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2011年8月14日 (日)

我が郷土の”英雄”!

 毎年この季節に思い出すことがあります。この時期だからこそ、我々日本人が思い出すこと、それは”戦争”。
TVは、この時期になると必ず”戦争”をテーマにした特別番組が流れますよね。それらを見るたびに、「これほど恐ろしく、愚かなことはない」と思います。
一昨日もTVで映画『硫黄島からの手紙』が放映され、途中からでしたが見ていました。多くの若者はもちろん、オリンピックの金メダリストでさえ、戦争によって命を失いました。

 私の母方の祖父は近衛兵(近衛歩兵第四連隊)としてマレー半島へ出兵し、マレー沖の海で負傷した兵士を乗せた赤十字船に乗っていた時、当時の条約で『決して攻撃してはならない』赤十字船が理不尽にも攻撃され、還らぬ人となりました。

 しかし、戦後28年の1972年、グアム島で潜伏生活をしながら奇跡的に生き延びて発見された”元日本兵”がいました。
その方の名前は”横井庄一”氏。
「恥ずかしながら帰ってまいりました。天皇陛下から頂いた小銃はちゃんと持って帰りました。」の言葉は、あまりに有名です。
ご存知の方もいらっしゃるでしょうし、若い方でも名前ぐらいは知っていることでしょう。

 私のブログを古くから読んでくださっている方には、もうすでにご存知の話ですが、そうでない方のために・・・!

実は・・・、横井庄一さん、私が暮らしている街の出身なのです (^o^)!小学校の大先輩なのです。まさに、『郷土の英雄』なのです (^_^)!

横井さんが発見された時、私は「ジャングルの中で28年も、生き延びてきたの?」と驚きました。そしてその方が、我が地元出身の方だったことに、2度目のビックリ!さらに・・・、横井さんが地元・名古屋へ凱旋した際、新幹線ホームで彼を待ちうけ、着物を着て花束を手渡して歓迎した女の子・・・、当時のクラスメイトで、しかも隣で一緒に席を並べていたのです (^o^)!
これで3度目のビックリ!その日の出来事は強烈に印象強く、心に残っています。

→ http://dsching.cocolog-nifty.com/bohemien/2010/08/post-b5c1.html

この横井さんの記念館が地元にオープンしています。『横井庄一記念館』です。毎週日曜日10:00~16:30のみ開館で、入館料は無料です。
そこで先週、こちらを訪ねてみることにしました。

呼び鈴を押すと、ドアを開けて出迎えてくれたのは、横井さんのご夫人の美保子さんでした。挨拶をし「見させていただいてもよろしいでしょうか?」と、中へ招き入れていただきました。

展示物そのものは、思ったほど多くはなく、グアム島で実際に使っていたものは名古屋市が管理する博物館にあるそうです。
元々器用な方であった横井庄一さん、帰国後もその器用さを生かして陶器作りや、書道も嗜まれていたようです。
実際に横井さんが作られた焼きもの(織部)の壷も展示されていました。

しかし、私が驚いたのは、グアム島での潜伏生活中に作った”機織り機(帰国後、同じものを復元したそうです)”。
”敵”に見つからないよう、密かに暮らしていた中で材料を集め、この”機織り機”を作り自らの衣服を作ったそうです。徴兵前は愛知県豊橋にある洋品店で勤めていたそうですので、その経験を生かされたのでしょう!
横井さんはこれを複製するにあたり、現地であるグアム島から材料であるバゴを取り寄せたそうです。

私は美保子夫人に「これらの写真を撮らせて頂いてもよろしいですか?」と尋ねましたところ、ご夫人曰く「インターネットなどで悪用しなければ・・・」という言葉が返って来ました。
以前ここを訪問された方が、撮影した写真をネット上で悪用したそうです。
私はもちろん「そのような悪用はしません」と確約し、ほんの少しだけ写真を撮らせていただきました。

横井さんの兵隊時代の写真、帰国後の肖像画、著書・・・
隣の部屋には、グアム島で潜伏していた洞穴(ほらあな)の中を再現した様子が展示されていました。さらに、その洞穴の断面図がありました。
実に良く出来ていました!通気口があり、排水孔も原住民に見つからないよう、草木で覆っていたそうです。排泄物も、今で言う”水洗トイレ”のように流れるようにしていたそうです。

器用さもさることながら、頭の良さもあったでしょう。そして何よりも強い精神力。でなければ、28年もの長きにわたって生き永らえることができたでしょうか?!ご夫人もそのように仰っていました。

ご夫人に、当時小学生だった私が覚えている、横井さん帰郷時の地元の様子を話しましたら、とても喜んでくださいました。また、横井さんの母校でもある我が小学校が創立百周年ということもあり、その年の文化祭でグアム島で使っていた道具などを無償で展示してくださったことを話しましたら、「それは知らなかったです。初めて聞きました。」とのことでした。

美保子夫人は展示されている部屋だけでなく、庭が見えるお部屋も案内してくださいました。そこには横井さん自ら筆をとられた書もありました。
グアム島で戦後28年に及ぶ過酷な生活、帰国後は有名人となり「自宅にいる時だけが、心休まった」ようです。横井さんにとって心休まる場所、庭が見えるこの部屋だったのでしょう。庭には大きな鶴の置物がありました。横井さんの母上様のお名前が「つる」さんだったそうです。

*記念館内で数枚写真を撮らせていただきましたが、以前悪用されたことがあるそうですので、写真掲載は差し控えました。
名古屋やその近郊にお住まいの方、関心ありましたらぜひ訪れてみてください。毎週日曜日のみのオープンです。

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コメント

慕辺未行さん
 おはようございます(^・^)
横井庄一さんのことは当時新聞で拝見していました。
「恥ずかしながら・・・」が一時流行語のようになり
その言葉が一人歩きしているようで
残念な気がしていたのを覚えています。

 慕辺未行さんのブログで拝見して
あの方の偉大さを改めて知ったように思いました。
慕辺未行さんの仰るように誇るべき郷土の”英雄”ですね。
 今だからこそ、こうしてブログでご紹介されることは
意義有ることだと思います。
 人間は喉元過ぎれば熱さを忘れる。
好い場合も有りますが、過去の愚かな戦争は決して
忘れてはいけないことだと思います。
誰一人として幸せにはしてくれない戦争を。
 前にも書きましたが「戦争は絶対にしたらあかん」の強い母の言葉を思い出します。


コスモスさんへ

帰国直後の第一声でしたが、当時の横井さんの頭の中はまだ戦時中の思想が残ったままだったからでしょうね。潜伏生活中も、戦争が終わったことはご存知だったそうですが、その後の日本については知る術もなく、まさに『浦島太郎』のような状態だったと思います。
写真掲載していませんので、お見せできないのですが、現地にあるだけの材料で機織り機を作ってしまうのですから、「スゴイ!」としか言いようがありません。
他にも魚を捕る仕掛けも手作りし、さらにはネズミやカエルまで食料にされたそうです。もちろんそれだけではなく、木の実なども少しずつ採って来ては食べていたそうです。
帰国後は”耐乏生活評論家”として、全国あちこちで講演したり、その人柄に触れられた人々も多かったことと思います。
横井さんがお亡くなりになって、14年近く経ちます。もし今もお元気であるならば、96才になるはずです。横井さんのことを全く知らない世代も増えてきています。だからこそ、「このような方がいたんだよ」と少しでも語り継がれていってほしいと思います。とくに、地元の子供たちにここを訪れ、知ってもらいたいです。

ブログへのコメントです (^o^)/

『お盆のお施餓鬼の日の南禅寺塔頭「天授庵」』
お盆ですね。亡くなられたご先祖様たちが、この時期だけは一斉に帰ってきてくださいますね。
我が家も仏壇や遺影にお供えとお酒(発泡酒ですが…)を!でも、父はともかく祖父母は今の我が家は生前知らないし・・・?
ちゃんと帰って来てくれたかナァ・・・(・_・?
桔梗の花、綺麗に咲いていますネ (^o^)!”まんじゅう むっちゃん”、いいじゃないですか w(^o^)w?!まん丸お顔、可愛らしかったと思いますヨォ (^o^)/!

『京都市内の魔界を歩く (その1)』
”魔界”と聞いて一瞬「ドキッ!」としました (^_^;;!
でも私はこういう話は好きなほうで、ついのめり込む質なのです。ただ残念なことに、私自身に霊感が全くないのですよネェ(笑)!
子育て飴の話は、私も読んだことがあります。鬼子母神に六道も、記憶はさびれつつありますが、昔聞いたり読んだりしたことはあります。
いずれにしても、精霊やご先祖様の霊ならともかく、いたずらな霊や魑魅魍魎は、ご遠慮願いたいです (^_^;;ヘヘッ!

投稿: コスモス | 2011年8月15日 (月) 07時38分

途中までのお話は聞き知っていますが、
記念館のことは初耳です。
まだ美保子夫人は健在なのですね。
横井さんの事を伝える人があってよかったです。
近いので行きたい気もしますが、なかなか決心が
つきません。
ルバング島のツアーもあるようですが、何だか
不謹慎のような気がします。


matsubaraさんへ

記念館は、オープンから5年ほどしか経っていません。最初は市が管理する話もあったそうですが、理由あって美保子夫人やボランティアの方々が管理されるようになったそうです。
横井さんのことを一番よく知る方だけに、多くの人に伝えてもらいたいですね。
時々、地元の中学生がボランティアでお年寄りのご自宅を訪ねることがあり、ご夫人のところへも何度か来られたそうです。「その中学生たちは、横井庄一さんのこと、知っているのでしょうか?」と尋ねましたら、「いや、全く知らないですよ」と答えられました。教師でさえも、知らない方がいたそうです。
せめて地元の人々には、もっともっと知ってもらいたいものです。
ルバング島は、小野田さんが発見された島でしたよね。

投稿: matsubara | 2011年8月15日 (月) 09時30分

横井庄一さんのご帰国の様子は
覚えています。
でも故郷が名古屋だった事は今は忘れていました。
小学校の大先輩なのですね。
本当に「郷土の英雄」ですね。
戦後28年の潜伏期間、長い長い年月だったでしょうね。
ご帰国後はテレビでも良く拝見したような気がします。
美保子夫人がご健在なのは嬉しい事ですね。
多くの方が訪問されて愚かで悲惨な戦争を見聞きし
考えて欲しいと思います。
「硫黄島からの手紙」は私も以前見ました。


すみれさんへ

当時の地元のフィーバーぶりは、今も忘れません。何しろ、席を並べていた女の子が花束を持って出迎えていたのですから、驚いたの何の・・・でした。
『浦島太郎』のような状態で帰国されたものの、順応は早かったそうです。しかしその一方、贅沢は嫌いな方で、中学生のお弁当を見ては文句を言っていたこともあるそうです。これはクラスメイトだったこのお母さんから、私の母が聞いた話です。
この付近は、かつては田んぼだったところがどんどん開発され、団地や住宅がとても増えました。古くからの住民だけでなく、新たにこの地へやってきた住民のほうが多いでしょう。それ故、横井さんのことを知らない人、名前は知っていても出身地が近くであること、知らない人も多いでしょう。
ご夫人がお元気で健在ですから、もっともっと横井さんのこと伝えていってほしいと思います。特に、地元の子供たちに!
『硫黄島からの手紙』に出てくるロサンゼルス・オリンピックの馬術競技、金メダリストのバロン西こと西竹一氏。近衛兵だった祖父が残したアルバムに、『西中尉の馬術』と写真が残っていました。

投稿: すみれ | 2011年8月15日 (月) 11時59分

慕辺未行さんへ
こんにちわ
横井庄一さんのことは よく覚えております
慕辺未行さんとは いろいろな面でご縁のある方だったのは初めて知り驚いています
28年間もジャングルの中で一人で生きてこられたのは横井さんの凄い生命力と底知れず器用でアイディアマンだったことも否定出来ません
それと信念の強健さにも敬服です
昨夜のNHKスペシャル「円と戦争」を見ましたが 政府の秩序が全く及ばない軍部の独走ぶりに厭きれ果てました
高橋是清など命掛けでも守れなかったことは今後も起きないか心配です


古都人さんへ

今から40年ほど昔のことですが、当時は大ニュースとなっていましたよね。それこそ『奇跡』と讃えられていたように記憶しています。
そうなのです。直接のご縁ではありませんが、我が地元の偉大なる方です。この記念館へも、マイカーで5分ほどで行くことができます。
美保子夫人も、同じことをおっしゃっていました。生命力と精神力、頭の良さ、器用さ・・・、とにかく見つからないよう常に細心の注意を払って暮らしていたそうです。
帰国後は、順応性も早く、その頃の生活に慣れ始め、いつしか”耐乏生活評論家”として、TV出演したり、講演したりしていました。私も横井さんの著書『サバイバル極意書 もっと困れ』を読んだことがあります。その本には、グアム島で生き抜いた知恵も紹介されていました。
すぐ近くの国で、あからさまに「いつでも戦争を始めますよ」という態度を示している国もありますし、他国の領海や島ををことごとく「元々、我が国のものだ」と突然言い出す国もあります。無意味な戦争を起こされるようなことだけはないように、世界中が監視しなければ!と思います。

投稿: 古都人 | 2011年8月15日 (月) 15時35分

28年間もよく孤独に耐えられたと、精神力の強さにはびっくりしますね。そして生き抜くためには様々な知恵があったからだと思います。ただ、出てくることができない、と思わせた戦中の教育に一番恐ろしさを感じるのは私だけでしょうか。
横井さんは立派な方です。でも、横井さんのような英雄が出てはいけない。愚かな戦争によって奪われた大切な青春を取り戻すことはできないのですから。
ご夫人がお元気でいらっしゃることは嬉しいですね。


agewisdomさんへ

最初から一人だったわけではなく、何人かの仲間とともに潜伏生活を始めたそうです。しかし全員が生き延びることができるはずはなく、1人亡くなり、2人亡くなり、やがて・・・横井さんよりも年下の兵士も皆亡くなり、発見される数年前から1人になったそうです。
ジャングルの中の洞穴、湿度が高く真夏はとんでもなく暑かったそうです。かといって昼間は人目につきますから、外へ出られず、それも苦しみの一つだったそうです。
横井さんは終戦は知っていたそうです。『出て行けば、脱走兵の嫌疑がかけられ、処罰を受けると思っていた』と、何かの折に聞いたような気がします。
確かに、戦時中の教育や思想が、このような厳しいジャングルでの生活を強いたのかもしれませんね。
戦争によって多くの尊い命が奪われ、また生きて帰って来られた人々も、心に深い傷を負って帰って来たと思います。
兵士だけでなく、広島や長崎では原爆によって多くの一般市民がなくなり、被爆したことによって今も苦しむ人もいます。
確かにもう、横井さんと同じような”英雄”は、決して出てきてはいけないですね。そんなことは二度とあってはならない、私もそう思います。

投稿: agewisdom | 2011年8月15日 (月) 21時00分

おはようございます(^・^)
 戴きましたコメントのお返事ですgood
桔梗の花は綺麗ですね。
お花もこの厳しい暑さに可哀そうすぎますね。
人間は少しでも涼しい場所を探して移動できますが
お花は・・・
 慕辺未行さんの祖父母様はちゃんと今のお住まいを
ご存じでお帰りになっておられると思いますよ。
そして慕辺未行さんがお母さまとご一緒に生活されている姿に
「偉い、頑張っているなあとお褒めにならているかも(*^。^*)
応援されていると思います。

 ”魔界”は私も好きな方で
歴史に基づく話に特に興味があります。
人間の怨念や子供に対する深い愛情は
今も昔も変わりませんね。
今回も数か所廻っていますが、同じような思いをしました。

 読み捨てになさって下さいね


コスモスさんへ

ハイ、ありがとうございます。
では、失礼させていただきます。

投稿: コスモス | 2011年8月16日 (火) 07時46分

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