どっちが日本人?ネパール人?(再掲)
3月9日(月)晴れ
ジュンベシ8:00~12:25リンモ13:50~14:45タクシンドゥ峠14:55~17:00ヌンタラ
朝、起きてみると左ひざが痛む。登りはいいが下りが辛い。階段の上り下りさえも苦痛だ。やっと筋肉が慣れてきたころなのに…。それでも行かねばなるまい。
夕べ一緒にシェルパシチューを食べた仲間たちとは、実は目的地もスケジュールも同じだった。
ドイツ人のトーァリンゲン夫婦とカナダ人のイングリッドさんが持っていたガイドブックは、いずれも「ロンリープラネット」。「地球の歩き方」の元となるガイドブックだ。
俺のガイドのラジンがそれを見て、「それに書いてあるスケジュールで行くんだ」と言った。
最終目的地も、カラ・パタールで一致していた。
ドイツ人のエルマー氏は「それじゃぁ、俺たち最後までずっと一緒じゃないか!」と、すっかり意気投合。そして皆一緒にスタートした。
連日のように好天に恵まれたこの日、プッテンにて世界最高峰エヴェレストが姿を見せてくれた。まだまだはるか彼方ではあるが…。
トレッキング4日目にして、もはやエヴェレストを眺められるとは…!
プッテンにて。写真を重ねパノラマ風にしてみました。ヒマラヤの雄大さ、荘厳さが実感できます。エヴェレストもわずかですが左端に見えます。
リンモに到着し、俺は昼食。しかしトーァリンゲン夫婦とイングリッドさんは、まだお腹が空いていないようで、
ここではティータイムだけにしていた。
と、そのときである。突然日本語で声かけられた。
「あなたは日本人ですか?」
彼を見ると、明らかにネパールの人である。
「フンツァ、マ・ジャパニ・フゥ (ええ、私は日本人です)」
「おっ!なかなかネパール語できますネ」
「タパインコ・ジャパニ・デレィ・ラムロ・ツァ (あなたの日本語は上手です)」
「アハハ!面白いですネ!ネパール人の私が日本語で聞いて、日本人のあなたはネパール語で答える。すごく面白いです。」
ラジンは日本語は分からなくとも、俺のネパール語で会話の内容はわかったのだろう、とても笑っていた。
しかし、イングリッドさんとトーァリンゲン夫婦は全く分からない。
彼らは俺に「何語で話しているんだい?」と尋ねる。
「彼は日本語で尋ね、俺はネパール語で答えているんだ」と言うと、
彼らは皆、感心したように微笑んでいた。
食事を待っている間、声をかけてきたバジェンドラ氏とネパール語・日本語混合で会話したり、カトマンドゥで教えてもらった ”マルシャンディ・シャララ ” を歌ったり…。
彼は技術研修で1年ほど日本へ来たことがあり、今はコンピューター関係の仕事をしているそうだ。
日本では、名古屋へも来たことがあり
「お殿様とお姫様のお祭り(”なごやまつり”の”英傑行列”のことだろう)が、とても楽しかった」
と話してくれた。
まさか、ネパールの小さな山村で、地元のお祭りの話題が出るとは思いもしなかった。
*この旅日記は1992年のものです。
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