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2013年2月

2013年2月28日 (木)

20代最後の日(再掲)

3月24日(火)晴れ
パクディン8:10(徒歩)10:40ルクラ

 とうとう20代最後の日。そして、トレッキング最後の日でもある。背後にクンビラやヌンブルが、我々を見送るかのように聳え立つ。ルクラは、この街道沿いをややそれた丘の上にある村だ。分岐まで来た。左へ行けばルクラ、まっすぐ行けば、カリ・コーラを経てジリへ。できることなら、まっすぐ行きたかった。しかし、今の俺では左へ針路を取るしかなかった。さほどきついところもなく、2時間でルクラ到着。

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パクディンのロッジを出てすぐ、この吊橋を渡ります。とても名残り惜しい・・・。

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パクディンから見たヌンブル(6957m)

ルクラは、カトマンドゥから直行便がやってくる、いわば、エヴェレスト街道の「空の玄関口」。ロッジや日用雑貨店、登山用品のレンタルetc...。大きな村だ。この時もちょうど、日本から中高年のトレッキンググループがやって来た。

そして、異様な日本人の姿も見た。彼らは俺以上に疲れ果てている様子で、まだ若いのに杖をつきながらフラフラと、やっとここまで戻ってこられた、といったように見えた。
そう、彼らは途中で出会った3人の学生で、ジリからナムチェまで我々が8日かけて行く行程を、わずか5日で行くと言い、昼食時に日本語で「ご飯、ラーメン」と言って、仲間たちのひんしゅくを買った男たち。
彼らの歩く姿はあまりにも痛々しいが、しかし、自業自得と言えばそれまでだ。ラジンは彼らと最初に会った後、彼らのスケジュールを「クレイジーだ」と言っていたし、あのペースで行けば当然の結果だ。
彼らは俺たちに気づいたようだが、この時はお互いに声をかけることはなかった。声をかけるのがはばかれるほど、彼らの歩く姿は痛々しかった。

それにしても、カトマンドゥへはいつ帰れるのだろうか?明日のバースデーフライトに間に合うだろうか?ラジンは何度もチケットの予約に奔走している。そして午後3時。どうやら明日のフライトの予約がとれたようだ。30代のスタートは、ルクラ~カトマンドゥのフライトで始まるわけだ。

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20代最後の日。エヴェレスト街道トレッキング最後の日と重なりました。ルクラ、サウスコル・ガーデンロッジにて。ラリグラスがあちこちに飾られています。

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ルクラより、東にそびえる山々。3枚つなげてパノラマにしてみました。

短いようで長い、けど長いようで短い旅だった。200Km以上は歩いただろうか?左膝の痛みは、最後まで治らなかった。風邪も治らない。カトマンドゥでしばらく休養し、次の予定へと向かおう。

ルクラ、サウスコル・ガーデンロッジにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年2月27日 (水)

断念(再掲)

3月23日(月)晴れのち曇り
ナムチェ8:30(徒歩)10:10ジョルサレ10:30(徒歩)12:30パクディン

 昨夜は久々にぐっすり眠れた。風邪薬のせいかな。ナムチェからの下りは左膝にこたえた。「決断」したとはいえ、わずかに希望を持っていたが、やはりこの足の状態で、ジリまでの長い道のり、いくつもの峠越え・・・を戻るのは無理だろう。

ナムチェから下って行く途中、思わず目を覆いたくなるような光景に出くわした。ヤクが血まみれで倒れているのである。まだ息はある。が、起き上がることはできないようだ。いったい何があったのだろう?そのヤクは尻尾がちぎれていた。何故、そんな目に遭ったのか?しかし、誰もそのヤクを助けることができない。どうすることもできないのだ。ヤクは必死にもがき、断末魔のような声と共に起き上がろうとしていた。痛々しいほど生きようと、生きて起き上がろうとするヤク、しかし・・・。俺はやがてそこで命を落とすであろうそのヤクの来世を祈るしかなかった weepゴメンヨー 。

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傷ついたヤクの写真は撮りませんでした。あまりに痛々しすぎて・・・crying (泣)!代わりに、菜の花畑の写真を撮り、そのヤクの天国への旅立ちのはなむけにします confident

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ラリグラスも咲いていました。

今日はパクディン、明日はルクラ。トレッキングの日々はもう2日だけ。20代もあと2日。こんな形で20代が終わるなんて想像さえつかなかった。
パクディンに着いて、午後はロッジのオーナーとチャン(ネパール風ビール;見た目は”どぶろく”のようなもの)を飲み交わしていた。どこへ行ってもよく聞かれるのは、「結婚しているのか?」である。この年齢で独身なのは、この国では珍しいのだろう。

夕方、キャンプをしながらトレッキングしているフランス人夫婦が、このキャンプサイトにいた。彼らにカラ・パタール登頂途上でいただいた栄養補給食品のお礼をここで改めて言った。そして記念に3人で写真を撮った。

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シンガポール在住でジャーナリストのフランス人のご夫婦と。トレッキング中は、ほぼ同じ日程だったようです。

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電気のない村では、夜はこのオイルランタンが唯一の灯となります。

パクディン、サンライズ・ロッジにて 

*この旅日記は1992年のものです。 

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2013年2月26日 (火)

決断の時(再掲)

3月22日(日)晴れのち曇り時々雨
ナムチェバザール1日滞在

 朝食後、ラジン、紫藤君と3人でシャンボチェにあるエヴェレスト・ビュー・ホテルへ行ってみることにする。日本人経営の1泊100ドル(ルピーじゃないの?)以上もする、ここでは超高級ホテル。村の北側の丘を登り、シャンボチェの村の森の向こうに立派な建物、そこがエヴェレスト・ビュー・ホテル。

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シャンボチェ、エヴェレスト・ビュー・ホテルへ向かいます。右手に持っている杖は、昨日手に入れたシェルパ仕様(使用)の杖です。

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エヴェレスト・ビュー・ホテル専用と思われる飛行場が見えます。

その名の通り、居ながらにしてエヴェレストが眺められるホテルだ。だが、あいにくこの日は曇り空。エヴェレストは見えない。テラスでティータイムとすると、タンボチェの村が見える。マウンテン・フライトらしき飛行機も飛んでいる。


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ホテルのテラスからの眺めです。エヴェレストは残念ながら雲の中です。

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エヴェレスト・ビュー・ホテルでティータイムをとりました。

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エヴェレスト観光飛行(マウンテン・フライト)だと思うのですが・・・。

ナムチェに戻り、午後、体がだるい。咳も激しく医者へ行ってみるが、すでに2時にて終了。栄養を摂ろうと、この日も昼食はヤクステーキにし、薬を飲んでロッジで体を休めていたが、良くなる気配はない。喉もつぶれかかっている。ラジン曰く、風邪だけでなく、毎日歩き続けた疲れだろう、と。確かにそうだろう。足はいうことをきかないし、ジリまで歩き通す自信がない。

決断の時が来たようだ。ルクラからフライトせざるをえない。30才になる直前のこの結果は残念だ。できるなら、計画通りに行きたかった。しかし、ジリから2週間かけてカラ・パタールへ登り、エヴェレストを見たんだ。それだけでも充分ではないか。我ながら「よくやった」と言ってもいいじゃないか。
ただ心残りは、イングリッドやエルマー・アンジュラにきちんと「サヨナラ」が言えなかったこと。そして、カリ・コーラのヤンジーに再び会うことができないこと。本当に悔しい。できることなら、あの娘ともっと交流を深めたかった。残念だ。

ナムチェ、シェルパ・ガイド・ロッジズにて

*今回のブログ記事で、このトレッキングで出会った紫藤君の名字および写真を載せました。紫藤君ご本人とは、この旅以降、全く縁が途絶えていますが、もし万が一、本人もしくは彼を知る人が偶然このブログを目にされた場合、許可なく勝手に掲載したこと、深くお詫びいたします。

*この旅日記は1992年のものです。   

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2013年2月24日 (日)

魚介&鳥シリーズ切手

 皆様、おはこんにちばんは (◎´∀`)ノ

寒いわ、花粉が飛んでるわ、くしゃみが止まりません (>_<)!
いかかお過ごしですか?

久々に日本の古い切手を紹介します。
まだ額面が10円や15円の時代ですからもうかれこれ4~50年ほど昔に発行された切手かな?!
”魚介”シリーズと”鳥”シリーズ、全切手です。

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上、左から『いせえび』『こい』『うなぎ』。下、左から『かつお』『あゆ』『まだい』。

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上、左から『まさば』『さけ』『ぶり』。下、左から『とらふぐ』『するめいか』『さざえ』。

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上、左から『るりかけす』『らいちょう』『きじばと』。下、左から『こうのとり』『うぐいす』『ほおじろ』。

昔はこのような切手が発行されていたのですね。”鳥”シリーズの切手はデザインに風流を感じます。
これらの切手が発行されたころ、私はまだ小学生。発行日に郵便局で買い求めたのではなく、すべて切手商で買ったものだと思います。
これらの切手を収集するにあたり、魚や鳥の種類と名前を覚える知識なり雑学になったことは確かです。
当時小学生の私には、ちょっとしたミニ図鑑であり、百科事典の1ページにも匹敵するようなものでした。

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2013年2月21日 (木)

ヤクステーキ(再掲)

3月21日(土)曇りのち晴れ
タンボチェ9:00(徒歩)12:40ナムチェ

 7時起床。朝食の用意が非常に遅い。こんなところにも、ネパールの「ビスタリズム(ビスタリ;ネパール語で”ゆっくり”という意味)」が顔を出す。昨夕、雪が降ったせいか、少々寒い。体調は、ロブチェから1000m以上下っているせいか、やや回復している。

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タンボチェの朝。うっすらと雪化粧した山が、水墨画のように見えました。

この日は、昨日会った紫藤君もナムチェまで一緒に同行することになった。谷を下りきり、水力式のマニ車にさらなる体調回復を祈り、長い登りとなる。登りきると、ナムチェまでは平坦な道が続く。

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写真中央付近に、野生動物が10数頭います。ラジンは「ゴラール」と言っていましたが、ゴラールって・・・?どんな動物だろう?

ナムチェへと到着し、昼食はヤクステーキを食べることにする。紫藤君は、こちらの食事にかなり警戒心を持っているようで、不安そうに「大丈夫ですか?」と訊くのだが、俺が「大丈夫だって!ホント、美味しいから!来るときだって食べたんだから!」と勧めると、「わかりました。僕も食べてみます。dsching (ジン) さんにそう言われて、僕も食べてみようと勇気が出てきました。」と言った。確かに彼の荷物の中には、日本のインスタント食品がたくさんあった。荷物としては、かさばるカップ麺も。往路でのタンボチェのロッジで出会った日本人の女性も、「きつねどんべえ」を食べていたなー。
ヤクステーキの味は、なかなかの美味。ビーフステーキと何ら変わりはない。俺も紫藤君も「ウマイ!これは本当にウマイ!」と大いに満足。「こんな山奥の村でこんなに美味しいステーキを食べられるとは!」と紫藤君にずいぶん感謝された。

食後は久しぶりのシャワー、洗濯。そして、シェルパたちが使っているラリグラスの木でできたピッケル型の杖を50ルピーで手に入れた。たまたまロッジにおいてあり、売り物ではなかったのだが、「どうしても欲しい!いくらでもいいから売ってほしい!」と言い、半ば強引に手に入れたもの。でも50ルピーなら安い。次のトレッキング(アンナプルナ周遊)にも使えるし、記念に日本へ持ち帰ろう。

明日も、ここナムチェに1日滞在、のんびり体を休めよう。

ナムチェ、シェルパガイド・ロッジズにて

*この旅日記は1992年のものです。   

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2013年2月20日 (水)

疲労のピーク(再掲)

3月20日(金)晴れのち曇り、夕方雪
ロブチェ7:45(徒歩)10:40ペリチェ11:40(徒歩)15:40タンボチェ

 6時40分起床。相変わらず風邪と頭痛の症状。下痢も起こしており、左膝は痛みの治まる日がない。無理せずパンボチェ泊にしたかったのだが、ラジンがどうしても行くと言う。高山病を考えての配慮なのだろうが・・・。体調はもはや最悪!ルクラからフライトすることも考えねばならない。辛い1日だ。

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クンブー氷河をペリチェへと下って行きます。
*この氷河、20年以上経った今、どのように変わっているのでしょう・・・?急速に進んだ”地球温暖化”、それがこの地にも影響を及ぼしているのです。

ペリチェで休憩中、2人の日本人と出会った。彼らは単発物のドラマのロケのために、この地まで来たそうだ。「実際の俳優さんはここまで連れてこられないので」と言い、1人は実は俳優・奥田瑛二さんの代役を務める方であった。カトマンドゥには、奥田瑛二さんのほかに、小泉今日子さん、大ベテラン俳優の大滝秀治さんも来ていたそうである。
この年の秋に放送予定の2時間ドラマで、「ヒマラヤの赤い自転車」というタイトルだそうだ。どちらかと言えば、中・高校生向けのドラマとのことだが、ここで出会ったせっかくのご縁、ぜひとも見てみたいものだ。
*その年の秋、このドラマを見ました。もちろん録画することも忘れませんでした。奥田瑛二さんの役柄は、ヒマラヤを撮影しに来ている写真家、小泉今日子さんは海外青年協力隊員の看護師としてネパールに赴任している内容でした。大人でも十分に感動できるドラマでした。
この2年後ネパールを訪れた際、カトマンドゥのゲストハウスのスタッフで日本語学校へ通っていたゴビンダと再会し、このドラマのビデオが教材として使われていることを聞きました。

ペリチェからタンボチェに向かってどんどん下る。体力は、高山病のこともあり、かなり消耗している。タンボチェにずいぶん近づいたとき、ラジンが先行し宿を確保して、俺のもとへ戻り俺のザックを背負ってくれた。彼のこの行為はとてもありがたく、いいガイドなのかそうでないのか、わけわからないことがしばしばある。

タンボチェのロッジは、往路とは違うところであった。ここで同じ愛知県出身という紫藤君と出会った。彼は大学の友達とアイランド・ピーク(6160m)という山を目指していたそうだが、やはり高山病により断念し、下って来たのだという。

彼と二人で話していると、ある老人に声掛けられた。老人は我々に「ジャパン?」と訊いてきた。「イエス」と答えると彼は、「東京?大阪?犬山?」と尋ねた。東京・大阪は解かるが、なぜ犬山を知っているのだろう?犬山のすぐ近くの街に住んでいる紫藤君は驚いて、「僕は犬山から来ました」と答えると、その老人は「ちょっと待ってくれ」と言って、一冊のポケットアルバムを持ってきて、我々に見せてくれた。そのアルバムには、老人がかつて愛知県犬山市にある世界民俗博物館「リトルワールド」に、ネパール仏教寺院の仏画絵師として招かれた時の写真や犬山城、名古屋の「大須観音」などの写真が残されており、俺も紫藤君も大いに感嘆の声をあげ、ラジンを呼び彼にもその写真を見せ俺の街を紹介し、話は盛り上がった。
*リトルワールドでネパール仏教寺院がまだ完成していないときに、一度訪れたことがあるのですが、その時何人かの仏画絵師が寺院内の壁面や天井に仏画を描いていました。もしかしたら、その時にこの老人とお会いしていたかもしれません。

タンボチェ、モナステリー・ロッジにて

*この旅日記は1992年のものです。 

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2013年2月19日 (火)

カラ・パタールを下る(再掲)

 15分ほどして、下山開始。高山病の症状が出ている俺にラジンは「この日のうちにペリチェ(標高約4200m)まで下ろう」と言う。確かに高山病は、少しでも低いところへ下り、酸素を摂り入れるのが鉄則であるが、何しろ体力がそこまでもつ自信がない。左膝が、特に下りでは激しく痛む。ロブチェまで戻るのが俺には精一杯だった。

イングリッドは今日も他のロッジで泊まり、明日エヴェレスト・ベースキャンプへ行くそうだ。エルマーとアンジュラは、ゴラクシェプ泊で、やはり明日イングリッドと同じエヴェレスト・ベースキャンプへ。仲間たちとは、とうとうバラバラになってしまった。

ロブチェ、ロブチェ・ゲストハウスにて

*その後、ドイツを訪れた際にエルマー・アンジュラから教えられたのですが、エヴェレスト・ベースキャンプで、偶然にもあのエドモンド・ヒラリー卿(世界初のエヴェレスト登頂者)とお会いできたそうです。エルマーは持っていたステッキに彼のサインを頂いてました。そのステッキは彼の自宅のリビングに飾ってあります。ヒラリー卿が来ていると知っていたなら、私も行っただろうなー!とても残念でした。

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カラ・パタールから下って行きます。

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エヴェレストが少しずつ隠れていきます。名残り惜しい・・・。 

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ゴラクシェプまで下ってきました。ヤクがたくさんいました。

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ゴラクシェプからタボチェ方面。

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もう一度、カラ・パタールを振り返ってみました。近いようで遠い道のりでした。

*この旅日記は1992年のものです。 

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2013年2月17日 (日)

絢爛豪華な雛飾り

 皆様、おはこんにちばんは (◎´∀`)ノ

三寒四温、寒い日々と日差しが暖かな日々が交互にやって来るようになりましたね。
お風邪などひいておられませんか?

母の主治医から「必ず誰か付き添って連れて来るように」と言われてから、およそ1年。ほぼ月に一回ではありますが、名古屋駅タワーズ内にある医者へと母を連れて行きます。
その際にちょっと楽しみなのは、タワーズ2階にあるテラスや15階にあるホテル・アソシアのロビーで行われているイベントです。

そしてこの季節、昨年も飾ってありましたがやはり『雛飾り』!
まさに煌びやかで絢爛豪華!男の私でも「オォーッ!」と思うのですから女性はなおさらでしょう。たくさんの方が携帯で写真を撮っていました。

では、その素敵な雛飾り、ご覧ください。

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見事な7段飾りのひな人形を中心に、つるし雛が華やかです。

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お内裏様とお姫様、三人官女に五人囃子・・・で良かったかな (^_^;;

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下に並んでいるウサギさん。もしや”新郎新婦”?!

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つるし雛もご覧の通り!右下のほうでウサギの家族も見上げています。

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ここにもつるし雛を見上げているウサギ家族がいます。

ちょっとついででも、このようなものに出会えると、幸せな気分になります。
キレイな着物を着たウサギさんたちもたくさんいました。癒されますネェ (^_^)!

場所はJR名古屋駅セントラルタワーズ15階、ホテル・アソシアのロビーに飾られています。

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2013年2月14日 (木)

カラ・パタール登頂!間近に聳えるエヴェレスト!(再掲)

ゴラクシェプでティータイムを終え、いよいよゴールのカラ・パタールを目指す。
ここからは、かなりきつい登りだ。空気の薄さもあり、完全にへばり気味である。
少し登っては休み、また少し登る。

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エヴェレストが、その頂を見せ始めました。ついに夢が実現のものになりました。感動!
他にも何人ものトレッカーたちがカラ・パタールを目指して頑張っています。

だが、もうダウン寸前だ。ついに、しゃがみ込んでしまった。
中腹までは登ってきている。そして、ここからでもわずかながら、エヴェレストの頂が、その姿を現している。
ガイドのラジンは、俺の体調を気遣ってか、
「ここからでもエヴェレストは見える。もう下山した方がいい。」と勧める。
しかし、俺の答えは、「No!」。
当りまえだ!ここまで来て、どうして諦めることができようか・・・?

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しかし、すでに5000mを超える場所。高山病との戦いです。一歩一歩が本当に重く感じられます。時にはこうして座りこんでしまいます。

そしてその時、俺に数多くの友情が・・・!

「Hallo ! dsching ! Are you O.K ? Don't give up ! Never give up !
 If you will go to Kalapatar , you can see very nice view !
 You go slowly ! Slowly , slowly you go ! Never give up !
(ハロー、ジン!大丈夫か?あきらめるな!絶対にあきらめるな!
 カラ・パタールまで行けば絶景が眺められるぞ!
 ゆっくり行けよ!ゆっくり、ゆっくりでいいから!絶対にあきらめるな!)」
と声かけ、励ましてくれた、名も知らぬトレッカー。

「Hey dsching ! How are you ? (ヘイ、ジン!大丈夫か?)」
と、ドイツ人のエルマー氏。

連日、同じ村でキャンプをしながらトレッキングしていたシンガポール在住のフランス人夫婦も、へとへとの俺を見て、彼らのガイドに栄養補給食品を持たせ、俺に分け与えてくれた。
「今、一つ食べて、30分後にもう一つ食べなさい。」と。

俺は彼らに、
「Thank you very much ! Merci ! Merci beaucoup ! (ありがとう!本当にアリガトウ!)」
と、英語、フランス語両方で感謝した。

カナダ人のイングリッドさんも、
「dsching , Please drink the water ! (ジン、お水飲んで!)」
と、貴重な水を分けてくれた。
高所では水分補給は不可欠なのだが、彼女は、
「ゴラクシェプで補給しておいたから・・・」
と、惜しげもなく分け与えてくれた。

ほとんどダウン状態で、「登頂はあきらめろ!」と言うラジンの声を無視し、同じ目標を目指す仲間たちの暖かい応援、援助を得て、また、彼らのその気持ち、好意に応えるためにも、俺は一歩一歩ピークへと近づいて行った。
もうあとわずかだ。エルマー氏もイングリッドさんもほとんどピークに近づいてきている。

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何人ものトレッカーが、カラ・パタール目指して登っています。お互いに声かけあい、励ましあいながら、とにかく頑張るしかありません。次に踏み出す一歩が空気の薄さゆえ、本当に重かったです。それでも、ただひたすら、カラ・パタールを目指します。

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カラ・パタールが目の前に見えています。ゴールはもう間もなくです。

そして、ちょうど正午ごろ、とうとうヤッタ!

カラ・パタール登頂!

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ついに到達しました!カラ・パタール(5545m)の頂へ!思わず「バンザイ!」のガッツポーズ!エルマーも近づいてきました。


標高は5545mだ。俺に続きエルマー氏、そしてイングリッドさんも!
アンジュラさんが体調不良でゴラクシェプに残り、ここにいないのが残念だったが、
「シェルパシチュー・ファミリー」とか「インターナショナル・エヴェレスト・トレッキング・ファミリー」と、お互いに認め合っていた仲間の一員として、この目標を達成することができた。

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「やったゼ、エルマー!」。およそ2週間、楽しく過ごさせていただいたエルマーと!お互いに健闘を讃えあいました。

ジリ村からスタートして14日目。日本を出てちょうど1ヵ月。
今、俺は・・・多くの国際的友情に囲まれ、助けられ、8年越しの夢を実現させたのだ。

眼前には、エヴェレストがその偉容を誇っている。エヴェレストだけではない。プモリ、ヌプツェ…、7~8000m級の山々、白き神々の座が、要塞のごとく、立ちはだかっている。


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エヴェレスト(左奥)とヌプツェ(右)をバックに。これぞ、”夢・実現”の写真です。

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ロブチェ西峰をバックに。

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アマダブラムがひときわ高く見えます。

俺はついにこらえきれず、涙を流した。
「夢を実現した」だけでなく、ここまでの道のり、多くの友情・・・。
もし俺がたった一人、またはガイドとずっと二人だけで、他のトレッカーとコミュニケーションしていなかったら・・・、たぶん登頂できなかっただろう。

仲間たちはもちろん、名前を知らない多くの人たちに、俺は支えられ、助けられ、ここまで登ることができた。
このご恩は、一生忘れまい。忘れてはならない。
本当にありがとうございました。

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カラ・パタールからの雄大なヒマラヤの眺めです。最大限にズームして撮った写真を3枚つなげ、パノラマにしました。空が近いせいか、その青さが際立っています。

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年2月13日 (水)

ゴラクシェプへ(再掲)

3月19日(木)晴れ
ロブチェ7:15~9:10ゴラクシェプ9:50~12:00カラ・パタール(5545m)

 6時30分ごろ起床。絶好の青空が広がっている。
パンケーキとチーズオムレツで朝食とする。

出発準備をしていると、昨夜は隣のロッジに泊まったイングリッドさんがやって来た。
さすが、「インターナショナル・エヴェレスト・トレッキング・ファミリー」だ。
ロッジが別々になっても心は一つ!

いよいよ、最終目的地であるカラ・パタール目指して出発する。
もちろん、5人一緒だ。

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カラ・パタールを目指すべく、ロブチェをスタート。ヒマラヤを眺めながら歩いていきます。左端の山はプモリ、この山の尾根の先端がカラ・パタールです。

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上の写真の右側に写っているところが、この写真につながります。ヌプツェが目の前に迫っています。


初めのうちは、平坦な道だが、やがてゴロゴロとした岩山のアップダウンとなる。
高山病のせいか、昨夜はよく眠れず、風邪もひいたみたいで、体調は今一つ。
なるべくゆっくり歩く。というか、そうならざるを得ない。
すでに標高は、5000m付近なのだから。

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そろそろ標高5000mを超えたでしょうか?ヒマラヤがずいぶん近づいてきました。(↑最初の写真に比べ、かなり近くまで来ています。)


すると、少し先に小さなテントが見えた。
俺達5人は皆、気づいている。
「あれは、ディンボチェで会ったマウンテンバイクで来ている日本人だろう!」と。

テントの前に数人のトレッカーがいる。やがて彼らは大きな声で俺を呼んだ。
「dsching , come on , come here ! (ジン、来てくれ、こっちへ来てくれ!)」
「何事か?」と思った俺たちは、急いでテントがあるところへと向かった。

「Hallo ! What's happen ? (ヤァ!何かあったのか?)」と尋ねると、彼らは
「こんな時間になっても、寝ているなんておかしいだろ?だから声かけたんだ。だけど返事がないんだ。もしかしたら高山病で倒れているかもしれないし…。君なら同じ日本人だから、君が声かければ返事があるかもしれない。」
と話した。

「なるほど!」と思い、俺はテントの中に向って日本語で声かけてみた。
すると、男から返事が!
その声を聞いて、俺たちを含めそこにいた10人ほどのトレッカー皆、
「オォーッ!」と、少し安心!

やがて男がテントから出てきた。
俺は彼に、皆が心配していることを話すと、彼は
「すいません。声は聞こえていたんですが、体がだるいし、英語で話すのも面倒だったので・・・」
と苦笑いしながら答えた。

周りのトレッカーたちは、皆「大丈夫か?」「今日、カラ・パタールまで行けるのか?」と尋ねている。
俺は、一つ一つ通訳していた。
彼は、「大丈夫です。ありがとうございます。今日は無理かもしれませんが、明日なら行けると思います。」と日本語で答えた。
俺はそのことを皆に話すと、皆も
「そうか。頑張れヨ!成功を祈るヨ!」と、彼を励ましていた。
俺も彼に「ここまで来たんだから、絶対にあきらめるなヨ!」と、同じ日本人としてエールを贈った。
彼は日本語で、そこにいる人々に何度も頭を下げながら、
「すみません。ありがとうございました。」と繰り返した。
多くのトレッカーに励まされ、元気づけられ、彼もカラ・パタールを目指すだろう。

ロブチェから2時間ほどでゴラクシェプ到着。
標高は5000mを超えている。
ゴールのカラ・パタールへは、ここからまだ500m近く登らなければならない。

目の前の丘の頂上がカラ・パタールなのだが、近いようで遠い。
ドイツ人夫妻のアンジュラさんは、「もう私には、これ以上は無理!」と、
自らの体力の限界を感じたのか、ゴラクシェプに残ることにした。

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ゴラクシェプ(約5100m)にて。なぜか砂浜のようになっています。これははるか昔の名残でしょう。インド亜大陸がユーラシア大陸のプレート下に潜り、ヒマラヤは隆起してこれほど高くなった、その証明でもあります。きっと大昔のこの辺りは、海辺だったのではないでしょうか?これから、背後にある丘を登って行きます。

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年2月12日 (火)

クンブー氷河を行く(再掲)

3月18日(水)くもり
ディンボチェ8:20~10:15トゥクラ10:45~12:25ロブチェ

 6時30分起床。さすがに寒い。どうやら風邪をこじらせたようだ。喉が痛い。これも高山病の症状のひとつか。膝の方も、相変わらず温めねばダメなようだ。

頭痛は治まり、よく眠れた。が、この2~3日が今回のトレッキングのヤマだ。体に注意しつつ、頑張ろう。

朝食はポリジ(粥)にパンケーキ、チーズオムレツにホットレモン2杯。100ルピーもの出費だが、エネルギーを蓄えないと、4930mのロブチェはきついから。

ディンボチェをスタートすると、まず丘を登り、左下方にペリチェの村を眺めながらトゥクラへ。雲の上にタボチェが頭だけ覗かせている。その雲と同じ高さのところを歩いているから、不思議なものだ。

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ディンボチェの丘から。目の前の雲の合間からタボチェ(6542m)の頂が顔を見せてくれました。


トゥクラで皆で休憩していると、タンボチェやディンボチェのロッジで顔見知りになった他のトレッカーたちから、
「ハロー!インターナショナルファミリー!」
と、声かけられたり、なかには
「ハロー!dsching !元気?」
と、名前を呼んでくれる人もいた。俺は彼らの顔は知ってても、名前は知らないのだが…。

俺達5人は、こういうグループが珍しいのか、すっかり有名になっていたようだ。悪い気はしない。声をかけられること自体、とても嬉しいことだから!

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トゥクラ(4593m)付近にて。荷物を運んだ帰りのヤクでしょうか?ヤクはもともと標高3000m以上の高所に棲む動物。ヒマラヤでは頼りになる存在です。お疲れ様!

トゥクラからは、急登が待っており、1時間かけて登り切る。この時にも、たくさんのトレッカーから声かけられ、励まされた。彼らの声が、俺にとってどれほど力になったことだろう。

登りきったところ、モレーンの丘には石を積み上げたケルンがいくつも建っていた。ヒマラヤ登山で命を落とした人たちを慰めるためのものだろうか?

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トゥクラ・モレーンの丘。ヒマラヤ登山で命を落とした方を慰める石積みのケルンが、いくつも並んでいます。それだけ多くの登山者やシェルパの方々が、尊い命を失ったのでしょう。合掌。

モレーンの丘からは下りとなって、クンブー氷河がまっすぐロブチェへと続いている。
高山病と闘いながら、一歩一歩前へ進む。仲間たちの足取りも重そうだ。

やがて、ロブチェのロッジが見えてきた。ガイドのラジンは先行してベッドを確保し、よろよろ歩いている俺を迎えに戻って来て、俺のザックを背負ってくれた。荷物がないだけでも、かなりの違いがある。彼のこの好意はありがたかった。

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いよいよロブチェへ、クンブー氷河のそばを歩いて行きます。目の前には、ヒマラヤのそうそうたる山々が、幾重にも連なっています。左からプモリ(7161m)、リントレン(6697m)、クンブーツェ(6640m)、右へ高く続く山はヌプツェ。

ロブチェにはロッジが2軒しかなく、このロッジも早々と満員となり、俺とドイツ人のトーァリンゲン夫妻は泊まることができたのだが、やや遅れて到着したイングリッドさんは、隣のロッジで泊まらざるを得なかった。

昼食は、今日もララ・ヌードルスープ(インスタントラーメン:スープはチキン風味)。特注でニンニクと卵も入れて、栄養をとる。

食後、やや頭痛を感じた。ベッドで体を休めることにする。
しかし、ここでもラジンは、チャン(ネパール風ビール:見た目は濁り酒に近い)を飲んでいる。彼は俺にも勧め、少しだけいただく。

夕食は、お腹が要求するままに、たらふく食べた。
長いトレッキングだ。金に糸目はつけられない。栄養が第一だ。


ロブチェ・ロブチェゲストハウスにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年2月10日 (日)

オォーッ (^o^)!久々の『衝撃!笑劇!』写真です。

 皆様、おはこんにちばんは ヽ(´▽`)/

私のこのブログ『慕辺未行 古い旅日記』のカテゴリー、いくつかありますが・・・
海外旅日記を書き終え苦し紛れに書き始めたブログのカテゴリーがあります。
例えば『世界・絵葉書の旅』や『日本&世界の切手・コイン』がそうです。
そして久しく更新していなかった『衝撃!笑劇!写真館』もその一つです。

この『衝撃!笑劇!写真館』、実は現在再掲載中の記事でお馴染みの、ドイツのエルマー&アンジュラ夫妻から送られてきたメールに添付されていた写真があまりに素敵で面白く、「ぜひ皆様にもご覧いただきたい!」と思ったのがきっかけで作ったカテゴリーです。

そして先日届いたメールに、たくさんの素敵な写真が添えられていました。
このような写真が添えられていたのは、本当に久しぶりです。どの写真を見ても、驚きや感動せずにはいられません。

メールのタイトルは” Some new photos for the New Year...........”です。
添えられていた写真の前にはドイツ語で”Schöne Bilder und Plätze zum träumen...”と書かれていました。
本当に美しく、なかなか撮れない一瞬の写真!
ぜひご覧ください w(^o^)w!

01
Anheuser-Busch is on the phone and they want to talk to you....

02
Paradise Tanager...mostly found in South America

03
(I know, "no trees were harmed in the making of this playhouse" ... right ? :-) 

英語で書かれた添え書きもあります。あえて訳さないでおきます。
これらは、たくさん送られてきた写真のほんの少し。今後も紹介していきます。

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2013年2月 7日 (木)

高山病(再掲)

3月17日(火)晴れ
ディンボチェ7:30~11:00チュクン12:00~14:00ディンボチェ

6:30起床。さすが、4000mを越える高地、冷え込んでいる。
室温は5℃位。

今日はチュクンまでラウンドトリップに出かける。高度順応のためである。

ディンボチェより1時間ほど歩き、小ピークへと登る。
さすがに空気の薄さを感じる。少し登っては休み、呼吸を整え、また登る。
周りは360°の展望がひらけている。

「母の首飾り」という意味のアマダブラム(6856m)、手を伸ばせば届きそうなほど間近に迫っている。

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目の前に聳え立つ、「母の首飾り」という名のアマダブラム(6856m)。ナムチェからも見えたのですが、まるで違う山のように、形が違って見えます。
こんな間近でヒマラヤを実感できます。


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タボチェ(6542m)も誇り高く聳えています。

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こんな高所にも少なからず草木が生えています。もう4500mぐらいでしょうか?少しずつ頭痛を感じ始めました。

Img239
チュクン付近から見たヒマラヤ。2枚重ねてパノラマにしてみました。右側にひときわ高くそびえる山はヌプツェです。昨日見た感じとは、全く違って見えます。(3枚目の写真です)

標高5000m位のところまで登っただろうか。少々頭痛を感じる。
小ピークからチュクンへと下る。
ここで昼食にしたが、頭痛の度合いは徐々にはっきりと現われだした。

「高山病の初期症状か?!」

昼食後、ディンボチェへと下って行く。

ラジンが頭痛に効くからと、ニンニクを2片。ニンニクを生で食べるなんて初めてだ。

ディンボチェのロッジに戻り、再び、軽めの食事をとることにする。
ヌードルスープ(と言っても、普通のインスタントラーメン)にニンニクを入れて食べ、体を横にする。

夕食は、ダルバートにする。食欲だけは失っていない。
しかし、タルカリ(野菜)がほとんどなくて、ものすごく粗食となる。
栄養補給食品を持って来ていて良かった。

夕食後、頭痛は治まっていた。が、明日はいよいよロブチェ(4930m)である。
体だけは休めておこう。


ディンボチェ、ソナム・フレンドシップ・ロッジにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年2月 6日 (水)

ディンボチェでのひととき(再掲)

 ロッジで、ペリチェから高度順応のため、ここまでちょっと遊びに来たという日本人の学生2人と会い、話をする。
さらに、ロッジの庭のテントサイトにも1人の日本人。なんと彼は、たった一人でテントを持参し、マウンテンバイクでここまでやって来たのである。歩くことさえ大変な山道を、マウンテンバイクで・・・!

彼は、そこにいたすべてのトレッカーの注目を一身に浴びていた。が、悲しいかな、彼はほとんど英語ができないと言って、俺が通訳していた。

ドイツ人のトーァリンゲン夫妻やカナダ人のイングリッドさんをはじめ、誰もが彼のユニークな発想、冒険心に好意的だった。皆、にこやかに「日本人って、すごいこと思いつくんだなぁ!」とか、「カラ・パタールまで行くのかい?だったら、頑張れよ!」等など。

俺も彼に質問してみた。
「急な上り坂は、自転車担いで登ったのかい?」
「正直言って、担いで登ってる時間の方が長いです・・・」と、苦笑いで答えていた。

ここまでの道程を考えれば、確かにそうだろう。俺たちはザックを背負ってるだけだが、彼はさらにマウンテンバイクがあるのだから、その分、疲労も溜まるだろう。

彼は「実は高山病の症状が出始めて、チュクン(4730m)から下って来たんですよ」と、話していた。確かに、「へばってる」って感じだが、ここまで来ているんだ、ガンバレヨ!同じ日本人として、このバイタリティに拍手を贈りたい。

夕方、ラジンがこのロッジにはないチャン(ネパールの地ビール:濁り酒)を飲みに行こうと誘う。チャンなら、アルコール度数が低いから、高所でも大丈夫らしい。

チャンを飲みながら話をしていると、俺が間もなく30才という年齢にも関わらず、なぜ独身なのかと質問が集中。

「ビューティフルレディが来ないんだよ!」

冗談交じりに言うと、皆笑っている。さらに

「ラムロータルニ(ネパール語:美人、特に若い女性をいう)が欲しい!」

と、ネパール語で言うと、皆、大爆笑だ!
あ~ぁ、本当にネパールのラムロータルニと一緒になって、ネパールに住もうか?

夜、ロッジのオーナーと話をしているとき、俺はふと彼に、こう質問した。

「植村直己さんを知っていますか?」と。

彼の表情が一変し、しんみりと寂しげに、こう語ってくれた。

「直己は素晴らしい人だった。すごかった!でも彼は8年前(1984年)、カナダのマッキンリーで亡くなった。そしてその後、直己の映画を作るために、たくさんの日本人がこの街道沿いの村々にやって来たよ!」

俺は彼の言葉を聞いて、植村直己さんが、いかにネパールの人々に愛されていたかを実感することができた。
同じ日本人として、誇りに思う。


ディンボチェ、ソナム・フレンドシップ・ロッジにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年2月 5日 (火)

初めての4000m越え(再掲)

3月16日(月)晴れ
タンボチェ8:05~9:35パンボチェ10:05~13:00ディンボチェ

空いているベッドがほとんどないほど混んでいるロッジ。仲間たちとの朝食も、用意されるのに時間差があって、結局この日は、各々バラバラにスタート。

雪解け直後の道は、かなりぬかるんでいる。パンボチェまでは楽な道らしい。
途中、ヤクの隊商に道を阻まれ、超ゆっくリズムで歩く。

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タンボチェ村を出て、まもなく4000mを超えます。

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ヤクの隊商。ヤクは「ヒマラヤのトラック」と言われています。名前の通り、ヤクは「役」にたつ動物です。
牛の仲間ですが、高地に棲むため毛が長いのが特徴です。

パンボチェでティータイムを取り、そして1時間ほど歩き昼食にする。
遅れて歩いていたトーァリンゲン夫妻とイングリッドさんは、ここで俺たちに追いつき、追い越していく。

昼食を終え、ディンボチェへと向かう。そしてディンボチェの村が見えてきた。
すると、村の入り口に3人の人影・・・。そう、トーァリンゲン夫妻とイングリッドさんだ!

彼らはこの日も、俺たちともちろん一緒に過ごすために、待っていてくれたのだ。
3日前、俺たちがナムチェの村の入り口で皆を待っていたように、今度は彼らが俺たちを待っていてくれた!

そして、この日の目的地、ディンボチェに到着。標高4343mである。

こんな高所で泊まるのは、初めてだ。
かつて、マチャプチャレベースキャンプで泊まったが、3600mぐらい。
さらにその先の目的地、アンナプルナベースキャンプでも、3962mだった。

高山病にかからないかが、気にかかる。

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すでに標高は4200mを超えました。ヌプツェ(7855m)が見えてきました。もうすぐ、この日の目的地、ディンボチェ村(4343m)です。

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年2月 3日 (日)

世界の絵葉書 その40 ベネズエラ

 皆様、おはこんにちばんは (*゚▽゚)ノ

もう2月、あっという間に今年も1ヶ月が過ぎ今日は節分。
恵方巻きや福豆を頂いた方も多いことでしょう。
我が家は・・・全く関係なくいつも通り、何の変わりも無い1日でした。

 さて、久しぶりに『世界の絵葉書』紹介します。
ベネズエラから届いた絵葉書です。

ここで問題です。
ベネズエラは、一体どこにあるでしょう?正確な位置、分かりますか?

とりあえず、絵葉書、ご覧ください。

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原始の森そのもののような景色ですね。ここで人々はどのような暮らしをしているのでしょう?

送り主は『世界を股にかけ旅する男』のGさん。
「NYからさらに8時間。ジャングルの真ん中です。ここは・・・」とあります。
さらに、「ハガキの着く確率50%、・・・」ともありました。

どれほどの日数掛かって届いたかは覚えていませんが、無事に届いたことだけは事実です。

で、ベネズエラは・・・南米です。南米大陸の一番北に位置しています。南はブラジルと国境を接しています。
しかしこのような国へ、よく旅したものです。
ベネズエラと言えば近年『美人が多い』ことで有名ですから、美女探しにでも行ったのかな?

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