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2010年8月 1日 (日)

ネパール再会の旅 63 『カリコーラへ』

5月15日(日)晴れ
ブプサ(徒歩)カリコーラ(徒歩)ブプサ

 6時過ぎ起床。昨日のバレーボールの影響か、筋肉痛である。今日からまた学校のため、ヤンジー達がカリコーラへ帰る日だ。6時半にオートポリジで軽く朝食を済ませ、しばらくの間、ヤンジー、マヤ、チリとバレーボールで遊ぶ。「エク(1)、ドゥイ(2)、ティン(3)・・・」とボールを落とさずにどれだけパスが続けられるかやってみる。ヤンジーは慣れていて、なかなか上手い。

7時半過ぎに、学校へ行くために子供たちはいつもよりうんと早い朝食。そこには俺の分まで用意され、子供たちと一緒にダルバートを食べる。

8時20分、彼女たちと父親のプーリーと俺の5人でカリコーラへ向かおうとしたその時、ヤンジーがカタ(健康や幸運、旅の安全などの祈りが込められた白い布)を首にかけてくれた。俺のような個人旅行者は、よほどでない限り、滅多に頂くことはないカタ。俺は「デライ クッシー!(すごく嬉しい!)」を連発した。

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ブプサから。聖峰クワンデ(6011m)が頭を覗かせています。

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ヤンジーと、シェルパの民族衣装を着た母ドマ、末っ子のダワ。

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ヤンジーの家族全員と一緒に!

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ブプサからカリコーラを望みます。真ん中よりやや左下に見える集落がカリコーラの中心部です。

Img182

ブプサから急な山道を下り、向こうの山裾のカリコーラを目指します。

カタをいただいた後、皆揃って写真を撮り、カタを首に巻いたまま俺は、ヤンジーら3人の子供と父プーリーと一緒にカリコーラへ。急な坂道を一気に下り、約30分でカリコーラへ到着。従妹のマヤは、自宅へ制服に着替えに戻った。

そしてヤンジーと弟チリの下宿先は、かつて住んでいた『ホテル・ファイブスター』の正面にある。ここは、親戚の家のようで、そこで自炊しながら暮らしているそうだ。まだ14才なのに親元離れて、しかも弟の面倒まで見ているのだから、しっかりしている。そういえば、ヤンジーの父プーリーも言っていた。「ヤンジーは料理を作るのが早くて、しかも上手なんだ」と。俺もそう思う。ヤンジーの手料理は、とても美味しい。ダルバートもシェルパシチューもポテトチップスにムスタンコーヒー、どれもこれも美味しかった。彼女だからこそ、安心して下宿させられるのだろう。

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コメント

それにしても学校へ通うのも大変ですね。
小さい時からのお手伝いが役に立って、もう既に自立していますね。大したものです。


hannaさんへ

ヒマラヤ山間部では、これが当り前のようで、彼女たちはまだ恵まれている方です。中には毎日2~3時間かけて登校してくる生徒さんもいるそうでした。学校へ通わせるのが精一杯、という家庭もありましたし、通わせることもできない家庭もまだまだたくさんありました。
ヤンジーは、ここブプサに引っ越してくる前から、カリコーラでお手伝いしていましたし、まだ14才ながら自立していました。私が敢えて「会いに行こう!」と思った気持ち、ご理解いただけるかと思います (^_^)!

投稿: hanna | 2010年8月 1日 (日) 22時19分

ご無沙汰ご無礼ばかりですいません。

今回は長期連載ですね。

しばらく読んでいませんでしたので後日まとめてどどーんと拝見いたします。

取り急ぎ


青龍○段さんへ

いえいえ、事情は察していますので (^_^)!
長期連載、というか『牛のよだれ』のような旅日記ですワ(笑)!以前の旅日記のように、カテゴリーを小分けした方が良かったかナァ?書いている途中で、ブログ仲間になっていただいた方々には、話が見えないかもしれないですからネェ (^_^;;!って言うか、タイトルの初めの『ネパール再会の旅 ○○』が無い方が、良かったかも・・・?!

投稿: 青龍○段 | 2010年8月 1日 (日) 22時26分

こんにちは!ヤンジー一家はネパールでは上流でしょうか?意外にさっぱりとして身奇麗なようですが?
名古屋のような都会暮らしより、山の生活の方が人間らしい生活が出来るように思います。どちらが幸せなんでしょうね。みんな好い顔です。


minojiさんへ

う~ん・・・、とても難しい質問です (^_^;;!カトマンドゥやポカラで暮らす人々と比較してはいけないでしょうが、都会(?)の人々と比べると、それほど上流ではないでしょう。しかし、ヒマラヤの麓の村々、そこで暮らす人々の中では、上流と言えるかもしれません。ゲストハウスを経営しているのですから!
民族衣装などを着こなしつつも、小ざっぱりして見えるのは、やはりトレッカーたちとのふれあい、そこから学ぶ文化、などがあったのかもしれません。
山の生活も、人間らしいですし、都会の生活もそれはそれで現代の人間らしい生活、だと思います。私は、生まれ育った環境で暮らすこと、それが幸せだと思います。って、若造なのに、エラそうなことを言いまして、申しわけありません。

投稿: minoji | 2010年8月 2日 (月) 14時57分

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