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2012年3月

2012年3月31日 (土)

救急車に初めて乗りました その2

皆様、おはこんにちばんは (^o^)/
さてと・・・...3/18にアップした話の続きです。 

 救急車で日赤病院へと運んでいただき、治療を終えた翌日、再び日赤病院です。
この日は整形外科と脳神経外科の診察を受けるよう、言われていました。

整形外科では、ベロンとめくれてしまった皮膚の治療をして頂いたのですが、どうやらこの症状は整形外科ではなく形成外科の分野だそうで、そちらを紹介していただきました。
脳神経外科では、脳に異常はなくその後の症状からも特に心配はないとのことで、縫合した後頭部の抜糸は、「形成外科との兼ね合いによっては、そちらでやってもらっても良い」そうで、今後は形成外科のみ掛かることになりました。

形成外科では、めくれた皮膚(幅4cm長さ7cmぐらい)の治療です。
このままでは皮膚が縮んでしまうそうで、めくれている皮膚を引っ張り、やや雑にはなるものの、その場で縫合することになりました。
これにも同意書はもちろん、さらに感染症のための血液検査が必要でした。

この日赤病院の形成外科の診察日は、月・水・金曜日のみ。
その後の診察・治療は、月→金→水→月・・・のパターンで通院することになりました。
出来る限り朝一番の予約を入れていただくよう毎回お願いしていました。

怪我からおよそ10日後、後頭部の抜糸をしました。1針だけですから、すぐに済みました。あとは右腕の皮膚の治療です。

そして母がもう10年以上かかっている医者へも、このことを報告しなければなりません。
その日は、痴呆症が進んでいる母の頭部CT検査の日で、怪我からおよそ半月、再検査という意味においては病院は違えどちょうど良かったかもしれません。

主治医の先生はこの日の検査結果を見て、「特に問題なし」と言ってくださいました。
とりあえず、「ホッ!」と一安心。
先生は『後頭部打撲』と怪我をしたことをカルテに記入しておくよう、ナースに指示していました。

日赤病院の形成外科での治療は、めくれた皮膚は半分はくっついたのですが、半分はくっつきません。
もう80才になろうとする母、皮膚も弱いですし一部壊死しているところもあります。くっつかないところはどうしようもありません。
縫合から2週間ほど経ったでしょうか、抜糸しました。くっつかなかった皮膚は切除しました。

次の診察日、患部を見るとずいぶんきれいになって来ていました。
「エッ?もうこんなに・・・?!」と思うほど、症状は良いほうへと進んでいました。
先生に「ちゃんと食事摂ってます?」と聞かれ、「はい」と答えると先生は、
「やっぱり!ちゃんと食事を摂っている人は、治るのも早いです。」と仰っていました。
ここ最近、色んな食材を使って具だくさんのお味噌汁やサラダを中心に、夕食は少しずつたくさんの野菜などを食べるようにしています。それが功を奏したのでしょうか?!
完治まで、あと少しでしょう。

そして昨日、先生から「もう大丈夫ですね」の”お墨付き”を戴き、右腕の怪我もほぼ完治しました。
これで母の通院からやっと”解放”されました。ただ一つだけ、ちょっと残念なのは・・・、この形成外科の先生、”葉月里緒菜”さんにちょっぴり似た若くてとても綺麗な女性で、毎回楽しみにしていたのですが、もう会えないのが寂しいです (;_;)グスン!とにかく、大事には至らなかったことに「ホッ!」と一安心しました。

そして「その1」で戴いた皆様からの暖かいコメント、本当にありがとうございました。
インターネットでのブログだけのお付き合いですのに、心配して下さり温かいコメントを戴き、感謝しています。
お蔭さまで、無事治りました。ありがとうございました m(u_u)m!

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2012年3月29日 (木)

(再掲)ムクチナート ~聖地への道~ その6

11月15日 ”電気との出会い”

ガサ7:30(徒歩)9:15レテ9:30(徒歩)10:15カロパニ10:45(徒歩)12:20ラルジュン12:40(徒歩)14:00トゥクチェ14:00(徒歩)15:30マルファ

 6:30起床。あと3日歩けばムクチナートだ wink 。アップルパイとホットレモンで朝食 restaurant 。ホットレモンは、この辺りでは果汁そのままを使う。砂糖を入れないと酸っぱい wobbly

7:30出発。カイク、レテ、カロパニと、ほぼ1時間おきに村があるのは、ペース配分が楽になる happy01 。カロパニのチェックポスト(トレッキング・パーミットを確認するところ)で、許可証に確認済みのスタンプを押してもらう。そしておやつに、アップルカードを食べる delicious

ガサより既に標高差、550m。それほどきつい登りはなかったのだが・・・ think 。この日の目的地、トゥクチェまでの標高差は、もう約30mしかない happy01 。後は平坦な道と、水量の減ったカリガンダキ川の川原を歩くことになるだろう。

10:45にカロパニを出発。川原を歩き続けてラルジュンへ。一休みして、12:40出発。予想を上回るペースだ。再び、川原を歩き、リンゴ apple 売りに出会う。1ルピーで2つは安い happy01 sign01 この辺りは、リンゴ apple の産地だからナァ!さらに進むと、インドからネパール入国時に知り合ったカナダ人夫婦と再会し lovely happy01 sign01 彼らから「マルファは、すごくステキな村だ heart 。トゥクチェから1時間半で平坦な道だから、ぜひそこまで行ってみるといい wink 」とアドバイスを頂き、トゥクチェを14:00、そのまま素通りして、一気にマルファへと頑張ることにする angryガンバ shoe

すると突然、俺の目に”文明”が飛び込んできた gawk 。何と、”電線”が通っている wobbly 。奥地へ進んでいるのに・・・?トレッキングに出てきて初めてだ。しかし、謎は解けた happy02 。この地方最大の村(というより”街”かな?)、ジョモソムに近いからだろう。ジョモソムなら、ポカラから来る飛行機 airplane の飛行場もあるし、電気 flair があっても不思議はない。

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乾期で水量の減ったカリガンダキ川の川原を行きます shoe foot shoe
往年のインド~チベット交易路でもあります confident

この辺りから、周りの風景が荒涼としてきた。いかにも”チベットへ向かう”という感じだ catface 。やがて、マルファに15:30到着。さすがに肌寒くなってきた。この日はオームズホテルに泊まる。時間的 clock にも距離的 shoe にも、最も行動した日だ bleah

ホテル内には、今まで見たことがない蛍光灯に白熱球 flair 、ラジカセ slate からは、ビージーズやビートルズの音楽 note notes が流れている。ポカラ以来の”文明”だ coldsweats02 。一瞬とまどいながらも、やはり普段の生活に少し近づいたせいか、わりと落ち着いた confident

夕食 restaurant は、ベジタブル・フライドライスとチキンスープ。”チキン chick ”と見るや、「肉が食べられる smile sign01 」と思ったのに、スープだけ。「なぁーんだ down 」と思っても、後の祭り。

ここのロッジの娘 virgo さんで、まだ15~6才位だろうか、俺が首からぶら下げているペンダントタイプの時計 watch を、「どうしても欲しい catface 」と親にねだり、「譲ってくれ confident 」と言いだした。

「日本でいくら yen するんだ?」

「ネパールルピーで70ルピー moneybag ぐらい」

「100ルピー出すから、売ってくれ think

と、言われても、今の俺にとって、唯一の時計。無くては困る weep

「何かと交換するから think 」と言われる。

「いくら moneybag 欲しいの sign02 」とも言われる。

「絶対にダメだ pout 。これがないと、俺が困るから wobbly sign03 」と言って、断固拒否 ng する。

彼らは、ぶつぶつ言いながら諦めたようだ。そしてこれ以降、彼らの態度は急変した weep 。今まで、何か注文すると、ニッコリ happy01 微笑んで持って来てくれたのに、もう、それはない。あからさまな変わりよう shock 。俺も腹が立って angry 、寝てしまった sleepy

マルファ、オームズホテルにて

*この旅日記は、1984年のものです。

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2012年3月28日 (水)

(再掲)ムクチナート ~聖地への道~ その5

11月14日 ”またしても、道を間違える”

タトパニ7:10(徒歩)9:00ダナ9:10(徒歩)14:10ガサ

 ポカラを出発して10日目の朝を迎えた happy01 ワーイ ! 。初めはここで2泊するつもり(だって温泉があるし・・・)だったが、先に金井さんと岩田さん、辻さん(女性)が進んでいるので(彼らとの差は、2日から1日に短縮していた)、1泊で出ることにする angryガンバ ! 。

朝食にアップルパイ apple cake とカード(ヨーグルト)を食べる。アップルパイがあるなんて、スゴイワ happy02 sign01 外にあるお店で、ビスケットとミカンを4つ(たった1ルピー)を買い、温暖の地、タトパニを7:10出発。

ダナまでは緩やかな道だが、ダナを過ぎると徐々に登りになる。ツァーラに10時ごろ到着。大きな滝(ルクセツァーラの滝)があり、そのすぐそばのバッティで、リンゴ apple を一つ買って食べる。道は次第にきつくなり sweat01 、やっとコプチェパニ wobbly sweat02 。ビスケットを食べながら、ティー cafe を2杯飲む。

ガサまであと少し、と思い進む angryガンバ ! up 。途中、崖崩れでもあったのか、道が寸断されて wobbly 通れない。上 upwardright へ行く道があったから、そちらへと進む shoe 。しかし、これもあらぬ方向へと向かっている。そういえば、先ほどから人とおりもない despair 。元の方へ戻って行くと、下の方から鈴 bell の音が聞こえてくる notesear 。川沿いというか、川原をラバ horse の隊商やトレッカーが歩いている shoe

やれやれ、我ながら困ったもんだ think!またしても、道を間違えた wobbly 。今に始まったことじゃないけどナァ coldsweats01 sign03  結局、1時間もロスしてしまった bearing 。川沿いを行き、岩場(崖崩れの跡)を登り、そして平坦な道。吊り橋を渡って、ようやくガサ、14:10だ。

ロスさえなければ、もう少し先へ進めたし think 、できれば行きたかった angryガンバ ! のだが、体力と、まだあるこの先のことを考えて、この日はここで泊まろう bearing 。サムジャナホテルに決める。夕食まで部屋で休んだ sleepy 。風邪気味だったから wobbly 。ここはドミトリー(相部屋)はなく、すべてダブルルーム。1人で借りて、ブランケットは2枚借りた。

夕食は、薪ストーブのそばで、ベジタブル・チョウミン(野菜入り焼きそば)とポテトスープ。物足りなくて、チャパティを追加して食べる delicious 。それにしても、薪ストーブがあるとは驚きだ coldsweats02 。今までのところにはなかった。部屋代も、昨日に続いて3ルピー coldsweats02 。このチベット街道に来てから、1ルピー高くなっている sad 。やはり多少なりとも文明が入って来ているからかな?!とはいえ、相変わらず、電気 flair はない。

夜は、することがないせいか、7~8時にはいつも寝ている。たまには他のトレッカーたちと、簡単な会話ぐらいはするが・・・coldsweats01 、情報をもらったりして confident 。灯り flair は、灯油ランプかろうそくしかないので、ほとんどのトレッカーは夕食後しばらくして眠る。俺はこの日もブランケットを借りて暖かく、そしてぐっすり眠る sleepy ことにした。

ガサ、サムジャナホテルにて

*この旅日記は、1984年のものです。

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2012年3月27日 (火)

(再掲)ムクチナート ~聖地への道~ その4

11月13日 ”大麻売りとラバの隊商”

ゴラパニ8:40(徒歩)10:50シカ11:10(徒歩)11:50ガラ12:00(徒歩)13:30タトパニ

 6:30起床し、20分ほど登った丘、プンヒルへ。けっこうきつい登りだ sweat01 。途中から、周辺の山の向こうにマチャプチャレの頂が見えてくる coldsweats02オォーッ ! 。ニルギリ(6940m)、アンナプルナ(8091m)、ヒウンチュリ(6441m)も見え、朝日 sun に輝いて眺望も素晴らしい lovely 。ここプンヒルは、標高約3200mで、アンナプルナ山群やダウラギリ山群を眺められる展望台なのだ wink

9
プンヒルから見たダウラギリ主峰(8167m) happy01
ここへ来なければ、この景色も眺めることはできません。

10_s
ニルギリS峰(6839m)
景色も素晴らしいですが、空気がきれいなので青空もきれいです。confident

しかし、3日前は、あの聳え立つマチャプチャレの向こう、アンナプルナのすぐ目の前にいたことを思うと、ずいぶん歩いたなぁ shoe think!人間の足 foot というものは、使えばタフなものである。遠い昔の旅人は、歩くしかなかった。ゲルマンの大移動も、芭蕉の徘徊も。そして、今の俺 think 。今の日本は、車 car 社会が発達し過ぎる。

8:00ごろロッジへ戻り、パンケーキで朝食 restaurant にする。外で食べると暖かくて good 、気持ちがいい smile 。ここからは、古のインド~チベット交易路を歩くことになる。8:40出発。この日はタトパニが目標で、高低差約1600mの一気の下り downwardright  だ。それにしても、この日は上天気 sunsunsun happy01 。チトレまで45分。正面にニルギリ、右にアンナプルナ南峰を眺めながらのトレッキングだ lovely 。シカまで2時間、ノンストップで歩き続ける shoe

途中、村の子供に「ハッシーシ(大麻の一種;チャラス)?」と話しかけられたときは、しらけた wobbly 。こんな山の中なのに shock 。可愛くないなぁ sadsign01 シカからガラまで40分。ガラでも「ヘイ、ジャパニ。ガンジャ(大麻の一種;マリファナ)?グッドワン!」と声かけられ、もう頭に来た angry 。「俺は何も吸わないよ pout sign03 」と、語気荒く言ってしまった。結局、今まで来た人々(のごく一部)が、気安く大麻を買っているからいけないんだよネ weep

ガラを逃げるように出て、タトパニへ向かった。地図上では、あとわずかだけど、なかなか着かない despair 。ラバの隊商がやってきた。こちらが道を譲って待っていると、逆に先頭のラバが道を譲って止まって、待っててくれたことに驚いた coldsweats02 。ラバが道を譲ってくれるなんて sign01 思ってもみなかった。車社会にも生かしたい教訓だナ think

13:30ごろ、タトパニ到着。驚いたことに、商店(雑貨屋)、郵便局 postoffice 、銀行 bank もある。山の中としては、大都会だ coldsweats02ビックリ ! 。トレッカーズロッジに宿を決める。ロッジにはシャワーもあって、ポカラ出発以来初めて、9日ぶりのシャワーを浴びる happy02 。ついでに下着類も洗濯。実に汗臭かった coldsweats01 。水が真っ黒になったほどだ coldsweats02

ここタトパニの地名は”お湯”という意味である。”タト”が”熱い”、”パニ”が”水”なのだ。つまりここは、”温泉 spa ”が湧き出ている村なのだ happy01 sign03  夕方、すぐ横を流れるカリガンダキ川の川辺へ行くと、ところどころ、お湯が湧き出ている。スコップなどで穴を掘れば、体ごと入れるのだろうが、時間的に無理なので、湯と川の水で温度を中和させ、足 foot だけでも温めた。浴槽のようなものがあればいいのに・・・ think

このところ、両足 footfoot と手首 paperpaper に、虫なのか、それとも山の中の水や食事で使う油が合わなかったのか bearing 、水膨れができ、そこら中がかゆい weep 。水膨れがつぶれたところは、次第に化膿しだし shock 、特に足首は、靴ずれと重なって痛かった wobbly

夕食 restaurant は、ライス、ベジタブルカリーと玉子焼き。デザートに、久しぶりにフルーツカード(ヨーグルト)、なかなかおいしい delicious 。そしてブランケットを借りて、毎晩のように20:00前にはもう、シュラフに潜り込んでいた sleepy

タトパニ、トレッカーズロッジにて

*この旅日記は、1984年のものです。

*その後の1992年、1994年にもこの地を歩いていますが、川辺近くに石でできた大きな浴槽、つまり”露天風呂 spa ”ができていました。水着などを着用して入るのですが、トレッキングで少々疲れた体には、最高の”癒し”の場所です。この辺りに火山があるわけでもないのに何故、ここに温泉が湧き出るのかは、ユーラシア大陸にインド亜大陸がぶつかって(インドプレートがユーラシアプレートの下に潜り込んだ)、それによる地殻変動が原因とかなんとか・・・?ヒマラヤがあれほど高くなったのも、それが原因で隆起したと言われていますし・・・。これよりさらに上流、標高3000m付近には、太古の昔、そこが海であったことを示すかのように、アンモナイトが見つかります。数十億年の地球の歴史・変化を感じます。

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2012年3月25日 (日)

春爛漫・・・いいえ、春蘭・蘭です (^_^)

 皆様、”おはこんにちばんは♪” (*゚▽゚)ノ

今年は例年以上に寒さ厳しく、梅の開花がずいぶん遅れるほど春が遠いですね。
それでもふと足元に目をやると・・・、春は着実に近づいているのではないでしょうか?

先日、休日恒例の主夫業(?)の買い物ついでに立ち寄った公園。そこにある建物の展示ブースには、色とりどりの蘭の花が飾ってありました。
近づいて撮った蘭の花。この上品な姿に惚れ惚れです (*^o^*)カワイイ!

では、ご覧ください。

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注釈は、あえて何も書きません!
ただ、これらの蘭の花を楽しんでいただければ?!と思います。

そしてこの公園、わりと広くて川を挟んだ北側の園地には、伊豆半島で有名な早咲きの河津桜が、ちょうど咲いていました。
”修善寺寒桜”という桜も、満開でした w(^o^)w!

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河津桜。可憐に咲いていました (*^o^*) !

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すでに満開の”修善寺寒桜”。一足早く、春の花見を楽しみました (^_^)!

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2012年3月22日 (木)

(再掲)ムクチナート ~聖地への道~ その3

11月12日 ”ジャングルでの迷い”

キムロン7:30(徒歩)10:30タダパニ11:00(徒歩)12:00バンタンティ12:15(徒歩)13:15デオラリ13:30(徒歩)14:45ゴラパニ

 毎朝のように6:30起床。ポリジ(粥)を食べてみたけど、あまりおいしくなかった shock 。米を粥にして、何かの薬味と砂糖を入れただけのよう。でも、もったいないから全部食べて、7:30出発。

ミラジェの村までは、きつーい登り coldsweats02 。しかもこの辺りは、山が低いので8時ごろには陽が射す。燦々(さんさん)と照りつける朝日 sun に、半袖1枚 t-shirt になって歩いた。やがて、ジャングル(と言うと大げさかもしれないが、どことなく鬱蒼(うっそう)とした感じの森)に入る。時折、鳥 chick の鳴き声が聞こえる ear

「ジャングルを2時間行けば、タダパニだ」と聞いていたのだが、人の足跡 foot を追っていたにもかかわらず、落ち葉や幾本もある枝道に、完全に迷ってしまった wobbly 。どれを行けばいいのか think ?すれ違う人も、道標もない weep 。「太陽 sun を背に、方角を判断するしかない think 」!とにかく「西だ annoy 」と思う方向へと進む。

2時間歩いたが、まだジャングルは続く。その間、誰一人として会っていない despair ng 。不安がつのる weep 。孤独感と悲壮感が、俺を襲ってくる sad

「全くあらぬ方向へ行っているのでは・・・weep despair sign02 もしこのまま行方不明になったら・・・weepweepweep sign02 誰でもいい sign01 、ここを通ってくれ crying sign03

こう叫びたくなるような、祈る思いだった weep 。歩くしかない、何も考えず、西だと思う方向へ sign01 そして、竹で囲われた畑を発見 shine sign03 ということは、誰かがここへ、必ずやって来ているはずだ flair happy02 。ふと、広い道に気がついた impact sign02 。この辺りなら、タダパニからに違いない happy01 sign03 これを行くしかない dash sign01

1時間後、ジャングルを抜けた happy01 sign03 タダパニにたどり着いた。3時間かかって、やっと着いた happy01 scissors 。今までの疲れ(肉体的にも精神的にも)がドッと出て、パッティ(茶店)にへたり込んだ wobbly down 。パッティの人の話によると、俺が歩いてきた道は、正規のルートとは全く反対側の、遠回りの道だったらしい shock 。チベッタン・ブレッド bread (チベット風揚げパン)とコーヒー cafe で食事をとり、11:00出発。

どうしても、この日のうちにゴラパニまで行きたくて think 、少々飛ばした run  。1時間ほど、アップダウン upwardrightdownwardright の道を行くとバンタンティ。そこでもヌードルスープ noodle を食べ、非常用にビスケットも買っておく coldsweats01 。川沿いを登って行き sweat01 、デオラリまで1時間。ここは、標高3000mで、キムロンよりはるかに高い。

シンガポールに住んでいるという日本人カップルに出会った。彼らもこの日、ゴラパニまで行くそうだ happy02 。それぞれペース shoe が違うので、「ではまた、ゴラパニで wink 」と言って別れ、もう少し登った後は、一気に下り downwardright だ。

14:45、予想をはるかに上回るペースでゴラパニ着 happy01 。ロッジは、評判の高い「マウンティン・ビュー・ホテル hotel 」。設備も、まぁ、しっかりしていて、暖炉も大きい coldsweats02 。やがて、先ほどの日本人カップルも到着 happy02 。彼らはデオラリから1時間40分、俺は同じ道程を1時間15分で歩いた。

夕食まで、火に暖まりながら彼らと話をする good 。久々の日本語での会話に、安心感 confident が漂う bleah 。夕食 restaurant は、エッグ・ベジタブル・フライドライス(卵と野菜入りの炒飯)とポテトチップス。これが、またウマイ delicious sign01 値段もまあまあhappy02  だし。ミルクコーヒー cafe も他に比べて安い。すごく良心的なロッジだった happy01

ゴラパニ、マウンティン・ビュー・ロッジにて

*この旅日記は、1984年のものです。

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2012年3月21日 (水)

(再掲)ムクチナート ~聖地への道~ その2

11月11日 ”グルンの若者と”

ドバン7:30(徒歩)9:30クルディガハル9:45(徒歩)12:10チョムロン13:20(徒歩)15:00キムロン

 6:45起床。竹を編んだだけのベッドは、背中が痛い wobbly 。せめてマットがあったら・・・ weep と思った。朝食を終えて、7:30に出発。このところ天気が悪かった rain せいか、泥道になっている。急な登りもある。ふと振り向くと、マチャプチャレ。昨日は南東の方向に見えたのに、もう北東の方角だ。

9:30にクルディガハル、一休みする。徐々に暖かくなってきた sweat01 ので、ヤッケとウールの靴下を脱いだ。ドバンを出た時は、とても寒かったのだが・・・。チョムロコーラ(チョムロ川)の吊り橋までどんどん下り、チョムロンへの急坂。きつかったけど、休まずに angryガンバ sign01 上の方のロッジまで登り、昼食にする。この登りを休まずに登ったということは、脚が慣れてきた証拠か happy02 sign02 丸2日かけて登った道程を、1日で下ったのだから。来る時に偶然再会したムネさん、もうポカラまで戻っただろうか?

食事 restaurant はライスとポテトカリー。しかし、このカリー、マサラ(香辛料)だけで味付けしただけのようなもの。ルーはもちろん、スープでもないカリーだった。量もとても多い。しかし、これが最高においしい delicious sign03 たった7ルピー moneybag でお腹いっぱいで、しばらく動けない wobbly

1時間以上休憩して、13:20出発。キムロンへと向かう。ここからは、ポカラからの道と別れる。地図上には、このルートは載っていない。1時間ほど平坦な道だが、途中、砂場の崖もあって少々危険だった wobbly 。キムロンの村が見下ろせるところまで来た。後は下るのみだ。

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ガンドルン村から見たマチャプチャレとアンナプルナ(絵葉書)。

15:00にキムロンに着いたのだが、ほとんどのロッジがなぜか閉まっている。ガンガプルナロッジというところだけが開いていて、その日は俺一人だけが客だった。昼食を食べすぎたせいか、お腹が減ってなくて、夕食はヌードルスープ(ラーメン noodle )だけにした。日本のインスタントラーメンと、味はたいして変わらない。でも、このほかにも野菜炒めや豆(この豆が、実に香ばしくておいしい)、ロキシー(ネパールの焼酎 bottle )をいただいた。さらに、ミルクのようなダヒ(ヨーグルト)のような、どちらとも言えないものも頂いて飲んだ。

夜、グルン族(ネパールに住む少数民族のひとつ;イギリス軍の傭兵”グルカ兵”は、元々はこのグルン族の勇敢さに、イギリスが目をつけ雇い入れた)の人々が、ロッジに集まってきた。高校生ぐらいの年の若者4~5人は、セックスの話しかしない。これには参った think shock sign03 「あなたは”あれ”は好きかい?結婚しているの?」「日本語で”あれ”は何て言うんだい?」などと、ジェスチャーも加えて露骨に聞いてくる gawk 。俺は「日本では、君たちのことを”スケベ”と言うんだ」と、逆襲し coldsweats01 笑っていた。本当に、この話題だけで終始した。

ただ、彼らグルン族の人々は、日本人にとても好意的で、理由は「日本人も韓国人も中国人もモンゴル人もグルンも同じ顔だ。だから俺たちは兄弟だ」「アメリカ人やヨーロッパ人たちは、俺たちとは違う。彼らは鼻が高いし、髪の毛の色も違う」などなど。同じアジアの民族として、仲間意識を持っているようだ happy01 。そういえば、ランドルンで俺一人だけだったときも、ロキシーを飲みながら、大歓迎してくれたっけ sign02 日本もかつては、大陸の一部だったのだろう think 。彼らが持ち寄ったビスケットを食べながら、ティーを飲み、21時ごろまで話していた。

キムロン、ガンガプルナロッジにて

*この旅日記は、1984年のものです。

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2012年3月20日 (火)

(再掲)ムクチナート ~聖地への道~ その1

このトレッキングの1つ目の目標を達成し、次はかつての”インド~チベット交易路”を歩き、聖地、ムクチナートへと向かう。新たな闘志が湧いてきた angry scissors

11月10日 ”ひたすら下って”

アンナプルナB・C9:15(徒歩)10:15マチャプチャレB・C11:00(徒歩)13:00ヒンコー13:20(徒歩)14:40ドパン

 9:15、アンナプルナ内院を下る。幾人ものポーターとすれ違う。こんな山奥まで50kgも100kgもあろうかという重荷を背負ってくる彼ら、それは彼らの人生そのものの重さでもあろう despair 。中には女性もいる sad 。それも決して若くはない shock 。まだまだ貧困に苦しむ国、すべて生きるためなのだろう think 。素晴らしいプロ根性だ confident 。俺なんかでは1日と、もたないだろう coldsweats01 。しかし、もしこの山間地に自動車道ができたら(ネパール政府は検討・計画中)、彼らはそれこそ職を失い、村の過疎化も進むであろう。深刻な問題である think

マチャプチャレB・Cに1時間後、到着。軽く食事 restaurant をとり、11:00に出発。この日は南の方に雲がかかり、ヒンコー辺りで天気が崩れそうだ。来るときには危なかったところも、注意深く通り coldsweats01 、デオラリを過ぎヒンコーへは13:00着だ。さすがに下りは速い happy01

20分の休憩で、さらに歩き続けると、予想通り雨 rain だ。ヒマラヤホテル辺りで躊躇 think したが、ドバンまで向かった。ドバンロッジに14:40着。この日、約8時間動いていた。外は、相変わらず、止みそうもない雨。濡れたものを乾かしながら、ただ、夜 night だけを待っていた gawk

ドバン、ドバンロッジにて

*この旅日記は、1984年のものです。

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2012年3月18日 (日)

救急車に初めて乗りました その1

 皆様、おはこんにちばんは ヽ(´▽`)/

タイトルを見て、「エッ?!」と思われたでしょうか・・・?
本当に救急車に初めて乗ってしまいました・・・付き添いで ( ^ω^ )

って、喜んでいる場合ではないのですが・・・
実は・・・、

母の白内障の手術後の経過も良く、「もう卒業してもいいですね」と担当の眼科医の先生に言われたのが、2月初めのころ。
私は「これで落ち着いて仕事ができる」と思ったのですが・・・

とある日の昼下がりのこと。

ここ最近、休日はすっかり”主夫”している私は、昼食を終え洗い物も済ませ部屋で一息ついていました。
しばらくして、母が私を呼んだような・・・?耳をすましていると・・・小さな声だが、母が私を呼んでいる。

「呼んだ~っ?」・・・、
母の部屋へ行くと・・・・・・(・_・?

「何やったんだぁー?!」と叫んでしまいました !!(゚ロ゚屮)屮

そこには、右腕から血をダラダラ流している母の姿・・・∑q|゚Д゚|p
聞けば・・・「トイレへ行こうと立ち上がったら、ふらついて転んだ」らしい...(=´Д`=)ゞ

「・・・ったくもう...」と言いながらティッシュを取り出し、出血しているところを押さえる。
が・・・「んっ?...」、服の上のほうにも血がポタポタ・・・
「頭からも血が出とるがぁ アワ((゚゚дд゚゚ ))ワワ!!?!・・・(ティッシュを手に取り)押さえといて!すぐに救急車呼ぶから!」

後頭部からも出血、こうなると「”素人”がへたにもたもた処置するより、プロを呼ぶべき!」と瞬時に判断しました。何しろ、頭を打っているのですから!しかも、腕と合わせ2ヶ所からの出血・・・、へたすれば命に係わります Σ(゚д゚lll)アブナッ !
私は迷わず”119”番しました。

しばらくして、電話が鳴りました。こちらへ向かっている救急車の隊員の方からでした。
状況を聞かれ説明し、アドバイスを受けました。
意識ははっきりしていましたので、とにかく出血部分をタオルなどで押さえること、そして玄関を開けておき、保険証と診察券を用意するよう言われました ι(´Д`υ)アセアセ 。

言われたことをしているうちに、救急隊員の方が到着しました。そして母の部屋へと案内しました。そして次々と隊員の方たち、3名やって来ました。
血だらけになった服を着替えようとしていた母、隊員の方たちは出血部を止血しようとしてくださいました。私も彼らの指示に従い、タオルを用意したり、それをお湯で濡らしたり・・・。
そして血だらけの衣類の着替えも、隊員の方たちはしてくださいました。着替えはもちろん、母や私が出したのですが・・・。そして保険証と診察券の確認。
救急隊員の方に促され私も救急車に同乗しました。

どの病院へ搬送するか、私は「できれば(名古屋第一)日赤病院へお願いします。」と言いました。しかし日赤病院は救急患者が多く、断られることもあるそうです。
が昨年末、白内障手術前に血液検査をはじめ”術前検査”を受けたばかりです。最新のデータがあります。隊員の方はとりあえず日赤病院へ連絡してくださいました。
すると返事は、「ベッドが空いていないので、入院が必要なら他の病院へ行ってもらわなければなりませんが・・・」とのことでしたが、「診ることはできる」そうで、日赤病院へと搬送していただきました。

病院へ到着し、母はすぐに救急治療室へ。私は保険証と診察券を持って救急受付へ。そして治療の間待合室にいました。数十分待ってからでしょうか、不意に呼ばれました。どうやら、出血していた後頭部の傷を縫合するのに『同意書』などにサインが必要とのこと。
そして再び待合室で待ち、すべての治療が終わり救急治療室へ。

頭からの出血がひどかったわりに、縫ったのは”一針”だけだったそうです。私は驚くやら安心するやら・・・でした。
「トイレへ行きたい」と言う母をトイレへ連れてくと、足元がいつもよりおぼつかない・・・。そして念のため”CT検査”も受けることにしました。結果は『異常なし』でしたが、母が常日頃飲んでいる薬のこともあり、「時間が経ってから(脳内)出血してくることもあります・・・」とのことで、まだまだしばらくは予断を許しません。

そして次の日に整形外科と脳外科を受診するよう言われ、タクシーで帰宅しました。

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2012年3月15日 (木)

(再掲)アンナプルナ内院に挑んで その6

11月10日 ”アンナプルナ内院”

マチャプチャレB・C6:40(徒歩)8:10アンナプルナB・C

 アンナプルナ内院を目指すべく、6:20起床。荷物はここに置き、ブラックティー cafe だけ飲んで、6:40出発。トレーナー、セーター、靴下も厚手のウールのものを重ねてはいて行く。歩いている shoe うちに、体が暖まってくる。が、吐く息は白い。沢の水も凍っている。

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マチャプチャレB・Cから歩き始めました。ご覧のような道(?)をひたすら歩いていきます。

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アンナプルナS(南峰)とサンクチャリー 。(これは、絵葉書です)

真正面に、アンナプルナ南峰がそびえている。まだ雲がかかっていないから、稜線もはっきり見えている。雪道を歩いて1時間半。8:10、ついに到達 sign01 高度3962mだ happy01 sign03

ヒウンチュリ(6441m)、アンナプルナS(7219m)、ファング(7647m)、アンナプルナⅠ(8091m)、ロックノワール(7485m)、ガンガプルナ(7455m)、マチャプチャレ(6993m)。7~8000m級の高峰が四方を囲み、氷河が谷底に落ちている。「大自然が目の前に迫っている」とは、まさにこのことだ lovely

8_abc
アンナプルナ内院からガンガプルナ。

1つ目の目標を達成した喜び、偉大なる山脈。それは、俺がもしかしたら「山男」としての第一歩を踏み出したものか、更にドデカイ何かに向かって動き出す出発点まで上がったのかもしれない、と、ふと思った。

*この旅日記は、1984年のものです。

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2012年3月14日 (水)

(再掲)アンナプルナ内院に挑んで その5

11月9日 ”マチャプチャレB・Cへ”

ヒンコー9:15(徒歩)10:10デオラリ10:20(徒歩)12:30マチャプチャレB・C(ベースキャンプ)

 朝、あまりの寒さにシュラフからなかなか出られず wobbly 、7:00に起床する。外は雪 snow が積もっていた。火のそばでしばらく体を温め、朝食 restaurant をとる。洞窟でやっている割に、味がいい delicious 。トイレ toilet は、もちろん外にあるので、雪道を下らなければならない。滑りそうで、ひと苦労した coldsweats01

ヒマラヤロッジから朝食だけここへ食べに来た人もいて、話をしているうちに、「アンナプルナB・Cはかなり冷え込むから、マチャプチャレB・Cに泊まって、翌早朝行った方がいい」とアドバイスを受けた lovely 。また、午後になると天気 sun の崩れも予想されるので、予定をマチャプチャレB・C(標高、約3600m)までに変更 bleah 。3時間ほどの行程だ wink

9:15にヒンコー・ケイブを出発。昨日までとは、道の状況がグッと変わる。雪さえなければ、イージーコースらしいのだが、よく滑る sad 。杖もなく手袋もない俺は、悲惨な状況 shock 。半ば、”命がけ sign02 ”だ sad 。デオラリまで、約1時間。まだまだ危険は続くだろう。

少し休んで15分ほど行くと、”崖”というか”岩場道”。一歩間違うと、一気に下まで落ちそうで、そうなったらおそらく「命はないだろう bearing  」と思い、慎重に歩いていたにもかかわらず、俺は2度も1~2mほどスリップダウン wobbly sign01 。50cmほどの草を掴みしがみつき、ちょうど足場もあったので、それ以上落ちずにすんだ coldsweats01 が、本当に危なかった!一つ間違えば、”死”が待っていた coldsweats02 sweat01

他のトレッカーのガイドが、手 paper を差し伸べて助け上げてくれた confident 。「ここは、一人ではとても危険だ。しばらく俺について来いよ」と言うので、このガイドらと共に行動する happy01 。この旅では、”ピンチ bearing ”の時ほど、必ず誰かが手を差し伸べてくれる happy01 lovely scissors happy01 sign03

昼近くになると、雪 snow も融けだし、泥道になった。ふと、気がつくと、今まで右前方に見えていたマチャプチャレ fuji (6993m)が、右後方に見えていた。ポカラからは、ずいぶん遠かったのに・・・ gawk lovely good

12:30ごろ、マチャプチャレB・C着。2~3軒、ロッジがあったが、グルン・コーペレーションロッジに決め、自分の場を確保する。ヒンコー・ケイブ同様、ベッドは無く地べたの上に直にシュラフを広げ眠るようになっているからだ bleah

昼食に、フライドポテトを食べると、ガーリックが効いていて美味 delicious 。ヒンコー・ケイブでもそうだったが、こんな山奥の中のさらに山奥で、こんなに美味しいものにありつけるとは、思いもしなかった happy01 sign03 。はるばるここまで歩いてきた旅人達への、心からの”おもてなし”なのだろうか sign02

3時ごろより雪 snow が降りだし、冷え込んできた。ロッジでは他の国(欧米系)のトレッカーは用意よろしく、トランプ heartspadediamondclub をしている。日本人は、俺を含めて4人。言葉が通じ合う者同士、集まるのは必然だ。

夕方、夕日 sun に映えるマチャプチャレ fuji の頂が美しい lovely good 。ピンク色と山のブルーと、真っ白な雪のコントラスト heart sign03 明日は、いよいよアンナプルナ内院だ happy01 sign01 sleepy  down

マチャプチャレB・C、グルン・コーペレーションロッジにて

*この旅日記は、1984年のものです。

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2012年3月13日 (火)

(再掲)アンナプルナ内院に挑んで その4

11月8日 ”雨と雹の中を”

チョムロン7:30(徒歩)10:30クルディガハル11:10(徒歩)13:25ドバン13:40(徒歩)15:20ヒンコー

 6:30起床。毎晩早寝なので早起きできる。朝食にパンケーキを食べ、ムネさんと寄せ書きの交換をする happy01 。彼は俺のノート book に、こう残してくれた。

”11月8日、2年半ぶりの再会でした。今まで4,5年間、北海道onlyの旅行だったけど…。1度日本をはなれてみると、もっともっといろいろな国々を訪れてみたくなるものですね。今回は、インド・ネパールだけのつもりだけど、これでだいたいのぐあいがわかったので、いったん日本へ帰って、バイトしてまたいつか日本を飛びだしたいな。今度は、まっ先に南米へ行くぞ。とにかく、ペルーっかないな。日本へは、来年の3月ごろまでには戻らなくてはならないでしょう。北海道はしばらくごぶさたですね。それでは、いい旅を!”

彼はこの後、ポカラへと下って行くと言う。インドでクーデターが起こったばかりだから、状況によっては、しばらくネパールに留まらざるを得ないかもしれないので、もしかしたら、カトマンドゥでまた会えるかも happy02 ?と、再びの再会を祈り confident 、ムネさんと別れた。

7:40出発。吊り橋まで15分下った後は、比較的楽な登り happy02 。30分~1時間に1軒はパッティ(茶店)があって、いいペースで進むことができた happy01 。足の筋肉は、やや張っていたが、次第に慣れてきたのか惰性で動くようになる。クルディガハルまで3時間。40分休んで歩き出すと、小雨がぱらついてきた。陽は照っているのに sun ・・・。竹林に囲まれた山道をずっと行くうちに、雨は本格的に降りだした rain 。ヤッケを着て急いで run ドバンへ、13:25着。

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クルディガハル。ヒツジの放牧をしていました。でも、寒くないのかな?

この天気の中、ここから先へ進むかどうか悩んだ think 。ここでストップすれば明日が苦しくなる。次のロッジまでは1時間かかるらしい。しかし、この日の予定は、さらに先のヒンコーなのだ。考えたあげく、強行することにする angry sign03

rain の中を少しずつ、それでも急ぎ足で登る shoe dash sweat01 。しかし、この雨は次第に霰(あられ)、雹(ひょう)へと変化してきた。ヒマラヤ・ロッジを通過し run 、この日の目的地、ヒンコー・ケイブに着いたのは15:20。

ここは、自然の洞窟の中で、人が寝られるようになっている”岩小屋”だ。つまり”ヒンコー・ケイブ”とは、”ヒンコーの岩小屋”という意味だ。この岩小屋の中で、30代と思われる男が薪(たきぎ)で火を熾(おこ)し、我々トレッカーの食事の世話をしている。俺は、その火の前で雨に濡れたものを乾かす。そして、あまりに空腹 wobbly だったので、ジャム付きのチャパティを食べると、マーマレードだった sign02

夕食にスープとパフ(水牛)の肉をいただいたのだが、本当においしい sign03 こんな山奥の岩小屋で、これほどおいしい食事にありつけるとは・・・ delicious sign01 しかも、”肉”があるなんて sign02 しかしここは、高度3014m。さすがに寒く、タオルをマフラー代わりに、食後すぐにシュラフにもぐった。まだ19時前だった sleepy

ヒンコー、ヒンコー・ケイブにて

*この旅日記は、1984年のものです。

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2012年3月11日 (日)

あれから・・・もう1年

 今日、3月11日。
1年前のこの日、日本は未曽有の自然災害に襲われました。

『東日本大震災』と名付けられたこの大地震は、単なる自然災害だけでは済まされませんでした。
想定外のマグニチュード、そして想定外の大津波・・・。
さらには、『福島第一原発事故』『放射能漏れ』という二次災害を引き起こし、日本中どころか世界中を震撼させ、恐怖のどん底に陥れました。

死者は1万5千人強、そして今なお行方不明の方々が3千人以上います。
失礼かもしれませんが、行方不明者の方々の生存は絶望的だと思います。そうしますと、およそ2万人近い尊い命が、この震災で失われたのです。

この日、ブログ仲間の方々はもちろん、日本中がこの震災被害者に対し哀悼の意を表していることでしょう。
日本だけでなく世界中が、同じ気持ちでしょう。

私も、この震災によって尊い命を落とした方々へ哀悼の意を表すとともに、ご冥福をお祈りいたします。
そして、この震災の被害者すべての方々に、鎮魂の意を込めて贈ります。

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ネパールのライスペーパーに描かれた仏画です。

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こちらは、曼荼羅絵です。

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2012年3月 8日 (木)

(再掲)アンナプルナ内院に挑んで その3

11月7日 ”ムネさんとの再会”

ランドルン7:30(徒歩)13:30チョムロン

 6:30起床。オムレツ、と言っても単なる薄っぺらい玉子焼きを食べ、7:30出発。ロッジにトイレがなかったので、見えないところで・・・。青空眺めながらは開放的でいいナァー happy01 sign01 でも寒い!

アップダウンを繰り返し、林を抜け、登りになる。一度川沿いへ下ると、右手に橋があったことに気づかず、まっすぐ行ってしまった。10分ほど行って「おかしいな sign02 」と思ったら、後方の川の向こうを、人が歩いている wobbly 。そちらへ戻るために、近道をしようと川を石や岩伝いに渡ろうとしたのだが、突然、ツルッ sign01 ドボーン wobbly sign03 足元とお尻のまわりがベタベタ shock 。しばらく乾かしていた coldsweats01 。が、元のコースへ戻って歩き出すのに30分以上のロス weep 。そのうえ、橋を渡った後は急な登り crying 。踏んだり蹴ったりだ bearing sign01 喉も渇いた。買い置きして持っていた、たった一つのミカンを食べた。「ウマイ sign03 」、生き返った happy02

何とか頑張って登り sweat01 、パッティ(茶店)にたどり着く。「リムカ(瓶入りのレモンジュース)」と言ってジュースを、さらにティー cafe を飲む。さすが山の中だけあって、リムカは6ルピー、麓の倍以上の値段だ sad 。再度登り shoe 、ヘトヘト wobbly になって峠へ sweat02 。峠のバッティに着いて、バタッ down と横になって wobbly ティー cafe を飲む。そこから20分下ったところがチョムロン。13:30着だ。

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峠から見たチョムロンの村。この付近では、かなり大きい村です。

カタカナで”ホテル・ヒウンチュリ”と書かれたロッジへ行き、部屋へ案内される途中、一人の日本人 fuji がいた。「こんにちは happy01 」と、お互いに挨拶する。彼を見て俺は、カルカッタで会った浦本氏(通称;おいら)の話と、ポカラで雨具をレンタルした時を思い出した。そして部屋に荷物を置いて、すぐに彼のところへ行って話しかけてみる。

「もしかして…、ムネさんですか happy01 sign02

「エッ sign02 ええ、そうです・・・」

「僕、2年前に北海道の釧路の・・・」まで言いかけると、

「アッ sign02 coldsweats02  ○○ユース(ホステル)のジンさん coldsweats01  sign02

驚いたものです sign03 約2年半ぶりの再会 happy01 sign01 彼は、俺が釧路にあるユースホステルのヘルパー時代、開所記念日まで3連泊してくれたホステラーだった。お互いに覚えていて、こんなヒマラヤの山奥の村での再会にビックリ happy02 sign03 巡り巡る人との縁、大切にしたいネ!

彼とは懐かしい思い出話や、カルカッタで会った浦本さんの話などで、盛り上がった happy01 。彼は2年前、釧路で3連泊した後、知床へ行き、お土産屋でアルバイトをしていた。浦本さんもそのころ、知床でアルバイトをしていたので、お互い知っていたようなのだ。また、彼は、たまたま立ち寄った女の子のグループから、その日は「釧路の○○ユースへ行く」と聞き、「ヘルパーで”ジンさん”っていう人がいるから、”よろしく”と伝えて wink sign01 」と、伝言をくれたこともあった happy01

このロッジはずいぶん混んでいて、ざわついていたが、ムネさんと楽しい時間を過ごすことができた happy01 。夕食ももちろん、彼と一緒だ。ベジタブルカレースープ、とても美味しかった。

チョムロン、ホテル・ヒウンチュリにて

*この旅日記は、1984年の時のものです。

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2012年3月 7日 (水)

(再掲)アンナプルナ内院に挑んで その2

11月6日 ”マハル君とグルン族”

ダンプス7:40(徒歩)10:45ビチュク11:15(徒歩)13:15ランドルン

 6:30に起床。朝日 sun に映えるアンナプルナ南峰とマチャプチャレ fuji 。ポカラに比べると、ずいぶん間近に見える lovely 。アンナプルナⅣ・Ⅱも見える。チャパティ(ネパールの薄焼きパン)を食べ、村を出発、7:40だ。

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マチャプチャレ(魚の尾、という意味)。頂上が魚の尾のようになってるので、この名がつきました。

右手に各々の山脈を見ながら、昨日よりはずっと楽な登り happy01 。峠にあるパッティ(チャイ cafe 屋)で20分ほど休んで、ここで出会ったカトマンドゥに住むマハル君(20才)とビチュクまで一緒に歩く shoe 。彼は日本にペンフレンドを持ち、部屋には富士山 fuji の写真があるという。「いつか日本へ行きたい」と語っており、現在少しずつ、日本語を勉強中だそうだ。

また、彼の夢は「いつか自分の自転車 bicycle が欲しい」ことだそうだ。日本では自転車なんて、いつでも買えるのだが、この国ではまだまだ高価なもの。我々がマイカーを買うような感覚なのだろう。ビチュクで30分ほど休んで、マハル君と別れトルカへ、そしてランドルン。

ほとんど下りのこの日は、本当に楽だった。13:15に到着し、この日の宿はマチャプチャレロッジ。

この村では、米、とうもろこし、トヨ(里芋)、コト(ヒエかアワのようなもの)が獲れるらしい。このロッジの若い主人が、とても親切な人で、ポップコーンをいただいたり、「トヨ、トヨ」と言うので見てみると、里芋をふかしたものだった。土のついた皮をむいて食べると、とても素朴な味がした delicious 。何の味付けもしていない里芋だが、こんなにおいしい里芋は初めてだ smile 。さらにチップスなどをいただいて、夕食前だというのに、お腹いっぱいだ。

歯が痛くて wobbly 寝込んでいる女の子がいるようで、「何かいい薬を持っていないか?」と尋ねられ、しばらく考えてから、その子の痛む歯に、正露丸をつめてあげた。1時間ほど経って、痛みが治まったようで「Good one happy01 ,good one !」と、すごく感謝された。

日没後というのに、村がやけに明るい。月灯りだった night 。「月灯りが、こんなに明るいなんて… sign02 」。この日の宿泊客は、俺一人だけ。でも、とても暖かい雰囲気のロッジだった。

ランドルン、マチャプチャレロッジにて

*1984年当時のこのルート上の村は、電気はもちろん、上・下水道もガスももちろんありません。トイレさえないところも、珍しくありません。日本の生活とは、はるかにかけ離れた、素朴な暮らしをしていました。

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2012年3月 6日 (火)

(再掲)アンナプルナ内院に挑んで その1

”ヒマラヤ” と言えば、多くの登山家の憧れであり、ぜひともその頂上に立ってみたいと思う高峰、難峰がいくつもある。例えば、エヴェレスト、マカルー、マナスル、アンナプルナ、ダウラギリ等々・・・、8000mを超える山が幾重にもそびえている good lovely

日本でとりわけ登山歴があるわけでもないこの俺 coldsweats02 が(過去、1981年夏、北海道を旅した際、大雪山系の黒岳に登りお鉢平一周しただけ coldsweats01 )、頂上とは言わないが、高度約4000mのアンナプルナ内院まで行って来た scissors のだから、旅とはわからないものだ think

もっとも、このトレッキングコースは、登山というよりちょっとハードなハイキング shoe のようなもの happy02 だから、誰にでも行けるのだが・・・ happy01 。それでもやはり、体力がないとかなりきつい bearing 。しかし、俺はいよいよ、ヒマラヤの懐へ向って歩き出すことにする shoe

11月5日 ”出発”

ポカラ7:00(シティバス)8:00ごろシャイニング・ホスピタル8:20(乗り合いジープ)10:00スィケット10:15(徒歩)12:30ダンプス

 出発地は、ネパール第二の街、ポカラ。ロッジは ”ヒマラヤの花嫁” の著書 book で知られる平尾和雄氏が経営するスルジェハウス。

スルジェハウスに、トレッキング中は不必要な荷物を預け、デイバッグとシュラフだけの ”軽装” (と言っても、防寒用の手袋、ウールのセーター、雨具は当然持参。”最低限必要なもの” だけという意味での ”軽装”)で、7:00出発。シティバス bus で、街外れのシャイニング・ホスピタル hospital 前まで行き、そこからは乗り合いジープで未舗装のガタガタ道や浅い川の中を、1時間半ほど走り、スィケットへ。しかし、このジープは辛い wobbly sign01 揺れがひどいのは仕方がないが、何度エンストしたことか wobbly sign02 pout

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ポカラの街から、乗り合いジープでガタゴト揺られ、お腹もおかしくなりながらスィケットにたどり着きましたhappy02 。ここからトレッキングが始まります。

10:00に到着し、ここから ”徒歩 shoe ” の旅が始まる。腹ごしらえにチャイ cafe (ミルクティー)を飲み、ビスケットを食べ、いよいよ出発だ。時に10:15。15分ほど川原を歩くと、早くもきつーい登りだ coldsweats02 。階段のようになっている山道、直射日光 sun も強く、半袖 t-shirt でも暑い sweat01 。40分ほど登って休憩 coldsweats01 。田んぼや畑の畔道、民家の横を通って、再びきつい登りだ sad 。見たとたんに、それまでの疲れが出てくる shock 。しかし、”前進あるのみ” で歩き出す gawk

が、初めのペースはどこへ行ったのか despair sign02 、10分登って休憩、そして5分、3分、1分 watch と登らず休んだり・・・wobbly 。我ながら、体力のなさ despair 、日ごろの運動不足を痛感 shock 。途中で30分もの長い休憩を取って coldsweats01 sweat01 、ダンプスに着いたのが12:30。初日から飛ばすと、後々響く bleah ので、この日はここまでにする smile 。スルジェハウスで、トレッキングから帰って来た人からも、そのようにアドバイスされてたし・・・。

この日の宿を決め、昼食をとり、その後、村の小学校 school へ行ってみると、なぜか子供たちが「ワァーッ happy01 happy01 sign03 」と駆け寄って来て、片言の日本語で「こんにちはsign01 」だって happy01!カワイイ lovely !彼らは早くから英語も習っていて sign02 、簡単な会話はできる。日本では中学からなのに・・・ wobbly 。また、「空手を教えて sign01 」と皆に言われ、俺が高校時代、体育祭でやっていたリーダー(応援団)の空手の型を披露した coldsweats01 bleah 。その日は、それが子供たちの間でずっと流行っていた happy01

子供たちが、校舎の中を案内してくれた。石でできた校舎の教室には、電気 flair などもちろんなく、机すらない shock 。生徒たちは3~4人掛けの長椅子(間違っても、背もたれなどない)に座って、授業を受けているらしい。一応、黒板はあった。先生と話をしたかったが、あいにく、もういなかった bearing

夕方、ある子供が地面に何やら書いているのを見てみると、ナント、漢字の ”一、二、三・・・八、九、十” だったことには、驚いた good 。いったい誰に教えてもらったのだろう?でも、よく考えてみたら、彼らは最初に俺と会ったとき「こんにちは happy01 sign03 」と日本語であいさつしてきたし、教室内には日本のカレンダーがあったし・・・think 、もしかしたら、日本人の先生がいるのかな think ?海外青年協力隊の confident

夕食は、”ダルバート” という、こちらでは一般によく食べられる家庭料理を食べた。が、ここのは今一つおいしくなかった wobbly shock 。そして陽sun も沈み night 、何もすることがなく wobbly 、午後7時過ぎには、お休み sleepy

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ダルバートです。これは”高級”!「カトマンズ百景:内田良平著」より引用

ダンプス、カルパナロッジにて

*この旅日記は、1984年の時のものです。

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2012年3月 4日 (日)

今の我が家のガーデニングは・・・?

 皆様、おはこんにちばんは (*゚▽゚)ノ!

今日は午後から雨でしたが、昨日はとても暖かな日でした。昨日だけでなくここ数日、厳しい寒さからひと段落したように思います。その分、花粉が気になりますが・・・(^_^;;
暖かくなりつつあるせいか、ベランダのプランター、なんかすごい状態になって来ています。

昨年、ノースポールやミントを育てていたプランター、それらがダメになってしまい、そのまま放置していたら・・・、何やら色んな芽が出てきました。
昨秋に戴いたベゴニアは、ついに終わりましたが、そのプランターも同様に色んな芽が出てきています。
これはもう『芽』という段階を過ぎていますネ (^_^;;!

Cimg2946

気がつけば、プランターを埋め尽くしていました。どんな花が咲くのかナァ...?

初めは『雑草』として抜こうかと思ったこともありました。しかし、「何が咲くか分からないし・・・?」と思い、抜かずにしばしば水やりだけしていました。

こぼれ種なのか、それとも母が与えていたパンを目当てに遊びに来ていたスズメたちの置き土産なのか・・・、色んな草が伸びてきています。
どんな花が咲くのか楽しみです (*^-^)!

で・・・、よく見ると・・・、昨年も咲いていた”ハコベ”の花が満開(?)です (^o^)!
とても小さくて可愛いお花です (*^o^*)!

Cimg2945
桜の花と同じ形の、とても小さくて白いハコベの花。元気に咲いていました (゚▽゚*)!

そして昨秋再び咲いたルナリアは・・・、厳しい冬の寒さを乗り越え、今も元気に咲き続けています。
手許の図鑑には”花期は5~6月”とありますのに、我が家のルナリアはまるで”一年草”です。
この子の頑張りには、本当に頭が下がります m(u_u)m!
ここ数ヵ月の公私ともに忙しい日々、そしてやがて来る悲しい現実・・・。この子に励まされているような気がします。

今までにも何度か紹介しましたが、今も頑張っているこのルナリア、飽きずにご覧ください。

Cimg29430303
5ヵ所に分かれて今も咲き続けています。ついに寒い冬を乗り越えました
(v^ー゜)ヤッタネ!!
右側のプランターから、ハコベの花がルナリアに「こんにちは!」と、遊びに来ています。

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2012年3月 3日 (土)

雛飾り

 皆様、おはこんにちばんは (◎´∀`)ノ

今日3月3日は『ひな祭り』でしたね。
男の私には縁がありませんが、ブログ仲間の女性の方々には、きっと素敵な思い出があることでしょう。

先日、母が十数年通っている医者へ付き添った際、とても素晴らしい雛飾りを見ました。
あまりに素敵で、私だけでなくたくさんの人々が携帯で撮影していました。

ややピンボケしていますが、ご覧ください。

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お内裏様にお姫様、三人官女に五人囃子の笛太鼓・・・、豪華な雛飾りですね (゚▽゚*)!

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左右両方にお飾りしてありました、つるし雛。たくさんあって、とても華やかでした。

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つるし雛の下にも、このような雛人形が!平安貴族たちの遊びを表現?!

あまりに素晴らしかったので、私もつい camera !でした。
場所は、名古屋駅JRセントラルタワーズ15階、ホテルアソシアのロビーです。
いつまで展示されているのかは・・・”?”です (^_^;;アセッ!

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2012年3月 1日 (木)

(再掲)赤褐色の街にてⅠ その6

7.ポカラへ

 11月1日7時ちょうど発の ”スイスバス bus ” と呼ばれるミニバスで、ネパール第二の街、ポカラへと向かった。ポカラからアンナプルナ方面へトレッキング(山歩き;山旅) shoe するためだ。俺なんかにトレッキングできるのか think sign02 と不安だったのだが、ストーンハウスロッジで金井さんや岩田さんが、「僕らでも行くんだから、ジン君だって行けるよ!俺なんかもう36才だよ。岩田君だって30才なんだから、もっと若い君なら十分行けるよ wink !」と言われ、行くことにしたのだ。

ポカラまではおよそ200km。13:30ごろ到着した。宿は、皆から教えられていた ”スルジェハウス” にしようとしたのだが、あいにくこの日はもう、空きベッドがない weep 。このロッジの経営者は、ネパール人女性のスルジェさんとご結婚された平尾和雄さんという日本人男性で、作曲家・平尾昌晃氏とは親戚の間柄だそうである。日本人男性が経営しているロッジとあり、宿泊客のほとんどが日本人 fuji だ。

俺がこの夏、北海道で知り合った人たちも、「ぜひ、ここへ行け」と話していたし、「もし行ったら”よろしく”と伝えてくれ。もし平尾さんが思い出せなかったら、”ネパール野球大会”を開いたやつらだと言えば、思い出してもらえるだろう」とも頼まれていた。平尾氏にその旨伝えると、「ああ~、彼らか happy02 !」と、覚えていたようだ。その甲斐あってか、「明日、一人トレッキングに出かけるから、一つベッドが空くけど、来るかい?」と言われ、俺は「ぜひお願いします happy01 」と予約させていただいた。この日は近くにある他のロッジに宿泊した。

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ポカラから見たマチャプチャレ(6993m)。マッターホルンや、槍ヶ岳を彷彿とさせる形をしています。

翌日朝、スルジェハウスに移動し、ここで情報を仕入れる。トレッキング・パーミットを申請、取得し、トレッキングに必要なものを保証金を払ってレンタルする。借りる際にノートに氏名やパスポートナンバーを記入するのだが、そのノートに知っている名前があった。”ムネさん”こと、広瀬氏である sign03 。カルカッタのモダンロッジで浦本さんから聞いてはいたが、彼もここで何かをレンタルして、トレッキングに行っているようだ。もしかしたら、ヒマラヤの山の中で、偶然ばったり・・・ happy02 、なんてこともあるかも・・・ think sign02

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トレッキング・パーミット sign01 これを取得しないと、トレッキングできません。
トレッキングルートには、チェックポストがあり、パーミットを提示しなければなりません。

俺にとって特に必要なのは”雨具”だ。これは防寒にもなる。なるべく、と言っても、元々荷物は少ないが、体に負担がかからない程度の荷物で行こう、と思った。その結果、デイバッグにシュラフを縛りつけただけの荷物となった。皆が言うには、「どうせ風呂もシャワーもないんだし、洗濯もできないんだから、着替えたって意味がないよ wobbly 。同じものをずっと着てればいいんだよ。誰だって同じだから coldsweats01 sign01 」だそうで、着替えは最低限だけにした。

スルジェハウスの夕食は、日本食がメインの日替わりメニュー restaurant 。ハンバーグ、五目ずし、てんぷら、カレーライス・・・ delicious 。カレーライスは日本のものと同じで、とても懐かしく感じた。半月のローテーションで、メニューが最初のものに戻るそうだ。

トレッキングの準備がすべて整い、いよいよ出発前夜となる。金井さんと岩田さんは2日前に既に出発していた。彼らは「君は若いから、きっと途中で追いつくよ wink 」と言って、ヒマラヤ山中での再会を約束した。

*この旅日記は、1984年の時のものです。

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