮影に応じてくれる。もちろん、お金も見返りも要求しない。

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こんな荷を担いで歩くポーターたち。彼らの体格からは想像できない (゚0゚)!ただただ脱帽・・・。

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トゥクチェ~コバン間。水のない河原を行きます。

Img480 
コバン村で。民家の下を道が通っています。

さらに河原を進み、山裾を登り下りしてコケタンティ、ダンプなどの小さな村を過ぎる。小雨がぱらつきだした。天気が良ければダウラギリⅠ峰が眺められるはずだが、この日は全く見られない。

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コケタンティの村が見えてきました。

1時半ごろカロパニ着。久々によく歩いた日だ。カロパニ・ゲストハウス&アンナプルナコーヒーショップに宿を決める。ダブルが40ルピーと高く、ドミトリー(12ルピー)にする。別棟のコーヒーショップへ行くと、メニューは豊富にあるが、昨日のマルファのロッジより高いんじゃないの?と思いつつ、チョコレートケーキ(33ルピー)を食べている。この後はのんびりし、疲れを癒し、明日のタトパニまでのロングウェイに備えよう。

夕食は、ガーリックスープとベジ・エッグ・フライドライスとする。しかし今日は、うるさい連中がいる。つるんでいないと歩けない(旅ができない)のか?こいつらは!だからグループは嫌いだ。うるさいだけ!許せるのは、せいぜい2~3人グループまでだな。
今夜も果たして、ぐっすり眠れるだろうか?昨夜のように・・・?

カロパニ、カロパニ・ゲストハウス&アンナプルナコーヒーショップにて

*この旅日記は1992年のものです。

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コメント

プププッ (*^m^)o==3
荷物が持ち上がらず四苦八苦するの図…を想像して楽しくなりました…
こつもあるのかもしれないけど、昔行商に来てた農家の婆ちゃん達も相当重いものをかついでたよ~
すごいですよね
と~まはぎっくりきそうです(;^ω^)


と~まの夢さんへ

アハッ!(笑)
やっぱ分かる?! (^_^)ニコッ!
コツもあるのでしょうが、80~100kgはさすがに無理ですヨォー !

>昔行商に来てた農家の婆ちゃん達・・・

うんうん (-_-)!いました。でも私が子供の頃は、リヤカーに積んでいました。
でも『お豆腐屋さん』は自転車で、小さなラッパを鳴らしながら売り歩いて(走って?)いました。

投稿: と~まの夢 | 2013年5月30日 (木) 19時05分

ウエートリフティングの選手にでもなったら強いでしょうね。慣れでしょうがすごいですね。真似したら危ないですね。それにしてもこの写真見ているとなんだか押し流されそうなところですね。


agewisdomさんへ

きっと彼らは子供のころから、このようなことに慣れていたのでしょう。
今はどうか分かりませんが、当時のポーターは海外からの旅行者がたくさん訪れるエリアではなく、もっと閑散とした貧しい地域出身の方が多かったのでは?!と思います。
日本にもかつては『強力』と呼ばれる男たちがいたそうで、彼らもきっとこのような華奢な体格だったのでは・・・?
ヒマラヤの雪解け水が流れるこの川、雨季になればたしかに押し流されそうですね。
実際はどうなのかナァ・・・(-_-)ウーン...?

投稿: agewisdom | 2013年5月30日 (木) 23時18分

まだ旅行記のことをあまり読んでいなかった頃
河口慧海のことをご存知だったので驚いたこと
があります。私は仏教書を乱読していましたので、
知っていたのですが、日本人でもこの人の名を
知っている人は殆どいません。

まさか河口慧海がこんな奥地まであの時代に
行ったのは大変なことですね。


matsubaraさんへ

ネパールに関心が強い人にとっては、河口慧海氏の名はわりと知られていると思います。
私は見たことはないのですが、ジョモソム村には慧海氏の石像や博物館があると聞いたことがあります。
ずいぶん前ですが久米宏さん司会の『ニュースステーション』の中でも何回かに渡り紹介されました。
彼の著書『チベット旅行記』は2~3回読みました。
今から100年以上前に、この地にまでやってきたということ、凄いことだと思います。
その点では私は河口慧海氏を僧侶の一人ではなく、冒険家・探検家のようなニュアンスで捉えています。

投稿: matsubara | 2013年5月31日 (金) 08時20分

こんばんは
ニルギリ北峰、綺麗ですね~
物価の違いは有るのでしょうが、宿代約30円には驚きです。
マルファ、白亜の村、絵に成りますね~
とっても素敵です。
100Kg の荷をかつぐポーターは凄いですね。
重さを知って、その荷にチャレンジされた勇気に拍手です。
腰を痛められるかも知れないのに・・・
全てが楽しい思い出に成った事でしょうね。
ニールさんからのお便り届きましたか?


すみれさんへ

ニルギリはこの辺りを歩いていると、いつもどこからか見えている山です。アンナプルナやダウラギリなど8000mを超える山ほど有名ではありませんが、それでも存在感ある山です。
ニールゲストハウスのシングル10ルピーは、他の村に比べてもかなり安かったです。
かと言って設備的に問題があるわけでもなく、当時私自身も驚いた記憶があります。
村そのものもご覧の通り、白亜に統一され他の村とは一線を引いて、とりわけ美しいです。
ポーターの荷物、スゴイでしょ?!あんなものを担いで彼らは何日も険しい山道を歩いているのです。しかもサンダルですよ!
チャレンジしたのは、その重さがどれほどなのか、少しでも実感したかったんじゃなかったかナァ?ホント、びくともしなかったです。
ニールからは何通か手紙が届きました。

投稿: すみれ | 2013年5月31日 (金) 21時07分

毎朝、本場のミルクティーが羨ましいです
ほんとに~三人とも将来が楽しみな美人さんですね
ポーターさんたち、こんなに小柄な方なのに・・・凄いの一言です
毎日のご苦労が、身体を鍛えてるんですね
昔の方ならいざ知らず、現代人の私たちには無理ですよぉ
今でも瓶の蓋を開けるのは、父が一番だと思います


きゃぶさんへ

ミルクティーと言っても、日本のミルクティーと違い紅茶とミルクの割合がほぼ1:1です。かなり甘いのですが、シナモンなどの香辛料のせいか、とても美味しいです。
日本人にも似た美人さんぞろいでしょ (^_^)ニコッ?!
ニールから始めて届いた手紙を読んで、私は「移住しようか?」と考えたほどです。
ポーターたち、あの華奢な身体であの荷物を担ぎ、足元はサンダルで山道を行くのです。我々日本人がいかに”ひ弱”であるか、思い知らされました (^_^;;ハズイ!

投稿: きゃぶ | 2013年6月 1日 (土) 23時38分

マルファ村の街並み、本当にきれいですね
こんな場所を旅して、ゆっくり歩いてみたくなります。
裏通りに入れば以前のままの・・・それもまた、よしですね。
それにしても、ポーターの方々、すごいですね!
慕辺未行さんも決して華奢な方ではなさそうですけど、
それにしても、きっと筋肉の付き方や身体の使い方が、
機械に慣れきってしまった我々日本人とは、
かなり違うのでしょうね~


hananoさんへ

カグベニ村とマルファ村、好対照の村ですがどちらも味がありトレッカーの評判高い村です。
ラバの隊商たちの落とし物が気になりますが、それさえなければ本当にきれいな村です。
しかしこの通りを外れれば、やはり質素で貧しい暮らしをしている人がいることも事実です。
彼らポーターは、これで生活を営んでいるのですから、本当にスゴイです。
私?どちらかと言えば華奢なほうかも・・・?当時も今も体重はあまり変わりませんが、決してメタボでもなければ筋肉質でもありませんし・・・。
でもさすがに80~100kgもあろうかという荷物、担げません (^_^;;!

投稿: hanano | 2013年6月 2日 (日) 11時25分

先週半ばから腰痛が更に悪化して
堪らず1年半ぶりに神経内科で治療してもらいました。
しばらく通院することになります。
そんな腰なんで5キロ、いや2キロのパッケージすら持てないありさま・・・。
来月早々にイタリア側アルプスを歩くことにしていますが
持てない、歩けないでは、どうもキャンセルになりそう(泣)

100キロなんてどうやったら持てるようになるのだろう?
古代からDNAによってこの強靭な身体能力が伝わってきているのでしょうね。


Saas-Feeの風さんへ

腰痛、大変ですね。ヘルニアを患ったことがおありなのでしょうか?神経内科での治療はかなり有効でしょうが、長引くと厄介ですね。
私が頸椎の椎間板ヘルニアを患った時、右半身の力が極端に弱く、右手の握力は左の半分もなかったほどでした。
せっかくの旅行予定、このままではもったいないですね。
しかし無理して行くより、体調万全の時に訪れるほうが、旅を楽しめるでしょうから、キャンセルも止む無し、と言ったところでしょうか?!
彼らはきっと子供のころから重い荷物を運ぶことに慣れているのだと思います。ドッコと呼ばれるカゴに山で拾った薪をいっぱい積んで歩いている姿、しばしば見かけました。

投稿: Saas-Feeの風 | 2013年6月 2日 (日) 14時01分

荷物になるから要らないはずのアンモナイト、値段に誘惑され
つい買ってしまったのが おかしい、というか 私もきっと同じと
ニッコリしました~
女の子たち 美人さんに見えますね~ 着飾るのでないそのままの
美しさ、すごくわかります・・
ポーターさんたちへの尊敬、もっともです   彼らの痩せた
筋肉質の体と 眼光の中に、生活のため、といった理由以上の
神々しさを感じます~ 


bellaさんへ

あのアンモナイト、もし最初から買うつもりで値切っていたとしたら、とてもここまで安くはならなかったでしょうね。
でもさすがにおじさんの”Today is No business”に負けました (^_^;;
このアンモナイト、今も我が家で大切にしています。
このマルファ村の人々、この三姉妹もそうですが日本人にとても良く似た顔つきだと思いませんか?皆とても美人でしたヨォ!
ポーターたち、あの体であの荷物。『超人』ですよね。こんな過酷な仕事をしなければならないのも生活のため。
そして運んでいる物資も、届ける先で暮らす人々の生活のためのもの。
皆、生活のためなのですよね。日本人には無い逞しさを感じます。
写真撮影に喜んで応じてくれたポーターのリーダー格のおじさん、彼には「こんなの全然平気だよ」というぐらい余裕が感じられました。

投稿: bella | 2013年6月 2日 (日) 14時56分

私は仏教には興味ありませんが
河口慧海のことは知っていました。
日本人で初めてチベットに入国、
しかもそのためにネパールに暮らしたり、
自分をシナ人と偽ったり、チベット人と偽ったり、
散々苦労したのですよね。
その人が住んでいた所に行かれたとは
さぞ感慨も深かったことでしょう。


zooeyさんへ

河口慧海氏のこと、ご存知なのですね。
彼は仏教の真髄を求め日本人として初めて、当時『禁断の国』と言われたチベットへと入国しました。厳密には日本人であることを隠し、検問のないところを通って密入国したのです。
インド・ダージリンに滞在してチベット語を学び、その後ネパールへ。そしていよいよチベットを目指すべく、その道中で滞在したのがこのマルファ村でした。
河口慧海氏の著書『チベット旅行記』の文庫本、すべて揃え1度ならず2~3回読んだと思います。

投稿: zooey | 2013年6月 2日 (日) 17時04分

こんにちわ
漸く帰宅しましたのでコメントさせて戴きました
白色の民家は素敵ですね
何か訳があってこの村は白色にされているのでしょう
清潔感があり目立ちますよね
ニールさんは何歳位の方なのですか
小柄で子供っぽく見えましたが・・・
やはり平坦な道ですと歩くのが楽の様ですね
山裾でこんなに平坦な道が続くのは珍しい様に思いました
ヒマラヤ登頂にはネパールの人達の力は欠かせない
存在ですね
100Kgを担いで歩くなんてやはりネパールの人達ですね
体格もそんなに大きくないのにそんな力持ちとは遺伝子の
為せる結果でしょうか
土地の人達は普通に会話されている様に感じましたが
凄いことですね 


古都人さんへ

お帰りなさい。お疲れのところ、さっそくの訪問&コメント、ありがとうございます。
マルファ村の街並み、本当に美しいでしょ?!このように白に統一している村は、ここだけです。なぜこのようにしているのか分かりませんが、他の村とは全く違う雰囲気です。
ニールは写真の一番右、黒の上下を着ている子ですが、当時18才だったと記憶しています。
この辺りはカリガンダキ川が流れる谷ですので、乾季の川沿いの道はわりと平坦で楽です。ただ、雨季になると山裾を行くでしょうから、アップダウンもかなりあるかと思います。
この3人のポーターさん、いちばん左の方がリーダー格の方で、身長は私よりも低く、それであんなに大きな荷物を軽々と担ぐのですから、ただただ脱帽です。
私の片言のネパール語と英語、ジェスチャーでの会話、ポーターさんも楽しんでくれました。

投稿: 古都人 | 2013年6月 3日 (月) 14時20分

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