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2012年11月

2012年11月29日 (木)

ゴビンダ君宅へ(再掲)

2月24日(月)

 わずか1泊で、かつて慣れ親しんだストーン・ハウス・ロッジを脱出し、マナスル・ゲストハウスに戻る。居心地・良。泊まり勤務を終え、夕方まで自宅にいるというゴビンダ君に「あなたも一緒に来ますか?」と誘われ、彼の家へ遊びに行くことにする。彼の自宅は、ゲストハウスから歩いて10~15分ほど。

彼の自宅へ着くと、ご家族の人たちは「誰?」というような顔つきだ。俺は覚えたばかりのネパール語で自己紹介した。

「ナマステ!マ・ジャパン・バーター・アーエン。メロ・ナム・○○・ホー(こんにちは!私は日本から来ました。名前は○○です)」
*ネパール語の語順は、日本語と同じです。単語さえ覚えれば、語尾変化が多少間違っていても、割と通じます。

このネパール語での挨拶が功を奏したようで、一瞬硬くなった雰囲気が、すぐに和らいだ。覚えたてのネパール語(ゴビンダ君に教えてもらったり、ガイドブックなどで覚えた)とアンチョコを使って、片言でもネパール語を話そうと心掛け、その結果、皆の笑いを誘い、気がつくと、もうそこにいる家族の一人一人の中に溶け込んでいた。

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ゴビンダ君の兄(ラビンダ)と弟(サビンダ)。ネパールの代表的なお土産の一つ、ライスペーパーのカレンダーにポスターカラーで色を塗っています。

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ゴビンダ君の父(ラム)、妹(ルビナ)、従姉妹(マカナニ)。女の子は2人とも美少女!でした。

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ゴビンダ君の弟、サビンダ君。なかなかの美男子。ペットのヤギにミルクを与えています。

そしてダルバート(ネパールの一般的な食事)をご馳走になる。タルカリ(野菜)はカレー味で炒めてあるようで、ちょっぴり辛い。ゴビンダが「”ピロ(辛い)”と言ってください」と耳打ちするので、そう言うと皆、大爆笑!

せっかくカメラを持って行っていたので、何枚か写真を撮らせていただいた。ゴビンダのリクエストもあって、ご両親や祖父母だけの写真も撮ってあげた。この国ではカメラは、まだまだ贅沢品。滅多に写真を撮る機会がないようだ。俺にとっても、彼らご家族にとっても、お互いに良い思い出・記念になるだろう。それにしても、もはやこれほど歓迎される事が起ろうとは思ってもいなかった。

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ゴビンダ君の自宅からは、スワヤンブーナートを眺めることができます。

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ゴビンダ君一家と。前列左から、ゴビンダの兄、弟、私。中列左から、ゴビンダ、従兄弟(ナンチュリ)、従姉妹、妹、祖母(ナウニマヤ)。後列左から、伯母(スレッシュ)、祖父(ナラヤン)、父、母(ビシュヌ)。

マナスル・ゲストハウスでも、他の宿泊客と親しくなった。特にアレックス、サムエルの2人のジャマイカン。アレックスは、ジャマイカのボクシング・アマチュア・ゴールドメダリストに輝いたそうだ。確かに彼の胸板は、服の上から見てもスゴイ!彼らは一見「強面(こわもて)」だが、黒人特有のいたって陽気で明るい性格。さすが、レゲェ発祥の国ジャマイカ!愉快な仲間だ。

そしてゴビンダやパブラム(彼もレセプション係)は、ネパール語を少しでも多く覚えようと、勉強に熱心な俺に、「マルシャンディ・シャララ」という、とても有名なネパールの歌を教えてくれた。何ともアットホームなムードである。

Mar Shyang Di Sha La La (マルシャンディ・シャララ)

Pan ko Pat Maya Timilai sam Than Chhu

Din ko Rat Mar Shyang Di Sha La La ...

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2012年11月27日 (火)

なつかしの、ストーン・ハウス・ロッジ(再掲)

2月23日(日)

 午前6時に起床し、2泊一緒だった佐土原君、逸見君を見送る。1人になり、このままここへ留まるか否か迷った。シングル1泊、本来なら8ドルのところを3ドルで、と言ってくれたが、この国で1泊3ドルはやっぱりイタイ!100ルピー(2ドル強)まで下げてくれたが、やはり一度出て、他を探してみることにする。

午前8時にチェックアウトし、とりあえず、以前ずっと過ごしたストーン・ハウス・ロッジへチェックイン。聞けばなんと、シングル1泊50ルピーに値上がっている(”地球の歩き方”を読んだら、22ルピーだったのに・・・)。う~ん?!

初めて訪れた1984年に、ずいぶんお世話になったサキャさんのお店を訪ねたが、違う人がいた。一応サキャさんのことを尋ねてみたが「知らない」そうだ。近所もあちこち尋ね回ったが結局、彼の消息はつかめなかった。残念!

ニューロードのスーパーマーケット(ここは、デパートのようなところ)でアーミーナイフを見つけ、210ルピーで購入。同じレベルのものを日本で買えば1万円ぐらいはするかな?帰り際、何かチラシでも配っているようで1枚もらうと、小さな新聞紙の切れ端に何か留めてある。「何だ?」と思ってみてみると・・・「ウッソー!何考えとんじゃい?信じられん・・・!」。周囲の人々も笑っている。そこには驚いたことに避妊具(コ○ドーム)が・・・。何度も首をひねって、マーケットを後にした。 *ちなみに、このスーパーマーケットには、ネパール唯一のエスカレーターがあります。

そして昨日歩かなかったタルカリバザール(野菜市場)やGPO(中央郵便局)近辺をうろつき、あちこちのロッジ、ゲストハウスでシングルの料金と設備を聞いて回る。

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タルカリバザールの様子。以前はずいぶんここへ通いました。

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ニューロードの東端付近にある歩道橋。この国では唯一?かも。それにしても、形がお国柄を表しています。

気がつくと、タメルに来ていた。一体何軒周ったか分からないが、再びマナスル・ゲストハウスの前へ来ていた。ストーン・ハウス・ロッジのあの設備で50ルピーなら、倍額払ってでもここの方が良いと考え、明日戻ることにする。

夜、マンダリン・レストランでたらふく食べ、ストーン・ハウス・ロッジの若い日本人客を誘って、路端のチャイ屋へ。こういうところでチャイを飲むと、カトマンドゥにいるんだって、強く感じる。

カトマンドゥ、ストーン・ハウス・ロッジにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2012年11月25日 (日)

今年も見ました、”四季桜”

皆様、おはこんにちばんは ヽ(´▽`)/

 一昨年そして昨年も見に行きました豊田市(旧・小原村)の四季桜。今年も見に行って来ました。11月20日のことです。
そして東海地方屈指の紅葉の名所・香嵐渓・・・へと行きたかったのですが、確かにそちらへ向かいました。しかし名古屋からとは逆方向(旧・小原村)から向かったのですが、これとてわずか1km進むのに1時間以上かかるほど駐車場が満車ゆえの大渋滞!
年老いた母のことを考え、できるだけ近い駐車場へと考えていたのが結果的に失敗で、かなり遠くの駐車場しか停めることが出来なくて、そこからではとても母を歩かせられないので、諦めて帰ることにしました。

今年の香嵐渓の紅葉は、”2002年以来の当たり年”と新聞に紹介されていましたので、この大混雑も仕方がありません。
しかし、四季桜が咲いている公園でも、とても素敵な紅葉を見ることが出来ました。
四季桜と共にどうぞ、ご覧ください。

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紅葉に黄葉、そして四季桜との共演!実際に見てみると、もっと素晴らしいです (゚▽゚*)!

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こちらも紅葉と黄葉に四季桜、そして樹々の緑・・・見事に調和していると思いませんか?

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こちらの紅葉も、とてもキレイでした。

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紅葉をバックに、一輪の可愛い桜 (゚ー゚)!

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とても小さくて可憐な姿の四季桜 (*^o^*)!可愛いでしょ?!
”紅葉に負けじ”とばかり 、頑張っているように思います。

さて・・・、一昨年そして昨年も訪れている旧・小原村の四季桜と香嵐渓の紅葉。
昨年や今年からマイブログへ訪問して下さるようになった方々へのお礼を含め、それ以前からお付き合いがある方々にも、もう一度楽しんで頂きたく「せめて写真だけでもご覧いただければ!」と思い、下記に過去ログをリンクしました。

昨年の四季桜と香嵐渓の紅葉&ライトアップの記事は、↓からご覧ください。

旧・小原村、川見(せんみ)四季桜の郷

秋色彩りどり・香嵐渓

幻想的!香嵐渓・黄金色に輝く紅葉!

一昨年は早朝の香嵐渓を楽しみました。その後、四季桜を見に行きました。

錦秋! 豊田市足助・香嵐渓

桜と紅葉のコラボレーション! 豊田市小原

↑ 記事、写真だけでもご覧いただけたならとても嬉しく思います。
本当に素晴らしい光景でした。ただ一つ、カメラマンの腕が悪いのが残念でした (。_。)スマヌ!

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2012年11月22日 (木)

7年ぶりのカトマンドゥの街(再掲)

2月22日(土)

 ネパール初日の朝、天気は良い。今日は土曜日、と言うと、この国では休日(ネパールは土曜日が休日で、日曜日が週の始まり)。朝、マナスル・ゲストハウスのレセプション(受付)で夜勤番のゴビンダ君(彼は日本語を勉強中で、昨夜も宿泊料金について、我々に便宜を図ってくれた)の紹介の店で、これから必要となるセーター、帽子、ウールの手袋を購入。計500ルピー(1500円)とメチャメチャ安い。セーターはカシミアのもので、日本で買えば一体いくらすることやら・・・?

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マナスル・ゲストハウスから見た周りの様子

その後、昨日一緒にここへ来た2人を連れてカトマンドゥの街を散歩する。アサン広場では、賑やかなバザールと、ちょうど結婚式に向かう花婿を見ることができた。

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アサン広場のバザール。とても賑やかです。

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結婚式へ向かう車でしょうか。下の写真中央に花婿の姿が。

ラトナパークのバザールはやはり賑やかだ。屋台の食べ物に早くも手が出てしまう。サモサにドーナツ、シシケバブー・・・。

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ラトナパークの様子。ここにもたくさんの人とお店があふれています。

ニューロードからジョッチェン(通称;フリークストリート)。懐かしいなぁ!この辺りは、かつて根城にしていたエリア。ジャスミンもコスモポリタン(ともにレストラン)も健在だ。けど、美味しいケーキ屋・スタイリストパイが見当たらない。道行く人々に尋ねてみると、どうやらなくなってしまったらしい。細い路地に入ると、そこは住宅街。ネパール風のアパートが建ち並んでいる。広場では子供たちが大きな声を出して、楽しそうに遊んでいる。

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子供たちにカメラを向けると、ご覧のとおり。皆、お行儀いいです。

ダルバール広場では仏塔に上り、街を見下ろす。休日のせいか、バザールの店の数は少ない。ここでボーッとしていると、必ず何人かのネパール人たちに声かけられる。でも、聞いてくることは皆、ほとんど同じ。どこから来たのか、いつ来たのか、年齢・職業、これからどこを旅するのか・・・。トレッキングの予定を話せば、コースのことを教えてくれるし、ついでに「ガイドに雇ってくれ」と頼まれる。こんな調子で、お互いに暇をつぶす。

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ダルバール(旧王宮)広場の仏塔の上から。真ん中の3階建ての建物は、生き神様「クマリ」が住んでいる「クマリの館」です。

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仏塔の上から見た旧市街地。この辺り一帯は、世界遺産に登録されています。

そして、スワヤンブーナートへと向かう。地元の人々は、「モンキーテンプル」と呼んでいる、巨大な仏塔がある、「仏教の総本山」とも言うべきお寺だ。小高い丘の上に建ち、仏塔の四方には、この国いや全世界を見守るように、ブッダの目が鋭く描かれている。このスワヤンブーナートへ登れば、カトマンドゥの街は一望のもとに見渡すことができる。まだまだ中世の雰囲気だ。かつて感じた「レンガ色」のままだ。「本当に俺は、再びネパールまでやって来たんだ!」。やっと実感が湧いてきた。

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沐浴場で、幼い子供をお姉ちゃんたちが体を洗ってあげていました。

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バグマティ川の向こう岸に、たくさんの野良牛が寝そべっています。

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スワヤンブーナート寺院から見たカトマンドゥの街。

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スワヤンブーナート寺院。大きな目が印象的です。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2012年11月21日 (水)

カトマンドゥ到着(再掲)

バンコクより約3時間、午後6時ごろ、カトマンドゥ・トリヴバン空港。無事、着いた。7年ぶりのネパール。前回はインドから陸路で、今回は空路でやって来た。空港で1ドル=42.60ルピー(1ルピー≒3円)で50ドル両替。そしてビザを取得(ネパールは、入国時に1週間のビザが取得可能;料金20ドル)し、外へ出る。あっ!という間にタクシーの運ちゃんたちに取り囲まれる。俺はあらかじめ、インフォメーションでカトマンドゥの市街図を頂き、街までのタクシー料金の相場を確かめておいた。

俺はいったん、彼らから遠ざかり、同じように1人でぶらぶらしている、というより、どうしていいのか迷っている日本人を2人捕まえて、「3人で相乗りして行かない?」と声掛けると、彼らも同意し、伴にタクシーに乗り込む。運転手に「タメル・サンマ・ジャノス(タメルへ行って下さい)」と指示し、陽の暮れかかったカトマンドゥ・タメル地区へと向かった。

同乗したのは、2人とも就職を控えた学生で、佐土原(さどわら)君と逸見(へんみ)君。海外は2人とも初めてだそうだ。タクシーの運ちゃんに任せて連れて行かれたのは、マナスル・ゲストハウス。なかなか小ぎれいなところだ。片言の日本語ができるスタッフがいて、料金を交渉しツィンを3人で借りることにし、1泊1人100ルピー。「300円ぐらいか・・・。この国じゃ、少し高いナ!」と思ったが、一緒だった2人が、2人とも2泊した後ポカラへ行くというので、この料金で2泊付き合うことにした。

夕食は、外でさっそくダルバート(ネパールの代表的かつ一般的な定食)。「ウ~ン、これこれ、これぞネパールの味」と、感慨にふける。そしてゲストハウスに戻り、この日は早めに眠った。

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マナスル・ゲストハウス。玄関は左へ入った方にあります。
MANASLU と書かれた看板の下のお店は、小さいながらも種類豊富な雑貨屋。ちょっとした日用品をはじめ、酒類やジュース、たばこ、お菓子なども売っていました。近くて便利、とても重宝しました。

カトマンドゥ、マナスル・ゲストハウスにて

*この旅日記は1992年のものです。

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2012年11月20日 (火)

カトマンドゥへ(再掲)

2月21日(金)

フォアランポン11:15(161列車)11:55ドンムアン・バンコク国際空港15:30(ロイヤルネパール航空RA402)17:45カトマンドゥ(タイとの時差-1時間15分、日本との時差-3時間15分)

長~~い2日が終わり、今日2月21日。いよいよネパールへ向かう日だ。午前8時起床、ホテル内のレストランで朝食。5年前とほとんど変わってない朝食セット。「変わったのは空港と、若干上がった物価だけか・・・」などとつぶやいても、昨日は昼間、つい眠ってしまったからなぁ。ネパールはどうかな?7年ぶり、その間、大規模な民主運動もあったし。

午前9時30分ごろ、チェックアウトし、駅まで再びぶらぶらと歩く。汗がダラダラと流れ落ちる。思わずコーラに手が出る。「エッ!12バーツ?昨日10バーツだったよなぁ!」しかし、途中でコーラを飲むくらいならバスのほうがはるかに安いし、楽なのに・・・、なぜか後悔。でも、あれが食べたかったんだ、そう、ポーク(?)の串焼き。そこかしこの道端で売ってるから!値段を聞くと「サン(3)バーツ」、1本3バーツで「ハー(5)」と言って5本買う。ホント、ウマイ!*…3はタイ語でも「サン」とか「サム」のように発音されます。

フォアランポン駅に着き、11:15発の列車の切符を買う。今度は各駅列車のようで料金は5バーツだ。ミルクとパンも買いこんで列車に乗る。向かいのシートは、学生さんらしい。数学のテキストを一生懸命解いている。列車の中だというのに。この国にもあるのかな?受験戦争って?

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来る時の半額の料金で、空港駅へと向かいます。

さて、空港へ着くと、俺の予定のロイヤルネパール航空RA408便はディレイして、RA402便に振り替え。15:30発で当初の予定より約1時間早くなった。タイの出国税は200バーツで以前より80バーツも上がっている。俺はてっきり120バーツだと信じていたから、「エッ!200バーツなの?」と言うと、俺の前に並んでいた日本人の男性が「そうですよ」と答える。わずかながら足りない。かといって10ドルも両替する必要もないし・・・。すると、その男性が「もしよかったら、使ってください」と足りない分を出そうとする。しかし、そんなわけにはいかない。だが彼は、「持ってても、もう使わないし、今回、用事があってバンコクに来ただけで、もうここへは戻らないので、使ってください」と言って、不足分のお金を与えてくれた。俺は丁重にお礼を言った。聞けば彼は、日本テレビ「24時間テレビ」のネパールの現地スタッフで、このあとはずっと、ネパールに滞在するとのこと。俺は彼に「このお返しは、今年の24時間テレビで必ず募金します」と約束した。

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ロイヤルネパール航空の搭乗券。ほとんど手書きで書かれています。

さぁ、いよいよ搭乗だ、が、やたら日本人が目につくなぁ。待合室でもそこら中から日本語が聞こえてきたし。「乗客の半分は日本人じゃないか?」って思うほど多い。実際乗ってみると、やっぱり多い。大半は春休み中の学生かな?

ロイヤルネパール航空は、ドリンクサービスの後に食事。しっかりビールを飲み、ワインも飲んで、食後はコーヒーで一服。隣の2人のアメリカ人の女性たちと話をしているうちに、白い帽子をかぶった山々が見えてきた。「ヒマラヤだ!」反対側のシートの人々も立ち上がって、外をのぞき見している。しばらくして、アナウンスに促され、皆シートに着き、飛行機は着陸態勢に入る。ついにカトマンドゥだ。

*この旅日記は1992年のものです。

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2012年11月15日 (木)

バンコクで・・・寝てました!(再掲)

2月20日(木)

ドンムアン6:10(912列車)6:50フォアランポン(バンコク中央駅)

 午前5時30分。まだ夜明け前だが、空港を出て隣接するドンムアン駅へ向かう。バンコクの朝は早い。バスも乗合トラックも、それらを待つ行列もすごい人だ。お店もすでに開いている。すごいエネルギーだ。

ドンムアン駅6:10発フォアランポン行きの列車に乗る。この駅始発で快速列車のようである。本来なら5バーツ(1バーツ≒5円)でいけるが、この列車は10パーツである。もっとも、空港ノンストップ特急(とでも言えばいいのか)は、80バーツもかかるらしいが・・・。

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列車の切符です。ペラペラの紙ではなく、硬券と呼ばれる切符でした。

午前7時ごろ、フォアランポン駅。広い構内は、やはりすごい人の山。人が座っていないベンチなぞ全く見当たらない。この喧騒、人々から発散されるエネルギーが、なぜかうっとおしく感じない。「空港は変わってたけど、ここは変わってないナァ!」思わず嬉しくなってしまい、用もないのに構内を懐かしく歩き回った。

外へ出れば、歩道では屋台が並んでいる。ラマ4世通はバス、タクシー、トクトク(オートリクシャ;三輪タクシー)などが走り回っている。バスは乗車口の外にまで人があふれている。手すりや窓枠を持ってバスから落ちないように踏ん張っている人々。アァ!サラリーマン、通勤地獄!ついつい笑ってしまう。

わずか1泊するだけなので、かつて泊まったプライバシー・ホテルへと歩いて行く。ラマ4世通を東へ約1時間。早朝とはいえ、荷物背負ってでは、さすがに汗をかく。ルンピニ競技場のあたりで右へ入り、懐かしい通りへ行く。「オッ!ブルーフォックス(パブ)は、まだ健在だったか!」そして、プライバシー・ホテルへ。

まだ、午前8時30分と早いので、チェックインできないが、部屋はとれるらしい。ルームチャージは350バーツ。「エッ!そんなに高くなったの?」と、思わず言ってしまった。が、この2晩、ほとんど眠っていないし、この暑いバンコク、やはりエアコンの効いた部屋、バス・トイレ付でゆっくり体を休めたい。

午前9時40分チェックインし、部屋代が予想よりも高かったこともあり、もう10ドル両替しておく。部屋でシャワーを浴び、汗ばんだTシャツを洗い、ベッドに横たわる。

いつの間に眠ったのか、気がつくと・・・午後6時。「ありゃ~、何もせんと1日終わりだぁ!」まあ仕方なし、夕食へ出かける。フライドライスにポテトサラダ、オレンジジュースで35バーツ。「けっこうイケル味だし、この値段なら安いよナ!」ホテルへ戻り再びシャワーを浴び、「ブルーフォックスへでも行くか~!」と思ったが、いま一つ体がだるい。「やっぱりおとなしく休も!」

バンコク、プライバシー・ホテルにて

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*この旅日記は1992年のものです。

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2012年11月14日 (水)

出発、そして出国(再掲)

2月18日(火)

名古屋23:00(高速バス:ドリームなごや2号)

 午後9時25分、すべての準備を完了し、家を出た。しばらく帰らないし、「禁欲の世界」を思うと複雑な面持ちである。しかし、すでに矢は放たれた。行かねばなるまい。午後9時40分、名鉄バスセンター(名古屋駅)行きに乗り、名古屋駅で、夜行高速バスに乗り換える。

午後11時、「ドリームなごや2号」は、満員の乗客を乗せ、暁の東京へと走り出した。乗り心地は俺にとっては、評判ほど良くはなく、何度か目が覚め車窓に目をやり、仕事で走り慣れた夜の東名高速を追っていた。

夜行高速バス・車中泊

2月19日(水)

5:40東京(山手線)上野7:03(京成特急)8:15ごろ成田空港16:00(エジプト航空MS865)23:05バンコク(日本との時差-2h)

 午前5時40分、東京駅着。そのまま上野へと向かい、京成の駅構内で朝食とする。洗面も済ませ、午前7時3分発の特急で成田空港へ。空港へは午前8時15分ごろ到着。飛行機の時間を考えれば、この時間に自宅を出発してもいいぐらいなのだが、長い旅になるので、少しでも節約したく、夜行バスを利用した。いささか早すぎるのだが、ここで時間をつぶそう。

思えば海外へ出るのは5年ぶりである。その間にもチャンスはあったのだが、なぜか行こうとしなかった。チェックインまで時間がありすぎて、いろんなことを考えてしまう。裏切ってきた友人たちのことだ。自ら結成したサークルを見捨て、そして、いたたまれないやるせなさ。「ウラギリモノ!ムセキニンオトコ!」そんな罵声が頭の中でこだまする。そんな声から逃げたくて、誰にも旅の予定を告げず、俺はしばらく日本を離れる。「裏切り者の旅だな!」とふと声を漏らし、深いため息をついた。

やや早めに昼食をとり、午後2時よりチェックイン。禁煙席20-A。窓側である。出国手続きを終え、午後3時15分、搭乗開始。午後4時、エジプト航空MS865便、定刻通りに滑走路を疾走し、最初の降機地、マニラ(フィリピン)へと向かった。

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エジプト航空機でタイ・バンコクへと向かいます。

「とうとう行くんだなぁ、いつ帰ってくるのだろうか・・・?」。これから始まる旅への期待や不安よりも何故か淋しさが俺を包む。なんだかよく分からないが、楽しみよりも寂しさを感じる。友達の誰ひとりにさえ話さなかったことへの後悔なのかもしれない。

しばらくして最初の機内食。魚料理か肉料理のどちらかを選べるメニューである。肉のほうを頂き、とりあえず満腹になった後はウトウト眠ってしまった。スチュワーデスに肩を叩かれ、気がつくと、どうやら間もなくマニラらしい。午後7時30分(日本時間午後8時30分)、マニラ到着。

およそ1時間後離陸し、完全満席状態で次のバンコクへと向かう。俺のフライトの最初の降機地であり、毎回降り立ってきた都市である。東京-バンコク間(1年オープンチケット)は俺が知る限りでは、このエジプト航空が一番安く79000円(往復)。次いでパキスタン航空の84000円ってところか。2度目の機内食が運ばれてきた。が、さすがに今度はほとんどパス。食っちゃ寝では、食欲もない。再びウトウトし、午後11時5分(日本時間翌日午前1時5分)バンコク着。

ムッ!とする暑さが体中をとり巻く。入国手続きを済ませ、空港ロビーへ出る。1ドル≒25バーツで20ドル両替。わずか1日の滞在なのでこれだけで足りると思うが・・・?それにしても、5年ぶりのバンコク・ドンムアン空港、なんときれいで立派になったこと!昔は到着ロビーに出るやいなや、数人のタクシーの運転手が客引きに俺の体をとりまいたものだが・・・その姿さえもない。セルフサービスのレストランまである。ウ~ン、思わず苦笑い。ずいぶんとイメージチェンジしたものだ。まぁ、こんな深夜に高いタクシー代払って、どこのホテルへ連れて行かれるか分からないまま外へ出るより、ビールでも飲んで早朝の列車で街へ出よう。そして出発ロビーの空いているベンチで、ザックを枕に仮眠をとる。

バンコク国際空港内にて泊

*この旅日記は1992年のものです。

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2012年11月13日 (火)

1992冬 再びネパールへ(再掲)

序の思い

1992年1月、俺はある一つの決心をした。それは8年越しの夢、ネパール・ヒマラヤでエヴェレストを見るために、カラ・パタール(5545m)へ登頂することだ。常々30才までには実現したいと考えていた。おそらく長い旅になるだろうこの旅は、フリーで行く長期の旅のラストチャンスかもしれない。幸か不幸か、バブル経済の破綻の影響をもろに受け、俺の仕事は極端に減少していた。しがない弱小個人事業主は、この大きなうねりにあっという間に溺れ沈んだ。そして廃業を決意した、と同時にネパール行きを決心した。1月15日のことである。

パスポートの再申請、航空券の手配、最低限必要なものだけを日本から用意し、後は現地でそろえることにして、2月18日夜、俺は家を飛び出した。

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準備した荷物のすべて。これだけをザックに詰め、出発しました。

*この旅日記は1992年のものです。

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2012年11月10日 (土)

beautiful Nepal (YouTubeより)

皆様、おはこんにちばんは (◎´∀`)ノ

すっかり秋らしい天気が続き、紅葉の見頃も今年は例年より早いような気がします。
今日も今日とて素晴らしい天気だったのですが、どうにも外出しようという気力がありません。心身ともに疲れているのか、何となく”うつ”になっている自分がいます。

海外はおろか国内さえなかなか旅することが出来なくて、”YouTube”でかつて訪れたドイツやネパールを見て、懐かしんでいます。
その中から一つ、ご紹介いたします。およそ6分弱ですが、よろしければ美しいネパールの自然ご覧ください。

以前『1984 初めての海外へ』と『1987 バンコク』を再掲載いたしましたが、来週から1992年に旅しましたネパールの旅日記を再掲載しようと思います。
左サイドバーのカテゴリーでは4つに分けていますが、今回は時系列で出発から帰国まで日を追って紹介していきます。

以前に掲載した頃はまだ訪問者も少なかったのですが、今はその頃に比べれば随分増えましたので、『古い旅日記』ですが皆様に楽しんでいただけたら、と思います。
もちろん以前にお読み頂いた方もいらっしゃるので、その方々には申し訳ないのですが、再びお付き合い下されば幸いです。

再掲載する日は基本的に毎週火・水・木曜日にいたします。で、木曜日のみコメント欄を開けることにいたします。
記事を続けて読まれる際は、トップページを下へ下へとスクロールするだけで次の記事へと進みます(私のブログは、このために古い記事から並んでいます)。

今から20年も昔の旅ですが、楽しみにして頂けたら、とても嬉しいです。

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2012年11月 4日 (日)

世界の絵葉書 その38 中世のプラハ

 皆様、おはこんにちばんは (◎´∀`)ノ

季節はすっかり秋になり、紅葉前線は山から徐々に里へと下りてきています。
そろそろ紅葉シーズンですね。”紅葉狩り”予定、立てていらっしゃいますか?

 今回の『世界の絵葉書』は、投函されたのはドイツ・ベルリンですが絵葉書はチェコ・プラハのものです。
近代になってもなお内乱などがありましたかつての”チェコ・スロヴァキア”は、今や『死語』なのでしょうか?

 ではプラハの絵葉書、作者は分かりませんが”中世のプラハ”を描いたそうです。

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かの有名な”カレル橋”とプラハ城でしょうか?

 送り主は、もう30年ほどの付き合いになる旅仲間のGさん。この『世界の絵葉書』シリーズの前半では、彼からの絵葉書をずいぶん紹介してきました。

絵葉書はチェコ・プラハのものですが、投函したのはドイツ・ベルリンのようで、どちらも近代の歴史という点では大変な街だったと思います。
Gさん自身もドイツ・ベルリンで、崩壊された『ベルリンの壁』を見たり『ナチスの歴史』を見たそうです。
彼は、こうも書いていました。
『世界の歴史は戦争の歴史』、『何も考えずにプラハ城だけを見ていれば1日がたつのを忘れるぐらいきれいな街です、プラハは・・・』と。
プラハにベルリンなど、東ヨーロッパを旅した感想が綴られていました。

ちなみに届いたのは、今から15年ほど前、’97年8月です。

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