思い出の『青函連絡船』
『望郷列車写真館』というカテゴリーですが、今回は『船』をテーマにさせていただきます。
と言っても『青函連絡船』ですから『海の鉄路』ということで、かつての国鉄時代の列車同様の扱いです。
このブログ記事をお読みくださっている方々の中にも、一度や二度は利用された方もずいぶんいらっしゃることと思います。
青函連絡船は『青函トンネル』の開通に合わせ、その役目を終えました。1988年3月13日です。この日、海底トンネルとしては世界最長のトンネルが開通しました。と同時に、本州と北海道を結んだ『青函連絡船』は、その長い歴史に幕を閉じました。
船内の様子は、他の大勢の乗客のこともあり、ただの1枚も写真はありませんでしたが、連絡船そのものの写真は少しだけありました。
それらの写真、懐かしい思い出とともに、ここに紹介します。
”大雪丸”です。”JNR”が国鉄の証ですネ (^_^)!
この中に私が当時お付き合いしていた女性が写っています (^_^;;ヘヘッ!だぁ~れだ?
こちらは、廃止直前の正月に北海道を旅した帰りの連絡船からの撮影。
青函連絡船、私にとっては”青春時代の旅の思い出の1コマ”です。なにしろ10回以上、北海道を訪れていますし、そのほとんどが連絡船利用でした。行き帰り合わせれば20数回利用したと思います。
あの4時間強ほどの渡航時間、その時その時で色々な過ごし方をしたでしょう。
まだ誰も連れがなく、一人さびしく夜行列車の睡眠不足を解消すべくザックを枕に横になったり、時には旅の途中で知り合った数人の旅仲間とともに、楽しく過ごしたり・・・(^_^)!
初めて北海道へ行ったときの帰りは、ナ・ナ・ナント・・・とても綺麗な女性と一緒に乗船したのでぇす w(^o^)w!
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コメント
懐かしいですね。私も込み合った船室で窮屈なごろ寝をしたこと覚えています。夜行で行っていい加減眠いのに眠れず疲れましたっけ。
agewisdomさんへ
青函連絡船が廃止されて、もうすでに23年・・・!ホント早いものですネ!
青森を朝出発する船は、シーズン中は夜行列車でやって来た旅行者で込み合っていました。それでも狭いスペースを確保して、横になったものです。眠れはしませんでしたが・・・(^_^;;!
帰りの便も、当時のバックパッカーにとっては当たり前に利用する上野行きの夜行急行『八甲田』に接続する船は、やはり混んでいました。そして青森に到着すると、誰もが座席を確保しようと、一目散に列車のホームへと走ったものです。
投稿: agewisdom | 2011年5月14日 (土) 22時57分
そんなに北海道に行っておられたのですか。
Saas-Feeの風は学生時代に道内一周をしてから、
その次に行ったのは何十年も後のことでした。
学生時代に行ったときは大阪駅から朝8時頃の発車だったかな、
特急白鳥に乗って青森まで行って、
到着は真夜中だったと思いますが
4時間かけて早朝の函館に着きました。
ですから青函連絡船の写真も、
デッキに出て撮った写真もありません。
航行中の外は真っ暗ですからね。
Saas-Feeの風さんへ
そう・・なんですヨォ (^_^;;!
初めて北海道へ旅したのが、今からちょうど30年前の夏。そして翌年の冬、GWに夏そして秋、さらに翌年の夏・・・、’80年代はほとんど毎年のように訪れていました。
当時、このような旅人は”北海道病”と言われたものです(笑)!
風さん、”白鳥”で青森までは、ちょっと贅沢(?)ですヨォ!その頃、周遊券では特急は乗れなかったでしょうから!大阪からは急行”きたぐに”で青森まで来る旅人が多かったです。
連絡船での過ごし方は、青森に到着する時間、そして帰りの出発する時間によって、違ってくるでしょうね。私はほとんど往復とも夜行急行『八甲田』を利用していましたが、ごく稀に寝台特急を利用したこともあります。
投稿: Saas-Feeの風 | 2011年5月14日 (土) 23時24分
青函連絡船は一度も乗船した事がありません。
4時間強ほどの渡航時間だった事も初めて知りました。
船旅も思い出多いものでしょうね。
素敵な思い出がありそうですね。
北海道へ10回以上もお出かけとは羨ましいです。
カテゴリーに北海道が加わりそうですね。
すみれさんへ
青函連絡船とは御縁がありませんでしたか?!
今や日本全国、トンネルや橋で結ばれて、船に乗る機会そのものが減ってきていますよね。
北海道へは確かに10回以上出かけていますが、そのほとんどが20年以上前、いや30年近く経ちますから、いくら『古い旅日記』でもちょっと・・・(-_-)ウーン!
当時の旅の行程とメモノートは保管してありますので、それらを参考に書けないこともないのですが・・・、よほどネタに困ったら、考えてみます (^_^)!
投稿: すみれ | 2011年5月15日 (日) 00時22分
おはようございます(^^♪
慕辺未行さんの青春時代
少し切なく、素敵な青春時代を過ごされたのだなあの
感慨をもって拝見しました。
思い出が綴られているだけに単なる風景写真には見えませんね。
若き日の慕辺未行さんの心も映っている
そんな気がしました。
青函連絡船には乗ったことは無く、映像で最後の出向を感慨を持って見た覚えは有ります。
私の北海道は退職記念にツアーで9日間でした。
勿論飛行機を利用して。
私の場合は旅行ですね。
慕辺未行は正しく”旅”です。
私も、すみれさんと同じ気持です。
カテゴリー”北海道”を是非作って下さいね。
思いでの写真と共に拝見したいです・・・。
コスモスさんへ
コスモスさんも、連絡船とは御縁がなかったのですネ!
中の様子の写真がないのが残念でした。あれば紹介できたのですがネェ!
行きはまだ連れがいないことと、夜行列車で到着後ということもあり、船内では横になっていることが多いのですが、帰りは旅の途中で出会った人が必ずいますので、1人で乗るということはほとんどなく、船内でも皆で楽しんでいました。
北海道ももうずいぶんご無沙汰していて、最後に行ってから10年ほど経ちます。その時はフェリーを利用しました。
もちろん飛行機で行ったこともありますヨ!
カテゴリー『北海道』ですか・・・(-_-)ウーン?海外の旅日記ほど詳しいメモは残っていないですからネェ・・・!
どうにもネタに困ったら・・・検討してみます。
ブログへのコメントです (^o^)/
『可愛いベゴニアの花は如何ですか』
ベゴニアは本当に種類が多く、同じ”ベゴニア”の名前がつくのが不思議なほどです。
一つ一つの花だけを拝見しますと、バラの花のようにも見えますネ!汗をかいている子は、水をもらったばかりだったのでしょうか?それとも、カメラを向けられ本当に (^_^;;(^_^;; となったのでしょうか (^_^)?!
この地方では”なばなの里”にある”ベゴニアガーデン”が有名です。開園当初、初めて訪れたとき、質・量ともに圧倒され、思わず歓声を上げたことを覚えています。
投稿: コスモス | 2011年5月15日 (日) 05時45分
↑の風さんと同じで
学生時代に青函連絡船に乗りました。
やはり同じく夜行便でしたので
写真はありません。
ここで拝見できてよかったです。
matsubaraさんへ
夜行便の連絡船は乗ったことがないです。青森に朝到着して昼前に函館着、函館からは19時台(だったと思います)の船で出発し青森から夜行急行に乗る、というパターンでした。
偶々見送る機会があって撮っていたのと、廃止される前の年末年始に北海道へ行きましたので、その時ばかりは少し撮っていました。中の様子、撮っておけばよかったと今さら残念に思います。
投稿: matsubara | 2011年5月15日 (日) 10時25分
青函連絡船、まさに慕辺未行さんにとっての
青春の思い出・・・ですね
当時お付き合いしていた女性の写っている
写真などは、本当に若き日の一コマですよね。
北海道には10回以上も行かれたのですか?
すごい!!
実は私は、まだ北海道にも沖縄にも
行ったことがありません~
hananoさんへ
これは意外でした。旅がお好きで、海外へも何度か出かけられているようですから、北海道も1度や2度は行ったことがあるように思いました。
連絡船に乗ると北海道の旅の始まり・終わりでしたから、写真を見ると感慨深いものがあります。
まさか私も10回以上行くとは思ってもみなかったですが、でももっと数多く行っておられる人も、たくさんいますよ。
沖縄は、実は私も一度も訪れたことがありません。
投稿: hanano | 2011年5月15日 (日) 16時30分
青函連絡船、懐かしいのデス
このマークも見覚えがありますよぉ
でも自分で乗ったことはあれど、見送った覚えはないので、港から出向する姿は新鮮です
大きいのでそんなに揺れないのに、函館に近づくと外海なせいかとてもゆらゆら揺れて、間違いなく酔ったものです
北海道は何度行っても良いですよね~
私も大好きです
遠くてなかなか行けないのですが
きゃぶさんへ
青函連絡船は一つ一つ名前が付いていて、それによってマークも違っていたかもしれませんネ。大雪丸、羊蹄丸、摩周丸・・・などの名前は何となく覚えていますが、他は???
そうですよねぇ、連絡船を見送ることなんて、なかなかないですよネェ!偶々ちょっと機会がありましたもので (^_^;;!
比較的揺れの少ない船ですが、天候によってはかなり揺れることもありましたね。でも私は酔うことはなかったです。
10年ほど行っていませんが、旅番組で北海道が出てくると、つい懐かしく思い出します。
今は、飛行機利用でひとっ飛び!の時代ですから、夜行列車に揺られて、連絡船に乗り、やっとたどり着いた北海道!ホント、遠かったです。
投稿: きゃぶ | 2011年5月15日 (日) 16時49分
乗ったことがないのよね~
乗りたかったのですけどね~残念だ~
今は無き 航路を胸に 酒飲むや(青龍酔肴)
おっなかなかいい感じ。
青龍○段さんへ
あれっ?青龍さんも!「乗ったことがありません」というコメントの方、皆関西在住だ!関西からですと、北海道より四国・九州のほうが近いからかナァ?
ブログに書くことで、懐かしい思い出が甦るのですが、酒でも飲みながら振り返ると、「昔の旅は良かったなぁ~!」と思うのです。
投稿: 青龍○段 | 2011年5月15日 (日) 18時24分
初めて北海道へ行ったのが、青函連絡船が廃止されて
10年以上も経ってからですので、当然のことながら青函
連絡船に乗ったことはありませんが、鉄道つながりって
ことで興味はあります。
今でも青森と函館に残されている八甲田丸と摩周丸に
乗って当時の様子を想像するしかないですね。
Junjiroさんへ
おっと、ジェネレーションギャップです (^_^;;!
そうでしょうねぇ。連絡船がなくなったころ、Junjiroさんはまだ子供だったでしょうか?
青森と函館には残されているのですか?!八甲田丸というのも、確かありました。
本州と四国を結ぶ”宇高航路”は御存じですか?瀬戸大橋の開通とともに消えましたが・・・。
投稿: Junjiro | 2011年5月15日 (日) 18時51分
おはようございます(^^♪
コメントのお返事です
”なばなの里”は私も障害者施設から、一度だけ、マイクロバスで行きました。
遠くて往復の時間がかかり過ぎて・・でしたが、広さとお花の多さと綺麗さにびっくりしました。
丁度コスモス(^_-)が真っ盛りの頃で、私を熱烈歓迎かなあ
確かにベコニアの認識は変わりましたね。
豪華なお花が多くなりました。
花色も花姿もさまさまです。
大汗をかいているベゴニアはキット
私に見つめられて恥ずかしかったのだと思います。
それから、改めて青函連絡船の思い出を拝見しました。
やはり、文章力に長けておられますね
愉しくて、引き込まれました。
読み捨てになさって下さいね
コスモスさんへ
ハイ、ありがとうございます。
では、失礼させていただきます。
投稿: コスモス | 2011年5月16日 (月) 05時29分
無事、たどりつけました~~!!
私も北海道が大好きで、初めて一人旅で北海道へ行ったときに青函連絡船に乗りました。
なつかしい思い出です(年がばれますね・・・)
ヒマラヤでのトレッキング、本格的で感心しながら拝見しました。
機会があったら私もぜひチャレンジしてみたいです。
みーこさんへ
早速のご訪問、ありがとうございます (^_^)!
飛行機を使えば北海道までほんの数時間ですが、それ以上の時間をかけて連絡船は青森~函館間を結んでいたのですよネ!それだけに感慨深いものがあります。
ヒマラヤ・トレッキングからもう20年近く経ちました。エヴェレスト街道は、ずいぶん変わったようです。山の中とは思えない素敵なロッジがあったり、人々の暮らしも変わってきているようです。一方で、地球温暖化の影響で氷河がかなり失われたそうです。
機会あればぜひヒマラヤをもっと間近に、トレッキングにチャレンジしてみてください。
投稿: みーこ | 2011年5月29日 (日) 14時42分