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2013年2月 6日 (水)

ディンボチェでのひととき(再掲)

 ロッジで、ペリチェから高度順応のため、ここまでちょっと遊びに来たという日本人の学生2人と会い、話をする。
さらに、ロッジの庭のテントサイトにも1人の日本人。なんと彼は、たった一人でテントを持参し、マウンテンバイクでここまでやって来たのである。歩くことさえ大変な山道を、マウンテンバイクで・・・!

彼は、そこにいたすべてのトレッカーの注目を一身に浴びていた。が、悲しいかな、彼はほとんど英語ができないと言って、俺が通訳していた。

ドイツ人のトーァリンゲン夫妻やカナダ人のイングリッドさんをはじめ、誰もが彼のユニークな発想、冒険心に好意的だった。皆、にこやかに「日本人って、すごいこと思いつくんだなぁ!」とか、「カラ・パタールまで行くのかい?だったら、頑張れよ!」等など。

俺も彼に質問してみた。
「急な上り坂は、自転車担いで登ったのかい?」
「正直言って、担いで登ってる時間の方が長いです・・・」と、苦笑いで答えていた。

ここまでの道程を考えれば、確かにそうだろう。俺たちはザックを背負ってるだけだが、彼はさらにマウンテンバイクがあるのだから、その分、疲労も溜まるだろう。

彼は「実は高山病の症状が出始めて、チュクン(4730m)から下って来たんですよ」と、話していた。確かに、「へばってる」って感じだが、ここまで来ているんだ、ガンバレヨ!同じ日本人として、このバイタリティに拍手を贈りたい。

夕方、ラジンがこのロッジにはないチャン(ネパールの地ビール:濁り酒)を飲みに行こうと誘う。チャンなら、アルコール度数が低いから、高所でも大丈夫らしい。

チャンを飲みながら話をしていると、俺が間もなく30才という年齢にも関わらず、なぜ独身なのかと質問が集中。

「ビューティフルレディが来ないんだよ!」

冗談交じりに言うと、皆笑っている。さらに

「ラムロータルニ(ネパール語:美人、特に若い女性をいう)が欲しい!」

と、ネパール語で言うと、皆、大爆笑だ!
あ~ぁ、本当にネパールのラムロータルニと一緒になって、ネパールに住もうか?

夜、ロッジのオーナーと話をしているとき、俺はふと彼に、こう質問した。

「植村直己さんを知っていますか?」と。

彼の表情が一変し、しんみりと寂しげに、こう語ってくれた。

「直己は素晴らしい人だった。すごかった!でも彼は8年前(1984年)、カナダのマッキンリーで亡くなった。そしてその後、直己の映画を作るために、たくさんの日本人がこの街道沿いの村々にやって来たよ!」

俺は彼の言葉を聞いて、植村直己さんが、いかにネパールの人々に愛されていたかを実感することができた。
同じ日本人として、誇りに思う。


ディンボチェ、ソナム・フレンドシップ・ロッジにて

*この旅日記は1992年のものです。

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