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2011年3月 5日 (土)

♪竹田の子守唄♪

1.守もいやがる 盆からさきにゃ
  雪もちらつくし 子も泣くし

2.盆が来たとて 何うれしかろ
  かたびらはなし 帯はなし

3.この子よう泣く 守をばいじる
  守も一日 やせるやら

4.見ても見あきぬ お月とお日と
  立てた鏡と 我が親と

5.来いよ来いよと 小間物売りが
  来たら見もするし 買いもする

6.はよもゆきたや この在所こえて
  向こうに見えるは 親のうち

7.久世の大根めし 吉祥院(きっちょ)の菜めし
  またも竹田の もんばめし

皆様きっとご存知のこの歌、’70年代にはフォークグループ”赤い鳥”が、美しいメロディーで歌い上げていましたネ!
『歌詞が、実際の歌よりずいぶん長い・・・』と思われたでしょうが、実はこれが本当の”竹田の子守唄”の歌詞です。
この詞の裏には、当時の社会問題が隠されています。陰の部分とでも言えばよいでしょうか・・・?!
そしてメロディーも、あまり抑揚のない単調なものだったそうです。

ちなみに竹田は、”荒城の月”で有名な九州の豊後竹田ではなく、京都市伏見区竹田のことをさします。7番の歌詞にある久世、吉祥院も同じ伏見区にあります。

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コメント

歌は知っていましたがどこの歌かは知りませんでした。ただ、そういえば継父が大分の人でしたが、これは大分弁ぽくないですね。「~しちょる。」「~したけん。」みたいな物言いだったような。
「はよ」は京都らしいですものね。


hannaさんへ

”赤い鳥”がこの歌を歌った当初、この詞の裏に隠された陰の部分については、まったく知らなかったそうです。そしていつしかこの歌は、忘れ去られていきました。
守たちが歌っていたこの子守唄は、学生のころ教えてもらったことがあります。本当に抑揚がない単調な歌でした。
でも、歌には歌われていない歌詞に、深い意味があるようです。

投稿: hanna | 2011年3月 5日 (土) 22時36分

慕辺未行さん
こんばんは~♪
先日のコメントで「竹田の子守唄の竹田は京都の伏見区だ」と教えて戴きましたね。
 後から調べて解りました。
吉祥院も京都ですね。
竹田には20代に勤めていたころの同僚が住んでいました。
七瀬川に。
2~3度訪ねた事が有りますが、
確かに陰の部分は当時も少しは残っていました。
今では随分変わりましたが・・・。
教えて戴いてこの歌を聴きました。
単調で、哀調が有る曲ですね。
一度聴いたら忘れられない。
今も頭?心の奥底にメロディが住みついているように思います。
 音楽は大好きです。
どちらかと言えば、軽快なリズムより心に沁み入るメロディが好きです。
ご紹介の「竹田の子守唄」のような。


コスモスさんへ

指の具合、いかがですか?決してご無理なさらないでくださいね。
この記事は・・・、ハイ!そうです (^o^)/!いつかのコスモス様のブログ記事へのコメントで書いたこと、実際にそれを紹介しなければ・・・!と思い、この度紹介させていただきました (^_^)ニコニコ!
陰の部分・・・、お気づきになられましたでしょうか?あまり触れないほうが良いと思ったものの、この歌を紹介するに当たっては、避けては通れないのです。今から4~50年ほど前は全国各地にあった社会問題です。
私も地元名古屋市内で、その地を訪ねたことがあります。その一角だけ一種独特の雰囲気・・・、言葉にできないほどの恐怖・・・、同じ人間でありながら、なぜ・・・?その集落を訪ねたときの住民たちの視線が、酷くきつく冷たいものだったこと、今も覚えています。

ブログへのコメントです (^o^)/

『奈良県・城下町「高取」町家のひな巡り(その1)』
和紙と竹で作られた行灯、本当に温かいぬくもりを感じます。ホッと癒されます。そして立派な雛飾り!我が家は男女2人ずつの4人兄弟姉妹でしたが、何しろ貧乏でしたから全く縁がなかったです。だからこそ大人になった今、このような雛人形や端午の節句のころの勇ましい武者人形に惹かれるのかもしれません。
ウサギさんのお雛様、カワイィ (*^o^*)!来年の干支(辰)では、作れないかも・・・?!

『”ならまち”を歩く「不審ケ辻子町」』
このような寓話や伝説、大好きです。現代社会では決して存在しない”鬼”、他にも日本全国各地に伝わる民話に様々な架空の生き物が登場しますよネ!”河童”がその代表かな (^_^)?!
私は『古事記』の中の『神代の時代』のお話が大好きです。だって、現実的に考えれば『絶対にあり得ない』逸話だから!そこに夢とロマンを感じます。『古事記』の記述が事実ならば、天皇家の子孫は・・・『人間と鮫のハーフ』 (?) になってしまうぅ~!?
それにしても(←これ、私の口癖)、このような街並みや家造り、落ち着きます。

『可憐な椿”曙”に魅せられて』
椿・・・、とても綺麗な花ですが、時としてとても『忌み嫌われる花』にされてしまうのが、悲しいです。私としては、いっそ『潔い』と思うのですが・・・!?
紹介された椿、どれも可愛いですネ (^o^)!私の中の既成概念では『椿は赤』ですが、ここではまるで『乙女の恥じらい』という雰囲気のピンク色 (*^o^*)!可愛過ぎますヨォ!

投稿: コスモス | 2011年3月 5日 (土) 23時09分

竹田の子守唄は好きな歌です。
こうして歌詞を拝見すると、余計に切なく感じますね。
抑揚も無く単調なものだった事
京都市伏見区の竹田だった事も知りませんでした。
久し振りに聴かせて頂きました。


すみれさんへ

この歌、子守歌としては最も有名な歌だと思います。しかし本当は、このような世に知られていない歌詞があったのです。そして、その歌詞の裏には・・・、理不尽な差別社会が存在していたことを物語っています。
私自身も『とても美しいメロディーの子守唄』と思っていましたが、『決してそうではない社会があったのだ!』と思い知らされた歌でした。

投稿: すみれ | 2011年3月 5日 (土) 23時24分

「竹田の子守唄」、木村弓さんの歌声で
聞いたことがありましたが、
京都の竹田とは知りませんでした。
確かに、久世も吉祥院も、京都の地名ですね。
朧月夜や宵待ち草、荒城の月・・・など
本当に美しい日本語の歌ですね。


hananoさんへ

この”竹田の子守唄”、とても有名でご存知の方も多いのですが、この歌の発祥地である”竹田”が京都市伏見区の竹田であることは、地元京都の方ですら、ご存知なかったようです。
貼り付けた YouTube のような美しいメロディーではありませんが、当時の社会の一端を素直に歌った歌だと、私は思います。

投稿: hanano | 2011年3月 6日 (日) 00時10分

この詩は確かに習った記憶があるのですが、
音楽の時間か、国語の時間かは忘れました
先生は意味を言ってました
たぶん国語の時間だったような・・・


ウンディーネさんへ

音楽の教科書に、この歌が載ったという話を聞いたことがあるような気がするのですが・・・?!
でも、歌われていなかった3つの歌詞は・・・?
戦後の昭和の時代の隠された差別問題・・・、この歌の中に、歌われなかった歌詞の中に、密かに訴えられています。

投稿: ウンディーネ | 2011年3月 6日 (日) 01時03分

慕辺未行さん
 おはようございます(^^♪
コメントのお返事ですgood
丁寧にご覧戴いてあまりにも丁寧なコメント申訳なくて・・・
 うさぎのお雛さまが日の目を見るのは、12年後でしょうか?
こちらのお宅では毎年一つか二つのお雛様を手作りされているとの事でした。
 不審ケ辻子町はあまりにもマニアックな感じがして載せるのに躊躇しましたが、喜んで戴いて好かった(^。^)y-.。o○
 つばき展は毎年行われていて毎年拝見しています。
でも感動は無くて・・・
生け花は人間の創造?の世界で、自然に咲く花の美しさに一層惹かれました。
結局、展示されていた椿の花は、帰りの地下鉄の中で全て削除しました。
 花はピンクが好きです。
優しい色のピンクが。
慕辺未行さんは花粉症でお出かけは無理ですね。
花の季節に・・お気のどくだと思います。
 省指のコメントでごめんなさい。
読み捨てになさって下さいね。 


コスモスさんへ

ハイ、ありがとうございます。
では、失礼させていただきます。

投稿: コスモス | 2011年3月 6日 (日) 07時04分

聞いた記憶がありますが出所は知りませんでした。
もの哀しい歌ですね。

在所が京都では被差別部落を表すとは知りませんでした。
東海地方では、それは実家を意味しますのに・・・


matsubaraさんへ

歌そのものは広く知られているのですが、どこに伝わる子守唄かというのは、あまり知られていなかったようです。コメントを頂いた皆様も、ご存知なかったようですし。
在所が被差別部落を表すこと、私も初めて知りました。この歌の舞台が部落であることだけは、知っていました。それだけに、詞の内容が物哀しいです。

投稿: matsubara | 2011年3月 6日 (日) 08時38分

こんにちは。
この歌の舞台が京都の竹田とはまったく知りませんでした。
ましてこの歌の背景には部落問題があったのも知らなかったです。
ネットで調べると、放送禁止歌だったこともあるそうですね。
当時は70年安保闘争の時代だったんですね。


seiboさんへ

学生時代に所属していたサークルの先輩から、教えていただきました。本当はこんなに美しいメロディーではなく、悲哀に満ちた単調なメロディーを聞いたとき、驚きを隠せませんでした。ましてや、背景に部落問題があったのですから。
歌われなかった歌詞に、当時の部落の様子が表現されているそうです。
6~70年代の安保闘争、部落解放問題、詳しくは存じませんが、私が学生時代を過ごした80年代初頭は、すっかり落ち着いていました。

投稿: seibo | 2011年3月 8日 (火) 14時08分

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