皆が呼ぶ(再掲)
4月21日(火)晴れ
チャーメ7:15(徒歩)9:15バラタン9:55(徒歩)12:45ピサン
6時10分起床。今日もぐっすり眠れなかった。何故だろう。朝食はポリジ(粥)。ピサンまではおよそ5時間。のんびりゆっくり行こう。
ゆっくり歩いているはずだったが、わずか2時間でバラタン。地図上に示す位置が必ずしも正確とは言えないか。ここからピサンまでは約3時間。たぶん登りだろうし、マイペースで行こう。ミルクティーを2杯飲み、ビスケットとガムを買って休憩。ガーリックも少し買い込んでおく。
ここからの道がやや急になるが長くは続かない。一気に登りフラット、また登りフラット。そしてアップダウンもなく、森の中からふと見ると、巨大な一枚スラブ(岩壁)、まるでパラボラアンテナのようだ。その迫力に圧倒され、30分ほど休憩しながら眺めていた。その間に、いつものメンバーたちは次々と俺に追いつき、追い越して行った。
ピサンに到着して、「どのロッジにしようか?」と思った矢先、どこからともなく「Jin !」と俺を呼ぶ声。するとさらに「Jin !」「Jin !」と!声のする方を見ると、あるロッジの2階のテラスにいつもの顔が・・・。そして彼らは「ジン!ここで一緒に泊まれよ!」と俺を誘ってくれる。だが、テラスを見ると空いているところがないほど、すでにたくさんのトレッカーがいる。
「部屋は空いているか?大丈夫か?」と聞くと、アメリカ人のグループのガイドのラジが、
「大丈夫だ。俺が泊まれるよう交渉するから!」とテラスから降りてきて話してくれた。部屋はドミトリーしか空いていなかったが、せっかく皆もいることだし、ここに泊まることにする。
昼食は、ララヌードルスープとチャン(ネパールの地ビール)も飲む。そしていつものメンバーで、楽しく過ごす。
ここのロッジは、今までのところに比べると設備的にはやや劣る。部屋もそうだが、水道もなく、水は大きな樽に用意されているのみ。もちろん電気などない。しかし、食事のメニューは他と比べても遜色なく、豊富にそろっている。
が、この不便さのようなものが、俺が求めていたヒマラヤ・トレッキングではなかろうか。人が生きるための『原点』に帰る、古の時代を彷彿とさせる旅。今までのところが、特にエヴェレスト街道は電気があり、部屋も良く、食事も良かった。人々も皆、人懐こい。しかし、アンナプルナ周遊の旅へ来てからのロッジでは、今一つ、ほのぼのとした雰囲気が感じられない。この辺り、特にドゥムレからの東側ルート(裏ルート)は、どちらかといえばトレッカーもそれほど多くないからか?
夕食は1階の食堂(?)でとるようで、皆でそちらへ移動する。食堂へ入ろうとしたら、我々を同じグループと思ったのか、2人組の女性がテーブルに着く順番を遠慮したが、皆「構わないよ」と、俺の隣に彼女たち、前にインドネシアのおじさんとアメリカからのグループが着席する。
初めて会った彼女たちに、あいさつがてら国を訊いてみた。「ノルウェー」から来ているそうだ。二人とも、とても若くて可愛い顔つきだ。俺も自己紹介し、さらにインドネシアのおじさんを「彼も同じだよ。日本人だよ」と冗談を言うと、おじさん「ノーノー、ジン!何言ってるんだ!」と笑いながら答える。彼のガイドやアメリカ人グループたちも皆、大爆笑!彼女たちは、「きょとん」としていたが、おじさんがインドネシアから来ていると解かって納得。「でも、彼は日本人に見えるでしょ?」と訊くと、彼女たちは、笑いながら「イエス」と答えていた。
いつものメンバーの中に、すっかり溶け込んだ彼女たち。エヴェレスト街道の時もそうだったが、ただ「話す」だけでなく一緒に「笑う」こと、これがお互いに「うち溶けあう」秘訣なんだ。
夕食は、ベジ・スプリングロール(野菜春巻。とはいえ、野菜はポテトだけだった)とフライドポテト。ポテトだらけの食事となったが、あまりに量が多く、食べきれなかった。
ピサン、アンナプルナホテル&ロッジにて
*この旅日記は1992年のものです。
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