紫藤君と再会(再掲)
3月27日(金)
午前9時起床。買い置きのパンとコーヒーで朝食とし、ネパール銀行で、出国前にあらかじめ父に頼んでおいて、送金してもらったお金($1000)を受け取る。これは、初めて海外を旅した時、インドで盗難に遭った時のことを考えての策。「ネパールは大丈夫だろう」と思いつつも、万が一を考えて、トラベラーズ・チェックもそれほど持ってきていなかったのだ。そして、定期的に送金してもらうことにしていた。
*ネパール銀行へは、当時の東京銀行から送金可能でした。
ゲストハウスへ戻って行き、通りからゲストハウス入口へ向かう道で、トレッキングの帰り道に出会った紫藤君とバッタリ!
「あれっ?紫藤君!」
「あっ!ジンさん!」
彼は、カトマンドゥに戻って来たことの報告と、トレッキング中のお礼が言いたくて、わざわざ訪ねてくれたそうだが、フロントで俺の留守を知り、がっかりして出てきたところだった。立ち話もなんだし、彼をゲストハウスの俺の部屋へ通していろいろ話をし、そして昼食へと誘った。
俺は紫藤君を、馴染みの店になった「クリシュナ・モモ・レストラン」へ連れて行くことにした。彼は最初に会った時、あまりこちらの料理を信用していなかったようなので、その考え・先入観のようなものを完全に払拭してもらいたかったからだ。
クリシュナ・モモ・レストランは、通りから見過ごしてしまいそうな細い路地の奥にある、地元の人しか知らないような店だ。これまでにも何度かここで食事をしたが、外国人旅行者は一度も見たことがない。彼は、「こんなところを行くのなら、旅行者はさすがに来ませんよね」と驚いていた。店の主人やカンチャ(”男の子(とくに末っ子)”;ここでは”使用人”とか”丁稚”という意味)とも、すっかり顔なじみの俺は、紫藤君を連れていったことで、店の主人はすごく喜んでくれた。
チョウミン(焼きそば)とモモ(ネパール風餃子;小龍包のようなもの)、わずか20ルピーでとてもウマイ!紫藤君もチョウミンとモモを注文し(顔は「こんなお店で食べて、大丈夫だろうか?」とやや不安げだった)、そして食べ始めると・・・、「日本の焼きそばとほとんど変わらないですヨ!」と言いながら、その美味しさと安さに満足してくれたようだ。
チョウミン。「カトマンズ百景」内田良平著 山と渓谷社 より許可なく勝手に引用させていただきました。
彼は、大学のサークルの友達らへのお土産に、ライスペーパー製のカレンダーや手帳を買いたいと言うので、食後、ゴビンダの紹介で親しくなったペーパークラフトショップへ彼を案内する。店の主人は笑顔で迎えてくれた。紫藤君は、ここでたくさんのお土産を買い込んだ。店の主人は、電卓で合計金額をはじき出し、最後に「×0.8=」を押し、その数字を紫藤君に見せる。彼が、「えっ!いいんですか?」と驚いていると、店の主人は「あなたは彼(=俺)の友達だからね。フレンドプライスでいいよ」とにっこり話していた。紫藤君は2割もまけてくれたことに喜び、「ジンさんのおかげですよ」と嬉しそうに、感謝してくれた。そして紫藤君とは、ここで別れた。
午後、何通かの手紙を書き、夕方、パンやフルーツの買い出し。そして夕食をとり、デザートにチョコレートケーキを食べに行く。そういえば、誕生日にケーキを食べていなかったっけ!
午後8時半ごろ、ラジンがやって来て「うちに来てくれないか?一緒に食事をしよう」と言う。夕食はすでに終えていたのだが、わざわざ訪ねて来てくれたし、むげに断るのも申し訳ない。彼の自宅へと招かれ、この日2度目の夕食。チキン入りのダルバートを頂いた。チキンが付いているなんて、贅沢なことこの上ない。ネパールの人々の「もてなしの心」が伝わってくる。もちろんすべてきれいに平らげた。とても美味しいダルバートだった。
そしてラジンに「次にエヴェレスト街道へ行く機会があれば、この写真(ニマ・ヤンジー・シェルパと一緒に撮った写真)をカリ・コーラのホテル・ファイブスターへ届けてほしい」と託した。
カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて
*この旅日記は1992年のものです。
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