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2012年4月

2012年4月29日 (日)

芝桜でお花見、愛知県弥富市

 皆様、おはこんにちばんは ヽ(´▽`)/

GW、昨日今日と気持ちのよい天気に恵まれました。
私は近場をぶらりと散歩しようと、行って来たのは愛知県弥富市の三ツ又池公園。

ここは先日、地元紙の朝刊に紹介されていたところ。
「エッ、こんな公園あったっけ?」と、全く知りませんでした。それもそのはずでこの公園、3年前にできたばかりだそうです。
新聞で紹介されたせいか、多くの人々が訪れていました。

では、芝桜、ご覧ください。

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こんもりとした丘の斜面に、芝桜のじゅうたん。

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赤・ピンク・白・・・、パッチワークのように綺麗に植えられています。

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園内には清流が流れています。

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白い芝桜の中に、ピンクが・・・?!

せっかくですので、近所のスーパーで250円弁当とお茶を買って、芝桜でお花見しながらピクニックしてきました。

帰り道、「どうせ通り道だから」いつもの戸田川緑地公園へも立ち寄りました。
こちらは八重の里桜が満開です。

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園内の里桜。満開です (^o^)!

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藤棚の藤の花も咲いていました。この下は休憩スペースです。

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駐車場脇のハナミズキ。こちらも赤・白・ピンクと3種類咲いていました。

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アジサイ?まさか・・・?!オオデマリ?ビブルナム・エスキモーという名前のお花です。
調べてみましたら、スイカズラ科ガマズミ属とありました。

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公園西側の川沿いの散歩道。八重の里桜の並木道になっています。
公園内はにぎやかな声が鳴り響く中、こちらは人もまばらでした。こんなに綺麗なのに!

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ほんのり黄色の桜。浅黄というそうです。

せっかくですので、こちらの黄色っぽい桜もご覧ください。

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鬱金(ウコン)桜。津島市天王川公園にて。

どの公園も我が家からマイカーで30分以内で行けるところばかりです。
近場でも充分に楽しめました (^_^)!
でもやっぱり・・・、たまには遠出したいナァ (。_。)!

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2012年4月28日 (土)

”撮り鉄”卒業後の鉄道写真

 皆様、おはこんにちばんは (◎´∀`)ノ

いよいよGWのスタート。初日の今日は全国的に好い天気のようで、半袖で良いぐらい気温も上昇しました。
この陽気に誘われて、あちこちお出かけされた方も多いでしょう。
私は・・・(。_。)...まぁ近場でどこか散歩でもしているでしょう!

久々に鉄道ネタ、『望郷列車写真館』です。
私が俗に言う”鉄ちゃん”だったのは、高校生時代。高校を卒業する前、友達との約束で一緒に旅して以来、鉄道そのものに対する興味よりむしろ、ユースホステルを利用しての旅の面白さと出会いの素晴らしさに魅了され、鉄道写真は滅多に撮らなくなりました。

しかし近年、海外を旅した時にその国の鉄道を撮ることもあるように、やはり時には”虫が騒ぐ”のか、少しは撮っていました。
学生時代よく旅した九州、信州、北海道。ほんの少しだけ当時の特急列車を撮っていました。
今でもこれらの名称の特急、走っているのかな?

では、ご覧ください。

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新宿から中央本線を信州へと走っていた特急”あずさ”号。’80年撮影です。撮影地は、たぶん上諏訪駅(もしかしたら違う駅かもしれません)。
♪8時ちょうどの”あずさ2号”で私は私はあなたから、旅立ちますぅ~♪
この歌をご存知の方、私と同年代から上の人がほとんどかな (^_^;;!

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九州、博多や小倉から日豊本線を大分から宮崎方面へと走っていた特急”にちりん”号。
’81年の撮影です。当時まだ『九州ワイド周遊券』では特急には乗れなくて、憧れだけでした。撮影地は、たぶん小倉駅。

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北海道、函館から小樽経由で札幌まで走っていた特急”北海”号。
函館から千歳経由札幌まで行くのは”北斗”号だったと記憶しています。(”81年撮影”)

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札幌を中心に、北海道の主要都市・旭川~室蘭間を走っていた特急”ライラック”号。
↑写真と同じ年、札幌駅で撮影したものと思います。 

高校卒業と同時に、それ以前とは驚くほど鉄道写真は残っていませんでした。
せっかく日本全国あちこち旅したのに・・・(。_。)!
今さらながら「もったいなかったなぁ、もっと撮っておけばよかった (>_<)!」と後悔しています。

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2012年4月26日 (木)

(再掲)赤褐色の街にてⅡ ~カトマンドゥでの暮らし~ その2

午後は、ダルバール広場でボケーッ gawk としている。似た者同士のヒッピーが、たむろしている。塔の上から見た街は、バザールの売り子 virgo 、牛 taurus や馬 horse 、サイクルリクシャなど、人々がそれぞれのリズムで生活している。齷齪した様子はない。ここは、時がゆっくりと静かに流れている confident

小さな街なので、同宿の人ともよく逢う。「お茶 cafe でも飲もうか?」と言って、’スタイリストパイ’という、美味しいケーキ屋へ。日本の喫茶店で食べるケーキ cake より、倍以上も大きい。意外にネパールの名物です。

朝からずっと食べっぱなしなので、散歩へ shoe 。ダルバール広場より吊り橋を渡り、スワヤンブーナートへ。ボロボロの服を着た子供が’陣とり’や小石でビー玉遊び。俺も昔は、こんなだったっけ。

畔道の向こうの小高い丘に、寺院が見える。スワヤンブーナートだ。100段以上ある階段を昇り coldsweats01 、ストウーパの前へ。陽 sun も傾きかけて、街は赤褐色(れんがいろ)。街の向こうには、ヒマラヤ山脈が白い帽子をかぶって並んでいる。近代化が叫ばれつつも、まだまだ中世なのだろうか?この国、この街の人々の律動が、赤褐色に調和している。ストウーパの仏陀の目は、この街をそっと見守っている eye 。街がさらに紅く染まるころ、下って行く。街のリズムに、自分自身を再び流してみる。

夕食は3日に2回ほど、自炊していた。タルカリバザール(野菜市場)へ立ち寄る。「今夜は何を作ろうか・・・ think ?」「ジャガイモと玉ねぎはあったから・・・、キャベツにトマト、そうだ!湯豆腐もいいナ、味噌汁にも入れて・・・bleah 」。同宿の自炊パートナーの日浦さんと相談し wink 、メニューを決める。「フルーツも買って、デザートを作っちゃおぅ happy02 !」

ストーンハウス・ロッジに戻り、夕食の用意にかかる。日浦さんと役割を分担し共同制作。ちなみに、この日浦さん、まだ19才という一人旅の女子短大生 virgo 。勇気ありますネ、一人でインド・ネパールまで・・・。まず、お米を洗って野菜は熱湯で消毒する。粉ふきイモに茹でただけのキャベツと玉ねぎ、トマトを加えサラダクリームをかけて、サラダの出来上がり happy01 !米がだいぶ炊けて、余った野菜を入れ、味噌と塩、味の素、卵を入れて、雑炊の出来上がり happy02 !少しずつ食べながら、味噌汁(具は豆腐)を作り、そして湯豆腐をポン酢(他の宿泊者から頂いた)と共に食べる。すべての食事 restaurant を終えるころには、外は真っ暗、すっかり夜 night 。でも、最高においしかった delicious happy01 sign03

食後の片付けも終わり、夜も更けてくる。毎晩、どこかの部屋が2~3人、4~5人のたまり場となり、談笑している。俺の部屋はツインなので、シングルよりやや広いこともあり、日浦さんやカルカッタでお世話になった、今は隣室の上田さん(26才、フリーのプログラマー)が毎晩来てくれた happy01 。「コーヒー cafe でも飲みましょうか!」熱いカップをすすりながら、この国について思うこと、自分たちの現在・未来、裸電球 flair 一つの薄暗い部屋での語らいに、’異国の旅の下’の不思議を感じた。明らかに、ここは日本じゃないんだ、と!

ふと時計 watch を見ると、もう10時だ。外に人の気配はない。聞こえるのは”モゥ~”と鳴く野良牛 taurus の声だけ。一国の首都だというのに、なんだかおかしい!思わず皆で、笑ってしまった happy02 !そしてそれぞれ「お休みー sleepy !」と言って部屋に戻り寝支度。シュラフを広げブランケットをかける。そして今日も1日終わる。

赤褐色の街で、俺なりの暮・ら・し。

*ここカトマンドゥでの自炊生活については、後日改めて書き綴ります。写真こそありませんが、どんなものを作っていたか文章で紹介していきます。

*この旅日記は、1984年のものです。

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2012年4月25日 (水)

(再掲)赤褐色の街にてⅡ ~カトマンドゥでの暮らし~ その1

ストーンハウス・ロッジの小さな部屋の窓に、朝の光 sun が射しこんできた。「もう朝かぁ~、ふぁ~」とあくびをして、ベッドの上に敷いたシュラフの中から飛び出す。今日も、いつもと同じように、この街の1日が始まった。

エレクトリック・コイルヒーター(コイル式電気湯沸かし器)で、ゆで卵を作る間に洗顔し、朝食 restaurant の用意をする。食パン bread を切りジャム(アプリコット、マンゴーなど)を塗る。ゆで卵ができると、コーヒー cafe を作り、皿の上にチーズやバナナ banana を盛ったら、立派な朝食だ。「いただきまーす delicious 」。毎朝の習慣だ。

朝食が終わると、何の目的もなく街へ出る。たいていはラトナパークへ行く。バザールは賑やかだ happy01 。衣料品や日用品、屋台も出て、フルーツやドーナツ、ヌードル、ポテトのカレー煮など smile 、朝食を終えたのに、つい手が出てしまう coldsweats01 。おっちゃんやおばちゃんとの交渉に飽きた頃、園内でゴロンと陽なたぼっこ。いつの間にか小学生ぐらいの子供が、ピーナッツやスィートを売りにくる。1ルピー2ルピーと買ってポリポリ・・・。なくなると、またやってくる。キリがない。そのうち、陽 sun がずいぶん高くなり、昼がきたらしい。

ランジャナ・シネマ(映画館)付近も、よく賑わっている。大衆娯楽の王様は、この国では映画 movie なのだ。インドのものが流行っていて、その界隈にはブロマイド屋もいる。一度見てみたが、言葉がさっぱり・・・ wobbly 。でも、美男美女が主役、コミカルな顔の役者が喜劇を演じ、怖ーい顔は悪役!どこも変わりませんネ!ですから、ストーリーもおのずと解ってくる happy02 。それよりも、見ている人々の反応、あの興奮はすさまじい eye!ヒーローが活躍すると、拍手喝采!悪役が出てくると、大ブーイング、喜劇スターに足踏み鳴らし、大爆笑!恐れ入りました think

映画館の近くのモモ(ネパール風餃子;小龍包)屋で、昼食にした。一口サイズのモモが10個で3ルピー。たれが辛いけど、美味しい delicious 。お腹もふくれる。物足りなきゃ、サモサ(ネパール風コロッケ;カレー味のポテトをパイ生地のようなもので三角に包み、揚げたもの)を食べていた。

*この旅日記は、1984年のものです。

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2012年4月22日 (日)

ルナリア満開です w(^o^)w!

 皆様、おはこんにちばんは (◎´∀`)ノ

私のブログではすっかりお馴染みのルナリア、昨年秋から頑張って咲き続けているのですが、それとは別に新たに”2年目”のルナリアが蕾を付け、ここ数日の春の陽気に誘われ続々と開花し始めました。
そして気がつけば、満開状態です (^o^)!

昨秋から頑張っているルナリアは、莢が伸び果実も付いていて、この果実の外皮を剥ぐと絹状の光沢のある隔膜があって、これを乾燥させたものが装飾に良く使われるそうですが・・・、未だわずかながらまだ蕾をつけていますので、こちらは完全に花が咲き終えるまで待とうと思います。

 で、昨秋から咲き続けているルナリアと、今年のルナリアの共演、ご紹介します。

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左右に一つずつの苗、満開です。真ん中やや右下で咲いているのが、昨年秋から咲き続けているルナリアです。か細い莢が伸び倒れてしまうので、支柱を立て紐でそっと括り付けてあります。

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横から見ると、こんな感じに”咲き乱れ”ています w(^o^)w

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まだ開いたばかりの花から、大きく開いたものまで、様々です。

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1輪だけ咲いているノースポール。しかし蕾が次々と生まれてきています。

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枯れたと思ったベゴニアも咲き始めました。

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ムスカリもすべてではありませんが、花を咲かせてくれました。

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八重のカランコエ。今年も咲きました。

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こちらは・・・?やたら背が伸びているのですが・・・

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タンポポに良く似た花ですが、あなたのお名前は?そしてどこからここへ飛んできたの?

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そして黄色い花が咲くかと思いきや、綿毛のような花(?)。この子もどこから来たのだろう?

我が家の狭いベランダにも春が来て、ずいぶん賑やかになって来ました o(*^▽^*)o

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2012年4月21日 (土)

名古屋市・戸田川緑地の色々な桜

 皆様、おはこんにちばんは (*゚▽゚)ノ

 桜(ソメイヨシノ)はすっかり散ってしまいましたが、しかし早咲きの桜もあれば遅咲きの桜もあります。
ソメイヨシノだけが桜ではありませんし、枝垂れ桜や八重桜も”お花見”の対象として愛でてあげましょうよ、ネ (^_^)!

 ちょうど満開の頃ですが、名古屋市西部にある『戸田川緑地公園』へちょいと立ち寄ることができました。
平日にもかかわらず、たくさんの人で賑わっていました。ちょうどお昼時とあって、レジャーシートを敷いてお花見弁当を戴いている人々がたくさんいました。

 地元紙に桜の名所の開花情報が掲載されていますが、この公園の情報は載っていません。
しかし、私も今まで知らなかったのです(灯台下暗しぃ~!)が、意外にも”桜の名所”でした。まさかこれほど桜があるとは (゚o゚)ナニッ?!そして寒桜、山桜、里桜・・・たくさんの種類の桜もありました。

そのうちのほんのわずかですが、ご紹介します。

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ソメイヨシノとカンザクラ(横浜緋桜)

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サトザクラ(越の彼岸)

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カンザクラ(雅桜)

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エダヒガン(神代曙)

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ヤマザクラ(佐野桜)

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サトザクラ(八重紅枝垂れ)

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サトザクラ(兼六菊桜)

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サトザクラ(伊豆多賀赤)

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サトザクラ(静香)

 いかがでしたか?桜って本当にたくさん種類がありますね。色や姿も微妙に異なります。しかしどれもキレイですネ (^o^)!
川沿いのプロムナードはソメイヨシノの並木路で、それこそ気持ちの良い散歩が楽しめそうでした。      

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2012年4月19日 (木)

(再掲)カトマンドゥへ戻る

11月23日7:00発のスイスバス bus で、カトマンドゥへ戻る。ストーンハウス・ロッジ hotel へ行くと、シングルは空いてなかったが、つい数週間前まで泊まっていた俺をオーナーは覚えていて happy01 、ツインをシングルと同じ料金(11ルピー≒160円)で貸してくれた。何とも嬉しいご好意だ lovely

そして、相変わらずサキャさんのお店に顔を出し wink 、彼といつも話をしていた happy01 。また、トレッキング中に偶然再会したムネさんとも再び会い happy02 、宿も同じストーンハウス・ロッジだった。彼とは当然ながら、一緒によく夕食 restaurant へと出かけていた。

そのころ俺は、電気店で’エレクトリック・コイル・ヒーター(湯を沸かすためだけのコイル式ヒーター)’を買い、スーパーでインスタントコーヒーを買って、朝食はコーヒー cafe とパン bread 、フルーツ banana apple 、ゆで卵 fullmoon を作って”自炊”していた coldsweats01

ある日の夜 night 、ロッジの近所の店で俺が卵を買っている moneybag と突然「ジン sign02 」と、大きな声がした。俺は「誰だ?ここで俺のことを”ジン(ニックネーム)”と呼ぶ奴は think sign02 」と思って、辺りをきょろきょろすると、克ちゃん(高畑君)が「オホホー sign01 ジン sign03 久しぶりー happy01 sign03 」と駆け寄って来た run 。俺も思わず「オォー sign01 克ちゃーん happy02 sign03 」と叫び、お互いに手を握り抱擁し合った scissors

彼もやはり、俺が北海道を旅していたときの仲間 good で、室蘭にあるユースホステルでヘルパーをしていた’かっちゃん’。克ちゃんは実は、初めは俺と一緒に旅立つ予定で連絡を取り合っていた telephone のだが、克ちゃんのアルバイトの都合で俺だけ先に出発していたのだ bearing 。そして彼もインドへ向かう予定だったのだが、カルカッタまでのチケットを予約した途端、あのクーデターが勃発し wobbly 、インド入国が不可能となり bearing 、トラベル・エージェントの素早い対応もあって confident 、チケット ticket を即ネパール・カトマンドゥへと変更し、ここへやって来ていたのだ happy01 。克ちゃんは、俺がインドで盗難に遭ったことを知っていた。なぜなら彼も俺と同じ旅行代理店を利用していたからだ。そして克ちゃんも、ストーンハウス・ロッジに泊まっていたのだ happy02

さらに、カルカッタで盗難直後にお世話になった scissors 上田さんとも、ここで再会した happy01 。しかも、部屋が隣同士 good 。金井さんと岩田さん、辻さんもポカラから戻って来ていた catface 。俺はかつての仲間、そしてこちらで知り合った新たな仲間と共に、このカトマンドゥでの暮らしを楽しむ smile

*この旅日記は、1984年のものです。

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2012年4月18日 (水)

(再掲)ポカラへ戻って

11月19日、トレッキングを終え、ポカラへと帰って来た。すぐにスルジェハウスhotel へ行き、幸い空きベッドもあり、チェックイン。そして、オーナーの平尾さんに、手足の状態を見せ、医者 hospital を紹介していただき、すぐに行くことにする。地図を書いていただくと、歩いて shoe 30分ほどのところで、バスターミナルがある大きな交差点の角、”Dr.N.B.Gurung”という医者だ。

症状と、痛みがあることを訴え、患部に薬を塗ってもらう。そして4~5日ほど通院するよう、言い渡された despair 。しかし、この薬が驚くほどよく効いた coldsweats02 。3日目の朝、起きてみると、何の違和感もなく「エッ sign02 」と思っていると、化膿も治まり、痛みも感じなくなっていて、引きずっていた足も、普通に歩けるようになっていた happy01

その日も俺は医者へ行き、ドクターにその日の状態をジェスチャーをしながら説明した。ドクターも「そうだろう happy02 sign01 」と言うように、誇らしげだ。俺は彼に大いに感謝し confident 、「その薬を1瓶買いたい」と申しでると、快く売ってくれて happy01 、その後は通院することなく、自分で治療した。金井さんや岩田さんも、俺のあまりにも早い回復ぶりに、とても驚いていた。

 ポカラには、トレッキングの前後合わせて7日間滞在した。湖があって、静かでのんびりした、温暖な街だが、返ってのんびりし過ぎて、することもなく飽きてしまった wobbly 。また、観光客も多く、土産物屋や闇ドル、大麻売りのタチもカトマンドゥより悪いし、物価も高い bearing 。闇ドルのレートが低いうえ、物価が高いとあって、トレッキング後4日目にはカトマンドゥへ向かっていた。

でも、湖があり、マチャプチャレやアンナプルナ南峰が聳え立つ様は、やはり絵になる lovely 。レイクサイドやロッジの庭で、暖かい陽射しの中、本を読んだり昼寝をしたり、好きな人は何日でもいられそうな、のんびりした街だった。

*この旅日記は、1984年のものです。

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2012年4月14日 (土)

手作り『鶏ハム』・・・マイブームです (^_^)

 皆様、おはこんにちばんは o(*^▽^*)o!

久々に料理(と言えるかどうか?)ネタの紹介です (^_^;;ヘヘッ!
実はここ最近、”ハマりにハマっている”料理、それが今日紹介する『鶏ハム』です。

あるブログ仲間の方が”Cook Pad”で見つけて、ブログに紹介していました。それを見て「これなら私にもできる」と、不足していた材料(柚子胡椒)を買い求め、作りました。
その美味しさと言ったら・・・もう堪りません (≧∇≦)!
以来、ほぼ毎週末のように作っているのです ( ^ω^ )!

 ”Cook Pad”を参考にして作った『鶏ハム』、作り方を私なりに紹介します。

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鶏むね肉一枚、ビニール袋に入れ砂糖大さじ1、塩大さじ1、柚子胡椒大さじ1を混ぜて、よくもみます。
(レシピでは、柚子胡椒大さじ1とありますが、私は中さじ1で作っています)
充分に揉んで均等にいきわたったら、一晩冷蔵庫で寝かせます。

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一晩冷蔵庫に”放置”しておいた鶏むね肉を、ちょうど浸かるような沸騰したお湯に入れ、5分ほど煮込みます。そして後は・・・冷めるまで再び”放置”。
茹であがった後の煮汁は、鶏の旨味が出た出汁としてスープなどに使えます。

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出来上がりの姿です。

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切ってみると・・・、「w(^o^)wワォッ!美味しそうなハムだぁ~ (^_^)!」

この鶏ハム、簡単にできるうえ本当に美味しいのです。まさしく私は”ハマり”ました(笑)!
おかずに良し、サラダに使ってもいいし、最大の魅力は”酒の友”にもなるのです。
焼き豚やサラミ、唐揚げが私の酒のつまみの定番ですが、これがあれば値段が高いサラミと焼き豚は『お役御免』です。カロリーも低いでしょうし、ヘルシーです。

もしよろしければ、ぜひ作ってご賞味ください。大人も子供も楽しめる美味しさだと思います。

*追記・・・この記事を投稿した後、皆様のブログ訪問させていただきました。
昨年秋以降、体調不良でブログをお休みしていました”あま・コスモス”様が、4月4日御逝去されたと知りました。
「エッ?!」と思い、しばらくして涙が・・・(;_;)
復活を期待しながらお休み中もしばしば訪問していたのですが、今日コメント欄を開きこの事実を知りました。
お亡くなりになるには、まだ早過ぎるご年齢だったことと思います。それだけに心痛みます。

直接お会いしたことはありませんが、我が街の隣町にお住まいだった”あま・コスモス”様。お花をとても愛している方でした。
ブログを拝見し、とても癒されたことが何度もありました。
そのブログがもう更新されることがないと思うと、とても残念です。

”あま・コスモス”様のご逝去を悼み、「ありがとうございました」と「お疲れさまでした」の言葉を送るとともに、心からご冥福をお祈りいたします。そして・・・、

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”あま・コスモス”様へ。大好きでしたコスモスの花、送ります。
そちらまで届くかな?
ご家族の方々には、”あま・コスモス”様のご逝去、お悔やみ申し上げます。

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2012年4月12日 (木)

(再掲)トレッキングを終えて

~ 巡 礼 の 旅 ~

 この2週間、ただひたすら歩き続けた shoe 。体の調子は決して良くはなく wobbly 、山での水や油が合わなくて、下痢をしていたし、水脹れができたのも、それによるものだ。また、南京虫やノミなどの虫が、シュラフやトレッキング中ずっとはいていたジャージに住み着いたままだったようで、傷をより多く、またひどくした shock

しかし、良い’旅’だった confident 。アンナプルナ内院、山への憧れ、ムクチナート巡礼。ジャングルでたった一人迷い込んだ時の、何とも言えない孤独感 despair 。言葉が違っても、伝えようとする意志さえあれば、民族・人種の問題なく、話ができる happy01 。しかし、それらはすべて’歩く’ことから始まっていた。’歩く’こと、そこに生きていくうえでのすべての原点があるように思われた think

そして、人間とは、本当にタフである。精神的にも肉体的にも!自分がいかに弱いかと思っている人でも、いざ自分だけ、しかもそれを突破しなければどうにもならないほど、追いつめられれば angryガンバ、とてつもない力を発揮すると思う。

毎日、平均して5~6時間、2週間歩き続けられた体力、そして根性。歩いてみて、初めて多くのことに気がついた。もちろん、’歩く’以外に交通手段がないところだから、そうせざるをえなかった。

ムクチナートの丘に立った俺は、日本を離れる直前の混乱していた俺ではなかった。ある自信、何か一つのものが見えてきた。そしてさらに、それを飛躍させる必要を感じた。景色だけを見に来たトレッキングではなかった。俺が俺自身を試し、捜し続けた”巡礼の旅”だった。

*この旅日記は、1984年のものです。

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2012年4月11日 (水)

(再掲)ムクチナート ~聖地への道~ その11

11月19日 ”ポカラへ”

ジョモソム8:00(ロイヤルネパール航空)8:20ポカラ

 6:30起床し、ティー cafe だけ飲んで7:00、飛行場へ向かう。予約の確認、料金 dollar を支払う。金井さんたちは、昨日の予約時に俺の本名が思い出せなかったようで、俺のことを「シック・ジャパニーズ(病気の日本人 sign02 )」と言って予約を入れていた。俺はとてもおかしかったが coldsweats01 、そんなでも、予約が取れたことに感謝していた confident

やや風がある。フライトが見合わされた。何しろ小さな飛行機 airplane だ。ポカラ~ジョモソム間は、この一機だけで毎朝3便ずつ往復しているのみ。そして、山間谷間を飛ぶわけだから、風が吹いて乱気流が発生したら、ひとたまりもない。それでなくても「あんな小さいもので大丈夫なの think ?」と思うのに・・・。

’Royal Nepal Airlines N9-ABT ’と書かれた飛行機 airplane にいよいよ乗り込む。定刻よりかなり遅れてフライトする。機内にはスチュワーデス virgo もいて、飴玉の機内サービスがあったのには、驚いた happy02 。わずか20分のフライトなのに・・・。

一度北上してから南東の方向へと、下って行った。それほど高度は上がっていないものの、ヒマラヤ山脈を空から眺められた eye 。アンナプルナ、マチャプチャレを見た時、「10日前はあの奥にいたんだナァ confident 」と感じ入っていた。よく行ったもんだ!人間ってタフだナァ!やればできるし、体力もそれなりにあるものだし、根性もあるものだ。ここでは’歩く shoe ’以外にないのだから。我ながら「頑張った angryガンバ」と思う。

と思っているうちに、もうポカラの街、ペワ湖が見えてきた。本当にたった20分だ coldsweats02 。人間が1週間(俺は、アンナプルナ内院へも行っていたので、余分にかかっている)の日々を費やして歩く道程を、ほんの20分 bleah !文明の利器とは、とてつもなく恐ろしく、また素晴らしいものだ confident

ポカラの飛行場に無事着陸。自動車 car も自転車 bicycle もある街だ。そして、スルジェハウスへと戻る。俺の2週間のトレッキングが終わった。

*この旅日記は、1984年のものです。

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2012年4月10日 (火)

(再掲)ムクチナート ~聖地への道~ その10

11月18日 ”最後のトレッキング”

ジャルコット8:00(徒歩)12:20ジョモソム

 7:00起床。朝食 restaurant にジャム付きのチャパティとゆで卵、ミルクコーヒーを注文したのだが、これはいったい何だ gawk ?ゆで卵は、白身まで半熟のまま、コーヒーは埃っぽい味・・・ wobbly 、昨晩のこともあって、気分最悪 angry !今まで泊まったロッジの中でも、最も印象が悪い bomb impact pout sign01 用を済ませてすぐに出発した。

8:00、太陽 sun を背に、最後の日のトレッキング shoe 。右からダンプスピーク、トゥクチェピーク、ダウラギリⅠが聳えているのが見える。俺の顔もずいぶん陽焼し、髭も伸び髪も伸びてきた。容姿も気分も、’道を求め彷徨うヒッピー、時代を超えた旅人’、そんな感じになって来た confident 。’異邦人 notes ’を何度も口ずさむ karaoke note

やがて、道はタックコーラの川原を行くことになる。足首の痛みもひどく、完全に引きずりながら wobbly 歩いていた。左足ふくらはぎの辺りも、妙に痒く、見てみると、何ヶ所か虫に喰われていたり、小さな水脹れができていたり weep

ジョモソムの街が小さく見えてきた。先にジョモソムへ向かったはずの岩田さんが、逆方向なのに、こちらへと歩いてきている。彼はすでにジョモソムに到着していて、「君の分の飛行機 airplane の予約もしておいてあげたよ!明日の朝8:30発で、僕らと同じだからね」とのことだ。1日待たされるかと思ったのだが、助かった confident 。何しろ17人乗りの小さな飛行機だから。彼は再度カグベニへ行って、良質のアンモナイトを買ってくるつもりだ、と言う。彼らは数日前からポーターを雇っていて、この日、俺よりずっと速いペースで進んでいたのだ。

12:20、やっとジョモソム到着。金井さん、岩田さん、辻さん(女性)と同じ、200年の歴史を持つタックコーラロッジにチェックインする。岩田さんから、「タックコーラロッジに君のベッドも確保もしてあるから」と聞かされていたのだ。彼らのご好意、親切が本当に嬉しかった happy01 !俺の部屋は、岩田さんと2人でダブルを1部屋、金井さんと辻さんで1部屋。今までの疲れを癒すように、宿でかけている音楽 slate を聴き、ストーブにあたってのんびり過ごした。

夕食 restaurant は、べジタブルエッグスープとベジタブルフライドライス。歴史があるせいか、確かな味だ delicious 。食後も、電気があるせいか、遅くまで皆で起きている。と言っても8~9時ぐらいまでだが。俺は今までの2週間を振り返りつつ、20:00にはシュラフに潜り込んだ。

ジョモソム、タックコーラロッジにて

*この旅日記は、1984年のものです。

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2012年4月 7日 (土)

世界の絵葉書 その30 ミラノから「ドゥオモー」

 皆様、おはこんにちばんは (*゚▽゚)ノ!

最近、かつて掲載した記事をコピペして再掲載するという、いわゆる”手抜き”癖がついてしまったのか、新規更新が少なくなってしまいました (^_^;;アセアセ!
『世界・絵葉書の旅』をはじめ『日本&世界の切手・コイン』『望郷列車写真館』などのカテゴリー記事が、ずいぶん滞っています (。_。)ゴメン!
これ以上更新のしようがない旅日記ならいざ知らず、どれもちょっと”間”が開き過ぎました。

相変わらず前置きが長い・・・(← グダグダ言い訳するな pout!)ですね coldsweats01

さて今日は・・・、イタリア・ミラノからの絵葉書です。
まずはご覧ください (^_^)!

Img043milano
Milano Duomo (ミラノ大聖堂)です。
”SALUTI da MILANO”は、翻訳サイトでは『ミラノからよろしく』と訳されましたが、合っているでしょうか?

 送り主は、たった一度だけお会いした日本語が上手なイタリア人 Piero さんと恋人の Roby さん(聞いた話では、今はご夫婦だそうです)からです。
彼らとは直接の知り合いではなく、’94年ネパールで知り合った日本人女性(琴の演奏家)の友達です。
その年の秋、その女性が名古屋での演奏会に出演の際、ちょうど来日していた彼らが東京から京都へと旅する移動途中ということもあり、演奏会前日に共に名古屋へ来られました。

事前に連絡を受けていましたので、私も一日有給を取り名古屋へ来られた日は、彼らの希望もあり”明治村”へ案内しました。
その翌日は名古屋市内の名所へと案内し、夕方、ネパールでお会いした女性も出演する琴のコンサートを見ました。
コンサート終了後、私は彼らを名古屋駅まで送り、そこでお別れしました。

明治村などで一緒に撮った写真を Pieroさんに送り、お礼に届いた絵葉書です。
さすが、日本に造詣が深い Pieroさん、絵葉書の最後には日本語で「気をつけてください」と書かれていました。

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2012年4月 5日 (木)

(再掲)ムクチナート ~聖地への道~ その9

(11月17日のつづき)

この日はここで宿をとり、ムクチナートへは、片道30分だ。ヒマリーホテルに荷物を置き、昼食を終えて、12:40出発。少しの登り坂を歩いて、30分でムクチナートへ到着。アンナプルナ内院に続き、二つ目の目標も達成 happy01 sign03

痛々しくなった足を引きずって、ここまでやってきた angryガンバ。そして先に出発していた金井さんと岩田さんにも、とうとう追いついた happy02 。2日の差を、最終目的地にて、追いつくことができた。とはいえ、彼らは36才と30才、俺は若干22才。当たり前と言えば、当たり前か sign01 彼らは、俺の足首の状態を見て eye

「それは、もう医者 hospital へ行かなきゃダメだよ pout sign01 バイ菌が入っているかもしれないし、手首もそんなに化膿してちゃ、ほっといたら危ないよ coldsweats02 へたに破傷風が入ったら治らないし・・・ gawk 」と、

皆の勧めもあって、帰路はジョモソムからポカラまで、飛行機 airplane で帰ることを余儀なくされた。このまま歩いて shoe ポカラまで帰っても、普通で1週間。しかし、この状態では10日以上かかるかも・・・?1フライト610ルピー(≒$35≒9000円)は、痛い出費 dollar だが、怪我がこれ以上ひどくなったり wobbly 、何かの菌が体中に回った後では sad 、手遅れになることも・・・ shock 。体には代えられない。飛行機で帰ることを決意する think 。これによって、俺のトレッキングは、この日を含め、あと1日半となってしまった weep

彼らとの雑談のあと、高台に登りムクチナートの村を眺め、聖地へと向かった。聖地には3つの寺院がある。ここは、ラマ教、ヒンズー教両方の聖地であり、とても神聖なるところだ。一応仏教徒の俺も、お参りをしてきた。金井さんに教えられたように、お線香とマッチを持って、線香を焚き、お布施を喜捨して、皆の無事を祈った confident 。つき合っている彼女 virgo のこと、親父、おふくろ、兄貴、姉貴、そして多くの旅仲間たち、皆が健康で幸せでいられますように・・・。

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ムクチナートの丘、聖地。ラマ教やヒンズー教徒の人々は、一生に一度はここへ巡礼に来ることが夢 heart01 だそうです。

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’ダラ’と呼ばれるものです。水が流れ落ちています。全部で108つ、あるそうです。

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三重塔。聖地にある寺院の一つです。いつの時代のものか知らないのですが、やはり歴史を感じます think

聖地を下り、チェック・ポスト、そして再び村へ。ここの物売りのおばちゃんたちは、しつこいうえに、かなり高く売りつけてくる angry 。他の人が「40ルピーで買った」というマフラーを、初めは「80ルピーだ」と言ってくる。「高すぎる pout sign01 」と言って交渉しても、なかなか40ルピーまで下がらない。そっぽを向いて歩きだすと、追いかけて来て、いきなりマフラーを俺の首に巻いて「45ルピー」と言う。この強引な売り方に腹が立ってきて angry 、そのまま突っ返した。この付近では、アンモナイトの化石が採れるそうなので、それだけは記念に大、中、小と3つ45ルピーで買った。この辺りの人々は、アンモナイトも”神様” confident と崇めているそうだ。

ずいぶん涼しくなった16時ごろ、ムクチナートから20分でジャルコットのロッジに戻った。夕食 restaurant に、エッグ・ベジタブル・フライドライスとエッグ・ガーリックスープを注文。6時にはできると言っていたのに、他のトレッカーのは次々運ばれ、俺のだけなかなかできない sad 。彼らの食事が終わるころ、聞きに行くと、再度俺の注文を聞きにくる始末 wobbly 。金井さんらも言っていたが(彼らも、この日は同じロッジだった)、このロッジは「日本人は人がいいから、後でもいいと思っているみたいだよ」と angry

夜、右手首、右足首、左手親指がうずく wobbly 。とくに左手親指の水疱は、だんだん大きくなってきて、10時ごろ一度つぶしてみた。すると、血を含んだ水が流れ出てきた shock 。軟膏を塗ってテーピングする。まさか、破傷風?なんてことはないだろうな・・・ shock sign02 いずれにしても、1日も早くポカラへ戻り、医者 hospital へ行こう。そこでダメなら、急いでカトマンドゥへ戻るしかない。この晩も、良くない予感が頭をよぎり、よく眠れない despair 長~い夜 night だった。

ジャルコット、ヒマリーホテルにて

*この旅日記は、1984年のものです。

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2012年4月 4日 (水)

(再掲)ムクチナート ~聖地への道~ その8

11月17日 ”異邦人”

カグベニ8:45(徒歩)11:40ジャルコット12:40(徒歩)13:10ムクチナート16:00(徒歩)16:20ジャルコット

 熟睡できないまま wobbly 、朝を迎えた gawk 。それでもシュラフから出たのは、7:00。朝食は、ムスタン・ブレッド bread にジャムを塗って、そしてオムレツ。ムスタン・ブレッドは、ジャムを塗ったから良かったものの、そのままだったら、味は今一つ。ただし、お腹はふくれる。

しばらくすると、アメリカ人のカップル heart04 (カリフォルニア出身とのこと)が、日本語で話しかけてきた coldsweats02 。彼らは小田原で3年間、英語教師として働いていたそうだ。彼らは俺の右手首の化膿に気付き、俺が「薬は持っていないのです weep 」と答えると、彼らが持っているファーストエイドで、応急処置をしてくれた confident 。すべて日本製の、軟膏や滅菌ガーゼ、バンドエイドで、患部にバイ菌などが入らぬよう施してくれた。足首の傷にも、バンドエイドをペタペタと何か所も貼ってくれた。本当に嬉しかったし、助かった happy01 。旅人同士の心の通じ合い good 、国境を越えてもあるものなんだ wink 。俺は彼らに本当に感謝した lovely 。そして「ありがとう happy01 、お元気で。さようなら weep !」と、彼らを見送った crying

8:45、いつもよりのんびりしたスタート。ムクチナートまでは、わずか2~3時間らしいが、傷ついた俺の脚では、もう少しかかるだろう sad 。スタート直後こそ、山肌の登り道だったが、1時間かけて登りきると、後は緩やかなアップダウンの道。

それにしても、この道から見える光景は、あまりにも荒涼としている eye 。砂漠ではないのだが、もし、シルクロードを歩くことができるならば、きっとこんな感じなのだろう think 。俺の脳裏に、再びあの歌 note が浮かび、声を出して歌っていた karaoke notes

           異 邦 人        久保田早紀

子供たちが空に向かい両手を広げ

鳥や雲や夢までもつかもうとしている

その姿は昨日までの何も知らない私

あなたにこの指が届くと信じていた

空と大地がふれあう彼方

過去からの旅人を呼んでる道

あなたにとって私ただの通りすがり

ちょっとふりむいてみただけの異邦人

市場へ行く人の波に体をあずけ

石畳の街角をゆらゆらとさまよう

祈りの声、ひずめの音、歌うようなざわめき

私を置き去りに過ぎていく白い朝

時間旅行が心の傷を

なぜかしら埋めていく不思議な道

’サヨナラ’だけの手紙迷い続けて書き

あとは悲しみをもてあます異邦人

あとは悲しみをもてあます異邦人

俺はこの歌 note を歌いながら notes 歩き続けた shoe 。この歌が使われたコマーシャルのシルクロードの画面と、今見ている風景とをダブらせながら confident 。「あぁ、俺もここでは”異邦人”なんだナァ confident !」という意識が、よりいっそう強くなった。すれ違う人々と「ナマステ happy01 (ネパール語;こんにちは)!」と、声かけ合う。’旅’というものは’歩く’ことなんだナァ!あれこれ考えているうちに、ジャルコットへ着いた。11:40だ。

(11/17の日記 まだまだ次へ続きます)

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この道を、”異邦人の道”と、勝手に名付け呼んでいます coldsweats01
痛む足を引きずり wobbly 、ひたすら前だけを見て、歩き続けました angryガンバ shoe
シルクロードに思いを馳せながら・・・confident

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この道は、’92、’94にも歩いています coldsweats01
歩くたびに”異邦人”を口ずさんでしまいます karaoke notes

*この旅日記は、1984年のものです。

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2012年4月 3日 (火)

(再掲)ムクチナート ~聖地への道~ その7

11月16日 ”イメージとの遭遇”

マルファ8:00(徒歩)10:00ジョモソム11:00(徒歩)13:50カグベニ

 6:30すぎ起床。アップルパンケーキ apple cake とホットチョコレート cafe で朝食。かなり冷え込んでいて、寒い。宿泊代を支払うと、今までのところに比べて、やや高い wobbly 。電気 flair が通っているからかな?

この日は8:00出発。マルファの街をゆっくり歩く。なるほど、真っ白に統一された石造りの家やロッジが、街道沿いに建ち並び、中世の雰囲気をかもし出している good 。これまで通って来た村々とは、ひと味もふた味も違う lovely 。昨日会ったカナダ人夫婦が勧めるのも、納得だ happy01

マルファの村を外れると、次の村はいよいよ一大都会(?)ジョモソムだ。辺りは低い山に囲まれ、川が流れ、他には見るからに何もない。シルクロードを行くような気分だ confident 。行く先の方から、チベット服を身にまとった人々が歩いてくる。いかにも”巡礼”という感じだ wink 。「あ~異邦人、巡礼の旅人!」と、心の中でつぶやく。いや、今の自分も、ある意味において”巡礼の旅”をしているのかもしれない bleah

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マルファ~ジョモソム間にて。ニルギリを眺めながら・・・カリガンダキの川原を歩きます。

そんなことを考えているうちに、吹き流しが見えてきた。ジョモソム飛行場 airplane だ。チェックポストに10:00着。ここジョモソムは、銀行 bank 、郵便局 postoffice 、医者 hospital 、ネパールアーミー(軍隊)の基地もあるそうだ。昼食 restaurant には早いが、ここで腹ごしらえに、フライドポテトを食べる。1時間、ゆっくり休憩した。というか、足首の傷が化膿していて、ずいぶん痛かったのだ wobbly 。手首の傷までも、化膿し始めた。この痛みで、ムクチナートまで行けるかどうか、心配になって来た think

ジョモソムを11:00に出発し、タックコーラ右岸の川原を行く。大きな石がゴロゴロしていて、足場が悪く歩きにくい。実に疲れる。約2時間もの間、パッティはなかった。やっと、カグベニとムクチナートとの分岐点まで来た happy02 。そこのバッティの人に聞くと、「ムクチナートへは、ほとんど登りで2~3時間。カグベニへは1時間ぐらいだ」とのこと。足の状態を考えて、ムクチナートは翌日にまわし、カグベニへ向かった shoe

比較的、平坦な道で50分、城塞のような村が見えてきた。村の中へ入って行く。マルファ以上に落ち着いた、中世的な、時代をはるかにさかのぼったような不思議な村だ good 。やはり、ここは異国。建物は、かつて何らかの戦いがあったのか、ところどころ朽ちている。しかし今でも、村の人々は、その朽ちた建物の中で暮らしている。

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1984年当時のカグベニ村入口。
今ではカンニと呼ばれる仏塔門が、旅人たちを迎えてくれます。

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カグベニ村の中。一般民家やロッジが建ち並びます。

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カグベニ村とその付近です。ちなみにこれは、絵葉書です。

カグベニから北は、ツーリスト進入禁止 ban だ。この先にはムスタン王国(ネパール国内だが、特別に独立自治が許可されている。ムスタンラジャ(王)が統治)、さらに国境を越えチベット、そしてシルクロードへとつながる。

*1992年、カグベニ以北のムスタン王国は、外国人にも開放されました。ただ、その年はまだツーリストのためのゲストハウスやロッジがなく、食事提供も困難なため、行くのであれば、ガイドやポーター、キッチンボーイなどを雇い、テント泊で行かなければならなく、その上パーミット料金が異常に高かったので、個人旅行者は皆、諦めていました。

カグベニでは、アンナプルナロッジに宿を決め、夕方まで村を彷徨う catface 。子供たちの遊ぶ声、川で洗濯する女性たち、アンモナイト売り、のそのそと歩く水牛、石造り、石畳・・・、斜陽が村を赤く染める。日本出発時のイメージが、ここにあった lovely heart sign03 俺は思わず、あの名曲”異邦人”を何度も口ずさんだ notes

夕食は、ベジタブルフライドライスとフライドエッグ(目玉焼き)、そして久々の肉で、ミートスプリングロール(肉入り春巻)。さすがにうまい delicious 。野菜だって、下の方の村では青臭い菜っ葉だったが、ここはキャベツだ。栄養がとれた happy01

だが、足首と手首の化膿がひどい wobbly 。左手親指にも、黒ずんだ腫物ができていた shock 。いやな予感だ weep 。夜、それがやたらと気になり、心臓の鼓動がそこに集中しているようで、なかなか寝つけなかった。

カグベニ、アンナプルナロッジにて

*この旅日記は、1984年のものです。

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