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2010年8月 3日 (火)

ネパール再会の旅 64 『ヤンジー達の学校へ』

ヤンジーに、彼女の下宿の中を案内してもらうと、いきなり2年前に一緒に撮った写真が飾られてあった。そういえば2年前、できた写真をガイドを雇ったトレッキング・エージェントに持って行ってもらうよう託したのだが、その数週間後ガイドと偶然会った時、「忘れてた」と言っていたので、本当に届けてくれるかどうか不安で、地図でカリコーラの県と郡を調べて、日本からも送ったのだ。そうか!それで同じ写真がブプサにもカリコーラにもあるんだ。2年前に雇ったガイドのラジンはその後、約束通り写真を届けてくれたのだ。

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ヤンジーとチリの下宿。

2階へ上がると、ベッドルームと小さなキッチン。狭い部屋だが、きちんと片づけられている。子供たちは皆、それぞれの制服に着替える。白いブラウスに紺色のスカート。男の子は白いカッターシャツに紺色のズボン。だが一つ、面白いのは女の子は普段パンジャビスーツ(足元まであるドレスとズボンのセット。同じデザインのツーピースで、パジャマの起源でもある)を着ているのだが、パンジャビスーツのズボンをはいたまま、スカートをはいてしまうのである。

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学校の制服に着替えた子供たち。

9時20分ごろ、彼女たちの学校へと向かう。村の外れの方にあり20分ほどかかる。ヤンジーは登校の道すがら「来年の11月、10年生を卒業したらカトマンドゥで日本語の勉強をする」と言う。理由は、俺ともっといろいろな話がしたいからだそうだ。父親も、卒業したらOKだと許可しているらしい。とても嬉しかった。俺のために日本語を学びたいというヤンジーが、とてもいじらしく、可愛く思えた。

学校までの途中で、何人もの友達を誘って登校していく。他の子供たちは、一緒に歩いている俺を見て「誰なんだろう?」とでも言いたげに、興味津々で見つめている。ヤンジー達は、それだけでも自慢げである。やがて学校に到着する。

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ヤンジー達が通う学校。シュリー・スクール。

学校は10クラスあり、授業は10時から16時まで。300人近い生徒が通っているそうだ。プーリーが先生方に俺を紹介する。俺もネパール語で自己紹介する。先生方は、思わぬ日本人の訪問を、とてもビックリし、喜んでくれた。

ヤンジー達は、それぞれの教室へ。薄暗い教室だが、黒板も机もイスもそろっている。ヤンジーは、ニコニコしながら友達に俺を紹介している。ここでもネパール語で挨拶すると、子供たちも驚いたようで、とたんに大騒ぎ。

校庭へ出てみる。サッカーで遊んでいる子供たち。そうかと思えば、突然やって来た日本人を遠巻きに取り囲む子供たちもいた。「お前、何かしゃべってみろよ」「いや、おまえが行けよ」とでも言い合っている様子だ。そんな中、ヤンジー達は平気で話しかけてくる。当然と言えば当然だが・・・。

朝礼が始まった。各学年ごとに並び、国旗と校旗を持った生徒が3人(そのうちの1人はヤンジーだった)、そして国歌を歌い、体操をする。朝礼が終わると、授業に入る。もうこれでお別れである。心の中でヤンジーに「元気でね」と告げ、プーリーと共にカリコーラの村へと戻る。

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朝礼が始まります。ヤンジーは右から2列目、前から2番目にいます。その左側の列、前から3番目にマヤがいます。

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コメント

いかにも粗末な学校ですが、こうして学校教育が広がったことはありがたいことに違いありませんね。ネパールに学校を作ったNPOのグループの方と知り合ったことがありました。ずいぶん前のことです。そうして学校教育がだんだん国の手で整って行くのだと思います。むしろ、そのありがたさはこの子たちの方がよく知っているから、よく勉強するんですね。


hannaさんへ

私がネパールで見た学校は、ほぼこのような感じでした。ヒマラヤ山間部の学校としては、これでも立派!な学校なのです。初めてネパールを訪れた1984年には、校舎はあっても机が無かったりしましたから。
日本のNPO団体などが、ネパールで学校建設に携わっていることは、もちろん知っていますが、しかしその一方で、善意を踏みにじる人々もいることも事実のようです。とくに、旅行者や観光客がほとんど来ないようなエリアは、もともと貧困に苦しんでいましたから、しばしばそのようなことが起こるようです。

投稿: hanna | 2010年8月 3日 (火) 23時32分

やはりパジャマの起源はパンジャビだったのですね。
どこかで聞いたことがあります。

私どもWFWPも学校訪問し、文房具などを寄付してきました。
お金も・・・
盛大な歓迎会を開いてくれて首に花輪をかけてくれました。
歓迎会慣れをしているようでした。


matsubaraさんへ

パジャマの起源は、もとはインドのピジャマと呼ばれる衣類ですが、そこから派生したパンジャビスーツも、その起源と言っても良いと思います。
WFWP・・・?ボランティア団体でしょうね?どんな言葉の略なのでしょうか?World Friendship ・・・?私はあくまで個人旅行者ですので、寄付したりとかはできないのですが、お付き合いのできた方々に、少しでも!という思いはあります。『歓迎会慣れ』ですか?!何か複雑な気がします。まるで儀式のような・・・?!アッ、お気を悪くなさらないでくださいねぇ~!何となく、そう感じたものでして・・・(^_^;;アセアセ!

投稿: matsubara | 2010年8月 4日 (水) 08時44分

5日から郷里の会津若松に帰省します。
20日頃には復帰の予定です。
宜しくお願いいたします。


seiboさんへ

5日から・・・?ということは、もう今ごろは会津若松にいらっしゃる頃でしょうか?故郷での夏、存分に楽しんで来てください。
復帰後、会津の夏便り、楽しみにしています (^_^)/!

投稿: seibo | 2010年8月 5日 (木) 00時55分

Women's Federation for World Peace
の略です。ここでボランティアをしています。


matsubaraさんへ

『世界平和のための、女性同盟』ですネ!ボランティア、私は出来そうでなかなか出来ませんが、しばしば思うのは、『一方通行にだけはならないでほしい』ということです。現地の人々が一方的にこちらを頼りにしているだけでは、先は見えないし見えてこないと思います。現地の人々が、それをどう生かすのか、が重要ですよね。アッ!す・すみませーん、ボランティア経験もないのにエラそうなこと言ってしまいました (^_^;; m(u_u)m 。

投稿: matsubara | 2010年8月 5日 (木) 10時50分

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