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2013年4月

2013年4月30日 (火)

皆が呼ぶ(再掲)

4月21日(火)晴れ
チャーメ7:15(徒歩)9:15バラタン9:55(徒歩)12:45ピサン

 6時10分起床。今日もぐっすり眠れなかった。何故だろう。朝食はポリジ(粥)。ピサンまではおよそ5時間。のんびりゆっくり行こう。

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チャーメより、ラムジュン(6983m)。

ゆっくり歩いているはずだったが、わずか2時間でバラタン。地図上に示す位置が必ずしも正確とは言えないか。ここからピサンまでは約3時間。たぶん登りだろうし、マイペースで行こう。ミルクティーを2杯飲み、ビスケットとガムを買って休憩。ガーリックも少し買い込んでおく。

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バラタンより、アンナプルナⅡ。

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バラタンにて。峡谷を吹く風が強い。

ここからの道がやや急になるが長くは続かない。一気に登りフラット、また登りフラット。そしてアップダウンもなく、森の中からふと見ると、巨大な一枚スラブ(岩壁)、まるでパラボラアンテナのようだ。その迫力に圧倒され、30分ほど休憩しながら眺めていた。その間に、いつものメンバーたちは次々と俺に追いつき、追い越して行った。

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バラタン~ピサンにて。森の中を行くが、暑い。

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森を抜け、振り返ると巨大な一枚壁の山。

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ピサンの村に到着。

ピサンに到着して、「どのロッジにしようか?」と思った矢先、どこからともなく「Jin !」と俺を呼ぶ声。するとさらに「Jin !」「Jin !」と!声のする方を見ると、あるロッジの2階のテラスにいつもの顔が・・・。そして彼らは「ジン!ここで一緒に泊まれよ!」と俺を誘ってくれる。だが、テラスを見ると空いているところがないほど、すでにたくさんのトレッカーがいる。
「部屋は空いているか?大丈夫か?」と聞くと、アメリカ人のグループのガイドのラジが、
「大丈夫だ。俺が泊まれるよう交渉するから!」とテラスから降りてきて話してくれた。部屋はドミトリーしか空いていなかったが、せっかく皆もいることだし、ここに泊まることにする。

昼食は、ララヌードルスープとチャン(ネパールの地ビール)も飲む。そしていつものメンバーで、楽しく過ごす。

ここのロッジは、今までのところに比べると設備的にはやや劣る。部屋もそうだが、水道もなく、水は大きな樽に用意されているのみ。もちろん電気などない。しかし、食事のメニューは他と比べても遜色なく、豊富にそろっている。
が、この不便さのようなものが、俺が求めていたヒマラヤ・トレッキングではなかろうか。人が生きるための『原点』に帰る、古の時代を彷彿とさせる旅。今までのところが、特にエヴェレスト街道は電気があり、部屋も良く、食事も良かった。人々も皆、人懐こい。しかし、アンナプルナ周遊の旅へ来てからのロッジでは、今一つ、ほのぼのとした雰囲気が感じられない。この辺り、特にドゥムレからの東側ルート(裏ルート)は、どちらかといえばトレッカーもそれほど多くないからか?

夕食は1階の食堂(?)でとるようで、皆でそちらへ移動する。食堂へ入ろうとしたら、我々を同じグループと思ったのか、2人組の女性がテーブルに着く順番を遠慮したが、皆「構わないよ」と、俺の隣に彼女たち、前にインドネシアのおじさんとアメリカからのグループが着席する。
初めて会った彼女たちに、あいさつがてら国を訊いてみた。「ノルウェー」から来ているそうだ。二人とも、とても若くて可愛い顔つきだ。俺も自己紹介し、さらにインドネシアのおじさんを「彼も同じだよ。日本人だよ」と冗談を言うと、おじさん「ノーノー、ジン!何言ってるんだ!」と笑いながら答える。彼のガイドやアメリカ人グループたちも皆、大爆笑!彼女たちは、「きょとん」としていたが、おじさんがインドネシアから来ていると解かって納得。「でも、彼は日本人に見えるでしょ?」と訊くと、彼女たちは、笑いながら「イエス」と答えていた。

いつものメンバーの中に、すっかり溶け込んだ彼女たち。エヴェレスト街道の時もそうだったが、ただ「話す」だけでなく一緒に「笑う」こと、これがお互いに「うち溶けあう」秘訣なんだ。

夕食は、ベジ・スプリングロール(野菜春巻。とはいえ、野菜はポテトだけだった)とフライドポテト。ポテトだらけの食事となったが、あまりに量が多く、食べきれなかった。

ピサン、アンナプルナホテル&ロッジにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年4月29日 (月)

美しき地球 その1

 皆様、おはこんにちばんは (◎´∀`)ノ

GWも前半の3連休が終わり、明日から3日間は仕事という方もいらっしゃるでしょうか?それとも引き続きお休みでしょうか?

昨日はココログに不具合が生じていたようで、コメント欄が表示されずご迷惑をおかけしました。私のPCでも、他のユーザーさんも同様のトラブルが発生していたようです。

 さて、今回は今年2月にエルマー&アンジュラ夫妻から送られてきたメールに、大量に添付されていた写真から紹介いたします。
写真は全部で50枚ほど添付されているのですが、『超』がつくほど素晴らしい絶景の写真が何枚かあります。
この世のものとは思えないほどの光景!まさに、『美しき地球!』です。

今回はこちらの3枚、紹介いたします。

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The Aiguille du Midi cable car leaves from the centre of Chamonix . It takes visitors up to 3842m for a stunning view of the French Swiss and Italian alps. —

08 
Paradise ! Jungfrau Mountain Range , Switzerland

09
Hallgrímskirkja (244 ft), is the largest church and the sixth tallest architectural structure in Iceland . ( floating on permafrost?)


いかがですか?
特に2枚目の写真、正真正銘の”Paradise”ですよね。
我々人間が生きて暮らす地球、こんなに素晴らしい光景のところがあるのですね。
でもこの地球には、まだ私たちが知らない素晴らしく素敵なところ、たくさんあります。
今後も折を見て紹介していきます。

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2013年4月27日 (土)

藤の花と芝桜

 皆様、おはこんにちばんは (◎´∀`)ノ

いよいよGWですね。今年は休みが分散されていますが、それでも高速道路や行楽地は凄い人出になるのでしょうね。

先日、「そろそろ見頃では?」と津島市の天王川公園へ藤の花を、弥富市の三つ又池公園へ芝桜を見に行って来ました。
天王川公園の藤棚は『東洋一』と言われるほどの規模で、これはなかなか見応えがあります。毎年この季節は『藤まつり』が開催され、多くの人々が訪れます。私は祭りが開催される前に行きましたが、それでも駐車場はほぼ満車でした。

では、天王川公園の藤、ご覧ください。

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川の上の藤棚は、満開のところもあれば、まだこれからというのもありました。

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9尺藤が甘い香りを漂わせています。

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紫と白の藤。白い藤は白加比丹藤というそうです。

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こちらにも立派な藤が!

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紫とピンクの藤。

天王川公園で藤の甘い香りに酔いしれた後は、弥富市(旧・十四山村地区)に近年新しくできた三つ又池公園へと向かいました。
ここは昨年のちょうど今ごろ、地元紙に紹介され初めて知ったところです。今年もそろそろ見頃ではと、マイカーをそちらへと走らせました。

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小さな丘一面の芝桜。

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丘の上から見ても、この通りです。

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公園全体が芝桜に彩られています。

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遊歩道沿いもこの通り、分離帯は芝桜で埋め尽くされています。

この公園や池の周りを散歩できる遊歩道もあり、 天気の良い日にのんびり散歩も、気持ちが良さそうです。
来園者はそれほど多くはありませんでしたが、今後芝桜の名所としてますます有名になりそうなところです。

*訪れた日、4月23日。

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2013年4月25日 (木)

アンナプルナⅡ峰を見ながら(再掲)

4月20日(月)晴れのち曇り
バガルチャップ7:30(徒歩)12:50チャーメ

 今朝も6時起床。片付けにいつも30分はかかっている。風邪は全く治らず、喉がやられているようだ。朝食にレモンティー、ホットチョコレート、アップル・パンケーキ、チーズオムレツを注文し、用意が遅れ、スタートは7時半となる。チャーメまでは4~5時間だから、のんびりでもいい。

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バガルチャップ付近にて。アンナプルナの山々をバックに。

今日はさほどきつい登りもなく、でもやはり登りでは、ずいぶんペースが落ちる。時折アンナプルナⅡ峰を眺めながら、30分おきに休憩をとる。途中、リンゴを食べたり、足の痛みを気にしながらコトへ。さらにチャーメまで進む。

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コト付近より、アンナプルナⅡ(7937m)

チャーメは銀行、郵便局もある大きな村だ。商店も建ち並びロッジも多い。どこにしようか迷ったが、シャワーを浴びたくて、吊橋を渡った右側にある大きなロッジにする。シャワーを終え洗濯も済ませて出てくると、またまたいつものメンバーが集まっている。

「Hey Jin ! 君もここにいたのか!」と声掛けられる。

彼らはこの時ちょうど、「ジンは、今日どこへ泊まったのだろう?」と、噂していたそうだ。インドネシアのおじさんも、アメリカ人グループも、そして彼らが雇っているガイドたちも、1人でトレッキングしている俺を気にかけてくれている。とてもありがたく、嬉しいことだ。
特にガイドたちは、俺が少しネパール語を話せるせいか、何かと声掛けてくれるし、このコース上の情報や注意点なども、たくさん教えてくれる。例えば、俺の地図に書いてあるモデルコースでは、この先のマナンを出たらその日は一気にトロンフェディになっているのだが、彼らの話では「高山病の危険があるから、その手前のチュリラタールで一泊する」そうだ。また、トロンフェディでは「朝3時起き4時出発」らしい。俺が驚いていると彼らは、「トロンパス(峠)は風が強い。8時までに越えるのでベスト。遅くても10時までには越えた方がいい。」からだそうだ。とても良い情報を得ることができた。

それにしても、あれほど多くのロッジがあり、打ち合わせも何もしていないのに、皆ここに集まって来た。類は友を呼ぶ?のか。不思議なものだ。

そういえば今日は、昼食を食べていないなぁ。昨日より夕方になると、やや寒い。やっぱりトレーナーかセーターは必要だったか。とりあえず長袖のTシャツ、マフラー、ウィンドブレーカーで寒さを防ぐ。しかし、洗濯したもの、特にウールの靴下が乾きそうにない。

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ロッジのベッドルームで。このような感じでで寒さをしのぎます。

チャーメは大きな村だけあって、電気がある。しかも、わりと明るい。6時に夕食、ダルバートにする。30ルピーか、こんなもんかな。そしてしばらく皆とくつろいだ後、ドミトリーで自分1人、ゆったり眠ろう。皆と話をしていてもいいのだが、体調が万全とは言えない今、やはり休むことを心掛けたい。

チャーメ、ニューチベッタンホテルにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年4月24日 (水)

Jin (ジン) と呼ばれて(再掲)

4月19日(日)晴れ
チャムジェ7:00(徒歩)9:30タル9:45(徒歩)11:50カルテ12:20(徒歩)13:00ダラパニ13:10(徒歩)14:00バガルチャップ

 午前6時起床。しかし昨夜は、ほぼ一晩中咳き込んで、ほとんど眠っていない。咳がうるさくて、他の宿泊客に、ずいぶん迷惑をかけたのでは・・・?洗濯物を片づけ、チベッタン・ブレッドとコーヒーで朝食とする。

7時出発。何人かのアメリカからのトレッカーと話をするようになり、お互い自己紹介しあう。彼らにとって4音節の俺の名前(本名)は発音しづらいようで、
「...、But my nickname is Jin. Please call me "Jin".」
と話し、こちらでも「Jin」と呼んでもらう。キャンプしながらトレッキングしているアメリカ人グループの女性、リサは、
「"Jin" is very easy.」と答えていた。呼びやすいし、覚えやすいのだろう。
こちらで出会うほとんどのトレッカーが、ガイドやポーターを雇っている。俺は1人のんびりゆっくり、マイペースを保ちながら歩く。それでも、俺のペースが一番速いようだ。

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チャムジェより、ヒムルン・ヒマール(7126m)

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サッタレ付近より、アンナプルナ方面。

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タル付近より、マナスル方面。

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タル~カルテ間にて。アンナプルナⅣ、Ⅱ、ラムジュンが見えます。

カルテにて昼食は、エッグ・ヌードルスープ。そしてダラパニまでおよそ30分。顔見知りになった皆が昼食をとっているところで俺も少し休憩。そこからバガルチャップまで1時間弱。昨日と違い、良い天気。

今日は初めのうちは登りが続き、タル付近では平坦な道が続いた。その後はゆるりとした登り。左肩甲骨と両足、特に膝に疲れを感じるが、まだ歩き始めて3日目。先は長い。とにかく1人なんだから、気楽に気長に無理せず行こう。

バガルチャップに到着し、ロッジのテラスで紅茶を飲んでいると、インドネシアから来ているおじさんがやって来た。
「Hey Jin ! Do you stay here today ?」
「Yes !」
するとおじさんはガイドと話をして、彼らも同じロッジにチェックイン。さらにアメリカ人のグループ(男性2人、女性1人)とガイドもやって来て、同じように声掛けられ、彼らも皆「じゃあ、ここへ泊まろう」と、皆が皆、同じロッジに泊まることになった。

夕方近い時間に、髪を洗い体を少し休める。ろうそくの明かりの中、夕食となる。10人ほどの客しかいないが、ほとんど知っている顔ぶれで賑やかだ。俺は、ベジ・エッグ・フライドライスとガーリックスープ、ムスタンコーヒー。その前にチャンも2杯飲んだっけ。

食後、皆と話をしていたが、風邪のせいでやはり疲れているのか、皆に英語で
「I'm very tired and I have a cold sickness. So I sleep. Good night.」
と言って、寝ることにする。
とにかく毎日がハードだから、栄養と休養をとることを心掛ける。

すでに多くの顔見知りのトレッカーやガイドもいるし、毎日同じ村、同じロッジで「Jin」と呼ばれながら過ごすのは、一人の寂しさを感じない。

バガルチャップ、タカリーホテルアンドロッジにて

*文中の『キャンプしながらトレッキングしているアメリカ人グループ』と同じロッジに泊まった『アメリカ人グループ』は別グループです。

*この旅日記は1992年のものです。 

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2013年4月23日 (火)

バッティ(茶店)で通訳!(再掲)

4月18日(土)曇りのち雨
バフンダンダ7:00(徒歩)9:00ゲルム9:20(徒歩)11:40ジャガト12:20(徒歩)13:45チャムジェ

 6時起床。荷造りをすませ、缶フルーツ(パイナップルの缶詰)で朝食とし、スタート。やや曇り気味の天気。やはり一人だと、すべてマイペースでできるし、だれにも気兼ねしなくてすむ。変に妥協したり、ということもなくていい。涼しいうちに少しでも先へ進もう。

ふと見ると、村の少女が水場で水を汲んでいた。一言声をかけ、その姿を写真に撮らせていただいたのだが、何やら怒っている様子だ。言葉の行き違いがあったのだろうか?怒らせてしまった以上、写真を撮ることそのものが失礼だったのかもしれない。

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ポリタンクに水を汲む少女。この付近ではまだ水道もガスも電気も通っていませんでした。今は・・・どうだろう?

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マルシャンディ川。周遊ルート前半は、この川沿いを遡って行きます。

今日もマイペースで、休みたいときに休み、のんびり過ごしたいところではのんびりする。ジャガトに着く手前のバッティでは、本当にのんびり楽しく過ごした。紅茶にしようかファンタにしようか迷ったが、この先ファンタはもっと高くなるし、暑かったこともありファンタ・オレンジ(25ルピー;カトマンドゥでは7ルピー)にした。川の水で冷やしただけのものではあるが。そしてお店のディディ(おばちゃん;本来は”お姉さん”という意味)に「チュロット エウターマッタラ ディノス(タバコを1本だけください)」と言って売ってもらう。そして香ばしい香りの炒り豆(”ダルマス”というらしい)を、少し試食させてくれた。「ラムロー(おいしい)」と言うと、さらに分けてくれた。

やがて香ばしい匂いにつられてか他のトレッカーがやって来て、店のこのおばちゃん(ディディ)に声かける。英語がほとんどできないおばちゃん、多少ネパール語ができる俺、おばちゃん、そのトレッカーの言葉が解からないみたいで俺に通訳を求めてくるだもん。

トレッカー:What is this ?
おばちゃん:???(”何て言ってるの?”というような顔で俺の方を見ている)
俺:ウハ ”ヨ ケ ホ?” ボルヌツゥ (彼は「これは何?」って言ってるよ)
おばちゃん:ダルマス
俺:ダルマス。Dal mean bean,Masu mean meat.
トレッカー:Can I test?
おばちゃん:???
俺:・・・(どう訳そうか?)、ウハ ”ダルマス アリカティ カナ OK?” (彼はダルマスを少し食べていいですか?って)
おばちゃん:OK
俺:Is it good ?
トレッカー:Yes ! Very good !
俺:ウハ ”ダルマス デレー ラムロー” ボルヌツゥ (彼は「ダルマスはとても美味しい」って)

そのトレッカーは、どうやらダルマスが気に入ったようだ。そして、

トレッカー:How much?
おばちゃん:???
俺:カティ パイサ?(いくら?)
おばちゃん:エクカップ ティンルピー(1カップ分で3ルピー)
俺:1cup 3Rs. Are you OK?
トレッカー:OK!

というような会話のやり取りをして、ダルマスは売れた。おばちゃん、すっごく喜んでくれたワ!たった1カップ分だけど、「あなたが売ってくれたのよ」と(たぶん)言っていた。俺にとっても、とても楽しかった。ファンタを飲みながら、タバコは結局2本吸い、ダルマスもたくさん食べさせてくれた。
支払いをしようとすると、「25ルピー」・・・?って、おばちゃん、ファンタの代金しか取ろうとしない。タバコも吸ってるし、ダルマスもずい分頂いているのに・・・。おばちゃん曰く、「ダルマスもタバコも、私があなたにあげたのよ」と言う。それどころか、さらにこの先へとトレッキングして行く俺にダルマスを1カップ分、袋に入れて「食べながら行きなさい」とジェスチャーしながら、土産に持たせてくれた。
おばちゃん、ホントにありがとう!!スッゴク楽しかったし、嬉しかった!!

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バッティのおばちゃん。忙しく働いています。これでもお店です。

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おばちゃんが撮ってくださいました。

そこから20分ほど登り、一気に下るとジャガト。昼食は卵入りのララヌードルスープと紅茶にする。チャムジェまでは、ゆるりゆるりと登り坂。けっこう、しんどい。途中で休憩。レモンティーを飲む。咳ばかりしていたので、バッティの母親がまだ小さな娘さんにニンニクを持たせて、俺に「食べなさい」と言ってくれた。この優しさ、気配りのお礼にと、もう1杯レモンティーを頼むと、またニンニクを持ってきてくれた。体に効くからってジェスチャーしながら。ありがたいなぁ!!竹編みの、一見粗末なバッティほど、人情味あふれている。ここでも支払いはレモンティー代のみで、ニンニクの分はやはり取ってもらえなかった。

さて、時折雷が鳴る中、チャムジェへ到着。2時過ぎには風も強く吹き出し、早めに着いて正解だった。3時過ぎには雨となり、明日の天気が気にかかる。夕食は5時過ぎだ。ベジ&エッグ・フライドライスとムスタンコーヒー。ニンニクを食べ、薬を飲んで5時半過ぎには体を休める。衣類が乾くかどうか心配である。

チャムジェ、チベッタンホテルにて

*通訳したネパール語は、必ずしも正しいネパール語ではありません。あくまで”カタコト”レベルにすぎません。あしからずご了承ください。

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年4月21日 (日)

2013 戸田川緑地の春 その3

 皆様、おはこんにちばんは (*゚▽゚)ノ!

今日はこちら『名古屋市長選挙』の日でした。
名古屋市長と言えば、あの名古屋弁丸出しの河村さん。今回、三選を目指しますが結果は・・・?当選確実でしょうね (-_-)ウーン...
私自身は、河村さんの政治姿勢に甚だ疑問が・・・!

それはさておき・・・
先日、買い物ついでに母を連れ出し、この春3度目の戸田川緑地公園へと出向きました。
前回・前々回では河津桜にソメイヨシノが満開でした。
そして気温25℃近くまで上がったこの日、絶好の『お散歩日和』で、ハナミズキと八重の里桜が咲いていることを期待し、散歩しに行きました。

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駐車場そばにあったハナミズキ。真っ赤です。

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2種類の八重桜がありました。

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もはや藤の花が咲いていました。

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満開の八重の里桜。1輪ずつ寄せ合って咲いていますネ!

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公園内の様子。この日は平日でご覧の通り。でも桜は綺麗です。

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戸田川沿いのプロムナードは、八重桜のトンネルができています。

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『こどもランド』では、ハナミズキとサツキの花が咲いています。

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ビブルナム・エスキモー。アジサイの仲間かな?

園内をのんびりと1時間ほど散歩し、帰ろうとマイカーに乗り出口を出ようとしたら・・・
ふと、色目の違う桜が目に留まりました。
思わずマイカーを止め、近寄って見ると・・・

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黄緑がかった色の桜とピンクの桜が共存しています。もしやこれは・・・『ウコン桜』でした。

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アップで撮ると、黄緑とピンク、より鮮明に見えます。キレイ!カワイイ (*^o^*)!

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黄緑に見えないかな?でも本当に、やや緑がかっているのです。

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奥にある八重の里桜と一緒に!

いやはやまさかこの公園で『ウコン桜』を見られるとは?!
この地方、近いところでは津島市の天王川公園にあるのですが、この戸田川緑地公園にもあるとは、今まで気づきませんでした。
ピンクと黄緑色の桜の花・・・もう言うことないほどムチャクチャ綺麗でした

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2013年4月18日 (木)

初日のロングウェイ(再掲)

4月17日(金)晴れ
ベシサハール7:30(徒歩)11:20ブルブレ12:10(徒歩)13:30ナディ13:40(徒歩)15:45バフンダンダ

 6時20分起床。洗濯したものはすべて乾いてザックに整頓。これが意外に時間がかかった。ザックを背負っての徒歩旅行(トレッキング)は、荷物の詰め方一つで、ずいぶん負担が違うからだ。朝食は、ミルク・ハニー・ポリジ(はちみつ入りミルク粥)にレモンティー。
*「軽いものは下へ、重いものは上へ」が基本的な荷物の収納です。頻繁に使うものは、たとえ軽いものでも出し入れしやすい上の方、またはポケットなどに入れます。

7時半、さぁいよいよ出発。ベシサハールの街は南北に長い。商店街のようなところを30分ほど歩くと山間の道となり、トレッキングルートとなる。マルシャンディ峡谷を行く。比較的平坦な道で、荷物を背負っている背中以外は汗をかかない。

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ベシサハール~クディーで。マルシャンディ川沿いを歩きます。

クディー付近にて、小学校の建設基金の寄付を募っている人がいた。そこで俺も100ルピー寄付。どこまで本当か分からないが、多くの人々が協力しているようだし、まぁいいか。
マルシャンディ峡谷へは、多くの滝が流れ落ちている。やがてマルシャンディ川にかかる吊橋が見えてきた。橋を渡るとブルブレの村だ。

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このような滝が、あちらこちらで見られます。ヒマラヤからの雪解け水でしょうか?

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吊橋を渡ると、ブルブレの村です。

ブルブレにて昼食、エッグ・フライドライスにファンタ。50分ほど休憩し先へ進む。ナディまで1時間半弱。ここからバフンダンダまでは、まだ2時間はかかるという。ゆっくりゆっくり進む。時々、さほどきつくはないが、登りがある。バフンダンダへあと30分というところでティータイム。そして最後の登りを登りきって、バフンダンダへ。休憩を含め8時間15分である。初日にしては、長い道程だ。

この日の宿泊客は俺一人かと思ったら、やがてガイドを伴った1人の男性。お互い「ハロー」とあいさつし、国を訊ねあった。彼の国を聞いて内心「あー、英語で話してよかった」と思った。実は、ガイドを伴った1人旅のこの男性、インドネシアから来ているそうで年齢は50才。しかし、その顔は「まるで日本人」と思うほど!もし日本語で声掛けていたら「???」となるところだった。
俺が「あなたは日本人に見えますよ」と言うと、彼は笑いながら、「カトマンドゥでは日本語で”こんにちは”とか”トモダチ”などと、よく声掛けられたよ」と話していた。初めは全く意味が解からなかったらしいが、慣れるにつれ”こんにちは=Hallo””トモダチ=Friend”と、理解できたそうだ。彼の顔つきから、ネパールの人たちも、彼を”日本人”と勘違いしたのだろう。日本人の俺でさえ、そう思ったぐらいだから。

夕方はのんびり過ごし、夜7時ごろ、夕食はダルバートとムスタンコーヒー(ロキシーのコーヒー割り、ロキシー=ネパールの焼酎)。エヴェレスト街道・トレッキング同様、相変わらずムスタンコーヒーを飲もうとしている。そして8時過ぎには体を休めた。

バフンダンダ、ラクシミ・トレカッカーズホテルにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年4月17日 (水)

砂埃にまみれて(再掲)

4月16日(木)晴れ
ドゥムレ8:20(乗り合いダンプ)14:45ベシサハール

 6時20分起床。ポリジ(粥)とホットレモンで朝食とし、バスの予約。ベシサハールまで75ルピー。しかし、やって来たのは、バスではなくダンプ。7時発と聞いていたが、いっこうに出発の気配なし。そうこうして待っているうち、客はどんどん増える。「なるほど、こういう魂胆か!」

8時20分ごろ、荷台に家畜でも運ぶかのように、隙間なく座りこんでいる人々を乗せ、ダンプは走る。座っていても立っていてもしんどい。道路は建設途上で未舗装のため、縦にも横にも揺れるうえ、ダンプの荷台ではまともに砂埃をかぶる。

ボテドールにて昼食休憩となる。顔や手を洗いに行くと、なんて悲惨!全身砂まみれである。黒い帽子が砂で真っ白になっていたのだから。他の旅行者と「まいったナァ!」って感じでお互いに笑っていた。ここでダルバート(25ルピー)を注文し食べ始めると、欧米からの旅行者たちはどう注文したら良いのか分からないようで、俺に尋ねてきた。メニューもない店だから仕方がないのだが、俺が「”ダルバート”と言えば、これが食べられますよ」と教えると、皆同じように注文し、ダルバートを食べていた。もし俺がいなかったら、彼らはここで食事をすることができただろうか・・・?

昼食後、ダンプは再びベシサハールへと走り出す。14時45分到着。アァ疲れた!何はともあれ、ロッジを探しシングル(30ルピー)をとると離れの部屋に案内された。そして砂にまみれた衣類をすべて洗い、シャワーを浴びる。一仕事終えて、ファンタ・オレンジを飲みながら休憩。

夕食はベジタブル・フライドライスとブラックティー。「何時頃用意しますか?」と聞かれたので「6時ごろ食べたい」と答えておいたのに・・・、あ~ぁ、6時半過ぎてる。ビスターリ(ネパール語で”ゆっくり”)、ビスターリ。他の宿泊客を見ると皆、欧米からのカップルばかりで3組6人。なんかこの国へ来て「30才独身」って、肩身が狭いナァ。ふと、カウンターのショーケースを見ると「Missing!」と書かれた捜索願いのビラ。どうやらネパールのこの地を旅して、行方不明になっている男性を捜しているようだ。俺は決してそうならないようにせねば。このコースは1人で行くのだから、十分に気をつけよう。

さんざん待たされて、やっとできた夕食。それにしても今日はずいぶん粗食のような気がするなぁ。明日からは本格的な旅、トレッキングのスタートだ。ビタミン剤でも飲んでおくか!
部屋へ戻ると、洗濯したものは、ほぼ乾いている。これなら明日の朝には完全に乾いているだろう。

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かなり長い間、待たされています。「おなかすいた~!」
ショーケースの右下に行方不明者の捜索願いが貼られています。

ベシサハール、ホテル・トゥクチェピークにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年4月16日 (火)

バスの旅(再掲)

4月15日(水)晴れ
カトマンドゥ7:00(バス)16:30ドゥムレ

 午前5時50分起床。 買い置きのパンは、やや硬くなっていたが、急いで食べ、6時20分、ゲストハウスを出発。イミグレーション・オフィスの前には様々のバス、ほとんどがポカラ行きなのだが、自分が切符を手配した代理店によりバスが決まっている。予約しておいた代理店のバスを見つけ、予約の確認をし、バスに乗る。

ほぼ7時ちょうどにバスはスタート。1時間20分ほど走って休憩タイム。スンタラ(みかん)を買う。さらに1時間ほど行くと、交通事故か崖崩れでもあったのか、バスやトラックなどが遥か先より連なってストップしている。外は暑苦しく、じっとしていても汗ばんでくる。いつになったら動くことやら。

それにしても、やっと”1人旅”ができるんだ!カトマンドゥは、今回の旅の意味からすれば、トレッキングの合間の生活と情報、準備の拠点。先月のトレッキングもダージリンも1人ではなかった。これで俺本来の旅ができそうだ。だからと言って、先月のエヴェレスト街道・トレッキングやダージリンへの旅が「俺本来の旅ではない」と言えば嘘になる。それらの旅もやはり俺の旅である事に違いはない。なぜならば、ネパールという”旅先”で、偶然出会った人たちと共に旅をしただけのことだから!こんなことは日本国内でも、ユースホステルを利用しながら旅をしていたころ、数え切れないほどあった。

バスは少し動いては止まり、また動いては止まる。小さな村で食事休憩。ダルバート屋さんがなく、ビスケットとチャイですます。14時50分、やっとムグリンだ。ここまで来るのに予定の倍以上の時間がかかっている。マンゴージュースにサモサ、ヨーグルトを食べる。順調ならムグリンへは午前中に到着し、1時間の昼食タイムの後ポカラへ向かう。ドゥムレには13時過ぎ、ポカラへは14時ごろには到着しているはずなのだ。

ムグリンから先、バスは飛ばし過ぎるほど順調に走る。他の乗客、明らかに外国からの観光客なのだが、彼ら数人が道を歩いている人に向かって窓からペットボトルの水をぶちまけていた。突然のことに驚き「何をするの?」といった表情のネパール人女性が走り去るバスを睨みつけていた。水をかけた当の本人たちは、大喜びで手を叩き、笑い、騒いでいる(言葉からすると、たぶん・・・○○人?)。嫌な光景だ。常識を疑う。俺にはあんな心ないことは絶対にできない。

16時30分ドゥムレ着。多くの乗客がここで降りた。これだけの人々がアンナプルナを周遊しようとするのか?今日はここドゥムレにて宿を探し、明朝ベシサハールへと向かおう。

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ドゥムレの街(村?)に到着。この道がカトマンドゥ~ポカラを結ぶ国道です。

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ドゥムレで泊まったゲストハウス。1階はレストラン、2階がベッドルームです。

夕食はダルバート(22ルピー)とチャン(ネパール風ビール)。ベッドはドミトリー(相部屋)で20ルピー。これらの料金が今後、山へ入るにつれ、どのように変わるのだろうか?

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ゲストハウスのベッドルームにて

ドゥムレ、マナン・ゲストハウスにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年4月13日 (土)

高遠『天下第一の桜』を見てきました

 皆様、おはこんにちばんは (◎´∀`)ノ

先日、3年ぶりに信州・高遠城址公園へ桜を見に行きました。
ここは「日本三大桜の名所」「天下第一の桜」と言われるほど、素晴らしい『桜の名所』です。
私自身ここはもう5~6回目です。それほどこの高遠の桜には魅了されました。

地元紙朝刊の桜開花情報で『満開近し』とあるのを見て、即決断。夜桜も見たいとの思いで、行きは国道153号を利用し夕方近くに到着を目指して走りました。
途中、道の駅で休憩し長野県内に入ると国道からは満開の桜や桃の花など、あちこち目を楽しませてくれ、気持ちの良いドライブになります。
そして再び道の駅で休憩し、高遠へ行く前の隠れた桜の名所、飯島町にある与田切公園へ立ち寄りました。

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飯島町にある与田切公園。満開の桜。

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公園内も素晴らしいです。

与田切公園で予め用意していたお弁当を食べながらお花見です。訪れる人も少なく、のんびりできます。
そして高遠へと向かいます。高遠へは夕方4時半近くに到着。それでもまだ日差しは充分で、満開の桜が出迎えてくれました。

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南ゲート付近の桜。

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南ゲートから園内へ入ると・・・桜・桜・桜

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園内から空を見上げると、桜で空があまり見えません。 

高遠城址公園の桜、そして夜桜。構図は違いますが、各ポイントごとで紹介いたします。

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太鼓櫓と桜。

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正面から見た太鼓櫓と夜桜。

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枝垂れ桜もありました。

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ライトアップされた夜の枝垂れ桜。

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高遠閣と桜。

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高遠閣と夜桜。

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高遠城址公園のシンボル、桜雲橋と問屋門。

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桜に覆われています。

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ライトアップされた桜。

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園内の様子。

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桜雲橋と問屋門が桜と共に、下の池に映っています。

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ライトアップされると、幻想的な雰囲気になります。

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夜桜をアップで撮ってみました。

写真では、高遠の桜の素晴らしさを充分にお伝えできないのが残念です。百聞は一見にしかず、その目で実際に見るのが一番ですね。
本当に素晴らしいです。

私が訪れた翌日、地元紙の朝刊一面にこのような記事がありました。

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毎年必ず地元紙に紹介されています。記事の写真は空から見た様子ですが、これを見るとどれほど見応えあるかお分かりになると思います。

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2013年4月11日 (木)

相変わらず風邪が・・・(再掲)

4月13日(月)

 午前8時30分起床。買い置きのバナナとオレンジで朝食とする。その後、特にすることもなく、風邪が相変わらずなので、部屋で体を休める。11時半ごろ、昼食に出かける。オアシス・レストランにてエッグ・フライドライスとフライドミート・モモにする。

午後、部屋に戻り横になっていると、ルームキーパーがやって来て、ちょうど居合わせたマッサージャーのアンジュさんに、「風邪で鼻水が出たり、のどが痛い」と言ったら、中国製の”瑞草油(ズイチョーユー)”という薬を貸してくれた。これを直接のどや胸に塗布したり、湯に入れて上から毛布などをかぶり、その湯気を10~20分、呼吸すると良いそうだ。確かにスーッとして気持ち良い。
そして明後日のドゥムレまでのバスチケット(150ルピー)を手配する。午前7時発だ。

夕食は、ヤク・レストランでチキンカツレツにエッグサラダ(計80ルピー)。ここ最近、食事にずいぶんお金を費やしている。トレッキングに出ればどうしてもダルバートやポテト、ララヌードル(インスタントラーメン)がメインとなり、肉類はほとんど食べられないから仕方があるまい。

夜、ゴビンダと話していると、彼の月給はわずか800ルピー(約2500円)だそうだ。このうち300ルピーは親へ、200ルピーは貯金、残り300ルピーが月々の小遣い。ちょっと辛いね。いくらこの国でも1日10ルピーでは、コーラを飲んだりするのがやっとだ。我々日本人が、いくら忙しく、狭い家に住んでいても、彼らが日本を羨ましがり、「ネパールは少しも良くない」と言う本音も、解かる気がする。日本の実情を彼らが知らなくても、こうして目の前にいる我々は海外へ、しかも俺は長期にわたって来ているのだ。彼らには日本がきっと「黄金の国」のように思えるのだろう。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

4月14日(火)

 8時半起床。昨夜は酒を飲まなかったせいか、体の休めすぎか、明け方4時ごろまで眠れなかった。今朝は、バナナとオレンジ、紅茶、グルコビタD(ビタミン補給食品)を摂る。

10時にアメックスオフィスにて、失った$20・T/Cの再発行。わずか2日、ポリスレポート(警察の盗難証明書)もなしで。こんなことなら初めからアメックスだけにしておけばよかった。

11時ごろ、ザ・マンダラ・レストランでケーキとコーヒー。ゲストハウスへ戻りシャワーに洗濯。そしてアンジュさんにマッサージを施してもらう。明日以降のアンナプルナ周遊・トレッキングに備えてのことだが、日本から多少疲れてきている体は、なかなか回復しない。

夕食は、レストラン・ブルーベルにて、ビーフ・ストロガノフとトマトチーズ&オニオンサラダにミントティー。サラダにはサラダクリームがかかっている。とても美味しい。けど、ヤク・レストランと比べると高いナァ。

帰り道、明朝用のドーナツ、キャンディーを買う。タバコはなるべく控えよう。シャンプーが小さな容器に入って50ルピー。何と高い!

ゲストハウスへ戻り、トレッキング中に預けておく荷物をまとめる。先日買った Lowe の70リットルのザックにいっぱいだ。日本へエアカーゴで送る荷物はこれ以上に増えるから、ど
うなることやら。
この9日間の支払いは、日本への長距離電話(3分450ルピー)も含めて、1650ルピーにもなってしまった。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年4月10日 (水)

う~ん、なんだかなぁ...(再掲)

4月11日(土)

 8時30分起床。9時、パブラムが呼びに来る。オーナーが話をしたいと。昨日の件だ。同室のフランス人はT/Cの使い方を知っているのに盗む理由はないし、ハウスキーパーは使い方を知らない。結局、警察は呼ばないようで、これでは再発行できないかも・・・。

どこか釈然としない。盗難事件が起こった以上、オーナーは彼らをこっそり呼んで聞いたのだろう。元をただせば、俺のミス。俺は彼らに「不愉快な想い」をさせたことに、自分自身腹を立てていた。同じ「不愉快な想い」をさせるのなら、いっそ警察を呼んで白黒はっきりさせてほしかった。そうすれば、潔白にも関わらず疑われた人たちに対して、少しでも「申し訳」が立つ。なんだか、何もかもやる気がしなくなった。

本屋へ行って、日本の文庫本(古本)「日本の昔話(松谷みよ子著;講談社文庫)」を見つけ、買って読む。こんな気分のときには、幼いころによく読んだ昔話が心を落ち着かせてくれる。

昼食は、オーメイ・レストランで麻婆豆腐とライス、ジャスミンティーでおよそ100ルピー。高いだけあってウマイ!

午後も本を読み続け、夕食はケーキとバナナラッシーのみにする。あまりお腹が減っていなかったから。

日本を出て、もう50日余り経ち、旅の半分は過ぎただろう。みんなは元気でいるのだろうか?

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

4月12日(日)

 午前9時起床。よく寝たような寝てないような。それにしても暑い朝。体がダルイ。10時半ごろ、アメリカン・エキスプレスへ紛失したT/Cの再発行手続きに行く。意外にも、ポリスレポートもないのに明後日には再発行されるとのこと。こんなことなら、T/Cすべてアメックスにしておけばよかった・・・。
*当時、東京銀行とネパール銀行は送金の手続きはできましたが、T/Cの再発行はできませんでした。
しかし、この結果14日に予定していたトレッキングのスタートが1日遅れることになった。まぁ、まだバスの予約まではしていなかったからいいか。

昼食は、古都レストランで玉子丼としょうが焼き。しょうが焼きはなかなかイケル。ダラダラとゲストハウスへ戻り、風邪薬を飲んで一休み。そしてシャワー。2日に1回は浴びている。何しろ暑くて汗をかく。

夕食は、ヤク・レストランにてチョウミンとトマトサラダ。この間食べたサラダが美味しかったから。それにしても、帰国後のことを考えると頭がイタイ。ウ~ン、久しぶりに北海道へでも行ってみようか・・・?
風邪気味なので、8時過ぎには体を休める。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年4月 9日 (火)

ケアレスミスで・・・(再掲)

4月10日(金)

 8時30分起床。朝食はヤク・レストランにてコーンフレークとコーヒーにする。そしてロイヤルネパール航空のオフィスへ行き帰国便の予約。5月17日(日)午前9時発で予約完了。しかし、残り1日しかビザに余裕がない。ストさえなければ大丈夫なのだが・・・。

ゲストハウスへ帰る前にエアカーゴ(航空貨物)の料金確認。およそ4000ルピーほどかかりそうだ。チペッタン・クラフトコレクションへ行き、先日買った財布のファスナーが壊れていたので、新品と交換して頂いた。

昼食は、タイ料理店にてトムヤムクン。バンコクでさえ1~2度しか食べていないのに、なぜかここで食べたくなった。どうせ帰りに何日かはタイに滞在するつもりだし、少しでもこの味に慣れておきたかった。少し辛いかな。エビとマッシュルーム、ごぼうが入っていて、エビがなかなかウマイ。

ゲストハウスへ戻り、午後2時ごろシャワーを浴び部屋へ戻る。ドアが開かない。あれ?同室のフランス人は外出したのか。フロントでキーをもらい部屋の中へ。シャワーを浴びている間に部屋の掃除もハウスキーパーがしたようだ。ウエストバッグを開けると、うん?財布の位置がおかしい。あれ?100ルピー足りないような・・・?ザックの中に入れておいた貴重品を調べると、東京銀行のT/C・$20が4枚、アメックスのT/C・$20が1枚、計$100のT/Cと現金100ルピーなくなっている。w(゜O ゜)w
どういうことだ・・・?サインのしていないT/Cを・・・。まして同じ$100なら、なぜアメックスのT/Cだけにしないのか?犯人は?はっきり言って信じられない。俺の不注意といえば、それまでだが・・・。

ゲストハウスでは、他の宿泊客に不快な思いをさせたくないからか、黙っていてくれと言う。どうも警察には知らせたくないようだ。しかし、再発行の利くT/Cだ。こちらも困る。自宅へ電話し、今回のことは伏せて、あと$300来月送金してもらうことにする。
他人を疑いたくはないし、犯人捜しは警察の仕事。ゲストハウスが警察に知らせたくないというのなら、どうすることもできない。
でもこれは、やはり自分のケアレスミスで起こったこと。明日からは貴重品は常に腰に巻き、シャワーの際も手放さないようにしよう。

夕食はステーキを食べに行った。やや風邪気味なのが気にかかる。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年4月 6日 (土)

虹色のチューリップ花壇 at 木曽三川公園

 皆様、おはこんにちばんは (*゚▽゚)ノ!

各地から桜の満開情報が届く中、この週末は大荒れの天気、との予報でしたが、思ったほどではなく一安心。でも夜中に大荒れとか・・・?
桜の花も一気に散ってしまうのでしょうか・・・?

 我が家から車で30分ほどのところにある『国営・木曽三川公園』。毎年春、恒例の『チューリップフェア』が開催されます。
今年は今日がフェアの初日・・・ですが、あいにくの天気・・・。
フェア期間中は、公園へ通じる道は大渋滞するので、ちょっとフライングして先日木曜日に行って来ました。
あまりに素晴らしい天気だったこの日、考えることは皆同じなのか、フェアが始まる前だというのに道は渋滞、駐車場も満車・・・(-_-)ウーン...

しかし、その甲斐あってか園内は素晴らしいチューリップ畑が広がっていました。
その様子、どうぞご覧ください。

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タワーがある『南広場』の花壇。

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南広場から北広場へ行くと・・・、目に飛び込んできたのが、この風景 w(^o^)w!

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色彩り彩りのチューリップ!

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ブルーの花は、ムスカリです。『木曽三川』の名の通り、ムスカリのブルーはここでは「川」を表現しています。

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た・・たまらん..キレイ ;:゙;`(゚∀゚)`;:゙!

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もう・・・言葉が・・ありません...(≧∇≦)!

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桜も咲いていましたヨォ o(*^▽^*)o!

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こちらは、ミッフィーが描かれた花壇です。

フェアが開催される前、フライングで出掛けましたが、子供達は春休みとあって大勢の人で賑わっていました。
まさに『春爛漫』。
カラフルに彩られたチューリップの大花壇にすっかり魅了されました。

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2013年4月 4日 (木)

イングリッドとも再会!(再掲)

4月9日(木)

 午前8時20分起床。9時ごろ、アヌが来宿。ダージリンの旅の写真とネガの一部(アヌとゴビンダだけで撮ってあげたもの)を分けてあげた。ネガは半分以下になり、バラバラに。ネガの整理が大変だなぁ。トレッキング後に撮った写真も、自分が写っていないものは焼き増しせずにいたら、48枚も減っていた。それだけたくさん皆の写真を撮ってあげてたわけだ。

その後、イミグレーション・オフィスへ行き一番で並ぶ。パーミット(許可証)が24日で1704ルピー(滞在2カ月目のため)+200ルピー(アンナプルナ入域料)、ビザ延長14日で10ドルはイタイ!受け取りは夕方だ。

申請後、街をぶらつく。ネパール・フラッグ40ルピー、絞り模様のハデなズボンを150ルピーで買う。欲求不満がやたら散財につながっている。これじゃ1日5ドルなんて無理。写真代などを含めると1日20ドル以上は使っていないかなぁ。やはりガイド代が高かった。あれで300ドルぐらいは出費しているはず。これだけ余分にあれば・・・。60ドル分のスリもイタイ!他人のために400ドル(約52000円)以上は使ったことになるのか・・・。ウ~ン、反省点だな。

1時ごろ、街で突然「Jin(=dsching、ジン)」と声掛けられる。イングリッドだ。彼女はカラ・パタールまでエルマー・アンジュラと共にずっと同行した後、さらにゴーキョ・ピークへ行き、再びジリの村まで歩いたという。かなわないナ!のべ38日だもん。スゴイワ!後ほど会う約束をして、ゲストハウスへ戻りシャワーを浴びる。

ロードハウスカフェという喫茶店でイングリッドと待ち合わせ、ティータイム。「シェルパシチュー・ファミリー」、「ムスタンコーヒー・ブラザース」などと、思い出に笑い転げながら、楽しいひと時を過ごした。トレッキング中に撮った写真をプレゼントしたら、コーヒー代はご馳走してくれた。エルマーとアンジュラは今頃ドイツへ帰って過ごしているんだろうね。英語力の乏しい俺でも、少しは会話ができるんだ。

そしてカフェを出て、一緒にイミグレーションへ行く。パーミットを受け取り、イングリッドとはそこで別れた。

ゲストハウスへ戻り、黙って出てきた俺の日本の仲間たちへ、初めて手紙を書く。裏切り者の俺、でも結局、冷徹にも卑屈にもなれない。「どうしようもないな」と思いつつ、所在を知らせることにした。

夕食はヤク・レストランにて、ポーク・フライドライス(豚肉入りチャーハン)とエッグサラダ。サラダがとてもフレッシュでドレッシングがいい。明日は、ロイヤルネパール航空へ帰国便の予約でもしておこうか。アンナプルナ周遊へ出かけた後では、ビザの日数が限られているから(ネパールの滞在ビザは年間3ヵ月まで)、トレッキング前にしておかねば。

新情報として、3月よりムスタン王国(ネパール国内でありながら、特別に半独立自治が認められている;カグベニ以北、ローマンタン方面。ツーリストは入域禁止)が、入域可能になったらしい。多くの個人旅行者が、この情報に色めきたった。が、まだ旅行者の受け入れ態勢が整っておらず、ロッジもなければ食事を提供できるところもないという。そのため、行くのであればテントや食料すべて持参しなければならない。許可証も高く、カトマンドゥよりガイドと数人のポーターを雇って1週間で500ドル(ガイドらの雇用料は別)。これにさらに交通費・食費・テント、調理に必要なもののレンタル料などの実費が加わる。この国の物価を考えたら・・・、他のツーリストたちも言っていたが、グループならともかく、個人レベルの旅行者では、ちょっと行けそうにないなぁ。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年4月 3日 (水)

フランス人とルームシェア(再掲)

4月8日(水)

 8時30分ごろ起床。朝食後、ゲストハウスのオーナーに「今日だけフランス人の男性と一緒にツインに入ってくれないか?」と頼まれる。理由はこうだ。1組のカップルと1人の男が宿泊に来たのだが、今空いている部屋はツイン1室のみ。1人旅のフランス人は、前にもここで泊まっていて、また戻ってくる約束で余分な荷物を預けておいてトレッキングに出かけ、今日帰ってきたそうだ。だから彼を泊めないわけにはいかないのだ。そこで、俺のシングル(とはいえ、ベッドの広さはダブル並み)にカップルを入れ、俺と1人旅のフランス人男性がツインで相部屋することによって「すべてが丸く収まる」というわけだ。
他にもシングル利用者はいるのだが、オーナーは「あなたにしか頼めない」と言うので、ここは長くお世話になっていることもあるし、数日後にはトレッキングに出かけるつもりなので、OKした。

アンナプルナ周遊のトレッキング・パーミット申請のため、イミグレーション・オフィスへ行くが、相変わらずの混みよう。おまけに暑い。体調がまだ万全ではないのか、並んで待っている途中、ややめまいを感じた。この日の申請はあきらめ、並ぶのをやめた。

スーパーで日用品の買い出しをし、12時ごろ、日本料理店「古都」にて昼食。カツ丼は、味がご飯までしみずに今一つ。しかし、久しぶりの味噌汁はうまかった。

イミグレーション内の銀行で100ドル両替し、午後はブラブラする。現像依頼しておいた写真を受け取り、レストランでミックスフルーツラッシーを飲む。ゲストハウスへ戻ると、アヌも来ていて写真を見せてあげる。

夕方、Tシャツを3枚、長袖Tシャツ1枚買う。夕食は、ビーフ・ストロガノフを食べてみる。なかなかいける味だ。ライスにかけながらも美味しい。50ルピーならゲストハウスのダルバートよりいいのではないか?
6時半ごろ、ゲストハウスへ戻る途中、まだこの時間なのにほとんどの店が閉店。「これは当分危ないか?」と思いながらゲストハウスへ到着すると、パブラムが「明日も早朝よりストライキが行われる」と言う。彼と予定している(時間と俺の体調次第だが)タンセン(ネパール中西部に位置する街で、彼の生まれ故郷)行きが1日遅れそうだ。

夜、エヴェレスト・トレッキングの写真を整理していると、相部屋となったフランス人が帰って来た。彼に「もし良ければ、見ますか?」と、彼に写真を見せながら、トレッキングの話をした。彼は俺と同い年で、2人の子供がいるらしい。今回は、パリで開いている自分の店(アジアの民芸品などを扱っているそうだ)の商品の買い付けの傍ら、アンナプルナ周遊のトレッキングにも出かけ、今朝帰って来たところだそうだ。ちょうどアンナプルナ周遊を計画している俺にとって、渡りに船!彼からアンナプルナ周遊についての最新情報を得ることができる。
彼の話によると、トロンパス(トロン峠;標高5416m、アンナプルナ周遊トレッキング最大の難所)付近は、それほど寒くなく、雪は多少ある程度のようだ。トロンフェディ(標高約4700m)にて、高山病で10人ほどが下の村へと下山したという。ほとんどの村のロッジにホットシャワーがあり、電気は所々ないそうだ。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この日会ったフランス人の男性、名前も住所も聞くことなく「一期一会」の出会いだと思っていましたが、彼と夜交わした会話、ほんの少しの時間の記憶が、この2年後に奇跡を呼びます。

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年4月 2日 (火)

ヘトヘト状態でカトマンドゥへ(再掲)

4月6日(月)
(夜行バス)カトマンドゥ

 結局一睡もできぬまま朝となり、胃と腸が強烈に痛む。耐えること数時間、「もう少しでカトマンドゥだ」と思ったら、突然ストライキ。カトマンドゥへ入るすべてのバスがカトマンドゥ市内直前でストップ。バスだけでなくタクシーもリクシャもすべてスト。乗客は皆ここで下ろされ、歩いて行くしかない。この体調ではとても辛いのだが、歩くしか術はない。歩を進める一歩一歩がお腹に響く。本当に苦しい。

途中、アヌの知り合い宅があり、しばらく休ませていただく。まだ下痢をしていて、今回の旅(日本出国以来)3度目の抗生物質を飲む。少しは楽になり、さらに1時間ほど歩く。気がつくと、ダルバール(旧王宮)広場だ。このままマナスル・ゲストハウスへと戻りたかったが、ゴビンダが「家へ来てください」と、どうしてもきかない。彼らの世話好きや人懐こさは、とてもありがたいのだが、時としてこのように有難迷惑になることもある。

ゴビンダの家にて6~7時間体を休め、ゲストハウスへ。しかしすでに今日は満室。もう午後4時である。スタッフが何とか策を練り、この夜はアンジュさんのマッサージルームを借りて眠ることとなった。

それにしても、この日のストライキは一体何が原因だったのだ?パタン市内で18人、ニューロードで7人が殺されたという。学生や労働者たちのデモなのだろうか?ダージリンへ行くときも、バスパーク付近で学生たちとそれを鎮圧しようとする警察との闘争を目の当たりにしたし。そのようなデモによりストライキが起こったとしか考えられない。街中の店はほとんど閉めていた。1日だけのことならいいのだが・・・。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

4月7日(火)

 午前8時20分起床。まだ部屋は空かない。昨日はまともに食事をとっていない。ゴビンダの家で少しのドーナツとビスケット、夕食はベジタブルスープを飲んだだけ。もう少しちゃんと食べなければ。
朝食は近くのレストランでトースト、目玉焼き、ハッシュドポテトに紅茶。少しは食欲が出てきた。

その後部屋が空き、アンジュさんにマッサージをしていただく。1時間、全身を入念にしていただいて400ルピー(およそ1200円)。荷物を整理し、少し買い出しに行く。戻って来てシャワーを浴び、外を見ると、ゲストハウスの前の通りをデモ隊が練り歩いている。彼らが掲げているプラカードやビラには、「Tibet is Tibet. Not China !」とある。どうやらチベット独立に関するデモのようだ。カトマンドゥの街のいたるところにこのビラが貼ってあることは、俺自身も知っている。部屋のバルコニーからカメラを向けると、手を振って応えてくれる。なんかとても平和的なデモだなぁ。

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たくさんの市民が「チベット独立」を願って、デモ行進(?)していました。(1992年当時)

このあと再び外出し、200ドル、ブラック(闇ドル)で両替($1=47.5ルピー)した後、ズボンを1本購入。明日はTシャツでも買うか。
夕食はマナスル・ゲストハウスでフライドライス(チャーハン)とオムレツ。ケチャップはかけてなかった。彼らが言うには、「おなかの調子が悪い時はケチャップは良くない」らしい。どうやら皆が俺の体調を気遣ってくれているようだ。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年4月 1日 (月)

咲いた咲いた・・・

 皆様、おはこんにちばんは (◎´∀`)ノ

我が家のベランダ、半ば放ったらかしで、どこからやってきたのか雑草の類ばかりです。
そんな無粋なベランダでしたが、少しは春を感じるお花が咲き始めました。

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チューリップ
実はこのチューリップ、昨年、とある公園の施設でもう終わりかけで処分されるところを「捨てるのなら頂いても良いですか?」と球根ごと貰って来たものなのです。
処分されずに良かったネ!こんなにキレイに咲いて

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ムスカリ!
このムスカリも実は・・・、近所の公園で「あまりにたくさん咲き過ぎているから・・・」とボランティアの方がいくらか処分しようとしていたのを、「それでしたら貰って行きます」とこれもまた球根ごと頂いてきました。

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八重咲きのカランコエ。
今年で3年目かナァ?!買った記憶もなければ貰った記憶もない花。
母曰く「スズメがどこかから持って来た」花だそうです。
少しずつ開花しています。

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チューリップとムスカリを並べてみました。
どちらも昨年、捨てられるところを頂いてきたものです。

冬の間、殺風景だった我がベランダ、ほんの少し、春を感じられるようになりました。
咲くか咲かないかは別として頂いてきた”捨てられる運命だった”チューリップとムスカリ。
我が家で咲いてくれました。あまり期待していなかっただけに、本当に「もうけもの」です。
「咲いてくれて、ありがとう (^_^)ニコッ!」と、笑みもこぼれます。
もうしばらく楽しめそうです。

*先日訪れた戸田川緑地公園で、こんな花を見かけました。↓

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「スズラン?」かと思いましたが、もしかしたら『スノーフレーク(スズラン水仙)』でしょうか?
どなたかご存知ですか?

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