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2012年12月

2012年12月31日 (月)

良いお年を!

 親愛なるブログ友達の皆様へ

この一年間、拙い私のブログにお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
心温かいコメントも多数いただき、感謝しております。

来る年が皆様にとって、健康で幸せな一年でありますよう、心からお祈り申し上げます。

それでは、良いお年をお迎えください。

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どこまでも光り輝く未来でありますように!

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2012年12月30日 (日)

トレッキングファミリー結成?!(再掲)

リンモで楽しく会話をしているうちに、イングリッドさんとトーァリンゲン夫婦はティータイムを終え先へ進んだ。
俺はここでダルバートを食べ、お腹は満たされた。

食事を終え、左ひざの痛みに耐えながらタクシンドゥ峠を越え、そしてひたすら下る。
すると、ある一軒の店の入り口脇に、見覚えのある3つのザック。店の中へ入ると案の定、彼らがいた。

今度は俺たちがティータイム。彼らは昼食。しばし楽しい時を過ごし、そして俺とラジンは先へと進んだ。

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タクシンドゥ峠を越えると、小さな村に立派なゴンパ(お寺)がありました。


1時間ほど歩き、またティータイム。ヒマラヤ・トレッキングはこまめに休憩し、水分補給しないと最後まで体が持たない。そして店を出ると…、

「ハロー!ハロー!」

呼んでいたのはエルマー氏だ。彼は走りながらやって来た。
俺たちは「何事か?」と思い、彼を待っていた。

ハァハァと息を切らしているエルマー氏に俺は、
「どうしたんだい?アンジュラさんとイングリッドさんは?」と、尋ねた。

彼は、「そのうちに来るヨ!」と、言って
「今日ヌンタラで、どのホテルに泊まるのか、聞くのを忘れていたんだ。どこに泊まるんだい?」と、尋ねた。

ガイドのラジンは、「シェルパ・ガイド・ロッジズだよ」と、答えた。
つまり彼は、この日も俺たちと同じロッジに泊まるつもりで、それを知りたいがために走ってきたのだ!だからこそ、彼らは昼食をとっている店の外にザックを置いておいたのだろう。俺たちが気づくように、と。しかし肝心なことを聞き忘れて・・・。
やがてアンジュラさんもイングリッドさんも追いついた。

俺たちはすでにティータイムを取り終えたのだが、彼らに尋ねると、彼らはここでしばし休憩するらしい。そりゃそうだろう!みんな俺たちに追いつこうと、走ってきたのだから!

俺はラジンにヌンタラまでの所要時間を聞いた。

「2~30分だ」

「なに?ほんの2~30分?ラジン、もう一回ティータイムだ」

そう笑いながら言うと、ラジンも笑いながら「OK!」。

皆一緒に同じ店で、再びティータイムを取った。
お店の人に、ずいぶん笑われた。出発したはずのトレッカーが、また入ってくるのだから当たり前か!

そして5人でヌンタラへ。ガイドと共に歩いているフランス人の男性も、そのロッジにいた。3日続けて同じ顔ぶれだ。

ここヌンタラにも電気がある。もちろんホットシャワーも。
このロッジのオーナーは、日本の登山隊に同行した経験があるそうで、日本料理も少々できるそうだ。

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この日の目的地、ヌンタラ村に到着。宿泊したロッジです。昨夜の仲間たちも皆、一緒でした。

夕方、ロッジの近くを散歩しようとすると、エルマー氏も一緒に行くと言った。
彼は、日本のことを色々尋ねてきた。日本の形とかどのあたりに住んでいるのか、など。
彼らとの距離が、ずっと近づいたような気がした。

それにしても、一昨日のセテよりトイレが洋式になっているのが、意外な感じで面白い。


ヌンタラ・シェルパ・ガイド・ロッジズにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2012年12月29日 (土)

どっちが日本人?ネパール人?(再掲)

3月9日(月)晴れ
ジュンベシ8:00~12:25リンモ13:50~14:45タクシンドゥ峠14:55~17:00ヌンタラ

 朝、起きてみると左ひざが痛む。登りはいいが下りが辛い。階段の上り下りさえも苦痛だ。やっと筋肉が慣れてきたころなのに…。それでも行かねばなるまい。

夕べ一緒にシェルパシチューを食べた仲間たちとは、実は目的地もスケジュールも同じだった。

ドイツ人のトーァリンゲン夫婦とカナダ人のイングリッドさんが持っていたガイドブックは、いずれも「ロンリープラネット」。「地球の歩き方」の元となるガイドブックだ。

俺のガイドのラジンがそれを見て、「それに書いてあるスケジュールで行くんだ」と言った。
最終目的地も、カラ・パタールで一致していた。

ドイツ人のエルマー氏は「それじゃぁ、俺たち最後までずっと一緒じゃないか!」と、すっかり意気投合。そして皆一緒にスタートした。

連日のように好天に恵まれたこの日、プッテンにて世界最高峰エヴェレストが姿を見せてくれた。まだまだはるか彼方ではあるが…。
トレッキング4日目にして、もはやエヴェレストを眺められるとは…!

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プッテンにて。写真を重ねパノラマ風にしてみました。ヒマラヤの雄大さ、荘厳さが実感できます。エヴェレストもわずかですが左端に見えます。


リンモに到着し、俺は昼食。しかしトーァリンゲン夫婦とイングリッドさんは、まだお腹が空いていないようで、
ここではティータイムだけにしていた。

と、そのときである。突然日本語で声かけられた。

「あなたは日本人ですか?」

彼を見ると、明らかにネパールの人である。

「フンツァ、マ・ジャパニ・フゥ (ええ、私は日本人です)」

「おっ!なかなかネパール語できますネ」

「タパインコ・ジャパニ・デレィ・ラムロ・ツァ (あなたの日本語は上手です)」

「アハハ!面白いですネ!ネパール人の私が日本語で聞いて、日本人のあなたはネパール語で答える。すごく面白いです。」

ラジンは日本語は分からなくとも、俺のネパール語で会話の内容はわかったのだろう、とても笑っていた。
しかし、イングリッドさんとトーァリンゲン夫婦は全く分からない。
彼らは俺に「何語で話しているんだい?」と尋ねる。
「彼は日本語で尋ね、俺はネパール語で答えているんだ」と言うと、
彼らは皆、感心したように微笑んでいた。

食事を待っている間、声をかけてきたバジェンドラ氏とネパール語・日本語混合で会話したり、カトマンドゥで教えてもらった ”マルシャンディ・シャララ ” を歌ったり…。

彼は技術研修で1年ほど日本へ来たことがあり、今はコンピューター関係の仕事をしているそうだ。
日本では、名古屋へも来たことがあり
「お殿様とお姫様のお祭り(”なごやまつり”の”英傑行列”のことだろう)が、とても楽しかった」
と話してくれた。

まさか、ネパールの小さな山村で、地元のお祭りの話題が出るとは思いもしなかった。

*この旅日記は1992年のものです。

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2012年12月27日 (木)

シェルパシチュー(再掲)

ロッジのディディ(お姉さんの意味)が夕食の注文を聞きに来た。
昨日、一昨日と実は気になるメニューがあった。それは "シェルパシチュー " 。
そこで、そのシェルパシチューを注文する。

しかしディディは「シェルパシチューは一人分だけでは、作れない」と言う。
俺は一緒にいたカナダ人のイングリッドさん、ドイツ人のトーァリンゲン夫婦に
「シェルパシチューを食べてみないか?」と声かけた。

彼らは「シェルパシチュー?どんなシチューだい?」と聞く。
「さぁ?、俺も知らない。だからこそ食べてみたいんだ!」と答える。

彼らはディディに、シェルパシチューってどんな料理かを尋ねていた。
そして彼らは、「OK!食べてみよう!」とみんな賛成し、4人で注文した。

我々のテーブルに、シェルパシチューが運ばれてきた。
見てみると、カレーうどんか、カレーラーメンか、のようだ。
実においしそう!

俺だけでなくイングリッドさんもトーァリンゲン夫婦のエルマー氏 、アンジュラさんも同じ思いのようだ。
食べる前に我々は写真を撮ることにした。
ガイドのラジンにカメラを渡し、4人でシェルパシチューを前に

「We are Sherpa Stew Family ! 」と言いながら、初めて一緒に写真を撮る。

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前日、セテ村のロッジで親しく話をしていた仲間たちと。シェルパ・シチューという郷土料理を皆一緒に注文し、食べました。これがきっかけで、彼らとはとても仲良くなりました。
左から、アンジュラ、イングリッド、エルマー、そして私。

そして、シェルパシチューのお味は・・・、

「うまい!」

俺だけでなく、彼らも同じだ!

「Oh ! Very good ! 」
「Wao ! Very Delicious ! 」
「Dsching ! Nice Idea ! 」

かくして、4人の " シェルパシチューファミリー " が結成された。


夕食後、音楽に合わせてシェルパダンスをさせられそうになる。
そしてとうとう、他のトレッカーとともに踊るハメに!
イングリッドさんやトーァリンゲン夫婦は大爆笑!

ダンスの後、ラジンとフランス人の男のガイドが俺を呼ぶ。
彼らは俺に " ムスタンコーヒー " を勧めた。

「ムスタンコーヒー?どんなコーヒーだい?」

飲んでみると…、確かにコーヒーなのだが…、あれ?おい・・?

「ロキシー(ネパールの焼酎)が入ってるんだよ」

どおりで酒っぽいコーヒーだ!でもウマイ!
これはいい、最高にウマイ!
一緒にいた仲間たちにも勧めてみるが、匂いのせいか女性たちは敬遠!
エルマー氏は大丈夫のようだ。

ガイドたちの話によると、このムスタンコーヒー、飲みすぎると翌日起きられなくなる、とか。

ふと見ると、ラジンが横になってウトウトしている。
まさか酔いつぶれたわけではなかろう。
それを見たエルマー氏は、

「あそこで寝ているのは、君のガイドだろう?」

「あぁ、そうだよ!」

「オォ!ムスタンコーヒー!」
と、ひときわ大きな声で叫んだ。

エルマー氏はきっと、「ムスタンコーヒーの飲み過ぎで、酔いつぶれてるゼ!」
と言いたかったのだろう。

エルマー氏がそう叫んだ途端、ダイニングルームは大爆笑に包まれた。
私はもちろん、イングリッドさんもアンジュラさんも、さらには他の宿泊者、ロッジの経営者たちまでもが、彼が言ったジョークに大笑いしたのだ!

そこに居合わせていた人々すべてが、一同に笑い合った!
国境も国籍も、言葉も超えて・・・!
なんて素敵なことなんだろう!!


ジュンベシ・シェルパガイドロッジズにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2012年12月26日 (水)

ラムジュラ峠越え(再掲)

3月8日(日) 晴れ
セテ8:00~11:25ラムジュラ12:30~ラムジュラ峠(3530m)~13:45タグトクボグ14:25~15:45ジュンベシ

 6時半起床。
朝食にポリジ(粥のようなもの)を食べ、それぞれ用意のできたものが村をスタートする。
まだ2日しか歩いていないのに、足に疲れを感じる。1本の棒を拾い、杖として歩く。

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セテ村から登り続けると、やがて雪解け水でぬかるんだ泥道に。途中で拾った細長い棒をステッキ代わりに使いました。


ラムジュラ峠への道は、登るにつれ雪道となってきた。
「危ないな」と思った矢先、スッテンコロリン!
「イッテ~!」 右ひじをはじめ、少しだけ出血。

それを見て、ガイドのラジンや周りの人が、薬を出してくれる。
昼食に立ち寄ったパッティ(茶店)のおばちゃんまで、マキロンを用意してくれるほどだ。
皆の好意が嬉しい。

昼食を終え、いよいよラムジュラ峠へ。標高は3530m。
そこからジュンベシへは、一気に下って行く。

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間もなく標高3530mのラムジュラ峠です。トレッキング前半は、このような峠をいくつも越えます。

タグトクボグで、我々より先行していたカナダ人女性とドイツ人夫婦に追いつく。
その後は我々が少し先を行くような形で歩く。

途中から左ひざが痛みだした。まだ3日目だというのに…。
ラムジュラ峠からの下りで、ガイドのペースに無理して合わせ、早く歩いたせいだろうか?

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峠を越えジュンベシ村へ近づくと、大きな岩にチベット語で経文が書かれていました。

なんとかジュンベシに到着。
この日のロッジも「シェルパ・ガイド・ロッジズ」である。
チェーン経営なのだろうか?

我々がこのロッジに入って行ったのを見ていたのだろうか、
100mほど遅れて到着したカナダ人女性とドイツ人夫婦も、ここへやってきた。


このロッジには、驚いたことに、電気がある。そのうえホットシャワーも・・・!
さっそくシャワーを使ってみた。カトマンドゥを出て以来のシャワー、
「あ~、サッパリした!」

シャワー後、ダイニングルームへ行く。
「Oh ! New man ! 」と、おどけられるほどだ。
「そんなに変わって見えるかい?ひげを剃ったら、もっと変わるぜ!」

カナダ人女性とドイツ人夫婦に、名前を尋ねた。
カナダ人女性は、イングリッドさん。
ドイツ人夫婦は、エルマー氏とアンジュラさん。
これからはお互いの名前で呼び合うようになった。

*この旅日記は1992年のものです。

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2012年12月25日 (火)

セテ村の夜(再掲)

夕方4時ごろ、セテへ到着。
ケンジャで出会ったフランス人男性と彼のガイド、一人で歩いているカナダ人女性もすでに到着していて、同じロッジだ。

ダイニングルームで彼らと談笑する。するとそこへ、さらにドイツ人夫婦がやってきた。
彼らはにこやかに「ハロー!」とあいさつし、「国はどこだい?」と尋ねてきた。
我々はそれぞれ「フランス」、「カナダ」、そして「ジャパン」と答えると、
「あなたは日本人だと思ってたわよ」と笑いながら言っていた。

それにしても、いったい何カ国語が飛び交うのだろうか?
もちろん共通語は英語しかないので、英語で言葉を交わす。

夕食は、エッグチョウミン(玉子入り焼きそば)とトマトスープを注文。
しかし、スープより先にチョウミンが…。しばらく待ってみたけど、来る気配もなく…。
仕方なくチョウミンを食べ始める。ゆっくり食べているのだが、スープはまだ来ない。

左の食べ物がチョウミン、右はトゥクパと呼ばれる汁そば
「山と渓谷社 カトマンズ百景 内田良平著」より引用させていただきました。

とうとう、チョウミンを食べ終えてしまった。

ため息をつきながら、「ここはネパールだし、何でもビスタリ(ゆっくり)の国だし…」とぼやいていると、周りの仲間たちも笑いながら、「そうそう、そのとおり」などと言っている。

やっと、トマトスープが運ばれてきた。
そしてスプーンで一口…、「あつっ!アチャ~!アチッチッチッチッ!」と絶叫!!

みんな大爆笑!!

「Very hot ! Very hot ! デラィ タト ! デラィ タト !」と、英語とネパール語で皆に言う。
すると、俺やフランス人男性のガイドが「デリー タト!って言うんだ」と教えてくれた。
俺の声を聞いてロッジのスタッフはすかさず謝りに来た。

しかし、この一件で皆が大爆笑したせいか、我々の間の空気、雰囲気が一変したようだ。
あっという間に打ち解けあった。

食後も、彼らとずっとしゃべっていた。
英語力の貧しい俺でも、多少の会話はできる。
そうか!フランスもドイツも母国語があるんだ、
ってことは、彼らにとっても英語は日本と同じように、第二外国語なんだ。
俺と似たようなもんかな・・・?

その後、席を外したガイドのラジンとフランス人のガイドが俺を呼ぶ。
彼らは、ロッジのオーナーとともに、ロキシー(ネパールの焼酎)を飲んでいた。
呼ばれたからには、俺もこっそり頂いた。

ほろ酔い気分で、9時ごろ就寝とする。

セテ・シェルパガイドロッジズにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2012年12月24日 (月)

メリークリスマス!

 皆様、おはこんにちばんは (*゚▽゚)ノ

今日はクリスマス・イヴですね。
スパークリングワイン飲んでおいしいご馳走食べて、ケーキを食べて・・・というように過ごされた方も多いでしょうか?
私は・・・(^_^;;ヘヘッ...何のご馳走もありません (。_。)ショボン!

さて、ブログ友達の皆様には、今年一年間 (って、まだ1週間ありますが) お世話になりました。長いお付き合いの方も、今年知り合った方も、ホントこんな拙いブログを訪問して下さいまして、誠にありがとうございます。
その上、コメントを頂いたり本当に感謝しております。

そこで、日頃のお礼を込めて、皆様にプレゼント(?)をご用意いたしました。
どうぞ、お受け取りください。

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フィンランド・サンタクロース村にいらっしゃるサンタさんです。今ごろ世界中を飛び回っているのでしょうか?

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本物は贈れないので、せめて写真だけでも!テディベアです。

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こんなテディベア、部屋にあったら癒されますネ。

慕辺未行から皆様へ、写真だけですがクリスマスプレゼントです。

それでは良いクリスマス xmas を!

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2012年12月23日 (日)

光の遊園地?

 皆様、おはこんにちばんは ヽ(´▽`)/

名古屋駅前タワーズのイルミネーションが中止中とのことで、どこか他にと思い、まず思い浮かんだのは昨年・一昨年も行っている木曽三川公園。
しかしもう時間的に大渋滞は避けられそうもない・・・(-_-)ウーン...  (゚o゚)ハッ!そうだ、昨年訪れたあま市のイルミネーション。こちらはまだそれほど広く知れ渡っていない(?)でしょうから、ゆっくり楽しめそうです。

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エントランス。左にある『絆 ガンバロー 日本』、ホントまだまだ頑張らねばいけません。

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色々な飾りがありました。

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観覧車にコーヒーカップではありませんか?!

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これは・・・ジェットコースターだ!

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ループした後は光のトンネルをくぐって行きます。

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メリーゴーランドもありますヨォ (^o^)!

イルミネーションで遊園地を作ってしまうとは?!来ている子供達は大はしゃぎ!
動いているわけではないのですが、私も童心に返ったような気分です。

愛知県あま市の美和文化の杜で1月11日まで開催しています。
入場無料、駐車場完備(無料)です。

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2012年12月22日 (土)

ムーミンだぁ!

 皆様、おはこんにちばんは o(*^▽^*)o

いよいよクリスマスですね。街は賑やかに、イルミネーションも華やかになって来ました。

先日、母を名古屋駅タワーズにある医者へ連れて行ったついでに、タワーズのイルミネーションを見ようと思っていたのですが、隣接するビルの工事に伴い一昨年辺りから中止だとか・・・?!せっかく楽しみにしていたのに (>_<)!
ふと見ると、高島屋10階で『北欧展』開催中とか・・・。とりあえず行ってみよう・・・。

何やら、ケースの中にあるミニチュアの周りで携帯で写真を撮っている人が・・・(・_・)ハテ?

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北欧をイメージしたミニチュアでしょうか?

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北欧と言えば、森と湖、フィヨルド・・・が浮かびます。

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んっ?この後ろ姿は・・・?

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おぉーーーっ!ムーミンだぁ!w(^o^)w

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これは・・・スナフキンですか?

そういえばムーミンは、北欧・フィンランド生まれでしたね。
でも実は・・・ムーミンって全く見たことなくて、キャラクターしか知らないのです (^_^;;アセッ!
フィンランドへ行ったことがあるのですが、オーロラが目的でムーミン村(だったかな?)には行こうとすら思わなくて・・・。

会場には北欧の様々なグッズが売っていました。
サンタクロース村のグッズはないかと期待していたのですが、残念ながらありませんでした。ムーミングッズはたくさんありましたよ。

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2012年12月20日 (木)

ラリグラス(再掲)

3月7日(土)晴れ
デウラリ8:10~11:45ケンジャ13:00~16:05セテ

 この日も6時30分起床。
チャパティ(薄いパンケーキ)、オムレツ、パイナップル缶で朝食とする。

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デウラリ村のデウラリ・ロッジの若いご夫婦と。


デウラリからパンダール、ケンジャへは一気に1000m以上下っていく。昨日、あれほどしんどい思いで登ったのに…。この季節、ネパールの国の花である「ラリグラス(真紅のシャクナゲ)」がちょうど満開で、行く先々で心を和ませてくれる。

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行く先々で、目を楽しませ、心なごませてくれる、ラリグラスの花。

ちょうどその時、ラリグラスを見上げていると、一人の村人がやって来て、ラリグラスを一枝ポキンと折って、ニッコリ笑ってプレゼントしてくれた。年甲斐もなく感激!

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「きれいだなー!」とラリグラスを眺めていたら、通りかかった村人がラリグラスの枝を折って、「どうぞ」とプレゼントしてくれました。思わぬ出来事に感激!この花が、毎日数時間も歩く私をどれほど癒し、励ましてくれたことか!枯れるまでずっと持ち歩いていました。


ケンジャへ到着し昼食にする。昨日も会ったフランス人の男性とカナダ人の女性もいた。
フランス人男性のガイドに、片言のネパール語で話しかける。彼はえらく驚いたようだ。
彼らが出発するとき、「ペリ・ベトゥラ(また会いましょう)」と、お互いにあいさつをすると、
カナダ人女性は、「彼は日本語話せるの?」と尋ねてきた。

私は彼女に、「いや、今のはネパール語だよ。See you again.って意味だよ」と教えてあげた。
そして彼女がそこを出発するとき、「ペリ・ベトゥラ」と言って別れた。

その後我々も昼食を終え、出発する。
ケンジャよりセテへは、高低差900mの登り。登ったかと思ったら、下ったり…、ずぅっとこんな調子なのかな?
マイペースでゆっくり行こう。ラリグラスが身近にあれば、「ヨシッ!ガンバロウ!」って気になってくるから不思議。

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時折、このようにヒマラヤを眺めながら、先へ先へとトレッキングは続きます。この日はセテ村まで歩きました。

*この旅日記は1992年のものです。

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2012年12月19日 (水)

デウラリ峠へ (再掲)

3月6日(金)晴れ
ジリ7:45~11:00シバラヤ12:15~15:10デウラリ

いよいよトレッキングの出発です。

午前6時半ごろ起床。トレッキング中は、毎日早寝早起きの生活となる。
木陰の道では、やや肌寒さを感じる。登り下りをくり返し、シバラヤへ。

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ジリ村を出発し、シバラヤ村付近の登り道で。まだ初日、元気です。自然にガッツ・ポーズが出ます。


「初日だからゆっくり歩こう」と言うのに、それでもガイドのペースは速い。
シバラヤで昼食にする。ダルバートを食べる。
ここで同じトレッキング仲間がいた。ガイドを雇って歩いている一人のフランス人男性と、
そしてたった一人で大きなザックを背負っているカナダ人の女性。
彼らとしばし話をする。

ちなみに、エヴェレスト街道トレッキングは、ほとんどの人はジリからではなく、
カトマンドゥからルクラという村まで飛行機で行きます。
ルクラ~カラパタール往復は、2週間。
しかし、ジリから歩き始めるとカラパタールまで2週間かかります。
ゆえに、時間に余裕があり、かつ体力に自信がなければ、ジリからはとても歩けません。

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街道沿いには「ラリグラス(ネパールの国の花;赤いシャクナゲ)」が咲き誇っています。この道を、たくさんの荷物を背負った隊商たちも行きます。さしずめ、「ヒマラヤの貨物列車」のようです。彼らによって運ばれる物資が、山奥深いところで暮らす人々・山の民の生活の支えとなっています。

昼食を終え、デウラリへは標高差1000m以上の登り。かなりきつい。
初日だけあって、疲れる。
デウラリ峠まで登ると、ガウリシャンカーの頂が頭をのぞかせている。
しかし、標高3000m近いここは、風も冷たく寒い。

それにしてもきつーい1日だった。

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この日の目的地、デウラリ村に到着。標高はおよそ2700mです。

Img161

デウラリ峠にて。1日無事終えて「バンザーイ!」でも、気温が低く、肌寒かったです。

デウラリロッジという宿屋(?)に泊まる。
宿泊客は我々のほかに一人の若い日本人がいた。
彼は昨年もネパールを訪れて、その時もここへ来たそうだ。
このロッジは、若い夫婦が経営していて、彼は奥さんのことを、
「ヒマラヤのハイジのようだ」と言っていた。
彼はその後も「マイペースでのんびり行く」そうだ。(結局、彼とはその後会うことはなかった)

夕食は、ろうそくの灯りの中(電気はまだ通っていない)、
ララヌードルスープ(ネパールのインスタントラーメンの一つ)を食べ、体を休めた。

デウラリ・デウラリロッジにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2012年12月18日 (火)

11時間、バスの旅 (再掲)

3月5日(木)晴れ
カトマンドゥ5:30~16:30ジリ

今朝4時20分起床。ガイドのラジンを起こして、まだ目のさめぬカトマンドゥの街へ飛び出す。
ラーニーポカリでリクシャ(人力車の自転車版)をひろい、バスパークへ。
乗るバスを確認して、軽く朝食。発車寸前にバスに飛び乗る。
夜明け前なのに、バスは超満員。
バスはカトマンドゥ盆地を出て、ラモサングからはほとんど山間部を走っていく。

ジリまではカトマンドゥよりおよそ110Km。山あり谷ありを11時間。
途中ヒマラヤの頂が見え隠れしたり、村の人々や牛、羊、馬などが同居していたり、車窓の眺めは飽きがこない。

昼食はダルバートにする。ダルバートとは、ネパールの一般的かつ代表的な食事。ご飯と豆から作ったスープ(ダルスープ)、タルカリ(野菜の炒め物)がセットになってます。お肉がつけば、ごちそう。おかわりは自由です。ご飯に限らずダルスープもタルカリもお肉も、こちらから「もういいです」と断らない限り、お店の人は「足りないもの(欲しいもの)はありますか?」と聞きに来ます。食いしん坊には、嬉しいシステムです。



ダルバート(内田良平著『カトマンズ百景』より引用)

夕刻ジリへ到着。ジリは大きな村だ。ゲストハウスにチェックインし、ガイドとともに村の小学校へ行ってみる。
校舎の中を覗いてみると、机もイスもある。当たり前といえば当たり前なのだが、8年前のアンナプルナトレッキングの途中で見た学校は、机がなかった。

子どもたちがまだ数人いて、彼らは黒板に書き残された数字を「ワン、ツゥー、スリー、…」と読んでくれた。ネパールでは早くから英語を教えているのです。

その後、彼らとともに一緒に写真を撮る。そしてゲストハウスへ。
夕食もダルバートにする。食事前にトレッキングの成功を祈って、ガイドとビールで乾杯する。

今日は、とりあえずバスの旅だったが、明日からは本格的なトレッキング。どんな旅になるのだろう。

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カトマンドゥからバスに揺られること延々11時間、やっとトレッキングの出発地・ジリ村に到着しました。意外に大きな村でした。

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ジリ村の小学校で。子供たちに出会いました。校舎へも案内してくれたり、とても楽しいひと時を過ごしました。

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ジリ村、サガルマータ・ロッジにて。ガイドのラジンとトレッキングの健闘を約束。そしてこの後、この日ばかりはビールで乾杯しました。

ジリ・サガルマータロッジにて

*この旅日記は1992年のものです。 

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2012年12月16日 (日)

世界の絵葉書 その39 MALLORCA

 皆様、おはこんにちばんは (◎´∀`)ノ

今年も残すところあと半月。はやいものですネェ!
この1年を振り返るのはもう少し先にして・・・。

今日は MALLORCA(マヨルカ:マジョルカ)からの絵葉書を3枚、出血大サービスとばかりに紹介します (^_^;;ヘヘッ!
でもその前に、MALLORCA がどこか・・・ですよね (*^ω^*)ノ彡

MALLORCA はスペイン本土の東、地中海西部のバレアレス諸島にある最大の島。
数多くの美しい砂浜やビーチ・リゾートが島内に点在しているそうです。頂いた絵葉書を見ても、それは充分に感じられます。

では、風光明媚な MALLORCA 、ご覧ください。

Img052mallorca

Img053mallorca_2

Img054mallorca
とても魅力的な島ですネェ ;:゙;`(゚∀゚)`;:゙
こんな島でのんびり過ごしてみたいです (^_^)!

 この3枚の絵葉書の送り主は、ドイツの我が盟友エルマー&アンジュラ夫妻です。
ドイツ人にとってこの MALLORCA島は日本人にとっての”ハワイ”のようなものだそうです。
エルマー&アンジュラもエルマーのお兄さんがこの島に移住していることもあり、何度もこの島でバカンスを楽しんでいるようです。

今回頂いた絵葉書は、1997年から1998年にかけて届いた絵葉書です。
いずれも2~3週間の休暇を取って訪れ、リフレッシュしてきたようです。
またここは、赤ワインが美味しいそうで毎日ワインを楽しんでいたそうです (・_・)イイナァ!

ところで・・・、
今、再掲載しているネパールの旅日記。いよいよヒマラヤ、エヴェレスト街道トレッキングへと出発します。
エルマー&アンジュラ夫妻とはその時に出会いました。今も続く彼らとの交流・友情。このトレッキングできっと皆さま納得いくのでは?と思います。

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2012年12月13日 (木)

トレッキング出発準備完了!(再掲)

3月3日(火)

 とうとう、泣く泣く計600ドル両替し、バンクレシートを持ってイミグレーション・オフィスへ。1ヵ月のビザの延長とトレッキング・パーミットの申請。合わせて1917ルピー(ウゥッ、なんて高い・・・)。何かと相談に乗っていただき、ご迷惑をかけた西遊旅行社が今月下旬より、チベットツアーを行うらしい。行きはバス、帰りは飛行機で毎週土曜日出発、7泊8日で885ドル。中国ビザ代込みらしい。「行ってみたいな、チベット・・・」

また、インドビザもトランジットビザ(15日間のみ、1回だけ入国)であれば1~2日で取得可能。さらに、かつては特別入域許可が必要であったダージリンへも、今はビザのみで行けるという情報を頂いた。

昼ごろ、ここ最近続いている睡眠不足と体調不良で気分が悪くなったが、もう大丈夫。だが、エヴェレスト街道への出発は明後日の予定。あまり無理せず、体を休めよう。

夜、レセプションにいつもの仲間たちが集まっている。「欲しい」と頼まれていた写真の焼き増しができたので、たくさんの写真を持って俺もそこへ行く。すると、アレックスが

「ヘィ・・・、ウォッカ!」
「ウォッカ・・・?」
「ノーノー!・・・、ジン!」
おいおい、俺のニックネーム、酒からつけられたわけじゃないゼ!

写真を見ながら、俺は自分自身(Tシャツ、革ジャン、ジーンズすべて黒で統一)の写真を見せ、「こいつ、誰だか知っているかい?こいつは”ブラックマン”で、悪い奴なんだ」と言うと、彼らは「オー、ノー、こいつはいい奴だよ!ジョークが過ぎるゼ!」と笑いながら言っていた。本当に愉快で楽しい仲間たちだ。

先日、ゲストハウスの屋上で撮った写真を手渡すと、本当に喜んでいた。彼らにとっても、俺にとっても、とても素敵な思い出ができた。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

3月4日(水)

 ここマナスル・ゲストハウスでも、離れにあるレストラン(食堂?)でも食事ができるのだが、今朝初めて気がついた。メニューにコーンフレークがあることを・・・!俺の日本でのいつもの朝食メニューだ。軽めの食事とはいえ、栄養満点だ。

そして明日は、トレッキングのスタート予定。マナスル・ゲストハウスの紹介を受け、ガンジャラ・トレッキング・コーポレーションでガイドを雇うことにした。1日8ドル、トレッキング中の食事と宿泊代も俺が払う、ということらしい。1日8ドルと聞いたときはビックリしたが、日本出国直前に新聞で読んだ記事、「ヒマラヤ・トレッキング中に道を見失い、チョコレートと水だけで1ヵ月近くさまよい続けたオーストラリア人が助かった」という話と、ここ最近も、エヴェレスト・ベースキャンプ付近で遭難しかけた日本人がいると聞き、渋々8ドルで承知した。

ガイドと顔を合わせ、彼とともにトレッキングに必要なものをそろえる。ガイドのザック、シュラフ、高地で着る俺のダウンジャケットなどをレンタルする。「こりゃ、かなり出費するなぁ!もしかしたら600ドルなんて、アッ!という間に飛んで無くなるかも・・・?」と思った。

そして、トレッキングのスタート地点であるジリまでのバスのチケットも手配できて、出発準備は完了。

ガイドは、ラジン・タマン・シェルパ君。24才で、体はどちらかと言えば小柄だ。ガイドとしてのキャリアは6年。つい先日まで、イギリス人のガイドとして、エヴェレスト街道をジリからカラ・パタールまで歩き、帰って来たばかりだそうだ。これから俺が行くコースと全く同じだ。

初対面の印象は・・・、正直に言って、「今一つ気が合わない感じがするなぁ」っていうのが本音。ネパール人特有の、あの人懐こさがないんだよなぁ。しかし、もたもたしていても、時は過ぎていくだけ。明日は、5:30発のバスだ。早朝出発に備え、ガイドのラジンも今夜はここで宿泊。今日は早く休もう。

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お世話になったレセプションのゴビンダとパブラム。

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この2週間で最も親しくなった旅人、サムエル氏。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2012年12月12日 (水)

パシュパティナートからボーダナートへ(再掲)

3月2日(月)

 昨夜、ここマナスル・ゲストハウスのオーナーの晩酌に呼ばれてお付き合い。オーナーが用意していたお酒はウォッカ!一口飲んだ途端、口から火が出そうなほどキツイ!聞けばアルコール度数60%!!すぐに水を用意してもらったが、たぶん俺の胃の中はこの「未知との遭遇」にビックリだろう。水割りで飲んでいたものの、それでもものすごく強く、あえなくダウン!そのくせ、今一つ寝つきが良くなかった。

今日はゴビンダの友人、カビン君の紹介の店で黒の革ジャンと刺繍デザインのTシャツを買った。

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前日買ったジーンズとスニーカー、そしてこの日買った革ジャンとTシャツを着てみました。

今日は、ネパールは祝日。ヒンズー教の祭日らしい。買い物を終えた後、ゴビンダとカビンと一緒にパシュパティナートへと出かける。パシュパティナート(ヒンズー教の聖地)は、すごい人混みだ。日本の正月、初詣での人混み以上では・・・。俺が迷子にならぬよう、同行したゴビンダとカビンが俺の前後を歩き、ナビゲーター兼ボディガードをしてくれる。細やかな気遣いだが、とても嬉しい。

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パシュパティナート。ヒンズー教徒以外は向こうのお寺へ入ることができません。

さらにボーダナートへも足を延ばした。30分ほどのミニトレッキングだ。このお寺もヒンズー教徒や仏教徒の聖地。五体投地の修業をしながら仏塔の周りをまわっている僧侶もいた。その姿に、俺は言葉が出ない。

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ボーダナート寺院。やはりここも、聖地の一つです。この周辺には、多くのチベット難民のお店がありました。

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五体投地をしながら参拝している修行僧。あまりに敬虔で真摯な姿が、心に何か響きました。

夜、夕食へ出かけようとすると、昨日に続きオーナーに呼び止められ、またしても晩酌だ。ビール、ウィスキー、ラム焼肉、ピーナッツ等々。おつまみもあって、これじゃさすがに夕食どころではない。

それにしても、従業員たちのボスであるこのオーナー、酒に強い!この時の会話で知ったのだが、このマナスル・ゲストハウスは、今年1月28日にオープンしたばかりだそうだ。どうりでキレイなはずだ。ハウスキーパーもいるし…。長期(といっても、まだ10日ほどだが)滞在の日本人は、俺が初めてらしい。

日本語学校へ通い、ひらがな・カタカナの読み書きができるゴビンダをはじめ、オーナーもレセプションのパブラムも、日本からの旅人のために、少しでも日本語を覚えようと、俺にいろいろ尋ねてくる。たどたどしく話す彼らの「行ってらっしゃい」や「おやすみなさい」に、つい、笑みがこぼれる。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2012年12月11日 (火)

泣く泣く600ドル両替(再掲)

3月1日(日)

 三たび西遊旅行社へ出向き、ビザ申請に関する政府の発表が載った新聞をコピーして頂き、イミグレーション・オフィスへ。それを見せ「20ドルのバンクレシートさえ見せれば、ビザの延長可能と、ここに書いてある。」と食い下がるが、彼らは「まだ何も聞いていない」と言い、規則は規則、1ヵ月延長するならば600ドル両替するしかない。もう仕方あるまい。泣く泣く600ドル分のバンクレシートを用意しよう。たとえ多大のお金がゴミになってしまったとしても、俺は自分の足で歩いてエヴェレストを見たい!そのためにネパールへ来たのだ。

余りそうなお金で贅沢したり、日本へ帰ってから買うつもりのものを、ここで買えばいいんだ。今日は開襟シャツ、黒のジーンズ、スニーカーを買った。明日は刺繍デザインのTシャツ、ジャケット、サブザックでも買おうか?トレッキングにガイドを雇おうか?

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マナスル・ゲストハウスのオーナーと彼のお嬢ちゃん。彼女のセーターに動物のアップリケがデザインしてありました。それぞれの動物に「ZOU」「KUMA」「USAGI」・・・とある。俺はオーナーに「これらの意味を知っていますか?」と尋ねると、彼は「いや、知らない」と答える。そこで俺は彼に「日本では、Elephant=ZOU、Bear=KUMA、Rabbit=USAGI・・・と言うんですよ」と教えると、彼は「オーッ!これは日本語なのか?!」と驚くと同時に、初めて知ったこともあり感激していました。

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ゲストハウスのバルコニーから見た光景。ヒンズー教では、牛は「神聖な動物」であるため、殺生はできません。ヒンズー教を信仰するネパール人は、決して牛肉は食べません(水牛はOKのようです)。だからでしょうか、このような「野良牛」が至る所にいます。ゴミ置き場には、少なからず食べ物となるものがあるのでしょう。どの国も変わらない・・・。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2012年12月 9日 (日)

名古屋駅前・高島屋&タワーズのクリスマス飾り

 皆様、おはこんにちばんは (*゚▽゚)ノ

すっかり寒くなりましたね。皆様、お風邪などひいておられませんか?
今朝の最低気温は0℃だったとか・・・!もう12月半ば近いですし、
「そりゃ、寒いはずだワ!」

 先月、母を長年掛かっているお医者さんへ連れて行きました。
母が通う主治医がいる医院は、名古屋駅の『JRセントラルタワーズ』の19階にあります。
診療が終わった帰り道、タワーズや高島屋は、まだ11月というのに”クリスマスムード”でいっぱいでした。
高島屋1階エントランス付近には、とてもメルヘンチックな飾りがあってたくさんの人で賑わっていました。

これらのイベント、いつまで飾られているか存知あげないのですが、クリスマスまでは飾られているのでは?と思います。
地元の方でお時間が取れる方、ぜひ訪れてご覧ください。

では、クリスマス飾り、どうぞご覧ください。

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タワーズにあるホテルの15階エントランスにあるクリスマスツリー。

この右には、顔の部分だけをくりぬいた、観光地によくある『記念撮影』用のサンタクロースの立て看板(?)がありました。
小さな女の子がサンタクロースの顔のところへ一生懸命首を伸ばして顔を出そうとしているのですが、如何せん身長が低くて顔が半分隠れてしまっています。
そこで、ちょっぴり”おせっかい”の私が女の子のお母さんに「もしよろしければ、後ろから抱え上げてあげましょうか?」としゃしゃり出まして・・・、その結果、バッチリ撮れたそうです (^_^)!

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タワーズ2階のクリスマス飾り。

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こちらも、タワーズ2階のクリスマス飾りです。

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高島屋1階にある”グリム童話「Snow White 森のクリスマス」”の飾りです。

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グリム童話が題材だけあって、白雪姫をはじめメルヘンの主人公たちが集まっています。

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白馬もいますヨォ!『メルヘン・オールスターズ』ですネェ!

今月もう一回、母を主治医のところへ連れて行かねばなりません。
その頃はイルミネーションも始まっていることでしょう。
もし時間があれば、イルミネーションを楽しみたいと思います。

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2012年12月 6日 (木)

マナスル・ゲストハウスの陽気な仲間たち(再掲)

2月29日(土)

 西遊旅行社、及び、日本人が多く滞在しているインターナショナル・ゲストハウス(オーナー夫人は日本人)へ、ビザ申請の件で相談しに行く。が、いいアイデアはない。そりゃそうだろう、この国の規則なのだから。旅行者の誰もが、ビザ延長したうえでトレッキング・パーミットを取得しているのだから、自分がいくら頑張ったところでどうにかなるわけがない。トレッキング・エージェントの代理申請も、個人では無理があるようだ。

もう1ヵ月延長、600ドル両替するしかないのか?あと5日のうちに結論を出さねばならない。何故こんなに旅がしにくいのだろう。フリーの1人旅の辛さか。日本でもっと情報収集に当たるべきであった。これほどイミグレーションの規制が厳しいとは思わなかった。

ゲストハウスへ戻って、夕方、気を取り直して屋上で、親しくなった仲間たちとふざけあう。このゲストハウスは、離れに小さなレストラン(食堂?)があるのだが、そこで働くキッチンボーイたちとゴビンダやパブラム、サムエルとアレックスのジャマイカン・コンビ。さらに、先日サムエルの部屋で一緒に昼食をご馳走になったミリアン嬢とピッキー嬢もやって来て、皆で楽しく時を過ごす。

キッチンボーイはクリシュナと、タラとアルジュンの若い兄弟。この兄弟が「空手を教えてほしい」とせがむ。別に空手をやっていたわけではないのだが、日本人は皆、空手ができると思われているのだろうか?俺はとりあえず先日同様、高校時代の体育祭の応援で覚えた空手の型を教えることにした。すると彼らは、熱心に真似しだす。俺は「もっと腰を低く・・・」などと、もっともらしいことを言いながら、指導する。俺は実際に空手を学んでいたわけではないので、「申し訳ない」と思うほど、彼らは真剣に取り組んでいた。

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キッチンボーイたちと。左からアルジュン、クリシュナ、俺、タラ。

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腰割りの低い姿勢から基本(?)を教えます。

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アルジュンは特に熱心!この2年後、彼と会うことができましたが、この時以来、空手に興味を持ち「空手道場」に通うようになったそうです。

そして、ネパールをはじめ日本、ジャマイカ、スウェーデン、モザンビークの5ヵ国の人々が集まって、みんなで笑いながらふざけあったり、写真を撮ったり・・・。俺とピッキー2人で写真を撮ると、彼女は「日本人と写真を撮るのは初めてよ」と言っていた。それは俺にとっても同じだ。モザンビークどころか、アフリカ出身の人と話をしたり、一緒に写真を撮ることは初めてだ。

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サムエル(上)とアレックス(下)のブロマイド!?2人とも、いかしたナイスガイ!です。

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ビクトリア嬢(ビッキー)と、おどけたポーズでツーショット!これらの写真をプリントしたら皆、「欲しい」と言うのでいくらかプレゼント。でも、枚数が多いので焼き増し料金は、協力していただきました。それでも皆、喜んで協力してくれました。

思いがけない国際交流、こんな俺でも、民間親善大使の一人になれただろうか?ゲストハウスのスタッフ、世界各地から来ているツーリスト、国の違いこそあれ、同じ人間。ここには明らかに、国境を越えた陽気で楽しい仲間たちがいた。

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5ヵ国の人々が集まって、ハイ、チーズ!ミリアン嬢はその美貌ゆえ、皆から大人気!

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2012年12月 5日 (水)

パブラム君宅へ(再掲)

2月27日(木)

 夜中、犬の遠吠えがうるさく、よく眠れなかった。腹の調子も崩れかかっている。食と水の変化による最初の”儀礼”か。食事以外は全く出歩かず、ほぼ1日中、体を休めていた。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

2月28日(金)

 再度、イミグレーション・オフィスへ行く。やはり1日につき20ドルのバンクレシートが必要であるという。困ったもんだ。4日ぶりにシャワーを浴び、午後、パブラムに彼のアパートへと招待される。

彼は22才ながら、すでに結婚している。6畳ほどの広さの部屋にベッド、テーブル、ちょっとしたキッチン。生活のすべてが、この狭い部屋に整っている。非常に質素な暮らしだ。ドゥードゥ(ミルク)とダルバートをご馳走になる。ネパールの人々は、客人が来ると、いつ何どきでも食事を提供するようだ。レストランなどで食べるダルバートより、はるかにウマイ!家庭の味がする。

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パブラム宅で、ダルバートを頂く。

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パブラム夫妻。

夕方はゲストハウスでのんびり過ごした。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1992年のものです。  

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2012年12月 4日 (火)

カリブの怪人?いえ快人です。2人のジャマイカン。(再掲)

2月25日(火)

 イミグレーション・オフィス(出入国管理事務所)へ、トレッキング・パーミットの申請に出かける。ところが、かつてはトレッキングパーミット申請・取得で自動的にビザも延長できたのに、現在はビザはビザとして延長、しかも1日につき20ドルのバンクレシート(両替証明書)、1ヵ月延長するなら600ドルものバンクレシートが必要だという。冗談じゃない!600ドルあれば、3ヵ月以上滞在できるって!しかしこれが、今の規則だと言う。

1人で悩んでいても仕方がない。西遊旅行社で日本語が堪能なスタッフに相談する。すると、「先日、20ドルのバンクレシートさえあれば延長できる、と政府が発表しました。新聞にも載っています。ただ、政府からの正式な文書が、イミグレーションにまだ届いていないのでしょう。この国は仕事が遅いですから・・・」という返事。それならば後日、再アタックすればいいか。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

2月26日(水)

 午前8時30分起床。11時間も休んだことになる。気温10℃位。朝食を終え、今、午前10時。朝の陽だまりの中、マナスル・ゲストハウスの204号室のバルコニー。ここで究極の怠け者ぶりを発揮している。放浪癖が身についてしまった俺は、我武者羅に仕事をしながらも、時として、どうにもならないほど旅に出たくなることがある。そして、ある日突然、職を辞し旅に出る。

怠惰で放浪癖のある俺は、ここネパールで今、究極の怠惰をむさぼり楽しんでいる。毎日、何もすることがないことの贅沢。日本という国の気ぜわしさが、はなはだ良く分かる。とはいえ、日々一生懸命働いている人々からすれば、烈火のごとく怒りたくなるようなことだろう。

10:30ごろ、隣町のパタンへと出かけることにする。ゲストハウスを出たところで、仲良くなったジャマイカンのサムエルと会う。

S「dsching、どこへ行くんだい?」
d「パタンまでのんびり歩いて行くつもりだ」
S「どれくらいかかるんだい?」
d「1時間ぐらいじゃないかな?一緒に行くかい?」

冗談で誘ったつもりが、彼はしばらく考えた後「OK!」と返事をし、一緒に行くことになった。片道5~6kmってところか。ぶらぶらと1時間半ほど。2月とはいえ日中は暑い。パタンで好物のパポリ(スナック菓子の一つ)を発見。1ルピーで8本。相変わらずウマイ!

パタン中心部。お寺がたくさんあります。

ふと、前方から学校帰りの子供たちが、ふざけあいながら歩いてきた。しかし彼らは、我々の姿を見た途端、ふざけあうのをやめて、道の端の方を静かに歩きだした。まるで何かを恐れているかのよう。

d「ヘィ、サムエル。子供たちが君を怖がって逃げてるぜ。危ない男と思われているんじゃないのか?」
S「オー、ノー!俺は危ない男じゃないぜ!」

サムエルはそう言いながら、子供たちに愛想を振りまきながら、満面の笑みで近づき、

S「ハロー!ナマステ!俺は怖い男じゃないよ。いい人だよ。だから握手しようぜ!」

子供たちは、初めは驚いたのか逃げ腰だったが、すぐに面白がって彼と握手しだした。俺は、サムエルのあまりの茶目っ気ぷりに、腹を抱えて大笑い!

d「サムエル!ホントあなたは、ナイスガイだよ!」
S「だろ?俺はいい奴なんだよ!」

お互いにさらに親しくなったのだが、ここパタンはカトマンドゥとあまり大差のない街。そろそろ飽きてしまった。帰りにどこかで昼食を、と思ったのだが、サムエルが「ゲストハウスの俺の部屋で一緒に食べよう!」と言うので、乗り合いタクシーでラーニーポカリ(カトマンドゥ中心部)まで1人3ルピーで行き、ゲストハウスへと戻る。

サムエルの部屋へ行くと、アレックスがいて、皆で一緒にランチにする。俺は、ご馳走になるほうだが。3人でパンとミルクティーで食事を始める。しばらくすると、部屋の前を通る2人の女性。俺は初対面だが、彼らはすでに彼女たちとは顔なじみだったようで、彼女たちを部屋へ招き入れる。彼女たちはいずれも一人旅で、1人はスウェーデンのミリアン嬢。もう1人はアフリカ・モザンビークのビクトリア(通称;ピッキー)嬢。とうとう5人での賑やかな昼食となった。

すると、驚いたことに、「ジン、ツナがあるけどパンに塗って食べるかい?」とサムエルが言う。俺は、缶詰のパッケージのデザインを見て、それがシーチキンと分かるやいなや、「オーッ!欲しいぃぃっ!サンキュー!」と言って、パンにツナを乗せて美味しく頂いた。彼らは「日本人はやっぱり魚が好きなんだな!」と笑いながら言っていた。おかげで、腹いっぱい食べることができた。

アジア(日本)、アメリカ(というのは?中南米・ジャマイカ)、ヨーロッパ(スウェーデン)、そしてアフリカ(モザンビーク)。それぞれ全く違うところから来ているのに、不思議なくらい楽しかった!こういったインターナショナルな交流も、1人旅ならでは、である。

その後も5人でおしゃべりしたり、夕方、2人のジャマイカンと時間を持て余しているスタッフのゴビンダとパブラムと共に、屋上でふざけあったり写真を撮ったり・・・。サムエルとアレックスにボクシングのファイティングポーズをしてもらうと、逆に俺は空手のファイティングポーズをさせられた。空手を習っていたわけではないが、高校時代の体育祭の応援団の経験があるので、それを思い出して、何とか少しばかりの形だけでも披露した。

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アレックス(左)とサムエル(右)に、ボクシングのファイティングポーズをお願い!彼らがかぶっている帽子も、おしゃれで、とても似合っていました。

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アレックス、ゴビンダ、サムエルとともに。アレックスの上半身のすごさ、服の上からでも分かります。さすが、元アマチュアのチャンピオンボクサー!

S「ヘイ!dsching!ボクシングvs空手」
d「OK!カモン!」

さすがにこれには皆、”バカ受け”だ!

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サムエルと空手対決???


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一見、強面、しかし明るく陽気なジャマイカン、サムエル氏。

それにしても、スタッフの皆が俺にネパール語で話しかけたり教えてくれているせいか、ずいぶんネパール語のボキャブラリーが増え、覚えてきた。パブラムのお姉さんのアンジュ(マッサージ師であり、ヨガの先生でもある;ゲストハウスの一室を借り経営している)に、「あなたのネパール語は、とても上手だ」と褒められた。

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レセプションのパブラムと、彼の姉でマッサージャーのアンジュさん。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2012年12月 1日 (土)

レベル『要介護1』

 皆様、おはこんにちばんは (◎´∀`)ノ

最高気温が10℃に届くかどうか・・・の予報に「エッ?」と思っていたら、もう『師走』なのですね。寒くなるはずです (^_^;;アセッ!

10月初め、母の掛かり付けの主治医から「週に2~3回デイサービスに通わせなさい。すぐに手配しなさい」と言われ、慌てて「どういう手続きを取ればいいのか?」と姉に訊き、区役所(支所)の福祉課を訪ね『介護保険』の認定申請をしました。
そしてすぐ近くにある「『いきいき支援センター』で予め、相談すると良い」と伺い、2回ほどデイサービスを『お試し体験』させていただくことが出来ました。

そして、かなり時間(1ヶ月半)がかかりましたが、やっと認定が下りました。
結果は・・・

          『要介護1』

でした。

支援センターの方に話をした際、「おそらく『要支援2』か『要介護1』になるのでは?」と聞いていましたので、この結果は半ば予想通りでした。
認定通知書が届き、その結果を支援センターの方に連絡しました。すると「”認知症”に詳しいケアマネージャーさんを紹介します」とのことで、翌日、そのケアマネージャーさんが来宅して下さることになりました。

 ところで、『要支援』とか『要介護』と言われても「???」の方もいらっしゃるでしょう。
ウィキペディアから引用し説明しておきます。


要支援状態
については、介護保険法第7条第2項で次のように定義されている。

  • この法律において「要支援状態」とは、身体上若しくは精神上の障害があるために入浴、排せつ、食事等の日常生活における基本的な動作の全部若しくは一部について厚生労働省令で定める期間にわたり継続して常時介護を要する状態の軽減若しくは悪化の防止に特に資する支援を要すると見込まれ、又は身体上若しくは精神上の障害があるために厚生労働省令で定める期間にわたり継続して日常生活を営むのに支障があると見込まれる状態であって、支援の必要の程度に応じて厚生労働省令で定める区分(以下「要支援状態区分」という。)のいずれかに該当するものをいう。

要支援状態には、要支援1と要支援2の2つの要支援状態区分が設けられている。

要介護状態については、介護保険法第7条第1項で次のように定義されている。

  • この法律において「要介護状態」とは、身体上又は精神上の障害があるために、入浴、排せつ、食事等の日常生活における基本的な動作の全部又は一部について、厚生労働省令で定める期間にわたり継続して、常時介護を要すると見込まれる状態であって、その介護の必要の程度に応じて厚生労働省令で定める区分(以下「要介護状態区分」という。)のいずれかに該当するもの(要支援状態に該当するものを除く。)をいう。

要介護状態には、要介護1から要介護5まで5つの要介護状態区分が設けられている。

・・・(・_・?ハテ、私自身が読んでもよく分かりません(笑)!どこがどう違うのか・・・(『若しくは』と『又は』と使い分けられているけど)?
っていうか、『厚生労働省令で定める期間』というのを、もっと具体的に表現できないのか?と思います。これでは素人には全く分かりませんよネェ!「何日、何ヵ月、何年・・・?」皆目見当がつきません (>_<)!
いずれにしても、もはや『支援』状態ではなく『介護』が必要な段階にまで、母の『認知症』が進んでしまっていることだけは間違いないようです。
*認定調査の日、調査員の方の質問(年齢、その日の日付)の答えにとんでもない答え(年齢は違うし、その日の日付は『月』も『日』も全然違っていました)をしていた母でした。

 で、早速『支援センター』から紹介されたベテランのケア・マネージャーの方が来て下さいました。
以前は介護関係の会社に勤めていたそうですが、今は個人でされているようです。それゆえ、組織所属ですと勤務時間制限があるのですが、その方の場合「連絡下されば、いつでも対応できます」というのが、メリット!

母は認定前に2ヶ所、『お試しデイサービス』体験させていただいたのですが、ケアマネさん曰く「食事(昼食)が安くて美味しい、もっとお勧めのところがあるので」と、さらに『お試し』させていただけることになりました。

認定前に2ヶ所『お試し』体験させていただいたのは、『デイサービス』がどういうところかを知る上で、母にとっては良い体験だったと思います。
しかし、その2件のどちらかを・・・と言われると、こちらも「もう少し、他のところも体験、もしくは見学だけでも・・・」と思いたくなります。現状の母の症状を少しでも改善できるようなところ・・・などなど。
それだけに今回のケアマネさんの助言はありがたいです。

明後日、月曜日(12/3)行くことになりましたので、帰ってきたらすぐに感想を聞かねば!でないと、忘れてしまいますからねぇ(笑)!
パンフレットを見ても、とても魅力のあるデイサービスセンターでしたので、きっと気に入るのでは?そして「デイサービスに行くのが楽しみだ」と思ってくれれば、一安心です。

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団地内の、真っ赤に色づいた『ドウダンツツジ』。あまりにも鮮やかでしたので、つい camera

*ココログ広場をご利用のブログ友達の皆様へ。
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