夜行寝台特急『金星』
かつて、東京や大阪から九州各地へ夜行寝台特急が走っていました。しかし途中の名古屋を始発とするそれらの列車は、走っていませんでした。唯一、『金星』以外は!
名古屋発博多行き、夜行寝台特急『金星』。出発時刻はかなり遅かったと思います。それゆえ、東京発の夜行列車に間に合わなくて新幹線で名古屋まで来て、『金星』に乗り換え九州まで向かわれた乗客も多かったようです。
盆や正月・GWには、帰省用の臨時列車も運行されていました。
名古屋は、九州出身の方がたくさん暮らしています。私の職場にも、名古屋生まれですが両親は九州出身という若いものもいます。
そうした人々を乗せて走ったのが、今回紹介する特急『金星』。ご覧ください。
夜行寝台特急電車『金星』。たぶん583系という形式の電車だと思います。
こちらは、臨時夜行特急列車の『金星』。14系客車で寝台車は連結していなかったと思います。
客車に表示されている『金星』・・・こういうの、何と言うのでしたっけ?盗難防止のためか、針金で固定されています。
定期列車は博多までの運行でしたが、臨時列車はさらに遠く、熊本・西鹿児島まで走っていました。寝台ではなく座席の列車でした。それでも利用者はかなり多かったと思います。
名古屋在住の九州出身の方だけでなく、その時期を利用して九州を旅行される方にも、とても重宝された列車だったと思います。
唯一の名古屋始発の夜行寝台特急電車『金星』も、時代の波とともにいつしか姿を消していました。最後に、ヘッドマークがまだデザイン化されていない時の『金星』もご覧ください。
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コメント
昔はこうして長々と列車に乗ったものです。ミッションスクールの7泊8日の修学旅行、九州からの帰りは20時間以上直通の座席に座ったままの列車でした。私は神戸でお友達が迎えに来てくれて一晩お世話になり次の日の夜行で帰りました。でも7分停車なんて言うと、ホームに降りて走ったりして体調を整えたそうです。芸大のピアノ科へ進学する友は後の休みも含めて8日もピアノ弾けないというのは致命的。だからいけませんでしたが、受験の年の3年生になってからの旅行でしたよ。のんきなもんですね。
agewisdomさんへ
今の時代、東京から鹿児島まで飛行機でなくても、近くなりましたよネ!新幹線で日帰りできるのでは?
7泊8日の修学旅行ってスゴイですね (゚o゚)ヘェーッ!そのころですと、東京から20時間はかかったでしょうね。
私の初めての長い一人旅の時、大阪から長崎まで夜行急行列車の座席で、ほとんど眠れなかったことを覚えています。
夜行列車で5分以上の停車時間があると、ホームの売店で何か買ってきたり、それでもみんながそうするので、発車ギリギリで列車に戻ったり・・・。
昔の列車には、旅心を誘うものがありますネ!
投稿: agewisdom | 2011年8月23日 (火) 23時00分
慕辺未行さん
こんばんは(*^。^*)
列車の旅、寝台列車
真っ暗の中をひた走る列車
ご紹介の夜行寝台特急”金星”は知りませんが
多くの人々の夢や思い出を乗せて
走っていたのですね。
そのように思うと知らなくても愛しく感じます。
不思議ですね。
同じ”金星”でも、「ヘッドマーク」も違うのですね。。
今までどうしてもっと関心を持って見なかったのか
残念です。
色々なことに興味を持つと、人生が数倍愉しいですよね。
20年以上東海道線の近くに住んでいました。
2階の窓を開けると電車が見えました。
夜に列車の窓に明かりが見えるのも旅心を誘われましたが、
深夜の夜行列車のテールランプに郷愁を感じました。
慕辺未行さんの所で色々な列車を拝見する度に
その時代を懐かしく思い出します。
当時の自分の生活や心の動きまで。
新幹線の何と味気ないことか、
確かに急ぐ時やビジネスマンには便利でしょうが・・・
コスモスさんへ
この『金星』には乗ったことはありませんが、名古屋始発の唯一の夜行寝台特急でしたから、覚えていました。でもいつの間にか、気がついたら廃止されていました。
GWや盆・正月に走っていた臨時列車は、帰省される人々でいっぱいだったそうです。寝台ではなく座席ですから、大変だったと思いますが、料金は安く済んだことでしょう。
ヘッドマークは、70年代後半から徐々にデザイン化されましたが、それまでは単に、列車の愛称が表示されていただけでした。
私は、私自身は記憶にないのですが、幼いころ関西線を走るSLの汽笛が聞こえると、ジーッとそちらのほうを見ていたそうです。関西線までは1km以上離れていたのですが、その時代は田畑ばかりで景色を遮るものがなく、SLの姿が見えたようです。
時間が取れない忙しい人々には、新幹線の旅も良いでしょうが、やはり旅はのんびり景色を眺めながら!がいいですよネ!新幹線では景色がアッ!という間に過ぎ去ってしまいますから!
ブログへのコメントです (^o^)/
『東北の鉄路よ よみがえれ(その2)』
やっぱりいいですネェ (^_^)!SLは!
走っている姿が、なおさら勇壮に見えます。SLは走っている姿がカッコイイですネ!
雪の中を走る姿は、本当に”絵”になります。白銀の世界を黒煙白煙吐きながら、”頑張って”走る姿が印象的です。
写真も、モノクロだからこそ、味わい深いものがありますね。SLはカラーよりモノクロが似合います。
急行”北斗”という列車があったのですね。初めて聞きました。撮影地が好摩~渋民ですから、盛岡の北ですね。背景の山は八甲田山かな?
色んな形式のSL、楽しむことができました (^o^)!
『江戸期の絵柄 Tシャツに』
古いデザインだからこそ、現代にはより斬新なデザインに見えます。
若い人には、新しく感じるでしょうし、高い年齢層の人々には、懐かしさを感じるデザインでしょうね。
私の母の世代ですと、Tシャツはデザイン的にも着ないのですが、このような落ち着きのあるデザインなら着られそうです。
外国の方にもきっと好評でしょうね。いかにも日本的なデザインですから!
投稿: コスモス | 2011年8月23日 (火) 23時23分
慕辺未行さまのブログから、沢山の事が学べ行って見たい所も次々と、出てきます。
季節ごとの楽しみが増えそうです。
ばーぱんさんへ
そう感じていただけ、嬉しく思います。現在の旬の話題を取り上げることもありますが、ほとんどが”昔取った杵柄”のような、今では忘れてしまった趣味(鉄道写真、切手・コイン)を話題にしたりしています。”旅日記”も含め、一つの”自分史”なのかもしれません。
投稿: ばーぱん | 2011年8月23日 (火) 23時29分
今では絶滅寸前のような状態の寝台列車ですけど、
昔はいろんな寝台列車が運転されて、多くの人に
利用されていたんですよね。
「金星」は、どの区間を走っていたのかまでは
知りませんでしたが、その名前だけ聞いたこと
があると思います。名古屋と九州を結んでいたんですね。
車両側面の「金星」の表示、たぶん”サボ”って言ったと
思います。間違えていたらごめんなさい。
Junjiroさんへ
今運行されている夜行寝台特急と言えば、”カシオペア”や”北斗星”といった豪華な列車ばかりではないでしょうか?
新幹線が走っていないところはまだ、形式は違っても、このような寝台特急が走っているのかな?
『金星』は唯一の名古屋始発の寝台特急でした。ただ私の記憶があいまいで、このブログを書く前に念のためにネットで調べてみました。名古屋~博多ではなく西鹿児島まで走っていたと勘違いしていました。
”サボ”、確かにそう呼ばれていたような気がします。季節限定の列車にしかないものでしたから、こっそり持ち帰ろうとする鉄道ファンがいたのでしょうね。
投稿: Junjiro | 2011年8月23日 (火) 23時30分
名古屋発の寝台ではない夜行列車に乗って信州にスキーに
行ったことが思い出されます。
寝台は一人寝で怖いのですが、夜行で友人と肩を寄せて眠った
ことは楽しいものでした。
これって金星に乗れなかった負け惜しみかも・・・
matsubaraさんへ
この『金星』が走っていたころ、信州方面と南紀方面へ夜行急行列車が走っていたことは覚えています。信州へは『きそ』か大阪始発の『ちくま』という愛称だったように思います。
友達同士で夜行列車というのは、何故か楽しいですよね。12時ぐらいまでは皆で楽しく過ごしたりします。周りが少しずつ静かになって来ると、「そろそろ寝ようか?」と言いながら仮眠を取ったものです。
投稿: matsubara | 2011年8月24日 (水) 08時07分
慕辺未行さんへ
こんにちわ
列車がお好きなのですね
その打ち込みようが良く分かります
金星は新幹線が出来てからも走っていたのですね
九州出身の名古屋在住の方が多いと聞いて思い出した言葉があります
「ナゴチョン」です ご存知ですか
私が昭和52年に名古屋勤務が始まったときに先輩に言われた言葉です
単身赴任の名古屋勤務者に対する表現です
私もナゴチョンを6年間続けました
その後は4年間の東京勤務でした
合計10年間に及ぶ単身赴任でした
今は懐かしい思い出です
古都人さんへ
今では鉄道写真を撮りに行くどころか、鉄道に乗ることさえ滅多にないのが現実です。
これらの写真は今から30年以上前、私がまだ高校生だった頃に撮影したものばかりです。
『金星』は新幹線が博多まで開業してもなお、生き残りました。記事の中にも書きましたが、東京で夜行列車の出発が早いためにそれらに乗ることができず、新幹線で名古屋まで来てこの『金星』に乗る利用者が多かったためだと思います。
「ナゴチョン」、聞いたことあります。でも最近はほとんど聞いたことがありません。でも、大企業や一流企業などですと、この言葉、まだ使われているかもしれませんね。
この地方の九州出身の方は、独身時代に就職で来られ、こちらで結婚しそのまま名古屋に・・・、という方が多いようです。
昭和52年でしたら、これらの写真を撮影した頃です。それから6年間、名古屋にお住まいだったのですね。私が周遊券片手に頻繁に鉄道で旅していたころです。
投稿: 古都人 | 2011年8月24日 (水) 11時41分
寝台列車に乗ったのは1.2回と思います。
その列車の名称は覚えていません。
「金星」は記憶にありません。
寝台車でなく座席に座ったままで西鹿児島へは
しんどくて遠くに感じたものでしょうね。
こうした列車の旅は、懐かしく思い出に
残っているのでしょうね。
すみれさんへ
この『金星』には乗ったことはありませんが、大阪から長崎まで夜行急行列車で行ったことはあります。もちろん寝台ではなく”座席”でした。初めての長い一人旅のスタートで、興奮していたのか、ほとんど眠れなかったように記憶しています。
長崎まで何時間かかったか覚えていませんが、ずいぶん長かったように感じたでしょう。幸い周遊券利用でしたから、自由席でしたので、その時はわりと空いていて眠れないながらも座席で体を横にすることはできたと思います。
その頃の列車での旅、毎回記録を残していましたから、今でも思い出すことができます。
投稿: すみれ | 2011年8月24日 (水) 11時49分
慕辺未行さん
戴きましたコメントのお返事です
何時ものことですが、丁寧にご覧戴いて心優しいコメント
嬉しく拝見しました。
雪の中を走るSLは絵になりますね。
私もモノクロだからこその味わい深さを感じました。
カメラマンさんも会場に居られたのですが
私が写しているのを優しい目でご覧になられていました。
SLに対する思い入れを感じました。
大震災が無ければ拝見できる機会は無かったと思うと複雑でした。
Tシャツの絵柄と繊細なタッチに感動しました。
唯、残念なことに写真では・・・
お母さまも気に入られるデザインも有りますね。
多分、お召しになられると思います。
拝見していて好いものは好いなあが実感でした。
西陣の織物が下火になったことに伴って染色の仕事も減りました。
今は織屋さんも染色家さんも新しい製品の開発に
取り組んでおられます。
そしてそれらはアメリカやヨーロッパにも輸出されているとのことです。
読み捨てになさって下さいね。
コスモスさんへ
ハイ、ありがとうございます。
西陣織のネクタイ、今も大切に持っています。ずいぶん前に買ったものですが、”ここぞ!”というときにしか着用していません。でも、どちらかと言えば季節としては”秋”がベストのデザインです。
オッと・・・、どうでもいいことでした (^_^;;!
では、失礼させていただきます。
投稿: コスモス | 2011年8月24日 (水) 23時12分
初め、「キンボシ」って読んでしまいました
「キンセイ」なんですね~全然知りませんでした
今もこんな寝台列車があったら楽しそうですが・・・
やっぱり時代は高速化、新幹線には負けてしまうでしょうか
早朝から楽しめる高速バスも結構お気に入りなんですけど、なかなか最近は乗っていません
確かに周りに九州出身の方、結構いらっしゃいますよね
なぜ途中の大阪など関西で止まらずに、こんな遠い名古屋まで?と疑問でした
きゃぶさんへ
廃止されてから、すでに30年近く経ちます。知らなかったとしても不思議ではないですヨ!
今ではもうほとんど使われていない、この583系電車、東日本大震災後、新幹線が不通だったとき東北本線を臨時列車が、この車両を使って走ったそうです(←ネットニュースで見ました)。
高速バスも数回利用しました。渋滞さえなければ安いですし、便利ですよね。
九州の方で、関西で就職される方も多いですヨ!女性看護師も九州出身が多いです。地元出身者よりも長く勤めてくれることが理由だと聞いたことがあります。
投稿: きゃぶ | 2011年8月25日 (木) 21時53分