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2011年3月 2日 (水)

待っていてくれた列車

 『慕辺未行 古い旅日記』も、そろそろネタ切れです (^_^;;アセアセ!
とはいえ、海外旅行をメインに書き綴りましたので、国内のこともと思うのですが、しかし国内旅行の場合、リアルタイムの情報が好いでしょうし・・・(-_-)ウーン!

それはさておき、とりあえず古いアルバムや旅のノートを引っ張り出し、「何かネタはないか?」と探していたところ、旅の行程を書き残したノートに面白いメモを発見 (^o^)!「そういえば、あったあった!」と思い出しました。
信じられないような話であり、都会では絶対にあり得ない話。でも実際に、私が体験した事実です。

皆様は、列車に乗り遅れそうになった時、どうなさいますか?頻繁に列車が行き交うところなら、次の列車を待ちますよネ!しかし、1日にほんのわずかしか走っていない路線、1本乗り遅れたら次の列車は3~4時間後!というところだったら、どうされますか?仕方なく、諦めますよネ!・・・ふつうは!?

時は、今を遡ること30年ほど前、JRがまだ国鉄の時代だった頃です。当時まだ二十歳だった私はゴールデンウィークに北海道へと旅し、内陸部の過疎の街”朱鞠内”を訪れました。朱鞠内は、今はすでに廃線となっていますが、函館本線の深川駅と宗谷本線の名寄駅を結ぶ深名線というローカル線の途中駅でした。近くには朱鞠内湖(人工湖)があり、冬の間は極寒のあまり凍結し、春暖かくなると凍結した湖面が盛り上がり、一気にひび割れる現象が起こるそうです。
この朱鞠内に、言葉は悪いですが本当に鄙びた旅人宿がありました。外見を見た限りでは、とても宿とは思えないような、粗末な民家宿です。経営者も勝手気ままにしていました。私はこの宿へその冬初めて訪れ、ゴールデンウィークに再訪してしまいました。そこで、印象深いある事件が起こったのです。

私がその宿に泊まった翌日、札幌から夜行列車に乗る予定で夕方、その宿を出るつもりでした。その宿の最寄り駅は『湖畔』という乗降場。『駅』ではなく季節だけの臨時の『乗降場』。
私はその『乗降場』から名寄発朱鞠内行きの列車で朱鞠内駅へ。そして朱鞠内発深川行きの列車に乗り換えるつもりでいました。宿のヘルパーの”チャリンコ”君が『湖畔乗降場』で見送ってくれることになりました。そして列車がやって来ました。が・・・、停車する気配はなく、そのまま通過!私もチャリンコも、唖然呆然・・・。しかし、それもそのはず!その日は5月6日。列車はゴールデンウィーク中は停車したものの、それを過ぎたこの日は停車しなかったのです。

「アッ?そうか!しまったぁ~!」と思った時、列車はすでに朱鞠内駅へと向かい、深川行きの列車へ10分ほどで連絡します。深川行きのその列車に乗らないと、その日の札幌からの列車に間に合いません!つまり、予定している日に帰れないのです。ホント、ヤバいです・・・。見送りに来ていたチャリンコも慌てて、そして「とりあえず急いで宿へ戻ろう」と言って、宿へと戻りました。

宿に戻るとチャリンコはすぐに朱鞠内駅へ電話しました。そして・・・、「ハイ、すぐに行きますので!お願いします!」と言って電話を切り、大急ぎで私を50ccのバイク(カブ)に乗せ朱鞠内駅へと走りました。この時、朱鞠内発深川行きの列車はまさに出発直前の時間!宿から朱鞠内駅までは、たとえバイクでも10分はかかる!私は「本当か?大丈夫か?!」と思いつつも、チャリンコの言葉を信じてカブの後ろに座り、朱鞠内駅へと向かいました。

定刻通りなら、深川行きの列車は既に出発しているはずでした。しかし、我々が朱鞠内駅へ着いたとき、その列車はまだ…そこに留まっていたのです (゚O゚)オォーッ!
チャリンコに送られた私は彼への挨拶もそこそこに、とにかく駅員に「急いで、急いで!」と促されるまま改札を抜け列車へと飛び乗りました。私が列車に乗るとすぐに扉は閉められ、列車は出発しました。

私は本当なら乗れなかったはずの列車に、奇跡的に乗ることができました。列車内には、ほんの少しの乗客がいました。皆、地元の方のようです。私のせいで列車を遅らせたので「すみません」と頭を下げると、「いいさぁ、いいさぁ!」とニコニコしながら許してくれました。そして次の駅で停車中に、運転士の方にもお詫びとお礼を言うと「大丈夫!深川には定刻に着くから!」と仰っていました。10分ほど遅れて出発したのに・・・?しかし、その運転士の言葉は本当でした。

私は深川駅から接続する札幌行きの特急・ライラック号に無事乗ることができ、その旅を終えることができました。

すでに廃止された北海道のローカル線での出来事です。今から30年近い昔に私自身が実際に体験したことです。皆様はこのような体験、類似した経験、おありでしょうか?私にとっては今も忘れえぬ、貴重な体験であり思い出です。

Img170
函館本線を走るSL三重連『ニセコ号』。(本文とは関係ありません)

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コメント

こんにちは。
なんと素晴らしい人情溢れる旅物語ですね。
しかし、とっさに機転を思いついたチャリンコ君は大学生でしょうか?
朱鞠内は、どう読むのでしょうか?アイヌ語ですね。
最後の三重連SLは素晴らしいです。この旅行での撮影ですか?


seiboさんへ

この時の体験は、今でも忘れられない貴重な思い出です。日本の鉄道と言えば、悪天候や事故などの事情を除けば1分の狂いもないほどダイヤどおりに走ることで有名ですよね。それだけに『信じられない・あり得ない』体験でした。
チャリンコは、自転車で日本一周目指している一つ年下の旅人で、この時は冬からヘルパーとしてその宿を手伝っていました。とっさの機転というより、「前にも一度、同じことがあった」と言っていたような・・・!
朱鞠内は『しゅまりない』と読みます。元はアイヌ語でしょうね。北海道は『~ない』『~べつ』『~ほろ』『~っぷ』・・・という地名が多いですが、ほとんどアイヌ語由来の地名のようです。
SLの写真は、高校生の頃に読んでいた鉄道雑誌から購入したものだと思います。

投稿: seibo | 2011年3月 3日 (木) 03時13分

いいですね。そういう雰囲気。人情たっぷりな風景。杓子定規でない考え方。今の社会ではありえない感じですが。


hannaさんへ

この体験は、今考えても『あり得ない』体験だと思います。まがりなりにも『国鉄』ですから!その国鉄を自分たちのミスが原因で、10分も遅らせて出発させたのですから「信じられない!あり得ない!」です。
列車を待たせてくださった朱鞠内駅の駅長さんや列車の運転士の方、乗客の方々、皆様に感謝です。いかにもローカル線らしいほのぼのとした出来事でした。
ちなみにこの深名線、利益率は当時の国鉄の中でもワースト3に入るんじゃないかと思うほどの赤字路線だったと思います。

投稿: hanna | 2011年3月 3日 (木) 06時19分

慕辺未行さん
 おはようございます(^^♪
得難い?体験でしたね。
残念ながら私にはそんなに素晴らしいドキドキした経験は有りません。
今だから言えるのかも知れませんが、
慕辺未行さんが羨ましく思いました。
当時の皆さんの暖かい優しさに惹かれました。
そんな時代に戻る事が出来たら
物は今ほど無くても心優しく暮らして行けるのでしょうね。
 今はそんな鄙びた場所も少なくなりましたが、有れば訪れてみたいです。
それと私なら諦めて・・・です。


コスモスさんへ

事故などで鉄道を遅らせた場合、鉄道会社から損害補償を請求されると聞いたことがあります。
この場合、私のミスだったにも拘らず、当時の国鉄朱鞠内駅は、列車の出発を遅らせてまで待っていてくださいました。その時は『安堵感』でいっぱいだったでしょうが、後から考えると本当に『あり得ない』体験だと気づきました。
とくに観光地があるわけでもない、北海道の内陸部の過疎の町。冬は氷点下30℃以下にまで下がることも珍しくないほどの街でした。しかし、そこの人々はとても温かい人たちばかりでした。

ブログへのコメントです (^o^)/

『”ならまち”を歩く「格子の家」』
こういう民家、大好きです (*^o^*)!中に入った途端に、囲炉裏からほんわかと炭の匂い、畳の匂い、木の匂い・・・、できれば暮らしてみたかった!階段箪笥に竈、見ているだけで心穏やかになります。実際に訪れたなら、すごく落ち着いて、癒されることと思います。

『”ならまち”を歩く(社寺編)(庚申さんと御霊さん)』
庚申、旧暦で見聞きしたことはありますが、実際の謂れは知りませんでした。病気など、その人に降りかかる災難を猿が身代わりになってくれるのですネ。飛騨地方のサルボボも、そのようなものかナァ・・・?
お猿の腋の下の鉄線はちょっと・・・たまたまとはいえ、可愛そう・・・!
御霊神社、”ごりょう”と読むのですね。”みたま”ではなく!

『”京の郷土芸能まつり”(祇園甲部の舞妓さん)』
これまた美しくも可愛らしい舞妓さん達の優雅な舞!雅な世界ですネ!この目で見たら、惚れ惚れしてしまうでしょう (*^o^*)!
数年前、伊勢戦国時代村の芝居小屋で見た『花魁道中』を思い出しました。

投稿: コスモス | 2011年3月 3日 (木) 06時30分

とってもいい体験をされましたね。
私も鉄道ではないのですが北海道で体験したことがあります。
48年前の北海道で私はうっかり然別湖の中にカメラのキャップを落としてしまいました。
旅から帰ると自宅にキャップが郵送されていました。
あの時探してもらったのになかったので諦めて帰りましたのに・・・
本当に親切な人に出会い、感謝でした。


matsubaraさんへ

本当に思い出深い出来事であり、普通なら『あり得ない』体験として今も強く覚えています。何しろあの国鉄を、個人的かつ私的な理由で遅らせたのですから (^_^;;!
然別湖、懐かしいです (^o^)!私も行ったことがありますヨォ!そして、落としてしまったカメラキャップが届いていた…、これも素敵なお話ではありませんか!探したけど見つからず諦めた、けど、諦めずに探してくれた人がいた(のかな?それとも偶然見つかった?)からこそでしょう!
いや、それよりもすでに48年前の出来事を覚えていらっしゃったのですから、その当時の matsubara様の驚き、そして送ってくださった方への感謝の気持ち、私にも伝わって来ます。
かつて北海道の、とあるユースホステルでヘルパーをしていたことがありますが、宿泊されたホステラーさんの忘れもの、たくさんありました。問い合わせがあったものなど、持ち主が明らかな場合は郵送しましたが、しかしそれに対する返事や送料(切手代)を送ってくれる人は、半分もなかったです。人間、いつの時代も『感謝の心』を忘れずに持ち続けたいものです。

投稿: matsubara | 2011年3月 3日 (木) 17時08分

いいですね、こういうお話。
10分ほども待っていてもらえるとはすごい体験ですね。
ローカル線だと遅れてやってくる人がいたらちょっとくらい
待っていたり、一旦動き出してから急停車して再び扉を
開けて乗せたりということは何度か見たことがありますが、
さすがにこれほどまで待っているというのは見たことが
ないです。


Junjiroさんへ

20代半ばごろまでは北海道を中心に、ユースホステルやバックパッカー向けの”旅人宿”を利用しながらずいぶん旅していました。旅先にかなり偏りはありましたが…!
今考えても「まさか、まさか?」と思います。あの”国鉄”が…、ダイヤに厳しい”国鉄”が出発時刻を10分も遅らせるなんて・・・w(゚o゚)wワォッ?「信じられない!あり得ない!」ことです。それでも待っていてくれました。しかも、終着の深川駅には「定刻通りに着くから!」と運転士の方が仰っていたのです。そしてその通り、定刻に到着していました。たぶん、途中駅での上下線の列車のすれ違いの待機時間で調整できたのかも・・・?と、今さら思いました。

投稿: Junjiro | 2011年3月 3日 (木) 23時06分

なんていいお話!
すばらしい旅の思い出ですね。
30年前の日本、そして地方のローカル線には
まだこういう雰囲気や世界が残っていたんですね。
今のJRからは想像がつきませんが・・・
どこか外国の、のんびりとした、心の豊かな土地での
出来事・・のように感じます。
貴重な経験のお話、ありがとうございました♪


hananoさんへ

いえいえ・・・(^_^;;テレ!ただ偶々、時刻表を見誤ったばかりに起こったことです (-_-)ショボーン!
とはいえ、想像さえできない経験であり、普通なら絶対に『あり得ない』体験でした。
もうすでにはるか30年ほど昔のことですが、古い旅のノートを見た瞬間、その当時の様子が、まるで映画を見ているように頭の中でフラッシュバック!しました。
近年は何かと”マニュアル”を作り、それに基づいて教育する企業・会社が多いように思いますが、決してそれに囚われず柔軟な心を持った教育をしなければ!・・・と、この体験を思いだした中間管理職の私です (^_^;;!

投稿: hanano | 2011年3月 4日 (金) 00時27分

純朴な心と心の交流はほんと素敵ですね
「どうでしょう」でも北海道のド田舎が出てきます
行ってみたい(;ω;)
この民宿も、もうないのかしら?


ウンディーネさんへ

秒刻みで列車が走る大都会と違って、駅員さん達、街の人たち、皆おおらかでした。1人の旅人のために、10分も発車を待っていてくれたのですから!
この時泊まった宿、『しゅまりの宿』というのですが、今はたぶん無いのでは・・・?廃屋になった民家を買い取って始めた宿でしたから、建物そのものはかなり老朽化しているでしょうし、無くなっていても不思議はありません。新たに立て直したのなら別ですが、しかしかつての雰囲気はもう無いのでは?!時代が違いますから!

投稿: ウンディーネ | 2011年3月 4日 (金) 01時53分

慕辺未行さん
 おはようございます(^^♪
コメントのお返事ですgood
どの記事も丁寧にご覧戴いてのコメント
夜遅くに・・・だったと思います。
 心苦しいのですが左手人差し指(爪)が悪化しました。
ごめんなさい。暫くの間、”省指”でお返事させて戴きます。
 「ならまち」はもっとゆっくり歩けば好かったと思っています。
このシリーズはもう数回続きますが、もし、写真を撮らなかったらもっと心から楽しめたのでは・・・と思いました。
この事は「京の郷土芸能まつり」でも同じ事が言えます。
これも6景有りましたが、写真を撮ることで意識が半分以上?カメラに向けられていました。
来年!(^^)!はカメラを持たないで行こうと決心?しています。
 慕辺未行さんの記事が愉しいのは、元々ブログに・・では無くて記録されていた日記を記事にされているからだと思いますが?。
ご自分が充分に愉しまれている様子がとてもよく解り、読者を引きつけます。
ブログ用に・・・では無いからだと。
 ”御霊神社”は京都にもあちらこちらに有ります。
私は若い時から”みたま”と読んだことは有りませんね!(^^)!
 舞妓さんの舞は五花街の歌舞練場で今月末から4月にかけて、”○○おどり”として、催されます。
一度はご覧になられたらと思います。
雅な世界を愉しむ事が出来ますよ。
勿論、カメラは持たないで!(^^)!
  読み捨てになさって下さいねcoldsweats02


コスモスさんへ

ハイ、ありがとうございます。
指のお怪我、悪化されたようですが大丈夫でしょうか?コメントやお返事、決して無理なさらないでください。
では、失礼させていただきます。

投稿: コスモス | 2011年3月 4日 (金) 07時05分

素晴らしい体験をされましたね。
待ってくれた列車の関係者の方の心根の優しさにも
感動ですが、駅まで送っていただいた方の
機転と行動は素晴らしいです。
列車が待ってくれる、30年前はそうした事が
許される事だったのでしょうね。
素敵なお話をありがとうございました。


すみれさんへ

『信じられない・あり得ない』体験でしたが、本当なら『とんでもない』ことであり、『あってはならない』ことですよね。自己都合で10分も列車を止めたのですから (^_^;;!
国鉄からJRへと変わり、この深名線も無くなった今だからこそ、とても懐かしく感じました。
チャリンコの機転、朱鞠内駅の駅員さん、列車の運転士・・・、普通では絶対に味わえない感動が、そこにはありました。1日にほんの数本しか走っていない超赤字ローカル線だからこそ、許された出来事だったかもしれません。

投稿: すみれ | 2011年3月 4日 (金) 11時38分

鉄道もノルマに追われていなかったのでしょうclock
(時間に押しつぶされての「事故」なんて悲しいです)
地元の方の暖かい心も嬉しいですね~
私も田舎出身なので、そんなの~んびりした鷹揚な空気を懐かしく思い出しましたjapanesetea
ほんっとの豊かさですね
ともすれば自分さえ良ければ・・・の近頃
反省いたしますthink


きゃぶさんへ

国鉄からJRへと民営化され、JR各社も利益優先しなければならない今、社員教育やノルマも厳しくなっているのでしょう。その結果、最も優先しなければならない『安全』が置き去りにされ、数年前JR西日本で悲しい事故が現実に起こってしまいました。
この北海道の路線と比較はできませんが、駅員や運転士にこのようなおおらかさ、心のゆとりがあれば、あのような悲惨な鉄道事故は起こらなかったでしょうね。(←おっと、話が少しずれた・・・)
朱鞠内駅から乗っていた乗客だけでなく、出発してからの各停車駅からも少なからず乗客はいたでしょうから、遅れを取り戻すまですべての乗客の方々に迷惑をかけたのですよね。でも誰も気にしていなかったように思います。ホント、優しい人々でした。
ところで、きゃぶさん、田舎出身って・・・どこ?なんかすごく関心ある・・・(^_^)/!

投稿: きゃぶ | 2011年3月 4日 (金) 22時01分

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