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2011年3月

2011年3月31日 (木)

SL”C62 2”、『つばめ』号

九州新幹線が全通する前、新八代~鹿児島中央間を新幹線『つばめ』が走っていたのは知っています。そして先日、博多からも開通し、新たに『さくら』『みずほ』が登場したことは、すでに先日紹介しました。とはいえ、かつてのブルートレインの写真ですが・・・(^_^;;!

そして今さら遅ればせながら・・・、往年の名特急『つばめ』号をけん引していたSL”C62 2”の雄姿を紹介します。

私が高校生のころ、京都・梅小路蒸気機関車館で撮影した写真です。SL撮影だけに、あえて白黒フィルムを使ったノスタルジックな写真です。
現役引退後、ここ梅小路で余生を過ごしているSL”C62 2”。車体横の”つばめ”のマークが誇らしげです。晩年は、函館本線の”ニセコ”号としても活躍していました。

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デモンストレーションでしょうか?実際に動かし、転車台に!

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転車台が回ります。『つばめ』のマークが誇らしげです。

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方向転換し、汽笛一声噴煙をあげて・・・!

↑の 3枚の写真、ネガを見ると10枚以上にわたり、動いている様子が撮影されていました。それらをスライドにしようと考えたのですが、時間がなく・・・(^_^;;!
もう1枚、高校時代の同級生撮影の電車特急『つばめ』の写真、紹介いたします。

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こちらは、その後の特急『つばめ』号。

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2011年3月28日 (月)

世界の絵葉書 その3 ありし日の香港&中国から

 『世界・絵葉書の旅』も3回目!私宛てに初めて海外から届いた絵葉書は先日のニュージーランドのものでした。そして今回、2枚目・3枚目を同時に紹介します。

タイトルの「ありし日の香港&中国」、あえて”ありし日の”と付けたのは、この絵葉書がもう25年以上前に届いたもの、つまりその頃の香港と中国は・・・?という理由からです。

まず、その頃の香港のほんの一部分の風景、ご覧ください。その頃すでに、街はすでに発展していたようです。さすが、イギリス!

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高層ビルが建ち並び、当時の日本の都会と何ら変わりはないですよネ!もう少し前なら、ブルース・リーの映画のような街だったかもしれません。

次に、中国、北京・天安門広場の絵葉書です。人々の服装は皆”人民服”です。この数年後、”天安門事件”がこの地で起こったのですが、中国・共産党の陰謀でその事件は闇に葬られています。

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中国国内では闇に葬られた”天安門事件”の舞台となった広場です。しかし、それでいいのでしょうか?私個人的な意見ですが・・・、「いいわけないだろ!」です。
今もなお一党独裁の中国・共産党の横暴に、怒りを隠しきれません。

香港からの絵葉書は、年賀状だけは今も欠かさず送ってくれるMさんから。「はじめて日本をとびだして私は、日本のよさをつくづく思い知らされました。・・・」とありました。
中国からの絵葉書は、ポートピアが開催されていた時、神戸にあるYHで出会いその後釧路でも再会したUさんからです。”日中青年親善交流事業”というので訪問されたそうです。

いかがでしたか?ありし日の香港と中国の姿?!どちらも香港が中国に返還される前の様子です。香港はともかく、中国はずいぶん変わったことと思います。
旅仲間たちから届いた絵葉書を見て、『温故知新』という言葉をあらためて感じた慕辺未行です (^_^;;!

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2011年3月26日 (土)

世界の絵葉書 その2 ニュージーランドから

 東日本大震災から、はや2週間。亡くなられた方の数は、ついに1万人を突破してしまいました。一体どれほど増えるのか・・・?
ニュージーランド地震からも、1ヵ月が過ぎました。あの地震の際にも、犠牲となった日本人の方がいらっしゃいます。東日本大震災の陰で、ニュージーランド地震、クライストチャーチの街は今頃、どうなっているのでしょうか?そちらも忘れてはなりません。

そのような思いも込めて今回、第2回目はニュージーランドののどかな風景の絵葉書を選びました。

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ニュージーランドと言えば、やはりこのようなイメージですね。右下に英語で『羊の国』と書かれています。

この絵葉書は、今から26年前、当時兵庫県在住のSさんが学生最後の旅行で訪れた時に、私宛てに送ってくださいました。『1つ1つの出来事に感動の毎日・・・』とありました。
あの地震では、クライストチャーチの惨状が報道されていましたが、牧草地のほうは、どうだったのでしょうか?こののどかな景色が一変!なんて事がないことを、祈っています。

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2011年3月25日 (金)

長崎発 『みずほ』&『さくら』と旅の思い出

 前回、懐かしいブルートレインの写真を掲載しました。
『さくら』と『みずほ』は私自身もかつて、九州の旅の帰りに利用したことがあります。
古いアルバムを見ると、そこにはブルートレインの写真 (^o^)オォーッ!しかも、『愛称マーク』がデザイン化されていました。

「こ・これは・・・w(゚o゚)w!」と思い、あわててPCへとスキャン!前回の写真は愛称マークはまだ”デザイン化”されていなかったので、せっかくですから紹介させていただきます。
興味ある方には、大いに喜んでいただけると思いますが、それほどでもない方・そうでない方、ごめんなさい・・・m(u_u)m!少しだけ、お付き合いください。

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’80.3月、高校を卒業したばかりの私は九州をおよそ半月一人旅!仲が良かったクラスメイトは、自動車学校のスケジュールの都合で、遅れて九州へ一人旅!そしてやっと最後に長崎にて、その年の正月に南紀で知り合った女性とともに合流し、彼女のお母様のご実家に一晩泊めていただきました。
そして翌日、とびっきり笑顔が明るい彼女に手作りのサンドイッチを夕食にと、さらにお菓子をお土産にと手渡され、この『みずほ』号で旅を終えました。
『みずほ』のマークがデザイン化されています。

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翌’81年2月。再び九州を旅し、最後は長崎からこのブルートレイン『さくら』で帰ることにしました。おりしも珍しく、雪が降る1日でした。そしてその日は前ローマ法王・ヨハネパウロ2世が長崎に来られ、要人警護のため駅前をはじめ大規模な交通規制!
見送りに来てくれるはずの↑の女性友達も、交通規制に阻まれ駅前通りの向こうで足止めされたと後日聞きました。
そしてこの『さくら』で名古屋へ帰って来るはずが、豪雪のため滋賀県内の近江長岡駅でストップ。在来線に乗り換え米原駅へ、そこから新幹線で帰って来た思い出があります。
そしてもうすでにお気づきでしょうが・・・、この『さくら』号も愛称マークがデザイン化されていました。

せっかく、このカテゴリーを作ったのですから、デザイン化されている写真をと思い、当時の思い出とともに紹介させていただきました。今を遡ること、30年も前のことです (^_^;;!
懐かしさとともに当時のクラスメイトと、長崎でお世話になった彼女、「今はどうしているのかナァ?」と、ふと思いました。

そして本日、私は○○回目の誕生日でした。前回のブログへのコメント、メール、ニコタでも遊んでくれているブログ友達、お祝いのメッセージを書いてくださいました皆様、本当にありがとうございました。

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2011年3月23日 (水)

新幹線になったブルートレイン

 先日、九州新幹線が全線開通し、新大阪から鹿児島まで直通の新幹線が運行されることになりました。その名は『さくら』と『みずほ』。
鉄道ファンにとっては懐かしい名前です。かつて、東京と九州を結んでいたブルートレインの愛称復活です。『さくら』は東京~長崎・佐世保間、『みずほ』は東京~熊本・長崎間を走っていました。
若い時、九州を旅した帰り、長崎からブルートレインで帰って来ました。初めての時は『みずほ』で、2回目は『さくら』を利用しました。それだけに思い入れも少しあります。

九州新幹線に先立ち、東北新幹線も新青森まで開通し、『はやぶさ』が登場しました。しかし残念ながら、東日本大震災が発生し、一部区間しか運転していないのが現状です。
この『はやぶさ』ももちろん、かつてのブルートレイン!東京~西鹿児島という長距離を走っていました。

機関車の種類・客車は同じで、愛称が違うだけですが、鉄道ファンにとっては『違う列車』です。『さくら』『みずほ』『はやぶさ』の雄姿、ご覧ください。

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東京16:00発、寝台特急『さくら』、長崎・佐世保行き。

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名古屋発(着?)21:00でした。

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東京16:30発、寝台特急『みずほ』、熊本・長崎行き。

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名古屋発(着?)21:30でした。

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東京16:15発、寝台特急『はやぶさ』、西鹿児島行き。

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名古屋発(着?)21:15でした。

いかがでしたか?旅好きの人や鉄道ファンにはとても懐かしい姿ではないかと思います。利用された方もずいぶんいらっしゃるのではないでしょうか?

このような感じでカテゴリー『望郷列車写真館』にコレクションしていこうと思います。楽しんでいただけたら幸いです。

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2011年3月21日 (月)

世界の絵葉書 その1 タイから

 海外を旅した旅仲間たちから届いた絵葉書、数十枚あります。同じ国からのものも多数ありますが、それぞれその国の雰囲気が感じられます。そういった絵葉書を少しずつ紹介していきたいと思います。

今回は、タイから届いたこの一枚を選びました。

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お線香とハスの花の蕾でしょうか、仏様に祈りをささげています。

ニュージーランドでの地震、そして東日本大震災。多くの犠牲者が出ました。そしてたくさんの人々が避難所生活を送っています。私には何もできません。ただ祈ることしか・・・。
そんな思いが、この絵葉書のデザインと一致しました。

送り主は、かつてバンコク郊外にある大学へ日本語教師として赴任したFさん。タイは『微笑みの国』とも『祈りの国』とも云われます。まさにイメージ通りの一枚だと思います。

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2011年3月20日 (日)

ノースポールと・・・?

 先月末、ノースポールが開花しましたが、その後の様子をご覧ください。

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5つ咲いています。開花直前の蕾もいくつか見えます。

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近づいて見ると、咲いている花に続けとばかりに、たくさんの蕾が咲こうとしています。

ところで、ルナリアはどうなっているでしょうか?1月の雪で思わぬダメージを受けましたが、今はこのようになっています。

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雪にも負けず生き延びた葉は、こんなに大きくなりました。でも、花が咲く気配はまだありません。別の種類のようですが、白い小さな花が咲いているのが分かりますか?

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葉っぱの中からとても可愛い白い花が咲いています。あまりに小さくて目立たないのですが、たくさん咲いていました。何ていうお花だろう・・・(・_・)?ご存知の方、教えてください。

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頂いたときは、とても小さかった苗ですが、今では二つのプランターからはみ出すほど大きく成長しました。

ノースポールの蕾は、数えきれないほどあちこちにあります。開花寸前のものから、生まれたばかりの小さな蕾、暖かくなるにつれ、どんどん咲いてくれそうです。
そして上の写真の可憐で小さな白い花、名前は分かりませんが、こちらもたくさん咲いてくれそうです。

近々カテゴリーを二つ新設いたします。一つは海外を旅した旅仲間から届いた絵葉書を紹介する『世界・絵葉書の旅』、もう一つは私が高校時代に撮影した鉄道写真を紹介する『望郷列車写真館』です。30数年前ですので、懐かしい列車が出てくることと思います。楽しみにしていただけたら、嬉しく思います。

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2011年3月19日 (土)

何気ない日常

 これが今、どれほど幸せなことなのか、しみじみと思い知らされる毎日です。

3月11日午後2時46分東北地方で起こった地震は、私が住む名古屋でも震度4を観測するほど大きなものでした。勤務先で最初に揺れを感じたときは「あ、地震だ!」ぐらいの軽い気持ちでした。しかし、かつての地震体験に比べ長く大きい!私は思わず「机の下に潜れ!」と声を発しました。一度は揺れが収まったものの、再び・・・!

TVやインターネットで情報を集めると、震源地が東北地方だったことに驚きました。あれほどの長くて大きい揺れ!もっと近くで起こったものと思いましたから!

そして、その後の出来事は・・・今さらここで書くまでもありません。皆様ご承知の通りです。
高さ10mもの防波壁をも乗り越えた巨大津波、マグニチュード9.0という国内では過去最大級の地震!そのうえ福島第一原発も被災し、放射能漏れが発覚!スリーマイル島やチェルノブイリの二の舞を踏むまいと、懸命な作業が行われています。

そしてあれから1週間。『東日本大震災』と名付けられた今回の大災害、被災していない私にとっても決して『他人事』ではありません。いつか必ず起こるといわれる『東海・東南海大地震』、それを考えると私自身も同じ境遇になると思います。

ライフラインがすべて遮断され、救援物資も届かなくなったら・・・?色々な状況を想定しなければなりません。

水は常に4L×4本備蓄し、週一回は交換。ラジオや懐中電灯は乾電池がないと機能しないので、状況が落ち着いたら、乾電池を少し買っておこう。
カセットコンロ用のガスは、あれば便利ですが、あくまで消耗品。それに頼らない調理法を考えよう。例えば、中華鍋の内側にアルミホイルを貼り太陽に向ければ、かなりの熱を持ちます。その反射熱を利用して調理ができます。一斗缶の側面下のほうにいくつかの穴をあけ、枯れ葉や枯れ木新聞紙などを燃やせば、それも立派なコンロになるでしょう。そこへ適度な大きさの石を入れておくと、もし浴槽のお湯が残っていたときに、熱を帯びた石を入れればお風呂を沸かせるかもしれません。
蝋燭もどれほどあるか、確認しておかねば。バターにこよりをつけて蝋燭代わりにならないかな?透明の耐熱ガラスの器に入れれば、灯りとして十分使えるのでは?
他にも何か良い方法があれば今後、紹介しようと思います。また、皆様からの知恵も教えていただければと思います。

備えあれば憂いなし、ですが、乾電池やカセットコンロのボンベ、そのほかの生活必需品を大量に買い求めている人たちを見て、とても悲しくなりました。今それらが必要なのは、被災地の人々でしょ?

毎日の生活、ごく当たり前の日常、どれほど幸せでありがたいことか、今回の震災報道を見て痛感しました。そして今も被災地で言葉では表せないほどの日々、時間を過ごされている方々、心よりお見舞い申し上げます。

明日からは通常のブログ更新をしていきたいと思います。よろしくお願いいたします。

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2011年3月13日 (日)

心よりお見舞い申し上げます。

 東北地方・太平洋沖地震発生から、まる2日以上経ちました。

新聞での報道、TVは通常の番組を取りやめ昨日・今日とずっとこの関連ニュースを流し続けています。
地震・津波、福島第一原発の爆発事故は「チェルノブイリのようなことだけはあってはならぬ」と懸念していた矢先のことで、とても心が痛みます。

お亡くなりになられた方、未だ安否不明の大勢の方々、避難所生活を強いられている方々、心よりお見舞い申し上げます。

また、自衛隊、警察、消防など、懸命に救助活動に当たられている皆様、本当にお疲れ様です。1人でも多くの命が救われることを切に願います。

ドイツの友人、エルマー&アンジュラ夫妻から地震当日の夜、メールが届いていました。

Die Nachrichten die uns aus Japan erreichen sind ja schrecklich.
(日本から我々のところに届いたニュースは、それはひどいものです。)

と、短いながら彼らも遠くで心痛めている様子が伝わります。

今、これを書いている時間も、多くの方が土砂や瓦礫の下に埋まっている、津波にさらわれ海に流された人もいる、救出を待ち続ける人がきっとどこかにいるはず!
真っ暗な避難所で寒い一夜を過ごさねばならない人々が何万人といる。

私はただ、祈ることしかできません。1人でも多くの命の救出と、一日も早い復旧、それだけです。

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2011年3月10日 (木)

オーロラ!

 この地球の北と南の極地で見られるオーロラ!
私は今から7年前、フィンランドで実際にこの目で見たことがあります。それはそれはとても神秘的で、素晴らしいものでした。

先日、南極観測船『しらせ』が南極近くの洋上で、オーロラを撮影され、その写真がネットのニュースに流れていました。私はさっそくダウンロードしました。

今日はそのオーロラの写真と、ナショナル・ジオグラフィックからのオーロラの写真、計4枚ご紹介します。

Photo
『しらせ』から撮影された南極洋上の光のカーテン、オーロラ!太陽が出ていながら、オーロラも ;:゙;`(゚∀゚)`;:゙!とても珍しい写真です。

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こちらは、北極圏・ノルウェーで撮影されたオーロラ!

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こちらも同じく、北極圏のオーロラ!

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こちらは、「おやっ?!」と思われた方もいらっしゃるでしょうか?今日のヤフーニュースに掲載されていた『天空のアーチ、アラスカのオーロラ』です。

さて・・・、海外の旅日記を書きつくした慕辺未行ですが、新たなカテゴリー『世界・絵葉書の旅』をつくります。旅先で出会った旅仲間たちが海外を旅した時に、私宛てに出してくれて絵葉書、それらの絵葉書のデザインを紹介していこうと思います。かなり、苦しまぎれのネタですが・・・(^_^;;!(笑)
かつて、城達也さんの人気ラジオ番組 ♪ジェットストリーム♪ のイメージで書き綴れると良いのですが・・・(-_-)ウーン?(ジェットストリームのテーマ音楽、たしかレターメンの♪ミスターロンリー♪でしたよね?レターメン・・・レター・メン・・だから絵葉書の旅・・・?)

そしてもう一つ、前回のブログで意外と反響があった懐かしい『国鉄時代の列車』、現在、写真またはネガを捜索中です。見つかりスキャンしましたら、こちらも新たなカテゴリーを作り皆様に紹介したいと思います。

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2011年3月 6日 (日)

消えゆく国鉄時代の特急

 海外旅行ネタは書きつくして、ブログを書くのに困っている慕辺未行です (^_^;;アセアセ!

とはいえ、何もないわけでもなく・・・。
ブログ仲間の Junjiro様のブログで、大阪と北陸を結ぶ特急『雷鳥』がなくなると知り、「国鉄時代の名特急や名車両がどんどんなくなっていくなぁ・・・(-_-)ウーン!」と思いました。
特急の名称はその後、新幹線の名称で復活することもありますが、車両はいずれ老朽化し引退せざるを得ません (>_<)クヤシィ!

私は決して『鉄ちゃん』とか『撮り鉄』ではありませんが、運転免許取得前は国鉄がメインの旅(周遊券利用)でしたので、その折に鉄道写真を撮ることもありました。その中から今回は、大阪発の国鉄時代の特急をいくつか紹介してみようと思います。
いずれの写真も、今を遡ること30有余年・・・(^_^;;ヘヘッ、私がまだ高校生の頃に撮影された写真です。撮影者は私ではなく、当時のクラスメイトから頂いた写真です。

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大阪~青森間という長距離を走るディーゼル特急『白鳥』号。この弟分で急行『きたぐに』号という列車もあったような・・・?!

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右が、まもなく姿を消す特急『雷鳥』号。大阪から金沢・富山を結んでいます。

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懐かしいボンネット型の電車、特急『北越』号。たぶん・・・大阪~新潟間では?

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かつて一往復だけ大阪・天王寺~名古屋間を、紀伊半島をぐるりと一周し走っていたボンネット型ディーゼル特急の『くろしお』号。(この写真は、私が名古屋駅で撮りました。)
その当時から大阪・天王寺~白浜・紀伊勝浦を結んでいた今も残る特急です。いつだったか、この”紀伊半島一周”する特急『くろしお』が廃止され、『くろしお』は大阪・天王寺から南紀方面の特急、そして新たに名古屋から特急『南紀』号が生まれました。

「なつかしいぃ~!」と思われた方、いらっしゃるでしょうか?何かしら思い出がありましたら・・・それだけで掲載した甲斐があります。
かつての名特急で今は新幹線の愛称になっている列車もありました。機会あれば、紹介したいと思います。

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2011年3月 5日 (土)

♪竹田の子守唄♪

1.守もいやがる 盆からさきにゃ
  雪もちらつくし 子も泣くし

2.盆が来たとて 何うれしかろ
  かたびらはなし 帯はなし

3.この子よう泣く 守をばいじる
  守も一日 やせるやら

4.見ても見あきぬ お月とお日と
  立てた鏡と 我が親と

5.来いよ来いよと 小間物売りが
  来たら見もするし 買いもする

6.はよもゆきたや この在所こえて
  向こうに見えるは 親のうち

7.久世の大根めし 吉祥院(きっちょ)の菜めし
  またも竹田の もんばめし

皆様きっとご存知のこの歌、’70年代にはフォークグループ”赤い鳥”が、美しいメロディーで歌い上げていましたネ!
『歌詞が、実際の歌よりずいぶん長い・・・』と思われたでしょうが、実はこれが本当の”竹田の子守唄”の歌詞です。
この詞の裏には、当時の社会問題が隠されています。陰の部分とでも言えばよいでしょうか・・・?!
そしてメロディーも、あまり抑揚のない単調なものだったそうです。

ちなみに竹田は、”荒城の月”で有名な九州の豊後竹田ではなく、京都市伏見区竹田のことをさします。7番の歌詞にある久世、吉祥院も同じ伏見区にあります。

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2011年3月 2日 (水)

待っていてくれた列車

 『慕辺未行 古い旅日記』も、そろそろネタ切れです (^_^;;アセアセ!
とはいえ、海外旅行をメインに書き綴りましたので、国内のこともと思うのですが、しかし国内旅行の場合、リアルタイムの情報が好いでしょうし・・・(-_-)ウーン!

それはさておき、とりあえず古いアルバムや旅のノートを引っ張り出し、「何かネタはないか?」と探していたところ、旅の行程を書き残したノートに面白いメモを発見 (^o^)!「そういえば、あったあった!」と思い出しました。
信じられないような話であり、都会では絶対にあり得ない話。でも実際に、私が体験した事実です。

皆様は、列車に乗り遅れそうになった時、どうなさいますか?頻繁に列車が行き交うところなら、次の列車を待ちますよネ!しかし、1日にほんのわずかしか走っていない路線、1本乗り遅れたら次の列車は3~4時間後!というところだったら、どうされますか?仕方なく、諦めますよネ!・・・ふつうは!?

時は、今を遡ること30年ほど前、JRがまだ国鉄の時代だった頃です。当時まだ二十歳だった私はゴールデンウィークに北海道へと旅し、内陸部の過疎の街”朱鞠内”を訪れました。朱鞠内は、今はすでに廃線となっていますが、函館本線の深川駅と宗谷本線の名寄駅を結ぶ深名線というローカル線の途中駅でした。近くには朱鞠内湖(人工湖)があり、冬の間は極寒のあまり凍結し、春暖かくなると凍結した湖面が盛り上がり、一気にひび割れる現象が起こるそうです。
この朱鞠内に、言葉は悪いですが本当に鄙びた旅人宿がありました。外見を見た限りでは、とても宿とは思えないような、粗末な民家宿です。経営者も勝手気ままにしていました。私はこの宿へその冬初めて訪れ、ゴールデンウィークに再訪してしまいました。そこで、印象深いある事件が起こったのです。

私がその宿に泊まった翌日、札幌から夜行列車に乗る予定で夕方、その宿を出るつもりでした。その宿の最寄り駅は『湖畔』という乗降場。『駅』ではなく季節だけの臨時の『乗降場』。
私はその『乗降場』から名寄発朱鞠内行きの列車で朱鞠内駅へ。そして朱鞠内発深川行きの列車に乗り換えるつもりでいました。宿のヘルパーの”チャリンコ”君が『湖畔乗降場』で見送ってくれることになりました。そして列車がやって来ました。が・・・、停車する気配はなく、そのまま通過!私もチャリンコも、唖然呆然・・・。しかし、それもそのはず!その日は5月6日。列車はゴールデンウィーク中は停車したものの、それを過ぎたこの日は停車しなかったのです。

「アッ?そうか!しまったぁ~!」と思った時、列車はすでに朱鞠内駅へと向かい、深川行きの列車へ10分ほどで連絡します。深川行きのその列車に乗らないと、その日の札幌からの列車に間に合いません!つまり、予定している日に帰れないのです。ホント、ヤバいです・・・。見送りに来ていたチャリンコも慌てて、そして「とりあえず急いで宿へ戻ろう」と言って、宿へと戻りました。

宿に戻るとチャリンコはすぐに朱鞠内駅へ電話しました。そして・・・、「ハイ、すぐに行きますので!お願いします!」と言って電話を切り、大急ぎで私を50ccのバイク(カブ)に乗せ朱鞠内駅へと走りました。この時、朱鞠内発深川行きの列車はまさに出発直前の時間!宿から朱鞠内駅までは、たとえバイクでも10分はかかる!私は「本当か?大丈夫か?!」と思いつつも、チャリンコの言葉を信じてカブの後ろに座り、朱鞠内駅へと向かいました。

定刻通りなら、深川行きの列車は既に出発しているはずでした。しかし、我々が朱鞠内駅へ着いたとき、その列車はまだ…そこに留まっていたのです (゚O゚)オォーッ!
チャリンコに送られた私は彼への挨拶もそこそこに、とにかく駅員に「急いで、急いで!」と促されるまま改札を抜け列車へと飛び乗りました。私が列車に乗るとすぐに扉は閉められ、列車は出発しました。

私は本当なら乗れなかったはずの列車に、奇跡的に乗ることができました。列車内には、ほんの少しの乗客がいました。皆、地元の方のようです。私のせいで列車を遅らせたので「すみません」と頭を下げると、「いいさぁ、いいさぁ!」とニコニコしながら許してくれました。そして次の駅で停車中に、運転士の方にもお詫びとお礼を言うと「大丈夫!深川には定刻に着くから!」と仰っていました。10分ほど遅れて出発したのに・・・?しかし、その運転士の言葉は本当でした。

私は深川駅から接続する札幌行きの特急・ライラック号に無事乗ることができ、その旅を終えることができました。

すでに廃止された北海道のローカル線での出来事です。今から30年近い昔に私自身が実際に体験したことです。皆様はこのような体験、類似した経験、おありでしょうか?私にとっては今も忘れえぬ、貴重な体験であり思い出です。

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函館本線を走るSL三重連『ニセコ号』。(本文とは関係ありません)

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