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2011年9月23日 (金)

走る!走る!SLは走る!

 こんばんは ヽ(´▽`)/

先日、2回に分けて紹介しました大井川鉄道の記事が、皆様にたいそう喜んでいただいたようです。SL全盛期をご存知の”人生の先輩方”は、とても懐かしく思われたことでしょう。そうでない世代の方々にも、SLの素晴らしさを分かっていただけたことと思います。

”撮り鉄”だった高校時代、鉄道雑誌もよく読んでいました。おそらく、それらの雑誌から購入した写真だと思いますが、何枚かのSLの写真が残っていました。
それらの写真を撮影したカメラマン、掲載した雑誌社の著作権の問題もあるかもしれませんが、クレームが来ない(このブログを見ない)ことを祈りつつ、紹介いたします (^_^;;!

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雪の中を走るデゴイチ(D51)!白銀の中を真っ黒で重厚感あふれるSLが走ります。
とっても”絵”になりますネ (゚▽゚*)!

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貨物を牽引するSL。よく見ると・・・、最後尾にもSLが連結されているようです。煙吐いているのが分かりますか?勾配が急なところがあるのかもしれませんネ。

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こちらも貨物を牽引しています。牽引するSLはデゴイチ!

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シロクニ(C62)が客車を牽引しています。ヘッドマークがないから特急ではなさそうです。急行かな、それとも各駅列車かな?

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重連で走っています。モクモクと煙を吐いて黙々と走ります。力強さを感じますね。

Img169
こちらは3重連。よほどの急勾配があるのでしょうね。逞しいと言いますか、頼もしい!ですね。

どの写真もSLの”カッコよさ”があふれ出ていますネ o(*^▽^*)o!
高度成長期のころまで、これらのSLが日本全国を、たくさんの人々を乗せて走り、多くの貨物を西へ東へ、北へ南へと運んだのでしょうね。
今の我々の暮らしがあるのも、一時代を築いたSLの存在なしにはなかったかもしれない・・・、そんなふうに思いました。

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コメント

慕辺未行さん
 おはようございます(^・^)
SLを知らない時代に育っていますが?
ニコニコドキドキ拝見しています。
慕辺未行さんが高校時代撮り鉄さんで好かったヽ(^。^)ノ
写真を撮られた方が、もし、ご覧になられても
決して悪い気はされないと思います。
その大きな理由は、やはり慕辺未行さんのお人柄満載の記事ですね。

実は今日、兄のお供で梅小路SL館に行きます。
子供たちを乗せて、SLが走っているのを見られるかと思うと
今からドキドキします。
何度見ても、興奮しますね。

D51は憧れのSLです。
絵になりますね~♪
雪の中を走るSLええですね。
モノクロだから余計に好いのですね。

貨物を牽引するSL、最後にも連結されていますね。
よ~く解りますよ。
 
山を背景のC62こちらも描きたい風景です。
重連で走っている、本当、力強いです。

凄い(@_@)3重連も有ったのですね。

 確かにどの写真もカッコええ!(^^)!ですね。
過日、私も撮り鉄さんの写真を拝見して
ブログに載せましたが、撮っている時、パソコンに取り込んで
その度に興奮していました。

最後の慕辺未行さんのメッセージ、私も同感です。
 写真ですが他にも有れば、又、こっそり?と
ご紹介してくださいね(*^。^*)


コスモスさんへ

これらの写真、俗に言う”無断転載”になるのでしょうね。でも、もう30年以上前のことですし、許して下さることを祈りつつ・・・(^_^;;!
梅小路蒸気機関車館、いいですネェ (^_^)!高校時代、アルバイトでためたお金で、何度も京都へ足を運んだのも、梅小路へ行くためでした。
実はその当時撮影したモノクロ写真も、すでにPCに取り込んであるのですよ。いつでもブログで紹介できます (^_^)!
SLというと、やはり”デゴイチ(D51)”ですよネ!中学生の時、関西線の亀山以西でまだデゴイチが走っていると聞き、見に行ったことがあります。貨物を牽引していましたが、まぎれもなくデゴイチの現役の姿でした。
シロクニ(C62)も日本を代表するSLですよね。リニア鉄道館に展示してありましたC62、SLとしては当時、世界最速だったそうです。新幹線以前に日本は、世界最速鉄道をすでに持っていたのですね。スゴイ!
でもやっぱり、SLは走っている姿が一番 (^o^)!

ブログへのコメントです (^o^)/
『昭和の京都の街を走っていた市電(その2)』
古き良き昭和の光景ですね。昭和30年代でしょうか?私が生まれているかどうかの時代のように見えます。
名古屋もかつては、似たような光景が広がっていたんだろうなぁ、と思いながら拝見していました。
車の交通量が増え、市電が走る街は数えるほど少なくなりましたが、ヨーロッパでは逆に見直されているようです。日本も、街の中心部へのマイカー乗り入れ規制をし、市電が復活する時が来るかもしれませんよ。

『上七軒の舞妓さんによるお点前(その1)』
・・・(・_・)イイナァ!艶やかだナァ・・・!雅だナァ・・・!
ホント、一度でいいから舞妓さんのお酌でビールを飲んだり、舞妓さんのお点前のお抹茶、戴きたいです (^o^)!
そして一緒に写真を!きっと、鼻の下が伸びた顔で写るでしょうね(笑)!
観光地などで、お菓子付きでお抹茶を戴いても、普通は500円ですよね。舞妓さんのお点前で、その上一緒に写真も撮られて・・・?!これはお得です (^_^)!

投稿: コスモス | 2011年9月24日 (土) 06時27分

先日何気なくテレビを見ていて分かったのですが、
大井川鉄道は今でも定期的にSLが走っているので
乗れるそうですね。その努力には頭が下がります。
管理はとても大変なようですね。
そう言えばそのことは、前にブログでも言われていましたね。
地域と乗客のコミニケーションがうまくとれていますね。
列車にみんな手をふっていましたから・・・

今回の写真もとてもいいですね。


matsubaraさんへ

私も先日、インターネットで調べてみたら、土日祝日だけでなく、毎日1往復走っているようです。
整備も大変でしょうし、消耗部品もあるでしょうから、それらの部品の調達も大変なのでは?と思います。
そして、石炭。石炭なくてはSLは走りませんから!
大井川鉄道、もうすでに30年以上に渡りSLを動態保存しているのですから、今やSLのエキスパートですね。
せめて大井川鉄道だけでも、いつまでもSLが元気に走ってくれることを、願いたいですね。

投稿: matsubara | 2011年9月24日 (土) 15時30分

SLは力強くて逞しく感じますね。
モノクロの写真が迫力感があり素敵に思います。
モクモクと煙をはいて走っている姿は
絵になりますね。
雪の中を走るデゴイチ、素敵なお写真ですね。
寒い中、苦労してお撮りになったのでしょうね。
貨物を牽引するSL、最後尾にもSLが連結
されているのは重たくて後ろからも
押して走っているのでしょうか?
お子様が喜びそうなSLですね。


すみれさんへ

モノクロ写真だからこそ、SLの武骨さのようなものがより伝わって来ますよね。
モクモクと煙を吐き、時には大きな汽笛を鳴らしながら勇ましく走る様は、とても”人間的”な親しみを感じます。
超高速時代の今の鉄道にはない、とても暖かなものがありますよね。ホッとするような、癒しの鉄道ですよね。
勾配が急なところでは重連、3重連もあったようで、その姿は迫力満点ですね。引き伸ばして飾りたいぐらいです。
最後尾から押す姿もいいですね。急勾配を登り切れずに逆走することを防ぐ目的があったのでは?と私は考えています。
今の子供たちが実際にこのようなSLを見たら、歓声をあげるでしょうネ (^_^)!

投稿: すみれ | 2011年9月24日 (土) 15時40分

慕辺未行さんへ
こんにちわ
SLと言う言い方は何時頃からでしょうね
私がSLと言う言葉を知ったのは勿論戦後ですが そんなに古いことではありません

蒸気機関車の方が馴染み易いです
電気機関車(気は機の方ですかね)は今も貨物列車で活躍していますが 昔とは車体など大きく変化していますね

2重連や後押しは見たことがありますが 3重連は初めてです
凄い迫力でしょうね 可なりの急勾配での牽引でしょうか

複数の機関車でのスピード合わせはさぞ難しいのではないでしょうか 予め打合せはしていると思いますが・・・


古都人さんへ

言われてみれば、私の両親も”SL”と言わずに”(蒸気)機関車”と言っていたような気がします。
私が子供のころ、と言っても中学生ぐらいでしょうか、すでに”SL”と呼んでいました。
SLに対して電気機関車は”EL”ですが、こちらはそのように呼ぶことはあまりないですね。しかし今も日本海側を走る寝台特急”日本海”は、電気機関車が牽引しているようです。あるブログ仲間の方が、最近乗られたそうです。
重連や後押しはもちろん、3重連も写真でしか見たことがありません。実際に見たら、すごい迫力でしょうね。
吐き出す煙も、鳴らす汽笛の音も、どれほど勇ましいものか (^o^)!
タイムトリップして、本当に見てみたくなりました。

投稿: 古都人 | 2011年9月24日 (土) 16時16分

やっと、D51が出ましたね そちらは、無いのかなと思っていましたよ そして、懐かしい時代の写真ですね どの山も身近な山に見えてしまいます 。
子供の頃 は、2~3歳年上が、責任者で近所の子供達が、群れで 行動していまして、線路の渡り方 鉄橋の渡り方 責任者が、線路に耳を当て 皆、音を聞け 番をしてるから渡れなど、遊んで貰いたいから、又、兄が居たから半べそで付いて回ってました 大きな おにいちゃんや、お姉さんは、立派なリーダーで、怪我も小さく勿論 事故等起きませんでした。数枚の写真を見て、
こんな想い出が記憶の中から飛び出しました 本当に懐かしい
のどかな時代が、有りました。


ばーぱんさんへ

D51、とても懐かしく嬉しそうですネ (^_^)!”デゴイチ”という愛称からしても、一番親しまれ愛されたSLだったのでしょうね。
現役で走っているD51を、一度だけ見に行ったことがあります。中学生の頃でしたが、関西線の奈良~亀山間の貨物を牽引していました。
ばーぱんさんの子供の頃の思い出、その様子を何となく想像してしまいます。いがぐり頭の少年、おかっぱ頭の少女たちが元気よく遊びまわっている・・・。
近年、映画『ALWAYS 3丁目の夕日』が好評でしたが、あれよりももう少し古い時代でしょうか?
戦後から高度成長期へと進む前の、のどかで平和な時代だったのでしょうね。
コメント拝見しまして、まさに”古き良き昭和”と感じました。

投稿: ばーぱん | 2011年9月24日 (土) 17時22分

格好いいですねえ。ひっぱったり、押したりなんて力強いんでしょう。パクパク石炭を食べながら走っていた、あの油煙のにおいも素敵ですね。旅のにおいです。駅の水道で顔を洗って日本手ぬぐいで拭くと手ぬぐいが真っ黒になって、それがなお旅情を急きたてました。


agewisdomさんへ

もうホント、”カッコイイ”の一言です。この武骨な力強さ、モクモクと煙を吐きながら、時には勇ましい雄叫びをあげ走る様は、とても”絵”になっていたことでしょうね。
SLが牽引する列車は、大井川鉄道でしか乗ったことがないのですが、それでもあの石炭や煙の匂い、客車内の匂い、とても懐かしいものを感じました。
客車の窓を開けたままトンネルをくぐると、SLの煙の煤で顔が真っ黒になるそうですね。かつて母が楽しそうに笑いながら話していました (^_^)!

投稿: agewisdom | 2011年9月24日 (土) 22時36分

慕辺未行さん
 おはようございます(^・^)
戴きましたコメントのお返事です
高校時代にアルバイトまでして
梅小路のSL館に行かれていたのですね。

強敵表れる!(^^)!
既にいつでもupできる状態なのですね。
私は子供たちを乗せてボーッと走り出す前後のSLのみ
載せようかなあと思っていますが
慕辺未行さんも同じ光景ですか?

 私がモノクロの写真に魅力を感じるようになったのは
慕辺未行さんのお蔭です。
市電の写真を撮っている時も嬉しくて(#^.^#)
この時も兄が一緒だったのですが
二人で懐かしく話しながら撮っていました。

京都もマイカー乗り入れ規制の場所が少しずつ増えています。
観光シーズン以外にも。
”歩いて愉しむ京都”キャンペーンも。
唯、観光客にとってはどうなのでしょうね?

 舞妓さんのお点前を戴いたのは初めてです。
でも、写真はご一緒していません。
舞妓さんや芸妓さんは少しお話をしたり、写真を撮らせて戴くのが嬉しいです。
シリーズで後、2回程ご紹介しますが
飽きないで下さいね。
色々な場面、表情を撮っています。
次回は芸妓さんを中心にご紹介します。
これも撮っている時は嬉しくてヽ(^。^)ノ

 読み捨てになさって下さいね。


コスモスさんへ

ハイ、ありがとうございます。
では、失礼させていただきます。

投稿: コスモス | 2011年9月25日 (日) 07時15分

やはりSLの走る姿は迫力がありますね。
特に重連運転は頼もしく見えます。
昔は当たり前のように全国をSLが駆けていたんですよね。
でもたぶんその頃のSLに対する思いは、鉄道会社にとっては
整備や維持、運転に大変な手間がかかり、乗客はトンネル
などでの煙に悩まされ、沿線は煤煙に困るというものだったん
じゃないかなと。
でも、そういったものだからこそ、多くの人にとって
SLへの思いというものも強く、走っている姿に
懐かしさを感じるのかもしれませんね。


Junjiroさんへ

昔は、この光景が当たり前のような時代だったのでしょうね。重連や三重連も急勾配、たとえば碓氷峠越えなどで活躍していたのではないでしょうか?!
整備・保全は確かに大変だったでしょうね。運転士以外にも石炭をくべる人も必要ですし。煙や煤は、当時の人々はどのように感じていたでしょうか?「洗濯したものが汚れる」とか思っていたのでしょうか?
しかし、それらもすべて”生活の一部”として受け入れられていたと思います。
SLからやがて電車が登場し、新幹線へ。鉄道の歴史は大きく変貌しましたが、高度成長期を支えてくれた人々にとっては、SLへの思いはひとしおでは?と思います。

投稿: Junjiro | 2011年9月25日 (日) 12時29分

こんばんはぁ
SL、乗ったことはないですが、味のある乗り物であると同時に、世界の文明を一気に変えたものでもあるのだと思うと、その姿には感慨深いものがありますね。
撮り鉄さんだったのですね~
今の撮り鉄さんのアイテム違って、慕辺未行さんのお使いだったものもまた味のある品物だったのではないですか?
昭和の匂いが懐かしいですぅ


と~まの夢さんへ

私も大井川鉄道でしかSLには乗ったことがありません。物心ついたころには電車やディーゼル列車が走っていました。
イギリスで産業革命が起こり、SLという鉄道が走り始めたのですよね。世界の文明を変え、人や物の流れも変えた始まりと言えますね。
ここに掲載した写真は、私が撮影したものではありませんが、当時私が使っていたカメラはオリンパスの一眼レフカメラで、人気があったものでした。その時使っていたものは、もうありませんが、数年前オーロラを見に行ったとき、中古で同じカメラを買い、そのカメラでオーロラの撮影をしてきました。

投稿: と~まの夢 | 2011年9月25日 (日) 20時34分

うわ~
SLってダブルとかトリプルもアリだったのですね~
初めて知りました
雪景色の中の雄姿も、とても素敵ですね

大井川鉄道にますます乗りたくなっちゃいました
やっぱり自力だとなかなか大変なので、
こないだ味をしめた、バスツアーででも行こうかなぁ


きゃぶさんへ

ダブル・トリプル・・・という言い方は・・・(^_^;;!やっぱSLは、重連・三重連という方が似合いますヨォ (^o^)!
日本は山岳国家ですから、大変な峠越えもあったでしょうし、モクモクと煙を吐き、喘ぎながら登ったことでしょうね。とても”人間的”な鉄道ですよね。
車で新金谷駅まで行けば、そんなに大変ではないと思いますよ。お得なバスツアーがあれば、それも良いかも?!ですね。

投稿: きゃぶ | 2011年9月25日 (日) 21時12分

蒸気機関車を生き物に例える人が多いですが写真を見ていると生きている鼓動を感じます。人間が作り出した最初の機械的な生物なのかもしれませんね。


朝比奈ひなたさんへ

古い記事ですが、ご覧いただいたうえコメントまで・・・?!
ありがとうございます アリ(゚o゚)(。_。)ガト!
ディーゼルや電気機関車もあまり見かけなくなりましたが、SLはやはりどこか『人間的』な感じがしますよね。
平地を全速力で走る姿、急勾配は重連、時には三重連で煙突から吐く煙はまさに「息も絶え絶え」で、車輪の動きは『精一杯頑張って登っている』その姿、まさに『人間』と同じです。
今でも定期・不定期で日本各地で走っているSLがあります。
その雄姿、少しでも後世に残したいですね。

投稿: 朝比奈ひなた | 2013年8月29日 (木) 21時46分

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