カラ・パタールを下る(再掲)
15分ほどして、下山開始。高山病の症状が出ている俺にラジンは「この日のうちにペリチェ(標高約4200m)まで下ろう」と言う。確かに高山病は、少しでも低いところへ下り、酸素を摂り入れるのが鉄則であるが、何しろ体力がそこまでもつ自信がない。左膝が、特に下りでは激しく痛む。ロブチェまで戻るのが俺には精一杯だった。
イングリッドは今日も他のロッジで泊まり、明日エヴェレスト・ベースキャンプへ行くそうだ。エルマーとアンジュラは、ゴラクシェプ泊で、やはり明日イングリッドと同じエヴェレスト・ベースキャンプへ。仲間たちとは、とうとうバラバラになってしまった。
ロブチェ、ロブチェ・ゲストハウスにて
*その後、ドイツを訪れた際にエルマー・アンジュラから教えられたのですが、エヴェレスト・ベースキャンプで、偶然にもあのエドモンド・ヒラリー卿(世界初のエヴェレスト登頂者)とお会いできたそうです。エルマーは持っていたステッキに彼のサインを頂いてました。そのステッキは彼の自宅のリビングに飾ってあります。ヒラリー卿が来ていると知っていたなら、私も行っただろうなー!とても残念でした。
もう一度、カラ・パタールを振り返ってみました。近いようで遠い道のりでした。
*この旅日記は1992年のものです。
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