クンブー氷河を行く(再掲)
3月18日(水)くもり
ディンボチェ8:20~10:15トゥクラ10:45~12:25ロブチェ
6時30分起床。さすがに寒い。どうやら風邪をこじらせたようだ。喉が痛い。これも高山病の症状のひとつか。膝の方も、相変わらず温めねばダメなようだ。
頭痛は治まり、よく眠れた。が、この2~3日が今回のトレッキングのヤマだ。体に注意しつつ、頑張ろう。
朝食はポリジ(粥)にパンケーキ、チーズオムレツにホットレモン2杯。100ルピーもの出費だが、エネルギーを蓄えないと、4930mのロブチェはきついから。
ディンボチェをスタートすると、まず丘を登り、左下方にペリチェの村を眺めながらトゥクラへ。雲の上にタボチェが頭だけ覗かせている。その雲と同じ高さのところを歩いているから、不思議なものだ。
ディンボチェの丘から。目の前の雲の合間からタボチェ(6542m)の頂が顔を見せてくれました。
トゥクラで皆で休憩していると、タンボチェやディンボチェのロッジで顔見知りになった他のトレッカーたちから、
「ハロー!インターナショナルファミリー!」
と、声かけられたり、なかには
「ハロー!dsching !元気?」
と、名前を呼んでくれる人もいた。俺は彼らの顔は知ってても、名前は知らないのだが…。
俺達5人は、こういうグループが珍しいのか、すっかり有名になっていたようだ。悪い気はしない。声をかけられること自体、とても嬉しいことだから!
トゥクラ(4593m)付近にて。荷物を運んだ帰りのヤクでしょうか?ヤクはもともと標高3000m以上の高所に棲む動物。ヒマラヤでは頼りになる存在です。お疲れ様!
トゥクラからは、急登が待っており、1時間かけて登り切る。この時にも、たくさんのトレッカーから声かけられ、励まされた。彼らの声が、俺にとってどれほど力になったことだろう。
登りきったところ、モレーンの丘には石を積み上げたケルンがいくつも建っていた。ヒマラヤ登山で命を落とした人たちを慰めるためのものだろうか?
トゥクラ・モレーンの丘。ヒマラヤ登山で命を落とした方を慰める石積みのケルンが、いくつも並んでいます。それだけ多くの登山者やシェルパの方々が、尊い命を失ったのでしょう。合掌。
モレーンの丘からは下りとなって、クンブー氷河がまっすぐロブチェへと続いている。
高山病と闘いながら、一歩一歩前へ進む。仲間たちの足取りも重そうだ。
やがて、ロブチェのロッジが見えてきた。ガイドのラジンは先行してベッドを確保し、よろよろ歩いている俺を迎えに戻って来て、俺のザックを背負ってくれた。荷物がないだけでも、かなりの違いがある。彼のこの好意はありがたかった。
いよいよロブチェへ、クンブー氷河のそばを歩いて行きます。目の前には、ヒマラヤのそうそうたる山々が、幾重にも連なっています。左からプモリ(7161m)、リントレン(6697m)、クンブーツェ(6640m)、右へ高く続く山はヌプツェ。
ロブチェにはロッジが2軒しかなく、このロッジも早々と満員となり、俺とドイツ人のトーァリンゲン夫妻は泊まることができたのだが、やや遅れて到着したイングリッドさんは、隣のロッジで泊まらざるを得なかった。
昼食は、今日もララ・ヌードルスープ(インスタントラーメン:スープはチキン風味)。特注でニンニクと卵も入れて、栄養をとる。
食後、やや頭痛を感じた。ベッドで体を休めることにする。
しかし、ここでもラジンは、チャン(ネパール風ビール:見た目は濁り酒に近い)を飲んでいる。彼は俺にも勧め、少しだけいただく。
夕食は、お腹が要求するままに、たらふく食べた。
長いトレッキングだ。金に糸目はつけられない。栄養が第一だ。
ロブチェ・ロブチェゲストハウスにて
*この旅日記は1992年のものです。
| 固定リンク
最近のコメント