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2013年3月

2013年3月30日 (土)

2013 戸田川緑地の春 その2

 皆様、おはこんにちばんは o(*^▽^*)o

今日の名古屋、春らしく気持ちの良い穏やかな1日になりました。
そしていよいよソメイヨシノも満開!絶好のお花見日和です。
このポカポカ陽気に誘われ、先週に続き地元の緑地公園へと出掛けてきました。
認知症の母も連れだし、近所のスーパーでお弁当とお茶を買い、お花見です。

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花の丘と桜。キレイです。

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先週、まだ1~2分咲きだったソメイヨシノ。1週間で満開に!

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川沿いのプロムナードからの景色も、ご覧の通り。たくさんの人々が桜の木の下でお花見しています。

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色が違う桜の共演も良いですね。横浜緋桜とソメイヨシノ。

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桜と雪柳。

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エダヒガン・神代曙。珍しい桜です。アップで見ると↓

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名前の通り、どこか高貴な感じがします。

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陽なたの小径。こちらは人も少なく静かでした。

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園内の『こどもランド』は大勢のチビッ子でいっぱい。まだ桜の良さは分からないかな?

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サイクルモノレールで上から眺めるも良し、ゴーカートで下から眺めるも良し。
でも桜より遊びに夢中!

風もほとんどなく、キレイな青空が広がる、本当に素晴らしい1日でした。 
また、地元の高校の吹奏楽部の生演奏も聞くことができ、老若男女皆楽しんでいました。
やはり桜は、好いですネェ!

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2013年3月28日 (木)

ネパール再入国(再掲)

4月5日(日)
ミリク7:00(バス)9:50シリグリ12:00(オートリクシャ;三輪タクシー)13:00ラニガンジ(サイクルリクシャで国境越え)カカルビッタ15:20(夜行バス)

 午前6時起床。ひどく胃腸が痛み下痢をしている。3回ほどトイレへ駆け込む。ミリク~シリグリは3時間半ぐらいという。朝食もとらずに7時発のバスに乗る。腹は時々痛みもするが、何とか持ちこたえられそう。痛みに耐え抜き、9時50分にはシリグリに到着。ダージリンやミリクに比べ、とても暑い。ウールのシャツが邪魔なほど。
シリグリは鉄道の駅もあり、ゴビンダとアヌは貨物列車の前で写真を撮っている。ネパールでは列車はお目にかかれない(鉄道はまだ通っていない)からなぁ。2人はさらにマーケットへ買い物に、調子の悪い俺は荷物の留守番。

昼ごろ、オートリクシャ(三輪自動車のタクシー;懐かしい日本のダイハツ・ミゼットが使われています)でラニガンジへ。1時間ほどで到着。そしてインドから再びネパールへ。国境越えは、サイクルリクシャで行く。ゴビンダとアヌは、この国境をビザなどの手続きなしで行き来できるのだが、俺はそうはいかない。しかし、リクシャ引きのおっちゃん、俺のことを彼ら同様ネパール人と思っていたようで、イミグレーション(出入国管理事務所)を素通りしようとした。あわてて声をかけ、リクシャを止めさせ、イミグレーションへ。リクシャ引きのおっちゃん、ずいぶん驚いた顔で「日本人だったのか?」と言っていた。「オイオイ!どう見ても日本人の顔だろ」と言いたかった。何はともあれ無事、出国手続きを終え、再びサイクルリクシャに乗り国境を越える。
ネパール再入国で、20ドルで1ヵ月のビザを取得。これはネパール国内でビザの延長をするより、はるかに安い。バンクレシート(両替証明書)も必要ない。その分、こうしてダージリンへの旅を楽しめたわけだ。

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サイクルリクシャに乗って国境を越えます。撮影場所は・・・、どちらの国だろう・・・?

カカルビッタに到着し、昼食を軽めにとり、15時20分発のナイトバスでカトマンドゥへと向かう。座席は運転席のすぐ横で、西陽が暑く、エンジン音もうるさい。当然リクライニングするわけもない。揺れもひどく、途中のラハンという村で食事休憩となったが、胃腸の具合が悪く、パンとジュースのみにする。

カカルビッタ~カトマンドゥ(夜行バス)内にて

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年3月27日 (水)

ミリクにて(再掲)

4月4日(土)
ダージリン8:30(バス)12:00ミリク

 午前6時起床。昨朝同様ショール売りがやってくる。買おうかどうかさんざん迷ったが、紫色のそれほど派手でもないショールを1枚310インドルピー(1400円ほど)で買う。モーニングティーを頂き、朝食を終え、8時半ごろのバスに乗り、ミリクへ向かう。
山道を下り平野部へ。ちょうど昼ごろ、ミリクに到着。ここは湖がある保養地だ。

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ミリク湖です。午後はここで遊びます。(写真は絵葉書です)

昼食の後、ミリク湖にて3人でボートに乗ったり、乗馬を楽しんだり、湖の周りの遊歩道を散歩したり。アヌは乗馬はお手の物のようで、1人で完璧に乗りこなしていた。天気は今一つさえないが、決して寒くはない。しかし、これで晴れていれば言うことのない”バカンス”なのだが・・・。

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まず、ボートに乗ってみました。でも、まさかインド・ネパールの旅の途中で、ボート遊びをしようとは・・・!想像さえしませんでした。

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漕ぎ手は交替で代わりました。とはいえ私が一番短かったと思います。後方の橋は、上(1枚目の写真)の絵葉書にも写っている橋です。

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ボートの次は、乗馬にチャレンジ!左側の青い屋根の建物と、右後方の建物、絵葉書にも写っていますヨ (^_^)!解かりますかぁ?

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私の場合は、乗馬というより「引き馬」です。「白馬に乗った王子」気取り(?)です(笑)!← もちろんジョークですヨー (^_^; ;!王子だなんて、めっそうもない・・・!
シャツの色・デザインが引き手の男のシャツと「かぶってる w(゚o゚)w (;´д`)トホホ… 」。

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1人で完璧に乗りこなすアヌ。決まってますねー!これが「乗馬」ですよねー (^_^;; 。
絵葉書に写っている橋を右の方へ渡ると、遊歩道があります。そこで各々、楽しみました (^_^)!

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遊歩道を散歩しました。

その後、ロッジにて俺だけ休憩する。どうもカカルビッタまでの長距離夜行バス以来、体の調子が悪い。夜7時ごろ、夕食へ出かける。あまり食欲がなくチョウミン(焼きそば)だけにする。どうやら、トレッキングや長距離移動の疲れがとれていないようだ。薬局でビタミン剤(20錠12インドルピー)を買った。そして8時半には就寝とする。

ミリク、ロッジング・イムニーズにて

*この旅日記は1992年のものです。   

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2013年3月24日 (日)

2013 戸田川緑地の春 その1

 皆様、おはこんにちばんは (◎´∀`)ノ

3月も下旬になり、”春一番”も吹き、いよいよ春本番!
関東地方ではすでに『桜便り』が聞かれるようですね。この地方では桜(ソメイヨシノ)の開花は、もう少し先のようです。が、早咲きの”河津桜”はちょうど満開でした。

 今、週3回(月・水・金)デーサービスに通っている母。春になり、しばしば外を散歩したりすることもあるようで、昨日昼から母を連れ出し、車で10分ほどの緑地公園へ花を見に散歩してきました。
期待するのはもちろん”桜”です。

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中央地区のスポーツ広場前。満開の河津桜がお出迎え。

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可愛らしい桜が、ひしめきあって咲いています。

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散歩道沿いもこの通り。

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雪柳の散歩道もあります。

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こちらは河津桜ではなく、里桜。紅笠という品種だそうです。

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コヒガンザクラも満開近し。

中央地区から南地区へと移動しましょう。
こちらは『こどもランド』もあり、小さな子供を連れたお父さん・お母さんでいっぱい。とても賑やかでした。

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ソメイヨシノはまだ1~2分咲き、といったところでしょうか!満開まではもうしばらくかかりそうです。

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花の丘には色彩りどりのパンジーやビオラが、来園者の心をウキウキさせます。

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やはり南地区も河津桜が満開でした。

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寒桜も満開のものがありました。

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辛夷の花も河津桜に負けじと、満開!

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フラワーセンター横に、ひっそり咲いていた梅。1本の木に白とピンクの色違いの花が咲いていました。

河津桜を中心に紹介しましたが、園内には他に水仙、クリスマスローズ、チューリップ、ポピー、ストック、沈丁花など色んな花が咲いていました。
フラワーセンター(温室)にもランの花などを楽しむことができます。

たくさんのお花に出会えると、心が安らぎますネ (^_^)!
次は、ソメイヨシノが満開のころ、お弁当持って訪れようかな?!
見に行くことが出来たら、『2013戸田川緑地の春 その2』として、紹介します。

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2013年3月21日 (木)

ダージリンでの一日・・・?(再掲)

4月3日(金)
ダージリン1日滞在

 午前6時起床。昨夜ナイトバスだったせいか、ぐっすり眠れた。ベッドティーというモーニング・ティーサービスがある。これはウレシイ!もちろん本物のダージリンティーである。香りも味も最高に美味しい紅茶だ!

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こんな雰囲気で飲めたのなら・・・サイコー!でしたが (>_<)!(この写真は、シンガポール航空機内で配られる絵葉書です)

そして少し洗濯をして朝食。ミルクティーやトーストなどのコンチネンタル風の食事だ。天気は曇り気味で肌寒い。
9時45分ごろ、貸し切りジープで観光に。

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このジープに乗って、ダージリンの観光名所をまわります。

初めは「ヒマラヤン・マウンテニアリング・インスティテュート」。インスティテュートというからには、「学校」かと思ったが、ヒマラヤ登山に関する博物館のようなところだ。故・植村直巳さんや田部井淳子さん(女性としては世界初のエヴェレスト登頂者)など、エヴェレスト登頂に成功した世界中の登山家の写真が飾られている。俺は尊敬する植村直巳さんのパネルと共に、写真を撮ってもらった。

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日本人として初のエヴェレスト登頂者、故・植村直巳氏のパネル写真がありました。

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ヒマラヤン・マウンテニアリング・インスティテュート前にて。アヌ、ゴビンダと。

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建物の壁には、このような岩があり、疑似体験(?)もできます。

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エヴェレスト頂上に立ったヒラリー(世界初のエヴェレスト登頂者)像の前で。

そしてテンジンロックや紅茶畑、ゴルカスタジアムをまわる。インド国内とはいえ、さすがに元ネパール領土のダージリン。人々は、むしろネパール人らしき人の方が多いほどだ。

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テンジンロックにて。この後、さらに上を目指し、ロープを使い時には三点当地しながら登りました。

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紅茶畑にて。ここで収穫される紅茶が世界中で愛飲されているのですネ!

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これは・・・、絵葉書です。「ドッコ」と呼ばれる背負子に摘んだ茶葉を入れます。日本の「茶摘み」風景ととても似ています。

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これも絵葉書です。天気が良ければダージリンの街の背景には、ヒマラヤが聳えています。

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ゴルカスタジアムにて。とても広い競技場でした。でも・・・、どんな競技をしているのだろう・・・?

お昼過ぎにロッジに戻り、昼食にダルバートを食べた後、昨夜の疲れかあまりに眠くて・・・。ゴビンダとアヌはさらにダージリン観光を続けたが俺は「休憩して眠りたい」と言って、気がつけば夕方6時ごろまで眠ってしまった。ゴビンダとアヌの2人はダージリンの街を散歩したり買い物をしていたようだが・・・。

7時ごろ夕食となり、結局半日遊んだだけか。ダージリンティーを買い損ねたナァ・・・。

ダージリン、ホテル・カダムバリにて

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ダージリンで買った絵葉書です。ローツェ、エヴェレスト、マカルーの8000m超級の山が聳えています。

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これも絵葉書です。カンチェンジュンガが見えます。こんな光景、期待していたのですが・・・(>_<)

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こんなロープウェイもありました。なんとなく・・・心もとない・・・

*この旅日記は1992年のものです。   

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2013年3月20日 (水)

ダージリンへ(再掲)

4月2日(木)
(夜行バス)11:10カカルビッタ(サイクルリクシャで国境越え)ラニガンジ(タクシー)シリグリ13:50(バス)17:50ダージリン

 ほとんど眠っていない。長いバスの旅は、トイレもままならず、ひどく腹が痛む。バス自体も古いし、道も悪く、揺れが激しいためだ。11時10分ごろ、18時間近くかかって、やっとカカルビッタに到着。食事をし銀行で100ドル両替、そしてサイクルリクシャ(人力車の自転車版)で国境を超える。入国手続きを済ませ、タクシーでダージリンへの玄関口、シリグリの街へ向かう。

シリグリからは再びバス。13:50発。山肌をクネクネと蛇行しながら、バスはゆっくり走って行く。道路と並行して、ダージリンへの山岳鉄道(ダージリン・ヒマラヤ鉄道)が走っている。

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ダージリン・ヒマラヤ鉄道(絵葉書)です。今ではユネスコ世界遺産に登録され、注目を浴びています。う~ん、乗ってみたかったなー!

およそ90年前(1900年ごろ)、日本人として初めてネパール、そして当時は禁断の国と云われたチベットへ極秘裏に入国した河口慧海(かわぐちえかい)氏は、チベット人が多く住むダージリンで、チベット語を習得するため、ダージリンまでこの鉄道を利用したそうだ。
*「チベット旅行記(一~五)」 (河口慧海著 講談社学術文庫)の一巻に詳しく書かれています。
しかし、この汽車ではダージリンまで8時間ほどかかるそうで、バスで行く方がうんと速いらしい。もっとも、この時間ではシリグリからダージリンまで行く汽車はもうなかった。

バスは約4時間かかってダージリン到着。標高2000mを超えるだけあって、寒い。ロッジは「ホテル・カダムバリ」。夕・朝食込みで1泊80インドルピー(およそ3~400円。1インドルピー=1.45ネパールルピー)なら良心的だ。もちろん料金の交渉はゴビンダたちがしてくれたのだが・・・。俺一人だけだったら、当然ツーリストプライスで、もっとふっかけられていただろう。
ダージリンはインドであるから、ゴビンダたちも外国人に変わりはないのだが、インド~ネパール間は互いのビザなしで行き来することができるし、ましてや、かつてダージリンは、イギリスのインド植民地化以前はネパールの国だったそうなので、今も多くのネパール人たちがここに住んでいる。

夕食はダルバート。その後3人で明日の打ち合わせをして、疲れた体を休めた。

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ダージリン、ホテル・カダムバリにて。ダルバートを頂きます。

ダージリン、ホテル・カダムバリにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年3月19日 (火)

3人旅は・・・トラブルから始まった(再掲)

4月1日(水)
カトマンドゥ17:30(夜行バス)翌11:10カカルビッタ

 午前8時半起床。銀行で60ドル分インドルピーに両替し、11時半ごろ、ゴビンダ宅へ。のんびりくつろぎ、昼食をご馳走になった後、タクシーでアヌ宅へ。アヌの自宅は王宮付近の閑静な住宅街にあり、ネパールにしては、立派すぎる家にビックリ!家の中へ通されると、応接間には大きな水槽があり熱帯魚が泳いでいる。テレビにビデオ、来客用のソファー・・・、ペットとして飼っている犬だって・・・、お金持ちの家なんだ w(゚o゚)w 。

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アヌ君の自宅で。このような洋犬(スピッツ?)を飼っている家庭は、この国では稀です。横にある水槽を見ただけでも、ここがネパールの人の家とは思えないほど・・・。この国ではかなりの富裕層階級であることは間違いなさそうです。

そしてバスパーク(バスターミナル)へ。3時半を過ぎてもバスはやってこない。予定では4時発なのだが・・・。バスがバスパークの中へ入れないようで、ラトナパーク(公園)沿いの道路へ。その途端である。たくさんの人が、何か騒いで走りまわっている。何事かと思えば、学生のデモ隊とそれを鎮圧しようとする警察隊との衝突だ。俺たちもあわててラトナパーク内へと逃げ走った。棍棒を持った警察隊に対し、石を投げて応戦する学生たち。目の前で突如起こった騒乱に驚いたものの、やがて鎮まった。
再びバスを待つと、警察対学生の第2ラウンド(?)が始まった。またラトナパークへ避難する。これではバスがいつ来るのか分からない。騒動もひと段落し、チャイを飲みながらバスを待つ。

5時半ごろ、やっとバスが到着。同じバスに乗る1人の日本人がいた。大勢の乗客にもまれながらも、荷物をバスの屋根上の荷台に乗せ、バスの中へ乗り込む。ホッとした途端、気がつくとウエストバッグが開いている。中を確認すると、財布が・・・、「しまった!すられた!」。バスに乗る前に声をかけてきてまとわりついていた子供がいたが、その子に違いない。ゴビンダらとバスを降りて捜したが、バスの出発時間が迫っている。とうとう、その子供を見つけることはできなかった。もう、後の祭りだ。内ポケットに現金はまだ残っているし、カカルビッタへ着いたらT/C(トラベラーズチェック)を両替すればいいさ。
出発前から、この2つのトラブル・・・、なんか先が思いやられそうだ。

バスは闇夜の中を、ネパール東部の国境の街・カカルビッタへと向かう。バスの中では、ゴビンダが持ってきた自家製のチャン(ネパール風ビール)を飲む。ゴビンダ、アヌ、そして一緒に乗った一人旅の日本人の兄ちゃんと4人で回し飲みすると、その兄ちゃん「チャンですか?!」と喜んで、お礼に持っていたククリラム(ネパール製のラム酒)を俺たちに勧め、これも皆で回し飲み。
途中で食事休憩があるが、あまりお腹は減っていない。バスの乗り心地は決して良くない。何しろ揺れがひどい。シートのクッションはないようなもので、デコボコの道を縦に揺れるたび、胃腸の具合が悪くなりそう。ほんのわずかでもウトウトしたかどうかで、朝を迎える。

カトマンドゥ~カカルビッタ(夜行バス)にて

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年3月17日 (日)

世界の絵葉書 その41 ピラミッドだ!

 皆様、おはこんにちばんは (*゚▽゚)ノ

例年以上に寒い冬も終わり、この地方はいよいよ春がやって来ました。
日本海側や東北、北海道はもうしばらく先でしょうか?!

今回紹介する絵葉書、エジプトからです。
まずはご覧ください。

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観光用のラクダと、背景に巨大なピラミッド。

送り主は、ずいぶん前の職場の同僚のFさん。当時の職場でお互い一番気が合いました。なぜなら彼もヒマラヤ・トレッキング経験者で、休憩中によくネパールの話をしていたものです。

「念願のエジプト・・・おもな遺跡はざっと見て回りました。どれもすごい巨石建造物ばかりで驚かされます。ほとんどの壁面に描かれるレリーフも興味深いものがあります。」
と書かれていました。
古代エジプト文明、やはり目を見張るものばかりのようです。

しかし、彼はこう続いて書いていました。
「問題があるのがそこに住んでいる人たちで、金は盗まれるし、客引きはしつこいし、すぐボロうとするし、ガキ共はうるさいしとストレスはたまる一方・・・」と。
この絵葉書が届いたのは、1999年ですから14年前のことです。今はどうでしょうね。少しは改善されているでしょうか?

私もエジプトやケニア、タンザニアなどのアフリカ諸国、興味惹かれます。
ピラミッドの大きさ、実感してみたいです。

*先月末、同じエジプト、ルクソールで熱気球が墜落し日本人4人をはじめ多くの観光客の方が亡くなりました。
燃えながら急上昇した熱気球・・・、ゴンドラに残された人々の恐怖はどれほどだったか・・・。考えただけで、胸が張り裂ける思いです。
この事故でお亡くなりになったすべての方々のご冥福をお祈りいたします。合掌。

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2013年3月14日 (木)

インドビザ取得(再掲)

3月30日(月)

 午前9時起床。やや曇り気味。10時ごろ、インド大使館へトランジットビザ(短期滞在査証)の申請(215ルピー)をし、明日の午後4:45受け取り。その後、GPO(中央郵便局)へ。GPO付近のバザールにて、母への土産と自分の下着や靴下を買う。スーパーマッケットでウィスキーとハムの缶詰(79.5ルピー)、ワイワイヌードル(ネパールのインスタントラーメンの一つ)を買い、昼食はゲストハウスにてパンにハムを挟みサンドウィッチにする。デンマーク製のハムだが、ソフトでとてもウマイ!

午後はボーっと過ごし、本屋へ。日本のコミック本「かりあげくん(85ルピー)」と、アンナプルナ周遊トレッキングのための地図(65ルピー)を買う。地図は後で他店で見たら、同じものが50ルピーだった。T字路の左側の本屋で「喜多郎(シンセサイザー奏者)」のミュージックテープが1本90ルピーと安い。つい買ってしまう。

夕食は、クリシュナ・モモ・レストランでベジタブル・チョウミンとフライミート(焼き肉のような感じのもの;本当ならばカツ)で23ルピー。食後、チベッタン・クラフト・コレクション(土産物屋)へ立ち寄ると、土産物が安い安い。ここで、最後に大量にお土産を買おう。夜は、ブランデーのコーラ割りを飲みながら過ごす。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

3月31日(火)

 なぜか昨夜はほとんど眠れず、朝を迎える。トレッキング後、極端に体を休めているくせに、ダルバートを腹いっぱい食べているせいか、腸の具合が今一つ。9時半ごろ朝食とし、チベッタン・クラフト・コレクションにて、ディーバッグ(140ルピー)、ウエストバッグ(75ルピー)、財布(60ルピー)を購入する。デザインはいずれも黒を基調とした、チベットっぽいというか、チベットならではのデザインだ。わずかだが15ルピーまけてくれた。

パブラムから「ダージリンへ行くなら、明日出発がベターだ。というのは、ダイレクトパスがあるからだ」という情報を入手。今日、インドビザが取得できるので、すぐさまバスのチケットの手配を頼む。
ダージリンへは、ゴビンダと彼の友達のアヌ・シュレスタ君も同行する。アヌはゴビンダからダージリンへ行く話を聞き、「自分も行きたい」と話したそうで、3人での旅となる。明日の午後4時発のナイトバス(夜行バス)でカトマンドゥを出発し、明後日は国境の街カカルビッタだ。エージェント名はバグマティ・トラベルで、ダージリンまで1人510ルピー(1500円ほど)。本来なら俺はツーリストプライス(外国人料金)で、やや割高になるのだが、彼らネパール人と同じ料金にしてくれた。

昼ごろ、シャワーを浴びヒゲを剃り、下着と靴下を洗濯。明日の荷造りをし、のんびりした後、インド大使館へビザを受け取りに行く。

夕食は、ラッキー・チベッタン・レストランでバフ・フライドライス(水牛の肉入りチャーハン、18ルピー)とベジタブル・ヌードルスープ(12ルピー)とする。夜、ウィスキーを飲み、昨日買ったワイワイヌードルをゲストハウスのキッチンボーイに作ってもらう。う~ん、うまいわ~!あ~ぁ、今夜はぐっすり眠れるかなぁ。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年3月13日 (水)

Resam Firiri (レッソン フィリリ)(再掲)

3月28日(土)

 午前10時ごろ起床。風邪が治らない。喉が痛い。パンとコーヒー、トマトとオレンジで軽めの朝食。その後、写真の整理に追われ、靴下を洗濯。一息つくと、早や12:30。昼食は、クリシュナ・モモ・レストランでミート・チョウミンとモモ(計21ルピー)にする。午後は、ゲストハウスでのんびり過ごす。ゴビンダの陽気な歌声(レッソン・フィリリ;ネパールでもっとも有名な歌)が聞こえてくる。

Resam Firiri (レッソン・フィリリ)

Resam Firiri , Resam Firiri
Under Jaunki Dandama basaum Resam Firiri
Under Jaunki Dandama basaum Resam Firiri
(レッソン・フィリリ、レッソン・フィリリ
 ウンダル・ジャゥンキ・ダンダマ・バサゥン・レッソン・フィリリ)

*よろしければ、聴いてみてください。ネパールの風景と共に4分ほどの動画です。
→ http://www.youtube.com/watch?v=hJ_y35f7V9Y

夕方、少し外出。バナナを一房15ルピー、パジャマ代わりの黒の上下の衣類をそれぞれ150ルピー、110ルピー、で買う。消毒液とガーゼを31ルピー。夕食はマナスル・ゲストハウスでダルバート(55ルピー)とし、夜はククリラムを飲みながら過ごす。

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さっそく着てみました。するとゴビンダが 。シャツは上質のシルクで、肌触りが滑らかでした。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

3月29日(日)

 午前8時半起床。9時半ごろよりゴビンダを伴い買い物へ。ウール製品を扱う店で100ドル両替(ブラックマーケット、いわゆる”闇ドル”。銀行での正規の換金率より高く換金してくれる。法律上では、禁止されている)し、刃渡り15cmほどのククリ(蛮刀)、65リットルのLoweのザック、トレッキング用のウールシャツ、サングラス、水筒を購入。これらはこの後のアンナプルナ周遊トレッキングに使う予定である。

昼ごろ、ダルバール広場でボーッと過ごし、散歩しながらゲストハウスへ戻る。夕方5時ごろ、トレッキング初日のデウラリのロッジで一緒だった日本人の男が訪ねてくれた。彼は俺が行かなかったゴーキョピークへ行き、再びジリまで戻ったとのことだ。1時間半ほど話し続けていた。

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左から2人目の彼が、訪ねてくれました(トレッキング2日目の朝、撮った写真です)。この後トレッキング中に会うことがなかっただけに、わざわざ訪ねてくれたこと、とても嬉しかったです。

夕食は、トレッキング前にラジンと一度一緒に行ったルンピニ・レストランでダルバート。あまりお腹はすいていないくせに、カナ(ご飯)を2杯も食べてしまった(1杯でも量はかなり多い)。ご飯をお代わりしても、値段は変わらないのがダルバートの魅力。ダルバート1人前12ルピー、マトンカリーも食べ、しめて50ルピーで超満腹。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年3月12日 (火)

紫藤君と再会(再掲)

3月27日(金)

 午前9時起床。買い置きのパンとコーヒーで朝食とし、ネパール銀行で、出国前にあらかじめ父に頼んでおいて、送金してもらったお金($1000)を受け取る。これは、初めて海外を旅した時、インドで盗難に遭った時のことを考えての策。「ネパールは大丈夫だろう」と思いつつも、万が一を考えて、トラベラーズ・チェックもそれほど持ってきていなかったのだ。そして、定期的に送金してもらうことにしていた。
*ネパール銀行へは、当時の東京銀行から送金可能でした。

ゲストハウスへ戻って行き、通りからゲストハウス入口へ向かう道で、トレッキングの帰り道に出会った紫藤君とバッタリ!
「あれっ?紫藤君!」
「あっ!ジンさん!」
彼は、カトマンドゥに戻って来たことの報告と、トレッキング中のお礼が言いたくて、わざわざ訪ねてくれたそうだが、フロントで俺の留守を知り、がっかりして出てきたところだった。立ち話もなんだし、彼をゲストハウスの俺の部屋へ通していろいろ話をし、そして昼食へと誘った。

俺は紫藤君を、馴染みの店になった「クリシュナ・モモ・レストラン」へ連れて行くことにした。彼は最初に会った時、あまりこちらの料理を信用していなかったようなので、その考え・先入観のようなものを完全に払拭してもらいたかったからだ。

クリシュナ・モモ・レストランは、通りから見過ごしてしまいそうな細い路地の奥にある、地元の人しか知らないような店だ。これまでにも何度かここで食事をしたが、外国人旅行者は一度も見たことがない。彼は、「こんなところを行くのなら、旅行者はさすがに来ませんよね」と驚いていた。店の主人やカンチャ(”男の子(とくに末っ子)”;ここでは”使用人”とか”丁稚”という意味)とも、すっかり顔なじみの俺は、紫藤君を連れていったことで、店の主人はすごく喜んでくれた。

チョウミン(焼きそば)とモモ(ネパール風餃子;小龍包のようなもの)、わずか20ルピーでとてもウマイ!紫藤君もチョウミンとモモを注文し(顔は「こんなお店で食べて、大丈夫だろうか?」とやや不安げだった)、そして食べ始めると・・・、「日本の焼きそばとほとんど変わらないですヨ!」と言いながら、その美味しさと安さに満足してくれたようだ。

Photo
チョウミン。「カトマンズ百景」内田良平著 山と渓谷社 より許可なく勝手に引用させていただきました。

彼は、大学のサークルの友達らへのお土産に、ライスペーパー製のカレンダーや手帳を買いたいと言うので、食後、ゴビンダの紹介で親しくなったペーパークラフトショップへ彼を案内する。店の主人は笑顔で迎えてくれた。紫藤君は、ここでたくさんのお土産を買い込んだ。店の主人は、電卓で合計金額をはじき出し、最後に「×0.8=」を押し、その数字を紫藤君に見せる。彼が、「えっ!いいんですか?」と驚いていると、店の主人は「あなたは彼(=俺)の友達だからね。フレンドプライスでいいよ」とにっこり話していた。紫藤君は2割もまけてくれたことに喜び、「ジンさんのおかげですよ」と嬉しそうに、感謝してくれた。そして紫藤君とは、ここで別れた。

午後、何通かの手紙を書き、夕方、パンやフルーツの買い出し。そして夕食をとり、デザートにチョコレートケーキを食べに行く。そういえば、誕生日にケーキを食べていなかったっけ!
午後8時半ごろ、ラジンがやって来て「うちに来てくれないか?一緒に食事をしよう」と言う。夕食はすでに終えていたのだが、わざわざ訪ねて来てくれたし、むげに断るのも申し訳ない。彼の自宅へと招かれ、この日2度目の夕食。チキン入りのダルバートを頂いた。チキンが付いているなんて、贅沢なことこの上ない。ネパールの人々の「もてなしの心」が伝わってくる。もちろんすべてきれいに平らげた。とても美味しいダルバートだった。

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ダルバート。これも上記写真同様、引用させていただきました。

そしてラジンに「次にエヴェレスト街道へ行く機会があれば、この写真(ニマ・ヤンジー・シェルパと一緒に撮った写真)をカリ・コーラのホテル・ファイブスターへ届けてほしい」と託した。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年3月10日 (日)

住みたい?

皆様、おはこんにちばんは o(*^▽^*)o!

つい先日まで「まだまだ寒い日が続きますねぇ」なんて書いていましたが、アッ!という間に春を通り越して初夏のような陽気!さすがにビックリ!です。
その上、花粉症の人(私もです)にとってはとても辛い年のようで、少しベランダへ出るだけでもう”くしゃみ”!困ったものです。

それはさておき・・・
今回は、またまたこの正月エルマー&アンジュラから送られてきたユニークな写真、紹介します。

まずは・・・『龍に執り憑かれた建物(?)』です。
『』内のタイトルは、私が勝手につけました (^_^;;!
どうやら、タイの国にあるようです。(文字から推測しました。)

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At Wat Samphran (วัดสามพราน) in Nakhon Pathom Province there is a 17 story building that has a giant dragon climbing to the roof. The head is at the top where there is a shrine and the tail is on the ground floor. The dragon is hollow and it is possible to walk up some sections of it.

家の中にプール?
水槽のようなプールですが、金魚や熱帯魚も泳いでいたら、面白いのに!

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This house was designed by Rudy Ricciotti. The unique architecture includes a pool house, which is like a window in the living room where you can enjoy not only swimming in the water, but the person swimming in it with the effect of the outdoor landscape which is reflected through the window.

こんな庭があったら・・・?!
楽しいでしょうねぇ w(^o^)w!

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Meanwhile, in China .

建物、家の中、そしてお庭・・・、もしこれらすべてが合体したら・・・、住んでみたいと思いませんか?!

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2013年3月 7日 (木)

ヒゲを剃ってみると・・・?(再掲)

3月26日(木)

 午前8時30分起床。のんびり寝ていると、「あ~ぁ、トレッキングは終わったんだ」と実感。久しぶりに街をぶらつき、昨日のうちに現像を依頼しておいたトレッキングの写真を受け取る。ほんの数日前のことなのに、とても懐かしく、思い出深い。そしてこの日、日本出国以来、初めてヒゲを剃った。あまりの若返り?に皆、驚いている。ヒゲがあった方が良いという意見、ない方が良いという意見、賛否両論だ。10代に見えるなどという、極端な意見すらあった。

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ヒゲを剃った後の写真です。ゴビンダと。10代に見える?わけないですよねー!

夕食は、ガイドを雇ったトレッキング・エージェンシーの招待を受けている。エージェンシーへ行き、社長にごあいさつ。するとどこからともなく「ムービースター」の声。俺は「まだそんなこと言ってるのかよ」と、手を横に振っていた。
実はガイドを雇う際に、俺の氏名・住所などを万が一のために、エージェンシーにも残していくのだが、その時一緒に提出した写真が、5年前にバンコクへ行き緊急帰国した時の使用しなかったビザ用写真。今よりも髪は短く、ヒゲも当然なし、眼鏡もかけていない写真で、ずいぶん若く見えたらしい。その写真を見たスタッフたちが「まるでムービースターじゃないか!」と、やたら褒めてくれたのだ。

食事は、近くのレストランでネパール料理とビールをご馳走になる。1人旅の日本人女性も同席するが、明朝、飛行機が早いのですぐに帰宿した。彼女は、この国で何と7万円ほども、詐欺にあったらしい!なぜだ?信じられない!詳しくは話してくれなかったが、この国も少しずつ治安が悪くなっているのか?

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エージェンシーの招待を受けて。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年3月 6日 (水)

ネパールで30代、スタート!(再掲)

1992年3月25日(水)

 トレッキングを終え、再びカトマンドゥへ。とにかく暑い!久々にマナスル・ゲストハウスへ。当初の予定(4週間)より早く帰って来たが、皆、変わらぬ笑顔で迎えてくれた。そして「今日は俺の誕生日だぜ」と言うと、夕方には従業員達から6通ものバースデーカード(一人一人メッセージを書いてくれた)。ゴビンダはライスペーパー製の小さな手帳、クリシュナはトピー(ネパールの帽子)もプレゼントしてくれた。ラジン(トレッキングガイド)はククリ(蛮刀)の形をした小さなペーパーナイフ。俺の30才のスタートを、ネパールの友達が祝ってくれた。

Img331 誕生日を祝ってくれたキッチンボーイたち。

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封筒に入ったバースデーカード、手帳とククリ、トピー。皆からの思いがけないプレゼントに、笑顔で応えます。カードのデザインは、いかにもネパールらしい「神様」の絵が描かれていました。

ラジンと街へ出ると、トレッキング中に会ったフランス人の男性と再会。彼は口数が少なく、皆とはあまりうち解けなかったのだが、それでもお互いに顔は覚えていた。彼はカラ・パタールではなく、タンボチェが目的だったそうだ。ふと見ると、見覚えのある後ろ姿の男女・・・、「エルマー!アンジュラ!」と叫ぶと彼らは振り返り、我々のところへ。皆にっこりと笑顔で握手。彼らも今日ルクラから、なんとヘリコプターで戻ってきたそうだ。どうやら俺たちが乗った飛行機の後、ヘリが再びルクラへと向かっていたようだ。アンジュラはすかさず「ジン、ハッピーバースデー・トゥユー!」と言ってくれた。覚えていてくれたんだネ!今日が俺の誕生日だっていうことを!日本にいたら、これほど祝ってもらえただろうか?最高にハッピーな30代のスタートだ。

ラジンと共に、街のレストランでビールを飲みながら食事をし、マナスル・ゲストハウスへ戻る。そこでもまた、ビールを飲みながら皆と共に楽しく過ごす。最高の気分で、床に就いた。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年3月 5日 (火)

旅の終わり(再掲)

3月25日(水)晴れ
ルクラ11:00(RA128)11:40カトマンドゥ

 午前7時起床。この日は俺の30回目の誕生日。とうとう20代ではなくなってしまった。飛行場へ行ってみる。予約の確認だ。第何便に乗れるのかは、まだ決まっていない。定期便とはいえ、天候、特に風次第で、何便飛ぶかが決まる。だから、予約はできていても、その飛行機が実際に来るのかどうか、その日の天候次第。1便、2便と見送る。第3便にも乗れない。予約できているとは、聞いているのだが、本当にこの日のうちに帰れるのだろうか?バースデー・フライトできるのだろうか?やがてヘリコプターがやって来た。これに乗ることも可能だそうだが、料金が割高になる。

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ロイヤルネパール・エアラインの飛行機がやってきました。

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ヘリも到着。なかなかカッコイイです。

半ばあきらめかけていたところへ、「第4便がやってくる」と言う。荷物の重量検査を行い、やっとそれに乗ることができた。ヘリコプターに乗ってでも、と考えていたので、ラッキーだった。でも本音を言えば、ヘリに乗ってみたかった。

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第4便、これに乗ってカトマンドゥへ戻ります。ところで、この飛行場、まったく舗装されていません。滑走路も同じで、山の傾斜(下り)を利用し、勢いをつけて飛び立ちます。(着陸時は、登りの傾斜になりますから、自ずとスピードダウンします)

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飛行機の大きさ(小ささ?)、お分かりになりますか?

わずか20人ほどしか乗れない小さな飛行機に乗って、途中歩いた道のりを眺め、ヒマラヤを仰ぎ見る。83ドルの価値はある。デウラリ峠が見える。あそこを歩いたんだなぁ。やがてボーダナートが見えてきた、間もなくカトマンドゥだ。
1週間はかかる道程を、わずか40分で戻る。文明の利器のすごさを感じずにはいられない。11時40分、カトマンドゥ着。21日間のトレッキングは終わった。

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飛行機の中で。こんな小さな飛行機でもスチュワーデスがいて、キャンディーの機内サービスがあります。

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飛行機から、歩いてきたところを眺めます。↑の写真の中央やや左上にボーダナートが見えます(白い大きな建物です)。

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コクピットの中。

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カトマンドゥ到着。バースデー・フライトが終わり、トレッキングも終わりました。そして新たに30代のスタートです。

*この旅日記は1992年のものです。

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