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2012年3月29日 (木)

(再掲)ムクチナート ~聖地への道~ その6

11月15日 ”電気との出会い”

ガサ7:30(徒歩)9:15レテ9:30(徒歩)10:15カロパニ10:45(徒歩)12:20ラルジュン12:40(徒歩)14:00トゥクチェ14:00(徒歩)15:30マルファ

 6:30起床。あと3日歩けばムクチナートだ wink 。アップルパイとホットレモンで朝食 restaurant 。ホットレモンは、この辺りでは果汁そのままを使う。砂糖を入れないと酸っぱい wobbly

7:30出発。カイク、レテ、カロパニと、ほぼ1時間おきに村があるのは、ペース配分が楽になる happy01 。カロパニのチェックポスト(トレッキング・パーミットを確認するところ)で、許可証に確認済みのスタンプを押してもらう。そしておやつに、アップルカードを食べる delicious

ガサより既に標高差、550m。それほどきつい登りはなかったのだが・・・ think 。この日の目的地、トゥクチェまでの標高差は、もう約30mしかない happy01 。後は平坦な道と、水量の減ったカリガンダキ川の川原を歩くことになるだろう。

10:45にカロパニを出発。川原を歩き続けてラルジュンへ。一休みして、12:40出発。予想を上回るペースだ。再び、川原を歩き、リンゴ apple 売りに出会う。1ルピーで2つは安い happy01 sign01 この辺りは、リンゴ apple の産地だからナァ!さらに進むと、インドからネパール入国時に知り合ったカナダ人夫婦と再会し lovely happy01 sign01 彼らから「マルファは、すごくステキな村だ heart 。トゥクチェから1時間半で平坦な道だから、ぜひそこまで行ってみるといい wink 」とアドバイスを頂き、トゥクチェを14:00、そのまま素通りして、一気にマルファへと頑張ることにする angryガンバ shoe

すると突然、俺の目に”文明”が飛び込んできた gawk 。何と、”電線”が通っている wobbly 。奥地へ進んでいるのに・・・?トレッキングに出てきて初めてだ。しかし、謎は解けた happy02 。この地方最大の村(というより”街”かな?)、ジョモソムに近いからだろう。ジョモソムなら、ポカラから来る飛行機 airplane の飛行場もあるし、電気 flair があっても不思議はない。

38
乾期で水量の減ったカリガンダキ川の川原を行きます shoe foot shoe
往年のインド~チベット交易路でもあります confident

この辺りから、周りの風景が荒涼としてきた。いかにも”チベットへ向かう”という感じだ catface 。やがて、マルファに15:30到着。さすがに肌寒くなってきた。この日はオームズホテルに泊まる。時間的 clock にも距離的 shoe にも、最も行動した日だ bleah

ホテル内には、今まで見たことがない蛍光灯に白熱球 flair 、ラジカセ slate からは、ビージーズやビートルズの音楽 note notes が流れている。ポカラ以来の”文明”だ coldsweats02 。一瞬とまどいながらも、やはり普段の生活に少し近づいたせいか、わりと落ち着いた confident

夕食 restaurant は、ベジタブル・フライドライスとチキンスープ。”チキン chick ”と見るや、「肉が食べられる smile sign01 」と思ったのに、スープだけ。「なぁーんだ down 」と思っても、後の祭り。

ここのロッジの娘 virgo さんで、まだ15~6才位だろうか、俺が首からぶら下げているペンダントタイプの時計 watch を、「どうしても欲しい catface 」と親にねだり、「譲ってくれ confident 」と言いだした。

「日本でいくら yen するんだ?」

「ネパールルピーで70ルピー moneybag ぐらい」

「100ルピー出すから、売ってくれ think

と、言われても、今の俺にとって、唯一の時計。無くては困る weep

「何かと交換するから think 」と言われる。

「いくら moneybag 欲しいの sign02 」とも言われる。

「絶対にダメだ pout 。これがないと、俺が困るから wobbly sign03 」と言って、断固拒否 ng する。

彼らは、ぶつぶつ言いながら諦めたようだ。そしてこれ以降、彼らの態度は急変した weep 。今まで、何か注文すると、ニッコリ happy01 微笑んで持って来てくれたのに、もう、それはない。あからさまな変わりよう shock 。俺も腹が立って angry 、寝てしまった sleepy

マルファ、オームズホテルにて

*この旅日記は、1984年のものです。

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コメント

慕辺未行さん
 ナマステ!(^^)!
ムクチナート ~聖地への道~ その4
 朝日に輝く眺望、その言葉だけで
素晴らしさ感動 トキメキが伝わって来ます
しかも6000mや8000m級の山。
お写真を拝見していすが、素晴らしい体験をされましたね。
空気が綺麗だから青空も綺麗
解ります、確かにそうですよね。
 信州の安曇野へ行ったとき、当時は空気も汚れていなくて
雪を頂いたアルプスの山並みと青空がとても綺麗でした。
 歩くのは体にも頭にも好いのですね。
私は車に乗れないことを今になって好かったと思っています。
 大麻を売りつけた子供たちの将来は・・考えさせられます。
両足と手首に水膨れ・・化膿  辛いでしたね。
 それでも慕辺未行さんは若かった
今なら・・・考えられませんね

 その5
道を迷うは山中では有りますが
単独行の場合は不安だったことと思います。
特に冬場は日が落ちるのが早いので、焦りますね。
それでも落ち着いて?目的地へ到着。
ドキドキ冷や冷やしましたがホッとしています。
 薪ストーブの傍で温かいスープを戴いて
暖かくしてぐっすりおやすみ。
お疲れも風邪も吹っ飛んだことでしょう
若さは宝ですねヽ(^o^)丿


コスモスさんへ

標高3200mのプンヒルからの眺め、それはそれは絶景です。マチャプチャレ、アンナプルナ、ダウラギリ・・・スゴイとしか言いようがありません。
’92年’94年にもネパールを旅していますが、その時もこの地域をトレッキングし、毎回プンヒルからの眺めを楽しんでいます。
子供たちが悪いのではなく、それをさせている大人たちがいけないのです。そして違法と知りながらも買う人々・・・。
山の中での衛生面は、当時は決して良くなかったですし、知らないうちに色んな虫などに喰われていたのだと思います。でもまだ、歩き続ける元気はあったようです。
また道を間違えた時のこと、対岸の川沿いをラバの隊商が歩いていた光景、今も脳裏に残っています。
不安とかよりも、もう呆れていたかもしれません。
アンナプルナ内院へのルートと違い、ゴラパニからのチベット街道は、メニューも増えてきましたし、ストーブがあったり、設備的にはずいぶん違っていました。
トレッキング中は、夕食を戴いたらもうすることがなくて、たいていはシュラフにもぐってしまいました。

投稿: コスモス | 2012年3月29日 (木) 07時33分

 サブタイトル?の”電気との出会い”を
拝見して、??と思いましたが、考えさせられました。
 文明や文化ににどっぷり浸かって生活している今の私たち。
有難味が解らなくて、何か有ると文句を言っていますが、
子供の頃は特別不満を感じていなかったと思います。
  

コスモスさんへ

今はどうか分かりませんが、当時私が歩いたルートで電気があったのは、トゥクチェ村からジョモソム村までのわずかなところだけでした。
他はオイルランタンやろうそくが灯りとして使われていました。
ガスや水道はもちろんありません。このマルファ村も電気はあっても水は井戸水をくみ上げていました。
そういう暮らしの人々を見ながら旅したのですが、日本へ帰って来ると、その有難味すら感じなくなってしまいます。
本当はもう少し考えねばならない課題なのでしょうが・・・!

ブログへのコメントです (^o^)/
『城南宮の椿の花』
城南宮・・・、初めて知りました。そのような名所があるのですね。
椿の花、赤や白の椿はよく見ますが、”蝦夷錦”は珍しいですね。模様も確かに”錦模様”です。
椿の花は、あまり揺れるとお花ごと落ちてしまいますから、むやみに触って欲しくないですね。
私もたまに花や枝にそっと触れ、匂いを嗅いでみたりします。これもあまり良くないかな (^_^;;

『可愛い布人形に癒されて』
西陣織の素敵なお召し物、人様でもなかなか着ることができないのですが、こちらのお人形さんたち、幸せですね。
どの人形の表情も、とても庶民的に感じられ親しみが持てます。昔の若い女性がお正月に着る”晴れ着”のようにも感じました。

『雨上がりの朝「京都府立植物園」を散策しました』
色々な色のアネモネ、可愛く咲いていますネ。
ここで紹介されているアネモネの花、お花だけを見ますとポピーにとてもよく似ていることに気が付きました。
>撮ってくださいと訴えて?いるようですね。
分かります。私もよくお花に訴えかけられます (^_^;;
”花の精”がきっと声かけているのでしょうね。

投稿: コスモス | 2012年3月29日 (木) 07時36分

電気のない生活は 計画停電でもない限り味わえませんが
山などでは なんとも不安ですね   
でも20数年経っているので その場所も環境が変わったかも
しれませんね
時計を欲しがった女の子の町も もっと豊かになったかもね・
今日は上野の美術館に行きましたが 桜は処女のように
固かったです~~! (私はもう地面に散ってます~)
お花見はまだ先ですね・・


bellaさんへ

当時はわずかな地域だけしか電気はありませんでした。
その後、’92年’94年にもこの地域をトレッキングしていますが、電気があるエリアはかなり広がっていました。
電気はあってもガスや水道はまだ・・・、というところもかなりありました。
このマルファ村は、この地域でもかなり豊かな村でした。
「ヒマラヤのユダヤ人」とも云われるタカリー族が暮らす村で、商売に長け教育にも熱心な村だそうです。
こちら、桜の開花予想日は明日だと報じていました。でも、近所の桜の木にはそんな気配は感じられなかったのですが・・・(-_-)ウーン!

投稿: bella | 2012年3月29日 (木) 20時12分

何だか、遠くに旅させてもらった気になるので、
ついつい読み込んじゃいますhappy01
それにしても、きっとこのあたりの景色はこの20数年前のお写真のものと変わらないのでしょうねhappy01
とっても感慨深いものが…wobblyふぅぅ


と~まの夢さんへ

遠いですヨォ (^_^)!何しろ歩くしかないところですから、時間的距離はずいぶん遠いです。
この写真、実は絵葉書なのですが、この景色は今も変わっていないと思います。いや、変わりようがない、と思います。
先日、あるTV番組でネパールの村が出てきましたが、人々の暮らしがこの頃とほとんど変わっていないように感じました。

投稿: と~まの夢 | 2012年3月29日 (木) 21時06分

いつも出てくる食べ物の記述が面白いですね。こんな荒涼とした土地でも、人は何か食さなければならない。ゆえにいろいろな食べ物があるわけですが、それなりの味わいがあって面白いですね。チキンの入っていないチキンスープなんていうのも存在するところがいい。チキンのスープストックを使ったということかな。


agewisdomさんへ

ゴラパニ村以北のこのチベット街道沿いの村は、昔からの交易路だったこともあり、村によっては食べ物のメニューも豊富になっていました。と言っても、知れてますよ (^_^;;
山の中では”肉”に飢えていました。今はどうか分かりませんが、当時はほとんど食べることはできませんでした。
そういえば、わりと食べ物のこと書いているかも?!
トレッキング中ですから、体力も使いますし、お腹も減ることが多かったのでしょう。

投稿: agewisdom | 2012年3月29日 (木) 21時07分

長い道のりの歩行は大変で、
足は大丈夫かなぁ?と思っていましたが
やはり痛められたのですね。
それでも頑張ってお歩きになるのは凄いです。
山、素晴らしいですね~ お写真でも素晴らしさは伝わりますが、
実際にご覧に成った感動は、一生忘れられない
思い出と成った事でしょうね。
電気、灯って当然の様に使用しています。
電気の無い所での生活は経験が有りません。
夜は早くに寝るしかないは、そうだろうなぁ~と思いました。
早寝早起きですね。


すみれさんへ

疲労から痛めたのではなく、知らず知らずのうちに虫に喰われたりしていたようです。
何しろヒマラヤ山中、当時の衛生面は決して良くはなく、シュラフや衣類に、目に見えないような虫が潜んでいたのだと思います。
まだこの辺りでは、それほど酷くはなかったので、歩き続けることができました。
”その4”で紹介しましたプンヒルからのヒマラヤ、まさに絶景です。その後ネパールを2度旅していますが、いずれもこの地域をトレッキングし、毎回このプンヒルを訪れました。
今はこのエリアも、かなり広い範囲で電気があると思いますが、当時はわずかな一地域だけでした。
ガスと水道は・・・、当然ありません。
トレッキング中は、夕食が終わるとすることがないのです。
故に毎日早寝早起きでした。

投稿: すみれ | 2012年3月29日 (木) 21時46分

やっぱり山の暮らしは早寝早起きですね
お陽さまと一緒に行動している毎日は、健康的sun
キレイな青空と雪山のコラボfuji
ず~っとお天気にも恵まれていたんですね~羨ましいshine
日頃の行い、ですねっnotes
1人での海外旅行や山登りは全く経験がないのですが、どちらの方が良いですかsign02
1人の方が気楽でのびのびできるでしょうが・・・結局、どうしてもどこかで人に頼ってしまってるんでしょうねsweat01


きゃぶさんへ

毎日早寝早起きでした。何しろ電気がありませんから、夕食を食べた後は・・・寝るしかない!のです。
そして朝、涼しいうちに少しでも距離を稼ぐのです。登山と同じですね。
ちょうどそのころは乾期でしたから、雨が降ることはほとんどありませんでした。
プンヒルからのヒマラヤの眺め、素晴らしいでしょ?
’92年’94年にもかの地を訪れているのです。アンナプルナやダウラギリ・・・、絶景です。
1人で海外、山登り・・・ですか?私は「もし本当に1人で行くなら」を前提にしますと、スイスでのハイキングやトレッキングがお勧めかな?!
マッターホルンを目の当たりにしてのハイキング、楽しいですヨ (^_^)!

投稿: きゃぶ | 2012年3月29日 (木) 22時21分

頑張りましたね、ご苦労さま~とまず申し上げたい気分です。
8000級の山々の眺望は経験がないのでわかりませんが
さぞかし爽快だったでしょうね。
一番ほっとするのはお食事のシーン、旅の楽しみはやはり食べ物ですからね。
それにしても、ロッジの娘さんは現金ですね~
あからさまに態度を変えるなんて、よほど欲しかったんですね。
あのころはなんて、今では笑い話でしょうか。


のこのこさんへ

ねぎらいのお言葉、ありがとうございます。でも、まだまだトレッキングは続きますヨ (^_^)!
プンヒルからのヒマラヤの眺め、アンナプルナにダウラギリ・・・それはもう”絶景”です。
その後もネパールを訪れ、毎回かの地にてこの絶景、楽しみました。
旅する上で食事は重要ですよネェ!しかしここは貧しいヒマラヤ山中の麓の村々。粗食になることもありましたが、物珍しい食べ物もありました。
他に予備の時計を持っていれば、あげても良かったのですが、唯一の時計、やはりこれを失うのは旅する上で困ります。
そう説明して断ったのですが、それでも欲しかったみたいです。

投稿: のこのこ | 2012年3月29日 (木) 22時25分

カリガンダキ川の川原から眺めた雪を抱いた
山頂、本当にきれいですね~!shine
空の青さも眩しいほどです。
標高が高いと、お天気のいい日はこんなに
きれいな青になるものなのでしょうか。
ロッジの娘さんの話、ご両親もそろって
態度が豹変とは・・・ホント、感じ悪いですねangry


hananoさんへ

この写真、絵葉書なのですが、今もこの光景は変わっていないでしょう。
この辺りで標高2500mぐらいだと思います。標高も高いですし、空気を汚すものがここにはありませんから!空も本当に青いです。
何としてでも欲しかったのでしょうね。ペンダントでもあり時計でもあり、まだ10代と思しき女の子には魅力たっぷりのものだったのでしょう。
今思えば、ヒマラヤの山奥で、そんなものをちらつかせた私も悪かったような気もします。
その後’92年’94年にもマルファ村を訪れていますが、他のゲストハウスに泊まりました。

投稿: hanano | 2012年3月30日 (金) 00時30分

慕辺未行さん
 ナマステ!(^^)!
拙いブログを丁寧にご覧戴いて、申し訳なく嬉しく思っています。
 城南宮の枝垂れ梅は京都では有名で
その花の数も半端ではないのですよ。
でも何故か寂しそうに片隅に咲いていた椿に惹かれました。
 人形の着物は西陣織の古布なのですが、素晴らしいですね
絹の好さは時代を経ても少しも変わらない
むしろしっとり上品さが増すことだと思います。
私も着物を庶民的に思いましたが
西陣織の着物を沢山の方に着ていただいたら
価格も安くなって求めやすいのかも知れませんね。
母は絹の着物を大切にしていました。
 アネモネは何故か好きな花です。
コスモスと同じようにユラユラ頼りなげに
揺れている風情に惹かれます。
確かにボピーに似ていますね。
言われて気付きました(^_^;)
 
暫くブログを休みます。
又、再開したらお伺いしますね
慕辺未行さんも今のペースでご無理をされないで更新してくださいね。
 お母さまのことも亡き母にダブらせて気になりますが・・・
 
読み捨てになさって下さいね


コスモスさんへ

ハイ、ありがとうございます。
しばらくお休みされるのですね。どこかご旅行かな?
それとも・・・?
では、失礼させていただきます。

投稿: コスモス | 2012年3月31日 (土) 07時50分

>ヒマラヤの山奥で、そんなものをちらつかせた私も悪かったような気もします。

海外に行くと、そういうシーンに遭遇することありますよね。
タイやマレーシアなどでも、外国人観光客は冷房完備の豪華なバスに乗っているのに
現地の人たちは、窓全開にして壊れそうなバスに鈴なりに乗っていたりして
申し訳ないような気持ちになることがあります。
でも現地の人たちも、観光客のお金で潤ってもいるのだから
やはり分をわきまえることも大事ですよね。


zooeyさんへ

この村の人々、『ヒマラヤのユダヤ人』と呼ばれるほど商売に長けた民族で、そういった血が今回のようなことに繋がっているような気もします。
とはいえ現地では決して手に入らない、いかにも若い女性が欲しくなるようなものを、見えるようにぶら下げていたのですから、仕方がなかったような気もします。
そういえばバンコクのバスは、同じ路線を走るバスでも、エアコンのあるバスとないパスがありました。料金は当然違っていました。
私はどちらにも乗ったことがありますが、やはりエアコンバスの利用者は、ほとんどが外国人旅行者でした。

投稿: zooey | 2012年3月31日 (土) 13時48分

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