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2012年4月26日 (木)

(再掲)赤褐色の街にてⅡ ~カトマンドゥでの暮らし~ その2

午後は、ダルバール広場でボケーッ gawk としている。似た者同士のヒッピーが、たむろしている。塔の上から見た街は、バザールの売り子 virgo 、牛 taurus や馬 horse 、サイクルリクシャなど、人々がそれぞれのリズムで生活している。齷齪した様子はない。ここは、時がゆっくりと静かに流れている confident

小さな街なので、同宿の人ともよく逢う。「お茶 cafe でも飲もうか?」と言って、’スタイリストパイ’という、美味しいケーキ屋へ。日本の喫茶店で食べるケーキ cake より、倍以上も大きい。意外にネパールの名物です。

朝からずっと食べっぱなしなので、散歩へ shoe 。ダルバール広場より吊り橋を渡り、スワヤンブーナートへ。ボロボロの服を着た子供が’陣とり’や小石でビー玉遊び。俺も昔は、こんなだったっけ。

畔道の向こうの小高い丘に、寺院が見える。スワヤンブーナートだ。100段以上ある階段を昇り coldsweats01 、ストウーパの前へ。陽 sun も傾きかけて、街は赤褐色(れんがいろ)。街の向こうには、ヒマラヤ山脈が白い帽子をかぶって並んでいる。近代化が叫ばれつつも、まだまだ中世なのだろうか?この国、この街の人々の律動が、赤褐色に調和している。ストウーパの仏陀の目は、この街をそっと見守っている eye 。街がさらに紅く染まるころ、下って行く。街のリズムに、自分自身を再び流してみる。

夕食は3日に2回ほど、自炊していた。タルカリバザール(野菜市場)へ立ち寄る。「今夜は何を作ろうか・・・ think ?」「ジャガイモと玉ねぎはあったから・・・、キャベツにトマト、そうだ!湯豆腐もいいナ、味噌汁にも入れて・・・bleah 」。同宿の自炊パートナーの日浦さんと相談し wink 、メニューを決める。「フルーツも買って、デザートを作っちゃおぅ happy02 !」

ストーンハウス・ロッジに戻り、夕食の用意にかかる。日浦さんと役割を分担し共同制作。ちなみに、この日浦さん、まだ19才という一人旅の女子短大生 virgo 。勇気ありますネ、一人でインド・ネパールまで・・・。まず、お米を洗って野菜は熱湯で消毒する。粉ふきイモに茹でただけのキャベツと玉ねぎ、トマトを加えサラダクリームをかけて、サラダの出来上がり happy01 !米がだいぶ炊けて、余った野菜を入れ、味噌と塩、味の素、卵を入れて、雑炊の出来上がり happy02 !少しずつ食べながら、味噌汁(具は豆腐)を作り、そして湯豆腐をポン酢(他の宿泊者から頂いた)と共に食べる。すべての食事 restaurant を終えるころには、外は真っ暗、すっかり夜 night 。でも、最高においしかった delicious happy01 sign03

食後の片付けも終わり、夜も更けてくる。毎晩、どこかの部屋が2~3人、4~5人のたまり場となり、談笑している。俺の部屋はツインなので、シングルよりやや広いこともあり、日浦さんやカルカッタでお世話になった、今は隣室の上田さん(26才、フリーのプログラマー)が毎晩来てくれた happy01 。「コーヒー cafe でも飲みましょうか!」熱いカップをすすりながら、この国について思うこと、自分たちの現在・未来、裸電球 flair 一つの薄暗い部屋での語らいに、’異国の旅の下’の不思議を感じた。明らかに、ここは日本じゃないんだ、と!

ふと時計 watch を見ると、もう10時だ。外に人の気配はない。聞こえるのは”モゥ~”と鳴く野良牛 taurus の声だけ。一国の首都だというのに、なんだかおかしい!思わず皆で、笑ってしまった happy02 !そしてそれぞれ「お休みー sleepy !」と言って部屋に戻り寝支度。シュラフを広げブランケットをかける。そして今日も1日終わる。

赤褐色の街で、俺なりの暮・ら・し。

*ここカトマンドゥでの自炊生活については、後日改めて書き綴ります。写真こそありませんが、どんなものを作っていたか文章で紹介していきます。

*この旅日記は、1984年のものです。

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コメント

楽しそうな自炊ですね。
若いと楽しさも倍あったのではないでしょうか。
19歳の女の子もいたし・・・

それにしてもネパールに豆腐があるとは知りません
でした。すべてカレーと思っていましたので・・・
いろいろな思い出がいっぱいありますね。


matsubaraさんへ

若いころは一日にコーヒーを4~5杯飲むほどコーヒー党で、いつでもコーヒーが飲めるようにと買ったのが、エレクトリック・コイル・ヒーターでした。
あくまで湯を沸かすものにすぎないのですが、アイデア次第で料理も作りました。
日浦さんとの出会いや共に自炊する経緯は、今後の記事で紹介します。
”NEPALY TOFU”と書かれて売られていたのを今も覚えています。
ネパールの人々の食事、ダルバートは日本では『豆カレー』と訳されるようですが、私はカレーと呼ぶにはちょっと違和感を感じるのです。
ダルバートはダルバートであって、カレーとは別物なのです。

投稿: matsubara | 2012年4月26日 (木) 08時27分

慕辺未行さんへ
こんにちわ
カトマンドゥでの生活 景色は想像付きませんが雰囲気はしっかり伝わります 慕辺未行さんの文章力の賜物ですね
19才の短大生の方 本当に勇気がありますね
どんな目的で旅をされているのでしょう?
結構楽しく生活されている様子 目に浮かびます
それにしても日本恋しや ホームシックなんて罹りませんか


古都人さんへ

今週掲載しました二つの記事は、カトマンドゥでの日々を簡単にまとめただけのもので、楽しいことはもっとたくさんありました。
来週からそれらを詳しく紹介していきます。
彼女はごく普通にインドやネパールを旅する気持ちで来ていたと思います。
ロッジの宿泊客が日本人ばかりだったこともあり、不思議とホームシックとかには掛からなかったです。

投稿: 古都人 | 2012年4月26日 (木) 16時24分

のんびりとした時間が流れて・・・japanesetea
異国で長期滞在なんて羨ましいのです
それでこそ、その国の本当の姿がわかる気がしますconfident
お豆腐まで、売ってるんですか~eye
また、ポン酢をお持ちなんて、よっぽど旅慣れた方なんでしょうね
気心の知れたお仲間たちとのひととき、ステキな時間ですね~っshine


きゃぶさんへ

インドでクーデターさえ起こっていなければ、こんなにのんびり過ごすことはなかったでしょうが、こんな時間も贅沢で良いものです。
自炊するようになって、野菜市場へ買い出しに行くと”NEPALY TOFU”と書かれたブリキの大きな缶がありました。
初めは「まさか?!」と思ったものですが、本当に豆腐が売られていて感激でした。
宿泊客ほとんどが日本人でしたし、やはり長期滞在している人もずいぶんいました。
これで『旅』と言えるかどうか別にして、本当に楽しいカトマンドゥでの『暮らし』でした。

投稿: きゃぶ | 2012年4月26日 (木) 21時54分

食べて寝て、また食べて寝て時には語らって日本と違う時間が流れていきますね。いいなあ。
異国でそんな時間を持てたことは素晴らしいですね。


agewisdomさんへ

本当に贅沢な時間を過ごしていたと思います。インドでクーデターが起こっていなければ、インド国内を南下しながら旅していたでしょう。
昼間は買ってきたノートにそれまでの旅日記を、メモをもとにさらに詳しく書き残していたりしました。
そのノートをもとにこのカテゴリー『1984 初めての海外へ』の記事を紹介することができました。

投稿: agewisdom | 2012年4月26日 (木) 21時59分

インドでのお話は 見るからにイキイキしていて 読んでいても
気持ちが弾みます。 実際は大変なのでしょうが、楽しい!

インドの映画は「躍るマハラジャ」?しか見てませんが
独特の世界観で、個性的で いいですよね~

亀山の近くの「関宿」、ご存じですか~ 古い屋並みの列が長くて
よく保存されていました。素敵でした・・


bellaさんへ

bellaさ~ん、インドじゃなくてネパールですヨォ (^_^;;
当時、インディラ・ガンジー首相が暗殺され、インドは大混乱、カトマンドゥで「何もすることがない」という贅沢な時間を過ごしていました。
インドの映画も歌あり踊りあり、ラブストーリーありコメディありと盛りだくさんですよね。ネパール映画もインド映画の影響を受けてか、やはり盛りだくさんの内容です。
関宿、旧東海道の古い街並みですね。最近は行っていないですが、とても落ち着いた雰囲気の街です。
『関の山』という言葉の語源の街でもあります。

投稿: bella | 2012年4月27日 (金) 08時48分

カトマンドゥのゆったりした生活がいいですね。
これぞ旅ですよね。
私の行った各国の格安ツアーはなんだったんでしょうと思います。
ちなみにニュージーランドは友人3人とハラハラしながらの珍道中でした。
こういう旅は想い出が多く懐かしいです。
日浦さん、勇気ありますね、当時だから良かったのかしら
今ならきっと行けませんね。
お豆腐ってあるんですね(@_@)


のこのこさんへ

当時クーデターが起こったばかりで、インドは大混乱。カトマンドゥでのんびり過ごすしかありませんでした。
こうなると『旅』ではなくなっていました (^_^;;
新たにノートを買ってきて、メモをもとに旅のことを詳しく書き残し、かなり詳細な旅日記になりました。
そしてその時の旅日記が、30年近くたった今、ブログという形で日の目を見ることとなりました (^_^)!
今でも若い女性の海外一人旅、わりといると思いますヨ!
盆や年末年始、GWの時期はあまりいないでしょうが、シーズンオフのころには、かなりいるのでは?と思います。
豆腐、あるのですよ。野菜市場に”NEPALY TOFU”と書いて売られていました。

投稿: のこのこ | 2012年4月27日 (金) 15時24分

慕辺未行さん  こんばんは~
旅を凄く楽しんでおいでですね。
羨ましいような気もします。
現地の食べ物、又自炊しての日本食?
旅の様子を想像しながら拝見させて頂いています。
大勢の素晴らしい方との出会いと経験は
大きな財産となった事でしょうね。
バザールは凄く興味あります。
きっと楽しいだろうなぁと・・・


すみれさんへ

当時インドで大事件が起こっていなければ、インド国内をあちこち旅していたでしょうが、仕方なくカトマンドゥで「何もしなくていい」という贅沢な日々を過ごしていました。
もっと写真があると良いのですが、何しろカルカッタで荷物の盗難に遭いましたから!その分、’92年に訪れた時は、思い出の場所をしっかり撮って来ました。
タルカリバザール(野菜市場)の写真もありますヨォ (^o^)!
来週からは、さらに詳しくカトマンドゥでの暮らしを紹介します。

投稿: すみれ | 2012年4月27日 (金) 21時50分

異国情緒あふれる風景が目に浮かびます。
こんな経験、日本ではまずできないでしょうね。
自然と部屋に集まってきて談笑、想像するだけでも
楽しそうだなということがわかる、旅先で過ごす時間ですね。


Junjiroさんへ

この時の旅は、カルカッタで荷物丸ごと盗難に遭い、写真がほとんどなくて・・・、それがとても残念に思います。
インドでインディラ・ガンジー首相が暗殺される事件以降、インド国内が混乱し、航空券の都合上ここネパールでインドの混乱が収まるのを待つ旅人もたくさんいました。
ロッジではTVもラジオもなく夜になると何もすることがないので、必然的に気の合うもの同士が集まるようになりました。
当時、時間を持て余し詳しい旅日記を書き記していたこともあり、今でもその時の光景を思い出すことができます。

投稿: Junjiro | 2012年4月28日 (土) 22時15分

楽しそうな日々ですね。
私も学生時代寮にいて、コーヒー飲みながら夜通し喋ったりしていたので、その楽しさが少しだけ分かるような気がします。
もっとも寮と言っても、冷暖房完備食堂付きの女子学生会館で、随分違ったでしょうが…
でも今となっては、あんなどうでもいいことについて夜通し喋ったりできませんもの。


zooeyさんへ

学生時代の寮のこと、分かるような気がします。
年齢や性別の違いはあるでしょうし、環境はさらに違うでしょうが、雰囲気や感じたことはとても似ていたのでは?!と思います。
各部屋に裸電球はありましたが、二股のソケットを買って来なければ、他に電源がない部屋でした。
TVもラジオもなく、夕食後は誰もが何もすることがない生活で、それでも連日私の部屋へ遊びに来てくれる仲間たちがいました。

投稿: zooey | 2012年4月29日 (日) 00時01分

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