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2013年1月

2013年1月31日 (木)

We are "International Everest Trekking family " !(再掲)

仲間たちと共に、ここタンボチェの博物館を訪れる。
曼荼羅や、この地方に住む民族の絵が飾ってある。俺は、係員である僧侶にネパール語で尋ねてみた。

「(絵を指さしながら)フォト キチ パニ フンツァ ? (写真撮ってもいいですか?)」
僧侶は笑顔で「フンツァ(いいですよ)」と答えてくれた。

そして俺は写真を撮り始めた。すると仲間のイングリッドさんとエルマー氏が、
「dsching 、写真撮ってもいいのかい?」と驚きながら尋ねた。
俺は彼らに、僧侶の了解を得たことを話した。彼らも当然のように、写真を撮り始めた。

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シェルパ・カルチャーセンターに飾られていた絵。この地方の文化の一部だけでも、窺い知ることができます。

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これも曼荼羅です。描かれている山は、この付近の山のようです。

見学後、ロッジへ戻り自由に過ごす。ベッドルームにいても仕方がないので、皆ダイニングルームへと集まってくる。そこには初日のデウラリ以来、他の日本人宿泊客がいた。そして世界中から、多くのトレッカー。やはりルクラまで空路で来るトレッカーが多いということだろう。ルクラより下の村では、宿泊客が10人を越えたことはなかったのだから。

俺は一人の日本人女性に話しかけられた。その人は、ツアーで来ていたのだが高山病の症状が出て、ツアーを離れ一人のネパール人ポーターとともに、ここまで下って来たそうだ。その時、その人は日本から持参してきた「きつねどん兵衛」を食べていた。

「ワッ!食べたくなるような、いいにおい!」

しばらくの間、その人と話をし、彼女はベッドルームへと戻った。残されたポーターは全くと言っていいほど英語ができないらしい。そこで俺は、できる限りのネパール語で彼の話し相手になっていた。

やがて彼が「サーティ チャイナ ? (連れはいないの?)」と尋ねる。
「ツァ!メロ サーティ・・・、(いるよ!俺の友達は・・・)」
俺は、やや離れたところにいる仲間たち一人一人を彼に紹介し、最後にこう叫んだ。

「We are International Everest Trekking family ! (俺たちは、インターナショナル・エヴェレスト・トレッキング・ファミリーだ!)」と。

すると、仲間たちも全員、「イエース!」と答えてくれたのだ。

その途端、ダイニングルームは多くの感嘆の声と拍手に包まれた。

「オォー!ワンダフル!」
「ブラボー!」

中には、スタンディングオベーションで「素晴らしい!」と拍手してくれた方もいた。
日本、ネパール、カナダ、ドイツの4カ国5人のグループ、たくさんの人たちに称賛された。

別のテーブルでトランプをしようとしている女性から、俺も誘われた。
「dsching、あなたも一緒にやらない?」と。
その女性とは、この日が初対面なのに!もう俺の名前を覚え、トランプに誘ってくれたのだ。こんな嬉しいことはない!

他にも若い日本人男性の2人組がいたのだが、彼らは他の国の人とは全くコミュニケーションしようとしていなかった。俺とは、あいさつだけはしたのだが・・・。もっと勇気を出して他の国の人々とコミュニケーションすれば、また違った旅の想い出が作れるのに・・・。もったいない。

夕食は、仲間たち共に集まってワイワイしながら食べていた。そしてエルマー氏と共にムスタンコーヒーを飲む。

「エルマー、これが最後のムスタンコーヒーだよ。明日からは4000m超えるし、アルコールはとても危険だから!」

「イエス dsching 、俺もそう思っていたんだ!今日が最後だと!」

お互い、お酒が好きだからこそ、重々承知していることだ。高所での飲酒が平地と違い、どれほど酔いがまわるか、と同時に命の危険にもさらされるも。

俺とエルマー氏は、名残惜しむようにムスタンコーヒーを味わっていた。


タンボチェ・タシデレクロッジにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年1月30日 (水)

タンボチェへ(再掲)

3月15日(日)曇り
ナムチェ10:35~14:50タンボチェ

腕時計のアラームが鳴らず、7:40起床。おかげでぐっすり眠れた。
仲間たちも、そろって寝坊。とはいっても、どうしても早く出発、という理由はないので、誰も気にしてない。

朝食にパンケーキを食べ、その後、丘の上にある博物館へラジンとイングリッドさんと3人で行く。
ヒマラヤのパネル写真や生活用品、ヒラリー氏と共に世界で初めてエヴェレストに登頂したシェルパのテンジンの登山姿の人形もある。なかなか興味深く、面白い。
ラジンは「いつか、エヴェレストへ登ってみたい」と言っていた。

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博物館にて。エドモンド・ヒラリー卿と共に世界で初めてエヴェレストに登頂したシェルパのテンジン氏の登山姿の人形です。ちなみに「シェルパ」とは、ヒマラヤ登山の山岳ガイドとして、その名を世界に馳せていますが、本来はこの地域で暮らすチベット系少数民族のことで、チベット語で「東の人」という意味だそうです。

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曼荼羅(マンダラ)。仏の世界が描かれています。

10時ごろ、害虫に喰われてできた足の傷を診てもらうために、小さな診療所へ行った。
塗り薬を処方していただき、計70ルピー。高いのか安いのか、自分でもよく分からないが、日本へ帰って保険請求するほどの額(約210円)ではないことだけは確かだ。

ロッジへ戻りチェックアウト。
他の仲間たちも絵葉書を出すため、郵便局が開くまで待っていたようで、結局、皆一緒にスタートする。

ナムチェを出る最初の登りがきつい。が、やがて平坦な道に。

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ナムチェ~タンボチェにて。このような道を歩いて行きます。
10時過ぎ、絵葉書を出すため郵便局が開くのを待っていた仲間たちと共にタンボチェ村へ向かいます。初めは平坦な道でしたが、やがて谷を一気に下り、そして2時間ほど登りが続きました。

そして一気に川の方へと下っていく。下りきると、一軒のバッティ(茶店)があり、しばらく皆で休憩する。そして、橋を渡ると何やら小屋がある。中を覗いて見ると・・・、水力・マニ車だった。

*マニ車とは・・・、チベット仏教の経文が円柱の筒の中に入っていて、それを1回まわすと、お経を読んだのと同じ功徳が得られる、と言われています。

水力によって常に回っているこの大きなマニ車。この地域に住む人々と旅人の安全を祈願してくれているのでしょう。とてもありがたいものです。

そこから先は、再びきつい登り道。下った分、登らなければならないのだ。仲間同士、声かけ合いながら、一歩一歩着実に登って行く。

そして・・・とうとうタンボチェへ!標高3867m。富士山よりも高所に位置する村だ。

タシデレク・ロッジにチェックインする。

荷物をおろし、ラジンの案内で仲間たちとともに、この村にあるチベット仏教寺院と博物館を訪れた。

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タンボチェ村(3867m)で。ヤクが出迎えてくれました。

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宿泊したロッジ。宿泊者数は今までのところに比べ、かなり多かったです。

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マニ車を備えたチョルテン(仏塔)がありました。

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背後にはタムセルクが間近に迫っています。

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年1月29日 (火)

折り鶴をプレゼント(再掲)

バザールを見終えた後、11時ごろ、ガイドのラジンとイングリッドさんと3人で丘の上へ。博物館があるのだが、この日はお休み(ネパールでは、土曜日が休日で、日曜日が週の始まり)。天気も曇天で、エヴェレストは見えないが、眼前にそびえる峰々はその雄姿を見せてくれた。

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丘へ上がってみました。クシュム(6369m)という山だそうです。

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ヘリポートとクワンデリ(6187m)

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丘へはイングリッドもご一緒しました。

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高台から見たナムチェ村です。今では、焼き立てパンを売るベーカリーもあるようで、この地を訪れる外国人トレッカーに人気のようです。

昼食後は5人そろって散歩。お土産屋を見てまわる。アンジュラさんとイングリッドさんは手紙を出すらしく、絵葉書を数枚買っている。俺は、使い捨てカイロを見つけた。痛めた膝を温めるのに、ちょうどいい。

夜、やっと鶴の折り方を思い出した。カリコーラの村で、ヤンジーにプレゼントしたかったのだが、思い出せなかったのだ。

日記帳として使っているノートを、1ページずつ正方形に切り取って、仲間たちに鶴を折って見せる。そしてみんなに一羽ずつプレゼントすると、

「Oh,wonderful ! Japanese Origami ! (オォ、ワンダフル!日本の ” 折り紙 ”)」とイングリッドさん。

” 折り紙 ” という言葉を知っていたんだ!

ラジンもトーァリンゲン夫妻も、ニコニコしながら、とても喜んでくれた。日本の折り紙を目の前で見るのは、皆、初めてだったようだ。驚きと感心、そんな表情をしていた。

その様子を見ていた他のトレッカーたちに、「私にも!」「僕にも!」と頼まれ、一体いくつ折ったことやら・・・?しかし、断ることなく、頼まれるままに何羽も鶴を折り、皆にプレゼントした。

そうそう、カリコーラの可愛い働き者のヤンジーにも、帰りにプレゼントしよう。

ナムチェ・シェルパトレッカーズロッジにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年1月27日 (日)

今年も咲いた!デンマークカクタス・マリンディ

 皆様、おはこんにちばんは (◎´∀`)ノ

昨日、地元TV局の番組で、映画『三丁目の夕日』でも見事な役を演じた俳優・堤真一さんがネパールを旅したドキュメンタリーが放送されました。それによると・・・、
現在連載中のこのブログの『ネパール旅日記』に先日紹介した”ナムチェ”村。あれから20年余。すっかり”観光化”され、外国人トレッカー向けのパブまであるそうです。
さすがにビックリしました (゚o゚)ナニッ?!
しかしバザールの賑わいやカトマンドゥのアサン市場の様子は、「あの頃と変わっていない」と嬉しく思いました。

それはさておき・・・、冬の我がベランダ、何も咲いていません (>_<)!ただ、こぼれ種なのか、何やら分からない若葉だけがプランターを埋めています。
しかし、部屋の中に置いていたデンマークカクタス・マリンディ。それほど世話していたわけではありませんが、今年も赤い花を咲かせてくれました。

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年末に一つだけ、大きく膨らんでいた蕾が、ついに開きました。(1/3撮影)

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次に咲きそうな蕾も大きく育ってきていました。(1/3撮影)

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その10日後、さらに花開き、大きな蕾もまだあります。

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ベランダは寂しいのですが、部屋の中で半ば”放置”されていたデンマークカクタス・マリンディ。綺麗に咲いています。

ベランダのベゴニアはこの季節、”終焉”のようで、雑草の類の『ノボロギク』しか咲いていません。
それだけにこのマリンディ、私にはひとときの「癒し」です。

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2013年1月24日 (木)

ナムチェ・バザールにて(再掲)

3月14日(土)曇り
ナムチェ・バザール1日滞在

今日は1日、ナムチェ滞在日。トレッキングに出て初めての休息日だ。

いつもよりのんびり起床し、朝食をとる。もちろん仲間たちも皆一緒だ。

朝食後、毎週土曜日に開かれるバザールへ。食料品、日用品、衣類・・・、何でもそろっている。

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毎週土曜日開催されるバザール。近隣の村の人々だけでなく、何日もかけてやって来る人々もいるそうです。

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ナムチェ・バザールの「肉屋」さん。ヤクの肉でしょうか?ダイナミックな売り方です。

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日用品も食料品も、何でもそろっています。溢れんばかりの人々がそれぞれお目当てのものを買い求めていきます。

俺はここで、この先必要となるであろう、防寒用のアンダーズボンを買った。あちらこちら見ていたら、「味の素(タイ製)」が売られているのには、驚いた。

それにしても、賑やかなバザールだ。ナムチェに住む人々はもちろん、周辺の村からも多くの人々が、週に一度、このバザールへ買い出しに来るという。そして我々のようなトレッカー。数百・数千人の人々で、ごった返しになっている。

バザールを望む大きな岩に登ってみた。改めて、バザールの規模の大きさが分かる。曇っていたのが、にわかに陽が射してきた。

「Oh, here comes the sun ! (陽が射してきたワ!)」とイングリッドさん。

「Yes, here comes the sun ! 」と答える俺。

するとイングリッドさんが、ビートルズのあの名曲、"Here comes the sun " を歌い始め、俺もそれに合わせ歌った。イングリッドさんは、俺がこの歌を知っていて一緒に口ずさんだことを、とても喜んでいた。

俺はイングリッドさんに「Who do you like in Beatles ? (ビートルズの中で、誰が好き?)」と尋ねると、

「George Harrison. (ジョージ・ハリスンよ)」と彼女は答えた。

「Oh, me too ! Especially I like "Something" and "While my guitar gently weeps" (オォ、俺もだヨ!特にサムスィングと、ホワイル・マイ・ギター・ジェントリー・ウィープスが好きなんだ)」と、俺も答え、それらの歌も少しだけ、一緒に口ずさんでいた。イングリッドさんも俺も、これにはお互い、ご満悦!

しばらくして、例の日本人グループツアーと思しき3人の男女が、その大岩へと登って来た。

俺は仲間たちに「If they will say to us "Good morning!", we will answer to them "Ohayou". (もし彼らが "グツドモーニング!"と言ったら、俺たちは "おはよう"と答えよう )」と言うと、皆も

「Oh, yes O.K. (オォ、そうしよう)」と、笑いながら答えた。

実は、この頃すでに我々の間では、朝の挨拶は「グッドモーニング!」ではなく、なぜか日本語で「おはよう!」を使っていたのだ。

そして、グループツアーで来ている日本人は大岩を登りきって、案の定、俺たちに英語で「グッドモーニング!」とあいさつした。すると仲間たちは皆、こう答えた。

「Ohayou ! (おはよう!)」
「Ohayou ! 」
「Ohayou ! 」

まさか、日本語で「おはよう!」と返ってくるとは、想像だにしていなかったのか、彼らが呆気にとられているのが、良くわかった。

俺も、もちろん「おはようございます」とあいさつした。

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年1月23日 (水)

ムスタンコーヒーブラザーズ(再掲)

我々5人は、そろって昼食にする。メニューを見ると、ステーキがあるではないか!

「ヨシ!昼食はこれに決めた!」

ヤク(牛の一種。3000m以上の高地に棲み、毛が長く寒さに強い。)のステーキである。久しぶりの肉。量は少ないものの、おいしい!肉に飢えてたからなぁ!普通のビーフステーキとなんら変わりない。ホントにおいしかった。

昼食後、3日ぶりにシャワーを浴び、トレッキングに出て以来、初めて衣類を着替えた。そして洗濯。ここナムチェでは2泊の予定だから、ここで今のうちに洗濯しておかないと。俺がシャワーを浴びている間、村の散策に出かけていたトーァリンゲン夫妻とイングリッドさんが戻って来た。

「ヘイ、ジン。何をやってるんだ?」
「洗濯だよ。ここで2泊するだろ?だからさ。」

すると彼らも「なるほど」と思ったのか、同じように洗濯を始めた。もちろん、手洗いだ。洗濯機なんてあるわけがなく、バケツに水と洗剤を入れ、手でゴシゴシ。天気は今一つだが、明後日のスタート前までに乾けばいいのだから、大丈夫だろう。その後は、のんびりと体を休め、やがて夕食。

俺は昼食同様、またしてもヤクステーキにした。ホントにおいしかったし、量が少なかったので、また食べたくなったのだ!食事を終え、ちょっと寒かったのでストーブのそばで暖をとっていたら、エルマー氏が俺を呼ぶ。毎晩のように交わされる会話だ。

「Hey Dsching ! Do you want to Mustang Coffee ? (ヘイ、ジン!ムスタンコーヒー飲むかい?)」

これだけで俺を始め、ラジンやアンジュラさん、イングリッドさんも「また?」とばかりに大爆笑!

「Elmar , do you want ? (エルマー、君は?)」
「If you want , I want. (お前が飲むのだったら、俺も飲むよ)」
「I also , if you want , I want . By the way , is that the menu ? (俺もだよ。君が飲みたいなら俺も飲むよ。ところで、メニューにあるかい?)」
「No menu ! (メニューにはない!)」
「Yes , O.K. I will ask the boy . (わかった。じゃあ俺がボーイにできるかどうか聞いてみるよ)」

俺はそう言って、ロッジの厨房へ入って行き、キッチンボーイに尋ねてみた。メニューにロキシーもブラックコーヒーもあるのだから、この二つをミックスすればムスタンコーヒーになるので、当然できるはずだ。

しかし、メニューにないものの値段をどうするかだ。ボーイたちは相談して決めた。1カップ30ルピー。今までのところに比べると、やや高いな!

俺はエルマー氏に、
「They can Mustang Coffee available . But... a little bit expensive , 1 cup 30 Rs . (ムスタンコーヒーできるのだけど、ちょっと高いんだ。1杯30ルピーもする。)」
と、説明し、飲むかどうか相談する。

二人とも、さっきと同じ会話だ。お互い「飲みたいなら飲もうゼ(つきあうゼ)」ということだ。同じ考えで、二人してニヤリと笑い、当然のようにこの夜もムスタンコーヒーを飲むこととなった。

毎晩二人で飲む俺とエルマー氏を、奥さんのアンジュラさんは
「Dsching, you and Elmar are "Mustang Coffee Brothers ". (ジン、あなたとエルマーは ”ムスタンコーヒーブラザーズ”よ)」
と、命名してしまった。もちろん、イングリッドさんも
「Yes , I think so . (そう、私もそう思うワ)」
と、笑っていた。


ナムチェ・シェルパトレッカーズロッジにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年1月22日 (火)

シェルパの故郷、ナムチェ・バザールへ(再掲)

3月13日(金)晴れのち曇り
パクディン7:45~9:45ジョルサレ10:10~12:15ナムチェ

今朝は6時起床。16人の日本人ツアーグループより早くスタートした方がベター、という昨日の打ち合わせ通り、皆の用意も早い。

朝食の用意に時間がかかった。ずいぶん待たされて、朝食をとる。すると、昨夜は別だったフランス人の男とガイドが、ロッジの前を通りかかり、我々に気がついた。

彼らも我々と同じ考えで、日本人グループより早くスタートしようと決めていたらしい。俺が彼らに「まだ大丈夫だよ。彼らはまだ起きていないから、早くても8時過ぎ、いや9時ごろかも」と言うと、彼らはまだ朝食を取っていなかったようで、安心したように我々と一緒にそこで朝食にした。

朝食を終え、8時前にはスタート。陽は山に陰って冷んやりとしている。ジョルサレまでは楽な道だ。そしてジョルサレから ”サガルマータ(エヴェレスト)国立公園 ” に入域。ここで入域料650ルピーも支払わねばならない。これもヒマラヤの大自然を保護するためなら止むを得ないだろう。

 *エヴェレストは英語での呼び名。ネパール語では ”サガルマータ ”と言います。

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トレッキングの街道沿いに架かる橋です。何とも心もとない橋です。

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ここから「サガルマータ国立公園」内へ入ります。「サガルマータ」とはネパール語で「母なる山」、つまり「エヴェレスト」を意味します。

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ジョルサレにて 仲間たちとともにティータイム。
左から、俺・イングリッドさん・ラジン。右側はトーァリンゲン夫妻(アンジュラさん・エルマー氏)・ポーター。

ジョルサレからナムチェまでは700m差の登りで、かなりきつい。陽が照りつけ、パッティ(茶店)もなく、皆、適度に道端に腰をおろし口に水を含む。ここで相談した結果、「それぞれのペースで行こう!そしてナムチェの村の入り口でおち会おう!」ということになった。

皆、それぞれのペースで歩き、少しは離ればなれになったものの、最終的には合流する約束だ。そして俺とラジンは、ナムチェ村の入り口のカンニ(仏塔門)にたどり着いた。そこで仲間たちを待つ。トーァリンゲン夫妻、そしてイングリッドさんもきつい登り道を歩ききって全員がそろった。

ナムチェは、この地方最大の村。ヒマラヤ登山ガイドとして世界に名を馳せているシェルパ族の故郷である。

村が大きいだけに、ゲストハウスやロッジもたくさんある。我々もラジンの案内で、皆一緒に泊まる。しかし、あいにくシングルもツインも空いていなくて、5人部屋ならあると言う。我々もちょうど5人(トーァリンゲン夫妻が雇ったポーターはここでお役御免)だったので、同じ部屋で過ごすことにする。

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ナムチェ村までの急坂を、それぞれマイペースで登り切りました。村の入り口で皆で落ち合い、ナムチェ村へと入りました。標高は3446m。明日はこの大きな村でのんびり過ごします。

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年1月20日 (日)

ヤーコン&京芋

 皆様、おはこんにちばんは (*゚▽゚)ノ

『地球温暖化』と言われつつも、やはり「冬は冬」寒いですよネェ!
寒い季節には”暖か鍋”料理が一番 w(^o^)w!私も年末に買った『1000円詰め放題』のカニの脚を使った『カニ鍋』や、賞味期限寸前で安くなった『あんこう鍋セット』・『カキ鍋』など、週に2~3回ほど鍋料理を頂いています。もちろん、〆はご飯を入れて『雑炊』にします。
えっ?!「なんて豪華な・・・」ですか?
いえいえ、これも近所の激安スーパーで買ってきた食材だからこそできるのです (^_^)ニコッ!

 しかし、その激安スーパーでさえ今の季節は野菜が・・・(-_-)ウーン...。
もちろん他のスーパーに比べれば安いのでしょうが、それでもちょっと買い控えしてしまいます。
そこで、車で2~30分ほどの産直市場や『道の駅』へ行って、地元の『採れたて・新鮮野菜』を安く買い求めてきました。

そこで見つけたのが”ヤーコン”そして”京芋”。京芋は”エビ芋”とも”たけのこ芋”とも呼ばれます。どちらの野菜もスーパーではなかなか売っていなくて、産直市場ならでは!のものです。
ヤーコンは以前、香嵐渓で買ったことがありましたので、調理法は知っていましたが京芋は初めてです。
とにかく、ネットで調べて料理することにしました。と言っても、やはり『煮物』にするしかなかったのですが・・・。

まぁ、私なりに作った大雑把な男の料理、ご覧くださいませ (^_^)!

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上がヤーコン、下が京芋です。”¥100”、”¥120”の値段でした。

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ヤーコンをニンジンとベーコンと共に”きんぴら”風に炒めてみました。

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後日、ヤーコンをニンジン、チンゲン菜、エリンギと一緒に炒めてみました。

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京芋は厚揚げやこんにゃくなどと共におでん風の”煮物”で頂きました。

ヤーコンは見た目はお芋、中身は大根のよう・・・。味は梨みたい。
とても不思議な野菜です。食感はシャキシャキしていて生でもいけます。
京芋は、里芋の仲間のようですが、煮崩れしにくく繊維も豊富なお芋です。
初めて味わった(と思う?)のですが、私も母もとても美味しく頂きました。

隔週か月一で必ず産直市場へ行く(だって、新鮮な上に安い)ので、また売っているといいナァ (^o^)!

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2013年1月17日 (木)

日本人ツアー客(再掲)

午後のひと時をそれぞれのんびりと体を休めていたときのこと。ロッジのオーナーとラジンが深刻そうな顔で、何やら話している。彼らの会話の中から「ジャパニーズグループ」という声が聞こえた。

俺は彼らに
「どうしたんだ?何かあったのか?」と尋ねると、
「今夜、16人の日本人のグループがここで泊まることになった。そこで隣のロッジがオーナーの兄弟が経営しているので、そちらへ移ったらどうか?」と言う。

俺はすぐに決断した。16人ものグループツアーとは一緒になりたくなかったから!俺たちの会話を「何事か?」と思ったのか、トーァリンゲン夫妻とイングリッドさんもやって来た。彼らにも同じ説明をする。

「dsching、君はどうするんだ?」とエルマー氏。
「もちろん(隣へ)移動する。君たちは?」と聞くと、
「君が移動するなら、俺たちも移動するよ!俺たちはもう仲間じゃないか!」と答えてくれた。

俺は彼らに、俺が知っている限りの日本人ツアーのタチの悪さを説明した。参加者のほとんどがツアーリーダー任せ、そのくせ何か問題が起きたら文句ばかり。さらに自分たちだけの世界を作る、日本語しか使わない、他の人々とコミュニケーションしようとしない、もしかしたら俺たちに対して「ハロー」さえも言わないゾ、と。

そして、干してあったシュラフを片づけ、荷物をまとめ、となりのロッジへと移った。まったく、いい迷惑だ!俺は仲間たちに対して、

「申し訳なかった。同じ日本人として謝るヨ」と言うと、彼らは口をそろえて、

「dsching、君が謝ることないじゃないか!君は何も悪くない!君は彼らとは違う。インターナショナルだ!」と言ってくれたのだ。彼らは英語がへたくそな俺でも、「国際人」「仲間」と認めてくれた。本当に嬉しい!

俺たちが初めに泊まる予定だったロッジに、16人のグループが到着した。ロッジの前で記念写真を撮り始めた。16人といっても、もとはバラバラなのだろう、それぞれのカメラで同じ写真を撮っている。その様子を不思議そうに眺めているトーァリンゲン夫妻やイングリッドさん、そしてシンガポール在住のフランス人夫婦。

「自分たちも写真を撮ろう!」とエルマー氏が言うと、俺はカメラマン役を買ってでた。

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初めにチェック・インしたロッジに日本人の団体ツアーが泊まることになり、オーナーの勧めもあってすぐ隣のロッジへと皆で移動しました。キャンプをしながらトレッキングしているフランス人夫婦と我が仲間たちです。

その後は再び、自由に過ごす。このロッジにピーチワインがあると聞き、するとイングリッドさんが「私も飲みたい!」と言うので、一緒に飲んでみた。アルコール度数はやや高めだが、おいしかった。

ロッジの前のキャンプサイトでは、この日カトマンドゥからルクラまで飛行機で、そしてここまで歩いてきたというアメリカ人夫婦。彼らに「ハロー」とあいさつすると、「ハロー!あっ、こんにちは!」と日本語でもあいさつされた。俺はびっくりして、「こんにちは!」と言うと、「やっぱり日本人ですネ!」と、とても流暢な日本語が返って来た。

彼らは以前、京都に3年住んでいたことがあるそうだ。ご婦人は日本語がとても上手なのだが、ご主人は全く話せないらしい。彼らに16人の日本人グループのことを話すと、彼らもほぼ同感。ここまでの道中、何度か彼らと会っていたのだが、ほとんど誰も声かけようとしなかったらしい。

ご婦人はさらに、「日本人はせっかくの休みを、どうして自分のために使わないのか、なぜグループで行動するのか、とても不思議です。」と話していた。日本でもそのような光景を、何度も見ているからであろう。

そして私に対して、「あなたは今、トレッキングをしているけど、同時に英語の勉強もしてるでしょ?」と話した。

「英語の勉強?・・・あっ、そうか!」
「そう!だって英語でないと(仲間達と)コミュニケーションできないでしょ?」

言われてみれば、確かにそうだ。俺と仲間たちとの会話は常に英語。トレッキングをしながら英語の勉強、それも「生きた英語」を実践している!

「とても大事なことですヨ」と、ご婦人は話してくれた。

しばらくして付近を散歩していたトーァリンゲン夫妻が戻って来た。彼らは開口一番こう言った。

「dsching、君の言ったとおりだよ」と。

「何が」と思って聞いてみると、彼らは戻ってくる途中、ツアーで来ている日本人2人とすれ違ったらしい。日本人2人は前から歩いてくる彼らと目を合わせないようにしていたようだ。そこで、トーァリンゲン夫妻のほうからすれ違う直前に「ハロー!」とあいさつしたらしい。その時2人の日本人は、全く予期していなかったのか、びっくりしたようにあわてて「ハ・ハ・ハロー」と答えたそうだ。

俺が「”ハロー!”さえも言わないゾ」と話していたとおり、その日本人たちは挨拶しようとしていなかったのだ。トーァリンゲン夫妻は身をもってそれを実感したようだ。

だからこそ、逆に俺に対する皆の評価が高まったようだ。昨日の学生風の男3人組といい、今日のツアーグループといい、あまりにも恥ずかしい。「言葉ができない」のは俺だって同じ。でも、人として最低限、挨拶ぐらいできなくてどうする?海外へ来るのなら、もっとインターナショナルになれよ!

ここパクディンの村も、電気はまだない。明るいオイルランタンの下で夕食。もちろん、いつもの仲間たちとともに!そしてトランプ。いつもやっている「クレージー8(ページュ1と同じ)」ばかりではつまらないので、この日は「七並べ」。

ラジンは初めのうちの2~3ゲームは見ていたが、すぐにルールを理解したようで、当然「俺もやる」と言ってゲームに加わった。

「ねぇ~、だれ~?ここ止めてるのは?」
「さぁ?私じゃないわヨ!」
「知らないなぁ?」
「パス、何回までだった?」

などなど、にぎやかな笑い声がダイニングルームに鳴り響く。

そして就寝前、明日の出発時間の打ち合わせ。

「日本人ツアーグループより先にスタートしよう。人数も多いしペースも遅いだろうから、追い抜くのは大変だ。」
「じゃぁ、何時に起きて何時に出発する?」
「6時起床。7時半、遅くとも8時までには出発した方がいいだろう。」
「OK!」

そして床に就く。


パクディン・サンライズロッジにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年1月16日 (水)

楽な一日(再掲)

3月12日(木)晴れ
シュルケイ8:20~12:10パクディン

朝起きると左膝はまだ痛む。今日はほとんど登りだ。ゆっくり行こう。

今日も昨日同様、6人一緒にスタート。昨夜は、足の痛みもあって部屋で大人しくしていたが、ラジンや他の仲間たちは前夜のカリコーラと同じように、トランプをしていたようだ。そのせいだろうか、ラジンは俺だけでなく皆のガイドのようになっていた。

シュルケイからチャウリカルカまでは比較的、楽だ。途中、学校へ通う元気な子供たちと出会った。チャウリカルカからは多少のアップダウン。使い捨てカイロをバンダナに包み、膝に巻いて温めたせいか、昨日ほどの痛みはなかった。

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ドゥドゥ・コシ川沿いの道を歩きます。比較的フラットな道で安心しました。ドゥドゥとはミルクを意味します。つまり、乳白色の川なのです。


気がつくと、まだ昼食前だと言うのに、この日の予定地パクディンに到着。あまりにも早く到着したので、俺は他のメンバーたちが少しでも先へ進むのでは、と気になった。

しかし、彼らもそれ以上先へ進もうとせず、イングリッドさんは「Today is very easy day ! (今日は楽な1日だったね!)」と言って、みんなそろって同じロッジにチェックイン。

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パクディンの村にあるロッジ。手前はドゥドゥコシ川。吊り橋を渡っていきます。

俺はいつもなら個室の2人部屋にするのだが、ドミトリー(相部屋)がすごく日当たりが良くて、そちらへベッドを確保した。窓を開けると、1階の屋根があってそして閃いた。

「シュラフ(寝袋)を干そう」

ラジンもそれを聞いて、「ナイスアイデア!」と言いながら、シュラフをとりだした。そしてシュラフを干していると、トーァリンゲン夫妻とイングリッドさんがやって来て、

「dsching(ジン)、何やってるんだい?」と尋ねる。

「見てみろよ!日当たりがいいからシュラフを干しておくんだ!」

彼らはそれを見て、「自分たちも」と思ったのか、部屋へ戻りそれぞれのシュラフを干し始めた。

そして昼食を注文し、出来上がるまで皆、日向ぼっこしながらくつろいでいた。そして皆そろって昼食。午後は再び日向ぼっこしたり、昼寝をしたり、これまでの疲れを癒やすように過ごしていた。

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あまりの早い到着に、仲間たちは「先へ進む」と言うのでは?、と心配しましたが、「Today is very easy day !」と言って、皆一緒にここで泊まることになりました。
昼食を待っている間、のんびり日向ぼっこを楽しんでいます。

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年1月15日 (火)

さよなら!カリコーラ!(再掲)

3月11日(水)晴れ
カリコーラ8:10~12:15ポイヤン13:30~16:00シュルケイ

今朝、ゲストハウスの売店で売っていたツナ缶を買い、チャパティにサンドして食べた。なんだか無性に食べたくなって、高いけど食べずにイライラするよりはいい。

アンジュラさんの調子が良くないようで、トーァリンゲン夫妻は1人ポーターを雇うことにした。このときも、ヤンジーを呼んで頼んだようだ。笑顔が素敵で働き者のヤンジー、皆の人気者だった。

印象深いカリコーラを1泊で去るのは淋しい気もするが、そうも言っていられない。まだ先は長いのだ!

この日は、トーァリンゲン夫妻が雇ったポーターを含め 6 人そろってスタートする。カリコーラより、急な登りが続く。1時間も登ると、カリコーラの村がずいぶん下に…。素敵な思い出をくれたカリコーラの村、そしてヤンジー!本当にアリガトウ!サヨウナラ!

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カリコーラの村を望む。ヒマラヤトレッキングは、このような所を行くのです。
カリ・コーラの村を出ると、さっそく急な登りが待っていました。登りきった丘からカリ・コーラを眺めます。ヤンジー一家はその後、この場所(ブプサ村)へ引っ越し、ここで新たなロッジを経営していました。2年後の1994年、この地でヤンジーと再会しました。

左膝は初めは順調だったが、徐々に痛みだしてきた。

ポイヤンにて、6 人皆そろって昼食とする。

我々が食事を待っていると、久しぶりに日本人と出会った。3 人の男、学生だそうだ。彼らはジリからナムチェまで 5 日で行くつもりだと言う。我々が 8 日かけて歩く道程をたった 5 日で!

それを聞いたトーァリンゲン夫妻とイングリッドさんは「スゴイ!彼らは鍛えられているのネ!」と言って、感心していたが、しかし彼らはそのとき、とにかく先を急ぎたかったのか、お店の人に自分たちが注文したものを、せかすように、こう言った。

「ご飯、ご飯」「ラーメンはまだ?」

英語でもなければネパール語でもない、日本語でこう言ったのだ。俺は彼らを、あきれた目線で見ていた。いくらなんでも、それはないだろう!ここで日本語が通じると思うのか?頭が痛くなりそうだ!お店の人も、「何?」って困惑顔で彼らを見ていたし。

実際に仲間たちも、「彼らは日本語を話しているのか?」と俺に訊いてきた。「そうなんだヨ」と俺は苦々しく答える。もちろん彼らも、それを知ってあきれていた。

我々がのんびり昼食をとっているのに、彼らは我々より後に来たにもかかわらず、昼食を終えた途端にスタートして行った。そしてガイドのラジンが・・・「クレージーだ!」と、一言。

初めこそ感心していた我々だが、ラジンの一言に皆、「確かに、あれはクレージーだ!」「このペースでいけば、間違いなく高山病にかかるわヨ!」と、彼らの行動を批判していた。俺も当然!彼らと同じ意見だ!急ぎすぎるうえに、通じるわけがない日本語!同じ日本人として「恥ずかしい~!」

ポイヤンからはハードな下り。階段のようになっているが、それでも道はあまり良くない。左膝が激しく痛む!

途中で皆に「俺はゆっくり行くから、先に行っていいヨ!」と言って、先行してもらい俺は遅れてゆっくり歩く。

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振り向けば、ヒマラヤの高峰がずいぶん間近に見えてきました。この後しばらくは平坦な道でしたが、やがて階段状の下り坂。そこで膝が悲鳴を上げ始め、大幅にペースダウン。仲間達には「ゆっくり行くから」と言って、先に進んでもらいました。

キャンプをしながらトレッキングしているフランス人夫婦のポーターから声かけられた。

「バト・ラムロー・チャイナ!(道が良くないね)」

俺もうなずきながら、彼にネパール語で応えた。

「フンチャ、バト・ラムロー・チャイナ!(うん、道が悪いネ)」と。

彼とはこれまでにも幾度か会っていて、ネパール語しか話せない彼は、多少ネパール語を話せる俺とコミュニケーションするのを、とても喜んでいた。

皆より遅れることおよそ30分。なんとかシュルケイに到着。

ロッジのダイニングルームに、何枚かの絵葉書が!見たことがある景色だ!

「涸沢(からさわ)だ!」

北アルプスの紅葉の名所、涸沢の絵葉書がなぜかここに飾られていた。俺はラジンや仲間たちに「これは日本の絵葉書だよ」と紹介した。

足の痛みと疲れからか、この日は皆との団らんのひと時を過ごす気力もなく、夕食後は部屋で大人しくしていた。
このロッジは、電気はなかったが、部屋はこれまでの村同様にきれいだった。


シュルケイ、シェルパ・ガイド・ロッジズにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年1月14日 (月)

木曽三川公園のイルミネーション 2012

 皆様、おはこんにちばんは (◎´∀`)ノ

年が明け早いもので、はや半月経とうとしています。
いかがお過ごしでしょうか?

今さらではありますが、昨年見に行きました木曽三川公園のイルミネーション『冬の光物語』、紹介しようと思います。
12月25日が最終日で、何とかぎりぎり見に行くことが出来ました。

では、メルヘンチックなイルミネーション、ごく一部ですがご覧ください。

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園内の様子です。地上のイルミにはワイングラスが!

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ロマンチック・イルミネーション・ミュージカルが見られます。まさに『音と光のファンタジー』

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上の写真の左側面は鐘のある教会でした。

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池の上には『光の道』が!たくさんの人で賑わっています。

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ゴンドラもあります。ベネチアのイメージでしょうか?!

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クリスマスの夜にふさわしいですネェ!

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『煌きのラビリンス』、ファンタジーな街が出現しました。

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この街の住人はどんな人たちでしょう?!

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本当は、こちら側から見なければなりませんでした (^_^;;!

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公園の北と南をつなぐトンネル内もこの通り。壁には白黒の映画が・・・(・_・?

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「グレゴリー・ペックだ!」と思い、しばし見ていたら「あっ、オードリー・ヘップバーン!」
つまりは『ローマの休日』でした。私の大好きな映画です。このシーンも覚えています。

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公園南側も、ハンギング・バスケットにイルミが!

もっとたくさん素敵なイルミネーションがありましたが、たくさんの人々であまり写真が撮れなかったり、ピンボケしたりして充分紹介できませんでした。
少しでも雰囲気を感じて頂けたら、幸いに思います。

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2013年1月10日 (木)

可愛い働き者、ヤンジー(再掲)

それにしても、このロッジの娘、ヤンジーという名前だそうだが、本当によく働いている。まだ2才位の弟がいて、母親のお手伝いをしているのだろう。

確かにネパールでは、どこへ行っても子供でさえ重要な働き手で、どの子供も一生懸命お手伝いしている。「もう一人前の大人だよ」といった表情だ。それゆえ、今一つ可愛らしさが感じられなかった。

しかしヤンジーは、今まで見てきた子供たちとは、表情がまるで違う。いつもいつも、ニコニコ、そして、ちょこまかちょこまかと動きまわっている。何かを頼んだ時も、注文したものを運んでくる時も、いつも笑顔を絶やさない。最上の笑顔!

一緒にいる仲間たちも、同感のようだ。何か注文するときは、必ず彼女を呼ぶ。すると、ニッコリ笑いながら小走りで聞きに来る。本当に素敵な少女だ。

「あの少女は、本当に一生懸命働いているよネ!それに、すっごく素敵な笑顔をしている。」と、何度も口にした。
するとアンジュラさんが「ヘイ、dsching !あなたも素敵な笑顔しているわヨ!いつもニコニコしている。」
イングリッドさんも「そうよ!あなたはいつもニコニコしている。」と言う。

ウレシイ!!

俺だって、皆が笑顔でいてくれるから、別館に泊まるというラジンを説得して、皆がいるここへとやって来たのだ。そして今、皆で笑いながらトランプで遊んでいる。最初は見ていただけのラジンも、ゲームに加わり、ルールを飲みこむと次第に笑顔になり、すっかり解けこんで楽しんでいた。

ロッジは、ちょっとした売店も兼ねており、ゲーム途中でふざけて売店のショーケースの向こうへ立ち、写真を撮ってもらおうとした。そのとき子供たちに声かけると、ヤンジーが嬉しそうにやってきて一緒に写真を撮ってもらった。

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ロッジ内の売店で。ヤンジーに「一緒に写真撮ろうよ」と言うと、喜んでやってきました。

皆にヤンジーを、「俺の娘だ!」と冗談を言うと、
皆、「何言ってるのよ!あなたの娘にしては大きすぎるわヨ!」と笑いながら返してくる。

俺は何と幸運なのだろう!こんな素敵なメンバーと共にトレッキングを楽しみ、とても素敵な少女に出会った!

この日の夜は、いつもより夜更かしして9時半過ぎまで皆で遊んでいた。ムスタンコーヒーもいつもより多めに飲み、最高にハッピー!

床に就く前に、ヤンジーに持っていたペンなどをプレゼントした。折り鶴も作って贈りたかったのだが、折り方がどうしても思い出せなかった。残念だ。


カリコーラ・ファイブスターホテルにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年1月 9日 (水)

仲間たちとの楽しい夜(再掲)

ここカリコーラにも電気がある。しかも、このロッジには蛍光灯があるのだ。出てくる前のトレッキングのイメージとは大違いだ。

夕食はシェルパシチュー。しかし、先日ジュンベシで食べたものとは異なり、ヌードルではなくライスである。「おかゆ」のような「おじや」のような「雑炊」のような…、でもとても美味しかった。

食後、ムスタンコーヒーという、ロキシー(ネパールの焼酎)のコーヒー割を注文すると、エルマー氏が
「dsching(ジン) 、ムスタンコーヒー飲むのかい?」と尋ねる。
「あぁそうだよ」と答えると、
「俺も!ムスタンコーヒー!」とエルマー氏。
「エッ!エルマー。あなたもムスタンコーヒー飲むの?ビールじゃなくて?」
「あぁ!ビールは高すぎる。でもムスタンコーヒーは安いだろ?」

彼は、昨日も一昨日もビールを飲んでいたのだが(さすがドイツ人、ビール好き)、ビールは中瓶で80~100ルピー。ムスタンコーヒーはカップ1杯10ルピー。これなら何杯か飲めるし、コーヒーも好きという彼にとって、一石二鳥!俺達2人はムスタンコーヒーで「カンパーイ!」。完全に意気投合!「飲み仲間」までできてしまった。

イングリッドさんが一度部屋へ戻り、そして
「トランプやらない?」と、トランプを持って戻って来た。俺はもちろん、トーァリンゲン夫妻も、「やろう、やろう!」と乗り気だ。

「”クレージー8”って知ってる?」とイングリッドさん。
「いや、分からない」と俺やトーァリンゲン夫妻。

イングリッドさんがルールを説明するのだが、俺もトーァリンゲン夫妻も日常的に英語を使っているわけではないせいか、何となくわかったような、でもわからない。しかし、少しは理解できたので俺は、

「とりあえず、やってみよう!やれば理解できるだろうから!」と言うと、
「そうだよ。まず、やってみよう!」とエルマー氏。

ガイドのラジンにも聞いてみると、彼は今まで全どトランプで遊んだことがないようで、「見ている」と言った。

カードが配られ、イングリッドさん主導のもとゲームを始める。そして俺は気がついた。

「わかった!これ、日本では ”ページュ1”って言うんだ!」

そしてトーァリンゲン夫妻も

「俺たちも知ってるヨ!ドイツにも同じゲームがあるヨ!」と答えていた。

2ゲーム目からは、皆すっかり楽しんでいた。
俺はラジンにルールを教えながらプレイしていた。そして頃合いを見て彼に、

「そろそろやってみないか?」と尋ねるのだが彼は、
「いや、まだよく分からない」と言う。

さらに数ゲーム、4人で楽しむ。お互い勝ったり負けたり、一喜一憂!ロッジの人たちも、我々のにぎやかな声に微笑んでいた。俺とエルマー氏はムスタンコーヒーがなくなるたびに、ロッジの娘さんのヤンジーを呼んで注文する。彼女はいつもニコニコしながらやってくる。

もう一度ラジンに「やってみないか?」と聞くのだが、彼は「いや…」と笑いながら答える。俺は彼に

「見ているだけじゃ、絶対に覚えられないヨ!やってみろヨ!やれば解るから!」と言うと、
「そう!dsching の言うとおりヨ!やってみれば解るわヨ!」とイングリッドさんとトーァリンゲン夫妻。

とうとうラジンもゲームに加わった。初めのうちは、俺が多少手助けしたのだが、2ゲーム3ゲームと進むにつれ彼も完全にルールを理解したようだ。

日本、ネパール、ドイツ、カナダ。4つの国、言葉も文化も違う者同士がそれぞれの壁を克服し、一つのゲームを楽しむことができた。なんとも ” インターナショナル ” な交流だ。彼らとの距離が完全に無くなった。「飲み仲間」、そしてトランプ。お互いに同じ時、同じ場所を目指して歩く者同士、絆が深まった。


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この日は皆で、トランプをして楽しみました。「クレイジー8」というゲームで、イングリッドがルールを説明してくれたのですが、分かったような分からないような・・・。とりあえずやってみると「ページュ1」と同じ。いつも以上に夜更かしして、大いに楽しみました。

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年1月 6日 (日)

「ヒマラヤの少女・ヤンジー」との出会い(再掲)

昼食ができるまで、ずいぶん待たされた。
理由は…、我々が注文してから水を汲みに行っていた、つまり…、そこで初めて米を炊き始める、からです。

我々も昼食には早過ぎる時間(10:40)に着いていたし、何事もビスタリ(ゆっくり)の国だし…。

1時間ほど待って、ダルバートができた。山間地とはいえ、おいしい!特にカレー味のポテト!ポテトそのものが日本のものよりもおいしい!無農薬だからかな?

ダルバートをお腹いっぱい食べ、休憩した後、出発する。
ドイツ人のトーァリンゲン夫妻は既に出発しているので、イングリッドさんとガイドのラジン、そして俺の3人でカリコーラの村へと向かう。

ジュビンから1時間ほど、”へいこら”と登り切るとカリコーラはもうすぐそこ。
緩やかな下り坂を行くと、いつもよりずいぶん早い時間に目的地に到着。

しかし…、トーァリンゲン夫妻の姿がない…?ラジンが案内したのは、ファイブ・スター・ホテルの別館だった。トーァリンゲン夫妻は、本館へ行ったのだろう。イングリッドさんはすぐにそちらへ向かった。

ラジンはここで泊るつもりのようだが、俺は彼に
「俺たちもそちらへ行こう!」と主張した。
だってトーァリンゲン夫妻は、俺たちが来ることを信じて待っているはずだから!それに、彼らと一緒のほうが楽しく過ごせるし…。

ラジンも俺の気持ちを汲んでか、「そちらへ行こう」ということになった。

ファイブ・スター・ホテルに着くと、エルマー氏は外でのんびり読書をしていた。
「アンジュラさんは?」と聞くと、体調が悪く部屋で休んでいるらしい。

部屋に案内され、ホットシャワーを浴びることにする。
ダイニングルームで皆でのんびりしていると、アンジュラさんもやって来た。

「大丈夫?」と声かける。
「何とかネ!」

この日はロッジの名前同様、宿泊客も我々5人だけ。
「確かに、ファイブスターだワ!」


ふと見ると、このロッジの経営者の娘さん、とても可愛らしい!まだ12~3才位だろうか?学校から帰って来てからずっとロッジのお手伝い。しかもニコニコ楽しそうに!

そして彼女は、軽めの食事を始めた。ツァンパ(麦こがし)だ。俺も少しだけいただいたのだが、味はあまりない。” 味気ないきび団子 ”のような感じだ。

それぞれのカメラで、5人そろって一緒に写真を撮った後、俺はロッジの娘へとカメラを向ける。しかし彼女は洗い物をしていて、なかなか振り向かない。だが、仲間たちの声とその場の雰囲気に気づいたのか、チラッと振り向いてくれた。

その瞬間を俺は逃さなかった。
彼女は俺の向けるカメラに、ニッコリと笑って答えてくれた。

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この日は早々と目的地、カリ・コーラ村に到着。宿泊したロッジには、笑顔が素敵な可愛い少女、「アルプスの少女・ハイジ」ならぬ、「ヒマラヤの少女、ニマ・ヤンジー・シェルパちゃん」がいました。幼い弟の面倒を見ている母親に代わって、ロッジのお手伝いを一生懸命、しかもニコニコと楽しそうにしていました。その様子を見ているだけで、すがすがしい気分になりました。

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たくさんの荷物を背負ったポーターたちが通り過ぎていきます。一体何キロあるのでしょう?そしてどこまで行くのでしょう?

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カリ・コーラ村で泊まったロッジ、「ファイブ・スター・ホテル」です。この日の宿泊客も3日続けて一緒の5人、まさに「ファイブ・スター」ホテルでした。

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子供たちが元気な声をあげて、遊んでいました。

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年1月 5日 (土)

ファイブスター?(再掲)

3月10日(火)晴れ
ヌンタラ8:00~10:40ジュビン12:30~14:00カリコーラ

 今朝も 6:30 起床。気温は10℃位。
朝食を終え、イングリッドさん、トーァリンゲン夫妻とともにスタートする。

歩きはじめると、左ひざが痛む。ラジンのペースに無理して合わせる必要はない。
ゆっくりマイペースで行こう。一緒にいる仲間たちも俺の膝を心配している。
エルマー氏は湿布を分けてくれるし、イングリッドさんも時折気にして「大丈夫?」と声かけてくれる。嬉しい限りだ!

朝食がポリジ(粥)だったので、早々とお腹が空いてジュビンにて昼食とする。
イングリッドさんも同じ。エルマー氏は今、下痢気味らしい。彼はそれをジェスチャーで示した。

「食事をすると(お尻から)シャー、なんだ」って具合に。
これにはさすがに皆、理解することができた。

アンジュラさんはそれ以上に体調を崩しており、全く食がのどを通らないらしい。
彼らはここでコカ・コーラを飲んだだけ。俺とラジン、イングリッドさんは気長に食事を待つ。

トーァリンゲン夫妻は先に出発する前、
「今日もシェルパ・ガイド・ロッジズかい?」と尋ねた。
ラジンは「いや、今日はファイブ・スター・ホテルだ」と答える。

するとエルマー氏は、我々一人ひとりを指さしながら、
「ワン、ツー、スリー、フォー、ファイブ!オォッ!俺たちちょうどファイブスターじゃないか?!」と、おどける。

これには皆、納得の笑顔!

「そうね、私たち5人のスターだワ!」とイングリッドさん。
「エルマー、あなたってホント楽しい男だよ!」と俺。
「何言ってるの dsching(ジン) ? あなただって同じでしょ?」とアンジュラさん。
「そうよ!だから一緒にいるんじゃない!あなたがいると楽しいもん!」と再びイングリッドさん。

実に愉快で楽しいメンバーがそろったもんだ!
この感じなら、毎晩一緒に楽しく過ごせそうだ!

*この旅日記は1992年のものです。

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2013年1月 1日 (火)

賀正

 明けまして
 おめでとうございます

皆様にとって本年が
実り多き素晴らしい年になりますよう
心よりお祈り申し上げます

本年も『慕辺未行 古い旅日記』をどうぞよろしくお願いいたします

2013 正月元日

 皆様、おはこんにちばんは (◎´∀`)ノ

良い年をお迎えすることができたでしょうか?元日、どのように過ごされたでしょうか?
初日の出、初詣・・・お屠蘇にお節・・・

私の今日一日は、朝はお雑煮とお節をいただき、11時ごろ兄が来宅しお墓参りへ。
昼は母と兄と3人で回転寿司へ。食後はそのお店から近いこともあり尾張4観音の一つ、甚目寺観音へ初詣に行きました。本堂までは初詣客の長い列が!15~20分ほど並んだでしょうか、無事お参りすることが出来ました。
帰宅して、お湯を注ぐだけで出来る甘酒を頂き、夕食は白ワインを飲みながらカニ鍋。食事をしながら母にこれら今日1日のことを振り返ると、「良い正月になった」と言っていました。
兄も昼食ついでに思い立って行った初詣を、とても喜んでくれましたし、私なりに母と兄に正月らしい演出が出来たかな?と満足です。

皆様は、どんなお正月だったでしょうか?

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大みそかに頂いた年越しそば。具は、玉ねぎとむきエビのかき揚げと甘辛く味付けしたお揚げ、なると巻きとネギ。

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近所にある激安スーパーで買ってきた正月料理を2段の重箱に入れた我が家の”お節”。
写真にはありませんがもう一品『ワカサギの甘露煮』もあります。

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