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2012年3月 1日 (木)

(再掲)赤褐色の街にてⅠ その6

7.ポカラへ

 11月1日7時ちょうど発の ”スイスバス bus ” と呼ばれるミニバスで、ネパール第二の街、ポカラへと向かった。ポカラからアンナプルナ方面へトレッキング(山歩き;山旅) shoe するためだ。俺なんかにトレッキングできるのか think sign02 と不安だったのだが、ストーンハウスロッジで金井さんや岩田さんが、「僕らでも行くんだから、ジン君だって行けるよ!俺なんかもう36才だよ。岩田君だって30才なんだから、もっと若い君なら十分行けるよ wink !」と言われ、行くことにしたのだ。

ポカラまではおよそ200km。13:30ごろ到着した。宿は、皆から教えられていた ”スルジェハウス” にしようとしたのだが、あいにくこの日はもう、空きベッドがない weep 。このロッジの経営者は、ネパール人女性のスルジェさんとご結婚された平尾和雄さんという日本人男性で、作曲家・平尾昌晃氏とは親戚の間柄だそうである。日本人男性が経営しているロッジとあり、宿泊客のほとんどが日本人 fuji だ。

俺がこの夏、北海道で知り合った人たちも、「ぜひ、ここへ行け」と話していたし、「もし行ったら”よろしく”と伝えてくれ。もし平尾さんが思い出せなかったら、”ネパール野球大会”を開いたやつらだと言えば、思い出してもらえるだろう」とも頼まれていた。平尾氏にその旨伝えると、「ああ~、彼らか happy02 !」と、覚えていたようだ。その甲斐あってか、「明日、一人トレッキングに出かけるから、一つベッドが空くけど、来るかい?」と言われ、俺は「ぜひお願いします happy01 」と予約させていただいた。この日は近くにある他のロッジに宿泊した。

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ポカラから見たマチャプチャレ(6993m)。マッターホルンや、槍ヶ岳を彷彿とさせる形をしています。

翌日朝、スルジェハウスに移動し、ここで情報を仕入れる。トレッキング・パーミットを申請、取得し、トレッキングに必要なものを保証金を払ってレンタルする。借りる際にノートに氏名やパスポートナンバーを記入するのだが、そのノートに知っている名前があった。”ムネさん”こと、広瀬氏である sign03 。カルカッタのモダンロッジで浦本さんから聞いてはいたが、彼もここで何かをレンタルして、トレッキングに行っているようだ。もしかしたら、ヒマラヤの山の中で、偶然ばったり・・・ happy02 、なんてこともあるかも・・・ think sign02

1
トレッキング・パーミット sign01 これを取得しないと、トレッキングできません。
トレッキングルートには、チェックポストがあり、パーミットを提示しなければなりません。

俺にとって特に必要なのは”雨具”だ。これは防寒にもなる。なるべく、と言っても、元々荷物は少ないが、体に負担がかからない程度の荷物で行こう、と思った。その結果、デイバッグにシュラフを縛りつけただけの荷物となった。皆が言うには、「どうせ風呂もシャワーもないんだし、洗濯もできないんだから、着替えたって意味がないよ wobbly 。同じものをずっと着てればいいんだよ。誰だって同じだから coldsweats01 sign01 」だそうで、着替えは最低限だけにした。

スルジェハウスの夕食は、日本食がメインの日替わりメニュー restaurant 。ハンバーグ、五目ずし、てんぷら、カレーライス・・・ delicious 。カレーライスは日本のものと同じで、とても懐かしく感じた。半月のローテーションで、メニューが最初のものに戻るそうだ。

トレッキングの準備がすべて整い、いよいよ出発前夜となる。金井さんと岩田さんは2日前に既に出発していた。彼らは「君は若いから、きっと途中で追いつくよ wink 」と言って、ヒマラヤ山中での再会を約束した。

*この旅日記は、1984年の時のものです。

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コメント

慕辺未行さん
ナマステ!(^^)!
赤褐色の街にてⅠ その4
当時の貨幣価値は解りませんが
とに角お腹いっぱい食べられてと
日本人に合うものが多いのは嬉しいでしたね。
お料理の写真??拝借されたのですね(^_^;)
 ヒッピーが集まる所は怖いですが
日本でも怖い場所も有るし、何処も同じですね
 何処へ行っても、お土産は買わない主義です。
高校生の頃、お土産物やさんでアルバイトしたことが
有るのですが、納品伝票を見て、吃驚しました。
勿論売れ残り等のロスも出ます。
その分を差し引いても利益が有り過ぎる。
 ネパールは太り過ぎるかも知れませんが
食べ物が多いのは、お安いのは好いですね
物の無い時代に育った私は
物の溢れている光景も幸せそのものなのですよ

その5
 どこの国でも麻薬は有るのですね
そしてそれは暴力団の資金源(テレビの見過ぎかも)
確かに大麻の僅かな経験をされたことは
かえって好かったのかも知れませんね。
 私は初めてタバコを喫茶店で先輩に勧められて
吸った日の事を思い出しました。
そしてその一口?一吸い?だけでその後は
一度も吸っていません。
 インドでクーデターが起こった時
ネパールに居られて好かったですね
日本でも大きく報道されていました。
色々な意味で慕辺未行さんは運の好い方ですねヽ(^。^)ノ


コスモスさんへ

当時、$1=¥248ぐらいで、1ルピーが10円ぐらいだったと思います。
しかし滞在が長くなるにつれ、1ルピーが100円ぐらいの感覚になって来ます。というのは、物価が日本の10分の1ぐらいでしたから。
ネパールの国の主食が『お米』ですから、日本人には嬉しいですね。もちろん日本のお米とは違い、タイ米のようなパサパサした細長い米ですが。
スプリングロール(春巻き)は絶品です。日本の春巻きとは具がずいぶん違いますが、玉子や焼きそばが入ったこのスプリングロール、本当に美味しいです。
ここで言うヒッピーは、ジャンキーのようなヒッピーではなく、いわゆる”バックパッカー”です。
食事はチャーハンを主にステーキとサラダを注文したり、それだけ食べてもなおケーキ屋で、日本のショートケーキの倍はあろうかというサイズのケーキを2個食べたり・・・。
ある人が言うには「無意識のうちに溜まっているすべての欲求不満が”食”に行っている」からだそうです。
大麻は売人から直接買っている人もいました。しかし私は、それは決してしませんでした。一度買うと、また声かけられ買わされる・・・、買うことになる・・・、そして・・・?!
もっとも危険な歩みです。
あのクーデターのニュースは驚きました。幸いネパールへ移動していたから良かったのですが、事件直後はインド国内は大変だったそうです。
帰国前にある旅人からその時の様子を伺いました。このカテゴリーの記事の最後のほうで紹介できると思います。

投稿: コスモス | 2012年3月 1日 (木) 07時11分

 旅先で優しい方達に出会えて嬉しいですね
異国にいるからこそ優しい気持ちになれるのかも知れませんね。
平尾昌章さんと親族の間柄が経営しているロッジ
これも慕辺未行さんの幸運の一つかも
 ボカラから見たマチャプチャレ
名前は知っていましたが本当、槍ヶ岳に似ています
私はここの生活、家や人々の姿に感動しています
「異国を旅している」を実感しますね。
農村でしょうか?生活の匂いがプンプンして好いですね。
 懐かしかったでしょね、嬉しかった事と思います。
日本食がメインの夕食。
 準備万端整って、いよいよトレッキングに出かけられるのですね
そこに何が待っていたのか
ワクワクしながら次回も拝見させて戴きます(*^。^*)


コスモスさんへ

日本人ばかりのロッジ、そしてその時期に旅している人のほとんどは、職をリタイアした無職の人。20代半ばから30代の人が多かったような記憶です。
そんな中で当時まだ22才だった私は、他の旅人より若く、またカルカッタでドジを踏んだ(荷物を騙し取られた)こともあり、気にかけていただけたのではと思います。
スルジェハウスの平尾さん、作曲家の平尾昌晃氏をワイルドな風貌にした感じの方でした。
マチャプチャレは、ブログで何度か紹介しましたね。すっかりお馴染みになってしまったでしょうか (^_^;;ヘヘッ?!
絵葉書の光景は、ポカラの街の中心部からはかなり離れていると思います。1984年当時でも、このような民家は中心部ではほとんど見かけませんでした。
日本食の夕食、日本を出発して初めての日本食だったと思います。カレーライスもインドのようなカリーではなく、日本のカレーでした。
来週から、トレッキングの記事を up します。どうぞ、お楽しみに (^o^)/!

ブログへのコメントです (^o^)/
『2月27日の天神さんの梅の花』
天神様の紅梅・白梅、どれも可憐で皆”別嬪さん”ですヨォ (^o^)!
私は天神様の梅と聞きますと、どうしても太宰府天満宮の”飛梅”を思い浮かべてしまいます。
今から30年ほど昔、2月下旬ごろだったと思います。太宰府天満宮を訪れたのは!
その時も、ちらほらと咲いていたような気がします。

『「ぶらり見~つけた京都」♪可愛いお雛さま』
縮緬で出来た雛人形、可愛らしいですね (*^o^*)!
ついニコッと、癒されます (^_^)!
仲睦まじい雛人形、半世紀もの間独身の中年男には、ただ眩くて羨ましい限りです。
雛祭りの思い出も、男の私には思いだそうとしても、何も思い浮かびませんでした。一応、姉がいるのですがねぇ・・・(-_-)ウーン...

投稿: コスモス | 2012年3月 1日 (木) 07時28分

なつかしいポカラの写真をまた拝見できてよかったです。
部屋にはそこで買い求めたマチャプチャレの写真をまだ
貼り付けています。ポカラへは飛行機で行きました。
飛行機の窓からは、マナスルが見えました。
同乗したネパール人が英語で教えてくれました。
日本人と知り話しかけてくれたのです。
日本人が最初に登ったのですねと、言ってくれました。
この時は英会話が生かせてとても嬉しかったです。

トレッキングはしなかったのでこのトレッキングパーミットは
初めて拝見しました。ポカラではチョモランマの遊覧飛行を
したのですが、歩かなかったです。チョモランマというより
エベレストと言った方がよかったですね。
エベレストの写真は拡大して写真展に出しました。
ボランティアばかりでなく観光もしました。


matsubaraさんへ

この絵葉書、ポカラでもかなり外れのほうでは?と思います。今では、あのレイクサイドにこのような光景は残っていないでしょう。
でも、マチャプチャレの威容は変わらないですね。
カトマンドゥ~ポカラ間は飛行機でしたらすぐでしょうね。私は・・・バスでしか移動したことがありません。
マナスル、確か1956年でしたね。記念切手、持っています (^_^)!
エヴェレストへの遊覧飛行、ポカラからではなくカトマンドゥからでは?
飛行機から見たエヴェレスト、どんな風でしたか?
写真展に出された写真、一度拝見してみたいです。
ちなみに、ネパール語でエヴェレストは『サガルマータ』と言います。

投稿: matsubara | 2012年3月 1日 (木) 08時28分

慕辺未行さんへ
お早うございます
いよいよエレベストの一角に登られるのですか
ポカラと言うと宮殿があるところですね
慕辺未行さんが行かれる先には日本人の方が
おられて心強いですね
ここにも日本人が住んでいるのが不思議な気がしました
お写真 大きくして拝見しましたが 雄大な山の景色の
下には この地らしい生活の様子が良く判りました
この地では天候にもよるでしょうが何時もこの山の景色
が見られるのですね


古都人さんへ

いえいえ、ポカラからのトレッキングルートは、アンナプルナと呼ばれる山域で、エヴェレスト方面の出発点ではないのです (^_^;;!
>ポカラと言うと宮殿があるところ
これはたぶん・・・、チベット・ラサにあります『ポタラ宮』と勘違いされたのでは・・・?!
この時の旅では、行く先々の街の宿泊施設が『日本人だらけ』のロッジでした。まだ若く、初めての海外だっただけに、とても心強かったです。
平尾さんは、ネパール人女性のスルジェさんとご結婚され、初めはスルジェさんの故郷の村でロッジを営んでいたそうです。
そしてネパールには今も多くの日本人が暮らしているようです。
この絵葉書の光景、その当時でもポカラではなかなか見られなかったです。しかし、ひとたび街を離れれば、今もこのような光景が残っているところがあると思います。
マチャプチャレの姿だけは変わりないでしょうが・・・。

投稿: 古都人 | 2012年3月 1日 (木) 09時11分

ネパールの旅、ツアーでは絶対体験できない様な
素晴らしい経験をされての旅ですね。
ポカラの地名も初めて知りました。
世界中、至る所に日本人が生活されていますね。
スルジェハウスを日本人の方が経営されているのも
素晴らしく、日本人旅行者にとっては
心強く嬉しい事だと思います。
日本食がこんなに頂けるとは意外でした。
ポカラからのお写真素晴らしいですね~
美しく険しい山とポカラの生活の様子が垣間見れます。
トレッキング・パーミットの申請などトレッキングも
簡単には出来ないのですね。
トレッキングルートのチェックポストはお出かけの
ルートが厳しいものだと感じています。
これから素晴らしい出会いがありそうですね。
楽しみに拝見させて頂きます。


すみれさんへ

旅の期間の長短に関わらずパッケージツアーと個人旅行では、体験できることは全然違いますよね。これは、すみれさんもよーくご存知ですよネ (^_^)!
ポカラ・・・、ネパールを訪れたことがある人ならばともかく、そうでなければカトマンドゥ以外は知らないでしょうし、カトマンドゥさえも知らない人もいるでしょう (^_^;;
スルジェハウスは、出発前からその名を聞いていましたし、到着したその日こそ満室で泊まれませんでしたが、トレッキングの後も泊まることができ、本当に助かりました。
絵葉書のような光景、その当時ですらポカラの中心部では見られませんでした。しかし、少しでも山のほうへ入れば、これが当たり前のような光景が今も残っているかもしれません。
トレッキングへ出かけるには、必ずパーミットを取得しなければなりません。
山頂を極めるような登山の場合は、これとはまた違う許可が必要なようです。

投稿: すみれ | 2012年3月 1日 (木) 10時40分

マチャプチャレ、素晴らしい眺めですね!
実際に目にすると、本当に壮観なことでしょう。
ロッジの温かそうな雰囲気もいいですね。
日本を遠く離れた国での五目ずしやてんぷら、
さぞかし美味しく感じられたことと思います。
トレッキングの様子が楽しみです!


hananoさんへ

マチャプチャレ・・・、マッターホルンや槍ヶ岳にそっくりでしょ?!しかもこの山は、『神が宿る山』と言われ、今も登山禁止の”神聖なる山”なのです。
当時22才の私は、宿泊客の他の誰よりも若かったことが多く、ずい分と気に留めていただけたと思います。それだけに皆の眼が、とても優しかったと思います。
さすが日本人経営のロッジだけあります。まさかネパールで五目寿司や天ぷらを味わうことができるとは・・・?!
次はトレッキングです。
はてさてどんなトレッキングになったことやら・・・(-_-)ウーン?

投稿: hanano | 2012年3月 1日 (木) 18時35分

そっかぁインドに戻れなくなっちゃったんですねsweat01
ご家族やお知り合いの方々、さぞかし心配されたことでしょう
でも、そのお陰でいよいよトレッキングですねshoe
毎日、山が見える暮らしって素敵です~
あぁもう山に行きたくなってきましたconfident早く春が来ないかなぁ
私のは日帰りなんちゃってトレッキングですが、それでもやっぱり山は素敵なのですshine
異国の地で暮らしていらっしゃる日本人の方との出会い、心強いですね~good


きゃぶさんへ

そうなのですヨォ (-_-)ウーン!
あのクーデターが起こったからこそ、否応なくネパールで数ヶ月もの滞在を余儀なくされ、その結果、大のネパール好きになったのです (^_^;;!
現地のGPO(中央郵便局)で手紙を受け取ることができるので、その宛名を書いて日本の家族や友人に手紙を書いたところ、トレッキング後には何通かの手紙が届いていました。
カトマンドゥからヒマラヤは遠いのですが、ポカラからはずい分近くに見えます。
また、ポカラからは日帰りや2泊3日程度のミニトレッキングも可能ですから、ぜひ機会ありましたらお出かけください。

投稿: きゃぶ | 2012年3月 1日 (木) 22時12分

今日のお写真、素晴らしいムードです 現地の人が
槍ヶ岳?とピッタリ ムードを醸し出しています・・
そう、大麻をなさったのでしたよね、  我がジンさんですから
安心してお話を聞けますが~

外国で テロとかクーデターがあると、 日本の親などは
その国全体が危機だと感じて すごく心配しますが、
現地では 案外局所的だったりしますよね

それにしても お若い時代で、  宝物の経験ですね

パックんと太田光、 確かに!  ^&^
慕辺未行さんは誰に似てると言われるの??


bellaさんへ

前回このカテゴリーの記事を掲載していた時、写真が小さかったので、今回再掲載するにあたり、写真を今の設定のサイズで掲載するようにしました。
ポカラでは今ではこのような光景は見られないかもしれません。
あまり大きな声では言えませんが、一度だけ”やってしまいました”(^_^;;
ネパールに移動した直後でしたので、親をはじめ皆、私がまだインドにいると思っていましたから、それはもう大変だったらしいです。
’92年にもバンコクで遭遇していますし・・・(^_^;;

パックンなんて、本当にそっくりですヨ (^o^)!他にもそう思った人いないかナァ?
私・・・?(-_-)ウーン...若いころはジャイアンツの”原辰徳(現・監督)”に似ているとよく言われました。まだ原選手が入団1~2年目の頃です。

投稿: bella | 2012年3月 2日 (金) 12時08分

お若いころの旅記録ですが
月日が経っても色あせないもんですね。
毎回楽しく拝見させて頂いてます。
2か月の滞在だったんですね。失礼しました。
それだけ長いと想い出もいっぱいおありでしょう。
私の弟も同じ年齢の頃インドへぶらっと行き結局一年くらい行ってました。何をしてたんでしょうね。
親は心配だったでしょうが、愚痴はあまり聞いてません。
今はバリ島で暮らしてます。もう何十年にもなり日本には一度も帰っていません。
まるで現地の人と変わらずバリ島を日本に発信してます。
きっとインドの生活で彼の人生が方向転換したのではと思います。
慕辺末行さんと重なってしまって余分な書いてしまいました。


アソシア15階の吊るし雛見てまいりました。
かわいらしくてとても華やかでした。情報ありがとう!


のこのこさんへ

ずいぶん昔の旅日記ですが、インドでクーデターが起こったこともあり、しばらくの間はネパール滞在を余儀なくされました。
この後、トレッキングに出かけるのですが、その後はカトマンドゥでただひたすら暇な日々を過ごしていました。
その暇な時間を利用し、出発からの旅日記を書き記していたのです。
弟様、お若いころにインドへ、そして現在はバリ島で暮らしておられるのですか (゚o゚)スゲェ?!
「インドで人生観が変わった」という人も確かにいます。輪廻転生を信じている国ですから!
バリ島でどのような暮らしをしているのか、興味津々です。
アソシア、行かれたのですね。すごく華やかだったでしょ?!中年男の私でさえも「(゚o゚)オォーッ!スゴイ w(^o^)w!」と思ったほどです。

投稿: のこのこ | 2012年3月 2日 (金) 21時42分

慕辺未行さん
 ナマステ!(^^)!
まず、来週からのトレッキングのようす愉しみに拝見しますヽ(^。^)ノ
 戴きましたコメントのお返事です 
何時頃、コメントを書いて戴いているのか
そんなことを思いながら有り難く拝見しています。
 大宰府天満宮の”飛梅”は写真では見たことが有りますが、実際は知りません。
是非一度見たいですね
花は季節が有りますから訪れるのが難しいですね。
 お雛さまは立派なのは勿論好いですが、可愛いさり気ないお雛さまも好きです
何となく身近な存在に感じられますね
 両親は貧しいから季節の行事や旬の食べ物を
大切にしていたように思います
そんな事が思い出に繋がるものですね
 慕辺未行さんのお姉さまもきっとそんな思い出をお持ちだと思います。
多分、慕辺未行さんは無意識に過ごされたのだと思います
兄もそうだと思いますよ(^_^;)
 読み捨てになさって下さいね。


コスモスさんへ

ハイ、ありがとうございます。
では、失礼させていただきます。

投稿: コスモス | 2012年3月 3日 (土) 07時26分

何度読んでもいいですね~
当時のトレッキング事情がよくわかりますよ。
ちなみにこのところは「南極面白料理人」「不詳宮嶋、南極観測隊に同行ス」を読み返していました。

雲取山登山記事は大した内容にはならない・・・ですよ(笑)


青龍〇段さんへ

再掲載のため、何度もお読みいただくことになり、すみません (^_^;;
以前掲載していた時は読者も少なく、コメントも青龍さんのほかagewisdom様とbella様ぐらいでした。
最近はコメントして下さる方も増え、最も波乱万丈だったこの時の旅を、再掲載している次第です。

投稿: 青龍〇段 | 2012年3月 3日 (土) 11時10分

どこにでも日本の方っているんですね。もちろんネパールの方も宇都宮にはいらっしゃいましたが。最近世界は狭くなりましたねえ。食べ物にしても日本は色々な料理を食べますので、どこに行ってもあまり困りませんものね。
それでも、この牧歌的な土の色空の色、これは今日本では見られない風景ですね。


agewisdomさんへ

日本人に限らず、世界中の国に自国を離れて暮らす人々がいるでしょうね。
日本国内にも、色んな国の人々がいると思います。
主食がトウモロコシやバナナという国ですと、ちょっと大変なこともあるかもですが、アジアや欧米では食で困ることはほとんどないかもしれませんネ。
この絵葉書を買ったのも、その時の旅ですから、このような光景は、今では山間部の村へ行かないと見られないかもしれません。
日本では・・・、もちろん見られないでしょう。

投稿: agewisdom | 2012年3月 5日 (月) 12時05分

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