« 2012年1月 | トップページ | 2012年3月 »

2012年2月

2012年2月29日 (水)

(再掲)赤褐色の街にてⅠ その5

5.してはいけないもの

 ”いてはいけないもの ban ”、といえば当然、”あれ” です。そう ”あれ” です。世間では ”大麻” とか ”麻薬” と言っています。こちらでは ”ガンジャ(マリファナ;大麻の葉を乾燥させたもの)”、”ハッシーシ(チャラス;大麻の樹脂を固めたもの)” が、特によく売られています。もちろん、ネパールでも違法 ban であることに違いはありません。しかし、いとも簡単に手に入れることができるらしいのです wobbly (が、俺は決して買ってはいません。だって見つかった時、怖いじゃん weep )。

このストーンハウスロッジの日本人旅行者の中には、この大麻に溺れている人もいました。溺れてはいないものの、興味半分でしている人もいました。ある日、俺は彼らに誘われ、話をしているうちに好奇心 catface から、大麻を吸ってみました smoking 。ここ2年以上禁煙 nosmoking していた俺は「これも、日本では絶対に経験できないものだ~ sign03 」と思って、大麻を体験した。

その感想は、「ぶっ飛んだ~ sign03 wobbly 」。その時は皆でウィスキーを飲みながらだったけど、話が1からすぐに10になり、そして新たに1から始まりアッという間に10まで話がぶっ飛ぶ wobbly sign02 煙草 smoking ほどの害はないと言われるものの、アルコール bar と一緒では、やはりかなりヤバいものだ think 。これを知ったことも、俺にとっては一つの財産かもしれない bleah

注;後にも先にも、私の「大麻」体験は、この一回きりです。文中にも書きましたが、ネパールでも「大麻」は違法ですので、これを読んで「ネパールへ行けば、大麻が吸える」と誤解することがないよう、書き加えておきます。

6.インドでクーデター?

 とある夜、夕食後の帰り道、あちこちで人々が皆ラジオ slate に耳を傾けている。その表情は皆、真剣だ。「何かあったのかな think ?」と思って尋ねてみても、彼らの早口の英語では、こちらはついていけない coldsweats01 。しかし、インドで何かが起こったらしい、というのは分かった。

そして次の日、このストーンハウスロッジに滞在している一人の日本人がこう言っていた。「インドでクーデターが起こったらしい。日本の新聞でも、一面トップで載っているんだって!」と。インドの”インディラ・ガンジー首相”がシーク教徒によって暗殺されたようだ。それによりインドは、大混乱だとのこと wobbly 。インドへの渡航・入国も自粛するよう言われているらしく、これにより、インドが平穏を取り戻すまでは、ネパールに滞在せざるを得なくなった。

教えてくれた男性は、たまたま日本へ用事があって、電話 telephone をかけたところ、この事実を逆に教えられたそうだ。俺は両親へはもちろん、俺が今インドを旅していることを知っている人たちすべてに、手紙 mail を書いて送った。”俺は今、ネパールにいるから大丈夫だ happy01!”と。2~3日中にはポカラへ移動して、トレッキングに行くつもりだ。同じロッジに泊まっている金井氏や岩田氏の勧めもあって、トレッキングしようと思った。

*帰国後、両親の話によると、インドでのクーデターが報じられてからは、毎晩のように誰かから「何か連絡はありましたか think?」という電話 telephone が何本もかかってきていたらしい。インドへ行ったことは知っていても、ネパールへ移動したことは、両親でさえ、まだ知らせていなかったのですから!日本での心配をよそに、当の本人は、のほほんとお気楽に旅を続けていたのです happy02 (笑)!

*この旅日記は、1984年の時のものです。

|

2012年2月28日 (火)

(再掲)赤褐色の街にてⅠ その4

4.夕食(レストラン)

 この頃の夕食 restaurant は、一人で行くこともあった weep が、たいていはストーンハウスロッジの他の日本人の旅人と一緒 happy01 に行った。よく行くのは、ジョッチェン(通称:フリークストリート)にある”ジャスミン”。ここが安くておいしい delicious 。日本円で2~300円も出せば、腹いっぱい食べられる happy01 scissors 。ステーキだって100円そこそこだ happy02 。だから、フライドライス(炒飯)とステーキ、スープとか、スプリングロール(春巻)やモモ(ネパール風餃子;小龍包とほぼ同じ)を食べたり。他にもラーメンのようなもの、焼きそばもあって日本人にとっては、口に合うものが多かった smile

44
写真左;チョウミン(焼きそば)、右;トゥクパ(チベット風、汁そば) delicious

45
スプリングロール happy02 これは絶品 sign03 ぜひ一度、お試しあれ wink
(この2枚の写真は、内田良平氏の「カトマンズ百景」から無断で引用させていただきました。あしからず、ご了承ください confident !)

ジョッチェンは、以前から”ヒッピー”が集まるところで、安宿が多く、それ故、外国人向けの安くておいしい料理屋 restaurant が多くできたのだそうだ。しかし、昼間にこの辺りへ来ると必ず、「チェンジ・マネー dollar ?」「ガンジャ?ハッシーシ smoking ?」と、声がかかる。いわゆる「闇ドル」と「大麻」である。でも、彼らに対しては無視するか、一言「ノー angry sign03 」と言えば、それ以上しつこくして来ない。

お土産屋 present も多い。お土産は、値段の”ふっかけ”はそれほどしていないだろうが、その代わりなかなか負けてもくれない despair 。一度にたくさん買うといいのだろうが sad 、シビアだ wobbly

食後には”スタイリスト・パイ”というケーキ cake 屋へ立ち寄ることが多かった。以外にも、ケーキ cake はネパールの隠れた”名物”なんです。ここ”スタイリスト・パイ”のケーキ cake も、とても美味しく delicious 、一切れの大きさも日本のケーキの一切れの倍ぐらいある happy01 。そして、あまり、くどくはない。食後というのに、二つも食べたこともあったほどだ coldsweats01 。正直に言って、ここネパールにずっといたら、確実に太りそうだ danger coldsweats02 。それほど、”食”は日本人に合っている。

”ジャスミン”以外のレストラン restaurant へも行ってみたが、やはりここが一番おいしかった delicious 。しかし、ロッジから歩いて5分もかかるかどうかの”モモ屋”のモモは、1皿3ルピーでとても美味しく、昼食によく食べていた happy01

*この旅日記は、1984年の時のものです。

|

2012年2月26日 (日)

世界の絵葉書 その29 トルコ・DALYANから

 皆様、おはこんにちばんは (◎´∀`)ノ

毎週火・水・木曜日にかつて掲載しました『1984 初めての海外へ』を再度 up しています(予約更新)が、先週末は新たな記事の更新ができませんでした m(u_u)mスマヌ!
母のことでまた、バタバタする羽目になりまして・・・(^_^;;アセッ!

まぁ、それは後日おいおい書く機会があれば・・・?!
で?!久しぶりに『世界の絵葉書』、紹介します (^_^)/ハイッ!

今回はトルコ、DALYAN からです。
DALYAN で「ダルヤン」と読むそうです。私はてっきり「ダリアン」かと思っていました (^_^;;ハズイ!
それどころか、トルコという国そのものに対する知識がほとんどありません (^_^;;アセアセ!
トルコと聞いて思い浮かべるのは・・・、イスタンブールがアジアとヨーロッパをまたいでいる街、サバサンド、ドネルケバブ、トルコ絨毯、カッパドキア・・・他にTV番組で見た温泉や世界遺産・・・ぐらいかな?それと「メルハバ(こんにちは)!」ですね。
あっ、それと・・・紀伊半島沖で起こったトルコ船の海難事故!明治時代のことだったと思いますが、それによって日本とトルコの友好関係が強く結ばれたようです。

相変わらず前置きが長くなりました...(笑)
では、トルコ・ダルヤンから届いた絵葉書、ご覧ください。

Img042dalyan
トルコ・ダルヤンの風景。
どこにでもあるような、それでいて絶対になさそうな・・・、不思議な景色です。
そのままの自然の中に、新旧の遺跡と建物などが混在しています。

送り主は、ドイツのエヴェレスト・トレッキング仲間のエルマー&アンジュラ夫妻です。
彼らから届く絵葉書、ヨーロッパの人々には有名なリゾート地なのでしょうが、我々日本人には馴染みの薄いところが多いです。それだけに私にとって『知られざる世界』を教えていただいているような気さえします。

このカテゴリー『世界の絵葉書』、今後も我がドイツの親友エルマー&アンジュラ夫妻から届いた絵葉書がかなり登場します。
ヨーロッパの人々にとってはきっと当たり前の、我々日本人には知られざる(名前ぐらいは聞いたことがある)・・・、”リゾート地”もあるでしょう。

今後も少しずつ、「思わず”行きたくなる”リゾート」の素晴らしい風景、紹介します。

| | コメント (13)

2012年2月23日 (木)

(再掲)赤褐色の街にてⅠ その3

3.カトマンドゥ郊外へ

 ときには足 foot をのばして、スワヤンブーナート寺院へ行ったり、隣町のパタンへ行ったりもした。また、滞在ビザの延長やトレッキング・パーミットの申請のために、イミグレーション・オフィスへ行かなければならないので、のんびりと歩いて shoe 遠出した日もあった happy01 。(注:イミグレーション・オフィスは、今は旅行者が多く集まるタメル地区にあるのですが、当時は中心部からかなり離れたところにありました。)

スワヤンブーナート寺院は、カトマンドゥの中心部から西へ行った高台にある。長い階段を上ると”モンキーテンプル”とも呼ばれるこの寺がある。ここにある仏塔(ストウーパ)には、大きな仏陀の目が描かれ、その目はすべてを見抜くという wobbly 。”モンキーテンプル”と言われるだけあって、確かに猿がたくさんいる happy02 。(注:仏塔のことを”ストウーパ”と呼ぶのですが、日本のお墓にある”卒塔婆(そとば)”は、この”ストウーパ”が語源となっています。)

20
スワヤンブーナート寺院。仏塔に描かれた眼、いかがですか?ここは”仏教の総本山”とも言うべきお寺です。

ここから見るカトマンドゥの街は、まさに赤褐色(レンガ色) lovely 。夕焼けの頃は、特にだ!しかし、仏塔の周りには、しつこい土産物屋の売り子がたくさんいる。これには興醒めしてしまう gawk 。でも、このカトマンドゥの街を一望するならば、ここへ来ずにはいられまい。

隣町の古都パタンへも行ってみた。バス bus を利用すれば近いのだが、俺はあえて1時間ほどかけて歩いてみた shoe 。この街も古い街のようで、カトマンドゥのダルバール広場にも負けないほどの古いお寺がある。が、俺にとってはそれだけで、カトマンドゥと何ら変わり映えはなかった think

33
パタン、ダルバール広場。古い寺院がたくさんあります。

滞在ビザの延長や、トレッキング・パーミットの申請のために、郊外にあるイミグレーション・オフィスへも、何度か出かけた。入国時に1週間の観光ビザを取得した俺は、さらに延長すべく、そこまで歩いて行った。ストーンハウスロッジからは、およそ1時間ほどかかった shoe shoe sweat01

申請し受け取りまでは数時間かかる wobbly ので、その間その付近をぶらついていた。自然豊かなところで、いつも森の中を散歩したりしていた happy02 。申請したピザなどを受け取ると、再び街へと歩いて帰った。

31 ボダナート寺院。カトマンドゥ郊外にあります。

*この旅日記は、1984年の時のものです。

| | コメント (14)

2012年2月22日 (水)

(再掲)赤褐色の街にてⅠ その2

2.カトマンドゥの街中で

 カトマンドゥの街の朝は早い。日の出から人々が活発に活動しているようだ。とはいえ、あまり早く起きても、何もすることがない旅人 wobbly は、ゆっくり起きる。朝起きて初めにすることは、やはり洗面とトイレ。そして外出し、朝食を食べに行く。パンやドーナツは、そこら中で売られているので、すぐに食べられる delicious

食後は、その日その日によってあちらこちら歩き回った。ラトナパークの芝生にゴロンと寝そべったり、この公園内のバザールを見て回って買い物を楽しんだり happy01 。カンティパトやニューロードといったこの街、いやこの国一番のメインストリートを歩いたり。ニューロードは、間違いなくこの国一番の繁華街で、宝石店 ring 、時計店 watch 、お土産屋 present など、高級な店が建ち並んでいる。また、航空会社 airplane 、銀行 bank なども、この道沿いに多くそろっている。にもかかわらず、それらの店の前で、野良牛 taurus が横たわっていたり、夜 night 8時過ぎには人通りもほとんどなくなって、開いている店も少ない shock 。そして突然、野良牛 taurus が「モゥ~!」と吠えるのである。笑ってしまう happy02

23
ラトナパークのバザール。ここへ来れば、たいていのものが安く手に入ります。

24
ニューロードの東端です。ネパール一の繁華街です。

スーパーマーケットという名の、ちょっとした「デパート」もある catface 。ここには、おそらくこの国唯一(?)の「エスカレーター」があった coldsweats02 sign03 。ここ以外では、全く見たことがない wobbly 。ほとんどの店は、テナントとして入っているようで、高級サリー(インドやネパールなどの国の女性の、正装用のドレス)を扱う店が多かった。他にも、おもちゃや文房具、日用雑貨、食料品などを扱うお店もあった。しかし、ここでこれらのものを買うことができる人々って、いったいどれほどいるのだろう think  sign02

さらにニューロードを進むと、観光案内所 info02 があり、ハヌマン・ドゥーカ(旧王宮)があるダルバール広場。この広場の前にも、土産物を扱ったバザールがあり、また、この広場に面して”クマリの館”もある。”クマリ”とは”生き神様”のことで、まだ初潮を迎える前の、汚れのない処女 virgo の中から、厳正に選ばれるそうだ。こうして選ばれた”クマリ”は、この館内で1日中を過ごし、外へ出ることは、ほとんどないそうだ wobbly 。そしていつか、初潮を迎えると、”クマリ”ではなくなり、その座を次に譲らなければならない shock

”クマリ”を目にすることは、ほとんど無理 sign01 なのだが、いつだったか一度、一緒に歩いていた人が、この”クマリの館”に向かって大声で「クマ~リ~ sign03 」と叫ぶと、窓から幼い顔の少女 virgo 、つまり”クマリ”がちらっと顔を見せてくれた heart02 happy01 。その顔は、どちらかといえば”無表情”だった sad が、あどけない顔をしたまだ7~8才位の少女に見えた wink

ダルバール広場周辺には、他にもたくさんの寺院がある scissors 。どれも歴史的に貴重な建物ばかりだ good 。シヴァ寺院、ガネーシュ寺院、そしてカーラ・バイラブ像、ハヌマン像など、世界的な遺産ばかりだ lovely

ダルバール広場から北東へ延びる道が、インドラ・チョーク。この道沿いも、土産物から生活雑貨を扱う店が建ち並んでいる heart01 happy02 。そして、タメル地区もこのところ、賑わいはじめているらしい。土産物屋や旅行者用のゲストハウスが何軒かあるが、まだ新しいせいか、料金がやや高い shock

俺が宿としているストーンハウスロッジ近辺では、お店の名はないが、サキャさんが経営するお店によく行った scissors 。サキャさんとの出会いは、ある日の夜、たまたま店の前を通りかかった時に、彼が「こんにちは wink 」と日本語で声をかけてくれたのがきっかけだ。彼の店は、少しばかりの食料品と雑貨を扱っていた。サキャさんは、1年ほど技術研修のために日本へ行ったことがあるそうで、それ故、日本語ができるそうだ。彼は、「あなたがここに来るときは、日本語で話して下さい wink 」と言ってくれた happy01 。それからは、彼の店の前を通るたびに、彼がいるかどうか eye 覗いていた。彼がいると、何も買うものがなくても weep 立ち寄って、彼と日本語で会話し happy01 、いつもコーヒー cafe をご馳走してくれた。そうして彼との友情が始まった scissors

*この旅日記は、1984年の時のものです。

|

2012年2月21日 (火)

(再掲)赤褐色の街にてⅠ その1

*”赤褐色” で ”レンガ色” とお読みください wink

 アジア大陸の内陸部、チベットとインドの間にネパール王国がある。面積は約14万㎢(北海道の約2倍)、人口約1300万人という小さな国だ。ネパール入国後しばらくして、インド国内で、世界的かつ社会的な大事件が勃発し、インド入国が当面の間、できなくなったせいもあり、この国の首都カトマンドゥに10/21~10/31、11/22~12/17と2回にわたって約5週間過ごした。気候は、日中は穏やかで良い天気なのだが、朝晩はかなり冷え込む。12月になると、風邪をひいている人もずいぶんいた。自分なりに過ごしたカトマンドゥでの日々を、色々な角度から紹介してみたい。
*この旅日記は、1984年に旅した時のものです。

1.カトマンドゥ到着

 10月20日、インドより傷心 weep のまま、ビルガンジの街を、朝7時発のバス bus に乗りカトマンドゥへ向かう。バスは、平原地帯から徐々に高度を上げ、山岳地帯をクネクネと登って行く。道路事情が悪く、バスはガタゴトとよく揺れる wobbly 。次第にお腹の調子がおかしくなってきた。刺すような痛みだ despair 。周りの景色を楽しむほどの余裕は、全くない sad 。何とかカトマンドゥへ到着。15:30だ。

バスはラトナパークの南、GPO(中央郵便局 postoffice )近くに着いた。バスを降りて最初に気づいたのは、ローカルバスで1種類、日本の’いすず’製のバス bus で、側面に ”1981  NEPAL-JAPAN  COOPERETION ”  と、両国旗が描かれていることだ catface 。そして人々の顔も、より日本人に近くなっている。いくぶん、ホッ happy01 !としたものだ。

俺は、あらかじめ教えられていた ”ストーン・ハウス・ロッジ hotel ” へと向かった。このロッジは「日本人御用達の宿 wobbly 」と言ってもいいほどで、宿泊客の9割が日本人だ(宿のオーナーによる)。料金も、ドミトリー(相部屋)7ルピー、シングル11ルピーと、およそ100円前後で泊まることができるのも、俺にとっては大きな魅力だ scissors 。もちろん、シャワー・トイレは共同。俺は、このロッジにチェックインし、腹痛が治まるのを待った。が、この日の夕食は結局、食べなかった shock

次の日は、さすがに体調も良くなり happy02 、街をぶらつき始めた。また、ロッジには日本人ばかりいることもあって、話し相手などには事欠かなかった happy01 。彼らとは一緒に夕食を食べに行ったり delicious 、闇ドル dollar (銀行 bank 以外での両替;正規のレートより換金率がいい bleah !)の情報をいただいたりしていた good

注:ネパールの首都、”カトマンズ”と表記されていることが多いのですが、英語(アルファベット)表記では、”Kathmandu”と書きます。できる限り、現地の人々の発音に近い表記で、あえて”カトマンドゥ”と表記致します。

|

2012年2月16日 (木)

(再掲)印・ネ国境を越えて その2

3.国境へ

 パトナからラクソールへは、バス bus で5~6時間かかる。車窓からは亜熱帯の風景が広がる lovely 。バスの乗り心地は、決して快適とは言えないが sad 、それでも俺は「いよいよヒマラヤだ、ネパールだ heart02 」という気持ちで高まっていた。

ラクソールの街に着くと、さっそくリクシャマンたちが待っていた。バス・スタンドから国境までは、まだ2kmほどある。さらにその向こう、ネパール・ビルガンジの街へも2kmほど。ためらうことなく、俺はサイクルリクシャ(人力車の自転車 bicycle 版)に乗った。

リクシャマンたちは、もう何人もの旅人たちを乗せたのだろう、慣れたもので、こちらから言わなくても、イミグレーションオフィス(出入国管理事務所)、税関へと俺を案内してくれる confident 。出国審査も終わり、間もなくネパールだ。

しばらく行くと、大きなゲートが見えてきた。「あ~、あそこが”国境”なんだ confident 」。空は、いつの間にか夕日 sun に輝いていた。今、リクシャマンが俺を乗せて走っているこの道が、やがてインドの国のものでなくなるのだ。

4.国境を越えて

 俺を乗せたサイクルリクシャは、とうとう国境のゲートの前まで来た。そしてついに、ゲートを越えた sign01 俺は、その瞬間、後ろを振り返った。インドの道を sign03 そして向き直り、ネパールの道を見た sign01 不思議なことに、何の変化もない同じ一本の道だった。なのに、あのゲートを境に、支配する国が違うのだ wobbly 。人々の顔つきも、道路を走る車の種類さえ違う(インドは、インド国産の”アンバサダー”という車がほとんど。ネパールは、日本では”廃車同然”の中古車が多い)。

イミグレーションで入国審査を受け、7日間の観光ビザを取る(ネパールは、入国時に1週間のビザ取得可能。最高3ヵ月まで延長可)。そして税関を通り、ネパール通貨(ルピー、1ルピー≒11円。インドルピーとの比率、1:1.45)への両替を済ませて、この日の宿、サガルロッジへと、サイクルリクシャは走った。

5.エピローグ

 俺の初めての陸路での国境越えは、サイクルリクシャと共に体験した。両国の国境の街の人々は、お互いに自由に行き来できるそうだ。陸続きの国境というと、どうしても重々しく考えがちであったが、この国境は、俺にとって非常に平和的に感じられた confident 。銃を持った兵士がいるとか、あちこちボディチェックされるとか、細々といろんなことを訊かれると思っていたのだが、そんなことは全くなかった wink

しかし、異国なんです。見るもののほとんどがインドとは違っていました。ネパール人って、顔つきが日本人に本当によく似ているのです。インド人と全く違うのです。なんとなく親近感を覚えました。そしてふと、安心感が漂いました confident happy01

明日は、このネパールの首都、カトマンドゥに向かいます。何かいいことがありそうな、そんな予感がしました catface

6.そして・・・

 ネパールの旅の後、再びこの国境を超えました。もちろん、サイクルリクシャで。インドへ戻り、日本へ帰るだけだったので、あのゲートを越えた時、無性に寂しくて、切なくてやりきれなかった weep 。「あぁ、これが国境というものなのか shock sign03 」と。

| | コメント (15)

2012年2月15日 (水)

(再掲)印・ネ国境を越えて その1

1.プロローグ

 印・ネ国境とは・・・?文字通りインドとネパールの国境のことである。我々日本人にとって外国へ行くには、日本が島国である以上、陸続きでは出られない。陸続きの国境・・・何か重々しい感じがする。ヨーロッパでは鉄道やバスで国境を越えることが多いようだが、行かれた人は、どんな気持ちで国境を越えたのだろうか?俺が唯一体験した陸路での国境越え、インド~ネパール間は・・・。

2.デリーエクスプレス

 約20日間過ごしたカルカッタの街、何が何だかわからん街だった wobbly 。一言で表現するならば『喧騒の街』。道路はバス bus ・トラム train ・自動車 car ・自転車 bicycle ・ * リクシャ(人力車)・人 run ・・・。歩道を歩いていれば、今も根強く残るカースト制度を実感せずにはいられない。つまり、俗にいう『乞食さん』が『お布施』を乞うのである。

 * リクシャ・・・インドやネパールの他、バングラデシュやパキスタンにもある『サイクルリクシャ(自転車タクシー)』は有名だが、カルカッタだけは自転車ではなく、日本の人力車と全く同じもので、人間が人力でのみで走ります。

こんなカルカッタの街を”デリーエクスプレス”という名の列車 train で、パトナへと向かって出発する。デリーエクスプレスは、カルカッタ近郊のハウラ駅から、インドの首都ニューデリーを結ぶ夜行列車だ。

10月19日21:00発だ。駅へ着いて、まず乗客名簿を確認する。プラットホームの柱に張り出されてあって、そこに名前がなければ、予約されていない、ということなのだ。もちろん、俺の名前は載っていた。どの車両かも書いてあるのだが、その車両が全く分からない wobbly 。日本のように1号車2号車と順番になっていないのだ。先頭から最後尾まで探すも、わからない。出発時間も近づいてきている coldsweats02

こんな外国人相手に『席捜し屋』というのがいる wobbly から、おまけにチップを要求 sad してくる。俺としては非常に助かった happy02 のだが、やはり、わけわからん国だ、インドは think

デリーエクスプレスの寝台は硬かった wobbly 。「少しでも寝心地を良く」と思って、シュラフを広げた。インドでは、列車内での盗難は日常茶飯事のことらしいので、とにかく神経を使った。「これ以上盗られてなるものか angry !」と思って。

少しは眠ることができて、パトナ・ジャンクション駅に着く。7:30ごろだった。ここからは国境の街、ラクソールへとバス bus で向かう。

|

2012年2月14日 (火)

(再掲)カルカッタで食べていたもの

インドといえば、やはり”カレー”。しかし、ルーから作る日本のカレーとは全く異なりますので、あえて”カリー”と書きます coldsweats01

外国人旅行者が行くようなレストラン restaurant のカリーは、辛さはやや控えめ happy02 。しかし、そうではないまず外国人が来ないような、地元の人しかいないような、ちょっと(どころか、かなり)小汚い店のカリーは・・・?激辛 impact です wobbly !しかも、インドの人々は、食事は右手を使って食べるので、スプーンもない!熱い!辛い!口の中は大火事 bomb impact sweat01 です!

「水、水~ coldsweats02 sweat01 sign02

しかし、コップの中の水は・・・、

「に、、、濁ってるじゃん wobbly sign03

でも、飲まなければ、口の中の火事は治まりません。勇気を出して・・・一口「グビッ!」フゥ~ bleah sign01 そしてまた食べる delicious 、火事 impact 、水 japanesetea 、消火 confident 、食べる delicious 、火事 impact sweat01 、水 japanesetea 、消火 confident ・・・・・・・の繰り返し coldsweats01 。食べ終わったときには、コップの中身は、半分以上減っていた coldsweats02 sweat01

「明日、間違いなく下痢するな coldsweats01 coldsweats02 coldsweats01 sweat01 sign02

激辛カリーを食べた後は、お口直しにチャイ cafe を飲みました happy02 。チャイとは、インドでポピュラーなミルクティー。日本のお茶 japanesetea のような感じで、よく飲まれます。ミルクティーには違いありませんが、問題はその比率 wobbly 。ミルクと紅茶、1:1です。だから、結構甘いです。でも、カリーの後には欠かせません happy01

激辛カリーと不衛生極まりない水で、翌日、案の定、下痢を起こした俺 shock は、同宿の人に誘われ、中華料理店 noodle restaurant へ。そこで食べたのが「エッグ・ライス・スープ」。どんな食べ物か、なんとなく想像できると思います。おかゆ+おじや+雑炊を3で割ったようなものです。これは、下痢状態の胃腸には、とても優しかった happy01

朝食は、主にチャパティやローティと呼ばれるパン bread を食べることが多かったです。ナンとは違い、とても薄いパン(クレープのようなもの)です。カリーをつけてもおいしそう delicious ですが、よく行く店では、ジャムがついていました delicious

辛いばかりがインドではないので、インドのスィーツ cake も紹介します。

あるお菓子屋さんで一口サイズのケーキが何種類もありました lovely 。「おいしそうじゃん confident!」とばかりに、いくつか買って食べてみたところ、その味は・・・

「ゲェ~ wobbly sign01 激甘~ sign03

一口食べただけで、ギブアップ sad sign03 お砂糖の塊よりも、はるかに甘い!まさに、殺人的 despair sign03 激辛カリー impact sweat01 に激甘スィーツ cake sign01 「ほどほど」ということを知らんのか angry sign02 と思いたくなる bleah

「インドって、そういうのしかないの sign02 」と、誤解されてもいけない wobbly ので、俺の一番のお勧めを言うと、何といっても”ラッシー” happy01 。ヨーグルトドリンクです good 。プレーンもあれば、バナナ banana 、パパイヤ、マンゴーなど、フルーツがミックスされたものもあります lovely 。これはおいしい delicious sign03 です。口当たりもさっぱりしています happy02

そして、もうひとつ、”フルーツカード”。”カード”とは、ヨーグルトのことです scissors 。プレーンヨーグルトに何種類ものフルーツ apple banana が入っています。これは、たまらない happy01 ほどおいしいです delicious 。まさかインドに、こんなおやつがあるとは good happy01 意外でした wobbly

カルカッタでは、盗難に遭ったこともあり、精神的にかなり落ち込んで shock いましたが、モダンロッジに泊まっていた同じ日本人旅行者の方々が、食事に誘ってくれるたびに御馳走して下さって scissors 、大いに助けられ励まされ happy02 、次第に元気を取り戻しました happy01 。自宅からの送金 moneybag が届いたあとでさえも、チャイやラッシーを飲みに誘っていただき、いつも「これぐらいいいよ!」と言って、奢ってくださいました coldsweats01 happy01

おかげで、その後も楽しい旅を続けることができました。本当に感謝しています。心より「ありがとうございました confident sign03 」。

|

2012年2月12日 (日)

ローカル線の風景Ⅱ

 皆様、おはこんにちばんは (*゚▽゚)ノ

今日は久々に、私が”鉄ちゃん”だった頃の鉄道写真を紹介します。
タイトルは『ローカル線の風景』とありますが、すべて主要駅で撮ったもので、タイトルに”偽り”有りですね (^_^;;!

では、ご覧ください。

Img229
これは・・・、たぶん・・・、名古屋駅で撮った”急行 比叡”では?

Img233
こちらも名古屋駅で撮った写真。たぶん・・・、中央線を走っていた列車では?

Img293
これは隣に”特急 とき”が停まっていますから、撮影地は間違いなく上野駅。
オレンジとグリーンのツートンカラーの急行電車、昨年訪れた『リニア鉄道館』で各駅電車との違いを発見しました。
それは・・・窓の大きさ・・・です。各駅や快速電車は色は同じでも、窓の大きさが違いました。

旧・国鉄、現・JRの列車、いろいろありますが、私たちがもし日常的にお世話になっていた列車があるのでしたら、きっとこれらの電車ではなかったでしょうか?
私は高校生時代、名古屋7:30発の急行”比叡”号に乗って何度も京都を訪れました。京都着は9:37。これは今でも覚えています。本当に懐かしい、思い出の列車です。

| | コメント (10)

2012年2月 9日 (木)

(再掲)カルカッタ盗難事件 その6

8.航空券再発行

 次は、航空券 airplane ticket の再発行だ。パキスタン航空のオフィスが、カルカッタにはないので、これはネパール・カトマンドゥで申請することにして、まずバングラデシュ航空だ。オフィスへ行って説明し、領事館と警察からの2通の盗難証明書を見せたのだが、スタッフ曰く

「あなたは失くしたのだから、新しいチケットを買わなければならない think 。再発行はできない gawk 」と、あっさり言った。wobbly

「そんなバカな pout sign01再発行できることは知っている angry 」と、俺も負けない。

言い争っているうちに、だんだん喧嘩腰になってきた。元はといえば、自分が悪いくせに。しかし、モダンロッジの人たちや領事館でも言われたように、バングラデシュ航空のオフィスのスタッフの質(タチ)の悪さ、横着さは非常に有名なので、強気で押さないと、何もしてくれないらしい coldsweats02

フロントにいる連中では話にならず、マネージャー(支配人)に直接掛け合ってみたが、これもラチがあかない sad 。その後もほとんど毎日のように、オフィスへ顔を出した。うるさいほどしつこくしないと、事が前に進まないからだ coldsweats01

何日目かでやっと、再発行の申請のための必要な書類を教えてくれた。俺はそれらを揃えはじめ、残るは”Recieving Stamp(収入印紙?)”だけとなった。「郵便局 postoffice に行けばある」と言うので行ってみたが、その類の切手はないと言う wobbly 。インドには3種類の切手(?)しかなく、うち1つはバンクシャル・コートへ行かなければ扱っていない、とのことだ。

「一体どうしろって言うんだ wobbly angry !」と、途方に暮れている時、助けてくれたのが、ボビーという27才のインド人。当然、俺は彼を警戒していた gawk 。必要以上に!しかし彼は、俺のへたくそな英語を、とにかく理解しようとしていた confident 。そし驚いたことに、一緒にバングラデシュ航空のオフィスへ行って、何が必要なのかを、問いただしてくれたのである happy02

すると、「トレザリーかバンクシャル・コートへ行け」と、先ほどとは違う答えだ。俺には「郵便局へ行け」と言っていたのに wobbly 。ボビーは、さらにフロントの奴らに何か聞いている。

オフィスを出て、ボビーは彼の自家用車 car の前で同乗していた彼の母親を紹介し、俺に車に乗るように勧めた。彼がどういうつもりでいるのか、本当に親切心からなのか、まだ半信半疑だったが、今の俺には、もうこれ以上盗られるものは何もないことは、わかっているはずだ。俺は、一抹の不安を抱きながらも、「まさか、母親が一緒にいるのに、悪事は働くまい」と、彼を信じ confident 、車に乗り込んだ。

彼は初めに、彼の勤務先へと向かった。会社内に俺を案内し、彼の上司と思われる方が、俺と応対している間に用事を済ませていた。そして再び車に乗ると、「私の家で、一緒に昼食 restaurant を食べないか?」と、誘われた。すでに車の中にいるのだし、「いい happy01 」も「いや pout 」もない。

彼の家に案内されると、彼はまだ新婚ホヤホヤ heart heart で、新妻 heart01 virgo を紹介してくれた。なかなかの美人だ heart02 。そして昼食 restaurant 。さすがに家庭料理はおいしい delicious sign01マトンカリーにベジタブルカリー、パン・・・、レストランで食べるよりは、はるかにウマイ happy01 sign03

ボビーは、この近所で子供たちに柔道を教えているそうだ。確かに体格も立派だ。なるほど、どおりで日本人の俺に親切なはずだ。彼は自分が”親日家 fuji ”であることを証明するかのように、日本のことが書かれた本 book を持って来た。その本を見てみると、文章は英語だが、富士山 fuji や新幹線 bullettrain 、浅草の雷門 thunder などの写真 camera も載っていて、彼は俺に日本について色々尋ねてきた。

やがて彼は、バングラデシュ航空で言われたトレザリーの場所が分かったようで、俺にそこへ行くバス bus へと案内し、車掌にも何か告げていた。きっと、俺が降りるべき所を車掌に話してくれたのだろう。別れ際、彼は「また困ったことがあったら、ここへ連絡しなよ wink 」と、1枚の紙 memo を渡してくれた。そこには、彼の氏名、住所、電話番号、ここまでのバスのルートとバス停が書かれていた。

トレザリーへ到着したが、この日の業務は終了しており、翌日行ってみると「バンクシャル・コートへ行け pout 」と言われた。相変わらず、この国はよくわからん wobbly 。あちこちとタライ回しにされる weep 。バンクシャル・コートで10ルピー支払って”Recieving Stamp”をもらう。切手と呼ぶには、あまりにも大きい。A4サイズほどの用紙だ。この用紙に、なぜこれが必要なのかを記入し、航空会社のサインがいると言う。

バングラデシュ航空のオフィスへ行くと、スタッフは「これじゃない pout !レシービングスタンプだ angry !」と言う。「郵便局に行けばある pout 」と。これではまったく、元の木阿弥だ。俺は微動だにせず、彼らと睨み合う gawk 。もう、どうにもならん angry 、と思うや否や、カウンターをドン rock sign03 と思いっきり叩き、

「Do you know ・・・ JAPANESE SAMURAI sign02 (テメェ、日本のサムライを知らないのか?) angry pout angry bomb impact punch 」と、啖呵を切った pout

それまで俺を、邪険に扱ってきた男も、さすがに、ひるんだ wobbly のか、それとももう面倒で関わりたくなかった gawk のか、「ちょっと待ってくれ coldsweats02 」とでも言わんばかりに、両手で俺の怒りを制し、「そんなに怒るなよ。私には、何の権限もないから支配人と相談してくる coldsweats02 」と言ってマネージャールームへと消えた。しばらくして俺を呼び、マネージャーと引き合わせた。マネージャーは、

「再発行には、レシービングスタンプが必要なのだが、それはこちらで用意する。ただ、その代金10ルピーだけ払ってくれないか think ?」と言った。

「今10ルピー払えば、すぐに再発行するのか gawk ?」と訊くと、

「もちろんだ bleah

こうして、レシービングスタンプ代を現金で払い、航空券の再発行を完了した happy02 。申請から8日目。そして領事館へ行き、無事再発行された事を報告しに行く。大沢領事は「エッ coldsweats02 sign02 もう済んだの sign03 ここでは、かなり早いよ。ふつう2~3週間はかかる wink 」と、驚いていた。これで、カルカッタですべきことは終わった。

9.カトマンドゥへ

 バングラデシュ航空のチケット再発行後、2~3日はやはり疲れが出た shock 。どこへ行こうか迷っていたが think 、モダンロッジで出会った人たちが皆、「犯人は、まずネパール人じゃないよ。云々・・・」と言っていたのを思い出し、季節的にもいいそうだし。こうなったら、ネパールへ行って、自分の目でネパールという国と人々を確かめるしかない think

鉄道のチケットを予約し、10月19日夜、事件からちょうど半月。カルカッタからパトナ経由で、国境を越え、カトマンドゥへと向かった。

| | コメント (13)

2012年2月 8日 (水)

(再掲)カルカッタ盗難事件 その5

7.モダンロッジの旅人たちの心意気

 モダンロッジへ戻ると、オーナーや依然として泊まっている日本人の旅人たちが、「あれっ sign02 どうして think ?」という顔 coldsweats02 で、俺の方を見る。オーナーに盗難証明書を見せて、「日本から送金が届くまで、宿代を待ってほしい think 」と頼むと、快くOK wink してくれた。一昨日までと同じ部屋だったので、皆、顔なじみ。しかも、その部屋は日本人男性ばかりだった。俺は皆のアドバイスにも関わらず、荷物を持って出て行ったので、どんな顔していいのか、もう開き直って話すしかないと、事情を説明した sweat01

しかし、誰ひとりとして、俺を責める人はいなかった happy02 。それどころか、「そんな手口があるんだ sign02 sign03 」と wobbly sad angry 驚き、そのずる賢さに感心し、俺に同情さえしてくれた happy01

皆の「この先、どうするの sign02 」という問いに、

「このままじゃ帰れない bearing !お金 dollar が届いたら、そのお金で旅を続けます。だってそうしなきゃ、何しに来たのか分からないでしょ sad ?」と、目いっぱいの強がりを言うと、むしろ何もなくては旅が続けられないだろうからと、

「もし良かったら、これ、あげるよ wink

「これ、もういらないから、使いなよsmile

「俺、もうすぐ帰るから、それまで石鹸とシャンプー、貸してあげるよ wink !帰る前に、あげるから、買わなくてもいいヨ bleah !」

「下着もいるだろうけど、さすがに他人のパンツはねぇ・・・ bleah

「それは・・・、お金が届いたら自分で買います smile

と、Tシャツやジャージ、タオルが集まった。電話局で会った和田氏も、ここモダンロッジに宿泊(個室利用)していて、彼はこの夜も「ジン君、メシ食いに restaurant 行こうか?みんなもどう?ジン君のやけ酒 beer につき合わない?」と言って、夕食とビールに誘ってくれるし、それどころか、翌日も翌々日も食事の面倒を見てくれた happy01 。同じ部屋の人たちも、和田氏の誘いに快く賛成し、すっかりしょげてしまった俺 shock despair sad wobbly を、励ましてくれた confident 。ここ2~3日、精神的に滅入っていたのか、胃が痛み下痢もしたのだが、食べることだけは忘れずに体力を保った。

その後も、もう日本 fuji へ帰るのみと言う人たちから、タオル、シーツ、せっけん、シャンプー等々、旅に必要な日用品がそろい、小さなバッグ一つ分の手荷物ができた。「ネパールへ行くなら絶対に要るから」と、ウールのセーターを譲ってくれた人もいた。彼は「セーターを持ち帰ろうとすると、かさばって(荷物の)邪魔だから」というのが、本音のようだ。

名古屋の山田氏は「帰国後に返してくれればいいから」と、余っていたインドルピー dollar (約1400ルピー≒3万円)を貸してくれた。彼は、あまりにも両替し過ぎていて、困っていた coldsweats02 wobbly ようだったのだ。でも、これだけあれば、まだまだ旅を続けることができる。(もちろん、このお金は帰国後、彼に連絡 telephone を取り、お返ししました wink 。)

さらに自宅からも、200ドル dollar (≒5万円)、東京銀行 bank へ届いた。銀行で出会った川崎の上田氏も、俺の話を聞いて、その日の昼食 restaurant とビール beer をご馳走してくれた。彼も以前、初めての海外旅行の時、香港で盗難経験がある shock そうだ。だから、「俺の気持ちが良く分かる think 」と、言ってくれた。

そして、どう見てもヒッピーにしか見えない、とても面白い浦本氏。彼は自分のことを「おいら」というので、ニックネームも”おいら”というらしい。彼も、ラッシー(ヨーグルトドリンク)やチャイ cafe を飲みに、よく誘ってくれた。彼は、”売る”つもりでいたポケットカメラ camera を、「ネパールへ行けば絶対、写真撮りたくなるから」と言って、そのカメラを譲ってくれた。さらに「もう帰るだけだから」と、シュラフ(寝袋)も貸してくれた。そのうえ、デーバッグも「あげるよ!」と譲ってくれた coldsweats02 。彼の住所を聞いて、「必ず帰国後に、シュラフを返します」と、約束した。(もちろん、これもちょっとした名古屋名物と共に、郵送でお返ししました。)

彼はまた、日本でも北海道をよく旅していて、ウトロ(知床)や斜里(知床半島の入り口の街)で、よくアルバイトをしていたと言う。よく行くお気に入りのユースホステルも同じところがあって、すっかり意気投合した happy01

彼、浦本氏がバンコク(タイ)へ向かう前日、一緒にカルカッタを歩き回り、夕食 restaurant もご馳走になった。俺は、貸していただいたお金や送金してもらったお金が、既にあったのにも関わらず、彼は「いいよ、いいよ wink !」と、いつもいつも奢ってくれた happy01 confident 。いや、彼だけではない。他の人たちだって、しょっちゅう誘ってくれた happy01 。その度にいつも、ご馳走してくれた lovely heart confident 。送金が届いた後でも・・・。俺は、「申し訳ない gawk 」気持ちはあったけど、先の旅のことも考えて、「少しでも節約できるのなら happy02 sign02 」と、みんなのご好意 heart に甘える lovely confident ことにした。

ロッジへの帰り道、偶然通りかかった映画館の前で、彼は

「アッ sign02 『ロッキーⅢ』やってるんだ sign03

「エッ sign02アッ!ホントだsign01

「見た sign02

「いえ、まだ見てないです weep sign01 ⅠとⅡは見ましたけど・・・despair

「見ていかない bleah ?」

と言って、一緒に映画『ロッキーⅢ』を見て(もちろん”吹き替え”無しの英語)、夜遅く night に帰宿した。

日本を離れて長く、また数多く旅していると、多かれ少なかれ、皆何かを盗まれたりしているらしい。そして、誰もが「犯人は、まず、ネパール人じゃないよ。その男が言ったこと(『カトマンドゥに住んでいる』)は、絶対に”ウソ”だよ!ネパール人に悪い人はいないよ。行ってみれば分かるよ!」と、話していてた。皆の、暖かい心意気を感じた think confident wink happy01 note

|

2012年2月 7日 (火)

(再掲)カルカッタ盗難事件 その4

6.領事館のアドバイス

 10月5日、朝6時ごろ、昨夜世話してくれた領事館勤務のインド人が迎えに来て、近くでチャイ cafe をいただき、「8時になるまで、この辺りで待っていてくれ」とのことで、ビクトリア・メモリアル・パークでボーッ think としていた。インドの人々の朝は早い。早朝からたくさんの人が集まって、ヨガのようなことをしている。日本なら、さしずめ”ラジオ体操”といったところか。

8時近くになって、領事館へ行き、日本領事の大沢氏にすべてのことを話した。話しているうちに不意に、自分自身の愚かさ despair 、人の良さに腹が立ち pout 、悔し涙 weep さえ浮かんだ。大沢氏にこっぴどく注意されたが、「パスポートがあるだけでも不幸中の幸い wink 」と、この後自分がすべきことを聞いて、動き出した dash

まず、領事館で大沢氏が盗難証明書(ポリスレポート)を作成してくれたので、それを持ってハウラ駅へバス bus で向かい、事件が起こったハウラ駅警察のサインをもらう。

次に中央電話局。場所は知らないが、品位がありそうな人に尋ねて、バスで行く。そして日本へコレクトコール telephone の申し込み。約2時間待ったが、日本の自宅へとつながった。「伏見(名古屋市内)にある東京銀行 bank からカルカッタの東京銀行へ、$200 dollar (≒5万円)、大至急電信送金してくれ」と、たったこれだけ伝えるのにも、音声がお互いに聞き取りにくいせいか、一苦労。

そして、そこで日本人の旅人、和田氏と出会った。彼から話しかけてくれたので俺は、「いや~、参りましたよ coldsweats01 !」と、事件の大筋を話した。再度、領事館へ向かう途中で、彼が昼食 restaurant とやけ酒のビール beer をご馳走してくれた。何ともありがたいご好意だ confident

そして領事館で大沢氏に、この日すべきことを終えたことと、今後のことを尋ねて、当分の間、宿とするモダンロッジへと帰った。

|

2012年2月 5日 (日)

世界の絵葉書 その28 奇跡の再会の人から

 皆様、おはこんにちばんは (*゚▽゚)ノ!

たまには世界の絵葉書、紹介せねば・・・ (^_^;;ヘヘッ!

『奇跡の再会の人』と言っても、「???」という方も多いでしょうね。
1992年、ネパール・カトマンドゥのゲストハウスでほんの数日だけ相部屋だったフランス人がいました。その時お互いにアドレスを交換することもなければ、一緒に写真を撮ったこともありませんでした。まさに『一期一会』の、2度と会うことがない者同士だと思っていました。

1994年、2年ぶりにネパールを訪れ到着したその日、顔なじみのネパール人の友達の家へ遊びに行きました。そしてその日の夜、奇跡が起こりました。
元・ゲストハウスの従業員だったネパールの友達は、「今フランス人の友達も来ていますから、私の家で一緒に食事をしていってください」と言い、彼が連れてきたフランス人が・・・!
なんと・・・2年前相部屋だったフランス人の男性だったのです (゚o゚)ナニッ?
(*詳しくは『1994 ネパール・再会の旅』に出てきます)

そのフランス人男性・Jacques(パリ在住)から届いた封書に入っていた手紙に添えられていたのが、この絵葉書です。

Img041
"Le Sacré-Coeur" と書いてあります。
裏側つまり手紙欄を見ますと・・・、
LUMIERES ET SCENES DE PARIS...” そして、
"L'église Nortre-Dame de Lorette et la basilique du Sacré-Coeur de Montmartre."
とありました。

”ノートルダム”とか”モンマルトル”は読めるのですが・・・(^_^;;ヘヘッ!
いかにも”パリ在住”のフランス人が選んだ絵葉書のようにも感じます。もし日本人旅行者でしたら、もっとフランスやパリを象徴するような絵葉書を選ぶでしょうから!
どなたか、このフランス語・・・、訳して下さいネェ~(^o^)!

| | コメント (10)

2012年2月 2日 (木)

(再掲)カルカッタ盗難事件 その3

4.事件発生

 いくら待っても2人は戻ってこない。「まさか・・・ coldsweats02 」の不安を感じた時、動物園の出口へ向かい、急いでタクシー car を拾ってハウラ駅へと向かった。そしてクロークルームへ。預かり証を差し出すと、係員は怪訝な顔つき think で「これは違うよ」と言う。しかし、確かに俺の名前も、パスポートナンバーも書かれている。窓口でもめていると、別の係員が

「あなたの荷物は、あなたと一緒に来た男が、1時間ほど前に取りに来たじゃないか gawk 。だからもう、ここにはないよ」と言う。

「なんだって wobbly !じゃあ、この紙は何なんだ angry ?」

「それは我々が発行している預かり証ではない pout

彼らに本物の預かり証を見せてもらい、さらに念のために、クロークルームを奥まで捜させてくれと頼み、捜してみたが、やはり、ない shock

かようにして事件は起こった。いや、起こしてしまった、と言ったほうが、今となってはいいのかもしれない。モダンロッジの人たちから、あれほど注意するよう言われていたのに・・・ crying 。自業自得、と言ってしまえば、全くその通りである。

5.野宿

 起きてしまった、いや、起こしてしまったと言ったほうが正解かもしれないが、とにかく動くしかない run 。何から始めていいのか分からないが、まず、自分が荷物の盗難に遭ったということを、あちこちで話し始めた。駅構内のブッキング・オフィスやポリスボックス(だと思う)に掛け合ってみたが、「あっちだ、そっちだ」とタライ回しにされ、いい加減、頭に来たが angry 、ポリスボックスと思っていたところは、鉄道公安所か、それとも別の組織だったらしい coldsweats02

夕方5時過ぎに、やっと警察へたどり着いたのだが、詳しい話も何も聞かず、ただ「日本領事館へ行け gawk 」と言うだけである。まったく、取り合ってくれる雰囲気ではない sad 。しかし、俺も必死だ。「領事館の場所も知らないし、第一、金がない。どうしたらいいんだ pout ?」と、真剣に訴えた。一人のポリスマンが、わずかばかりのお金 moneybag を俺に渡し、バスへと案内し、車掌に何か話している。俺はそのバス bus に乗り、車掌に言われたところで降り、日本領事館へ着くことができた confident

しかしすでに、6時を過ぎているし、プジャの祭りでこの日まで領事館は休館だったそうだ。それでも4人ほどインド人の領事館員(?)がいて、必死で説明をする。俺はもう、半ば開き直りかけていた coldsweats01 。彼らにも「金がないから何も食べられない。でも腹が減った。今夜は泊るところもないから、ここで寝かせてくれ」と、彼らにとっては理不尽で無茶苦茶な要求。しかし、言ってみるもので、近くでジュースとビスケット、夕食も頂いた happy02

さらに、領事館近くのお寺がある広場へと案内され、簡易ベッドとシーツを持ってきてくれて、俺はこの晩、ここで野宿した coldsweats01 。周りを見ると”宿無し”のインド人たちが大勢いる。彼らはいつも、ここでこんな風に寝ているのだろうか?俺は、これ以上取られるものはない、と言ってもパスポートだけは身につけていたので、これだけは絶対に盗られまいと、注意を払った。

| | コメント (12)

2012年2月 1日 (水)

(再掲)カルカッタ盗難事件 その2

2.ミスタージョンとの出会い

 10月3日。10月1日にここカルカッタへ着いて3日目。早くもこの街の雑踏と喧騒に嫌気がさし weep 、ハウラ駅に行こうとトラム(市電 train )乗り場をうろついていた。「ハウラ行きはどれだい?」「これはハウラへ行くの?」などと聞いているうちに、一人の男が近づいてきた。俺が「パトナからカトマンドゥまで近々行きたいのだが・・・」と言うと、彼は「それじゃ、ブッキングオフィス(鉄道予約案内所)へ行かなければならないよ」と教えてくれ、親切にも案内を買って出てくれた happy01

彼は偶然にもカトマンドゥに住むネパール人で、ジョンと名乗った。世間話やお互いのことを、俺は片言の英語で、彼は流暢な英語で話した。ブッキングオフィスで、翌日夜に出発する列車 train の寝台を予約。その後、ハウラ駅へ下見のつもりで彼とトラムに乗って行った。

時刻表や乗り場を確認し、構内のレストラン restaurant でターリーと呼ばれるインドの定食をご馳走になった。彼は「明日は暇だから、夜までカルカッタを案内する」と言った。切符のことから食事まで世話になっていたので、邪険にもできずOKした。これがまだインドへ着いたばかりの『日本的思考』で、トラブルの発端でもあった bearing

3.動物園へ

 翌10月4日、宿としているモダンロッジに泊まっている人たちから、「警戒した方がいいよ。夜まで荷物はここに置いておいたら・・・ gawk 」と言われたように、いったんは置いたまま出かけた。約束の時間に再会したミスタージョンは、「荷物はハウラ駅に預けておけばいいから」と言うので、俺は荷物を取りに戻った。宿の人たちは皆、心配している think 。「いや、大丈夫ですよ ok 」と言って、俺は出て行った。

ミスタージョンと駅へと向かった。駅のティーショップで、コーヒー cafe を飲む。するとそこにはもう一人、若者がいて、ピーターと名乗った。ジョンは「ピーターは来年、日本の名古屋大学 school に留学するんだ。友達になってやってくれないか?」と紹介した。するとピーターは、「日本の名古屋大学に留学するんだ。まだ何も知らないからよろしく頼むよ confident 。今日は君の案内や手助けをするから、日本で俺を世話してほしい」と語った。何となく怪しげな話だが、その場の俺は、いとも簡単に「OK!まかせとけ wink !」と、答えていた。

その後、クロークルーム(荷物一時預かり所)にザックを預けた。預かり証には、俺の名前とパスポートナンバーが記入、そしてザックの中の貴重品(カメラなど)をチェック。係員と一緒にクロークルームの奥まで荷物を運んで、預かり証を受け取った。

そして3人で、あらかじめ話していたとおり、動物園へタクシー car で向かった。動物園に着いてしばらくすると、ジョンは「ホテル hotel へ戻って、夕方、君とピーターと3人でパーティーができるように取り計らってくるから、ちょっと失礼するよ」と言って、彼は立ち去った。俺は「あぁそうか」と、相変わらずの調子。

そしてピーターとぶらぶらし、昼食にする。その時ピーターが、おかしなことを言った。「50ルピー moneybag 、貸してくれないか?友達が来るからすぐに返せる。ここの食事代を払うだけだ」と。いくらなんでも、50ルピーは高い。すると「20ルピーでいい。少し待っててくれ。すぐ近くの店に友達がいるから、20ルピー借りて君に返す」と言った。「ハウラ駅の時と態度や様子が違うな sign02 」と思った時には、もう俺一人だけが、そこに取り残されていた weep

|

« 2012年1月 | トップページ | 2012年3月 »